宇宙の法則 VOL11 | 不幸のブログ 

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三次元と四次元の狭間 に関しての記事と生命の科学と宇宙の法則
について語ります。


今日三つ目の記事です。


加害者達の一番嫌いな記事を出します。


更新をもしつこく妨害いてきます。

直腸やみぞおち付近をつめては延々と
妙な放射線を肩から送り込んでは
異物まみれの消化物を熱したり醗酵させているようです。


腹の中で奇妙な振動が延々と続いているような状態でもあります。


少し前に、掲示板で私の事を
”右脳が優れている”とコメントをしていた
被害者がいました。


工作員の誘導などで批判されることばかりで
蔑められることはあっても良い評価をされる機会など全くないので
過大評価であっても正直とてもうれしく感じました。(苦笑)


もっと嬉しく感じたのは
私の記事を殆ど全て読んでくれたらしい事です。


多少の変化こそありますが
私の主張の骨格をはっきり理解して頂けたかと思います。


是非”宇宙の法則”も理解して
心と精神の併用や道徳の実践をしてみて欲しいです。


私の理解者であれば絶対に地球の法則から卒業できるはずです。

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宇宙の法則や生命の科学のような記事ほど
頭への妨害行為が増えるのは一体なぜなのでしょうね。


被害記事の方が意外とすんなり書けたりします。


余程”綺麗事”が嫌いな人間が加害者組織にはいるのでしょうね。


心が濁ってしまっている人間には
それが人の本音であっても綺麗事にしか聞こえないことが
あるようです。


私のアダムスキー関係の記事や
宇宙の法則の記事はまさにそれであると思います。


(私に言わせればどこかの精神サイトの方が
嘘をも交えて余程心にもない綺麗事を語っていると思いますが。。。)


私は普遍的真理について自分なりに理解したことを
記事にしているわけで、それは神の意識の話なのですから


心が濁った私達にしてみれば
綺麗事に思えてしまう内容なのも当然だと思います。


しかし私はその綺麗事を記事で書き続けたいと思います。


勿論私の生ある限りですが。

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”綺麗事”を理解して貰う為にも絶対に触れておきたい話です。


私達は生きるために殺生をします。


私が敬愛しているスペースブラザーズだって
其の肉体を維持するためには食事をしなければなりません。


しかしそのためには彼らであっても
当然、動植物を殺生することになります。


地球レベルで考えれば、
仏教などでは動物の肉を食べる事を
禁じていることが多いようです。


その理由の一つは恐らくはそれが動物の殺生へと
繋がるからだと思います。


同じ生物を殺す事を良しとしない、
そんな教えを信仰していれば当然殺生は出来ず、
食事も自然と菜食中心となるのだと思います。


ブラザーズは基本的には菜食中心だそうですが、
アダムスキーは晩年にブラザーズでも
肉を十分に食べる人もいるとも触れていました。


そして菜食中心であっても
時には肉も食べるとブラザーズ自身も語っていました。


つまり彼らも殺生をするのです。


地球の中で、殺生を良しとしないが故に肉食を禁じる人間達も居ますが
この辺の兼ね合いはどう説明する事が出来るのでしょうか。


まず、なぜに殺生がいけないのか?


ブラザーズの通常の意識で考えると
それは同じ神の創造物を他の創造物が傷つける行為です。


人間同士は勿論のこと、人間がむやみに動物を殺すことだって
神は望んではいないはずなのです。


しかし動物を食べると言う事になれば
当然そこには殺生という行為が嫌でも関わってくる事になります。


其の行為はどう説明されるのでしょうか。


地球で肉食を禁じるべきであると語る方は
動物が死ぬ時に発する悪しき想念が
私達に与える影響に関して触れていました。


食用に飼われているような家畜は
全てが食肉にされる時は殺傷処分される事になります。


其の時に動物が苦しんで発した想念、”苦痛”や”恐怖”と言う想念が
そのまま食べた人間の中に入り込み悪影響を齎す。


つまりはそういう説明のようです。


私もそれは全く其の通りだと思いますし
私達がそんな事情で動物達から悪い想念を受ける事に関しては否定しません。


私達は常に想念を外部から受け止めては
何らかの形でその影響を受けている存在だからです。


ただ、それは”殺傷に当たって動物を苦しめる”
と言う前提があればの話です。


想念に関しては食用になる動物が悪い想念を発さなければ
それは私達にも悪い影響を与えないのではないかと言う話です。


では一方殺生と言う行為に関してはどう説明できるのでしょうか。


同じ神の創造物として私達同様に作り上げられた生命体を
殺傷する行為は、神の祝福が得られる行為なのでしょうか?


