天国と地獄  | 不幸のブログ 

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三次元と四次元の狭間 に関しての記事と生命の科学と宇宙の法則
について語ります。

今日の記事は熱心な既存の宗教関係者は
読まないでください。


怒りを買うことになると思うからです。


昨日は散々見苦しい記事を公開して
申し訳ありませんでした。


今日は酷くなるようでしたら
その時にコメント書くようにします。


記事にしても私が言いたい事を書くと
必ず誰かを刺激することになる。


判りやすく説明をしようとすれば
時には批判的な引用も出ますし
そのほうが読んでいる方も判り易いと考えています。


特定組織を狙い撃ちするのはいけないのかもしれませんが 
特定の人間達を意識させられれば
ついつい記事でも触れてしまう事にもなります。


掲示板では時々自称A層なる人間が現れて
B層なる一般市民を嘆いているようですが


私に言わせればここでの私の主張まで理解してくれる方こそが
本当の覚醒者であり、地球の法則に気がついている人間だと思っています。


自称覚醒でもその幅はあまりにも広く
いったいどの程度の方々が最終段階まで
進んでくることができるのか。。。


1、金融・経済に拠る世界のコントロール


2、傀儡、フリーメーソンをも使用した政治思想的世界支配


3、HAARP科学力・医学等をも使用した
  医学的誘導や科学的マインドコントロール


4、太陽系の実態の隠蔽や地球の法則への束縛
  (宇宙船技術、宇宙エネルギー、宇宙人問題を含む)


と私達が気がつくべきことを段階的に示すと


1番程度の話を部分的に取り上げて理解し
その事ばかりを延々と語っても、


それは世界の実態を理解したことにはならないのですが
未だにそこの水準で推移している人間も多いようです。


それは私達が目で見ている物、
”心”で見ることのできる”現象”や”結果”にばかり
捉われているが故の弊害なのです。


闇政府の策略は目に見えないものほど危険でありますし
結果だけではなくてその原因を精神で感じる作業こそが
有効なのだと思います。


原因と結果の法則を勉強している私達には
そのことがよく理解できるはずです。


私達は今既に四段階目を学んでいるのです。

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昨日のマスターの話でもある殺生に関しては、
私にもとても興味深いテーマでした。


一番大切なのは人間の場合と同様、
肉体は魂の器に過ぎないと考えることなのかもしれません。


そして私達生命体にとって一番大切なのは
常に精神である魂そのものと言うことなのだと思います。


死という物に対する捕らえ方を変えると
それだけで私達は意識を変える事ができる様になると思います。


その意味でも、死と恐怖心については
生命の科学と一緒に深く理解していくことが
大切だと思います。


”たった一度の80年の人生”と考えている状態と
”次もその次も人生は延々と続く”と考えている状態では
心の余裕も違ってきますし


私達の生き方も今のように生き急ぐことも
無くなるかと想像できます。


掲示板で興味深いコメントを残していた方がいたので引用します。


引用してくれていた人は、きっと覚醒している方なのだと想像していました。
ためになる話、ありがとうございました。

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525 :鈴木さとる:2011/11/03(木) 19:03:29.38 ID:Kv/8TxP/0

チベット死者の書 (ついに念願の公開)


人生で最大の一大イベント「死」は必ずいつか訪れます。
死後の世界・輪廻転生は信じる人にだけ存在するのではなく、
すべての人がバルドーに入り、輪廻転生します。


現代科学でも解明されていないことを、お釈迦さまを始め、
いにしえの聖者方は、死後の世界・輪廻転生は真実であり、存在すると説かれています。


とするならば、聖者方の教えを軽視せず、耳を傾けるべきではないでしょうか。


チベットでは、人が亡くなると「バルド・トドゥル」という
経典読みを49日間行います。


死者をバルドにおいて、いい輪廻転生ができるように来世へと導きます。


動画の中で、ポアを行う場面があります。
本来ボアとは、意識を高い次元に移し変えることを言うのです。


動画では、僧侶がポアを行い、死者の鼻から血が出て、
意識が引きあがり、上の方から抜け出したのでポアは成功したと言っています。


ナレーションでは、バルドーや輪廻転生は古くからの言い伝えや
迷信のような解説をしていますが、
死後、魂は肉体から抜け出し、バルドーに入り、輪廻転生をすることになるのです。

