天国と地獄 後編 | 不幸のブログ 

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三次元と四次元の狭間 に関しての記事と生命の科学と宇宙の法則
について語ります。

開放したと思ったら
既に次の薬品が腸の中で膨れ上がり。。


次はどうするのでしょうね。。



今日二つ目の記事です。

以前の記事を読んでいない方は読んでみてください。


http://ameblo.jp/uruseiblog/entry-11003292677.html
天国と地獄



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前回天国に関して触れてみました


天国はイエスキリストの暮らしていた金星そのものを語った物のようですが
一方地獄もブラザーズの前身とも言える人間達である
金星や火星等他の惑星の人間達によって語られた概念のようです。


地獄は実際には存在しているものではなくて
彼らが宗教と言う形で人々に宇宙の法則を伝える時に、
若しくは人間を管理支配するための脅しに使うために、


地球の人間達に自分達の話に耳を傾けるよう誘導するための
手段として用いられた概念だと言う事です。


水星という、太陽に一番近い惑星をその”地獄”なる場所であると知らせ、
素行の悪い人間はそこへいく事になると脅したのがその始めだそうで


当時水星を灼熱地獄であると信じていた地球人にとっては
その地獄のイメージは火の存在する熱いイメージでも在ったようです。


天国が天にある事に対して、
その逆の存在は地にあるべきだと考えられるようになったのか、


いつの間にか”地獄”はその名の通り
”地中深くに存在する牢獄”という概念にされたようですが
元はと言えば水星が始まりとの事でした。


つまり地獄は概念だけの存在であり
実際には存在しては居ないものであるという事になります。


それは私達の祖先の行動を規制し、
もしくは善行を誘導するために利用されてきたようです。


一方現在でもこの地獄と言う概念は生き続けても居ます。


私達は悪い事をすると地獄に行くと言うイメージを持たされていますし


今でも、何かあれば「あんたは地獄に落ちる」と脅かすような
人間達も存在しているようです。


どちらかと言えば地獄を利用して他人を脅かす人間の方が
地獄に近いところに居るような気がしますが


現実問題、地獄の存在をちらつかされては
その行動を制約されているような人間達も存在して居るようです。


そして私達の中で宗教を実践しているような人間ほど
地獄を畏怖の対象として捕らえ忌み嫌っていることと思います。


その件に関してはブラザーズ達の意図通りの影響を
私達に齎した事にもなると思います。


聖書でもゲヘナなる地獄の業火が出てきますし
日本的発想でも地獄は火とは無縁ではありません。

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そして地獄と並行して語られるのが悪魔の存在です。


これは人々を惑わし、
誤った生き方へ誘導する化身として
聖書では取り上げられています。


西洋では其れをとても醜く恐ろしい存在として取り上げていますし
そんな存在を実在すると考える風潮も在るようです。


ただ、これに関しては私も説明できないものがあります。


まず、ブラザーズ達は火星陣営と金星土星陣営で
見解が分かれていた時代に
それぞれ相手方を悪魔であると教えていた気配があります。


火星陣営は土星を悪魔の星であると教え、
その名残が土星をサターンと呼ぶ原因だと言う可能性もあります。


そして彼らは元々が天からの使いであり
聖書では、天使や神、神の子とされていた人間たちなので


敵対する人間の思想を広めないためにも
自らの指導を地球の人間に徹底させるためにも


相手を悪魔と読んでそのイメージを下げたのが
悪魔と言う存在の始まりではないかと想像しています。


正しき事を教えるためには
その正反対の存在をも象徴として利用するのが
有効だからです。


そして古代の地球人は今ほど理解力も足りなかったわけですし
宇宙の法則や生命の科学など理解できる状態ではありませんでした。


幼稚園の児童に微分積分を教えても難解ですが
簡単な足し算であれば理解を示してくれるように


彼らは神の法則を理解させるためにも
判りやすく説明する必要があったのだとも思います。


そして同時にその事は
私達は全ての歴史書の内容や
宗教聖典の記述をそのまま受け止めては
いけないような場合も存在していることを意味します。


ここでは自分達の生き方を伝えるためにも
自分達が善であり正しい立場であるとするために


そして敵対する人間を悪く表現するためにも
悪魔という存在は利用のし易い概念だったのではないでしょうか。


そしてそれは今でも組織によって
敵対者を陥れるためにも利用されていると思います。


外部に敵を作り叩く事は組織にとっては有効ですし、
人々の畏怖や怒りの対象を支配者ではなくて
外部に作るためにも、悪魔や外敵の存在は有効なのです。


そして元々の堕天使の言われは
太陽系の惑星の島流しに由来するようです。


神の摂理である宇宙の法則に従うことの出来ない人間が
太陽系の他の惑星でも生まれる事があるそうです。


そんな時に彼らはその人間達を監禁する事も殺傷することも出来ず、
その意識に相応の場所へと送る事となったそうで


以前記事でも触れましたが、
その流刑地として選ばれたのがこの地球だと言うことでした。


私達にとっては天使そのものであるはずの人間達の中に
地球へと落とされる人間達が出てくる事がある。。


つまりはそれこそが堕天使だと言うことです。


つまり堕天使や悪魔は元々はといえば私達の祖先に
天使として崇められた人間達である、


