真訳聖書 番外編  イエスとパリサイ派 | 不幸のブログ 

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三次元と四次元の狭間 に関しての記事と生命の科学と宇宙の法則
について語ります。

今日二つ目の記事です。




薬品の影響で再び腸内にゲル状の異物が
満ちて来ています。


頭部への照射も強まってきています。


胃腸のむかつきも強まってきました。


P.M11:45



背中の痛みも始まりました。


肺への関与は今日は左右両方に感じています。


今日の記事は以前の書置きの記事に手を加えたものですが
結果的には闇政府とパリサイ派に対しての
批判ともなっています。


こうなると加害者母体はおそらくは
親玉擁護のためにも、命令のためにも
私を叩かずにはいられないと思います。


そして私を味方してくれる人間は
ごくわずかかもしれません。


今日の一つ目の記事の内容も
気に入らなかったようですし


被害が強化の気配です。


生きた心地もしていませんが


早々と楽になりたいと言う気持ちも正直強いです。


(極限まで甚振られ試されているような
そんな気配も感じています。)


それでも一方では未だ未だ私が説明できる事があり
それを記事にしなければという意識もあります。


今は生命の科学は34番目の記事まで
真訳聖書は15番目まで下書きが終わりました。


書きなぐった記事で内容もまとまりの足りない状態ですが
1月9日分まで自動更新かけてあります。


私が其の記事で何を言いたいかは
皆には理解して頂けると思います。


そしてもしも下書き記事がそのまま出るようになったら

私は更新不能の状況に置かれていると察してください。


(工作員にコメントや記事を改ざんされれば
皆はそれにも気がついてくれると信じています。


自分の気持ちをこめて書いている内容は
形は真似が出来てもぼろが出ますよね


まして頭の回転がしっかりしているときの
私の文章は独特のものがあると思っています


私を倒した後は成りすましにブログを
則られる可能性があるのです。。)


