”真訳”聖書  VOL1 | 不幸のブログ 

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三次元と四次元の狭間 に関しての記事と生命の科学と宇宙の法則
について語ります。




腸を塞いだだけでは物足りないようで
異物を嫌い夕食を抜いたのですが
今度は腹部を熱で暖めてきました。


ビニール袋持参で薬品を撒いていく
人間を一階で発見。


正直その度に気分がめいりそうになります。


今は電磁波照射で熱い思いをしています。


実は先日は腕に切り傷と火傷の様な傷の
複合したものを作られました。


何やらとても深い恨みは何に根ざしているのでしょうね。


私が攻撃を受けるようになった頃には
勿論こんな記事など書いては居ませんでした。


先に攻撃してきておいて
それを暴いた事で逆恨みをされている気分です。


P.M8:22

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現在は作り上げられた異物確保のために
例によって腸を締め付けられている、


もしくは異物が大きくなりすぎて下に降りていかないようです。


違和感があって騒がれたくないときは
いったん再び溶かしては
腸を塞ぐことで違和感を減らし、


その後再び固めると言う手の込んだ事を
してくる事もあります。


寝ている時にまとめて強い関与がくる原因となるので
昼間の異物製造には警戒していますが


薬品と電磁波という対策の打ちにくい物が相手ですし、
しかもアパート周辺は影響下なので防ぎようもなく打つ手無しです。


P.M6:12

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新約ではなくて真訳です。


イエスキリストの正しい教えを理解すると言う目的で
私がブラザーズとアダムスキーの話に照らして
独断と偏見の解釈をしていると言う意味です。


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そう言えば組織的犯罪被害者としての立場から
話しておきたいことがあります。


目先の被害に捉われるのは誰しも同じだと思いますが
この被害はその全体像を理解しない限り
真実にたどり着くことは出来ません。


そしてそれをあらゆる方法で妨害している人間達が居る。


だからこそ私は被害者とは交流するのを止めたのです。


大勢いますよ。交流するに値しない人間達が。
そして一番交流すべき人間とは中々出会うことも出来ないはずです。


そうなるように仕向けられているのですから。


被害に関しては、科学力の関与による被害を自覚している人間は
是非”国家機密のマインドコントロール”を読んでみて下さい。
手法に関しては”沈黙の兵器”を参考にして欲しいです。


殆どの答えがそこにあるはずだと思います。


本当の被害者であればいつかその事に気がつけると思います。


そしてその人に資質があれば私と同じ視線を持つことになると思います。

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クリスチャンにとっての聖典であり
歴史の書として存在しても居る聖書。


そこで語られているとされているのは
神の物とされている言葉であり、
神の子としてのイエスキリストの言葉です。


そして内容を辿れば、
聖書はこの地球の歴史の一部が認識出来る物でもありますし
そこには色々な発見もあります。


(例えばノアの箱舟時代までの地球人は
数百歳生きると言う今の現状とはかけ離れた記述もありますが
実はこの事も科学的に説明できそうです。其のうち書きます)


しかしこの聖典の記述は決して全てが真実であるとは私は思いません。


訳をした人間の恣意的判断が入って来ますし、
日本語にする時でも訳の其のまた訳という過程を辿る事になります。


しかも古代において、王国の国王達支配者の手によって
時には国民管理のために利用されてきたものでもありますし


歴史が勝者の手によって常に事実が書き換えられて来た様に
聖書という歴史書に関しても同様の事が言えると思うのです。


イエスキリストに関しての記述も
全てが真実とは思えないところもあります。


(イエスが感情をむき出しにしたような言動をしている箇所や
やたらと悪霊が出てきてはイエスキリストがそれをお払いするところ))


ただ、複数の信者によって語り継がれている
イエスキリストの言葉に関しては
とても信憑性も高そうです。


一方ではイエスの起こした奇跡の存在などが
一般市民に聖書に対する理解不足を促しがちでもあります。


しかし、アダムスキーがブラザーズから聞いた、
イエスキリストはブラザーズのマスター(指導者)の一人だった
という話を前提に解釈すると


色々な事が科学的にも説明できて
それは霊的な話ではなくて、科学で説明できると
納得できる話も多いのです。
(多くの奇跡です)


そして聖書の存在はイエスを神聖化するものでなくて


イエスキリストの言葉として、
宇宙の法則が語られていると言うことを


皆と一緒に勉強していければと思います。


最近記事にしてきたアダムスキーやブラザーズの話全般の
知識を持ってくれている事を前提として書いています。


過去の記事から順に読んでいただければと思います。

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マタイ7章13節

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狭き門から入りなさい。


滅びに至る門は大きく、その道は広いからです。


そしてそこから入っていく者が多いのです。


命に至る門は小さく、その道は狭く、それを見出すものは稀です。


偽預言者達に気をつけなさい。


彼らは羊のなりをしてやって来るが
内は貪欲な狼です。


あなた方は実によって、彼らを見分けることができます。


ブドウはいばらからは取れないし
イチジクはアザミから取れるわけがないでしょう。


同様に良い木はみな良い実を結ぶが
悪い気は悪い実を結びます。


良い木が悪い実を成らせることはできないし
また、悪い木が良い実を成らせる事もできません。


良い実を結ばない木はみな切り倒されて
火に投げ込まれます。


こういうわけであなた方は、実によって
彼らを見分けることが出来るのです。
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これは、イエスキリストの言葉として
有名な一説です。


