ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
先日に続いて、危険な解釈と言うことで
掲示板でのクリスチャンと称する人間を反面教師として
私達のあるべき理解を深めて行きたいと思います。
おそらくはこの人間はクリスチャンではありません。
ネットならではの成りすましの可能性があります。
「私はキリスト教徒です。」と名乗る人間が暴れていれば
「あれがキリスト教徒だ。」と知らない方は認識することになります。
イエスキリストの言葉で言えば
茨にアザミはならない
その実を見れば木が判る。
そんな話にもなると想います。
小さな思想の違いにも食って掛かり
討論ではなくて一方的にその思想を押し付けるその姿を
キリスト教を理解する信者の平均的な姿とされれば
”キリスト教”は信じがたいろか
そんな判断をされることにも繋がります。
こんな事が実はこの数十年間
国内の宗教組織の中では延々と繰り返されてきたと思います。
それは一種のスパイ行為、もしくは乗っ取り行為かもしれません。
その宗教思想など本当は興味の無い人間が
自らの真の思想を胸に秘めた状態で
色々な宗教の中に入り込んではその組織を変貌してきた
もしくは長い時間をかけてはその思想を貶めてきた。
そんな実態です。
歴史の中でイエスの教えなどは何度も誤った方向へと導かれながら
軌道修正を繰り返してきたと思います。
そしてキリスト教内部にもぐりこんでいた人間の真意は
キリスト教を変貌する事では無いかと思います。
キリスト教を元々のイエスの教えから
かけ離れたものへと誘導することでです。
クリスチャンには怒られそうですが、
私の理解しているイエスの教えは
特定の人間たちだけが救われる教えではありません。
イエスの教えを理解してそれを実践している人間こそが
記憶を持った転生の近道にいることは間違いありませんが
極端な話が、どこの宗教組織の人間であろうが
無神論者であろうが
神の御心を実践している人間であれば
進化を果たし記憶を持っての転生することが出来るはずです。
なぜならばイエスキリストの語っていた父なる神は
キリスト教徒のための神ではなくてこの宇宙全体の創造神だからです。
イエスは自分の理解者たちに
「私達が信仰し学ぶ相手は創造主であるべきだ」
と言うことを使徒達に教えていたのだと私は認識しています。
古代から神は大勢存在しています。
その多くは恐らくは人格神であり
一方では人間達が自分達の都合で作り上げた神だと思います。
例えば豊作を願えば豊作の神を作り奉る。
そんな感じでです。
日本の中にも商売繁盛の神や縁結びの神が存在しています。
しかしイエスは
「自分と使徒達が師として学ぶべき相手は宇宙の創造主である」
と語っていたのだと認識しています。
その創造主はイエスの言う通り誰にも平等な神です。
そして神の私達に対しての想いは「永遠の命」です。
その創造主の法則は、目に見える現象から目に見えない現象まで
すべて万人に対して平等に機能するのです。
罪人にでもそうでない人にでも
父なる神は平等に太陽を照らしてくれて雨を振らせてくれる。。。
同様に転生の法則、カルマの法則も
私達全員に平等に機能するのです。
私達が”宗教”と言う言葉で分割し、
それぞれ自分達が特別な立場であり神から近い存在であるとか
神に選ばれた存在であると認識しても
それは私達の勝手な判断であり
創造主は誰にも特権をも与えませんし
誰の事も選択したりはしないのです。
つまりこの宗教を信仰している人間が救われて
それ以外の人間が救われないなどという事はあり得ませんし
特定の人数(144000人)が救われて
それにもれた人間は救われないなどと言う事も無いのです。
誰もが神の御心を実践できていれば
全員がその恩恵を受ける事になりますし
別の惑星に転生しなくてもこの世が天国になるでしょうし
誰もが神の御心を実践できなければ
誰もが記憶を持っての転生を受けられないと言う事になります。
ちなみに神の御心はとても簡単に実践できます。
私達人間の本来あるべき生き方である
”道徳”を実践することだからです。
この道徳と言うのは私達が魂から受け止めた、
誰もが”これは正しい”と認識できた意識を
心の価値観として置き換えたものだと理解できます。
そしてそれと同時に、私達が良き”想い”をもてるようになれば
それだけでも地球から卒業するには十分だと思います。
