御霊の齎すもの、魂とテレパシー | 不幸のブログ 

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三次元と四次元の狭間 に関しての記事と生命の科学と宇宙の法則
について語ります。



先日は私達が魂と言う意識の経路を感じるために
どんな手法が有効かと言う話を取り上げましたが、


私達が閃きや印象という形で創造主の意識を受け止めることについて
イエスキリストが語っていると思われる一節がここです。


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私は、貴方がたに言います。求めなさい。そうすれば与えられます。
捜しなさい。そうすれば見つかります。


叩きなさい。そうすれば開かれます。


誰であっても、求める者は受け、捜す者は見つけ出し、たたく者には開かれます。


貴方がたの中で、子どもが魚を下さいと言うときに、
魚の代わりに蛇を与えるような父親が、一体いるでしょうか。


卵を下さいと言うのに、だれが、さそりを与えるでしょう。


してみると、貴方がたも、悪い者ではあっても、
自分の子どもには良い物を与えることを知っているのです。


とすれば、なおのこと、天の父が、求める人達に、
どうして聖霊を下さらないことがありましょう。

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イエスの教えに興味ない方や、理解の仕方の異なる方にとっては
聖書の記述を現代の言葉を持って解釈する事になりますし


私達のような理解と解釈にはならないと思いますが、
それを気にすることはありません。


私達は聖書の”御霊”なるもの含めて
額面どおりの解釈をしているのではなくて
間違いなくその実態を理解できる立場にいるからです。


ここでイエスキリストは私達に、
魂から創造主の知識や知恵、更に私達の進化のための戒律を受けるにあたっての
心がけを述べているのだと解釈できます。


知恵を求め答えを探し、真理を探究するための扉を叩く人間には
創造主はそれに対してしっかりと返答をしてくれるのだと言う例えでです。


昨日の私の記事にもあったように
私達は意識を辿る事でそこに閃きを与えられる経験をします。


実は予約設定してある記事の中の
”テレパシー”の話の中で私はこの事に関して取り上げていますし
少し以前の記事の中でも触れています。


私が聖書のイエスキリストの言葉に関して悩んでいると、
”それが後に閃きとして自分へと回答が与えられる”
と言う話に関してです。


その印象は閃きとして与えられます。


もちろん何かが判らないからといって
自分では何の思考もしないのではなくて


自分なりに思考して、尚且つ判らない状態で
掃除などをしているときに
ふとした瞬間に印象としてその答えが与えられることになります。


求めて与えられ、探して見つかったわけです。


そんな経験をしている人間は、
ありとあらゆる場面で数多く存在しているのでしょうが


誰もそれを自分が魂からの印象を受け止めたとは
意識することもないのだと思います。


しかし私達の場合はもちろん嫌でも意識することになります。


そして気が付くのです。


これがイエスキリストの言っていた
「求めれば与えられる」と言う事の意味なのだと言うことをです。


私達は創造主の分身としての”御霊”なるものを
誰もが魂と言う形で持っています。


そして私達は誰もが創造主の子供なのです。


「子供が魚を欲しいと願っているのに
蛇を与える親はいない」


「どんな子供であろうとも親からしてみれば
かわいい子供である
」と言う話は


創造主は、出来の悪い劣等生である私達に対してであっても、
私達が真摯に求めたものをしっかりと与えてくれる存在なのだと
イエスキリストは触れているのです。


そしてイエスの言葉はこのように続いています。


【天の父が、求める人達に、
どうして聖霊を下さらないことがありましょう。】


ここでの精霊というものが魂と言う存在であり、
そこに対して与えられるエネルギーであり


私達はそこから知恵や知識や戒律を
与えられるのだと言う話につながるのです。


パウロが語っていたと思いますが、
御霊の賜物として私達が与えられるものに関して
取り上げている一節を思い出してください。


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コリント人への手紙12章


さて、賜物には色々の種類がありますが、御霊は同じ御霊です。


奉仕には色々の種類がありますが、主は同じ主です。


働きにはいろいろの種類がありますが、
神はすべての人の中ですべての働きをなさる同じ神です。


しかし、皆の益となるために、
おのおのに御霊の現れが与えられているのです。


ある人には御霊によって知恵の言葉が与えられ、
他の人には同じ御霊にかなう知識のことばが与えられ、


またある人には同じ御霊による信仰が与えられ、
ある人には同一の御霊によって、いやしの賜物が与えられ、


ある人には奇蹟を行う力、ある人には預言、ある人には霊を見分ける力、
ある人には異言、ある人には異言を解き明かす力が与えられています。


しかし同一の御霊がこれら全ての事をなさるのであって、
御心のままに、各々にそれぞれの賜物を分け与えてくださるのです。

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ここではパウロは私達に御霊の機能について
具体的に語っていました。


