天国(霊界)の謎が解けた | 不幸のブログ 

不幸のブログ 

三次元と四次元の狭間 に関しての記事と生命の科学と宇宙の法則
について語ります。


今日もコメントが長いので

興味ない方は本題から読んでいただければと思います。


大切な記事なのでしっかりと仕上げようと思ったのですが
記事の手直しの最中にも
脳への思考妨害の電磁波が強化されて来たので

その辺はご了承ください。


私へのユダヤの傀儡達の攻撃は
HAARPの動きと連動しています。


抵抗するにもそろそろ疲れてきたので詳細には触れません。


この社会の実態に気がついていない方は
詳細をこちらでどうぞ。


http://ameblo.jp/uruseiblog/entry-10912028420.html
電磁波との究極の戦い
http://ameblo.jp/uruseiblog/entry-10923924928.html
CIAのマインドコントロール
http://ameblo.jp/uruseiblog/entry-10919169112.html
国家機密のマインドコントロールVOL1
http://ameblo.jp/uruseiblog/entry-10921459066.html
国家機密のマインドコントロールVOL2
http://ameblo.jp/uruseiblog/entry-10925224223.html
国家機密のマインドコントロールVOL3
http://ameblo.jp/uruseiblog/entry-10929208654.html
国家機密のマインドコントロールVOL4
http://ameblo.jp/uruseiblog/entry-10929681307.html
国家機密のマインドコントロールVOL5
http://ameblo.jp/uruseiblog/entry-10930533358.html
国家機密のマインドコントロールVOL6
http://ameblo.jp/uruseiblog/entry-10931542806.html
国家機密のマインドコントロールVOL7
http://ameblo.jp/uruseiblog/entry-10937115720.html
国家機密のマインドコントロールVOL8


http://ameblo.jp/uruseiblog/entry-11028011739.html
究極の関与その1
http://ameblo.jp/uruseiblog/entry-11029850727.html
究極の関与その2
http://ameblo.jp/uruseiblog/entry-11034356140.html
究極の関与その3
http://ameblo.jp/uruseiblog/entry-11034358787.html
究極の関与 VOL4
http://ameblo.jp/uruseiblog/entry-11048576169.html
究極の関与 VOL5
http://ameblo.jp/uruseiblog/entry-11034363279.html
究極の関与 VOL6
http://ameblo.jp/uruseiblog/entry-11034365058.html
究極の関与 VOL7
http://ameblo.jp/uruseiblog/entry-11034366779.html
究極の関与 VOL8

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

地震情報(震源・震度に関する情報)


平成24年4月25日5時32分 気象庁発表
きょう25日05時22分ころ地震がありました。


震源地は、千葉県東方沖(北緯35.7度、東経140.9度)で、震源の
深さは約60km、地震の規模(マグニチュード)は5.5と推定されます

[震度3以上が観測された地域]
震度4 千葉県北東部
震度3 茨城県北部 茨城県南部 栃木県南部 群馬県南部
埼玉県北部 埼玉県南部 千葉県北西部 東京都23区
東京都多摩東部 神奈川県東部
[震度3以上が観測された市町村]
震度4 多古町 横芝光町
震度3 水戸市 日立市 笠間市 ひたちなか市 東海村 小美玉市
土浦市 石岡市 結城市 龍ケ崎市 下妻市 取手市
つくば市 茨城鹿嶋市 潮来市 美浦村 阿見町 河内町
坂東市 稲敷市 筑西市 かすみがうら市 神栖市 行方市
桜川市 鉾田市 常総市 つくばみらい市 佐野市 真岡市
益子町 市貝町 高根沢町 下野市 桐生市 加須市
春日部市 宮代町 さいたま緑区 東金市 旭市 千葉神崎町
東庄町 九十九里町 芝山町 匝瑳市 香取市 山武市
千葉中央区 千葉花見川区 千葉稲毛区 野田市 成田市
千葉佐倉市 市原市 四街道市 八街市 印西市 富里市
東京台東区 東京墨田区 東京江東区 東京荒川区
東京板橋区 東京足立区 東京葛飾区 東京江戸川区 町田市
横浜鶴見区 横浜神奈川区 横浜都筑区
この地震による津波の心配はありません。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

http://www.haarp.alaska.edu/cgi-bin/magnetometer/gak-mag.cgi


ここ数日のHAARPの動きにしては
エネルギーが小さいのが気になるので


近日中に日本もしくは諸外国で
大きな地殻変動・気象変動があるかもしれません。


社会情勢の大きな変化?ともいえるものはこれです。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

日韓が軍事情報を共有へ 5月にも秘密保全の覚書


関連トピックス北朝鮮 金正日 [PR]