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転生については、アダムスキーが転生の法則として触れていた内容しか
私達は理解するための材料がないのですが


少なくとも釈迦やイエスと言った聖人達は
その言葉の中で天国や永遠の命、真の命、転生と言った言葉を使用しては
私達の死後にはまた別の生があると言うことを示していたはずです。


この方が触れているチベットは
釈迦の教えが強く残っている場所なのかもしれませんし


アダムスキーも実は幼少時に精神修行のためか
チベットに訪れていたと言う経緯があります。


49日の話は儀式めいていますしポアなるもの含め真否は不明ですが


少なくとも彼らの受け継いでいる教えの中には
釈迦からの直接の教えが強く生きているのではないかと想像もできます。


魂と言うエネルギーだけの存在になった時に
そこに時間という概念があるのかどうかは判りませんが


アダムスキーによれば、少なくとも魂は転生の法則により通常は数秒後には
再び生を受けることになると言います。


(その現実時間では一瞬のうちに、転生の法則で
 魂は何らかの評価をされる事になるのかもしれませんね)


つまり霊界としての天国は存在する必要はないのです。


(その待機所がバルドーなる物であるとすると
そこが霊界のようなものなのでしょうか)


そして私達は次の転生を意識して生きる事こそが重要である事は
いつもの記事の通りです。


今日はその天国に関して考えてみたいと思います。

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宗教や聖人の教えというものは、
人間にとって薬にも毒にもなるものであると言う事を
最近しみじみと感じています。


私達はそれを通じて過去の伝承をそっくりそのまま受け継ぐ事によって
この世界の真理を学ぶ事になるからです。


しかし宗教の本質が1万年前の太陽系惑星間の地球人教育や
一方では地球人洗脳管理支配に起因する事を考えれば


その内容は人間の恣意的な感情や目的を含むものであり
改ざんや解釈の誤りを含むことになり絶対的なものではないと言うこと、


そして現在社会では、ブラザーズの生き方を
そっくりそのまま主張し実践している宗教が存在していないことからも


その多くは人間の誤った解釈や価値観によって歪められている事も
理解すべきだと思います。


私達は只の人間です。


その精神性はブラザーズの足元にも及びません。


(でもそのブラザーズでさえ、神の足物にも及ばないと語っています。)


そんな存在がブラザーズのマスター(地球に生まれた聖者達)が
私達に授けていった教えを改善できるわけもなく、
聖人達の教えは歴史の中で改悪され続けてきたのだという事になります。


天国に地獄、


幽霊に悪魔、


そんな存在を端から否定されると
とても仕事がし難い人間達がこの社会には大勢居ると思います。


それらはこの社会では存在する事が半ば前提とされていて
それに纏わるビジネスや組織が多数存在しているからです。


天国の存在に関して言えばその用法は沢山あります。


「この組織に入れば天国にいけますよ。

私達は選ばれた人間なのです。」


「お金を沢山寄付すると天国にいけますよ」


私達に大きな希望を与える言葉でありますが
利用の仕方では人集めにもなりますし
お金集めにも利用できます。


お金を出した本人はそれで救われると信じることで
精神的には報われるものがあるのかもしれませんが
現実には永遠の転生に入れると言う保障はどこにもありません。


元々はと言えば、天国とは太陽系の兄弟達が私達に与えていった概念であり
昔の人々が空を見上げてはそれを”天”と呼び
そこからやってきた人間を”天使”や”神”と呼び崇めて、


