皆がイエスとヨハネの承継者 | 不幸のブログ 

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三次元と四次元の狭間 に関しての記事と生命の科学と宇宙の法則
について語ります。





キリスト関係の記事を書いたことと
組織的犯罪の記事をしたためていることが気に入らないのか

単なる恒例行事なのか
私の頭部には苛々を誘導する照射が続いていますし


首筋に激しい圧迫で
頭部への血行も悪くされ続けています。


異物の排出妨害は当たりにやってきますし
黙っていると横隔膜付近がどんどんと圧迫されては
息苦しくされます。


薬品で作り上げる異物の影響で
下っ腹はどんどんと膨れて張ってきます。


どうもこの人間は偉い立場なのか権力がある立場のようで
記事で被害を訴えても
その手は殆ど緩む事もないようです。


私はこの人間がフリーメーソン系の人間か
ユダヤ教徒関係者であると想像しています。


でも妙と言えば妙なのはメーソン系であれば
イエスキリストの事を書かれても無関係ではないかと思うのですが。。。


それとも正しいイエスキリストの教えが
伝わることがまずいと考えているのでしょうか?


それとも単なるエホバや統一教会の信者でしょうか?

P.M6:51


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今日はクリスチャンは私の記事を読まないほうが良いと思います。


既存の知識である三位一体の捉え方を否定しています。


読んで憎まれたくは無いので
いやな気分になりたくない方は読むのを控えてください。


一方理解者は是非読んで欲しい記事です。


覚醒者にもっと目覚めて欲しいと
応援の気持ちを含めての記事でもあるのです。

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私への加害行為をしてくる人間の中には
勘違い教祖を崇拝している人間もいて
私の聖書関係の記事に大きく反応してきます。


要するに統一教会やエホバのような
メーソン系キリスト教関係者達だと思います。


最近は霊界としての天国を信じているような人間が
私を憎んでいる事も想像できます。


そしてクリスチャン含めて多くの宗教関係者が
私を睨んでいるかもしれません。


アダムスキーやスペースブラザーズの話を伝える私の主張は
その”常識”を覆すものだからです。


彼らは自分達の知識の枠の中でしか物を考えることができないがゆえに
自分達が間違っていること


そして何が正しいのかと言うことが
判断できないのだと思います。


宇宙の法則を正しく知って実践すれば正しい事と誤っている事が
容易に判断がつくようになるはずです。


私はと言えば、宇宙の法則を理解するためにも、
生命の科学が有効であると言うことが
最近良く理解できるようになって来ました。


アダムスキーの本や文章を読んで理解する時にも
無意識に私は原因と結果の法則を使用するようになっています。


ただ、勘違いして欲しくないのは
”原因と結果の法則”を理解すると言っても
それが地球の法則に基づくものでは意味がないと思うのです。


根底に持つべき意識は、
精神なるものの実態は神の意識、
宇宙意識そのものであると言う認識だと思います。


これを前提として持っていて
なおかつ”原因”と”結果”を”心”と”精神”で捉えて理解していくのです。


その効果だと思いますが
私はアダムスキーの話を読んでいて
彼が何を言いたいのかが手に取るように判るようになりました。


(と自分では思っています)


精神世界では数多くの精神の法則が出てきますが
その根底として理解すべきなのは


私達の”心”と”精神”の存在。
(精神が神の意識だという事含めて)


そして基本となるのが”原因と結果の法則”なのだと感じているところです。


私の頼りない記事でも無いよりはましかと思いますので
是非アダムスキーの言葉の引用と併せて
繰り返し読んでは深い理解をしてみて頂きたいと思います。


http://ameblo.jp/uruseiblog/entry-11048755339.html
生命の科学 VOL1
http://ameblo.jp/uruseiblog/entry-11048756419.html
生命の科学 VOL2
http://ameblo.jp/uruseiblog/entry-11049760569.html
生命の科学 VOL3
http://ameblo.jp/uruseiblog/entry-11051776077.html
生命の科学 VOL4
http://ameblo.jp/uruseiblog/entry-11057133562.html
生命の科学 VOL5


