生命の科学 VOL21 | 不幸のブログ 

不幸のブログ 

三次元と四次元の狭間 に関しての記事と生命の科学と宇宙の法則
について語ります。




胃腸には薬品と電磁波で異物を大量に作られ
背中と肺は炎症でも起こされているようで
痛みが走りまくり。


ユダヤ・朝鮮連合有志の攻撃は激化の気配ですね。


今、まだ説明しておきたい聖書の記事を
あわてて書き連ねているところです。


P.M11:57


今現在受けている物理的な被害に関して
皆にも知って警戒して貰いたい事がありますので触れておきます。


後背筋かとも思ったのですが
もっと体の内側の肺のすぐ横付近の筋肉を
傷つけられると


体をひねっても痛みを感じますし
寝返りも出来なくなる様なつぼでもあるようです。


右の肺への圧迫も続き肺呼吸もしにくい状態です。


その上で薬品を撒いては腸内の異物で
今度は横隔膜への圧迫も狙っているようです。


つまりは呼吸を妨害する事が目的のようです。


実は桜台時代に数回、被害に無自覚の時代に
そこを寝ている間に傷つけられて


朝、目が覚めると自分では起き上がることが
出来なくなったことがあります。


それも四回ほど経験しています。


三日ほどで痛みは大方は消えるのですが
その間が大変でした。


寝返りをしても激痛を感じ
起きる時は何かを引っ張っる事で
手の筋肉だけで起き上がるか


妻に手を引っ張ってもらって
漸く起き上がる事ができるという
凄まじい状態でした。。


昼間もただ、背もたれに持たれている状態で
TVでも眺めているのがやっとで


もしも寝転んでしまったら
痛みで自分では起き上がる事も出来なくなります。


その付近には肺の動きとも無関係では筋肉も
あるようで今は呼吸を深くすると
それだけでも痛みを感じています。


もちろんユダヤ・朝鮮軍団の
肉体への科学力による損傷のためですし、


そしてその箇所への照射を繰り返しているためと
想像しています。


私事はこの際良いのですが、これは応用が利くものです。


寝返りも打てなくなりますし
その状態で呼吸器を狙うと効果的だと思いますし
同時に横隔膜あたりを圧迫しても呼吸の妨害には有効だと思います。


何よりもそれを持病だと勘違いすると
寝たきりにされてしまう危険性すらあります。


病人や年配者であれば、それを体のせいであると勘違いすると
そのまま寝たきりとなる事もあるかもしれません。


肉体への加害行為は原則として自然を装って
やってきますので、それが病気であると思い込むと
その関与は止まらないと思います。


何よりも肉体への損傷をピンポイントで与える事が出来る
そんな技術が存在しているからこそ
そんな関与をしてくることも出来る。


その事を忘れないで欲しいのです。


体の表面を切り刻むだけでなくて
単なる電磁波の熱による炎症効果だけでなくて


身体内部に直接関与して、
圧迫することも傷を付けることも
もちろん可能なのです。


アダムスキーが触れていた高周波治療器の技術の
悪用かと思います。


そして科学力の使用と薬品との併用で
身体へのあらゆる関与が可能なので


健康でいた人間が病となった時には
それを単純に病気であると認識することは
時には危険であると言うこと。


医療技術をも悪用している人間たちが
一般市民に不健康をもたらしている可能性を
ありとあらゆる局面で常に感じてください。


この社会の医療機関・製薬会社は
究極の”マッチポンプ”をしている。
(自ら火をつけて原因を作り
それを自分で消して感謝される事の例え)


私はそう断言しておきますね。

-------------------------------------

ユダヤ・朝鮮闇政府傀儡軍団の
呪いの音楽も始まっていますね。


背中の肺付近の筋肉を傷められ
呼吸をするに体を動かすにも
苦しい思いをしています。


物理的に傷がつけられているのか
それとも圧迫が延々と続いているのかは判りませんが
痛みはその筋肉を動かすたびに激しく感じるものです。


やはり”楽に”ではなくて
苦しませることや痛いことを選択して
実行しているようにさえ思います。


イエスキリストの教えで
皆に理解してほしい事がまだ
いくつかありますので


それを優先して記事にしたいと思います。

今現在1月6日ぐらいまでの記事の下書きが
できて自動更新になっています。


皆がイエスキリストの使徒で在って欲しい。

アダムスキーの弟子であって欲しい。


そんな気持ちで記事を書いています。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

精神が荒れているときの記事なので
内容が批判的である事をご了承ください。


例によってアダムスキーの著書
21世紀生命の科学 よりの引用からです。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
【意識による生活を過ごす事に尽きる】