天には天の国があると想像したのがその始まりであろう事も
現実的に考えれば容易に想像もつきます。


アダムスキー全集では”第五の天”を天国であると教えられた
UFOコンタクティーのクリスチャンの話もありましたし


それは木星の事ではないかと思って読んでいました。


当時の侵略者は当時敵対していた土星の住人を悪魔の社会と
私達の祖先に伝えていたようです。


全てはそんな所に由来している概念なのです。


当時の宇宙知識の足りない地球人にしてみれば
宇宙の星の実態も知らないわけですし


そこに神や天使や悪魔が住んでいると教えられれば、
天国や地獄があると脅かされれば、
それをそのまま信じても何の不思議ではありません。


天から降りてくればそれは天の使いでありますし、
彼らは天使や神と呼ばれ、


見た目には人間そのものだったはずなのに
いつしか神聖化され羽を生えさせられ
頭に輪を乗せられる事になりました。


そう考えれば、天国は人々の思い込みと
他の惑星の人間達の話から当時の人々が作り上げた
架空の存在でしかないと納得できるものがあります。


何といっても天国の存在を立証できる人間など居ないのですし、
それを見て来たと言う人間は臨死をしたという人間であり
現実には死ななかったわけです。


臨死体験をしたという丹波哲郎氏が
映画でUFOを天国からの神や天使の乗り物として扱いましたが
現実にUFOは人間の乗り物であり物質社会の存在です。


そして天国の存在を主張する人間の話を聞けば
その主張は、彼がお告げを受けた相手が天国の人間であったとか、
天使や神であると言う話がその中心となっています。


それを知覚したのはその主張した主だけで
そのお告げが天国の住人からのものであると言う確証もありませんし
一方その話が本当であると言う証拠もないのです。


UFO問題と霊魂問題を同様に取り上げ神秘的に取り上げる人間が居ますが
一方は目の前に飛んできてさえくれれば
私達は物質的に知覚できるものであり


他方はその存在は認識不能のものでもあります。


物理現象と未知の現象を同じレベルで認識したり
混同する事が私達を混乱させることにもなると思います。


そして現実に天国や地獄はブラザーズが自分達が
地球の人間に対して宇宙の法則に興味を持たせるために
地球に与えた概念であることを認めても居るのです。


守らなければ罰がある、守ることで報酬が与えられる。


当時の私達地球の人間達に宇宙の法則を理解させるためにも
それは有効なものだとスペースブラザーズは考えたからです。
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天国の存在を主張する人間は例えばクリスチャンが挙げられます。


私は洗礼を受けていませんし30年間教会に通っていない人間ですが
イエスキリストを慕う人間と言う意味で自称真正クリスチャンです。


イエスキリストは天国の存在を主張していました。


だからこそクリスチャンもその存在を信じています。


ただ危険な傾向として聖書の記載を全て信じては
それを神聖化する宗教信者達も居ます。


聖書であれば、
元々がイエスキリストが編纂して本にまとめた訳ではありませんし


イエスキリストやモーゼなどの精神をそこから受け止めるためにこそ
聖書は利用されるべきでありますし


「この記述に一切の手を加えてもいけない」とか
「この中の全ての記述を信じなさい」


などとイエスは語っては居ないはずです


しかしその聖書を完全なる神の言葉のごとく受け止めた信者は
それを編纂した人間達の恣意的感情がそこに入っていたとしても
その事を気がつきもしませんし
その解釈を巡って争って見せても居ます。


しかも天国なるものに関して”永遠の命”をそこで得ると
イエスが教えていたにも拘らず、


一部の人間達には、
天国は霊の世界であると言う誤った解釈をされたままです。


”原罪”一つとっても”イエスの十字架の死”一つ取り上げても
それをどう解釈するかと議論が沸き起こる熱心さはすごいと思います。


しかし、事の本質はそんな事ではないと思います。。


http://ameblo.jp/uruseiblog/entry-11027399873.html
原罪とイエスの救いと知恵の実と命の実
http://ameblo.jp/uruseiblog/entry-11059663896.html
皆がイエスとヨハネの継承者
http://ameblo.jp/uruseiblog/entry-11057574383.html
キリストが仇敵ユダヤ教パリサイ派
http://ameblo.jp/uruseiblog/entry-11031934734.html
クリスチャンと真正クリスチャン