理解して無自覚に実践できるようになると
確実に物事の捉え方もかわりますし


この社会の中の物事を捉えるにも
ものの見方も今まで以上に変わってくるかもしれません。


最近は記事を書くときも
私は心と精神の話を意識するようにしています。


そんな記事もそのうち公開します。

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”地球の法則”を司っている人間達が、
イエスキリストの言うユダヤ教パリサイ派の流れを汲む人間達であれば


それは「サタンの会派に属するものだ」と
キリストが触れていたのですから、


地球の法則はサタンの法則ともなります。


勿論悪魔は存在してはいないと思いますが、
(サタンなるモデルとなる神に抵抗する分子は
確実に存在していたのではないかと想像しています。)


存在したとしたら、サタンは人間の悪しき想念が作り上げた
悪のエネルギーの源泉かもしれません。


そして少なくとも私達を捉えている価値観である地球の法則は
限りなく忌まわしいものであることも想像できます。


それに従う事、そしてその波に乗る事が
如何に私達の魂にとって良くないことであるかは
私が触れるまでもありません。
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イエスキリストの”キリスト”が
”救世主”を指し示す言葉であることは知られています。


イエスの教えは神の摂理に乗っ取った物であった事からも
イエスは間違いなく救世主であったと思います。


クリスチャンは元からその事を信じているでしょうし
他の宗教信者が信じなくても間違いなくイエスは救世主でした。


(繰り返しますが私は宗教信者としてのクリスチャンではありません)


驚いたのですが、日本の中にもアジアにも
結構イエスキリストの再来を自称する人間達が居るようです。


金百文、朴泰善、文鮮明、麻原彰晃、
出口王仁三郎、又吉イエス、小松純也


WIKIで見ただけでもこれだけ存在しましたから
有名でない人間を含めるとその数は膨れ上がることでしょう。


ただ、その中の一人が本物でも
残りは皆偽者と言うことになりますよね。


それほど人間には嘘つきが多いとか、
勘違いする人間が多いかの
どちらかであると言うことでしょうか。


世紀末と言われるような時代は偶然起きるのではなくて、
その時には地球規模の変動が予定されていると言う話があります。


その前兆として様々な人間の心の異変も起きて、
社会が混乱するのだと言う話も(確か)ブラザーズかアダムスキーが
触れていたと思います。


イエスキリストは地球の周期が終わる事を知っていて、
地球にやってきたブラザーズのマスターですから


当然世紀末に地球に混乱が引き起こるであろうことも
すべて理解していたはずです。


そしてその混乱の時には
「私の名を語る物が大勢現れるだろう」と

弟子にも語っています。


現に、この時代にイエスキリストの名を語る人間は
大勢存在しているわけですし、
やはりこの社会は一つの文明の終焉の時代を迎えているのだと思います。


ところで私の主張はアダムスキーとブラザーズの話を
そっくりそのまま信頼することになりますので、


アダムスキーが健在で
頻繁に宇宙に出向いていたころの体験から推測すると


1952年から1962年の間には、
イエスキリストと呼ばれていた魂を持つ主は
ブラザーズの一人として君臨していた様なので、


その時代にイエスが地球に再誕していたわけもなく、


「私はイエスキリストの生まれ変わりです」


などという話をする事は出来なかったはずです。


大体がアダムスキーがブラザーズの転生の一人として地球に存在していて、
そこにブラザースが介入してきたのですから


その時に地球にイエスの再誕が居れば
彼らは連携して活動することにもなったはずなのです。


そしてイエスキリストであれば
霊界の存在など語ることもなかったはずです。


善意に捉えても、イエスキリストの転生だと語る人間達は
皆勘違いをしていた事になると思います。

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【ここは私の記事の”生命の科学”を読んでいない方は
理解不能かと思いますのでご了承ください。


