生命の科学 VOL72    | 不幸のブログ 

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三次元と四次元の狭間 に関しての記事と生命の科学と宇宙の法則
について語ります。


明日は金曜日、
そして木曜である今日からすでに
私の身体への攻撃の手は強まっています。


ベテランも多いのかじわじわと
真綿で首を絞められるような関与が延々と続いています。


どうやら昨日の記事も気に入らなかったようでもありますが
私にしてみれば昨日の話こそが
皆に知って貰いたい大切な話を含んだ内容だと思っています。


週末から月曜にかけて激化している最近の状況を
考えても、私はこの週末精神を乱すことなく
時間をすごす事は至難の業となりそうです。


どうも朝鮮関係勢力とそれに協力している人間達は
ここで一気に攻勢を仕掛けて来ているようです。


一番持たせてはいけない攻撃的な人間達や
他人を平気で裁く人間達に意識不相応の科学力を持たせたことが


この社会の大きな災いの原因と化していることを
感じ続ける羽目にもなっています。


そんな技術を知ってしまえば心無い人間は
時には組織と無関係にもそれを
利用することも出来ます。


朝鮮半島の日本支配は
ある意味ほぼ完了したようなものでしょうね。


マスコミの誘導含めて
そこには在日・帰化含めた
特定の人間達の意志が強く反映されていることも


最近はあからさまに見えるのです。


今日は大家もサインを出していますが
おそらくは今日は在日関係者が主流だと想像しています。


そういえば身近な工作員の一人である
金井のアル君はどこかの資産家や
実力者の息子なのでしょうか。


やってくることは、本人や
その協力者含めてとても低俗で残酷ですが


それを組織に咎められる事もなく放置されていることが
不思議で仕方がないのです。


それともこんな意識を持った人間が集まって
今現在も被害者への攻撃を繰り返しているのでしょうか。


今日も朝から大腸もしくは小腸を塞がれて
水分蒸発そして栄養の顔への誘導が続いているようです。


掲示板でも頻繁にコメントされているのですが
この私への加害者は他人の顔に何か
特別な思い入れがある人間のようです。


そして命を狙いながら、
嫌がらせを継続していると言うのが
この人間達の実態だと想像しています。


もともとが組織的犯罪は
特定の人間を死や精神疾患に追い込むことですし


やっていることは全て実態がばれても
まるで変わっては居ないと言うことです。


脳に関しては、能天気になるような
周波数の照射を感じています。


これは私だけなのか
多くの人間に対してのものなのかは
何ともいえませんが。。


今度はイライラの誘導と思考回路の低下も始まりました。


アダムスキーの”生命の科学”を凌駕したければ
それ以上に宇宙の法則を自ら理解して他人に説明するか、


嘘をつくのであれば、宇宙の法則を超える
一大体系を作り上げなければいけないことになりますが


それが難しいので
アダムスキーの生命の科学に触れる私のような人間の
揚げ足を取ることで


自分達の立場を相対的に高めているのが
彼らのやり口だと思います。


今日から月曜まで延々と地獄が始まりそうな予感です。


私は自分の中では
国内の特定ネットワークとは
決別して然るべしと思っても居ます。


理解を求めて延々と気を使ってきたつもりでしたが
もう充分自分の主張はしたはずだからです。


それで変われないのであれば
もう言える事も何もありません。


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HAARPは妙な動きをしていますが
地震よりも気象変動や精神への関与を意識して
警戒したほうが良いのかもしれません。


http://www.haarp.alaska.edu/cgi-bin/magnetometer/gak-mag.cgi


大きく動いているのですが電磁波出力の波形が
妙に穏やかです。


それとも、再び地震なのでしょうか。。


私への攻撃は強まってはいますが。。

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”バシャール”なる存在こそが
チャネリングやニューエイジ思想の源流らしいと言うことを
知ったのですが、その内容を見ていて