聖書を教科書としてその内容をどう判断するのかは
一義的な目的に過ぎず、


一番大切なことは
聖書の中のイエスの言葉を実践する意識を持つ事だと思います。


いくら聖書についてあらゆる解釈が出来ていても
聖書の記述を丸暗記したとしても、
更にイエスの言葉の意味の本質を理解出来たとしても、


それを実践しなければ何の意味も持たないことを
イエスキリストは語っていたはずです。


しかし宗教信者の中には自分達が熱心に経典を学んだと言っては
それで魂が磨かれたと勘違いをする人間が多いのです。


人の心など学校の試験のごとく点数など付けれるわけもありませんし、
知識を学んでそれを試すのがイエスや聖人の教えではないはずです。


例えクリスチャンでなくても、仏教徒でなくても、
その行動がイエスや釈迦の教えに近い人間だって
世の中には稀には存在しているとおもいます。


そんな人間達は聖書や仏典など読んでいませんし
宗教を学んでいなくてもそのような行動をとる事が出来るのです。


理由は簡単、彼らは人間としてあるべき道徳を
当たり前の意識としてもって実践しているからであり
釈迦やイエスの教えの本質は人間の道徳にあるからです。


(勿論そんな人間が精神から神の意識を感じている可能性もありますが。)


クリスチャンで言えば、イエスの教えを確実に暗記し、
聖書の全てを説明できたとしても


一方でクリスチャンでない人間を差別したり攻撃的な意識を持っていれば
それだけでイエスの教えは実践出来ていないことになります。


頭でっかちで心の中は何の成長もしていない。


熱心な宗教信者の中にはそんな人間も多いと思います。


ちなみにアンチクリストに関して
アダムスキーは興味深い話をしていました。


アンチクリストとは
イエスの教えの実践とは異なった事をしている人間だと言うことです。


極端な話、「右の頬を打たれたら左の頬を出しなさい」


と言うことが出来なければその人間は
アンチクリストなのだということです。


つまりは私達は皆殆ど全員がアンチクリストでもあると言うこと。


強いては今ではこの地球社会全てが
アンチクリストだと言うことになるようです。


だからこそアダムスキーはイエスの言葉を実践しなさいと
触れていたのだともいます。


宗教を実行している人間にとっての天国は
自分は宗教信者であり聖典の教えを学んでいるから
自分にしてみれば絶対にいく事の出来る場所なのかもしれません。


しかし私達のその精神や行動は天国に行くのに
ふさわしい状態なのでしょうか?


私達はイエスの主張のように、神の国に宝を積むような
行為を繰り返てきたのでしょうか?


盗むな、殺すな、犯すな、といった
当たり前の事は全て実践出来ているのでしょうか。


自らのエゴを少しでも多く捨て
人間の作り上げた価値観に捕らわれず
神が望むような人間としての生き方が出来ているのでしょうか。


その心のあり方は、争いや戦いではなくて
平和を願い、他人に思いやりを持って、
皆と平等に生きていくためのものでしょうか。


不思議な事に世界中の中で
宗教こそが戦争や争いの原因となっていると言うこの実態。


神の名を叫びながら時には殺人が実行されると言う
この現実、(カダフィーが殺された時はまさにそうだったようです。)


そして日本の中でもトラブルの多くや
闇政府の傀儡の中心は宗教関係者であるというその事実は
一体何を意味するのかと言う事です。


現在の多くの宗教は、
神を信仰し神の望むための生き方をするためのものではなくて、


実は人間の作り上げた価値観に従って
自分の心(エゴ)を満たしているのだと言うことに
私達は気がつくべきだと思います。


勿論ここでの満足感とは
自分は天国にいけるという誤った安心感です。


そしてそれは自分は神に近い知識を得たと言う
誤った意識でもあります。


話を元に戻します

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イエスキリストがブラザーズの実践している宇宙の法則を説いたのが、
今のキリスト教と呼ばれている宗教の元となったイエスの教えである
と言うことを私は繰り返し説明しています。