私が読者に普通の生活をすごすことを
禁じなかったことにご留意ください。


(訳注 特殊な行法や祈りなどの伴う
異常な生活を薦めなかったの意味)


あなたに薦めたいのは心による生活ではなくて
「意識による生活をすごすこと」


これに尽きます。


そしてあらゆる物事を適度に行い、それを応用しなさい。


これこそ人生の目的を果たすのに必要なすべてです。


こんなふうにして他の惑星の友は知識において成長し
天国のような生活を送っているのです。


法則の両面を応用しなければ現象または良い結果は
もてないと言うことを記憶してください。


その両面とは客観と主観、陰と陽、女性と男性です。


この一面のみを応用して他方を除外しながら
好結果を期待することは出来ません。


一例として電気の問題に帰りましょう。


電気は二つの面、負と正からなる一つの力です。


負正いずれか一方のみでもって有効な力を得ることは出来ません。


両者が組み合わされてバランスが保たれると現象は
完全に現れます。


宇宙の法則もこれと同様です。


あなたがご存知かも知れない陽性の独断的な考え方は
好結果を齎さないでむしろ多数の人を傷つけます。


神の目的を分割してよい結果を生み出す事は不可能です。


例え人間は長い時代を通じてやってきたように
理解力の欠乏または利己的な攻勢力で物事を行う習慣が身について


来たにせよ、およそ創造主の法則を裁いてその一部を
除外することは出来ません。


しかるに人間は万物の存在する理由を知ることもなく
創造主の創造物を非難しています。


そして人間は創造主そのものを非難し
創造主の英知の上位にエゴの心を高めているのです。


ところが人間は創造主のものでもあるわれわれの意識から
自分を分離させることによって人間自身の誤った創造物に夢中になっています。


そのため人間は知的な巨人とはなったけれども、
意識的見解を持たぬ精神的低脳と成り果てています。


意識と言う海の中へあらゆる生き物を集める代わりに
人間はそれを分離し引き離してきました。


だから人間は自分や全生物をつらぬいて現れている神の
生命を見ることができないのですが、他の惑星の友は見ることが出来るのです。


というわけは進化した異性人がたとえ人間だろうが他の惑星の動物だろうが
とにかく一つの生物を見るときはその外形だけを見ないで
それを支えている意識をみるからです。


これは生き物を通じて現れている創造主を見ることなのであって
そのとき人間の意志でなく”父の(神の)意思”が行われることになるわけです。


彼ら、異星人の世界やそこに住むすべての生命体は創造主の意識的な
現れであり、またそのように尊ばれているのです。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
------------------------------------------------------------

