All You Need Is Love | 不幸のブログ 

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三次元と四次元の狭間 に関しての記事と生命の科学と宇宙の法則
について語ります。

今日二つ目の記事です。



昨日、ブログの紹介のコメント(タイトルの下のところ)から
統一教会・創価学会・在日関係者と言う言葉を消しました。


勘違いしないで欲しいのは
私がそんな人間達に屈したかのように受けとめ無いで欲しいと言うこと。


現に私に対して敵意を持って仕掛けてくる人間には
そんな人間達もいるわけですし、


とりわけメーソン傀儡となっている強力な人間達の
関与からは私は逃れられないと思います。


私はそんな中でも懲りずに、
まともな意識を持っている方や
道徳心を持っている方の良心に訴えたいのです。


多くの人間は騙されて利用されているに過ぎない。

そして組織の指示に従っているのだと考えるよう
勤めています。


そして彼らが揃って日本のために立ち上がってもらいたいから。


更には、私の理解者や覚醒者、予備軍が
そんな人たちの中にも存在しているからです。


これらの人間の組織も
おそらくはメーソン関係者絡みで割れているはずです。


良い意味で変貌しようとしている人間達から
その機会を奪ってはいけないと思います。


私達が憎しみに憎しみで立ち向かっても
そこで更なる憎しみを生みます。


戦いは戦いを生み、そこでは弱いものから順に
潰されていく事にもなります。


そんな荒んだ社会をこの日本に作り上げて欲しくはないのです。


そして私達が今この激動の時代に、
偶然?この日本で暮らしていることの意味を
皆が考えてみて欲しいのです。


私は日本社会が事実上崩壊するとき
この文明は終わりだと想像しています。


世界で一番道徳心を持った国であり
私たちはそこにすむ人間達。


それが地球の法則にそっくり飲み込まれた時に
この社会の進む道は一本になります。


それは創造主の意志とは対極にある意志によって導かれる道。


そんな事にさせないためにも
日本発の真の平和への実践を世界に広めて欲しいです。


奇麗事ではなくて
私達はまさにそんな危機状態にあるのだと言うことを
是非理解して貰いたいと思います。

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ユダヤサンヘドリンとその傀儡に悪役になってもらって
先日ツイッターで垂れ流した内容を紹介します。


フリーメーソンの人間の中には
脅しや洗脳で身動きが取れない人間もいるのでしょうが


彼らはサンヘドリンの傀儡であることをやめられない限り
悪役を演じ続けることになるのだと思います。


命もかかっているのでしょうし
気の毒だと思いますが仕方がありません。


彼らも変わる気があるのなら、
命をかけて生命の科学を理解して実践して死んでいけば
次の生へと進むことが出来ると思います。


魂が滅ぶよりは、ましではないでしょうか?

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愛と平和の話について短くですが触れてみました。


内容はほぼそのままですし
わかり難い所があったら勘弁してください。


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地球社会の裏の権力者は愛と平和がとても嫌いなようです。
愛や平和を歌っていたり唱えていると長生きできないのがこの社会。


それどころか憎しみを持って争い事を続けることを
彼らは何よりも望んでいるように思えます。


平和な社会では軍事産業は儲ける事もできませんし、
それに協力する電気産業関連企業も決して反戦平和とはいいません。


つまり彼らは儲けるためには社会が混沌としている方が良い訳で、
世界の裏で火種を作り続けているCIAやモサド、
MI6のような組織の行動がそれを物語っています。


地球社会で愛と平和を主張し、それを広めたジョンレノンは結局、
MKウルトラ洗脳を受けた人間の犠牲になりましたし
この社会にとって邪魔なものは愛であり平和だということになります


社会を少しでも良くしたいと願えば平和と愛こそが重要である。。
それが判ってもその実践は難しいものです。


それに”平和”と言ってもいろんなレベルが考えられます。


闇政府の人間たちにしてみれば、
自らが管理支配する世界が自分たちにとって平和な社会でしょうし、


特定組織にとっての平和はその組織の構成員にとっての平和です。
それを実現しても万人が幸せとは限りません。


特定の人間を排除しての平和であれば
それだって限定的な平和であり、


本当の意味での平和があるのだとすれば
もちろん末端の一般市民まで全てが
その環境を謳歌できる平和だと思います


そこには犠牲者や淘汰排除される人間は存在してはいけないのです。
そして物理的に捉えれば戦争や闘争の存在しない社会こそが
末端市民にとっての平和社会ではないでしょうか。


一方、”愛”も闇政府のとても嫌うスローガンです。
でもこの”愛”と言う言葉が曲者なのです。


時々愛と言う言葉を耳にすることがありますが
そんな言葉を語っている人間達ほど
実は分裂・闘争を繰り返している人間に見えるからです。


私たちが語っている愛と言う言葉は一体どんなものなのか?