クリスチャンには腹立たしい内容かもしれませんので
気分を害する恐れのある方は読まないでください】


話は飛びますが、”三位一体”の真の意味を
アダムスキーとブラザーズが触れていました。


三位一体の本当の意味を私達は間違いなく理解していません。


それを理解するには1+1=3となるという


宇宙の数式を理解する必要があるそうです。


勿論これは数を数えるための算式ではなくて、
物の本質や摂理を理解するための例だと思いますが
経営学のシナジー効果(相乗効果)に似ていると思います。


例えば二つの企業が合併して一つになった時に、
時にはその合併がそれぞれの元の企業母体に大きなプラスの要因を
齎すような場合です。


原料企業と 組み立て企業が提携したことで
例えば組み立てのノウハウを知った原料企業がそれに意識した
製造をするように変更したことで


全体として生産量が増えたり生産効率が良くなったり、
両会社の設備が有効に利用されて無駄がなくなり
コスト削減を果たせたといった場合の、そんな良い意味での相乗効果です。


シナジー効果は1+1を時には3にも4にもできる可能性のあるものです。


アダムスキーはそれと似た話を宇宙の法則に関連して
触れていました。


宇宙の法則では1+1=3になると言う例えを使用してです。


アダムスキーは男と女が結びついて子供ができると言う例えをしましたが


それを使うと三位一体も説明できると話していました。


ここで言う三位一体とは、アダムスキーの説明である

1+1=3 で考えると、


”二つの事象が結びつく時に、その中間にもう一つ
それらの両者の影響を受けた三つ目の事象が発生する事になり、
それら三つは一体化して機能する”


と言う意味として捉えれば良いのだと思います。


そこでキリストに関して三位一体で考えると、


まずイエスキリストは現実に生身の肉体を持った人間としての存在です。


一方、神はこの宇宙全体の意識でありエネルギーであると
私達は認識しています。


(本当は男でも女でもない若い人物としてブラザーズは神を認識しています)


両者は本来別の存在のようですが、宇宙の法則に拠れば
人間としてのイエスの”精神”はそのまま神のエネルギーでもあります。


それをイエスが使用した状態は
神の意識を持ったイエスという名の人間という
三つ目の存在を生み出します。


神の存在と、本来心を持った人間であるイエスと言う存在は、
神の意識(精神)を持った人間という、もう一つの実態を通じて、
一つとして結び付けられることになる。


これがアダムスキーの触れていた三位一体という話だと思います。


イエスキリストと呼ばれた人間の持っている”精神”は、
勿論イエスと同じ神の子である私達の精神にも
共通して存在している神の意識です。


しかもイエスキリストは精神を深く理解していたので
神の意識を自らの精神に強く発現する事が出来たと言う話です。


極端な話をすれば、私達が100%覚醒して神の法則に従っていると、
もしくはその脳が100%神の予定通りに機能していると、
私達の精神は限りなく神と重なる事になるわけです。


アダムスキーによればイエスキリストが
自分の意識を限りなく神の意識に重ねていたような人物だったと言うことで


そのイエスキリストの”精神”としての神の意識は
イエスと言う肉体を通じて発現した神の意識と言っても
過言ではなかったと言うことです。


その時のイエスキリストの魂の状態を神の精霊に例えたのが
”精霊なる神”の存在です。


もっと判りやすく言うと


・人間としての肉体と心を持ったイエスの存在


・神の存在


・その両者の影響を受けた、
 神の精神を持った状態の人間であるイエスキリスト


が存在していたと言う話だと思います。


一つに見えるイエスの実態は
実は人間としてのイエスと、神の存在と、
イエスの中に神の意識が入った状態、


の三つの融合であったと考えればよいのでしょうか。


1+1=2ではなくて


神と、人間としてのイエスの間には
神の意識を持ったイエスの存在があって


1+1=3になっている。


そして傍目に見えているのはイエスキリスト一体(一人)だけですが
三つは一体となって繋がっている事になります。


そしてこれが三位一体の真の意味だと言うことです。


(少し解りにくいかも知れませんが
三つが一つとして機能すると言うことで
理解してもらえばよいと思います)


