テレパシーと想念(幽霊は死んだ)後編 | 不幸のブログ 

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三次元と四次元の狭間 に関しての記事と生命の科学と宇宙の法則
について語ります。

続きです。


元々アダムスキーは想念を残留思念と言う事で
説明をしてくれていましたし、


更にこの技術を犯罪捜査などに役立てる事が出来ると紹介していました。


アメリカはアダムスキーが講演をしていた時代には
既にこの技術を持っていたと言うことです。


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残留想念をキャッチする人間


あの木の下で座っている私をもはや見ることのできない人々にとっては、
私は死んでいるのと同じことです。私はもうそこに存在していないからです。


しかし私としては、三〇〇〇マイルも離れましたけれども、
折にふれてあの木のことや何人かの隣人たちのことを思い出します。
すると私の想念波動はそこに戻るのです。


また、たとえそれが戻らなかったとしても、
私のその種の想念波動は、そのあたりに漂いつづけています。


なぜなら、それは私が多年あの木の下に座っていた間に作り出された
習慣的な想念であるからです。


もし敏感な人があの木の下に行ってそれを感知したとしたら、
その人は言うでしょう。


「あの人だ! アダムスキーだ!」と。


でもそれは違うんです。
その時、私はおそらく他の場所で忙しく働いています。


その木のことなど全く考えていないかもしれません。


敏感な人がキャッチしたのは「残留想念波動」つまり印象なのです。


そこに残っていた習慣的想念の波動です。


幽霊屋敷などで発生する現象もこれと全く同じことです。

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ここでのアダムスキーの取り上げている内容を含めて判りやすく説明すれば
私達は普段二種類の残留思念を巻き散らかしている事になります。


ここでアダムスキーが説明している残留思念は
”想い”の方ではなくて私達が”オーラ”と呼んでいる物の方
もしくはその複合です。


私達は肉体の上に私達が魂=霊体と呼んでいる物を
身にまとって存在しています。


その霊体からは絶えずオーラと私達が呼んでいる物が発せられ続けていて
それはそのまま残留思念としてその場に残される事になります。


光を考えてもらえば良いと思います。


恒星などは数千光年の距離に存在するものであれば
私達が今見ているその星の姿は
数千年前のその星の姿だと言う事になります。


写真を撮影すると光の残像が映る事もあります。


懐中電灯などを振り回し他状態で撮影すると
その発光部分だけでなくてその周囲の光も撮影される事になります。


私達は無自覚なだけで、そのような残留思念を
常に全身の霊体=魂と呼ばれているものから発して存在しているのです。


それが日常的に行われていると考えてみてください。


部屋の中で動き回っている様子、
そして廊下を歩いていたりトイレに入ったり、
そんな時にも私達のオーラは全身から絶え間なく発せられている。。。


そんな思念はエネルギーとして長い間その周囲に漂う事になります。


これを感知できるのは勿論私達の心を司る器官ではなくて
残留思念同様に世次元的な存在でもある
私達の魂だと言うことです。


ただ、一旦三次元に発せられたエネルギーは
私達がそれを三次元空間でエネルギーとして把握する事が出来るようで
それを科学力を持って解析する技術がアメリカに対して提供されたわけです。


天使達はありとあらゆる波動を受け止めて
それを映像化する技術、再現する技術を持っていますが
その一環がこの想念を映像化するものです。


(彼らの記録と再現の殆どは
”波動”と言う形で記録され再現されることになるようです。)


それをこのアダムスキーを通じてこの社会に提供したわけです。


アダムスキーがここで触れているのは
残留思念の存在している箇所にそれを感知できる人間が行くと


そこでその思念を受け止めて過去のその情景をも
再現する事になると言う話です。


その残留思念は今現実にそこに存在して
エネルギーとして動いていると理解すれば良いと思います。


勘の良い人間は其れを感じ取る事が出来るわけです。


引用の例では、アダムスキーの肉体はもちろん既に別のところにありますが
アダムスキーが延々とオーラを発し続けていたその箇所には
アダムスキーの残留思念が残されている事になりますし


それを魂を持って感知した人間は
そこにアダムスキーの気配を感じる事になる。


つまりはそういう事です。


私達が幽霊屋敷と言われる箇所において何かを感じるのは、
そこが幽霊が存在しているからではなくて、


私の想像では多くの人間が幽霊屋敷にやって来ては
恐怖や不安の想いを発して帰っていく事で
その箇所には多くの不安や恐怖の想念が渦巻く事になるからだと思います。


更に最初にそこで何かを感じた人間は、
おそらくはその屋敷に住んでいた人間の残留思念を受け止めて


その人間が室内を移動したり、廊下を歩いていたりといった
そんな思念を受け止めてそれを今現在の現実だと認識してしまい、
それを印象として受け止める事に由来すると思います。