独断と偏見の説明をすれば、
イエスキリストは宇宙の法則を伝道する立場として


真実から視線を逸らせるような誤った教えや
偽預言者に関連してここで警告をしているのです。


”滅びに至る門は大きく、命に至る門は小さい。”


ここでの”滅び”とは単に肉体の死を意味するのではなくて
キリスト教のいうところの”第二の死”である
私達の”精神=魂”の死を意味するととれますし、


”命”とは、イエスキリストが繰り返し言っていた
天国、神の国、1000年王国と言われる世界への転生を通じて
自分の魂が永遠であることを自覚する事を指していると思います。


私達の現実社会を見ていれば判ります様に
私達が暮らしているこの環境は、
決して心が豊かになるような状況ではありません。


ありとあらゆるところに私達の心をかき乱す要素が存在していますし
物事の多くは嘘や偽りで満ちています。


私達の心の中にある欲やエゴの存在のために
そんな物に余計に振り回される事にもなるのですが


時には”人の悪意”が人を騙したり、
現実ではない事を現実であると思い込ませては
私達の価値観を乱す原因ともなっています。


それは思想に関しても同じ事です。


イエスの語っていた”宇宙の法則”は
この現実社会に重きを置かない心を持つ事で、
認識できるものでありますし
(心を内なる精神に近づける事で)


現にイエスキリストはこの現実社会に
富を蓄える事の愚かさを語ってもいました。


そしてお金に拘る人間は
天国にはいけないとまで触れていました。
(らくだが針を通るよりも難しい。。)


それは物欲や金に拘る行為は
この社会の中の価値観に染まる事であり


私達が培ってきたエゴを満たすものであり、
その意識は個人的真理に基づく行為でもあるからです。


そしてそれはイエスが私達を誘導しようとしていた
”宇宙の法則”とはかけ離れた行為です。


しかし現実社会を見渡すと
多くの環境は私達にとっては”精神的真理”(宇宙の法則)ではなくて
個人的真理(エゴ)を満たすための物で溢れているのです。


永遠の命を得ること、すなわち、前世の意識を持った状態で
転生を出来るような精神状態になるために進むべき道と、
そのための目印となるような情報や看板(門)はとても小さく目立つ事もない。。


一方では私達をエゴという個人的真理へ誘導し、
永遠の命どころか精神の消滅をも齎しかねない状況を齎すような
私達を惑わす環境は身の回りに溢れていると言うこと。


そしてそれはとても目立つ物であるために
私達は進むべき道を見失いがちでもあると言う事を
語っているのではないでしょうか。

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一方、イエスキリストは偽預言者の存在に
警告を促しています。


それは宇宙の法則を隠蔽するために
意図的に人々を惑わす意図を持っている人間達が存在していて
その誘導に乗せられないようにと言う警告かもしれませんし、


個人的真理、個人の欲求やエゴのために
結果として他人を誤ったほうに誘導してしまっている、


宇宙の真理を語ってはいない”教え”に関して
触れているのかもしれません。


世界を見ればこの社会は
多くの宗教やイデオロギーで溢れています。


しかしそんな心の教えを学ぶ人間が大勢いるのに関わらず
私達のこの社会は未だに闇の中でありますし
一方ではその傾向はどんどんと強まるばかりでもあります。


それは正しい教えにたどり着いている人間が少ない事を
指し示している証拠だと思いますし
一方、地球上には神様が蔓延してもいます。


お告げをしてくれる、わけのない神様や天使から
お告げを受けている救世主や預言者も大勢いるようですし


未だ宇宙空間全体を覆っているであろう神様を無視して、
自分こそが神であると語っては人を惑わす人間もいる事でしょう。


地球の未来には、そんな状況が引き起こされるで有ろう事を
イエスキリストは理解していたからこそ
聖書では其の事を警告していたのだと取れます。


勿論、真理は色々な方面から追究できるものでありますし、
イエスが語ったと言われるキリスト教以外でも


仏教(ブッタなど)やイスラム教(マホメッド)、更には儒教(孔子など)と
宇宙の法則にたどり着ける道は複数ありますし


聖人と言われる人以外の存在が語った教えでも
中には宇宙の法則に気がついて
それを示したものもあるかと思います。


これは例えば身近な日本の”神道”にも繋がると思います。


日本の神道はもともとが”全ての生き物に神が宿っている”
つまりは全ての生き物は神の意識を持っているから
同様に尊いものであると言う宇宙の真理を語っている意識だと思います。