 韓国国防省は、韓国軍と自衛隊との間で軍事情報を共有するために、
その前提となる防衛秘密の保全手続きを定める協定を了解覚書
(MOU)の形で結ぶ方針を固めた。


金寛鎮(キム・グァンジン)・国防相が軍事情報包括保護協定(GSOMIA)と
物資などを融通し合う物品役務相互提供協定(ACSA)のMOU締結に向け、
5月中にも訪日する見通しだ。


 日韓関係筋が明らかにした。MOUは正式協定の前段階だが、
運用上の大きな違いはなく、北朝鮮の長距離弾道ミサイルの発射実験など
相次ぐ軍事挑発を背景に、日韓が本格的な防衛協力に踏み出すことになる。


 関係筋によると、日韓ともに米国の同盟国ではあるものの、
現状では北朝鮮関連の情報の共有などは一定の範囲に制限されている。


日本側にとっては特に、韓国側が持つ、
人の力による北朝鮮関連の情報(ヒューミント)が共有されるメリットがある。


また、ACSAが結ばれれば、国連平和維持活動(PKO)の現場などで、
日韓が燃料や食料を提供し合うことが可能になる。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

うわべは北朝鮮に対しての情報や連絡を密にして
防衛に生かすと言う名目なのでしょうが、


私は朝鮮半島が闇政府に利用されていて
日本の目くらましをしている事に気がついているので


これは事実上闇政府の傀儡たちの
軍事面からのアジア統合の第一歩といえそうな気がします。


つまりは日本の中のサンヘドリン傀儡と
韓国の中のサンヘドリン傀儡が


手を繋いで独自路線へと人々を誘導していく
その兆候が現れていると考えて良いのではないでしょうか。


迷惑なのは北朝鮮の一般市民を筆頭に
善良な日本市民、さらには韓国市民という事になると思います。


日本の中の朝鮮半島に拘る人間たちは
事実上ユダヤ教徒パリサイ派サンヘドリンに
魂を売ったような状態になっている気もしますし


日本政府や警察、自衛隊、官僚などのトップクラスの人間は


その素性はともかく、
サンへドリンの傀儡と化していること
間違いないと思います。


社会改悪がさらに進んでいく可能性を感じ
その社会の中で一番住み難いであろう立場の日本の一般国民には
これから苦難の時代が来ることになるでしょう。


そこでうまく立ち回るには


目立たないこと、
朝鮮半島を批判しないこと
親米を装うこと、


それから陰謀論と言われている闇政府の策略には
触れないことなのかもしれません。


広報を進めたい人間としては
正直どう触れて良いのか困っています。


皆が生命の科学や聖書の真意を広報するだけでは
本来この社会で起きている現象ではない
精神思考領域の神の領域(四次元)の側面だけを
紹介することになりますし、


かといって全ての理解を推し進めると
かなりの圧力がかかることになります。


私には、全ての現象を見つめて、その都度に精神の囁きを聞いて
その閃きを信じて行動してくださいとしか言えません。


皆に関しては、まずは地球社会の裏の実態を、
心をもって理解できる側面として認識しておくことが大切で、
同時に精神と言うもう一つの領域を意識し続けてほしいです。


http://ameblo.jp/uruseiblog/entry-10940371530.html
太田龍さん関連記事リンク


http://ameblo.jp/uruseiblog/entry-11172181276.html
シオン長老会 サンヘドリンVOL1
http://ameblo.jp/uruseiblog/entry-11174856045.html
シオン長老会 サンヘドリンVOL2
http://ameblo.jp/uruseiblog/entry-11173254604.html
シオン長老会 サンヘドリンVOL3
http://ameblo.jp/uruseiblog/entry-11173255357.html
ユダヤ長老会 サンヘドリンVOL4
http://ameblo.jp/uruseiblog/entry-11174226466.html
ユダヤ長老会 サンヘドリンVOL5
http://ameblo.jp/uruseiblog/entry-11177044315.html