イエスの語っていた神の御心は
本当であれば誰もが自ら魂から創造主の意識を引き出して
実践することを求められているものです。
しかし”イエスの神の国の奥義”を理解出来ていなかった私達は
魂の経路を意識する事も出来ません。
だからせめて多くの人間が共通認識として持つ事の出来た
道徳なるものを実践することで、私達は御心の実践に換えるのです。
(ここでの道徳も時の流れで変えられる傾向がありますが
これも形式ではなくて物事の本質で考えてください)
日本には仏教と神道という昔ながらの宗教があります。
それぞれの見えている姿の違いで別物に見えますが、
キリスト教含めても、どれもが共通意識を持つことが出来ると
私は繰り返し説明しています。
元々の教えを与えてくれた人間達が、本来同じ意識を持っていて
同じ神を見つめた上で、その時代背景にあわせて
人のあるべき姿を語ってくれたのだと理解すれば
日本国内ではこれらの宗教は対立しなくても
済むのでは無いかと思います。
昔ながらの道徳を私達に与え続けていたのが神道として、
更に自分を成長させよりよく生きることを目標に学ぶのが
仏教だと理解して見てください。
神道は道徳の実践であり
仏教は心のエゴの暴走を抑える行為であると説明できます。
そして後は自分の中に創造主の意識を求めれば
その時にキリスト教の意識を参考にして貰えれば
私達は効果的に進化を果たすことが出来るのではないでしょうか。
源流が同じ天使達でありながら
その教えが別物と受け止められて対立するような構図は
天使達も嘆くことになると思います。
と言うことで私の兄弟姉妹と理解者に関しては
分割は無いと思いますが
出来るものならこんな意識を、”イエスにある者”を
自称する人間達には是非持って頂きたいと思いました。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
584 :サロメ☆ボウディア ◆IImpEahg5A :2013/06/27(木) 02:14:54.31 >>581
生老病死が本来は存在しないし
新しい神の御国にも存在しないということを
信じて告白できない人はクリスチャンではありません^^
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
”天使達の社会には病は存在しない”と言う話は
私も記事の中で繰り返し触れています。
しかしそれは彼らが私達とは
異なった生き方をしているからだと思います。
ウイルスによる病であれば、
その病原体を無害化できれば病に罹らずに済みます。
環境要因では、身体に良くないものを摂取しない
そして必要な栄養を十分に取る。
更には彼らには精神的なストレスはありません。
生き方の中心がリラックスだからです。
そのような生き方の中で精神性も健全で
魂からのエネルギーをも十分に供給されている、
しかも彼らは宇宙エネルギーとも言われる
おそらくは気(プラナ)と言われているものを体に取り込む事も出来ます。
その上で彼らは一人一人が”生命”を学んでいるのです。
自分の肉体の仕組みを知っていてその機能を理解している。
つまりは彼らは誰もが医者の知識を持っているのです。
そんな環境で生きているからこそ彼らの社会には病は存在しない。
そしてもしも軽度の病にかかった時も
自ら宇宙パワー(これもプラナだと思います)を
手のひらで注入する事で癒すのだとアダムスキーが触れていました。
その上に彼らは骨折などをしたとしても
今度は”高周波治療技術”を持っています。
彼らは病を克服しているのです。
それは、その与えられた環境が病を生まないのではなくて、
彼らの生き方が結果的に病と無縁の生き方であるからという事になります。
しかし依然、彼らの環境には老化は存在しますし
肉体の死も存在するのは先述のとおりです。
彼らの社会を覆っている厚い雲が、
彼らを有害放射線から守っていてDNAを傷つけないため、
そして十分なエネルギーを魂からも補給しているため、
そしてストレスをためず良い生き方をしていることで
精神的な摩擦も少ない事が彼らの長寿の理由です。
”新しい神の国”はある日突然この地球社会に齎される様な
そんな便利なものではないのです。
彼らは進化の果てにそんな環境を作り上げました。
私達に一番近い意識を持っているという火星の人間達も
