聖書のイエスキリストの奥義 改 | 不幸のブログ 

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三次元と四次元の狭間 に関しての記事と生命の科学と宇宙の法則
について語ります。


今現在は薬品プラス電磁波照射で
額が真っ赤にただれています。


見た目には汗疹のひどい状態。


汗で湿ったところに空気中に撒いた薬品をしみこませ
そこを電磁波で狙い撃ちです。

つまり電磁波工作員達はそんなことも
一般対象にもやっていると言う可能性があるわけです。


今年の夏は痒いと工作員が触れていましたし
皆さんもご注意下さい。


と言うことで私は異物による電磁波強化により
”今現在は”顔面照射に苦しんでいます。


この人間達の中には顔に拘りを持っている人間がいるので
ご注意ください。


メーソン組織にはあらゆる組織の人間が加入していますから、
今私への顔面照射をしているのは八咫鳥とは限らず、


他の民族や宗教の関係者かもしれません。


電磁波犯罪はとても人間関係が
入り組んで複雑になっていると思います。

P.M14:25



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生命の科学の理解者ならば
とてもよく理解できる内容でも


一般の人たちにはオカルトになってしまう。。。
そんな聖書の記述を時々紹介していますが、


イエスの奥義に関連して今日も以前取り上げた内容を
もう一度紹介しておきます。


この社会の中でユダヤ傀儡であるフリーメーソンが
キリスト教を完全に壊してしまう前に
少しでも広めておきたいからです。


(タルムードではイエスの弟子、
クリスチャンを皆殺しにしろとありますし、
真のイエスの教えと真のクリスチャンは彼らの敵なのです)


本来は全てのクリスチャンに覚醒を呼びかけたいところですが
多くの組織のトップにフリーメーソンが陣取っている状態では
それもままならないことでしょう。


生命の科学を理解している人達を意識して今日は記事を書きます。


個人的真理と異なる主張を受け流して聞くことが出来ない人間には
腹が立つだけの内容だと思いますので
そんな方々は読まないで下さい。


一番の大前提が理解できていない人間には
正しく伝わらないと確信しているからです。


そして一方、もう少しで生命の科学を理解できそうな方、
とりわけクリスチャンは


自分のすぐそばに真理が存在しているのだと言うことを
認識してすぐにでも覚醒して欲しいと思います。


真のクリスチャンであれば、今のこの社会の実態こそが
私たちにとっての大きな審判になるであろう可能性に
気がついてくれるはずです。


地球の法則の傀儡は、
最近は釈迦やイエスを異常者扱いしたり
その言葉の断片を局解するすることで


この偉大な聖人たちの教え全体の
信憑性まで下げようとしつつ


一方では科学の万能を主張したり
神の乱立を推し進めているようにも見えます。


そういえば掲示板のコメントで知ったのですが
聖書に関しては新しい翻訳が進んでいる気配です。


http://www.christiantoday.co.jp/article/4848.html


しかし勿論私たちが期待するように、


イエスの真意を汲み取り
その時代の背景と当時の人間の思考力を加味して


イエスの奥義の存在を前提に翻訳が進むことは
まず望めないと思います。


既存の価値概念はその時代の背景に照らして
マイナーチェンジをしたとしても

肝心なイエスの想いはそこには反映されることもないのです。


正しく聖書を理解できるのは私たちだけ。


私たちがこれを述べ伝えていかなければ
イエスキリストの真意は闇に葬られることになります。


それは地球の支配者達の予定通りの筋書きとなってしまいます。


以前にも取り上げたコリント人への手紙Ⅰの二章。


パウロがその弟子と思しき人間たちに向けて書いた手紙の中で
イエスの奥義に関して明確に触れている一節です。


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さて兄弟たち。私があなたがたのところへ行ったとき、
私は、すぐれたことば、すぐれた知恵を用いて、
神のあかしを宣べ伝えることはしませんでした。


