生命の科学 VOL44 | 不幸のブログ 

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三次元と四次元の狭間 に関しての記事と生命の科学と宇宙の法則
について語ります。

腸内にぶら下がりを作って
無理やり異物まみれの排泄物を釣り上げて
直腸腫らし含めての


トイレ妨害継続中。


水曜日の呪いは健在です。


P.M10:48


明け方に尿道に電磁波を食らったのですが
その後は軽い尿漏れ状態も誘導されているようです。


今は部屋でパソコン作業をしている私の真下で
工作員の気配が頻繁にあり


直腸だけでなく肛門付近にも電気的刺激と思しき
痛みが走っています。


最近は肺の付近の筋肉への関与も
頻繁にありますし


以前と異なった関与も始まっています。


背中から入り込んでくる電磁波は
胃腸への関与と異物製造のためにも
利用されているようです。


脳への関与のためなのか
寝ているときに受け続けていた痛みのためなのか
記事を書いていても今ひとつ頭が冴えません。


今現在も脊髄付近から入り込んで脳へと届く刺激があり
それで思考能力を操作していると思います。


P.M11:18




私に対しての加害行為は一つは殺傷洗脳目的


一つには嫌がらせ目的


そして実験目的だと思います。


直に関わる組織や人間ごとに
一番の目的も異なるのだと想像しています。


しかし共通しているのは
その人間達は日本の中で連携して
ネットワークを作り上げている運命共同体であろう事。


そして結局は大元にいるのは闇政府の面々であると言う事です。


私と言う人間を使用しては
色々な人体実験も続いているのであろう事は想像つきます。


そして肉体への薬品と科学力での関与の実験と


電磁波なる人工想念の力で
人間の意識を変える実験に関しては
かなり進化しているのだと想像しています。


私の感情や意識までコントロールしてくるだけの
技術を持っているようだからです。


頑固者の私はそんな人間達の思い通りに動く事だけは
避けたいと天邪鬼に反応してやりたくもなります。


彼らの意図に沿って行動すれば
ある方向へと誘導される事になるのも
容易に想像が付くのです。


私は誰にとっても都合の良い人間になる気はありませんし
彼らにとって無害な人間になる気もありません。


それは私の意識があるうちはずっとです。


自らが正しいと感じた事
それが結果的には皆のためになると信じた事を
生きている限り実行し続けるだけです。

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生命の科学の理解者が増え続けると
恐らくは既存のイデオロギー組織や特定宗教組織からは
賢い選択のできる人間は消えていなくなる事かと思います。


