普遍的真理 VOL3 御霊なるもの | 不幸のブログ 

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三次元と四次元の狭間 に関しての記事と生命の科学と宇宙の法則
について語ります。

実験台でもある諸星は苦しんでいます。


私の脳が正常ではいられないような関与が
大家関係者と加害者工作員アル君関係者のてによって
繰り広げています。


ゴミ清掃の加藤商事様も
パワービーミングのご協力に来ていました。


中々私が死なないので
この人間達の攻撃も激化の一途と言うことのようです。


魔のつかさどる心のエゴの手先となった人間が
私の脳への攻撃を激化しています。


要するに真理なるものを取り上げても
それを触れている人間が悪態をつけば
その信憑性を落とせると考えているのだと思います。


これが地球の法則の奉仕者、
そして地球の神と化している私達の負の想念の影響を
一番受けている人間達の実態だと思います。


自分達は改善されることなく
他のものを改悪することで相対的に
自分達の立場を正当化しようとしているのです。


性器への刺激と胃腸の不快感誘導と
私に悪態をつかせるための関与も続いています。


そういえばHAARPは人間の脳に
周波数による関与も行うことがあると思います。


苛つかせたり、能天気にさせたりです。


憎しみの想念でも強化されれば
元々が意識の低い人間であれば
ひとたまりもなくその影響を受けることになる。


そんな使用法で日本の中に狂気を齎す。。


その可能性も考えてみてほしいです。


今もう少しだけできることを見つけてしまったので
今はそのことに集中しているのですが


地球の法則の傀儡たちは
そんな私が邪魔で仕方がないようです。


(イエスの奥義である生命の科学を

聖書との併用で理解を促す)