限りなくそんな社会に近づきつつあるのだと思います。
私達がこの社会の中で無病、そして長寿を実現しようとすれば
それなりの努力が必要だと言う話にもなります。
もしかしたら地球でも厚い雲で空が覆われた環境が
ポールシフトの後に実現する事になると
オーソンは語っていました。
しかしもしもそんな環境になったとしても
そこで生きている人間の生き方が今までと変わらなければ
私達はこの社会を天国にすることは出来ません。
”神の御国”はある日突然アセンションが起きて、
地球が高周波や高次元になる事で実現されるものではないという事。
因果の法則と呼ばれていますが、
進化のための努力をしていない人間や社会が
ある日突然進化を果たす事はありません。
私達が今の社会の中で早々と実現できるのは
個々の人間レベルでの進化だと言う事になります。
しかしこの社会の中では
神の国の到来を信じて待っている人間もいるのだと思います。
その根拠は聖書の黙示録です。
しかし黙示録の内容は、天使達が2000年前の人間に対して
演じる予定のあったシナリオに過ぎず、
その時にはおそらくは地上での審判を実行して見せて
その中の何人かを宇宙船に乗せて
彼らの惑星へと招待する予定でもあったのだと想像してますし
その時には地上で天国を作るための演出をも
実践する予定だったのではないかと想像してもいます。
つまりこの地球社会でパレスチナ中心に
彼らの社会を踏襲させるそんな予定がです。
しかしイエスの死後、12使徒達の努力むなしく
イエスの教えは異端とされて迫害されました。
多くの教えはイエスの教えから脇道にそれても行きました。
イエスの教えは後に国家の管理のために利用されるに至りますが
その時のイエスの教えは既に管理者の都合の良い改ざんが
入り込む事にもなります。
彼らは地上での新しいエルサレムを実現する事は出来なかった。
そして想定していた地上での審判をも
実行することは出来なかっただと思います。
更には当初の予定としての黙示録がその後は
聖書の外伝から聖書の一部となり今に至るのだと思います。
イエスが語っていた神が用意してくれた宇宙の館
私たちが目指す天国はそこへの転生か、
この社会の改善だと言うことです。
http://ameblo.jp/uruseiblog/entry-11427067077.html
ヨハネの黙示録
http://ameblo.jp/uruseiblog/entry-11431690695.html
ヨハネの黙示録 第二章
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
587 :サロメ☆ボウディア ◆IImpEahg5A :2013/06/27(木) 02:17:26.41
>>583
今の世界は人祖の堕落によって アダムとエヴァがサタンに従った罪のゆえに
死が生まれ 苦しんで産まれなければならなくなったので生老病死は存在します
しかしそれは本来の状態ではなく 人間の罪が作り出したものです^^
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
”原罪”という概念はキリスト教社会では当たり前のものとなっていますが
それは祖先が原罪を犯したことで
後の子孫まで穢れたと言うような意味ではないはずです。
私達に原罪があるとすれば、
それはあくまで私達が魂に乗っ取って生きるのを止めて
心に従って暴走を繰り返している事に由来するからです。
私達は本来自分の魂と言う器官をもって
永遠の命の源でもある創造主の意識に従って生きることを
求められていました。
しかし私達は魂の器に過ぎない、その表現の媒体である肉体と
それに司る心に従って生き始めました。
これこそがアダムとイブの善と悪の知識の木の実の寓話であり、
原罪が存在しているとすれば、これこそが原罪だと言えます。
つまりは私達は誰もが生まれた時には
罪を背負っていない事にもなります。
勿論、転生を繰り返しているのですから
前世のカルマを背負っている事にはなりますが
私達が、赤ん坊の頃には何も見えないのに
何かを感じて笑っていた事があったように
私達は子供の頃には魂の意識の経路を感じていた可能性が高いからです。
それがこの社会の風潮、親の教育、
幼稚園・学校の教育、そして地域社会といったあらゆる環境に影響され
その上にこの社会特有の低い周波数に影響され