アダムスキーが生命の科学を学ぶに当たって
一切禁止事項を触れなかったことに関して
ここで初めてコメントしています。


宗教組織やイデオロギー組織にありがちな
「これを見てはいけない」
「これをしてはいけない」


と言った制限にはアダムスキーは
一切触れては居ません。


私達がすべき事は過度な禁欲でも
快楽を求める事でもなく適度に暮らすのがよいと言うこと。


ある事をしているからと言って宇宙の法則に目覚めない
と言うこともなければ、ある事をやめたからといって
急激に覚醒することもないと言うことだと思います。


以前私も触れた事があるのですが、
過度な禁欲を実践しても、それに精神の伴わない人間の場合は
それが負担となり精神をゆがめる危険性すらあると思います。


食欲、性欲、睡眠、その他誰もがしている事を
意図的に禁止するような行為は


時にはその行為をしている他人をも妬み
憎むようにすらなります。


その時の心には、
自分が出来ないでいる事を他人がしていると言う事実に関して
無自覚の内に生まれた妬みや憎しみ


そして自分が可愛い故に満たされない気持ちが
生ずるのだと思います。


そんな極端な禁欲は心にとっては良いものではない。。。


その事をアダムスキーは深く認識しているのだと思います。


こんな傾向は組織の規律を持っている宗教関係者に多いと思います。


一方快楽的に生きること、心地良い事ばかりを
望んで生きる事は心にとって快適ですが
それは心のエゴを満たしているだけの行為だと思います。


勿論その事も精神を感じるためには
良くない事は説明するまでもありません。


生命の科学を学んでくれている方々は
自らが認識してくれているかと思います。


そしてこれらはそのまま人間の価値観である善と悪を
極端に実践する事と同様だと思います。


聖書から、”私達が物事の善悪の区別をつける木の実を食べた”
と言う話を引用して、


それの意味することは


「私達が元々は持ってなかった精神の意志ではない
独自の価値観を持つようになり


自分の”心”で物事の善悪を判断するように
なったと言う事です」


と説明しました。


実は善と悪という概念は精神(神の意識)には存在していないそうです。


つまり神は善と言う価値観も悪という価値観も持ってはおらず
それを勝手に分類するのは
私達人間の心に拠る行動だと言うことです。


勿論、神の本来の意識を善悪で表現すれば
それは私達が触れているところの善であり
しかも純粋なものとしての善だという事ですが


神はその意識では、物事が正しいか正しくないかという
判断の仕方をするそうです。


つまり私達が日常とらわれてしまう善と悪と言った極端な価値観は、
すべてが私達の心が勝手に作り上げた判断基準であるということです。


現にその善と悪の価値観は
その人個人で異なる事も言うまでもありません。


その極端な例が独自の戒律を作り守っているような
人間達と言う事になります。


神は私達に対して人として当たり前の意識をもって生きる事を
望んでいて、それは快楽でも極端な禁欲でもないという事になります。


勿論、禁欲と言ってもその本人が意識が高い人間であれば
心が持つ欲を容易に抑えることも出来るのでしょうし


他人にとっての欲でも本人がそれをしたいと望まないなら
禁欲にもなりませんし、
それにより心にひずみも生じ無い事になります。


しかし元々が煩悩だらけの人間が無理に禁欲をすると
今度は精神が捻じ曲がることにもなり
結果的に心がゆがんで精神とはかけ離れてしまうと思います。


アダムスキーは何でも適度であれば良いと触れていました。


それが他人に迷惑をかけるようなものでなければ
たとえば性的なものでも飲酒のような行為でも同様だと思います。


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

アダムスキーは法則の両面を使用しなさいと触れています。


主観と客観、陰と陽、


主観と客観はそのまま心と精神にも対応すると思います。


自分の中で自己主張している意識の持ちである心と
冷静に物事を考えようとする時に感じる事の出来る精神。


両方を使用して何事をも深く考察していくことを
私達は学んできました。


そしてここではアダムスキーは
陰と陽の両面を使用することに関連して
陽性の独断的な考え方が実は良くないと触れています。


陽性の独断的な考え方と言うのは
つまりは”楽観主義思考”の事だと思います。


物事を悪く捉える事なく良い面だけを捉え、
暗い側面を無視して明るい側面だけを捉えて、


プラスな結果ばかりを想定しては
マイナスな結果を排除して何事をも考えると言う行為は
結果的には最高の結果を齎す事はないと


アダムスキーは触れているのだと思います。


私が楽観思考を批判している事を肯定する内容ですし、
私達は物事が齎す可能性のある全ての結果を想定して
その上で判断し行動に移す事が大事だと言う事だと思います。


例えば海を埋め立てる事で
そこに新たな土地を作るような場合、


結果として考えられるものは
新しい土地が増える事で土地の有効活用が可能になるとか


新しい工場や住宅地を作る事で
人口増加を期待できるとか色々利点も有りそうですが、


同時にそこにはマイナスの要因も出てくる事になります。


埋め立てた事で海外線は風貌を変えて
景観も悪くなるかもしれませんし


その事で観光客が減るかもしれませんし、
その埋め立ての影響で湾の魚介類がいなくなるかもしれません。


海岸汚染も引き起こされる可能性もあります。


漁師がその海で漁をしているのであれば
これで多くの漁師が職を失うかもしれません。


そのような結果を全て斟酌して行動の是非を問う。


そんな思考をする事が神の意識に元ずく
精神の使用の仕方なのだと思います。


そんな時にエゴに基づいて判断すれば、
埋め立てをしたい人間やその利害関係者は


「土地が広がり経済発展が見込まれる」と
自分達から見える都合の良い結果を主張する事になると思います。


一方漁師は
「魚介類が取れなくなり生活が脅かされる」


と言う自分達にとって悪い側面を主張する事になると思います。


これはその両方を加味することが
陰と陽を使用しての判断と言えますし


ろくな話し合いもなく片方の意見がそのまま通るのでは
思慮不足という事になるのでしょうか。
(今はTPPがそれですね)


ただ、この例は、人間のエゴのレベルでの論争であることも
忘れてはいけないと思います。


直接手を加えられ変貌する自然がめぐりめぐって
人間に何を齎すのか。。


それは単に魚介類が取れなくなり漁師が困ると言う問題以外の影響を
私達に齎す可能性もあるのです。


そこまで考えて初めて私たちは万物との調和を
作り上げることが出来るのだと思います。


しかし私達は変なところで思慮不足であり
権力者に都合の良い状態での
楽観思考にされているのかもしれません。


だから物事の良い側面だけを捕らえては
目先の利益を優先し将来の負の影響を考えようとしない。。。


その時だけ良ければ先々の影響までは考えようとしない。


これでは楽観主義ではなくて刹那主義ともいえそうです。


一方逆に何でも悲観的になりすぎたり、
慎重になりすぎて行動に移さないという事も


私達にとって大きなマイナス要因だと
アダムスキーは触れています。


何事も経験を重視し、時には試行錯誤を繰り返し
その結果をしっかりと認識しては同じ過ちを繰り返さない。。。


そんな意識が大切だとブラザーズやアダムスキーは触れますが
私達はどうも、悲観的過ぎたり楽観的過ぎているようで


何かを決めるにも慎重になりすぎたり、
その一方では喉元過ぎると熱さを忘れる癖があるようで


同じ過ちを何度も繰り返しては
この社会をどんどんと負の面の多い世界へと
変貌してきたのだと思います。
(戦争や民族紛争がそれです)


