生命の科学 VOL4 | 不幸のブログ 

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三次元と四次元の狭間 に関しての記事と生命の科学と宇宙の法則
について語ります。

被害に関しては胃腸に対しての管理が続いています。


食べたものを順番をひっくり返しては
排泄するように誘導されているようです。


脳にも全体に微力な刺激が続いています。


私を”被害者”ではない状態にしたければ
一切の関与を止めれば良いのに、
なぜにそれが出来ないのでしょうか。


そこにこそ呪いの様な物を感じています

胃腸に張り付いた異物まみれの物が不快です。


被害次第で別の記事の更新も考えています。


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今日は少し堅い話になってしまいましたが、
生命の科学に関しては
理解を深める助けになるように懸命に書いているので


是非利用して欲しいと思います。

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掲示板の傾向を見ていると
今度は”宇宙人”なる存在を否定しては
現実的なものばかりに視線を向けさせようとする人間が沸いています。


現実的なものといった言い方を私がするときは
それは”心”が見ている”現象”や”結果”であり


そこに精神を適用しながら導かれる”正しくない原因”である
と言って良いかと思います。


例えば”大きな地震がおきた”と言うのは”現象”であって”結果”です。


この結果をまずは認識して
その後に私達がそうなった原因を追究していく時に
”精神”を使用する事になるのですが


その原因や過程なるものは本来私達の目には見えません。


そこで私達は想像をめぐらす事になるのですが
其の時私達は想念やイマジネーションで
それが人工地震であるなどという意識を受けとめることは
通常は出来ませんから自分の思考で論理的にそれを判断していくことになります。