苛々する照射が延々と続いていますし
集中力も無くなっています。


最近は日曜から月曜にかけての被害も大きくなっています。


組織的に動いているようなので
単に身近な加害者関係者である金井のアル君や大家関係者だけでなく
組織的に協力している人間達がいることは間違いありませんが


それが朝鮮半島関係者有志なのか
ユダヤ元祖カルト教傀儡の洗脳信者なのかは不明です。


ベテラン有志も多いのではないかと想像しています。

こちらは大家協力者でしょうか。


朝から胃腸をつめるために水分蒸発、腸壁への
激しい照射(冷たい放射線です)等を繰り返し
下剤を飲むとその阻害薬品まで撒いてきます。


本人たちはこそこそとやっているつもりのようですが


やっていることの効果が大きいために
結果的には加害行為はどんどん酷くなっていると感じています。


最近は組織的犯罪被害者の掲示板への書き込みが
殆どなくなってきました。


被害が無くなった事は考えにくいですし
自覚しないような効果をもたらすような
改良が見られるので自覚しにくくなっている方もいるのでしょうし


中には洗脳や圧力での誘導をけて
被害を主張できなくなった方もいるのだと思います。


科学力の関与を隠蔽する手段は
被害者に科学力被害を主張させないようにすることが
有効です。


病院送りにされた人間がどれだけ存在しているのか
洗脳された人間がどれだけ存在しているのか


想像するだけもこの社会の異常さを
はっきりと認識する事になります。


そしてその加害者たちはお咎めなしです。


もしかしたら加害行為隠蔽の後
消されることになるのかもしれませんが。。

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HAARPも継続的に動き続けています。


http://www.haarp.alaska.edu/cgi-bin/magnetometer/gak-mag.cgi


ここ数日は大き目の地震は起きていませんし
今後の気象変動と地震には要警戒です。


http://www.iris.edu/seismon/


私の過去記事の中の2月の集団ストーカー被害者集会の記事と
ユダヤ長老会サンヘドリン の各記事と


その時のHAARPの動きを見てみると
面白い偶然があることに気が付かれるかもしれません。


集会直前に激しく揺れてその後は。。


被害者集会に触れた直後から激しく動き出し
その後は”偶然”が続きました。


これは私の後だしジャンケンではありません。


その都度確認していますので。。


HAARPが動き出した時は
とりわけ親米親韓の人間達の動きには警戒を願います。


私は彼らの中にHAARPと連動した動きを
している人間達が存在していると確信しています。

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最近頻繁に掲示板でクリスチャンの書き込みを見ています。


実際は特定の人間達だけなのかもしれませんが
頻繁に神が罰を与えるような記述を目にしては嘆いていました。


アダムスキーも触れていましたが
創造主は一度だけ万物の創造に携わっただけで
二度目の創造はなかった触れています。


つまり例え諸星が今悪事を働いたとしても、
それを裁くのは”今現在”の神の意識ではないと言うこと。


私達が裁きとか報いと言っているのは
神が個々の人間に対してその度に審判を下しているのではなくて


おそらくは創造主が万物創造の時に
残存思念の様なもので張り巡らせた


私達の目では見えない法則が
私達の行動や意識に併せて働いているだけだと思います。


先日、部屋の中で、加害者や関係組織に聞かれていること前提で
こんな例えを独り言で触れていました。


「摂氏80度にまで加熱されたら
その時は停止する機能のついた機械装置を作り上げておけば


その機能は一々装置の開発者によって管理されなくても
条件が揃えば自動的に発動されることになる」


と言う話です。


一旦宇宙の創造の時に
張り巡らせたであろう神の法則が、
私達の目に見えないところで機能していて


その後、私達は個々が、若しくは地球単位、太陽系単位などで
その法則の影響を受け続けているに過ぎず


私達の個々の罪や報酬において
一々創造主がその度に裁き与えるわけではないと
私は主張します。


(法則なるものはもしかしたら創造主の意識の
残留思念のようなものかもしれません。


創造主の意識の空間ともいえる四次元ではでは、
おそらくは私達の時間概念とは異なると思います。


その意味では転生の時に私たちの魂が
そこで何かの裁き?を受ける可能性がないとは言えませんが
それを認めると又、ミスリードをする人間が出そうなので)


地殻変動が起きたことが
特定の人間の心無い行為のためであるとか、
気象変動が特定の人間の不信仰のためであるなどという事はあり得ず


もしもそれが天災として引き起こされる事になるのであれば
(今現在の殆どはHAARP技術やハイテクでしょうが)


その時は地球規模で、目に見えない創造主の法が
私達の社会に発動されたと捉えるべきで


それが地球に与えられた法則による自浄作用だとすれば、
この地球がその作用を受けなければならないレベルまで
物理的精神的な汚染が進んだと言うことだと思います。


過去に滅んだと言われるムー大陸やアトランティス大陸も
結果的に自然の介入が起きているようですが


それはその時に創造主の意思により発動されたと考えるよりも
地球の中にも張り巡らされていた創造主の法則に抵触し
地球が自浄作用を引き起こしたと考えるべきではないでしょうか。


アダムスキーは、
地球の人間が意識を変えれば文明崩壊を避けれると触れていました。
今のままでは確実に崩壊はやってくるとも言っていました。


そして同じように長い歴史を誇っているはずの
金星のような惑星の人間達は、


その文明が途切れることはなかったのですから
彼らは地殻変動による文明崩壊を
体験していないのかもしれません。


(少なくともここ数万年は)


それが意味するところは
惑星ごとに時間が経過すれば必然的にやってくる変動ではなくて
一定の条件の元に引き起こされる変動の可能性が高いと言う事。


つまりは私達の社会の人間の悪い意識や
自然汚染が一定の要件を満たした事により


地球が自らを浄化しようとする事になるのが
原因ではないかと想像できるのです。


そして言ってみれば地球の法則に従い
その先鋒となって悪意の想念を持って


そして科学力を使用して暴走している人間達こそが
この社会の崩壊を誘導していることにもなると思います。


創造主は罰を与え、裁く存在ではなくて

そのものは自分の創造物全てに対して
溢れんばかりの愛を持った存在なのだと思います。


ただ、創造主の意識からかけ離れた存在は
この空間では存在し続けることが出来ないと言う
法則が作り上げられていて


私達が暴走した結果
勝手にそれに抵触しているだけなのだと思います。

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新約聖書を読んでいて感じたのは
既存の教会の多くが、
どうもイエスの言葉ではなくて、


聖書の一説であると言う理由で
使徒であるパウロの手紙やヨハネの福音書を都合よく利用しては
私達の価値観を誘導して来たらしいと言うこと。


そして間違いなく使徒の手紙や福音書の中には
時の支配者達によって、都合よく捏造されたものが
混ざりこんでいると思います。


(そうでなければ使徒が心を持って
暴走し始めた事になってしまいます)