ユダヤ長老会 サンヘドリンVOL6
http://ameblo.jp/uruseiblog/entry-11177045361.html
ユダヤ長老会 サンヘドリンVOL7
http://ameblo.jp/uruseiblog/entry-11187361762.html
人工地震~戦争への誘導
http://ameblo.jp/uruseiblog/entry-11177046473.html
ユダヤ長老会 サンヘドリンVOL8
http://ameblo.jp/uruseiblog/entry-11177828634.html
ユダヤ長老会 サンヘドリンVOL9
http://ameblo.jp/uruseiblog/entry-11185662013.html
ユダヤ長老会 サンヘドリンVOL10


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

ここからを本題とします。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

昨日聖書の記事を書こうとしていた時に閃く物があり
それを室内で盗聴されていること前提で
生命の科学と聖書の引用時に説明していました。


リアルタイムで加害者組織母体はそれを聞いていると思うので
早々と利用されている可能性もありますし


今日はその内容を紹介しておこうと思います。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

先日、死後の世界について閃く事がありました。


「どうして私達は死後の世界なる物の存在を
容易に受け止めて信じてしまうのか?」


「そして死後の世界を体験したと言う人間達は
何を持ってそれを天国と捉えそのような主張をするのか?」


と言うことについて考えていた時でした。


そもそも私達は死んだと言う経験を
記憶として持ってはいませんし、


死後の世界を体験したと言う方々にしても
それは自らの臨死体験を人々に触れているに過ぎません。


そう考えた時に生命の科学の理解者ならではの
発想が浮かびました。


それに触れる前に、
天国なるものを私達が誤解するきっかけとなっているであろう
聖書の記述を引用します。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
コリント人への手紙Ⅰ15章50節


兄弟たちよ。私はこのことを言っておきます。
血肉のからだは神の国を相続できません。
朽ちるものは、朽ちないものを相続できません

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
ここでの記述によればパウロは”血肉の体”では
神の国を相続できませんと触れていますし


それを真に受けると
「私達は霊魂にならなければ天国にいけない」


と解釈することになります。


もちろん生命の科学を理解してくれている方は
ここでの記述が、他の意味を持っていることに
気がついたかと思います。


朽ちるものは肉体であり、
私達が肉体を持って培った心の価値観でもあります。


永遠の命は朽ちることのないものですし
それは私達の精神でもあります。


半永久的に(例外はありますが)生存している
私達の精神こそが私達の真の自我であり


それに従うことで私達は記憶を持った
転生へと進むことができました。


そしてそれこそが永遠の生であることを
私達は理解しています。


しかし、イエスの奥義を理解していない人間が
ここの記述を読めばおそらくは


「死んで魂にならなければ天国にはいけない」


と解釈したことでしょう。


結果、私達は臨死体験者の言葉と合わせて
心を持って天国のイメージを作り上げてしまったのだと思います。


永遠の命は朽ちないものです。


それは私達が父の元に戻る事で実現されるものでもありました。


そしてそれを実行可能とする条件は
私達が肉体を持って、心をもって生きるのを止めることでした。


更には私達は一度死んで転生しなければ永遠の道へと
入ることもできません。
(宇宙的啓示を受けて過去の記憶を取り戻した場合は別ですが)