御霊=私達の魂は創造主の分身であり
そこから私達に対してエネルギーを注ぐような存在でもありました。


誰もがそのエネルギーに満たされるのではなくて
その意識の経路が強い人間ほど
そこから得られる賜物を多く受け止める事ができる筈です。


つまりは覚醒が進めば進むほど私達は
御霊からの恩恵に預かれる事になります。


そしてその御霊からの受け止める力が大きくなれば
私達は脳機能さえも進化させる事になります。


今まで使用していなかった脳細胞が働き出し、
脳細胞が増殖することもあるそうです。


更には私達のヒトゲノムと言われていた
DNA情報の中の未知のゲノムがおそらくは活性化しては
私達に新たな力をも与えることになるはずです。


私達は今まで未知能力と読んでいたものを
身に着けることにも繋がるのです。


パウロが説明している御霊の賜物は
「同じ御霊によって齎されるのだ」といっています。


勿論それは私達の魂と言う同じものがその仲介に存在しているわけで
知識を与えられる時や進化に資する時とでは
別の御霊が機能するわけではありません。


私達が学んでいる事をそっくりそのままパウロが語っていと言う事が
ここからも納得できるかと思います。


そしてその内容です。


知恵の言葉が与えられ
知識のことばが与えられ
信仰が与えられ


いやしの賜物が与えられ
ある人には奇蹟を行う力
ある人には預言


ある人には霊を見分ける力
ある人には異言
ある人には異言を解き明かす力が与えれらると告げています。


私達であれば今までの創造主の法の理解から
それがどのようなものであるかも想像付きますし


全ては私達が魂と言う意識の経路を認識し
それを強く使用出来る様になる事で
そこから与えられる事になる力だと理解できるはずです。


【知恵の言葉が与えられ】


言葉の通り「このようにした方が良いですよ」とか


「こうすることでもっと容易にできますよ」


と言った印象のことです。


【知識のことばが与えられ】


私が頻繁に求める、疑問に対しての返答がこれにあたります。


【信仰が与えられ】


信仰として与えられると言うのではなくて、
私達が魂と言う意識の経路を使用しつづけ恩恵を受ける事で


嫌でも創造主の存在と魂の意識に対して
信頼を強く持つようになる事だと思います。


そしてもう一つは私達が受け止める事になる戒律です。


私達は魂の意志から自らの戒律を持つ事になりますし
それはそのまま持つべき信仰・心情でもあります。


【いやしの賜物が与えられ】


文字通り他人や肉体を癒す能力の事でしょうし
これは私達は誰でも多かれ少なかれ持っていて
その存在に気が付いてないだけだと思います。


腹痛を起こしてそこに手をかざす事で
痛みが和らいだような経験を誰もが持っているはずです。


あとはその力の強さの問題です。


【ある人には奇蹟を行う力】


イエスキリストが弟子や民衆の前で実行したと言う現象をも
私達も将来的には実行可能になるのです。


【ある人には預言】


今現在の環境や実態に基づいて、
近い将来一体どんな事が起こりうると言う
そんな印象を受けとめたり思考する能力だと思います。


【ある人には霊を見分ける力】


イエスキリスト時代の”悪霊”と”精霊”という言葉の使用の仕方からも
”良き想念”と”悪しき想念”のことであると認識してください。


悪魔や私達の言っている悪霊とは違うと認識する事です。


そしておそらくは他人の発するオーラが見えたり
他人の悪しき想いや良き想いをも感じる事ができ、
時にはそれをイメージとして見る事ができると言う話だと解釈します。


【ある人には異言
ある人には異言を解き明かす力】


これはおそらくは天使達がテレパシーで実践してきたであろう
私達の社会では”自動書記”と言われている能力の事だと思います。