この時に、三つの実態が全てが神であると解釈するから、
イエスキリストが神であることになってしまうのだと思います。


イエスの体は人間そのものですし心も持っているのです。


各キリスト教会は、イエスキリストが神であることを示すために
三位一体なる言葉を使用しますが
ブラザーズの解釈は勿論異なるようです。


イエス=精霊なる神=唯一神 ではないわけです。


もしもイエスキリストが神の化身だと言うのであれば、
神は宇宙空間をお留守にして地球にやってきていた事になりますし、
それは不条理だと言うことも理解できます。


イエスが神の一人子で特別な存在だというのであれば、
皆が神の子供だと言うイエスの教えとも矛盾する事になります。


神の意識の一部が、
キリストに乗り移ったと考えれば判りやすいのでしょうが


これは宇宙の法則によればそれは私達全ての人間が
大なり小なり持っている資質なのです。


あなたも私も全員がです。


私達は皆、本来はイエスキリスト同様に神の意識を持った存在ですが
私達は精神の進化が極めて低いのだと思います。


そしてイエスと私達の違いは神に対しての理解度と、
その認識できる神の意識の量の差であり


更には普遍的真理を理解しているか、
していないかと言う事だと思います。


魂の進化が著しいゆえに、イエスキリストは
限りなく沢山の神の意識を受け取った状態で存在していた。


その状態は周りの人間からみると神のようにしか思えなかった。


そういう事だと思います。


現にイエスは自分の事を神であるなどとは言ったことはありません。


自分は”神の子”であると触れながらも
他の人間に対しても同様に神の子であると触れていたはずです。


そして私達は一人一人全員が神の分身であり神の子でもあります。


イエスは嘘を言ってはいません。


そしてクリスチャンは神を”父なる神”と呼んでいますよね。。


イエスキリストを神の一人子とか、主なるイエス様とか
呼んでいる人達も居るようですが


誤った解釈でいくら褒め称えられようが、神様として崇拝されようが
それを聞いたイエスキリストが喜ぶわけがなく、


「私の教えを何故に実践してはくれないのだ」と


今頃アダムスキー(ヨハネ)と一緒に
地球に意識を向けては嘆いていると思います。

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話を元に戻して救世主についてです。


イエスの言っていた、
”自分がメシアである”という自覚は


自分は神の摂理を説く者であり、
宇宙の法則という普遍的真理を語り広報する者であると言う
強い意識からの物だと思います。


イエスが「自分がメシアである事は内緒にしてくれ」
と語ったとされる下りは、恐らくは改ざんだと考えています。


イエスキリストは神の摂理を知る者だったからです。


極端な話をすれば
メシアと言う言葉は、その辺に存在している勘違いメシア含めて


「自分が人々を救う人間である」


と主張している人間を指し示しているようですが


本当に問題となるのはその精神のようです。


「自分はメシアなのだ」という主張は
自分を他人に偉く見せたり、
他人からの評価を高めるためにしているようなもので


ブラザーズの意識を考えると
もしも今後本当のメシアが現れたとしても


「私は救世主である」


などと言うことなど絶対に語る事はないはずです。


実はブラザーズがアダムスキーに対して試していた意識が
まさにそれだったようなのです。


人間誰もが自分を高く評価して貰いたいという意識を持っています。


これは言うまでもなく”心”の意識ですし
プライドなる物の存在の影響です。


私達は、自分が大物であるとか、偉い人間であると思われたいとか、
他人に一目おかれたいと言う意識を捨てる事は難しいようです。


アダムスキーがそれをすべて排除できた時に
ブラザーズはアダムスキーに接したそうです。


少なくともアダムスキーは自分の著書や公演の席で、


「自分は救世主である」とか


「自分はイエスキリストの弟子だったヨハネである」とか


「以前は中国の儒教の老子であった」


とか

(後に老子と呼ばれた複数の思想の主張者の一人と言うのが正しいようです)