闇政府得意の本当の事に嘘を混ぜて
まとめて一つの価値観として認識させてしまうと言う手法を感じ
腹立たしく思いました。


近いうちに取り上げて解説してみたいと思いますが

つまりはそれこそが地球の法則で宇宙の法則を
隠蔽することに利用されている思想全般の


諸悪の根源と言っても良い存在かと思います。


「なるほど」
と思うことがあちこちに散らばっていると


それらがまとめて真実であるかの様に錯覚してしまうのが
私達この社会に生きている人間の意識です。


そんな意識を利用することで
実際には誤った知識までをもまとめて真実として捉えさせて


それを価値観として私達に植え付ければ
私達は普遍的真理へはたどり着く事もできない事になります。


悔しい事にアセンション信者やニューエイジ信者は大勢いて
普遍的真理に辿り着く者は極わずかと言うのが現実で


嘆いても仕方がないのでしょうし
イエスキリストもそうなる事を予言していたわけですが


現状が見えている立場の人間としては
あと少しで覚醒へと向かう魂が
その寸前で妨害を受けているかと思うと


正直やりきれない気分になります。


生命の科学、宇宙の法則に触れるきっかけが出来さえすれば
彼らの多くは目を覚ますことになるはずだ。。


そんな意識を持ちながらも
未だそんな人たちを誘導する手段を持てずにいる自分が
ふがいなくも感じています。


そんな中で、以前私がブログで引用して批判していたサイトを
私以前から批判していたブログの管理人が


かなり以前から宇宙の法則を知っていて
その実践をして生きているらしいことに気がついて
嬉しく思ってみていました。


批判されていたのは宇宙人アセンションサイトの
”ふるやの森”で、


その方の記事では多くのチェネリングや
スピリチュアルと楽観主義を批判していて
しかも”宇宙の法則”なる言葉も出てきていました。


その方は以前は闇政府の策略も地震兵器も
否定していましたが、


真実にはそんな実態も含まれているのだと言うことを
ぜひ気がついて欲しいなと思って
その人のブログを眺めていました。


間違いなく精神に関連して
私を凌駕する資質を持った一人です。


記事更新は少ないですし
紹介したくても今度はその人が目をつけられると
申し訳ないので紹介は出来ませんが。。


世の中の誤りを批判している人間や
スピリチュアルやアセンションを否定している人の中には
とても精神の高い方が存在している事も間違いないと思います。


そんな人達にも宇宙の法則と生命の科学を
理解して貰いたい。。。

そんな事を考えていました。
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今日もアダムスキー生命の科学からの引用です。

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【機械の代わりに意識眼を用いる事】

この事は意識は人間の心を指導するのに
決して誤らない事を示しています。


ただし、意識に任せるならばです。


そうすれば印象類はなんら歪められることなく感受されるのです。


これこそ意識がその印象が正しいと言う事を
心に証明できる唯一の方法です。


しかし宇宙の全てを人間に知らしめるような機械は
決して出来ないでしょう。


心と対になっている意識こそが
宇宙全体に関して人間が知るための唯一の道具です。


なぜなら、これまでに使用されてきた機械装置類は
結局、心に対して意識の指導を信頼させる事になるからです。


心は、かつて存在しないと思われたものが
実在していると判明したと言う
過去の観測や体験を通じて学んでいます。


感受される印象によって
齎される事柄はどこかに存在するからです。


ですから心はこれまでのように自身に頼る代わりに
進んで意識から指導を受けねばなりません。


そして宇宙の意識から与えられる事柄を
真実なる物として受け入れるべきです。


これこそ心がその半身を見出して
全宇宙の一部分になるための唯一の方法です。


イエスは言っています。
「見なくても信じるものは幸いである」と。


肉眼は宇宙空間の遠方を見る事は出来ませんが
”意識眼”はそれが出来るのです。


そこでこれからは機械装置の代わりに意識を用いて
これまで見えなかった物をみるために
機械でやった事柄を心にさせようとするわけです。


そして我々が望遠鏡を通じてみた物を信じたように
意識でもってこれと同じ事をしっかりとやる必要があります。


一度にあまり多くのものを見ようとしてはいけません。


少ずつ意識の中へ貴方の心を拡張させながら
望遠鏡を使用するのと同じ方法を応用しなさい。


強行しようとしてはいけません。


自然のままに行うのです。


貴方が永遠の生命の海に入るならば多くの時間があるからです。


事を急いで早くテレパシーの能力を開発しようと焦るよりも
ゆっくりと向上するのが遥かに良いのです。


忍耐を貴方の土台として心を次第に意識の中に浸透させなさい。


忘れてはならないのは、意識は一見奇妙と思われる印象を
心に運ぶ事があるということです。


新しい物事は全て最初は奇妙に思われます。


そして貴方の心に何らの疑惑をも起こさせないで
やってくる印象や映像に対して素直に聞き耳を立てたり観察したり


または沸き起こる啓示から
もっと良いイメージを作ろうとする
幼児のような状態にしておく必要があります。

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”私達は視覚を持って感じたこと得た情報を
一番重視している”