幽霊現象はその全てが残留思念と想念で説明がつくのです。
(後で更にコメントを追加します)


そしてこの残留思念は同時に私達の過去の姿でもあります。


言ってみれば私達は過去を見る事が出来る事になります。


しかし現実を生きている私達は
過去として存在している残留思念に働きかける事は出来ません。


勿論その思念を幽霊と認識して働きかけても
そこには意思の疎通は起こらない事になります。


残留思念は既にその場に存在していて
それを発した人間は今そこにはいないからです。


そしてこれもテレパシーの一環だと言うことです。
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想念感知機が完成している


今アメリカではある機械装置が出米ています。
まだ一般には知られていませんが、いずれは公になるでしょう。


その装置が実用化されると殺人者たちは
きわめて困難な状況に追い込まれる事になります。


それはこんな装置です。

例えば、誰かがそこのハイウェーで人を殺してすぐに逃げたとします。


目撃者は誰一人としていません。
しかし警察がその装置を利用したならば、その犯行のすべてを確
実に写真に撮ることができるのです。


質問  犯罪が行なわれたあとでですか?


アダムスキー ええ、そのとおりです。
犯人はすでにその場所から逃げていますが、
彼はその場に「印象」を残して行きました。


彼の人格的、性格的特徴、さらには犯行時の具体的な想念波動などです。


それらのすべてが犯行現場にいつまでも残ります。


そして今お話しした装置を用いると、たとえ10ヵ月後であっても、
そのときの様子をしっかりと写真に収める事が出来るんです。

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アダムスキーがこの時に言っていた装置は
私達の残留思念を読み取り映し出す装置にほかなりません。