一旦今もっている肉体は滅びることになるのです。


朽ちるもの(今の肉体)は朽ちないもの(永遠の生)を相続出来ない。


朽ちるもの(心)は朽ちないもの(永遠の生)を相続出来ない
そう捉えれば良いのだと思います。


精神という私達の魂の側面、

そしてそれがつかさどっている四次元の領域。


それを理解できないで
イエスの語った、そして12使徒がイエスから与えられた
奥義を持って触れた内容を


私達は正しく受け止めることはできないと言うこと。


”心”を持って”御霊の言葉”なるものを
解釈することはできないと言うことです。


判り易く説明したつもりですが、
理解できない方に関してはまずは”生命の科学”を学んでみてください。


前提知識が必要だからです。
http://ameblo.jp/uruseiblog/entry-11173905111.html
最新記事リンク 生命・精神


そしてこの引用の文の後に
イエスの奥義を知っている人間であれば
絶対に言わないような内容が連なっています


それに関してもクリスチャンの理解を妨害する内容となっているので
できれば取り上げて改ざんの内容であるという趣旨で
記事にして紹介できればと思っています。


キリスト教が、いかに聖書の改ざんや
誤った価値観にとらわれているかと言う事の
説明と併せてです。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

以前、私は自らの幽体離脱らしき体験に関して
記事で取りあげた事があります。


夜間に寝ている間にふと気がつくと
空中に浮かんだ状態で
ベットに寝ていた自分を見つめていて、


当初はそれを夢の出来事と思っていたのですが、
その体験の最中に部屋を見渡したことにより見つけた
通常の室内とは異なったある違いに気がついて


(それまでそこには無かった
ステレオの上においてある紙袋の存在)


翌日それが単なる夢ではなかったと認識したと言う話でした。
(私が寝ている間に母親が置いたハンカチ等の袋だった)


私は夢なる物の機能を、もちろん理解していますし


それが記憶の整理に必要なものであること、
短期記憶を長期記憶へと誘導するためにも必要な
作り上げられたイメージであることをも知っています。


心に与えられた刺激を強く表現する場でもあると思います。


私は、時には夢の中でそれを夢と知ることが出来て、
そこからめざめるために高いところから飛び降りたり


時にはそれが夢だと気がつくと
意図的に空を飛んだりしていたという
”元”夢の達人としての?知識もあります。


もしも夢というものが
心の動きと脳の記憶が生み出すものだけに
依存するのであれば


私達の夢には心を持って体験した記憶で、
脳へのこされている情報のみが描写される事になると思います。


しかし夢の中には自らが行った事もなければ
見た事もないような場所や風景が現れたり、


見た事も会った事も無い人物が登場する事もあります。


(科学力を持って見せられる人工夢を除いてです。
それは深層心理といった深い意識に植えついた記憶だと
説明する人も居るでしょうが


今度は深層心理なるものは一体何なのか?
と言う話になります)


それが何を意味するのかと言うことです。


アダムスキーは、
「夢の中には自分の過去世の姿や
その時代に側にいた知り合いなどが出てくる事もある」


と言っていましたし


もしかしたら前世での体験による記憶が、
そこで精神から引き出されているかもしれない可能性を感じています。


寝ている時は心が殆ど暴走できない状態にあるはずだからです。


その状態で見る夢は、
脳の記憶や精神からの情報をこそ多く受け止めて
映像化されているのだと思いますし


私達の心の動きは反映され難いのだと思います。


ただ、私の体験では、心が動くたびに夢の内容は乱れ
時には出てくる人の風貌まで変貌するようです。


つまり睡眠状態の時には
精神が私達の主人となっていて
夢の主役は精神であり


それに時々心が動いて修正を加えている
可能性があると言うことです。


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

ところで、天国を見てきたと言う方々に関して強調して置きたいのは
第一に【彼らは死んではいない】という事です。


病で心肺停止や呼吸停止になったような人であっても
そうではなくて、単に突然事故で死と直面した人であっても


彼らは天国を見て来たと表現出来ているのですから
結果的には死んではいなかったのです。


つまり彼らは死んでは居なかったのですから
死後の世界など見て来れるわけがないということ。


「では天国を見たと言う人が
決まって同じようなイメージを持っているのは何故なのか?」


と言う話になりそうですがそれも説明できそうです。


日本で言えば昔の極楽のイメージは
お釈迦様が住んでいて蓮の花で一杯満たされていて
雲が流れている社会と言うもので、


天国に行く前には三途の川なるものが
存在することになります。


三途の川の渡し賃まで必要だった用です。


そして欧米社会であれば
天国には白装束で年配の顎鬚を携えた神が存在していて


その横には頭に輪をつけて翼を生やした
天使が控えていることになります。


日本社会の臨死体験者は
多くが前者の”イメージ”を感じ取っているのでしょうし


クリスチャン社会の人間であれば
後者のイメージを持つことになります。


天国は宗教によって異なるのでしょうか?