なぜなら、変わろうとしない組織に
普遍的真理に覚醒した人間は従う意味を見出せなくなるからです。


そしてその事を危惧すれば
既存の価値観に捉われている人間達や
私利私欲と保身を重視する人間は


私や私の記事自体が邪魔な存在と
考える様にもなるのだと思います。


私の記事を読んでくれている人間の半分は
組織的犯罪関係組織の人間や
闇政府傀儡組織に関わっている人間だと思います。


そしてそんな中からも当然資質のある人間は
覚醒へと向かう事になります。


そんな人間が組織に増える事を
組織の維持を一番に考える人間は嫌がるわけです。


そんな人間の頭にあるのは組織の維持と発展です。


組織内部に秩序を持たせ
それで構成員を雁字搦めにしてでも
組織の維持を重視して見せます。


本来人間同士の集まりの場である組織たる存在は
個人個人を尊重し個人一人一人の生活を改善し
個人に資するものであるべきです。


しかしメーソン系意識に洗脳された組織は
組織のために個人を平気で犠牲にもするでしょう。


彼らにとって大切なのは組織であり
組織となったことで得られる力や権力であり
一人一人の個人の人間ではないからです。


組織の運営のために、組織の安定のために
時には個人を平気で切捨て犠牲にもする。


メーソン傀儡の人間が運営する組織は
宗教組織であってもその目的は信仰よりも
組織の運営と発展だと思います。


民族組織であっても同様の事がいえる筈です。


そして彼らはこの日本中に作り上げた
そんなコネとアドバンテージのネットワークを
今更手放す気もないのでしょうね。


そのような意識のおかしさを理解できる人間であれば
騙される事なく覚醒への道を進んでいける事と思います。


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第六講座最後の話です。


いつものようにアダムスキー21世紀生命の科学から
引用します。

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【決心を強める事】


以上のすべては、あなたが他人からどんなふうに
扱われたいかという感情と同様に貴方の内部に今あるのです。


ゆえにその同じ感情をあらゆる生命体に返せばよいのです。


一回や二、三回の試みで
うまく行かないからといって諦めてはいけません。


その立場をマスターする決心を強めればよいのです。


あなたが決心を強めれば強めるほど結果はますます良くなってきます。


最初それは不可能事のように見えるでしょう。


あらゆる物事は一時不可能に見えるのであって
幼児が歩行を学ぶ時でもそうです。


普段の努力は成功を齎します。


人間が地表に金の鉱脈を発見する事はめったにありません。


これも同じです。


真実を探し出すには深く掘る必要があります。


才能というものはそれを応用しなければ何の価値もありません。


かりにあなたが大芸術家の才能を持っていて
それに気づいているとします。


しかし貴方がその事をただ考えたり夢想するだけなら
それを実現させる事は出来ません。


実現には行動が必要です。
だからその才能から益を得る事はありません。


自分の夢を実現させてそれを達成しえると言う事を
自分自身に証明する事もしません。


したがって貴方の才能に関する夢や願い事の全ては
依然として未知であり夢の状態のままにあります。


これは貴方が自分の隠れた能力を表そうと決心するまで続きます。


決心する時こそ、それは真実の,遣り甲斐のあるものだと
言う事を自身に証明するでしょう。


自己発達はこのようなものであって、
これまで述べた全ての潜在能力は貴方の内部にあるのですが、
それに実を結ばせない限り何の役にも立ちません。


あなたは日常生活において自分の能力を表す事によって
その能力を再建しなければなりません。


そうすればあなたはこれまでに意識的に気づいてきた物事を
実行できる事が判るでしょう。


するとそれは貴方に役立つばかりではなくて
自分の実例によって他人にも役立つでしょう。


これまでさまざまの実例が示されてきました。


例えば、一独裁者が人民を支配しようとする時
他人に対する見せしめとして自分に反抗するものを殺します。


こんな野蛮な方法で実例が示される事もあると言うのに
我々が世間の目を引くような優れた実例を示せない事はありません。


我々はそれを行為で示す事が出来るのであって
単なる言葉や夢で示しえるのではありません。


これは我々が知っている物事を実行する事によってのみ
なされるのです。


われわれは他人に対して正直で誠実で有り得る前に
自己の”良き自我”に対して正直で誠実であらねばなりません。


他の意識的実態が自分を信用してくれる事を期待しようと思えば
自己の意識をまず信用しなければなりません。


また、真実の生き方を知らない多数の人々の間にあって
この新しい生き方をするには
不動の信念と忍耐力とをもって耐える必要があります。


なぜなら人間はだれしもそんな考え方を
直ちに把握しようとはしませんし
人類はきわめてゆっくりと変化するからです。


しかし生存をし続けようと思えば変化しなければなりません。


またいかなる分野の先駆者といえども
良い結果を齎そうとするのなら
強くなり断固たる決意を持たねばなりません。。


我々は岩盤の上に基礎を築くべきで崩れやすい砂上に築いてはなりません。


そうすれば自分の生活に夾雑物や反対者が嵐を起こしても
堅固にたつ事ができ、弱いがゆえに吹き飛ばされる事はありません。


我々が得ようとするゴールこそ問題になる全てでなければならず
それに対して障害物を介入させないようにする事です。


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ここはアダムスキーが
私達、生命の科学を学ぶ人間に対して送っている
メッセージでありアドバイスだと思います。