そしてアダムスキー本人は自分はキリスト教ではなくて
イエスの教えを実践していると語っていました。


ヨハネの生まれ変わりは既存の聖書ではなくて
その中のイエスキリストの言葉を学ぶ事の重要性を
説いているのです。


その内容は元々はアダムスキーがブラザーズから直接聞いた話ですし
彼が過去の記憶を取り戻した事による意識からだと思います。


世界のお偉いさん達の中には
ブラザーズと直接面会していた人間達もいるのですから


本当なら聖書の教え=宇宙の法則という
その証拠だっていくらでもあるはずなのです。
(ケネディーまでの歴代大統領数人はブラザーズと面識があるのです)


ヨハネス23世時代やその直後のバチカンでは
宇宙の法則に関しても太陽系の住人の存在に関しても
全ては周知の事実だったのです。


地球人はそれを学ぶ機会を何度も持ちながら
それを無視し続けてきました。


ブラザーズは宇宙の法則を宗教として行っているのではなく
24時間常にそれを当たり前の意識として暮らしていて
しかもそれは苦痛になるようなものではないそうです。


修行のために食事制限をするわけでもなく、
日々教材を学んで頭に知識を詰め込むようなものでもなく
生活の中に当たり前のように取り入れられているものだからです。


彼らは当たり前の意識を持って其れに従って生きている。。。


それは本来であれば私達が身に着けるべき当たり前の道徳であり
常に実践され続けるものでもあります。


そして宗教を地球人に与えたのがブラザーズであると言う事になれば
山ほど宗教をしている人間が居るのにかかわらず


争いごとが絶えなくて人間の関係が冷え切って犯罪の多い
この社会の状況が意味するのは一体何かと言うことです。


つまりこの地球で実践されている多くの宗教は
その進むべき道を誤っているのだと言う話に行き着くと思います。


人間として一番大切な事さえ理解出来ていない今の私達が、
聖人が教えてくれた宇宙の摂理の全てを理解して実践できないのは
当たり前のことですし、


私達は人間にとって生きる指針としての
一番の基礎である道徳を捨ててしまっているのですから
そのままでは誰もが(殆どの人間が)天国になどいけるわけがないのです。


そして天国の存在は永遠の命を得る場所でもあると伝えられています。


ブラザーズの語った天国は地球から見て天にある星であり
金星や土星のごとく精神の進化して人間達の住む
地球と比べた場合の別の星のことです。


そしてそこに転生すれば記憶を失う事のない
永遠の転生への道を進む事になりますし
キリストのような人間達に囲まれた暮らしが私達を待っています。


そんな社会を、彼らは私達に天国であると伝え、その社会で暮らすためには
そのための知識と精神の進化が必要であることを私達に示し続けたのです。


この地球とは異なり、戦争もなく寿命も長く、
皆が平等で仲良く暮らしている社会。


そこには病気も無く、犯罪も無い
この地球とは全くの別社会であり天国を彷彿させる社会そのものです。


私達がその社会を天国と認め、
そこにたどり着くために進むべき道を選択するのであれば


私達はその意識とその生き方を大きく変えなければならない事は
いつも引用している記事のとおりです。


イエスキリストや聖人達が本当に語ったかどうかも判らない
言葉の真意を探求する事よりも、
聖典を丸暗記したり理屈ばかりに達者になるよりも、


もっと大切な聖人の教えを実践する生き方が
私達にはできているのか?


人間として当たり前の道を私達は当たり前に進んでいるのか?


それは人間の作り上げた価値観ではないのか?


そのような事こそを探求し、
自らを変えていくきっかけにして見ませんか。


今の時代こそ自分の生き方を省みる時かもしれません。


そして地球の法則から覚醒してください。


私達が今学ぶべき事は壮大なる普遍的な真理なのだと思います。