其の時の判断材料は自分の知識です。


プレートテクトニクスの知識しかない方は
それが原因であると考えますし


太陽風によって地球に飛んでくる宇宙線や放射線が
地球の電離層や大気に影響を与えると言う知識を持っている人間は
それを想像する事になります。


地下水が乖離することで酸素や水素が爆破する可能性があるという
知識を持っている人間は其の可能性をも考えます。


地球がポールシフト(磁極転換)の可能性のある状態に
置かれている事を知っている人間は其れを原因とする
地殻変動の可能性を感じることにもなるでしょうし


日本のあちこちに爆発物が埋め込まれていると言う
情報を持っている人間は其の可能性を疑います。


そして勿論HAARP含めて電磁波の技術の実態を知っている人間は
それの使用の可能性をも感じることになります。


其の時に私達が精神を使って原因として追求する内容は
私達の知識によって其の範囲が狭くも広くもなるわけです。


皆が同様に”心”を使用して現象を見て”精神”を使用して原因を求めても
私達は必ずしも正しい結論にたどり付けるわけではありませんし


私達は当面は精神を使用する時は、其の閃きを感じるのではなくて
理論的に理性的に物事を考える事を意識するために
それを使用する事になると思います。


其の時に私達に誤った原因を追究させうるのが
”誤った知識”や”余計な情報”と言うことになります。


私達はそれを身の回りにふんだんにばら撒かれ
正しい原因へと辿り着けないようにされているわけです。


そしてそこで要らぬ情報をばら撒く人間が工作員と言うことになります。


太陽系の真実は、そのまま天国や地獄の存在、
幽霊の存在、私達が想像していた天使の存在をも
すべてひっくり返す要素を抱えています。


其の事を私達が認識すると
地球の常識は一転することになると思います。



今日もいつものようにアダムスキーの著書
生命の科学から引用します。


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【人間の目的とは何か。】


我々は何かの理由または目的を持って生まれた
と言う事実に関しては疑問はありません。


その理由や目的は沢山あるのでしょう。


これが真実でないとすれば人間が存在する必要はないと言うことになります。


人間の大きな目的は”宇宙の英知の無限の表現”であるように思われます。


他の動物がその可能性を持っていると思えないからです。


しかしこれを達成するには
創造物のあらゆる面が理解されねばなりません。


イエスが弟子達に「父の仕事に就け」と教えたのは
このような生き方を意味したのです。


そしてこれを成すには最低の物から最高の物に至る
あらゆる現象を理解する必要があります。


まったくひとしい二人の人間は存在しません。


各人に授けられている異なる才能が
相違を生じさせているからです。


しかしピアノの鍵盤と同様に
人が各音を学んで其れを叩くならば
それにつれて美しい調和した旋律が生まれてきます。


鍵盤を理解しなければその逆が生じる事になります。


そこで我々は用いなければならない
道具を知ることによって自己を理解するように
努力しましょう。


まず人間とは何でしょう。


一つの結果である肉体を見ると其れが肉・骨・血液などから
なっている事がわかります。


この点は他のほとんどの動物と大差はありません。


しかし人体を形成しているものは肉眼では見ることはできません。

それは無数の細胞で成り立っているからです。


各細胞は独立した存在ですが、一方共通の利益と人体の維持のために
各細胞は他の全ての細胞と調和しています。


丁度地球の40億以上の人間が人間界と言う
一大家族を形成しているのと同様です。


しかし人間は人生において果たすべき役割を教えられていないために
混乱が生じています。


この人間界の混乱は地球全体の秩序に比較すれば
まだ小さいほうです。


そうでないとすれば地球は大混乱状態になるでしょう。


そこで一つ、混乱の起こる原因を調べて見ましょう。


一般の人間はそれ自体が原因の結果であるエゴによって
支配されている精神労働者です。


そして心が学習の過程にあるときそれは(心は)他の物質的な支配(現象)に
それ自体を(心自体を)任せたがるのです。


しかも心が理解していないことは多く存在しています。


理解されないものは恐怖され、嫌われますが各感覚器官(すなわちエゴの心)に
とって楽しい物事は好まれます。


しかし時として好ましい物事は人間を進歩的な学習から
妨げる障壁となるのです。


生命は区別なしにあらゆる自然へみずからを貸していることが
我々にはわかります。


そして人間の自由意志が生命の自然な表現から
人間を分離してしまったように思われます。


ここまで

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プラトン、ニーチェ、アリストテレス、キルケゴールと
有名な哲学者達の名前を私達は耳にする事がありますが


哲学と聞くと誰もが腰が引けたり
硬いイメージを持つのではないかと思います。


哲学の殆どは人間の目的や生きる意味に関して触れていて
其れは私達が通常考える事もないテーマだからです。


私達は普段は”生きる目的”などを考える事は無いと思いますが
しかし、誰もが挫折や困難に直面したときに


自分の生きている意味やその目的に
一度は思考をめぐらせる事もあるのではないかと思います。


そんな意識が私たちを宇宙の法則に覚醒させ
その中の生命の科学を学ばせるきっかけになるかもしれません。


そしてアダムスキーも元々は哲学者として活動をしていた人物ですし
其れゆえにブラザーズの教えや知識が容易に吸収できたという
側面もあるようです。


(元々アダムスキーは目覚めたブラザーズの魂の転生者の一人です
マスターの可能性もあると思います)


そして私達が宇宙の法則の一環として理解すべきとなるのが
そのような哲学のテーマでもある
”人間とはいったい何なのか”という問題なのです。


これは哲学でも精神世界でもなく
普遍的真理を理解するためには避けて通る事のできないものです。


私達がそこに到達するためには、まずは自分達の生きる目的と
自分達の立場を理解することが求められる事になるからです。


生きる目的が認識できれば、
それに付随して私達の義務や課題も理解できる事になります。


其れが私達の生き方を変えるきっかけにもなるかもしれませんし、


宇宙の法則を学ぼうとするためには
私達は自分達の存在についての深い理解が
必要とされる事になるようです。


ブラザーズの話では
私達は万物の中で一番進化したフォームと言う役割を
創造主に期待されている存在だと言う事でした。


万物が調和して共存する世界の中で
一番進化の進んだ限りなく神に近い生物だと言うことでした。


この世界は、神の求める調和の元に
多くの生物が独自の役割を求められていると言います。


極端な例えをすれば


私達万物はオーケストラの一員であり、


万物それぞれがホルンやトランペット、クラリネット
オーボエ、バイオリン、チェロ、であり


全体として演奏した時に初めて奥の深い音楽を奏でる事ができるわけで、
そんな状態を神が見たいと望んでいると考えれば良いのだと思います。


しかも私達人間はその中では指揮者の立場を
期待されていると言うことです。


神の仕事とはその事なのかもしれません。


想像主は人や植物や動物に
この自然の中でのそれぞれの役割を担わせ
その調和のための奉仕を期待しているのですが、


しかもその中で一番進化した形態である私達人間には
他の全ての創造物を支配し管理する事も
期待していると言う事になります。


実は、それだけではないかもしれません。


神は自らの精神の理解者として
そして自分と語り合える存在として
人間に期待しているのかもしれません。


私達は創造主に限りなく近づく事のできる能力すら
与えられていると言う可能性があるのです。


神が自分に似せて創ったという私達人間の究極の進化した状態である
100%の脳を働かせる精神状態というものが、
もしかしたらその状態ではないのかと想像する事もできます。