それに関する疑問をアダムスキーが持った時に
マスターが語ってくれた内容を引用します。

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これには何も不合理な事はありません、友よ。


あなた方がチサの葉を食べると
http://www17.plala.or.jp/tetraodon/hanaindex/subnodisha.html

それはあなたの一部分になりますね?


その結果其の時からチサの葉はあなたと一緒に物事を体験し始めるのです。


従ってあなたが実際に行ったことは一つの物をあなた自身の形に
変形したことです。


もしあなたが食べなければ、そのチサの葉は成熟し
種を生じて再び同種族を増加させますが
それだけの体験で終わるかもしれません。


しかしあなたに役立つことによって
あなたを通じてより高い貢献をするように高められることになります。


動機というものもこの原理に関係してきます。


もしあなたの動機が破壊のためや傷つけたり
搾取したりすることならそれは間違っています。


その動機が、他のものをあなたの標準にまで高めることによって
その物に対してなし得る奉仕を含んでいるならば、それは正しいのです。


あなたは実際には一無機物を一つの状態から別な状態に変形させて
それがなおも大きな奉仕になるようにしているわけです。


そうする事によって貴方は成長または発達の法則や
地球ではしばしば”進化”と呼ばれる法則に従って行為していることになります。

これがあなたの創造主の法則です。


地球人はフォーム(形態)を重視し(崩壊するものなのですが)
そのフォームが存在するすべてだと考え始めたために
進化の法則に気づいていません。


しかしフォームは
それを通じて生命または英知が現れる経路に
過ぎないのです。


”全包容的英知”は一枚のチサの葉を通じて表現できませんから
サチの葉は漸進的な段階によって、
より高いものに変形される必要があり


そのものを通じてより高次な貢献を果たせるようになるのです。
そのようにして葉は報われるのです。


この法則が、他の惑星群や他の太陽系の住民にとって認められ
応用されてきたように地球人によって完全に認められ”実行”されるならば
地球の大気の状態は浄化されるでしょう。


その時万物はそれ自体から喜びの放射線を放射し
それが人類の住む大気圏内に浸透するからです。


ここまでです。
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彼らには殺生という意識はないようです。


と言っても勿論彼らは”想念”を強く意識しますから
彼らに拠って食料にされる動物は悪い想念を発しないように、


そしてその食品は無駄のないように
彼らに拠って処理されるのだと思います。


彼らは人間こそが全ての創造物の中で神が作り上げた最高のものであり
一番進化したフォーム(神の形態)であるとも考えています。


人間にとって都合の良い言い方をすれば、
人間に奉仕し私達のお腹に納まった事で
彼らはとても大きな奉仕をしたと言う事になるのでしょうが


マスター達の殺生の認識はそんな低い考え方ではなくて、
私達の体を原子レベルまで神の創造物と捕らえた時の
とても高い認識の仕方です。


彼らは全ての生物は
神の意識の一つの形態であると認識しています。


いつも触れるように、人間と同様に神なるエネルギーを内在するものとして
他の生物をも捕らえているわけです。


それゆえにその命を悪戯に奪う事もありませんが
彼らも生物ゆえに其の体を維持するために食事をしますし、
時には私達地球の人間同様に生物の命を奪う事もあります。


動物であれば当然動物としての意識を持っていますし
おそらくは人間同様に感情も持っています。


そんな生命体を殺すことを彼らはどう考えているのか?


この説明こそして欲しかったと思いましたが
私達はマスターの説明の中から
その答えを出す事が出来ると思います。


ブラザーズ社会では肉食動物や鶏のような生き物は
食べる事はないそうですが
草食動物は食用にする事もあるそうです。


なぜに草食動物なのか?