八百万の神というのは
”全てのものに神性”があるという、仏教にも繋がる意識ですし
こちらも宇宙の真理を語っていると言えます。


ただ、それの解釈や影響の受け方が、指導者が誰であるかや、
教えの流れやそれに従事する人間の受け止め方で
内容が異なって来ているのだと思います。


そして、この社会の中では
誤った道へ進んでしまう人間が余りにも多く、


それは多くの偽預言者達によって齎されると
イエスキリストは警告をしているわけです。


そしてイエスはその見分け方にも触れています。


”良い木には良い実がなる”と言うのは


「その教えに集う人間の姿を確認すれば、
その教えが正しいものであるか、そうでないかが分かる」


と言う意味だと思います。


つまりは、良い教えには多くの良い意識を持った人間が集う
もしくは良い教えに触れると
良い意識を持った人間が増えていくと言うこと。


一方ではその教えが宇宙の法則とかけ離れる事になれば
当然、集まる人間も、集まった人間の意識も
宇宙的真理から遠ざかることになります。


良い教えや良い思想を見極めるためには
その教えを実践している人間達を見れば良いと言うのが


”良い木には良い実がなる”


の語る意味だと思います。


そして宇宙的意識を持った人間(良い実)が
多く集まっているような教え(良い木)が


限りなく宇宙の法則に近いと言う事を
イエスキリストは語っていたのではないでしょうか。


そしてこの言葉からもイエスキリストは
自分の教えだけが絶対であると主張していたわけでも
ないと言う事が判ります。


そして本当に宇宙の法則に繋がる宗教であれば
そんな組織同士が争う事もイエスは望んでは居なかったと思います。

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最後に出てくる
”良い実を結ばない木は火の中に放り投げられる”


の例えは、


「人々を惑わす教えは
キリスト教の地獄である”ゲヘナ”へ投げ捨てられる」


と言う事を言いたいのかもしれません。


勿論、地獄は存在していませんので
これはあくまで判り易い説明と言う事になりますが


意図的に誤った教えをする人間は
結局は宇宙の法則とはかけ離れるわけですから


精神毎消えてなくなる第二の死を迎えると言う
事だと思います。

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クリスチャンの多くは聖書の記述に関しては
厳格に受け止めていて
その記述一つとっても争いになっている事も承知しています。


それが故に、私がこのような解釈をすると
批判されてしまうかもしれません。


ただ、視線を少し変えれば
間違いなくこのような読み取り方も出来るのです。


イエスキリストが自分を神の子だと語っていたのは
それは自分=神であると主張していたわけではないと言うこと。


ブラザーズ達が意識している宇宙の法則に気がつけば
私達誰もが神の子であり
誰もがその意識を精神に持っていると言うこと


それがブラザーズや精神の進化の進んだ人間達の常識だというのですから
イエスキリストの言葉もそれを踏襲していると捕らえれば
聖書の読み方も変わってくると思います。


太陽系の有志の組織であるブラザーズの話では
イエスキリストはブラザーズによって使わされた


彼らの偉大なるマスターの一人なのですから、
当然意識はブラザーズと同様なのです。


と言うことになれば
イエスが語っていたのは独自の宗教ではなくて
宇宙の法則であった。。


私の聖書解釈は全てそのような視線になっていますし
それは誤った解釈であるとは思ってはいません。


例えばアダムスキーやブラザーズによれば
天使と言う存在は今では羽が生えている存在として
イメージされていますが


聖書では一般人の中にまぎれていても
それを気がつくことが出来ない存在として取り上げられています。


ヘブル13章2節

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旅人をもてなすことを忘れてはいけません。

こうしてある人々は御使い達をそれとは知らずに
もてなしました
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ここで人々が天使を人と同様に扱った理由は
勿論天使が肉体を持った人間同様の存在であったからであり


おそらくはそれを御使いと認識出来たのは
彼らが”天”に帰っていったからだと思います。
(宇宙船で飛んでいったと考えれば一番科学的だと思います)


そして当時の人々にしてみれば
天から降り立った人間こそが天の御使い=天使であり


羽の生えた霊的な存在ではなかったはずなのです。


つまり聖書は皆このように全て科学的な話として分析できますし
その事実の多くは現実目線で説明のつくものだと思います。


そしてその教えはブラザーズはじめ
進化した宇宙の人間達が従って生きている法則であります。


アダムスキーが聖書をブラザーズの視線で見つめていて
それが興味深かったので


私もそれを参考にして聖書を同じような視線で見つめて
皆と一緒に真のイエスキリストの教えを
学んで行こうと思います。


聖書に馴染みのない方も少なくないと思いますが
その全てを鵜呑みにするというのではなくて


歴史書としての聖書の一面に視線を向けることは
もしかしたら宇宙の法則を学ぶ事に
役立つかも知れません。。。。。と言う話でした。


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