それは勿論一度や二度の転生で身に付くものではありませんし
金星の住人達でも25%程度の脳を使用している状態だと言います。


100%の脳が利用可能になったら一体私達はどんな意識に辿り着くのか
そしてどんな事が可能になるのかも想像が付きません。


少なくとも地球には神が私達に与えた100%の能力を
使用できる人間は存在していないからです。


そして自らを神だと名乗る人間がいたら
その人間の脳の使用率を調べてみれば
それが嘘であることが判ることにもなります。


自分達のそんな潜在能力や本来の存在目的を理解する事が
私達の宇宙意識への覚醒のためにも必要になると言うことです。


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アダムスキーやブラザーズに拠れば
更に私達が理解しなければならないのは
私達一人一人は全体の中の一部の存在であると言うことです。


私達はそれぞれが、神のエネルギーである宇宙空間という
巨大な全体の中の一部であり、


太陽系の中の人間達数千数百億人の中の一人であり


地球の70億近い人口の中の一人でもあります。


そしてブラザーズはその全体を意識していて
自分達の存在をその中の一部であると認識しているわけです。


その意識は、
”私達一人一人の全てが宇宙、神という存在を
つかさどる細胞のようなものであり


そのためにお互いの存在は相互依存の関係にあるのだ”と言うものです。


ブラザーズ達にしてみれば自分以外の人間やその他の万物は
神のエネルギーが具現化した姿そのもので
彼らはその姿に神の意識を感じていると言います。


つまりは彼らにしてみれば
あたりに存在しているものは全てが神の化身であり、
同時に其れは自分にも当てはまると言うことになります。


彼らの視界に入ってくるものはすべてが
神の具現化した姿なのです。


そして彼らは例え、地球の粗大ごみである私を見つめる時でさえ
そこに神の存在を認識してくれるわけです。


私達にとっては、当初は難しい捉え方ではありますが
私達が人間という自分の存在を理解するためには、
その先人とも言えるブラザーズ達の意識を学ぶ事が有効ですし


そんな意識を持って他人や万物を見るように努力することで、
私達の意識も変わっていくのかもしれませんし
宇宙意識に対する知覚の仕方も変わっていく事になると思います。


しかし現実には地球の人間の意識はブラザーズの意識とは遠くかけ離れていて
皆が他人を神とみなして尊敬する事もなければ
皆が調和の意識を持って暮らしているわけでもありません。