残留思念や想念は私達が三次元の器官である視覚を持っては
認識する事は出来ません。


其れを魂=霊体と呼んでいるもので受け止めてその情報を
脳でイメージとして再現するのがテレパシーです。


それはもちろん残留思念を写す機器なのですから
私達の想念を受け止める事も出来ると言うこと。


この時代に私達の社会は想念=思念波というエネルギーの存在を
既に把握していた事にもなります。


私達の想いは映し出す事が出来る。


そして本来であれば他人はそれを魂を持って受け止める事が出来るわけです。


今現在思考盗聴と言われている技術はまさにそれを
科学的に実現したものに他なりません。


私達の発する脳波は微々たる思念波かもしれませんが、
それを増幅したり、脳へと直接受け止める事で


テレパシー能力の退化した、
もしくは元々がほとんど機能していない私達でも
他人の思考を読み取る事が出来るようになったわけです。


私達は第一にテレパシーというものを正しく理解しなければなりません。


それはどのようにして受け止められるのかと言う事含めてです。


私達は通常は”思考・想い”という形でそれを発するのですから、
受け止めた時もそれは”思考・想い”として認識する事になります。


自分が頭の中で何かを考えてみれば良いのです。


例えば”UFO”をイメージしてみてください。


いま頭の中に浮かび上がったイメージ、其れが貴方の思考です。


鮮明なUFO映像を思い浮かべた人間もいるでしょうし
UFOを見たことのない方は形のイメージに困ったり
ぼやけたイメージを持つかもしれません。


単に「UFO」という言葉をイメージする方もいるかも知れません。


その思考をモニターが映し出したとしたら
それは貴方が頭に思い浮かべた通りの思考として表現されます。


普段から空想やイメージが得意な人間が
頭の中で明確にUFOを思い浮かべたとすれば
それはモニターの中でははっきりとした形として映し出されますし


想像力のない人間であれば、同じようにUFOをイメージしたとしても
それは前者と比べてもぼんやりとしたものとして
映し出される事になるでしょう。


私達の想念は通常、映画や本や写真のような
明確なものではありえないのです。


もしも文字で思考すれば
それは文字として再現されモニターに映し出される事になるでしょう


その機器が音の再現まで可能となっているのならば、
私達が頭の中で例えば音楽をイメージしても
音として再現出来る事になりますし


更には私達が通常会話する時のように声として思考したとすれば
頭の中で表現した音声どおりそれは表現される事になるはずです。


ただ、結局機器では限界があります。


元々のテレパシーは複雑で
今説明したようなあらゆるイメージが想定できるからです。


そして元々テレパシーの受信機能を有しているのは私達の脳ですから


その解析機能を利用するためには機器よりも
人間がモニターとなる事でその詳細が
脳で容易に再現されることになると思います。


脳の情報は同じ脳を使用してこそ再現出来るものだからです。


ただ、イメージの詳細よりも
局所局所の明確さを求めるのであれば


先述の、特定の脳の電位を特定の言葉や物と認識して
置き換える技術が有効にもなるでしょう。


そして留意して欲しいのは、
ここで説明したのは思考を読み取る方法としての思考盗聴を
”科学力による機械”を使用して実行した場合です。


問題はもしも私達が通常の生活の中でテレパシーを受け止めたとしたら
其れはどのように再現される事になるかと言うことです。


先述のように私達は脳の中でイメージとしてあらゆる形で思考します。


それが音が混じったり、文字が入ったり声としてであったり、
画像や動画としてであったりしますが


其れを想念として発した後に
他人が其れを受け止めたらどうなるかと言う事です。


思念波を魂を持って受け止めた人間は
其れを脳で再現する事になります。


そこで再現されるのはやはりイメージであり絵や思考なのです。


そしてテレパシーと言う物の実態を知らない私達は
頭に浮かんだ他人の思考を自分の思考と区別する事も出来ず

其れを自分のアイデアや閃きや思考だと認識するはずです。


思考は人によって個人差はあっても結局は
自分の物であっても他人の者であってもそれは思考なのです。


アニメや小説で出てくるように、
”声として”指令や会話が成り立つわけではありません。


更に映画のような繊細な画像をイメージできる人間もいませんし、
音楽をCDから聞き取るように再現できる人間もいません。


そして言葉を頭の中で活字として明確に再現できる人もいないでしょうし
それらは全てががぼやけた曖昧なものかもしれません。


それは”なんとなく”と表現するのがふさわしいもので
凡そが「印象」として私達の頭では受け止める事になります。


其れはぼんやりとしたイメージかもしれません。


受け止める人間の資質によってもそれは
変わる事になるからです。


つまりは脳内での再現能力そして想念の受け止める能力にも
其れは依存する事になるはずです。


通常私達は其れをインスピレーションや閃きとして
受け止めることになります。


サブリミナル効果といわれるものがあります。


TVの画像の中に数分の一秒と言う短い時間の映像を紛れ込ませる技術です。


私達の視覚は其れを受け止め認識する事は出来ませんが
脳が其れをしっかりと認識して反応すると言うものでした。


流された映像が飲み物であれば私達は脳に飲み物をイメージして
急に何かを飲みたくなるようです。


しかしそれは本来の自分の意志ではありません。


これはテレパシーを受け止めた時の私達の行動に似ています。


外部からの思考を自らの思考と認識すると
私達はその思考に従ってしまう事にもなるからです。


極端な話をすれば私が


「鳥のから揚げが食べたい」という思考を持って


街中を歩いていた時に、
私のその想いを受け止めてしまった人間は自分の脳の中で


「鳥のから揚げ」


というイメージを沸き起こすことになります。


そしてもしかしたら其れを自分の意志だと感じて
から揚げを買って食べようと言う気になるかもしれないわけです。


私達にとっての悲劇は、テレパシーを受け止めても
それがイメージや思考に過ぎないために


自分が作り上げたイメージや思考と勘違いしてしまい
それがテレパシーであると認識できない事です。


元々がテレパシーの実態を理解していないのですし
そんな事が出来ると言う知識もないのですから仕方ありません。


そして私達が持たされてる誤ったテレパシーのイメージである
”頭の中での声のコミュニケーション”という概念が
私達をテレパシーに自覚される事を妨害してもいるのです。


頭に明確に響く音声は全てが”音声送信です”
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想念を受け止めても其れをどれだけ明確に再現できるかは
おそらくは私達のテレパシーの資質によって
異なるのだと想像しています。