ある時突然、神のお告げを感じたと言い出しては
なにやら手が勝手にいろいろな事を書き出した。。


そんな話が予言含めて沢山存在しているのは
オカルト好きの人間であれば知っているかと思います。


あれは神や創造主のお告げではなくて、
おそらくはテレパシーや音声送信を使用して
その能力を持っている人間に対して実行したものでしょう。


裏には天使や闇政府が控えている事になります。


現に新約聖書のマタイやマルコそしてルカなどの福音書は、
まるで24時間イエスキリストに付きっ切りで見ていた人間達が
それを記述した様な内容になっていますが


当時それが可能だったのは天使達(スペースブラザーズ)だけです。


あれは天使達が記録した状況を特定の人間に印象や思考、
記憶として受け止めさせたもので、


自動書記として
そのイメージを受け止めて書き綴った人間が
いたはずです。


そんな能力全般だと理解してください。


勿論天使達は自分達が単に普通の人間である事から
その奇跡を実行しているのは神だと語ったはずですが
実態は異なるはずです。


そして主としてその多くはテレパシー能力に
関わってくる物である事に着目して欲しいと思います。

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私達がまずは求めるべきは、魂という意識の経路を認識し
そこを強く利用する事ができるようになることで


私達が想念と呼んでいるものを
常時受け止める事ができるような状態を作り上げる事。


おそらくは私達人類の最初の進化は
テレパシーの発達から始まるのだと思います。


TVの超能力などの派手なパフォーマンスなどに囚われたり憧れることなく
地道で他人には認識できないこの能力を
開花させる事こそが私達が求められている事なのです。


私達は芸人やテレビタレントや教祖様になろうとしているのではありません。


奇跡を見せて得られる信頼や名誉など
何の価値もない事を忘れないで欲しいです。


私達は真摯に創造主の法を理解し、人間があるべき姿のモデルとして
それを自ら実践して見せる事こそが大切なのです。。


この能力が世間一般に広まる事で
私達の交流方法や他人への理解度も変わり
相手を正しく理解するきっかけにもなりますし、


そしてその風潮が広まる事で
悪意を持つ事を恥じるような習慣になるでしょうし、


結果的に私達の社会を大きく変える事になるのだと言う事に
気が付いて欲しいと思います。


科学と機械は便利なものです。


しかしそれが時には私達の持っている能力を低下させたり
退化させる事もあるのだと言う実態に
私達は気が付かなければなりません。


例えばテレパシー発信機を頭につけて
皆が使用するようになったときには
私達の真の進化は止まるのです。


そして私達は進化の資質を持った人間に対して
そのきっかけを与え続けていきましょう。


それが強いてはこの社会の改善に繋がる事を信じてです。


当初は多くのクリスチャンに対して
私達の理解する真のイエスの教えを知らせたいのですが


それをするのは彼らの指導者の役目です。


この時代には資質ある人間は
誰に誘導される事なくとも自ら変わる事になるとも想像しています。


私達は資質のある人間と興味を示す人間に対して
真理の欠片を示し続けるだけで良い。


進化の資質のある人たちは
きっとそこから何かを感じ取ってくれると思います。


その前に私達が創造主の法を
もっと深く理解して行かなければなりません。


私の頭の全てを吐き出して理解を求め続けていますが
兄弟姉妹の進化はどんな状況でしょうか?


言葉足りなかった事を反省しながらも
昨日と今日の記事が皆の更なる飛躍に
役立つ事になればと願っています。


【貴方に無限なる力の祝福がありますように】