それは例えば男女の恋愛に象徴されます。


男と女の恋愛感情を私たちは得てして愛として捉えがちです。


でも実はその恋愛感情は心の価値観に囚われたものである可能性を
感じたことがあるでしょうか。


相手への独占欲であったり、相手への性欲であれば
それは愛と言うよりはエゴを満たす自己愛の意識だと思います。


相手を好きで仕方がないと言う感情が
実は自分の心を心地良くするものであると理解すれば、


恋愛の多くは、本能と感覚器の好き嫌いによって作り上げられた
私達の心を心地良くする意識だと認識できると思います


好きでたまらず付き合いだして、
その後早々とその愛情が冷めるのは
相手の存在が自分にとって心地良いものではなくなったからではないでしょうか。


つまりは多くの場合私達が愛しているのは相手ではなくて
自分の心なのだという事になります。


自分の心を心地良くしてくれる存在に好意を感じ
不快に感じさせるものには嫌悪感を感じる。


それは自分が一番可愛いと感じているが故に
その心を気持ちよくし続けたいという私達のエゴなのです。


自分の心を心地良くしてくれる存在に好意を感じ
不快に感じさせるものには嫌悪感を感じる。


それは自分が一番可愛いと感じているが故に
その心を気持ちよくし続けたいという私達のエゴなのです。


自分が可愛いがゆえに自分を不快な思いをさせたくないゆえに
それまで心地良いと感じていたものが心地良くなくなった事で決別する。


その付き合う理由となったものを自分は愛だと考えていても
実は相手への愛ではなくて私達は自らの心を愛しているのだと思います。


では私たちが語っている愛と言うものは一体何なのでしょうか。
それは実践されている物なのでしょうか。


おそらくは私達は愛と語る時
無自覚に”他人への思いやり”をそこに思い浮かべているのだと思います。


それは自分の事と同じように他人を慈しむ意識であり、
そこには見返りや打算は存在してはいけないものです。


しかしそれが現実社会で実践されていれば
こんな砂漠のような味気ない社会になどなってはいないはずです。


つまりこの社会には本当の愛など殆ど存在してはいないと言うことになります。
そして私達にとっても愛と言うのは幻想となりつつあるのです。


もしかしたら組織的に愛を実践している人達もいるかもしれません。
それが誰にでも分け隔てなく与えられるものであれば
それは本当の愛かもしれません。


しかし敵とみなした相手にはそれが与えられないのであれば
それは愛ではなくて自らの心の価値感に従っているだけだと思います。


愛はその対象に対して差別があってはいけないものですし
愛と言う意識を生み出すものは私たちの脳機能ではないからです。


私達人間の多くが、脳機能の作り出す心に囚われて生きています。
そこから出てくる感情はその全てが本能と経験に基づく価値観によって
作りあげられることになります。


つまりそこから出てくる意識は真の愛では有り得ないのです。
愛をかもし出すのは私達の魂=精神なのです。


特定の存在に愛を向けているつもりの人間たちは
愛を実践しているつもりで実はしっかりと差別をしています。


例えば動物愛護団体は動物を愛しては捕鯨団体を攻撃しています。


つまり彼らは愛と言う名の、
心が作り上げた価値観を実践しているに過ぎないのです。


精神から出てくる本当の愛は差別や区別をすることなく
万物に対して与えられるもののはずだからです。


私達が精神=魂から感じるものは創造主の意識です。
創造主は自らの創造物の全てを分け隔てなく愛しています。


その意識を本当に受け止めているのであれば
私達は真の愛を実践できるはずなのです。


そしてこの社会の多くの人間が真の愛を感じる事ができる様になれば
その時この社会には分裂や差別はなくなることになります。


つまり社会は平和になるはすだということです。


それを実践させたくない闇の政府は
私たちから愛を奪いもしくは誤った愛の概念を持たせているのだと思います。


彼らは人間同士の交流さえも相互監視や他人への不信感で奪い続けているのです。


そして一見簡単なようでとても難しいのが愛を実践すると言う行為。
でも、もしもそれを実践しようと魂を意識してくれる人間が増えてくれれば
きっとこの社会も善く変貌していく事になる。


そのためにも私達は学ばなければならない事があるのではないでしょうか。


それは脳機能の価値観である心ではなくて
私達にとっての本当の意識である魂を感じること。


そのためにも生命の科学=イエスの奥義を実践してみませんか。


言っておきますが私はクリスチャンではありません。


強いて言えば”自称”イエスの使徒です。


自分を愛するように隣人を愛せよ。


心を持って自分ばかりを可愛がっている私たちに
イエスキリストが指し示した平和への指針です。


新約聖書の真髄はこの言葉と
イエスの奥義にこそ存在していると思います。


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P.S.


イエスの奥義=生命の科学であると理解できた方々は
一層実践に力が入っているかと思います。


私たちはその奥義を使用しつつ
更に別の人々にもそれを伝えなければならないのです。


イエスキリストが実践した様に、
12使徒が布教活動で実践したように


私たちは魂=精神を通して感じ取った真理を語るのです。


(エゴの強い方は心の動きと精神の囁きを
混同しないようにご注意ください)