自らを尊敬してもらう様に誘導する発言は一切しませんでした。


常に「自分はブラザーズの指示で動いている」と
周りの人間には触れていました。


(ヨハネや儒教の教師の話は、アダムスキーの側近の人間が、
晩年死が近づいた頃にアダムスキーが語っていた話として
取り上げたものです)


そしてブラザーズもそれに満足していたはずです。


しかし実はアダムスキーは
間違いなくこの地球にとっての救世主でもありました。


アダムスキーはテレパシーを理解し、生命の科学を理解し、
宇宙の法則を実践してはそれを人々に広報していました。


つまりアダムスキーは神の意思に叶った、
「宇宙の法則を人々に伝えて救済するという奉仕」を
人々に対して実践していた人間なのです。


それはイエスキリストが実践していた事と
何の違いもありません。


そしてイエスキリストは
その存在そのものが救世主だったわけではなくて、
その行動と魂(精神)こそが救世主であったはずです。


アダムスキーはその精神を受け継いだのだと思います。


この社会には自称救世主が大勢居ると思います。
その中には宇宙の法則など理解できない人間も多いはずです。


ただ、今ここを読んで理解してくれている人達であれば、
本物の救世主となりうる資質を持つに至ると思います。


(勿論ここを読んでいなくても
宇宙の法則・普遍的真理を理解していればです)


そんな人達が皆、形としての救世主ではなくて、
救世主たる魂をもって救世主としての行動を起こしてくれれば


アダムスキー無き今、イエスキリストが未だやって来ない今、
その代理人としてこの社会を救うきっかけが作れるもしれません。


覚醒者は皆それぞれが地球の救世主である。


そんな状況を実現して行って欲しいと思います。


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P.S.


実は、生命の科学の記事のP。Sとしてこの文章を書いていたら
止まらなくなって長い文章となってしまったので
ひとつの記事として更新することにしました。


原因と結果の法則を応用して考えると、
私達が目を通して”心”で感じる”救世主”としてイエスの実態は
勿論、”結果”であり”現象”です。


イエスを救世主としているイエスの行動や精神が”原因”であり
それを精神で感じとるわけです。


そして心が捉えた救世主としての実態ではなくて、
精神が捉えたそのイエスの魂や意識や行動こそが大切なものである
という事を私達は知ることになるのだと思います。


この社会には形だけの救世主が多すぎるのです。


それほど救世主が多い社会が
なぜに地球に天国を作り上げてはくれないのか?


それほどまでに地球は病んでいるのか?


勿論地球は病んでいますが、
それだけではなくて行動と魂が救世主となりきっては居ない
という事だと思います。


闇政府の力はイエスキリスト時代よりも
アダムスキー時代よりも遥かに強まっていますし
一人や二人の力ではそれに対抗できるはずもないと思います。


でも、おそらくはこの社会に存在している
多くの”目的を持って生まれてきた魂”を持っている人間達が
揃って救世主の役割を果たしたならば
(その精神のあり方と行動が神の摂理に叶っていたら)


その行動はきっとこの社会を改善する方向へと
誘導して行ってくれる。


そして、イエスキリストの再臨が叶うその時まで
アダムスキーがせっかく下準備をしてくれたその社会を建て直し、
少しでも人々の意識の改善を計っていって欲しい。


アダムスキーやブラザーズ達はきっとそれを意識して
私達を誘導してくれているのではないかと思います。


自称救世主でも、単なる一市民でも
本当の救世主になる事ができるのです。


救世主と言うのは、救世主として生まれると言う前提が
存在するわけではなくて、


その人間の魂と行動が神の摂理に従っていて、
なおかつ社会の改善を図っていれば良いのだと思います。


そしてそんな人間達が増えて良い意識や想念が地球の中で増して行けば、
この社会を変えるきっかけになるかもしれない。。。


と言う話でした。