例えば幽霊屋敷と言われる建物の中に入ったような場合です。


そこでの反応もその人間一人一人によって
異なる事になるはずです。


まったく想念を感じない人間もいますし
とても敏感な人間もいるからです。


それに幽霊屋敷に行こうと言う事になれば、
ある人間は当初から不安や恐怖を持つ事になるでしょうし

ある人間は其れを一切感じないかもしれません。


幽霊の存在を信じる人間であれば不安や恐怖を感じ
心に囚われてそこへと向かう事になりますし


全く信じない人間であれば不安や恐怖も持つ事なく
そこへと向かうはずです。


この時点でも私達のテレパシーを受け止めるにあたり
差が出てくる事になります。


不安や恐怖を感じている人間は
心に強く囚われている事になりますし


其れがない人間は不安を持っている人間よりは
想念を感じやすいはずです。


そしてその幽霊屋敷と言われる物は
元々その屋敷に住んでいた人間の残留思念と、
その後その場所を訪れた人間達の残留思念、


更にはそんな人間達の想い=想念をも蔓延させている事になります。


そしてそこに入った時に人それぞれ体験するものは
異なることになります。


更に得てして幽霊屋敷は暗闇です。


そこで私達は三次元における大切な感覚器官である視覚を
十分に働かせることが出来なくなります。


それはそのまま私達の不安や恐怖にも繋がり易く不安を高める方もいるでしょうし、
一方では逆にその分心に囚われる事が無くなる方も出てきます。


そしてそんな諸条件が絡み合って、そこで私達はそれぞれの人間が
それぞれの幽霊屋敷を体験する事になります。


ある人間は持っている資質が高く、
その上で不安や恐怖を感じる事なければ、


暗い場所で視覚に囚われる事をも減らすことになり
その場所で残留思念を受け止め


其れを”そこに確かに何かが存在していた”と
感じることになるかもしれません。


当初から恐怖や不安で一杯の人間は
もしかしたらその不安ゆえに心が暴れて勝手にイメージを作り上げ、
視覚の聞かなくなったその場所に独自の幽霊を作りあげるかもしれません。


もしかしたら当初から幽霊など信じる事なく
尚且つ想念を受けとめにくい人間は
そこで何も感じる事も見る事も無いかもしれません。


ある人は、姿をイメージとして認識できなくても
当たり周囲に存在している不安や恐怖の想念を受け止めて
その場に不吉な気配を感じたと認識するかもしれません。


同じ幽霊屋敷体験であっても
このように元々の資質とその時の心の動き
そして視覚への依存などが絡み合いで感じ取るものは異なることになりますし、


同じ幽霊を見たと言っても残留思念を感じた人間から
自ら幽霊を作りあげてしまった人間まで存在する事になります。


私達の認識できる領域は
その人間それぞれの資質で異なる事になりますし


それが視覚中心で心を持って受け止めるのか
魂を持って受け止めるのかでも結果は異なってくる事になります。


テレパシーを理解するのも一筋縄ではいかないのです。

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テレパシーを受け止めた状態は
一言で説明出来るものではありません。


受け止め方やその内容、更には其れを発した大元が
一体誰であるかと言う話でも異なってきます。


例えばイメージと言っても
それが視覚で表現できるようなものもあれば
思考として現れるものもあるからです。


私達の思考と同様にです。


一番容易に体験していると想像できるのは”閃き”として
無関係な思考が突然頭に浮かぶような場合です。


通常であれば私達は其れを自分の思考として受け止めますが
それが実際にはそうではない場合が多々としてあるのです。


魂が想念を受け止めて其れを脳で再現した場合、


私達が本来何も考えていなかった時や別の事を考えていた時に
突然脈絡の無い思考が頭に浮かんだ事で私達は其れを閃きと認識します。


でも何故に自分では意識していなかったのに
其れが頭に浮かんだのかは私達には説明できません。


出来るとすれば、深層心理を持ち出して
其れと結びつける事くらいです。


でも現実にはそんな中には、
他人の思考が自分の頭の中で再現されたと言う事があるのです。


先述の”から揚げ”の例えの様にです。


そして時には其れは映像として認識する事もあります。


私は睡眠に入る寸前にそんな体験を何度かしています。
(一時脳の調子の良いときには繰り返し、
脳機能が低下されるとウンともスンとも浮かんではきませんが)