しかも私達は、未だにこの地球を使い捨てるかの様に
自然環境含めて成り行き任せに行動しています。


自分が生きている間さえ良ければ、


自分だけが良ければ。。。


心の片隅にそんな意識を持っているからこそ結果を深く追求せず
同じ間違いを平気で繰り返す事にも繋がっているのではないでしょうか。


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

2000年前頃の時代と比べても
私達の生活は科学文明と言えるほどの
大きな発展を見せていると思います。


それは電気の使用一つとってもそうですし
それを使用した様々な機器にもその発展の影響は現れています。


今では家庭は機械で溢れていますし
それなしの暮らしは考えられないほどです。


移動手段も発展し
昔なら一生かかってたどり着くような場所でも
一日で移動可能です。


それほどまでに私達の文明は発展した。。


そして学校教育が私達の知識を豊かにし
マスメディアが更なる情報を与えてきたかのように見えます。


しかし私達は膨れ上がる心の意識、エゴの意識の前に
精神の存在を認識する事さえ出来なくなっています。


アダムスキーは私達のことを
知的巨人であり精神的低脳と例えています。


現に私達は理屈や言い訳ばかりが達者になり
一方では道徳とは無縁の存在となりつつあるのですから
まさにその通りだと思います。


知識をいくら詰め込んでも
その元となっているものが自分達独自の作り上げた


地球の価値観に基づくものであれば
それは私達の精神の成長には何の役にも立ちません。


地球の価値観は人間が自分達の都合で自ら作り上げてきた
ものだからです。


私達が次世へと持っていけるのは
宇宙的知識と宇宙的体験だとアダムスキーは触れていました。


つまりは神の法則に乗っ取った意識による行動や経験だけです。


学校の科目で言えば、
私も散々勉強した経済や経営や税法や会計学などは
地球の中で作り上げられた経済社会が存在してこそ役に立つもので、


貨幣経済を予定していない、精神に基づく社会では
それは知識とも言えない物です。


法律にしても規制しなければならないものがあり
罰しなければならない者がいて、
調停しなければならない争いがあるからこそ役に立つのであって


そんな争いが予定されていない精神に基づく社会では
すべては知識のガラクタなのです。


そんな知識を山ほど詰め込んだ上に、
宇宙の法則に関わるような科学分野はと言えば
一般常識が誤った情報で乱されていたり


未だに説明不可能な事でも満ちていて
私達にオカルトなる分野を作らせてもいます。


そしてドラマにお笑い含めたTVの娯楽。


私達はそんな知識を山ほどかき集めては
知識の巨人になっているわけです。


一方では道徳意識に関しては成人になってからでさえも
ブラザーズの社会の子供よりも遥かに低いものしか
持ち合わせてはいないのです。


それらを併せると、図体ばかりが馬鹿でかくて
まるで知能が伴わない偏った人間像が浮かび上がっても来ます。


地上において創造主の意識から一番かけ離れている存在が
実は私達であると言うことを
私達は未だに気がついていないのです。


そして地球の法則を推奨する人間達は
私達が神の意識に気がつく事のないように私達を誘導までしています。


私達地球の人間が神の意識を感じながら
暮らせるようになる日は来るのでしょうか。


これも神のみぞ知る。。。と言うことでしょうか。


一般市民がマニアを見て理解できないように
同じ事が宇宙の兄弟たちから見た地球では
繰り広げられている。。


極端なことを言えばそういう話になると思いますが
いかがでしょうか?


日本の常識は世界では10%しか通用しないと
話す人間が居ます。


それを日本が国際化を進めるべきであると言う
理由にまで取り上げていました。


常識なるものは人間が独自の価値観と習慣で
作り上げたものですしそこには心の関与が大きいものです。


10%しか常識は通用しなくても
「日本の道徳は80%世界で通用するものである。」


と私は主張します。

そして道徳こそが宇宙の法則に通じる大切な意識。


私たち日本に住んでいる人間は
覚醒しやすい状態に置かれていると言う事を
ぜひ理解して欲しいと思います。