私は孤立させられていますし
妻は加害者の言いなりだと思います。


つまり私の安否を誰も知る事は出来ないのです。


其の時は私が更新できない状況のブログで
工作員がミスリードでも始めるかもしれませんし、


宇宙の法則に嘘を交えるような事でも
されかねないので


独自にアダムスキーの著書と21世紀生命の科学
そして聖書から学んでいって欲しいと思います。


普遍的真理は其の説明は幅の広いものでは
ないと思います。


真理は一本道の様なものですから
幅広い価値観を持つものではありませんし、


それだけに其の価値観を受け止める事の出来る人間も
少ないのだと思います。


一般受けのする、どんな人間達にも容易に受け入れられる
そんな真理はありえないのです。


なぜかと言えば私達の意識が真理とかけ離れているから。。
地球は地獄と化しているからです。


ほとんどの人間が真理を受け入れるためには
多かれ少なかれ自らの価値観を変える必要がある。。。


しかし個人的価値観に従い続けていた人間には
それは苦痛なのです。


そこで自分の心に都合の良い教えに
無自覚に惹かれてしまうのだと思います。


闇政府などの傀儡組織が魅力的な事を沢山語っては
幅広く信者を集めるのは多くの人間を誘導するため。。


幸せになれます。天国にいけます。


信じるだけでです。


でも、それは結果的には滅びへと進む道への
誘導だと思います。


私達は勿論、誰もが永遠の生へと進む
可能性を持っています。


しかし現実社会の生まれたときからの洗脳社会が
私達からその資質を奪い続けて来たのだと思います。


そして現実に普遍的真理をみて
それと察する事の出来る人間も
限られてきているのかも知れません。


自分の一旦持ってしまった価値観を正しいと信じ込み
他人の話を聞こうとしなければ
真理にたどり着ける事もないからです。


生命の科学と宇宙の法則は
誰にでも実践できる真理です。


アダムスキーも具体的な手法もある程度は
判りやすく説明してくれていますし


私達は繰り返し原因と結果の法則を実践しているだけで
確実にアダムスキーの言いたい事が
理解できるようになるはずです。


しかし地球の価値観に捉われている人間には
魅力のあるものとはいえないかもしれません。


真理を追う人間、そして生きる目的を知る人間、
更には永遠の生を求める人間が
それを実践していけばよい。。


今後はそういう事になって行きそうです。


そしてそれこそが普遍的真理だと理解できる人間だけが
神の法則を生きる事になるのだと思います。


今は人間の資質を分類する事を
神は望んでいるのかもしれません。


私達の様な存在はリトマス試験紙そのものになりそうです。


覚醒する資質のある人間、心のにごっていない人間は
ドンドンと神の意識を感じるようになり


一方では地球の法則に捉われた人間達は
ドンドンと其の意識を濁していく事になる。


究極的には当初の私の想像通りの事が
地球規模の魂レベルで起こっていくのだろうなと
今は強く感じています。


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マルコ7章5節

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パリサイ人と律法学者達は、イエスに尋ねた。


「貴方の弟子達は、昔の人たちの言い伝えに従って歩まないで
汚れた手でパンを食べるのですか。」


イエスは彼らに言われた、
「イザヤは貴方達に偽善者達について予言をして、こう書いているが
まさにその通りです。」


【この民は口先では私を慕うが、
その心は私から遠く離れている。


彼らが私を拝んでも無駄なことである。

人間の教えを教えとして教えるだけだからである】


「あなた方は神の戒めを捨てて、人間の言い伝えを堅く守っている。」


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前回触れたイエスの教えの本質に関連して、
イエスが特に嫌っていたパリサイ人(パリサイ派)と律法学者達に関連しての
イエスの意識がとてもよく現れている箇所がありましたので紹介します。


パリサイ派の人間がイエスの弟子が手を洗わずにパンを食べた事を
非難している場面でのイエスキリストの応対です。


手を洗って物を食べる。


これは今では家庭での躾や習慣としてされているものですし
それを実行することで細菌やウイルスの感染を防ぐという目的もあります。


健康と衛生を考えればそれは当たり前のことのように思えますし
今の私たちの常識ではそれは不潔な行動にも映ります。


しかしそれは信仰とはまるで無関係のものですし
道徳とも無関係な事象であると思います。


イエスは口に入るものが体を汚すのではなくて
人の体から出るものが人を汚すと話していました。


私の引用の仕方が少しずれているかもしれませんが
手を洗わないで食べた食物が人間の精神を汚すのではなくて


人間の体から出た想念、悪意や憎しみや欲望が
人間を汚すのだという趣旨でもあります。


つまり”汚れた手でパンを食べたところで人の心は汚れはしない、
人間が作り上げたそんな決め事守ったところで
自分の意識は神の法則に近づくわけではない”と言うことです。


手を洗うと言う習慣は、
清潔であることで病をも防げると言うことを想定した
人間の習慣であり


言ってみれば人間が作り上げた戒律なのです。


勿論、他人に料理をする時や他人の食物を手渡すときには
相手の気分を害するような行為は決して良いことではありませんので
現代社会では責められる余地もあると思います。


汚れた手で食べる事自体気分の良いものではありません。


しかしイエスキリストの信仰の本質は
そんな形式ばった人間の作り上げた戒律を守ることではなくて、
イエスが理解している神の御心に叶う行為をすると言うことです。


人の戒律を重んじるようなパリサイ派の言動に
元々が彼らに偽善性を感じていたイエスキリストは
イザヤの言葉を引用して批判して見せたわけです。


そしてイザヤ書に出てくる偽善者について触れています。


彼らは表ではイザヤ(神の法則を語っていたと判断して)を慕って見せるが
実質は自分達人間が自分達の手によって作り上げられた教えを
語り実践しているに過ぎないと言っているわけです。