宇宙船に乗って天からやってくる人間達の仲間であり
私達と同じ人間だったと言うことです。


つまりサタンなる存在が居たとすれば
それは肉体を持った生身の人間であった可能性が
高いと言うことになります。


現にルシファーは堕天使と聖書でも触れられています。


ただ、この世界には悪魔教なる教えがある事も
それを崇拝する人間達が居る事も確かなようです。


恐らくは人間の負の想念がそこでは利用されて居ると思います。


エゴに取り付かれた人間達は
自分達にとって都合の良い神を作り上げるのだと思います。


その神は道徳など重んじる事はありません。


その人間達が望みどおりの生き方をする事を
そのまま受け入れてくれる神だと思います。


その神はしたい事をしたいようにする事を認めてくれて
宇宙の法則からの離脱をも認めてくれる存在です。


その神は彼らを裁く事なく
彼らこそを救ってくれる存在でもあるわけです。


時には彼らに特権を与えてくれる
存在であるかもしれません。


そんな彼らの作り上げた神が生贄を望むとか儀式を必要とするのも
全ては人間達が作り上げた勝手な価値観だと思います。


そうでなければ悪しき想念を
意図的に生じることが必要だったのだと思います。


そして負の意識を高めた人間達は
さらに地球上の負の想念を集めては
エネルギーにしているのかもしれません。


イエスキリストやブラザーズはその精神性の高さ故に
私達が未知能力としている力を有していますが、


一方では負の力は、低い波動を持つ人間が影響を受ける事も容易ですし
魔術と言われるものはそんな力の齎す奇跡と言う話もありそうです。

(この件に関してはアダムスーは詳細に触れていなかったので判りません)


それで低い波動のもつエネルギーとして
共鳴して利用しているのかもしれません。


それ以外に悪魔を説明しようとすれば
やはり人間の悪い想念が作り上げた
想念として実在する存在であると言う可能性です。


人間の想念の力は決して馬鹿にしてはいけないと思います。


私達の周りには目に見えない無数の宇宙エネルギーが複数存在していて
そんなエネルギーが想念と結びついて
魔の意識と化す事だってあり得るからです。


生霊が人の心を姿ごと表現するのは
私達の想念が脳だけでなくて全身から出ている事を示していますし
現にアダムスキーも想念は全身の細胞から出ていると言っています。


人々が発する想念が時には他人を苦しめる事は
呪いなるものの存在でも示されているとおりのようですし


まだまだ将来科学的に理解できる未知の事柄が
私達の周辺には転がっているのだと思います。

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私が聖書を鵜呑みに出来ないでいた一番の理由は
聖書の記述で頻繁に”悪霊”なる存在が出てくるからです。


病の原因となり人々を苦しめるその存在が
聖書では頻繁に悪霊として取り上げられていました。


私は悪い想念が人間の病の原因になると思いますし
それをイエスキリストが打ち消したと言うのであれば
納得できるのですが、病や悪霊の憑依の所為であるなどとは思いません。


他人の悪意による想念や生霊のようなものを
悪霊と触れたと言うのであればそれは仕方が無いと思います。
しかし聖書の記述の悪霊に関しては判断材料を持って居ません。


霊魂の世界を否定していたアダムスキーは
聖書の霊魂の記述に触れていませんし
元々魂以外の霊の存在を認めてはいません。


想像しているのは聖書が歴史の中で改ざんされて来た場合です。


イエスキリストを神聖化するためにも
神が悪霊を払うという概念が必要だったのかもしれませんし、


もしかしたら幽霊の存在を信じさせるためにも
悪霊なるものの存在が必要だったのかもしれません。


そして不思議と病を直す場面には頻繁に悪霊が登場します。


病が全て悪霊のせいであると考えられていた時代でも存在していて
その時代に合わせて聖書が手直しされた名残が
今の続いているのかも知れません。。


少なくともアダムスキーはブラザーズの主張を前提に
私達の常識の中で、何が正しくて何が誤りであるかに触れていました。


と言う事はアダムスキーが霊魂と霊界の話題を批判していたわけですから
少なくともそこには真実は無いと考えるべきだと思います。


さらに、悪霊と地獄はその恐怖心を利用する事で
頻繁に金儲けの材料にされています。


あなたには悪霊がついています。


あまたの悪霊を払わなければ幸せにはなりません。


家族が不幸になります。。。


この組織を辞めると地獄の落ちます。
貴方の家族が地獄に行きます。


人に圧力を掛けて脅すのにも
こんな意識は利用されているのだと思います。


そしてそんな人間達にとっては
この概念は無くてはならないものかもしれません。


私の様に地獄の存在を否定する人間が居ると
とても都合が悪い事でしょうね。


つまりはそんな概念を強調する人間は
疑ってかかるべきであると言う事になります。


多くの宗教組織は聖人の教えのほかに独自の戒律を持っています。


その独自の戒律は人間が作り上げたものに他なりません。


それが宇宙の法則に準じたものでなければ
そこには真実など無いと思います。


それをいくら必死に守ってみたところで
それで心や精神が改善される事は無い。。。


そしてそんな戒律の多くは
組織にとって都合の良いものになりがちです。


傍目で見れば馬鹿馬鹿しく思える価値観でも
内部の人間にとっては真剣で真正な教えになってしまうのが
宗教組織の戒律の怖さでもあります。


そして地獄や悪魔もそんな場では依然活躍中だと思います。


私達は人間の作り上げた物を拝んではいけないのです。


私達が崇拝すべきは宇宙を作り上げた神の意識であり


実践すべきは道徳(宇宙の法則)なのです。