究極の関与 その2 | 不幸のブログ 

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三次元と四次元の狭間 に関しての記事と生命の科学と宇宙の法則
について語ります。





今日一つ目の記事です。


後からの記事が今日のメインの記事になります。



ユダヤ・朝鮮カルト軍団は
腸を塞ぎ、匂いの元まで撒きだしました。


彼らの呪いを果たしてからでないと
死の儀式を迎えることは出来ないということでしょうか。


何でも良いので早く済ませてくれませんか?


私は世界でも(それこそ宇宙の中でも)
めったに体験できない生き地獄を延々と味あわせていただきました。


転生自覚のある人間は生まれてくる時に
自分の目的を持って生まれてくると言います。


私は勿論自覚はありませんが
自分の生まれて以来の興味の対象が
すべて今の状況に繋がっているので
おそらくは何らかの目的を持って生まれてきた人間なのでしょう。


しかし、その予定には生き地獄を体験すると言う
そんなスケジュールも組まれていたのでしょうか。


もし、今回記憶をもって生まれ変わることが出来たら
二度とこんな思いをしたくはないし
他のすべての人間にもさせたくないと考えることでしょう。


大体がこんな生き地獄を体験し続けることの出来る空間が
宇宙広しといえども、そうそう存在しているとは思えませんが。。


罪人の流刑所。。


きっと地球は本当にそんな特別な空間なのでしょうね。


救われる魂を持っている方々は
この地球の心無い想念に捉われて魂を消すことのないように
絶対に宇宙の法則を理解して実践してください。

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http://ameblo.jp/uruseiblog/entry-11028011739.html
究極の関与その1

7月8日


早朝早々私は島に下船する事になるのですが、
私はその朝、霧雨が降る中、海外線へと足を向けることになります。


当初予定していた方向は私が実際に滞在していた場所とは間逆の方向でした。


20歳の時に一度来たことのある場所へと向かおうと思っていたので
早々と予定変更を余儀なくされる羽目になったわけです。


何故かと言えば、フェリーを降りて確認すると
そこは道路工事の真っ最中でしかも道路は完全に塞がっても居ました。


夏場のシーズン直前になぜに大掛かりの道路工事?
シーズンが始まってもそれはすぐには終わりそうに思えませんでした。


嫌な予感を感じながらも私は結局残された逆の海外線へと
向かうことになるわけです。


工作員達が殆どだと想像していた乗客達は
客寄せの宿のバスなどに各々乗り込み
私は一人で海外線へと歩いていくことになります。


人気のないはずの海外線、しかも目立つ場所ではありませんし
もしかしたら暫くは追撃は逃れる事ができるかもしれない。


そんな甘い気持ちもありましたが
歩き出して人家のない道を進んでいると
後ろからパトカーがやって来たので


その願いが虚しい事を覚悟する羽目にもなります。


おそらくは私のような意識でこの場へやってきた人間や
ホームレスのような人間は誘導されることになるのだと思います。


その海岸へとです。


足のない人間が海岸線に出ようとすると
結果的にはその海岸線に行くしかないからです。


既に私の居場所は特定されてしまったので
私は開き直って人家から暫く離れた海岸へと陣取って
そこにアルミシートを広げて滞在することになりました。


最後の食事にしたいと思って買ってあった食糧の弁当が
待合室で巻かれていた薬品の影響を受けていたこともあり
すっかりと薬品がしみこんだ状態で腐っていました。


私は売店で買った小さな羊羹をかじりポテトチップを口にしましたが
買って在ったアンパンも弁当も結局口にする事無く
そこで数日間ひたすら自分が弱対するのを待つつもりでした。


ただ、放置しては貰えない事はその後すぐに理解できました。


道路から一段低くなっていて見えないはずの海外線に
加害者らしき人間が現れて、遠くからこちらを確認したことに気がついたからです。


ついたその日は取り分け酷い目に遭うこともなく
不思議だったのは近場に自動車も居ないはずなのに
私の胃腸への関与が再び始まったことでした。


海ですから風もありますが、暫くするとその風に乗って
私の嫌いな薬品も流れてくることになります。


要するに私は人気のないはずの海外線に居ても尚且つ
加害行為を再び受け始める羽目になったわけです。


私は自分のアパートの中での激しい科学力の関与から逃れた状態で
朽ち果てたいと思っていたのに、其のささやかな願いさえ
早々と打ち破られることになったのです。


今更戻るにも戻る気にもなれず、
結局は加害者の関与も覚悟して其の海岸での滞在を決めました。


加害者達の目的の一つはターゲットを自殺へと追い込むこと。
だから死ぬ時ぐらいは放置して貰えると甘い考えを持っていたのですが
どうやらこの人間達は其の程度では済ませるきは無かったようです。