それどころかこの社会の中は混乱と対立と争いで満ちています。


人を見たら泥棒と思え。


気に入らない人間は敵だから叩け。


そんな意識を一般市民に持たせる人間達がいますし


中には自らが神であったり神の使いであると自称し
独自の価値観を作り上げて神の法則からかけ離れさせている人間もいます。


これこそがこの地球の実態だと思います。


それがまかり通る”原因”と言える物は
私達の行動が”精神”ではなくて”心”によって決められているからです。


私達の心はそのままエゴであるとアダムスキーは触れていました。


そのエゴを作り上げた価値観は
私達の各種感覚器官にも由来するようです。


前回の記事で触れたように、
私達の価値観は心地良い事に囚われているという話でした。


視覚や聴覚や嗅覚や味覚、更には触覚の内の特別な力(想念を感じる能力)
以外の機能は全てが脳に対して自分の意識を主張するそうです。


美味しいものが食べたい、心地良い音が聞きたい
良い香りを嗅ぎたい、見たいと感じるものを見たい、
心地良い感触を受けたい。。。


もっと進めばそれらはそのまま脳の本能的欲求に
直結して行く事になるのだと思います。


実はそんな心地良さを求める事だけでなくて
人間の価値観としての好き嫌いなども
実は私達の感覚器官に左右される物のようです。


面食いと言われる人間が
美しい物や人を好むのは視覚の好き嫌いが
脳に反映された結果であり、


関西人が納豆を嫌うのは
嗅覚の好みが脳に反映された結果であると言った感じにです。


言われてみればまさにそんな感覚を私達は全員が持っていると思います。


腹が減れば匂いに引かれて鰻の蒲焼に食欲を感じるのは
嗅覚と食欲が暴れている証拠ですし


性的欲求不満がたまった時に
エロティックな写真や画面に目が行くのも
視覚と性欲が暴れている証拠だと言えます。


他人の外見で好き嫌いを決める人間もいますし
無臭時代の今は、汗臭いことや匂いがある事が嫌われます。


脳はそんな快感や好き嫌いを感覚器官を通じて
植え付けられる事になりますし


その後は脳が各種機関の過去の経験にそって
脳にとって心地良いという感覚を齎す事をこそ欲する事になります。


更には感覚器官の影響を受けた脳が
物事の良し悪しや好き嫌いを決める事にもなります。


そんな意識で作り上げられているのが私達の心だと言う事です。


そしてアダムスキーはここで
心は放置しておけば現象に身を任せると触れています。


精神を感じない限りは
心は欲望の虜であるとも言い換えることが出来ると思います。


現象を感じるのは各感覚器官ですし
結局は心は感覚器官と本能によって支配されていると言う事になります。


私達はそれを無意識の内に当然であると判断して暮らしていますし
心が持っている価値観は、心が心地良く感じるものばかりですから
私達は”精神”を感じていない事にも成ります。


そして本来調和や理解と言った全体を考える意識は
精神によって齎されるものですから、


心ばかりを利用している私達の行動は宇宙意識から遠ざかり
全体を意識することなく独自の暴走を始めることになります。


それを私達人間は古代から延々と繰り返してきたわけですから
宇宙意識を感じる事も宇宙の法則に気が付く事もありません。


時々、有名哲学者のような偉大な個人が、
自らの精神を追求してはその領域に独自に達したり


ブラザーズが送り込んでくれた聖人達が
その事を伝えてくれた時に精神を意識する人間が現れますが
それはその時だけのことであり


長い時間の経過と共に再び私達は
心に従って生きていく事になったのだと思います。


その結果が今の地球のごとく
誰もがエゴにまみれ物質(現象)にばかり囚われる社会を
作り上げる事になったと思います。


今更遅い話ではありますが
もしも私達も物心付いた時に精神のあり方を
しっかりと学び使用し続けていれば


今頃私達の意識も随分と変わっていたでしょうし
世界も今よりは遥かに平和な意識を持っていたのではないかと想像します。


現に幼少時代に道徳を学んできた日本の住人は
少なくともそこで宇宙の法則の一部を学んで来たがために
今のような人間となっているのではないでしょうか。


勿論それでも十分とは言えない物もあるのでしょうが、
少なくとも日本人のモラルの高さが世界トップレベルである事は
世界中の誰もが認めるものです。


そして宇宙の法則を幼少から学んでいるブラザーズは
元々の資質が高い状態で生まれただけでなくて


子供の頃からの精神教育の実践が
彼らを神々しい人間に作り上げたのだと思うのです。


それと比較すれば、今の地球の人間社会では
子供達に一体何を教育しているのかと言う事を考えれば
地球の未来の姿も自ずと見えてくるわけです。


道徳を教える親が居なくなり、地球の法則としてのエゴの実践、
時には戦闘や憎しみを子供に教える人間すら居るこの社会が
今の荒んだこの世界をつくりあげたのだと思います。


私達は万物の指揮者としてのオーケストラの統率を
任されていたにも関わらずその役割を忘れてしまって


演奏ステージの上を何も事情を知らない子供のように
走り続けては演奏の妨害すらしている。


万物の調和から離れてしまっただけに留まらず
その他の万物の調和すら乱し続けている存在に成り下がった。


私達人間は、その様な例えも出来る立場の存在なのかもしれません。


続く

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P.S.