時の支配者達は、キリスト教なるものに絶対的な信頼を与えるために
イエスを神だと誘導していたのかもしれませんし


更にはそれを事実であるとするために
使徒の言葉を捻じ曲げて伝えた可能性も感じています。


そして間違いなく”精霊”や”天”なる言葉含めて
聖書の解釈は誤解されていると思います。


第一にイエスの神の国の奥義を与えられえた12使徒であれば
イエスキリストが神ではない事を理解できるはずなのです。


自分達が与えられた奥義なるものが


”心”ではなくて”精神”という、
キリスト教でいうところの”神の宮”に住む
”御霊”なるものを使用して神の意識を感じ


それをイメージや印象として受け止めて
正しいと感じたことを口に出して語る事であり


彼らはそれを自ら理解し実践していたわけですから


イエスが話していた
「私が為すのではなくて
父が私の体をもって為しているのです。」


の意味を彼らはとても良く理解できていたはずだからです。


つまりイエスキリストは自分の肉体を持ちながら
精神を極限まで使用することで


神の意志を自らの肉体を持って表現していた存在であることを
使徒達は皆理解していたと言うことです。


そしてもちろん彼らは
イエスが自らその神の奥義なるものを
使用していた事だって理解できていたはずです。


つまり彼らはイエスを神として崇める事は
なかったはずだと言うことです。


彼らにしてみれば、イエスは奥義を与えてくれた師匠であり
奥義を与えてくれた主人(マスター)であって、


イエスを神の子と表現したとしても、
同時に彼らは自分達も神の子であることを
理解していたはずなのです。


(もしもブラザーズの介入のすべてが
使徒は秘密にされていて


ブラザーズを意識していたのがイエスだけだとすれば
使徒はイエスを神の子と信じた可能性はありますが)


新約聖書の使徒の手紙の中に、
神の奥義を知っているであろう人間の
受け止めるであろう意識とかけ離れた記述を見つけるたびに、


そこに疑問を感じることになりました。


しかし12使徒亡き後に
イエスの奥義は再び廃れたようで、


聖書の内容を改ざんした人間も
奥義自体を理解できていないのですから
その気配を完全に聖書から消す事は出来なかったのだと思います。


そして残された内容が
”精霊”や”御霊”や”神の奥義”や”天の国”などと言った
不可思議なものであったために、


それを精神ではなくて心を持って解釈してきた
12使途の没後の人間達の手により、
キリスト教はオカルトな内容がふんだんなイメージを
作り上げられるに至った。。。


そういうことではないかと想像していました。


考えてみれば、使途の手紙は
使途が更に奥義を与えたであろう孫信者達に対して
送られたものなのですから


奥義を持った彼らがそこから読み取った情報と、
奥義を知らないの人間達が読み取った情報が
同じわけがないのです。。


改ざんされていないと思われる内容の中で
私達が生命の科学を学ぶにあたり
参考になると思われる箇所を引用します。


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コリント人への手紙Ⅰ 3章16節

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「貴方がたは神の神殿であり
神の御霊が貴方がたの中に宿っていることを知らないのですか。

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私達は神の神殿でありその中に御霊が宿っている。。


”建物”を形式的な器として表現し、
本質的なものとして”御霊”と表現しているのが聖書ですから
(「神殿に魂を吹き」込むと言った具合にです)


「私達は神の分身であり
その中に神の精霊(精神)を宿していると言うことを
貴方は知らないのですか」


と解釈することが出来ると思います。

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コリント人への手紙Ⅰ11章23節

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主イエスは渡される夜、パンを取り感謝をささげて後
それを裂き、こういわれました。


これは貴方がたのための私の体です。

私を覚えてこれを行いなさい。


夕食の後、杯をも同じようにして言われました。
「この杯は私の血による新しい契約です。
これを飲むたびに私を覚えてこれを行いなさい。」

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イエスキリストがパンをちぎり
それを配って私を覚えてこれを行いなさいと言ったのも


ワインの杯を与えて
飲むたびに私を覚えてこれを行なさいと言ったのも


人間が日々三食食事をすることが当たり前であること前提に

食事をするたび、そしてパンを食べワインを飲むたびに
自分の事を思い出し、その言葉を思い出し


その事を実践することを意識しなさいと触れたのだと思います。


この食事の中でのやり取り自体は
儀式でもなければ特別なものでもなくて


それを儀式であるかのように
受け止めてそれを真似ている人間たちがいるのは


人間が心を持って其の上辺ばかりを見て
物事を判断してしまっているためであり


ここで私達が理解すべきは、

イエスが使徒に対して自ら亡き後も


自分の教えを忘れることなく
食事のたびに頻繁に意識しては


日常ではそれを実践しなさいと
告げていただけだと言うことだと思います。


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コリント人への手紙Ⅰ12章4節

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さて、御霊の賜物にはいろいろの種類がありますが、
御霊は同じ御霊です。