と言う話を以前に記事で触れました。


私達が自覚して使用している感覚器官は
視覚に聴覚に味覚に嗅覚。


一応精神に関しても感じていますが、
それは触覚とされ物理的感覚に限られて認識されています。


その中で私達に一番多くの情報を与えてくれるのが視覚であり
視覚を重視して私達は物事を信頼し情報を受け止め
それを知識とする事にもなります。


つまり私達が何かを検証しようとする時は
視覚こそが使用される事になるわけです。


そして私達の悲劇は始まるのだと思います。


私達の使用している器官で一番多くの情報を与えてくれるのが
視覚である事は間違いありません。


嗅覚では相手の姿を見る事は出来ませんし
現象の中で体験できるのは匂いに限定されます。


味覚では味に限定され
聴覚では音と気配に限定されることになります。


そしてこの三次元で起きている現象の多くが
目に見える変化であることからも
視覚でもってその多くを認識することになるのは仕方がありません。


でも私達はこの視覚に頼るばかりに
もう一つの大切な感覚を失っているわけです。


これは以前から繰り返している例えですが


聴覚で画像が識別できないように、


視覚では音が認識できないように


心に直結するこれらの感覚器官では
”印象”なる精神の受け止めるべき感覚は
認識できないのです。


しかし私達は精神なる器官の働きすら理解できないために
その印象なるもの全てを、心の働きの延長であると
思い込んでいるのだと思います。


そしてその結果、例え精神の感じたイメージであっても
湧き上がった印象であっても、


全てを心が作り上げたものと選別できなくなり、
一方精神の機能はどんどんと退化することにもなったのだと思います。


更に元々神の意識として持っている精神は
私達の意識の低下に伴い
神の意識からかけ離れる事で感じ難くもなっていった。。。


その結果もう一つの感覚器官としての精神は
殆ど正常に機能することも無くなり
時々感じる程度のものへと変貌してしまったのだと思います。


私達がここで精神を持って練習すべきは
その湧き上がるイメージを受け止める事だと思います。


誰でもいつでも感じ事との出来るものではないと思いますが
アダムスキーは以前の講義で、
私達に二つの効果的な方法を明確に示してくれています。


【観察する固体があたかも自分であるかのように
その固体に関して意識的になる事】


【心がその印象に気づく様になる唯一の時は
自分自身に対する関心をすれること】


これらは私達は精神の働きを学び練習するために
とても大切なことだと思います。


前者はテレパシーに繋がる話でもありますし
後者は印象を受け止めるために一番有効な手段です。


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相手の意識を理解するには相手になりきってしまうことである。