この中でアダムスキーは金の鉱脈に例えて
真理を語っています。


誰にでも容易に発見できるような場所に真理は存在していない。


”真理”はこの社会では貴重とされている金のごとく
物事を深く掘り下げていった時にこそ
ようやく発見できる物であり、


私達がそこに辿り着くためには
深い理解が必要であると言っているのです。


もしも真理が簡単に手の届く場所に存在しているのであれば
アダムスキーやブラザーズは地球に対して介入する必要も
なかったはずです。


放置しておいても私達は真理へと到達しそれを実践しては
今頃はこの地球に天国を作り上げていたと思います。


しかし現実はそうではありません。


その事が意味するのは
私達地球の人間は普遍的真理を見つけては居ないと言う事。。。


宗教に真理があるのであれば
地球の人間の7割は何らかの宗教に関わっているのですから


この社会では天国を実現しているか
皆が他の惑星に転生していく事になります。


しかし現実は天国に辿り着く人間は極僅かだと
イエスキリストもブラザーズも語っていました。


そして現にこの社会は生き地獄です。


そこには真理はないのです。


そしてアダムスキーは、
真理に到達するには単に資質があっても
それだけではいけないと触れています。


ここでは画家を例にして
資質を持っていても行動で実行しなければ
その才能は実現しないのだと触れています。


それは地球社会の今現在の状況では
私達の覚醒に役立つ環境は存在していない。。。


資質があっても実践しにくい環境にあると言う事を
触れているのだと思います。


私の想像では、地球社会の宗教信者であっても
真理に到達している、


もしくは精神を感じていて、精神を生き方に実践しているのは
チベットの修行僧達など
ごく一部の人間だけだと思います。


彼らは時にはデモをして自分達への虐待を主張していますが
事実全般を私達が知れば、彼らが非暴力である事と


殺すよりも殺される事を
実践してきた人間達である事も想像がつく事でしょう。


彼らは二次対戦中のABCD包囲網で
日本が追い詰められた時にも


連合軍のチベット通過を認めることなく
戦争協力を一切拒んだ過去もあります。


その上に日本に対して毛布等の人道支援をも
してくれた国です。


結果的に中国によって併合されましたが
それを欧米諸国が認めたのは


大戦中のチベットの連合軍への
非協力的な態度に対する報復だと想像しています。


彼らは自らの信念を貫いて戦争には加担しない道、
日本の敵とはならない道を歩んだ事で
今のような憂き目に遭っているという可能性もあるのです。


そこからはブラザーズ達の意識に通じる深い”同情”や”理解”
同じ人間としての同胞への”愛”
そして非暴力・平和思想の意識を感じる事になります。


(シャンバラなるものは地底人の世界ではなくて
ブラザーズがチベット付近に設けていた
秘密地下基地と言う話があるのです)


しかしこの社会は非暴力で平和主義である事を名目では訴えていても
現実は力による支配がまかり通っています。


世界は権力と暴力で優劣が決められているのです。


そこには大いなる神の意思も
普遍的真理の欠片も見つけ出す事は出来ません。


資質を持っている人間は世界中には大勢居るとしても


現実問題それを実践している人間が
国や世界を動かせる地位には存在していないからこそ
今のような社会の実態もあるわけです。


魂を失う事のない”記憶を失った転生”を
地球で繰り返ししている人間は
大勢居るのだと思います。


アダムスキーは古代から
この地球で延々と生まれ変わり続けている人間達が
大勢居る事を指摘していました。


まともな意識を持って生き続けている人間の多くが
恐らくはそれに該当するのだろうと思います。


魂が消える事なく転生を繰り返せれば
それで良いではないか?


「15回の魂の乖離した転生を繰り返し
魂ごと消える事が避けれればそれで良いではないか。。」


そう考えるのは間違いです。


転生ごとに悪化する社会環境の中で
私達の魂は神の意識との乖離をどんどんと強めていると思います。


前回が乖離ぎりぎりで転生した人間は
今世では間違いなく魂の乖離を引き起こしている事と思います。


私達は環境に適応する生き物だからです。


1000年繰り返し乖離してきた魂は
今回で消滅するでしょうし


中には今回も記憶を失った転生を繰り返す人間も
大勢居るのだと思います。


ただ、社会がどんどんと宇宙の法則からかけ離れていけば
そこに生まれてくる人間も
いつかはその乖離の波に飲まれる事になるはずです。


資質を持っていても、覚醒しない限り
それはいつか潰される運命になるのです。


金星人の話ばかり引用していると火星人が悪者にされそうなので
アダムスキーの著書の中に登場してくる
当時地球に在住していた(その後母星に帰りますが)


火星人のブラザーズでありムー大陸の指導者でもあったという
ファーコンと名付けられた人物の言葉を引用します。

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「ご存知のように人間は生き方を変えようとしない限り
救われるものではありません。


”無限なる者”の法則を真面目に追求しようとする
地球の少数の人々は、他人を導くように努力する必要があります。
そうすれば他の世界の私達もその人々を助けるつもりです。」

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私達地球の人間は今の生き方を変えない限り、
救われる事はないとファーコンも語って居ます。