奉仕には色々の種類がありますが、主は同じ主です。


働きには色々の種類がありますが、
神は全ての人の中で全ての働きをなさる同じ神です。


しかし、皆の益となるために、
おのおのに御霊の現われが与えられているのです。


ある人には御霊によって知恵の言葉が与えられ、
他の人には同じ御霊にかなう知識の言葉が与えられ、


またある人には同じ御霊による信仰が与えられ、
ある人には同一の御霊によって、いやしの賜物が与えられ、


ある人には奇蹟を行なう力、ある人には預言、
ある人には霊を見分ける力、ある人には異言、
ある人には異言を解き明かす力が与えられています。


しかし、同一の御霊がこれら全てのことをなさるのであって、
御心のままに、おのおのにそれぞれの賜物を分け与えてくださるのです。


ですから、丁度、体が一つでも、
それに多くの部分があり、


体の部分はたとい多くあっても、
その全部が一つの体であるように、
キリストもそれと同様です。


なぜなら、私たちは皆、ユダヤ人もギリシヤ人も、奴隷も自由人も、
一つの体となるように、一つの御霊によってバプテスマを受け、
そしてすべての者が一つの御霊を飲む者とされたからです。


確かに、体はただ一つの器官ではなく、多くの器官から成っています。
例え、足が、「私は手ではないから、からだに属さない。」と言ったところで、
そんなことでからだに属さなくなるわけではありません。


たとい、耳が、「私は目ではないから、体に属さない。」と言ったところで、
そんなことで体に属さなくなるわけではありません。


もし、体全体が目であったら、どこで聞くのでしょう。
もし、体全体が聞くところであったら、どこで嗅ぐのでしょう。


しかしこの通り、神は御心に従って、
からだの中にそれぞれの器官を備えてくださったのです。

もし、全部がただ一つの器官であったら、体は一体どこにあるのでしょう。
しかしこう言う訳で、器官は多くありますが、
体は一つなのです。
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読んでいただければわかるかと思いますが
ここでは”御霊”の働きとしての説明と


其の働きを体の機能に例えながら
体の機能含めて説明しています。


”御霊”は知恵の言葉を与え


知識を与え、信仰を与え、癒しの力を与え
予知能力、霊視(テレパシー)能力、
読解力(千里眼)を与えるものである。。。


それらは全て同じ”御霊”によって行われる。


そしてユダヤ人もギリシア人も奴隷もその他の誰でも
誰もがひとつの”御霊”を持って一つの体となっている。


そして其の”御霊”が体を支えている


生命の科学の内容とは多少異なりますが
言っていることの内容が”精神=魂”の機能であることは
容易に理解して頂けるかと思います。


全ての人間の肉体に存在し
其の肉体を人間ならしめ生かしている、


魂の側面である精神の身体にエネルギーを与えているという
役割をさしているのでしょうし


知識や知恵を”印象”や”閃き”として与えているのも
この精神の機能です。


更に精神を強く利用するようになることで
千里眼、テレパシー、予知能力、ヒーリングなどの
能力も使用できるようになる人もいますし


其の存在を感じることで神への信仰も強くなります。


12使徒は精神の存在を御霊、精霊、と言う言葉で理解して
それを聖書の中でも引用していたようです。


(御霊、精霊はそのまま想念をテレパシーで受け止める行為をも
表現していると捉えるべきです)


彼らは精神の機能を理解していて
それを意識的に使用していたことの証拠でもあると思います。


後の世の人間達が理解力不足のために
もしくは自らは神の奥義を使用できないために、


其の精神なるものを精霊御霊なるものを、
特別の啓示の時に神から下るものであると
極解をしたのが原因で


精霊=精神
と言うことが理解できないだけでなくて


精霊なる神なるものを作り上げてしまったのだと思います。


上から下ると表現されますが


”上”なる言葉は
天や神や精神、そして時にはイエスの母星であった金星を


指し示す言葉だと理解して解釈すれば
新約聖書は理解しやすくなると思います。


私達覚醒者は単に聖書を心と精神を併せて
理解するだけではなくて


その中に存在している人為的な記述、
イエスや12使徒の真意とかけ離れた記述をも
意識して聖書を読むことが大切だと思います。


人から出たものがすべて真理のわけがない。


彼ら聖書の編纂者たちは
イエスの奥義を使用することができなかったのですから。


【地球人の苦悩を光の前の暗黒の様に消すために
宇宙の創造主を地球の道しるべにしよう】


その奥義を与えてくれた存在の、この言葉の意志を
私達は理解してそれを実践していきたいです。


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P.S.

この世界の中のイエスの信者を名乗る人間達に
”知恵”なるものがあるのであれば、


そうでなくても創造主の存在、
もしくは宇宙空間に存在している
目に見えない法則を理解できる人間であれば


私達同様にイエスの奥義を理解して
この世を変えてくれると思いたいです。
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