いつしか心に囚われ魂を感じる事を
忘れてしまうのだと思います。
そしてその事が私達を記憶を持っての転生から
遠ざける結果になりましたし、
第二の死も生まれることになりました。
私達は”命の木の実”から遠ざけられた。。
永遠の命を失ったのです。
その意味では”原罪が死を生んだ”と言うのは正しいといえます。
しかし原罪が生んだのは私達の”心を持っての価値観”であり
”あらゆる煩悩と苦である”と認識することになります。
http://ameblo.jp/uruseiblog/day-20130515.html
それでも神は存在する
http://ameblo.jp/uruseiblog/entry-11282307552.html
アダムとイブの逸話
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
588 :サロメ☆ボウディア ◆IImpEahg5A :2013/06/27(木) 02:19:08.54
>>585
アタシは聖書の御言葉に忠実なだけです
ここではカトリック固有の教えは持ち出しません
そういった信仰の系図探しより聖書に親しんで祈ってくださいね^^
>>586
ここはクリスチャンのスレです^^
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
私達が通常会話する時のように、聖書のイエスやパウロの言葉も
その時々の状況やその語りかける相手によって言葉も選んだでしょうし
例える内容も違っていたと思います。
更にイエスキリストの言葉には比喩が満載です。
それは一般市民に聞かせたような
”種まきの話”や”放蕩息子の話”に限ることなく
使徒達との会話においてもです。
「私は岩の上に教会を立てる。」
「天の鍵を与えましょう。
それは地で開けば天でも開いている。」
「私は三日で神殿を立ててみせる。」
こんな話を全て額面どおりに受け止め解釈すると
私達はイエスの言葉の真意が理解できなくなります。
しかし私達にありがちなのは
聖書の言葉を一字一句そのまま額面どおり受け止めては
それを理解しようとすること。
結果、パウロが”信仰のみ”と語ったのに対して
ヤコブは”信仰と実践”と語っているので
両者は矛盾しているといった誤った解釈にもなってきます。
しかし、しっかりとパウロの手紙を読み進めると
信仰が実践を伴うことが前提である事にも気が付きますし
両者には矛盾がない事も認識できます。
言葉を額面どおり受け止めて、
それを形式的に理解しようとするのではなくて
私達は事の本質、実質こそを追求しなければならないと言うことです。
人間の語る言葉は口数が足りないと
時には誤解をも生むことになるのを
私達は日々の生活の中でも体験しています。
ましてこれを聖人達が語っていたのは2000年も前の話です。
その上にその時々の為政者達の手によって改竄と変更が重ねられて
更には外国語から日本語に変換するにも数回の訳の転写もあります。
それを丸ごと一字一句信頼して
それを受け止めろと言う事に無理があるのです。
http://ameblo.jp/uruseiblog/entry-11072330451.html
真訳聖書 VOL14
http://ameblo.jp/uruseiblog/entry-11494308740.html
イエスキリストの想い=創造主の法
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
596 :サロメ☆ボウディア ◆IImpEahg5A :2013/06/27(木) 02:25:58.78
>>592
原罪からはなにが生まれますか?^^
逃げないでくださいねw
599 :神も仏も名無しさん:2013/06/27(木) 02:34:09.08
「原罪」というのも方便でしょう。
存在の本質は「苦痛と空虚」です。
でも、そんなこと言ったら実も蓋も無くw信者が集まってきません。
組織として力を持たねばならぬと言う理由から、こういう噛ませ犬的観念を
拝借せざるを得なかっただけでしょう。
存在には、苦しみも悲しみも不幸もある、でもそれは「原罪」のせいですよ。
この教えを信仰すれば原罪から解放され、楽しく、天国で、大金持ちのような
安楽な暮らしができますよ・・ってね。
こんなことわからないとか馬鹿すぎるのでは?