人前では大げさにお祈りをして見せて
その信仰心の強さを人々に印象付けていたパリサイ派の人間、


街頭や大勢の人のいる前に、整った衣装で現れては
一見素晴らしい説教をして見せていた彼達は


事の本質を大事に考えるイエスキリストにしてみれば
偽善者以外の何者にも見えなかったのだと思います。


そしてこの引用でのパリサイ派の人間の”手を洗っていない”
と言う指摘も、事の本質、神の摂理とは無関係なものであり


それを重視して?指摘して見せたこの人間たちに
違和感を感じるのは私だけではないと思います。


この今の世界でもこのような人間が山ほど存在している事も
其のような意識が言うまでもありません。


自分の心の卑しさを隠しながらも
他人の小さな失敗や罪を指摘しては大きく騒ぎ立てる。


そしてそんな人間達が今のこの社会の
中心に存在していると言う実態もあります。


この社会を覆っている意識は
偽善者の意識とっても過言ではないと思います。


そして、いくらイエスキリストの名を使って人々を誘導しても
イエスの教えの本質を伝えていない人間は
イエスキリストにとっては偽善者であり偽預言者に他ならないのです。


とりわけ神の教えを語る人間の言動を
イエスの教えと比較して判断してみてください。


私達を導くべき教えは
イエスのごとく宇宙の法則・神の法則を前提としている
物でなければならないのです。


そこで語られる言葉は
人が自分達の都合で決めた規律や戒律(個人的真理)
であってはいけないのです。


私達が学ぶべきは、
私達人間の本質と目的だと思います。


人間として持つべき道徳もそうですし、


自分が神の子であり其の分身であると言う意識であり


神の意識としての精神の存在を学ぶ事であり、


自分の感情を抑える事で
心をエゴに支配されないよう努力することであり


この人間社会の価値観に捉われない事でもあります。


更に私達の人生の目的は、永遠の時間を、
あらゆる経験をする事で知識を貯めながら
其一方で精神を成長させていく事だということ。


人間社会はそれ自体の殆どが
人間のエゴによって作り上げられてきたものです。


しかもその目線は支配者からの視線です。


私達はその支配者の価値観に束縛されて
本当の人間のあるべき姿を見失っているのです。
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民主化が進み、人道的な物の考え方が支配するようになった時に


それの抜け道を考えては、支配者層が王時代と同様に
自分達の富が増える方法を考えてそれを一般庶民に提言して見せた
それがこの今の社会の実態なのです。


私達はその仕組みに気がついていないだけの話で
全ては特定の人間達が自分達と仲間のために作り上げた価値観であり
実は支配者や特権階級の人間の視線で作り上げた戒律の世界でもあるわけです。