それに気がつくのは其の日の夕方。


一日中曇っている状態で寒いぐらいの海岸での滞在でしたが
夜寝始める頃には加害者たちは最初の攻撃を開始しました。


(胃腸に関しては何故か昼ごろには強くなり、延々と関与が続きました。
原因は。。後述します。)


其の日夜になり真っ暗な状態で海を端から端まで眺めると
海に向かって右手の遥か奥に、奇妙な光を放つ構造物を発見する事になりました。


それは灯台ではありません。


灯台はフェリー乗り場の先の方に
しっかりと存在していて定期的に其の光を放っていたのです。


ではいったい其の光は何なのか?


不思議なことに其の光は海外線ではなくて海の真ん中から放たれているようにも見えました。


それもかなり強力な光を放つような建物にも見えますし
巨大な発光機のようにも見えます。


其の存在が一体なんであるかに気がつくのは
翌日の夜の事でした。
(これに関しては触れないでおきます。私の勝手な美学です)


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其の日、早々と日が暮れてから私は長い夜を経験することになります。


昼間には持っていった1Q84の一巻と二巻を読んだり
アダムスキー全集の一巻を読んでは時間を潰していたのですが
暗くなればできることは限られます。


海岸での野宿は大変なことにも気がつきました。


夜になると風向きは海から陸地へと流れることになりますし
湿った空気を延々と受けることになるからです。


しかも夜は意外と寒いのです。


私は本の入ったカバンを枕に
アルミシートに包まるようにして横たわり
空や海を眺めていたのですが


星も出ては居ませんし、暗くては出来る事もありません。
早々と寝ようと勤めたのですが。。。


そこから関与が始まりました。


きっかけは一匹の蚊です。


海岸線で、しかも近くには海水以外の水場が無い事も
昼間の内に確認済みだったのですが
何故か蚊が私の居る場所に飛んできました。


最初は一匹だけでしたがそれが数匹に増えたわけです。


其の蚊は一体どこからやってきたのか?
加害者達が蚊やハエやダニなどの害虫を撒くことを
常套手段としていることを気がついていた私は


早々と加害者が身近に潜んでいる可能性を感じました。


私は居場所までしっかりと知られている。。


もしくは昼間のうちに吸わされていた薬品が
蚊を呼び寄せるような性質のものであり

加害者達は適当に蚊を放っていったかのどちらかだと
想像しました。


そして頭に浮かんだのは
加害者が掲示板で予言していた被害者への言葉


「今年は暑い夏になるでしょう。とても痒い夏になるでしょう」


と言う一文でした。


当初想像していたのは”蚊”を一匹室内に紛れ込ませておいて
科学力で”擬似蚊の刺し傷”をあちこちに作り上げる事でした。


蚊の存在を確認した時にはそれを予想していたのですが
現にそれは実行されました。


現実の蚊は私を確かに脅かしていました。
時には手を時には足をしっかりと刺しては
そこに痒みを齎していました。


しかしそれ以外にも私には”見えない蚊”の存在が
身体へと危害を加え続けても居ました。


それは痒みよりも腫れの大きなもので
レーザーのごとく細い照射を繰り返す事で


特定の場所に蚊の刺し傷によく似たふくらみを作りあげ
その後にそこに痒みのような周波数を齎す科学力での関与です。


先に腫れあがり擬似蚊の刺し傷が作られ
その後に痒みの照射。


それを両足に延々とやられ続け、
本物の蚊に食われた痒みと其の擬似痒みに


最初は両足をかきむしっていたのですが
しまいにはその痒みに足が麻痺を起こしたらしく


感じるのは両足に走る激しい痺れだけになりました。


私が潰した蚊の数は10匹は超えていました。


一体どこからそれだけの蚊が海岸にまでやってきたのか
其の奇妙な足への攻撃は一体どうやってやっているものなのか。


そんな事を考えながら私は痒みを無視して
寝ることになります。


フェリーの中でも寝不足をしていたこともあり
痒いながらも意識は早々と眠りにつくこともできました。


勿論端から死ぬ気でしたから
寝ている間に何かをされることも覚悟の上です。


私は全くの無防備状態で
二泊目の夜を迎えたのです。


でも其の日の被害は翌日に被害に比べれば
随分とましな物であることを
翌日私は身をもって体験する嵌めになります。


続く

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