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
ここで仏教徒らしき人間が理論を並べています。
存在の本質は「苦痛と空虚」だと言うことです。
存在の本質は”意識”です
苦痛は私達の心の作り上げた価値観に対して
外部からの刺激に反応する事によって生じるものです。
そしてそれを苦痛と認識するのはその心に向いている私達の意識。
意識がなければ苦痛は感じないという話にもなります。
私達は常日頃その意識を脳機能である心にばかり向けています。
私達が寝る時には”意識を失う”と表現しますが
それは心に向いていた意識が脳の睡眠により
遮断された状態と認識できます。
しかし私達の”意識”は本当は依然動き続けています
それは24時間途切れる事もないのです。
脳機能へ向いていた意識は
心の停止と共に魂(四次元)を感じる事になります。
(夢を見ている時は脳機能の一部が働いていますが)
ただ私達は通常、脳機能しか意識していないために
自分の魂の感覚を理解する事も出来なくなっているだけです。
苦しみや悲しみや不幸を作り上げているのは
私達の心です。
私達の心の司る各器官の体験を
それぞれの器官が苦痛に思えば、苦しいと思えば、
そしてそれが私達の心を不快にさせれば、
それは不幸として認識する事になるのだと思います。
しかしそれは絶対的なものではありませんし
同じ刺激に対しても心地良いと思う人間もいれば
不快と思う人間もいるのです。
ただそれらが心のエゴが作り上げるものである事を理解すれば
その心のエゴこそが原罪であると認識できますし
原罪が不幸を作り上げると言うのは正しいと思います。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
600 :satie:2013/06/27(木) 02:35:02.09 ID:NasGjPLL
>>596
また、妄想(悪夢)膨らましてるw
レッテルばかり貼ってたら人が何を言おうとしてるのか分からないままだよ。
※僕の伝え方が悪いのを差し引いても
原罪が生老病死の原因、以上に何か「言わせたいこと」があるの?
素直に○○と言わせたいって言えば、その内容が間違ってたり、
別の文脈で利用しようと思ってない限り言うよw
>>598
ありがとうございます^^
今度こそおやすみなさい。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
602 :サロメ☆ボウディア ◆IImpEahg5A :2013/06/27(木) 02:36:47.41
>>600
原罪から生まれるものはなんでしょうか?
603 :satie:2013/06/27(木) 02:38:03.17
>>602
放蕩息子の帰還までの人生。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
ここでサロメに絡まれているクリスチャンは
「原罪から生まれるものは何か」と言う問いに答えて
「放蕩息子の帰還までの人生。 」と答えています。
放蕩息子は心を持って暴走し、
そのエゴだらけの価値観におぼれて生きた後に
自分のそんな罪を悔い改めて自らを低くして父の元へと帰還したわけですが
これは私達が心のエゴを持って暴走し、
その後悔い改めて魂の意識に従う事を選択した事の例えですし
原罪から生まれたものとは何かと言う質問に対する
最高の答えではないかと思いました。
勿論、父の元に帰った人間にとってのです。
こちらのクリスチャンは事の本質を理解しています。
同じクリスチャンでもこれだけ違いがあると言うことを
キリスト教を見つめる人には理解して頂きたいと思いました。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
609 :サロメ☆ボウディア ◆IImpEahg5A :2013/06/27(木)
02:48:08.98
というわけで
シャロームはともかく
もう一方の創世記もきちんと読んでいない方のコテハンは。。。www
復活する人間の霊の体が復活のイエズスのお体と同じだとご存じないようですし
イエズスの蘇りは第二のアダム 天に属する栄光の霊のお体の初穂であり
私たちクリスチャンの復活の身体は 同じ命の種の霊の体です
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
イエスの復活をどのように認識するのかと言う言う事に関して
私は”入れ替わりの法則”を紹介しました。
http://ameblo.jp/uruseiblog/entry-11182629834.html
転生の法則と入れ替わりの法則
イエスは元の肉体ではなくて他の成人の肉体に転生したのです。
その肉体に対して、もしかしたら立体ホログラフの照射でもあって
イエスの生前の姿を映し出したと言う事があったかもしれませんが
マグダラのマリアも使徒達もイエスをイエスだと認識できなかったのは
その肉体が別の人間になっていたからだと説明できます。
イエスは死の直後には転生を果たしていましたが
三日後に蘇るという予言を成就させるために待機していた。