私達は生まれたときから其の社会に居るために
それが当たり前の社会であり昔の王政や奴隷制の時代と比べても
自分達は幸せであると勘違いしているだけです。


”搾取”と言う行為を考えて見てください。


略奪を行う人間が、100人の富を持っている人間からその富を搾取して、
その後はその人間はもう富を持っていないから
不要と判断し淘汰したとしたら


その100人分の財産は手に入りますが
それ以上のものは望めません。


100人を労働のために奴隷として働かせれば
それにより農作物が富として手に入りますが
それは多きな富ではありません。


ちなみに、前者は大航海時代の冒険者達が
新大陸の人間達に対して実行した仕打ちであり、


後者は植民地時代の列強国家が
支配地に対して実行した政策です。


それを更に発展させたのが現代社会の仕組みなのです。


もしも百人の人間をそれぞれ稼げる人間に作りかえて、
生産性のある人間へと作り上げる事が出来れば


そして間接的にそこから富を搾取できれば
長い時間、効率的に彼らから富を集める事が出来ます。


しかも、それは社会制度の一環として行われるわけですから
どこからも彼らに対して表立った批判は出てはきません。


それは合法的な行為だからです。


現代社会はそれを実行可能な社会体制を作り上げ
実践しているだけのことです。


闇政府が各国の政治を支配する理由は勿論そこにあります。


古代と比較すると、一般国民から搾取する立場の”王”なる人間が
社会の裏に隠れただけの話で、


その傀儡となった政府や企業が
一般庶民を利用しては合法的に富を搾取しては
王に献上している社会。


それがこの社会の実態なのです。


そしてその王である支配者は、
超国家としての闇政府の人間達である。


それだけの話です。


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話がそれましたが、


イエスキリストの時代にはすでに人間が人間のために
自らの価値観で戒律を作り上げていた時代であり、
イエスはそれを批判していたのだと思います。


考えてみればパリサイ派と律法学者が
この頃から提携していたように、


今の世界での特定の宗教の関係者と法律関係者の立場は
ある意味似ていると思います。


以前法律に関しても記事にしましたが


私達全員が道徳性が高ければ、そしてブラザーズの社会のように
誰もが他人を思いやって生きていければ法律など不要なのです。


法律の元に成っているのはモーゼの十戒のような
それぞれの時代の道徳であると思いますし、


それは元を正せば神の法則に基づく
人間としての当たり前の意識だったはずです。


それを最低規範として
人々は日常生活を送ってきたのです。


しかし、人間の価値観が其の道徳から離れ
多様化するようになったために、


更には心無い人間が増加して
他人の権利を迫害するようになったがために
人間が作り上げた法律が必要となる社会へと変貌したのです。


一方ではアンチクキリスト的な人間達は


イエスの教えを埋もれさせるためにも
キリスト教を変貌させていきます。


例えば、”免罪符を買うことで罪が許される。。”と言う時代。


それに関しては誰が裏で糸を引いていたのかは判りませんが
キリスト教を大きく汚染した事だけはまちがいありません。


神の意識がお金に置き換えられるという
最悪の状況が演出されたからです。


(イエスキリストは語っていました。
誰もが一つの主人にしか使える事は出来ないと。。


神とお金の両方に使える事は出来ないとです。。。)


今の社会でも闇政府が大きな寄付を続けているような
キリスト教会が沢山あるようですが、
そんな教会がイエスの正しい教えを伝えるとは思いません。


更にはパリサイ派の影響なのか、
形式ばった事に捕らわれて実践が伴っていないのが
今のクリスチャン世界の実態でもあります。


もちろん悪いのは一般クリスチャンを誘導する人間達ですが
戦争を容認するような国家や人間達には
”クリスチャン”を名乗って欲しくはありません。


ブラザーズが地球を見ていて一番胸を痛めていることこそが
戦争の存在なのですし、


太陽系の惑星が地球人に教えた”悪しきゲーム”を
地球から無くすためにも
隣人愛を説いたのがイエスキリストであるという話でしたし


真のクリスチャンは平和を口で語るのではなくて、
行動として実践すべきだと思います。


イエスキリストが、パリサイ派の人間を悉く批判していたのも


その後の社会に彼らの影響が及ぶことを
イエスキリストが危惧していたからではないでしょうか。


太田さんの書籍によればパリサイ派はイエスの教えを目の敵にしては
カトリック世界に入り込みそれを実質支配するようになったそうです。


カトリックの仮面を被って布教を続ける一方で
時には非人道的な行為、


(人身売買、強姦、虐待、生贄)などの行為を繰り返してる
偽カトリック牧師が山ほど存在していて


そんな人間達に騙される人間が後を絶たないという事実もあります。


そして太田さんもクリスチャンは今壊滅状態に近いと嘆きながらも


「パリサイ派の毒をあまり受けていない日本こそ
新生クリスチャンになれる人間が多い」


と嬉しい話を触れていました。


そして私達がその新生・真正クリスチャンに成れれば
地道ながら何かを変えていくきっかけになるかもしれないとも
私は考えています。


かと言って組織を組んだり集まったりするのではないのです。


そうすれば傀儡が潜り込んで組織を変貌する事は目に見えています。


すべては精神の問題なのですし
私達は想念で連携し何かを変えていくのです。


(意識こそが大切なのですし
テレパシー練習中なのですからそれが一番だと思います)


そのことが、間違った道を進んでいた人間が
正しい道を進むきっかけを作るかもしれませんし


私達が迷っていた人間を導く役目を果たせる用になるかもしれません。


宗教を深く学んでいる人間達の中には、
私など及びもしない深い理解をしている方々が大勢居ることでしょう。


ただ、自らの心を高めた事に満足することなく、
神の法則へと他の人々を導くためにも


自らが宇宙の法則を実践しながら、
神への奉仕として多くの人々を導いて行ってほしい。


そのためにもまずは自らが宇宙の法則の存在を
深く理解できる状態になって貰いたいと思います。


生命の科学を学んで下さい。


そして地球を導くマスターの様な存在に
なって欲しいと思います。

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