なぜなら私は、あなたがたの間で、イエス・キリスト、
すなわち十字架につけられた方のほかは、何もしらないことに決心したからです。


あなたがたといっしょにいた時の私は、弱く、恐れおののいていました。


そして、私のことばと私の宣教とは、
説得力のある知恵のことばによって行われたものではなく、
御霊と御力の現れでした。


それは、あなたがたの持つ信仰が、人間の知恵にささえられず、
神の力にささえられるためでした。


しかし私たちは、成人の間で、知恵を語ります。この知恵は、この世の知恵でもなく、
この世の過ぎ去って行く支配者たちの知恵でもありません。


私たちの語るのは、隠された奥義としての神の知恵であって、
それは、神が、私たちの栄光のために、
世界の始まる前から、あらかじめ定められたものです。


この知恵を、この世の支配者たちは、だれひとりとして悟りませんでした。
もし悟っていたら、栄光の主を十字架につけはしなかったでしょう。


まさしく、聖書に書いてあるとおりです。
「目が見たことのないもの、耳が聞いたことのないもの、
そして人の心に思い浮かんだことのないもの。

神を愛する者のために、神の備えてくださったものは、みなそうである。」


まさに聖書に書いてあるとおりです。


神はこれを、御霊によって私たちに啓示されたのです。
御霊はすべてのことを探り、神の深みにまで及ばれるからです。


いったい、人の心のことは、その人のうちにある霊のほかに、
だれが知っているでしょう。

同じように、神のみこころのことは、神の御霊のほかにはだれも知りません。



ところで、私たちは、この世の霊を受けたのではなく、
神の御霊を受けました。


それは、恵みによって神から私たちに賜ったものを、私たちが知るためです。


この賜物について話すには、人の知恵に教えられたことばを用いず、
御霊に教えられたことばを用います。
その御霊のことばをもって御霊のことを解くのです。


生まれながらの人間は、神の御霊に属することを受け入れません。
それらは彼には愚かなことだからです。
また、それを悟ることができません。


なぜなら、御霊のことは御霊によってわきまえるものだからです。


御霊を受けている人は、すべてのことをわきまえますが
自分はだれによってもわきまえられません。


いったい、「だれが主のみこころを知り、主を導くことができたか。」
ところが、私たちには、キリストの心があるのです。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

以前よりも精神状態は悪化するばかりですし
精神の進化は進むどころか後退していますが


一方では深く地道な理解は心への置き換えの作業の中で進んでいるようで、
以前よりも理解が進んだと想い、再び引用してみました。


私の解釈は最後にあります。


これは私が室内でイエスの奥義を独り言で説明していたときに
頻繁に取り上げていたコリント人への手紙Ⅰの第二章です。


12使徒の主張として頻繁に取り上げられる
”信仰”なる言葉に抵抗があり
近年聖書を読むときもイエスの言葉しか読んでいなかったのですが


イエスの言葉は創造主の法=宇宙の法則に
通じるものがあることには気がついていました。


(今ではパウロの言葉から、”信仰”なるものは外に対しての祈りではなくて
自分の内なる創造主の意志を感じることであると
今では理解しています。)


しかし、久しぶりに(10年は読んでいなかったと思います)
使徒の手紙を読んでみたときに


そこにイエスの奥義が生命の科学と同じ物であることに
はっきりと気がつき、


アダムスキーの触れていた
「イエスは四次元を説明しようとしたが
今でもそれは正しく伝わっていない」という
生命の科学の中の一節の意味をはっきりと認識する羽目になりました。