元のイエスの肉体は運び去られたか
もしくは分子レベルにまで分解され
(天使の持っている高周波技術です)
その後は新しい肉体を持って側近たちに姿を見せることになる。
更にその後にはその肉体の姿で宇宙船に空中携挙されて
一般市民はそれをイエスが天国に召される姿だと認識した。
そう説明することが出来ると思います。
つまり転生後にイエスが手にした体は
今までと同様に三次元の元素で出来上がった肉体であり
それは天使達の世界の人間のものであったから
精神的な進化は果たしていたでしょうが
決して”特殊な物質”でもなければ
天国向きの特製あつらえの物ではなかったと言うことです。
イエスキリストのその後の話に関しては、
火星にも転生を果たしたという話も
どこかで見かけたと思います。
きっとそこでも宇宙の法則を
教えていたのだと想像しています。
私達の理解ではその後アダムスキーの時代には
オーソン(真理)とアダムスキーが名づけた肉体に
転生していた事になります。
アダムスキーは35歳の時に
「私はすでに貴方のために色んなことをしてあげた
貴方は私のために何をしてくれるのだろう」
と言うイメージを受け止めたそうです。
相手はイエスと呼ばれた魂です。
それがアダムスキーの宇宙的啓示のきっかけだったようです。
この”全てをしてあげた”と言うのは、
おそらくはアダムスキーという肉体を持った状態の魂に
宇宙哲学を理解させたり、テレパシーを理解させたり
あらゆる覚醒の機会を与えていたと言う事ではないかと想像しています。
幼少時にはチベットで仏教も学んでいます。
アダムスキーはその啓示の後には教壇に立ち
宇宙哲学を一般市民に対して語るようになったそうです。
”天に属する、地に属する”と言う聖書の表現を
「天は天国で霊界のような特別な場所である」
と言う解釈で理解しようとしても
天の体は”霊魂”であると認識することになると思いますが
私達が一番理解しなければならなかったのは
私達が元素で作り上げられた肉体を持って三次元を生きていて
同時に私達の霊魂としての魂は今でも四次元を生きていると言う実態。
そして天空高く存在している他の惑星と四次元を
共に”天”と表現して混同して理解することになったのが
私達の悲劇だと言うことです。
(聖書が削られていなければ
これに関しては聖人達の言葉不足だと思いますが)
私達は死んだ時に霊魂と言う特別な体を
与えられるわけではありません。
パウロが”天”と言った時には
そこで私達が理解すべきは主として四次元です。
それは特別な肉体が暮らせる空間ではなくて
私達の魂が常に存在している創造主のエネルギーの社会であり、
創造主の残留思念と想念の世界です。
創造主の諸法則も”想い”として存在するのでしょうし
創造物のイメージも”想い”として作り上げたはずです。
そこは全ての創造物の記憶が詰まっている空間でもあり
それを私達はアカシックレコードと呼んでもいます。
私達は元々が創造主の分身としての
魂を霊魂と言う形で肉体に被せて存在しているのですから
私達がこれ以上創造主から特別な体を
与えられることもないのです。
そして私達の進化は常に肉体を持って行われる事を
忘れてはいけないと思います。
苦痛も快感も全ては肉体を有している状態で
意識することになる感覚です。
全ての体験は肉体を持って行われるのです。
私達の進化は魂と肉体のフィードバックです。
この脳機能を進化させながらそれを100%使用できる状態になるまで
私達は三次元と四次元を同時に生き続ける。
その時私達は限りなく創造主に近い存在となるのだと思います。
その後はどうなるかは私にはわかりません。
ただ、そこに到達するにも
無限な時間がかかるであろうことも想像できます。
私達よりも5万年進化していると言う
金星の人間にしても一度に使用できる脳の領域は
25%に過ぎないと言うことだからです。
最近はニューエイジ思想と言われるものが
盛んになっています。
既存の宗教や価値観を若者受けするようにアレンジし
しかもそこでは、”信仰に肉体の進化が伴う”とか
”地球社会の次元が上昇する”と言う表現が頻繁に用いられます。
確かに私達の生きかた次第で
私達は肉体をも進化させる事になりますし
死んだ時の魂の進化の状態に併せて
それに見合った肉体を持てる空間へと私達は転生していくことになります。
そして地球社会にしても
私達その中で暮らしている人間の波動が高まればその社会の波動も高まり
より素晴らしい社会が実現できることになります。
しかしそれは、ある時突然フォトンベルトがやってきて
この社会の次元や波動を高めるのではなくて、
あくまで私達個人個人の地道な進化に関わって来る話です。
労せずして報われると言う、そんな”棚から牡丹餅”的な話は
創造主の法則には存在してはいないのです。
創造主が私達に求めているのは
万物の調和の管理者であることと、進化を続けることです。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
608 :神も仏も名無しさん:2013/06/27(木) 02:47:28.98
論拠がとてつもなくお粗末で間抜けなのに
世界に対し支配的であろうとする。
こんな馬鹿なことが許されていいのか!!!