生き方を変えると言う事は
この社会に適応している状態ではいけないと言う事でも
あると思います。


アダムスキーは


「この新しい生き方をするには
不動の信念と忍耐力とをもって耐える必要があります。」


「しかし生存をし続けようと思えば変化しなければなりません。」


と触れています。


勿論、この生き方を実践する事は既存の価値観との
軋轢も生じる事になるでしょうし


地球の法則を遵守する人間には
睨まれる事にもなります。


私のごとく一般市民であってさえ
今のごとく目に遭っています。


この生き方を実践したり広報する事は
今の環境下では並大抵のことではないのです。


地球の支配者は真実を知っていてそれを隠蔽する事を意図して
その傀儡を操縦し続けているからです。


いつも言うようにアダムスキーの時代以上に
私達を取り巻く環境は年々加速化して悪化しています。


宇宙の法則と言う真理は
煙幕として巻かれた偽の真理の影に隠れて
この社会では存在を継続する事すら怪しくなってもいます。


それだけであれば未だしも
巷に山と存在する誤った価値観を植えつけられた人間達が


一般人達を地球の法則へと縛り付けるために
駆り出されても居るのです。


つまりこの社会では普遍的真理を語り
それを実践しようとする人間は
締め出される体制が出来上がっても居るのです。


その中で私達がその生き方を実践する事は
並大抵の事ではないかもしれません。


だからこそアダムスキーは
”忍耐が重要だ”と話しているのだと思います。


ただ、折角真理に触れる機会が得れても
それを理解せず実践せず放置すれば


自分もいつかは魂を乖離させては
魂の消滅へと誘導されてしまうであろう事を理解し、


今この社会で受けた苦労がそのまま
神の国に富として積み上げられる事になる事を理解すれば


私達はその困難とも立ち向かって真理を実践していく事が
出来るはずなのです。


アダムスキーの最後の引用は
聖書のイエスの言葉にも通じるものです。


「我々は岩盤の上に基礎を築くべきで
崩れやすい砂上に築いてはなりません。」


ここでの岩盤は私達の強い意志(神への信仰)を指し示しています。


折角の勉強も実践も広報も、外部からの圧力で
容易に中断されてしまうようなものではいけない。


それは強い決意の元に行われなければならない。


神への強い思いを持って行動すれば
何事にも屈する事はない。


イエスの弟子であるアダムスキーは
そう語っているのだと思います。


生命の科学は転生へのパスポート。


本当の人間としての生を受けるための
真理の欠片なのです。


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P.S.


「私はこの岩の上に教会を立てよう」


この言葉が文字通り
”固い地盤の上に教会を作る事”を意味しているのではない事
真訳聖書でも触れました。


(公開した記事だと思うのですがまだでしたら勘弁を。)


それはイエスが
”自らの強い意志の元に神の教えの広報をする”
と言う事の例えでした。


私達も岩の上に教会を立てるつもりで
生命の科学を勉強し実践し
尚且つ広報できる方は広報をして頂きたいです。


キリスト教徒の実践で一つ認められるべき事は
イエスの教え含めた内容をすべての人間に知らしめようと
広報している人間達がいる事です。


本人達は全ての人間に対して布教が終わったときに
最後の審判がくると信じているようですが


勿論そんな事は真実とは異なります。


ただ、少なくとも私達はどこかで生命の科学、
もしくは宇宙的真理に触れる機会が必要なのです。


仏教で言うなら解脱なる状態を目指す事と
私達の覚醒は似ていると思いますし
それだって真理への覚醒のきっかけと成りうるはずです。


しかし例えどんなきっかけであろうとも
真理に近づくための機会がなければ
私達は覚醒する事はできないのです。


その意味ではキリスト教徒の布教活動は
決して無駄ではありませんし、


仏教徒が解脱や悟りを目指す事も同様です。


後はそれがきっかけで真理に気がつけば良いのだと思います。


宗教の信仰や教えでも
それが正しい方向へ人を導いているのなら
向かうべき道は私達覚醒者と同じはずです。


(チベットの修行僧達はおそらくは
私達覚醒者の上の物を当たり前に目指しているのだと思います。
(宇宙的啓示です))


私達にとってのアドバンテージは
人間的解釈や組織的戒律の一切関わっていない
神の予定、神の意識としての人間のあり方を


そっくりそのまま実践出来る事です。


科学的実験で薬品を調合するにしても、
教科書に書いてある
その必要とすべき薬品の種類の記述に誤りがあれば


いくら優秀な人間が教科書を完璧に覚えていて
それを実践して調合してみても
思い通りの効果など出るわけがありません。


私達、生命の科学の理解者はそんな心配をすることなく
100%信頼できる教材を持っているのです。


そしてその正しさを自ら実践しつつ
日々確信し続けているのです。


その進歩を、身をもって日々体験できると言う事が
どれほど大きな事であるか、


今まで地球意識の宗教を実践してきた人間の方が
深く理解出来ているのかもしれませんね。


宗教信者の気がつくべき事は
如何なる手段や教えであろうとも
それが正しい内容を語っているのであれば


たどり着くべき場所は皆同じであると言う事を
組織が理解していない事だと思います。


普遍的真理は一つですし
その前ではキリスト教・仏教・イスラム教・ユダヤ教といった
区分など不要なのです。


生命の科学も、一番最初は”神なる創造主”と
私達の中の”精神なる意識の存在”を信じると言う
宗教のようなスタート地点がある事は以前に確認しましたが


後は何かを信じるのではなくて
自らが体験し実感し納得し理解していく事になるのが
生命の科学です。


そしてその到達場所は普遍的真理であることは
覚醒者は勿論、確信している事と思います。


生命の科学に一番近い教えは
日本で言えば神道のようです。


宗教として信仰するのではなくて
神の教えを生活の一部として日々実践する。


日常生活の中に道徳として
その意識を持ち続ける事を教えていますし、
そして万物には神が宿ると言う意識を持っているからです。


しかし残念ながらその神道であっても
宇宙の法則を正しく語っているものではありません。


つまり私達は既存の概念を全て打ち払って
先入観抜きで真理を求めていくべきだと言う事です。