そうではなくて、それは彼らが心を持って作り上げている
既存の価値観をイメージとして作り上げた、


もしくは心をも使用しては、
肉体が臨死を迎えていることを思い出して
自分の死を意識して作り出したイメージである可能性があるのです。


臨死と言っても彼らは結局は死んでは居なかった。


彼らは死んでは居なかったのですから
彼らがその時感じていたのは”心の価値観”と
”精神の意識”だと言うことになります。

彼らは臨死に当たり肉体は動いてはいなかった
眠っていたわけですから、
その時の主役は”精神”のはずです。


つまりその時私達が主として使用しているのは
肉体の価値観であり三次元を感じるものとしての”心”ではなくて
”精神”だと言う事です。


幽体離脱にも臨死体験も共通しているのは
肉体が寝ている状態で精神は100%起きている状態だと思います。
(精神は24時間寝ませんし永遠の存在です)


つまりは心の暴走が止まっていて
精神が起きている状態であると考えられるわけです。


そして勿論、精神を通じて私達が感じる事になるのは
四次元を通じての”想念”や”閃き”、
更には神の意識から受け止める”印象”などです。


つまり臨死体験や幽体離脱で、
私達が見てくる死後の世界や天国の正体は、


精神という感覚器官をもって認識した、
四次元社会の中での何らかのイメージだと言うことになります。


それはもしかしたら、地球上に漂う
イメージとしての天国を精神で受け止めて
それを脳で映像として認識するのかもしれませんし、


私達は元々が天国はとても美しいという先入観を
与えられていますから、


神の領域で美しい神の想念を精神で感じて
それに自然のような美を感じ、


その想念に自らの価値観なる心の動きを合わせ作り上げた映像をみて
それを天国だと信じているのかもしれません。


臨死体験をした多くの人が見ているのは
”天国”とは断定できなくて


「何か美しいものだった」


と言うのが正確な話だったと思います。


神の意識はいうまでもなく美しく神々しいものだと思います。


四次元の中の神の意識に触れた人間が、
もしくは精神を通じて、映像や見た事のない美に触れた人間が
それをもって天国であると受け止めるに至った。。。


そんな可能性を感じることになりました。


もう一つ触れれば
アダムスキーは私達が閃くような物の全ては
この宇宙のどこかに存在していると言っていました。


そしてそれをも神の記憶、神の意識から
私達は受け止めることが出来て
それが発明や発見にもつながると言う説明でした。


もしかしたら宇宙のどこかに存在している
(例えばアダムスキーは景観であれば
土星は天国そのものだと触れていました)


美しい空間をそこで受け止め
天国と思い込んでしまった可能性もあります。


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

天国に関連して、もう一つ気になっているのは
”最後の審判”とも居える魂の判定についてです。


日本では閻魔大王が私達の魂を見定めて
それを天国と地獄とに振り分けると言われていましたし、


キリスト教社会では神の審判があり
それで天国に行くか地獄に行くかを決められることになりますし


これも共通点はありますが
それぞれが私達の心の価値観に由来していると思います。


アダムスキーも、地獄なるものは存在してなくて
それは私達に信仰を持たせるためのアメ(天国)と鞭(地獄)
であったとブラザースマスターの話を引用していました。


私達は恐怖を優先的に感じる社会に生きているので
いつしかその概念を信じるようになり
それが未だに続いているのだと思います。


しかしながら魂の裁きなるものは間接的には存在しています。


私達の理解している”転生の法則”によってです。


私達の魂は何らかの評価をされることで
地球での転生、もしくは他の惑星への転生、


最悪の場合は消滅をも迎えることになるわけですが
そこでは法則が機能すると思います。


人間の価値観としての”最後の審判”に関して気になっているのは


「その時に自らのこの人生を振り替えさせられ
その人生を走馬灯のように受け止めることになる」


という話です。


おそらくはこの話は
私達が魂として精神をもって神の世界を漂った時に


アカシックレコードを通じて自分の人生の記憶を
そこから引き出すと言う話とは無関係ではないと思います。


つまりこれも私達の精神の働きと言えると思います。


ただ、四次元社会には三次元社会の時間概念が
通用しないはずですし、

(想念なるもの、テレパシーに距離は関係ないように)