絶対このサタン教を日本に広めてはいけない!!!
------------------------------------------------------------------
クリスチャンを名乗って発言する人間が排他的であったり、
特別な価値思考を持っていると、
キリスト教のイメージが下がり
こんな書き込みまでされる事になるのだと私は認識しています。
日本の中ではキリスト教の信者は少ないと思います。
その多くが神道系や仏教系の宗教となっているからです。
そして日本社会にとってのキリスト教の弱点は
オカルトを信じない日本人の人間に対して
信者がオカルト満載に解説する羽目になるからだと思います。
私が高校の頃バプテストのキリスト教会を訪ねながら、
バプテスマを受ける寸前にそこから去ったのは
教会の人間達が嫌いだったからではなくて、
その価値観を受け入れることが出来なかったからです。
私が神父さんに聖書の疑問を投げかけた時に
「イエスキリストが再臨する時に
今まで死んだ全ての人間が生き返りそこで最後の審判が始まる」
とか
「額に印を受けクリスチャンは
一瞬のうちに空中携挙される。」
という説明を受けたからでした。
死んだ人間が土から蘇り
今度は審判を仰ぐという話を信じることが出来なかったのです。
今度はいろんな疑問が浮かぶことになります。
子供で死んだ人間は子供からやり直すのか?
年配で死んだ人間はその年の姿なのか?
一部のクリスチャンはそこでは
復活の時に一番生き生きしていた頃の姿で蘇るなどと
いう話をもしていました。
でも今度はその生き生きしていた時代などと言う尺度は
一体どうなるのか?
例えばそんな感じで疑問が続くわけです。
アダムスキーがキリスト教徒に対して冗談で語っていたのですが
「今まで死んだ人間達が一時に全員蘇ったら
土(元素)が足りなくなってしまう」
と言う話にもなります。
つまりはキリスト教は聖書の多くの現象を
”神の奇跡”として受け止めているために、
今後もその奇跡が聖書に書かれている言葉のとおり
そっくりそのままこの社会に起きるのだと
信じている節があるのです。
しかし聖書の記述はその全ては奇跡ではなくて
実は科学力をも駆使した現実であったと理解すれば
その説明も変わってくるはずです。
日本でもイエスの使徒が増えるかもしれません。
ただ、私にしてみれば
”失われたイスラエルの家の羊”時代に
天使達に与えられた教えが神道で、
イエスキリストの先輩に当たるお釈迦様が
インドで教えたのが仏教で、
そしてイエスの教えがキリスト教ですから
それらの元々の正しい教えを実質で学んでくれれば
全てはいくつく先は同じだと思うのですが、
この社会の人間は区別と分割がすきなのですよね。
天使達がこの社会に齎した宗教の共通点は
人間のあるべき生き方、道徳を語ったのですから
本当ならたどり着く先は同じだと思います。
どの経路を登っても頂上は一緒だと言うことです。
兄弟姉妹と理解者は生命の科学以外には
どんな教えを参考に宇宙の法則を学んでいるのでしょうね。
私は兄弟姉妹は最終的には自分自身に学ぶことになると想像しています。
外からの著書などによる知識ではなくて
創造主から直接知恵や知識を感じることになると言うことです。
【貴方に無限なる力の祝福がありますように】
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
P.S.
きっと進化の進んでいる兄弟姉妹と理解者は
日々思考するだけではなくて”感じている”のだと想像していています