そこに謎を感じるかと思いますが、
私の独断なのですがこれも想念が絡んでいると思います。


肉食動物は他の動物を殺傷してそれを食らいますから
少なからず彼らは其の生贄となった動物達の恐怖や痛みと言った
悪い想念を受け止めそれを体の中にも入れる事になります。


食べられた動物の想念は細胞を通じて
肉食動物の体へと移っていくわけです。


つまり肉食系の動物は犠牲となった動物の発した良くない想念を
体に蓄積している事になるわけです。


草食動物は少し話が違って来ます。

彼らは植物を餌にしているわけですし、
その植物は動物のような恐怖や痛みを訴える想念は
存在していないからです。


(植物は想念を受け止め、発しますが、
自ら刺激に反応して発するわけではないと
アダムスキーは触れていたはずです)


つまりは草食動物は悪い想念を体の中に溜め込んではいない事になります。
(ブラザーズの社会での草食動物の話です)


勿論問題は他にもあります。


悪い想念を持っていない動物であっても
それが今度は私達に食べられる時に自ら痛みや苦しみといった
想念を発してしまっては元の木阿弥になってしまいます。


私達がそれを食べる時には其の殺された動物の想念を
体内に受け入れる事になるからです。


其の事までブラザーズは意識しているはずなので
おそらくは肉を食べるような時は
彼らは同じ殺傷と言っても特別な方法を用いるのだと思います。


恐怖を与えず安楽死させるような方法をです。


地球での食肉の禁止を主張する方の主張も
其の動物が殺される時に発する想念が私達に悪しき影響を
及ぼすことに触れています。


考え方はどちらも同じだと思います。


ちなみにアダムスキーによれば鶏のような動物は
実は時には自分の子供を突付いては


生き血を啜ってしまう様な固体が存在するそうで
そのために鶏は食べないと言うことです。


から揚げの大好きな私にはショックな話でありましたが
ここでも結局は想念が関わってくる事になります。


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さらに、マスターは”進化の法則”に触れています。


私達は得てして”心”を使用して目でばかり判断するために
進化と言うと動物の外見の変化などを想像しがちですが
”精神”を使用して考えるともっと深い捕らえ方が出来るようです。


私達の肉体が一つの原子ではなくて
複数の原子で出来ている事を思い起こしてみてください。


以前この記事で取り上げた鉄の原子が進化する話がありましたが
私達の肉体の原子も、そして勿論その他の動植物の肉体の構成原子も
進化することがあるわけです。


マスターはチサの葉の話を取り上げて
其の事をわかりやすく説明してくれています。


私達の食べる動物や植物を肉や野菜と看做さないで
無数の分子や原子であると捕らえて考えれば判り易いかと思います。


分子や原子は全ての物質の構成要素です。


それは動物に利用されているときは動物の体の一部として
其の動物としての意識と連動して生きているわけですし
植物に利用されているときは植物の一部としての意識を持ちます。


例えばそれは同じ”炭素”の原子一つとっても同じです。


それがどのように利用されるのかは植物の場合と動物の場合では
異なるのでしょうが炭素である事には変わりはありません。


しかし同じ炭素であっても鉛筆に使用されているのと
ダイヤモンドになっているのと、植物や動物に利用されているものでは
その受け止める意識、共有する意識が異なり


神の創造物の中で最高であるのが人間の発する意識であると考えれば
植物や動物から人間へと其の元素が転化されていくことは
彼らにとっては進化に他ならない事になる。。。


そのように考えるようです。


元は植物や動物であった元素は私達人間の一部となった時から
人間としての意識を感じ始める事になるのですし
それは元素にしてみれば確実な進化でもあります。


つまり私達生物は各原子とその意識の集合体であり
その集合体の上に魂としての精神が被さった存在でもあると
考えることも出来るのだと思います。


植物や動物は人間に食べられる事で、
其の元の元素の一部が人間となり
新しい体験を私達と共にはじめることになる。


マスターはそう話しています。


そして今までの話を総合してもそこには矛盾はありません。


アダムスキーはこの話を聞いたときに
「100%この人を信じて生きていこう」と感じたそうです。


私にしてみれば未だ疑問があるのです。


植物や動物の魂は死んでからどうなるのか?