そしてキリストの教えが
普遍的真理を述べ伝えているものであることを
確信するにいたりました。


今日はもう一度その内容を独断と偏見で解釈してみます。


生命の科学の理解者には
その解釈にあたっての大前提を
いちいち説明する必要もないのでとても楽です。


覚醒者であれば、おそらくは私の説明なしに同様の解釈、
もしくはもっと深い解釈をしてくれることと思います。


大前提となっているのはパウロが語っている
「自分の言葉は人間の価値観や知識を語っているわけではない」と言うくだりと


「創造主の意志を御霊で感じてそれを語るのだ」と言うところでしょうか。


生命の科学の理解者であればイエスの奥義とは
それが意識の経路としての心での理解を語る事ではなくて、


もう一つの意識の経路である魂を使用して、そこで創造主の意識を印象として感じ
それを語ることであると理解していただけると思います。


アダムスキーが原稿なしで延々と公演をし続けることが出来たのも
さまざまな質問にその場で応答できたのも

勿論アダムスキー本人がイエスの奥義を使用していたからだと思いますし


私達程度の覚醒者でも他人に生命の科学を説明しようとすれば
言葉は次から次へと閃きと共にあふれることもあります。


私は思考能力が今よりもまともで、
精神を感じる事を妨害される様になる以前は、


放置しておけば二時間でも
”独り言”を話し続けることが出来ました。


そしてイエスの奥義の極意は
それを他の人間に説明しようと語ろうとする時にこそ
その効力を発揮するものであることにも気がつきました。


ブログで記事として説明しようとしている時でも
思考能力と精神がしっかりしている時は
言葉が次から次へと脳に閃いていたこともあります。


そしてイエスの12使徒が福音を述べ伝えるときに
使用していたものこそがイエスの奥義であり


その正体は言うまでもなく
意識の経路を魂に向けることで
そこから印象として創造主の意志を感じ


それを言葉として述べ伝えることです。


つまりイエスの時代の福音は
イエスの奥義によって述べ伝えられていたと言うことです。


そして12使徒は更にその弟子に、

そしてその弟子も更に資質あるその弟子へと
その奥義と共に真理を述べ伝えていた事でしょう。


つまり聖書の極意は間違いなく”イエスの奥義”にこそ
在ったのだと言うことです。


しかし時間の経過がその奥義を退廃させたのか
もしくはそれを意図的に隠した人間でもいたのかもしれません。


おそらくは元々のキリスト教は
輪廻転生を当たり前としていて、マリア様信仰など存在せず、
イエスキリストの神聖など問題とはされていなかったはずです。


イエスの奥義なる言葉が聖書に記述されていても
それを現実に実践できる人間は現にこの社会には居ないのは


元々のイエスの教えが捻じ曲げられ続けてきたことを
物語っているのではないでしょうか。


そして新訳聖書のイエスの意志は
その後もどんどんと歪めて解釈されるようになった。


さらに宗派ごとに独自の戒律まで設けられることにもなります。


そんな状態では、
イエスの奥義を知っている相手に対して
その前提で語っているであろう使徒の手紙などは


意味不明で理解不能な内容であふれる事になるはずです。


しかし私達は、自分の知識を持って
それを無理やり解釈しようと勤めることになります。


物事の認識の尺度は自分達の知識と思考能力に
頼ることになるからです。


その結果、聖書の記述を額面どおり受け止めて
その記述どおりの教えとして実行してきたのだと思います。


パウロが”信仰”が大切だと言えば


それを神を褒め称え神へと願いを掛けること、
神を拝むことだと受け止めそれを実践する。


御霊と言う言葉がでれば、
精霊という言葉が出れば、
それを創造主と独立した神の別の実態であるかのように捉える。


しかし大元を理解している私達には
オカルトでもなければ理解不能でもない
生命の科学の基礎的な内容そのものでもあります。

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そしてイエスの奥義に大切なことは
左右の脳の思考能力のバランスでもあるようです。


以前は覚醒者は左右の脳のバランスが良い人間だと言う話をしましたが
その意見は今でも変わりません。


左脳が動いていたとしても右脳が低下させられれば
それだけでも私達は魂を強く意識することは出来ないようです。


左脳中心社会でのエリートは
右脳が働いていないのであれば
覚醒することは出来ないことになります。


科学重視主義の人間の多くが
自らは不思議な体験をしたことがないのは
そんな実態とも無関係ではないはずです。


彼らは左脳にこだわり右脳を退化させているからです。


そして今現実社会で続いている
地球の法則の立役者ユダヤ長老会サンヘドリンと
その傀儡達はみな


電磁波というハイテク科学をも利用しては
私達の脳を壊し続けているのですから
私達はどんどん覚醒から遠ざかり


強いては創造主の意識からかけ離れることにもなります。


一方では思考能力を壊し脳機能を左脳に特化するような社会が
半ば意図的に作り上げられてもいます。


それに疑問を感じることなく
そっくり受け入れることで私達は創造主の予定していた存在とは
かけ離れた人間へと変貌していく事になるはずです。


地球の法則の目的は
どうやら唯一神としての創造主の否定だと言うことの様です。


科学を重視して見せて人間こそが神であると誘導したいのか、
もしくは自分達の拝んでいる唯一神とは別の神を
拝ませることを目的としている可能性もあります。


(以前はフリーメーソンメンバーに
全ての宗教の神の上に自分達の神が存在していると
教えていたようです。だからこそ神を信じていることを
以前の入会資格としていたようですが。。)


黙示録そのまま、もしくは見えない実態が
それよりも実態は過酷なこの社会で


創造主の意志にしがみつくことの大変さを
私は今日々苦しみの中で体験していますが


誤った思想を持った人間達が今何をしているかを理解できれば
私達はその轍を決して踏んではいけない事も
判って頂けると思います。


私の解釈です。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

さて兄弟達、私が貴方がたのところへ福音しに行った時に
私は自分の心で考えた説得力のある言葉や知恵を用いて、
創造主の意志を述べ伝えようとはしませんでした。


何故なら私は貴方がたへの福音に関しては、
イエスキリストすなわち十字架に貼り付けられた方の教え以外は
何も参考にしない事に決めたからです。


貴方がたと一緒に居た時の私は
(創造主の意志を正しく伝えることが出来るかどうか心配で)
自信がなくて恐れおののいていました。


そして私の言葉と私の宣教とは、説得力のある、
心の思考に基づく知恵の言葉によって語られたのではなくて、

御霊としての魂に対して伝わる創造主の意志の現れでした。


私がそんな手段を取ったのは、貴方がたが持つべき信仰が
人間の心を持って作り上げた知識によって支えられるのではなくて、
神の意識と意志によって支えられるものとするためでした。