それを実践するのが


【観察する固体があたかも自分であるかのように
その固体に関して意識的になる事】


と言う手法で、


私達の精神が神の一部として、
全ての生命体、全ての神の創造物と繋がっていると言う
前提があるからこそ


私達はその能力を使用することが出来るわけです。


私達の心と意識が他人とはまったく無縁のものであると
認識しているこの社会では
現に他人と意思疎通など出来る人間はいませんが


特定の生物や植物と意思を疎通しているような
不思議な専門家達が存在している事も事実です。


アダムスキーは動物の調教師の存在や
農業専門家の話を例として取り上げていましたが


その人達の共通点は間違いなく
相手の立場で思考しているという事だと思います。


私達一般人の中でも
自分のペットを持っていて
それを可愛がっている人の中には


ペットが何を言いたいのか理解できると言う
人もいます。


言葉を話す事の出来ないペットの意思を
そんな人達は多くを理解してやれるのだと思います。


それは時には経験則からの理解かも知れませんが
そうではなくて


相手を自分と同様の存在と認識し単なる動物扱いせず

自分と同じ視線で相手を見つめていたり
自分を相手の立場におく事で理解できるものではないでしょうか。


そしてここでの本題は

【心がその印象に気づく様になる唯一の時は
自分自身に対する関心をすれること】


の実践により培われるもののようです。


私達は日常生活で、
どうしても心の暴走を止めることが出来ないでいます。

例えば虐めを受けている子供であれば
学校から戻り一人になっても


頭にあるのは学校で苛められたという事実や
明日も学校に行かねばならないと言う不安感だったりすると思います。

会社員であれば営業のノルマの事かもしれませんし

失業者であれば今後の生活のことかも知れません。


そうでなくて安定した生活を遅れる立場の人間であっても
今度は彼女の事でも考えているかもしれませんし


来月予定している旅行の事でも
考えているかも知れません。


夫婦喧嘩した人間であれば
怒りが収まらず思い出しては怒っている人間も
いるかもしれません。


学校の成績が上がった人間は
そのことが嬉しくて喜びがとまらないかも知れません。


とにかく私達の心は何らかの感情と
何らかの興味にばかり関心を示し続け
しかもそれは中々止む事も無いのです。


私達の心や精神が私達の意識に語りかける事を
電話のキャッチホン機能で考えれば


電話機から大きな心の声が響き渡っている時に
もしも精神からの囁きという
小さなキャッチホンの音が鳴ったとしても
それに気がつく事が出来ないのです。


私達は精神を感じたければ、


まずその存在を意識するためにも
暴走し続ける通常の価値観を元に暴れる
心の意識を落ち着かせなければならない。


そしてそこに響く僅かな信号を受け止めて
自分の意識を切り替えることが必要になるのだと思います。


私のような環境に置かれてしまうと
人工想念を送り込まれたり、意識を下げられたり
感情をかき乱されたりという事になり


余計に精神は感じ難くもなりますが
それでも自分の心を押さえつければ感じるものはあります。


そして精神の感じる感覚がイメージであると言うことを
私達は忘れてはいけないのです。


それが映像としてのイメージなのか
音声のように(明確な声ではありません)感じるイメージなのか
単なる思考の閃きのようなイメージなのかは判りませんが


私達は精神を使用して受け止める事の出来るものは、
想念であり、神の意識であり、テレパシーであることを
まずは認めなければならないと思います。


アダムスキーが触れているように
私達はテレパシーを取得しようと
焦ってはいけないのだと思います。


元々がテレパシーが精神の使用の延長に存在するものなのですから
精神を感じる事こそが重要だからです。


そして精神を感じると言うことはそのまま
私達の意識向上に繋がる話ですし


結果私達が意識を向上し続けていれば
テレパシーなるものも地道に会得していく事に
なるのだと思います。


おそらくは生命の科学を学びだしてから
多くの資質の高い方々は早々と
何らかの不思議な体験をしているのではないかと思います。


家族や友人の意識を感じ取ったような体験です。


頻繁にありそうなのは
「電話しようと思っていたら向こうからかけてきた」とか


「相手が思っていることが突然脳に閃く」


そんな体験です。


後は以前に私が触れていた寝る間際の


”心も休憩に入る寸前の状態”で
浮かび上がってくるイメージを体験しているかも知れません。


アダムスキーはそんなイメージや印象を受けたら
それを大切にしろと言っています。


そしてもう一つ、その印象やイメージを受けたときの感覚を
忘れないで持っていて欲しいのです。


言うまでも無く、それはその後の精神から
印象を受け止める練習に役立つからです。


そして生活の中では
原因と結果の法則を意識して暮らすようにして


出来るだけ行動する時は
しっかりと精神の存在(当分は理性の存在)を意識する。


それだけでも私達はまちがいなく
精神的な進化を続けることになると思います。

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P.S.


人が精神サイトやスピリチュアルに興味を持つのは
精神の囁きを心が受け止めている証拠だと思います。


そして誤った精神サイトが多くの人達に
受け入れられるのは


その多くが心にとって心地良く
そして頼ることが楽なのではないでしょうか。


自ら思考する必要がないからです。

前向きに。。。プラス思考で。。。


宇宙人が助けてくれる。。


自分のままでいればいい。。

そこには精神を感じるために
何かを実践する行為は伴いません。


苦労もありませんし
読んで理解したつもりになれば
それだけで自分の精神が高まったような錯覚も起こります。


私の紹介している”生命の科学”では
いくら理解しても、その場で納得しても、


具体的な実践が伴わなければ
精神の向上には繋がらないことは言うまでもありません。
(もちろん常に精神を意識すると言う実践が主体ですが。。
そしてイエスの教えも同様に実践こそが大切と記述されています))


そして得てして殆どの精神サイトは
精神サイトを語りながらもそれを向上させる
具体的な手法など語られてはいません。


サイトによっては”呪文”を唱える事すら
推奨しています。


そのサイトを読んでいることで、
不安材料となる情報を制限することで、


マイナスイメージに繋がる事に視線を向けないことで、


信じることで自分は精神性が高くなる。


そんな勘違いの根底には
それが心にとって心地良くて楽であると言う実態が
裏返しになっていて


本人はそれに気がついていないのだと思います。


そしてそれを語っている人間が
自ら只者ではないと名乗っているのですから
(チャネラー、預言者、神の声を聞こえる人間など)