動物の魂だったものが人間へと進化することはあるのか?


動物が死ぬ事でも転生はすぐに起きるのか。。などです。


はっきりと言える事は、神は人間こそを神に一番近い
特別な英知として作り上げていると言うことです。


そしてそんな人間に対して奉仕することこそが
万物にとっての一番の奉仕だと言う事になるのだと思います。


私達の感覚に合せて簡単に説明すれば、
神が動物に対して、人間の生きていくための食料としての奉仕をも
予定しているのだと考えれば何の問題も生じないだろうと言うことです。


そして彼らは”死”なるものを重視していないことは
以前の記事のとおりでもあります。


”フォームはそれを通じて生命または英知が現れる経路に
過ぎないのです。”


とマスターが語っています。


人間であれば、
必要な臓器と骨格と肉と血液と脳などの一連の機能を持っていれば


そこに魂というエネルギーが入り込むことで
人として機能するように、


蟻であれば蟻としての機能一式、
猫であれば猫としての機能一式を備えていることで


フォーム(形態・肉体)と言うものは
そこに魂が入り込むことで、神としての英知としての姿が具現化(表現される)
されるものであると考えるようです。


勿論、其のフォームが崩れることで(人間ですれば大怪我をするとか)
その英知を現すことが出来なくなり、


魂は肉体を離れる事になりますが
その魂はまた別のフォームへと移動していきます。


この事を私達は”死”と呼んでいます。


そう考えれば、フォームが崩れる事になっても
フォームを作り上げていた元々の細胞は


他の動物に食べられたり、腐敗して分解されたりしては
また、別の物質の一部となっていくのですし、


例えばその形態が植物や動物から人間へと変化すると捉えれば
全く問題はないかと思います。


分子レベルでも私達は神の創造物を有効に活用できればよい訳です。


マスターは具体的には触れていませんので
私の憶測ですが


魂としてのエネルギーは肉体の死と共に
新たなフォーム(肉体)へと転用されることになると思いますし、、
魂について考えた時にも問題はないのだと思います。


私達に食べられた生き物は無駄死にするわけでなくて
器を変えてはその魂は生きつづけ


元の肉体は私達の一部となったり
別の物質を構成していくことに利用される事になるのですから
決して残酷ではないと言うことです。
(問題は殺傷の仕方です)


植物に関しては人間のようにエゴを持つ事もありませんし
問題はないと思います。


動物に関してはその辺は明確には明言できませんが


人間のように回数に限定的なく
彼らが無限定に転生をするのであれば


私達の食用としての草食動物の殺生は、
そこに悪意や無駄がなければ
彼らの人間に対してへの奉仕の一つである。。。。


そう考えれば良いのかもしれません。


マスターは最後に、私達が其の法則を理解すれば、
地球は良い想念が蔓延して改善されるであろうと話しています。


私達は悪い想念の発生を抑え続ける事で
この世界を改善出来る事になる


マスターも同じ事を語ってくれているのですから
私達の認識は間違いないと思います。


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P.S.


ブラザーズ社会では、
人間が死んだ時にも其の原子がすぐに有効利用が出来るように
其の肉体を分解するそうですから


きっと動物を食べるような場合でも
その骨格等食用にしなかった物に関しては
原子レベルにまで分解するのだと思います。


恐らくは殺傷するときも
恐怖心など与えない方法を使用しているはずです。


神が人間を最優先に考えて創造しているのですから、

人間が万物に奉仕することも大切ですが、


其の最高のフォームである人間を
生かし進化させるために人間に対して奉仕する事が
他の万物には求められている。。


そう考えればよいのかもしれません。


勿論そこで万物の支配者として動植物や物を大切にする行為が
結果的には自分達へのより多くの奉仕を期待できる結果と
繋がる事になりますし


私達のように万物に対して居丈高な態度をとっていれば
しっぺ返しを食らう事になるのは
言うまでもないと思います。


脳への妨害光線で思考がばらばらにされていますので
今日はあまりコメント出来ませんが


是非このテーマをご自身で考えてみて欲しいと思います。