しかし今私達は、思考の成熟した大人に対して知恵を語ります。

この知恵は、この社会で人によって作り上げられた知識でもなく
この世から過ぎ去っていく支配者たちの知識でもありません


私達の語るのは、隠された奥義としての神の知識や意志であって
それは創造主が私達の進化のために、この地球社会が始まる以前から
あらかじめ法則として定めていたものです。(宇宙の法則)


この創造主の知識と意志を、この世の支配者達は誰一人として
理解することが出来ませんでした。


もしも理解できていたならば、
創造主の栄光を現していた偉大なる主人(マスター)イエスキリストを
十字架に貼り付けたりはしなかったでしょう。


しかし、聖書に書いてあるとおり
「目がまだ見たことのないもの、耳がまだ聞いたことがないもの


人が心に思い浮かべたことがないものを、
神はご自身を愛するものために皆備えられていた」のです。


神はこれを御霊(創造主の意志としての想念)として私達に啓示されたのです。


創造主からの意志(御霊=精霊)はすべての事を知っていて、
神の意志全体に及ぶものだからです。


一体、人の心の思考はその人の内にある心の他に
誰が知っているでしょう。


同じように神の意志は
神の御霊以外には誰も知りません。


(それを私達は奥義を用いて神の御霊の分身である
私達の魂から引き出しているわけです)


ところで私達はこの世の想念を印象として受けたのではなくて
創造主からの想念を印象としてうけました。


神からの恵みとして私達が受け取ったものを、
それが神から与えられたと言う事を私達が理解するためです。


この創造主の意志について語るには、人に教えらた知識や知恵を語るのではなくて
御霊=魂に教えられた知識や知恵を用います。(イエスの奥義)


御霊=魂からの印象を持って創造主の意志を語るのです。


生まれながらの人間は、自分の魂が神の魂に属する事を理解できません。


自分の魂が創造主に属すると考えることは
その行為は人間にとっては人を神と同等にみなすことになり
愚かなことだと判断されるからです。


そしてその事に気がつく事も出来ません。


なぜなら生まれながらの人間は、心を意識の経路として感じているために、
もう一つの経路である魂によって認識される創造主の意識は理解できないのです。


創造主の意識を感じている人間はすべての事を理解し認識できますが、


本来心を持って生きている私達は
他人の手を借りてもすべての事を理解し認識する事はできません。


一体、過去において誰が主の御心を知って
主の意志を私達に知らせる事が出来たでしょうか。


ところが私達の中には創造主の英知としての真理があるのです。


(もしくは、イエスから述べ伝えらた方法としてのイエスの奥義があるのです)


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こんな解釈になりましたが
以前よりは理解が進化しているでしょうか?


私は自分の精神の進化についてはもう諦めています。


私程度の器の人間では
この環境では不可能だと思うからです。

(その上に科学力でも脳をいじられますし
気の流れをも封じられていることが多いのです)


でも自らの進化が止まっていても
私にはまだ出来ることがあります。


その事を生ある限り精一杯やることが
私にとっての今世の役目であると思うことにしています。
(フリーメーソンの実態を暴くとか。。)


皆にも皆の役目と出来ることがあると思います。


それは本来私が強要するものでも
危機意識を感じて実行するものでもないと思います。


魂からの印象を感じているのであれば
それに従えばよいだけの話だと思います。


(私のように科学力でマインドコントロールを受けている場合は
誤った方向に誘導されることもありますのでご注意を)


地球の法則とそれを信奉させようとするサンヘドリンと
その傀儡と化した人間達こそが、


イエスキリスト時代のパリサイ派の意識の延長にいる存在であり
アダムスキー時代のサイレンスグループであることを理解して


その意志を継ぐ人間達にだけは絶対に服従しない、
そのことだけは意識して欲しいです。


【地球人の苦悩を光の前の暗黒の様に消すために
宇宙の創造主を地球の道しるべにしよう】


その暗黒を意図的に濃くし続けている人間達に
私達は真理の欠片という小さな光で立ち向かうことになります。
(私達の気がついた真理は砂のごとく小さきものだからです)


でもその砂のごとき小さな真理が
時には広大な砂漠から別の真理の欠片を見つけてくれる
手助けになることに私達は気がついています。


真理の欠片を持つものは、創造主の意志に関しては
決して騙される事がないということです。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
P.S


自分のブログへのアクセスまで妨害する心無い人間達が
義や真理と無縁であろう事は想像がつきますよね。


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