転生にあたり法則が機能するに当たり
その時に私達がアカシックレコードのようなものを
見ることになる可能性は否定できません。


三次元社会では3秒であっても
四次元社会では時間の概念が異なるから


そこで何が起きているかまでは
肉体を持って私達は理解することができないからです。


(もしかしたらすでにそれをも
イメージとして受け止めている方も
居るのかもしれませんが。。)


しかしながら明言しておきたいのは
天国と言う場所、霊界としての天国は存在しておらず、
(魂の控え室みたいなものがないとは限りませんが)


私達は死んだ時には転生の法則を通じて
そこから地球もしくは別の惑星へと別の肉体に
生まれ変わる事になるはずです。


そしてイエスキリストが触れていた
天国なる存在は勿論誤解されていたのです。


永遠に生きると言うことは肉体を持ってしては不可能ですし、
人々は天国を魂の国であると信じてしまったのです。


そして私達がそこから想像したであろう事は
死んで魂だけの存在になったときに


神の側に行ってそこで永遠の時間を
すごす事になるというものだったわけです。


しかし実際の天国は
肉体を持った人間の社会として実在していた。


それは確かに”天”に存在していて、


私達よりも遥かに寿命の長い人間達が
病もなく、争いもなく、自然と調和しながら
平和に暮らしている社会でした。


しかし彼らも肉体は朽ち果てますし
結局はその肉体を持って永遠を生きるわけではありません。


永遠を生きているのは私達の魂の側面である”精神”でした。


それは肉体が滅び、心の記憶がなくなった状態であろうと
半永久的に継続する神の分身です。


肉体を持っては永遠なる命へは入れないという
聖書の表現ですが。


私達は肉体をつかさどる心にとらわれている間は
そこへと進むことは出来ませんでしたし


永遠の生を意識するためには
記憶を持っての状態での転生が必須でもあります。


そして私達がもう一つ理解しなければならないこと、
それは私達の魂を磨くのは肉体を持っての経験であるということです。


私達は肉体を持っているがゆえに
心地良さや快感や不快感や苦痛や痛みなどを感じる事になります。


それらは精神の領域である四次元では
体験できないものだからです。


肉体を持って体験することを精神を持って分析することで
私達は始めて進化を体験することになるのです。


つまり私達の進化はこの肉体を持って暮らしている
三次元で起きているのです。


そして精神と心を併せてあらゆる経験を繰り返すことで
私達は地道に進化していき、


記憶を持った転生を繰り返すたびに
私達の脳の使用領域も増えていく。


そして究極的には私達が限りなく神に近づく事が
創造主が私達人間に期待していることでした。


更にその知恵を持って
”万物の高度な調和の表現をしてくれることを神は期待している”
と言うのがブラザーズの話でもありました。


私達の魂の両面である心と精神、


そしてそれぞれが生きている世界である三次元と四次元、


これらを正しく認識して
それを意識して神秘を見つめたときに
また一つ不可思議な現象を説明することが出来た。


この記事に関して
私はそのように受け止めていますが如何でしたか。

【地球人の苦悩を光の前の暗黒の様に消すために
宇宙の創造主を地球の道しるべにしよう。】


こうやって暗黒の原因となっているものが
一つ一つ解き明かされていき
私達は真の自分の姿を認識することになる。


そのことが強いてはこの社会の改善へと
繋がっていくのだと思います。


私達の神は遠いところにいるのではなくて
自然の中、そして私達の中にこそいるのです。


このことを皆に伝えよと言っていたオーソンさんの意志を、
私達が実践していきましょう。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

P.S.

「見えないものを信じることができるものは幸いです。」

イエスのその言葉の真意は、四次元と言う
精神思考領域、神の意識とエネルギーの領域を
理解しろと言う意味だったと思います。