その見えない能力なるものを信じて
それにも騙される事になるのではないでしょうか。


私が一番悔しく思うのが、


闇政府のやり口として
自分達の支持する人間を美化し支援し
神々しく奉る一方で


敵対する人間のことを極限まで
蔑めると言う手法を常套手段にしていることです。


多くの人間は闇政府の存在と
その傀儡たちの悪意に気がついていません。


そして目で見て耳で聞いて
それを知識と情報として納得し
自ら調べ考えることを怠ります。


結果、当初からの予定通り
人間心理と人間行動分析に長けた
闇政府の想定どおりに誘導されていく事にもなります。


専門家や多くの人間が騒ぎ立てている情報を受け入れ
多くの人間が信頼しているように見える人間を信じ
そこにこそ真実が存在していると思い込む。


しかしこの社会の実態を理解できれば
権力者や権威者がどのようなものであるか


そして真実の情報はどのような扱いを受けるのかも
理解できるはずなのです。


私達覚醒者はこの社会の中の
数少ない真理を知る人間です。


そしておそらくはその多くが
社会の中に多くの誤りが存在していることに気がついて
それに嘆いている存在でもあると思います。


多くの局面において
そんな意識は異端とされることでしょう。


でも多くの魂が創造主の意識から
かけ離れているこの時代ですから
それを嘆く必要はありません。


正しいことを正しいと認識する事の出来る
自分の自由意思(心)を誇ってください。


私達はエゴの自我だけでなくて
真自我をも利用して思考の出来る
真の覚醒者なのですから。。


私達は聖人にはなれませんが


自分の事を正しく理解して、
自分が取るに足らない存在であり
罪深い存在である事を素直に認めたときに
父の元へと帰った存在だと思います。


自称善人達に惑わされることなく
この社会を自らの意志で生きて行ってください。


闇政府の洗脳に負けないためにも
彼らにとっての脅威である
”強い意志”を決して捨てないで欲しいと思います。
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話はチラシの裏になりますが


昨日は心霊特集を見ていて
大いに笑っていました。


今までとは異なった視線をもてる様になった人間が
あのような番組を見ていると


非常にシビアな視線で幽霊なるものを
見つめることが出来るようになったのではないかと思います。


例えば心霊写真やビデオでは
なぜか”白い服を着た髪の長い女性”が多かったり


写っている幽霊と言われる存在が
とても不気味な顔(妖怪のごとく)をしていたり


いかにも
「幽霊とはこんなものですよ」


と言うマニュアルでも存在していて

それをそのまま表現しているような
そんな物が圧倒的に多いのです。


世界各地の映像を見ていて
もしかしたら幽霊にはマニュアルが存在していて


そのマニュアルと特定機器を使用する事で
幽霊なる現象を作り上げ
(想念の感受に関しては別ですが)


幽霊なる存在が画一的になっている可能性をも感じました。


アダムスキーは幽霊なるものが
サイレンスグループによって
人を不幸にするためにも利用されていることに
触れていました。


そして間違いなく多く存在している作り物のVTR。


私はハイテク科学力の使用を前提に
あの現象の粗全てをやらせと否定することが出来ます。


そんな実態よりも、そこで考えて欲しいことは
霊能者なるものが如何に胡散臭い商売であるかと言うこと。


彼らには霊能力なるものなど
存在しては居ないのです。


”心霊能力”という言葉を


”魂という存在を認識できる能力”であると
置き換えれば


彼らよりも私達精神を感じることの出来る
覚醒者こそが霊能者と言うことになります。


と言っても私達は世間一般に言われているような
能力を持っているわけではなくて
精神なるものを他の人間よりも感じやすいだけです。


そしてそれは誰もが本来持っている能力であり
特別な能力ではありません。


大体が、世間一般に霊能力と言われているもの自体が
そもそも根底から間違っているのです。


そこら辺の漂う霊魂の姿が見えると言う人間の
主張が本当ならば


彼らは強い精神感知能力を持っていて
あたりに渦巻く想念を感じている事になります。


しかしそんな人間であれば想念を強く受け止められるのですから
当然生きた人間の想念をテレパシーとして
常時受け止める事になるはずです。


でも彼らはテレパスではありません。


つまり彼らは嘘を言っていることになります。


彼らは霊能力者という役割を演じている人間。


幽霊なるものが存在していて
あたりに浮遊していると私達に思わせるための
担ぎ出されている御輿なのだと思います。