「本能的に嫌いな人がいる」
「理性的に受け付けない人がいる」


などと言う話を聞くことがあります。


理性的というと、それがまるで精神を通じた直感によって
感じる意識のように思われそうですが


ここでの本能や理性は共にそのまま動物的な本能
つまりは私達のエゴの塊である心のもたらす物だと思います。


理性的・本能的に嫌いな人間を
もしも自分が冷静に判断すれば


おそらくは其の人間の姿が嫌いで、声が嫌いで
匂いが嫌いな事に気がつくと思います。


本能的に嫌いな人間を舐める事はないでしょうから


「この人しょっぱいから嫌い」とか
「この人の顔は苦いから嫌い」などと


味で嫌う事は出来ませんが


私達は視覚や聴覚そして嗅覚で
其の相手に嫌悪感を感じているのだと思います。


つまりは私達が作り上げた心の価値観が
其の人間を受け付けないわけです。


精神の科学の内容からもわかるように
精神は神の意識であり、
それは決して物事を嫌ったりする意識ではありません。


私達は直感的に好き嫌いを判断していると感じた時に
そこで働いているのは多くは”心”であると言うことだと思います。


本能的に嫌いな場合があれば
本能的に惹かれる場合もあると思います。


この場合はフィーリングや魂の共鳴のようなものを
相手に感じることもあるのでしょうが
(それは精神の働きが強いと思います)


一方では相手に異性としての性欲を感じていたり
相手を通じて自分が心地良くなっている場合などもありそうです。


それは異性のエロティックなスタイルであったり
異性の美しい風貌であったりするのかもしれません。


そして其の中心となっているものは言うまでもなく視覚です。


当たり前の事ですが、視覚を使えない状態で暮らしていれば
他人の美醜や格好は一切その人間を判断する価値観に反映されませんし


残りの器官の感じる感覚(匂いや声)そして相手の性格が
その人間の評価とされることになります。


其の時には相手の人間性を無自覚のうちに重視していると思います。


そんな事を考えても、私達は間違いなく感覚器官によって
心の価値観の大部分を作り上げられているのだと思います。


そして私達が多くの現象や結果と言うものを捉えるときに
一番使用する事になるのは間違いなく視覚です。


つまり私達の行動の多くは
視覚のよって作り上げられた価値観によって
決められていると言うことになります。


心なるエゴを作り上げている一番の要因は確かに
視覚に基づくもののようです。


と言うことは日々の生活の中で
その視覚を使用する時に


”精神”を意識するようになるだけで
私達の心は効果的に変わっていく事になるのかもしれません。


見た目で判断してはいけないと言うのは
この社会の中のあらゆる側面において当てはまることだと思います。


結果、現象はいくらでも着飾ることが出来るからです。


そしてそれは必ずしも其の物事の本質を捉えているとは
いえないからです。
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どうしてもこのような記事を書いていると文調も硬くなりがちですが
真剣に記事を書いているとこうなってしまうのかもしれません。


そう言えば組織的犯罪関係のスレッドで
私を火星人扱いしている人間がいました。


理解ない方にとってはオカルトになってしまいますが
古代に地球支配を現実に実行していていたのは


地球と火星と水星を、当時の太陽系の先住民から奪い取った
後続の移民であったと言う話は本当だと思います。


ただ、そんな人間達も今では皆、宇宙の法則に従って生きていて
其の支配時代の影響を未だに引きずって生きている地球の中の
特定の意識にとらわれている人間が暴走しているのだと思います。


もしかしたら未だに宇宙の法則に目覚める事の出来ない
意識の低い太陽系の同胞が
闇政府の支配を協力している可能性はあるかもしれません。


ブラザーズ達の話では
地球に限りなく意識が近い人間達が火星の住人と言うことになりますし


現にアダムスキーが土星で会議をしたと言う話の中でも
火星の代表者とアダムスキーだけが


記憶促進装置のようなものを取り付けられたという
エピソードもありました。


科学力では地球よりもはるかに進んでいる星でも
精神性や脳の機能は未だ、
それほど大きく異なってはいないのかもしれませんね。


宇宙人扱いするのなら、
どうせなら私が憧れている人間達の暮らす
金星や土星の住人扱いして欲しかったとつくづく思います。


工作員相手ですから
其のうち”レプタリアン”扱いでもされそうな気もします。


そして勿論、私は生粋の道産子であり日本人であり地球人です。
(過去世に関しては何とも言えませんが。。)


そう言えば
私のような被害者が使用されている電磁波技術
間違いなくブラザーズ達の科学力の
悪用であると言うことに気がついてしまいました。


1950年代には高周波治療器は存在していた。。


しかも其の能力は計り知れないものがある。。。


其のことも被害記事で触れますね。