例えばいきなり知らない人間達や知らない風景が
突然頭の中に浮かび上がるのです。


ただ、私の場合は被害者であることもあり

そんなイメージを送られることもありますし
どこからどこまでを自分が受け止めたイメージと捉えてよいかは判りません。


私が気がついているのは、工作として与えられるイメージは
左脳の後頭部のほうから入り込んでくるようで
しかもそれは瞬間的に最初から映像として与えられますが


本当のイメージは脳の中央付近に浮かび上がります。


それが自分の思考では有り得ない事だけは確信をもてますし
それが外部からの想念や人工想念であることは間違いありません。


私の脳機能が殆ど停止寸前の時にこそ
其れは浮かび上がってくるからです。


その時の詳細を記述すると
闇政府の人間達が其れをも開発して悪用する可能性があるので
是非自ら体験してみてください。


私が得意としていたのは?
ブログを書いているときに頻繁に
浮かび上がってくるイメージです。


要するに書くべきことを当初想定していても
時には次ぎから次へと書きたいことが閃いて
気がつくと長い文章になると言うのが以前の私で


しかも時にはこんな記事を一日に三つも書き上げることもあり
一時は60以上の予備記事を持っていたこともあります。


今から考えればアイデアを貰いつづけていたのだと
思いますしその与え手は天使達だと確信してもいます。


私が室内で独り言を語っているときも
脳の状態を正常に整えてもらったり


高周波を当てられているとそのひらめきもよくなり
記事を書くときと同様の現象も頻繁に起きることにもなりました。


そして最後が「求めよそうすれば与えられん」と言うことで
自分が何かを知りたいと思考を続けた後に


思考をやめて他のことをしているときに
ふとその時の疑問が解けると言う経験です。


これが与えられた印象であると私は想像しています。


以前にも触れたようにその殆どは聖書解釈でした。


私は一年近く脳への攻撃強化が進んでいるので
おそらくは魂から創造主の意識を強く感じ取ることも出来ていないと思いますし、

その殆ども想念として受け止めた印象では無いかと思います。


そしてここでアダムスキーが言っていたような
注意が必要となるのです。


与えられた印象はぼやけているもので
「こんな感じかな」と言うもので、


もしも私達がその詳細を自分の心を持って推測しようと勤めると
そのイメージは捻じ曲げられることになります。


無理やり未解読部分を理解しようとせずに
時間を置いて再びその印象をイメージすると
今度はもっと鮮明にそれが与えられることになる。


そんな体験を何度もしています。


これは私達の夢とも似ていると思います。


夢の中でぼんやりとした他人を眺めている時に
それが誰であるかを推測できないでいて
自分で其れを誰これと推測するとその人間の顔が突然変化する。


結果当初持っていたイメージが歪められる事になります。


私達がテレパシーを受け止めた時には
それを自ら思考しようとしないで
ぼんやりとしていてもそこに憶測をいれないで


そのまま受け止めるように勤めなければいけないようです。


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ところで兄弟姉妹と理解者の中にはおそらくはいないと思いますが


超能力を開発しようと言う目的で
生命の科学や創造主の法を学ぼうとする事は勧められません。


私達は結果として進化を果たし其れが脳機能へと
還元されるのであって、


当初の目的が未知能力であっては
正しく学ぶことさえ妨げると思いますし

何よりも動機が不純かもしれません。


未知能力の開発を進化として捉えれば
其れは誤りではないのでしょうが


其れをもって自分を特別だと感じたいとか
他人との比較で優越感を持つのであれば
それは心のエゴが動機となっているからです。


当然進化はおぼつかないと思います。


私はUFOを見たいと言う気持ちさえ
最近まで殆ど持つ事もありませんでした。


と言っても最近スカウトシップを私の目が追い求めるのは
あくまで彼らがこの社会に姿を見せてくれて
多くの人間に認識してもらいたいと願うことの延長としてです。


その動機が私達の魂から出たものであることが
大切なのは理解して頂いているかと思います。


テレパシーという未知能力の進歩は
私達の精神状態と脳機能の向上の結果についてくるものだと認識すれば
其れを追い求める必要も無い事になります。


それにこの社会の中では不要なものでもあります。


人工テレパシーが出回るようになれば
ますます私達の真のテレパシー能力は失われていくはずでもあるからです。


そして周囲の多くの人間はその存在すら理解してはくれないと思います。


ただ、自分が其れを体験した時に”これだ”
と認識できない事も考えられるので知識として持つ事は大切です。


しかしながら一方では、魂の経路を意識するために
テレパシー開発法のような手法が有効である事も間違いありません。


魂と言う存在を未だまるで意識できない方は
テレパシー能力の開発を意識すると


その時に使用する脳の領域などからも
魂の経路を受け止める事になるかもしれません。


私達は次の生において何か夢を実現するために
其れを使用してみたいですね。


例えば私が想いで呼びかけて兄弟姉妹で集い
そこで地球社会の思い出話をする。。


そんな日が来るように魂の進化を続け
自分の課題をしっかりとこなして欲しいと思います。


理解者であれば今の自分にとっての最大の進化の妨げを探せば
それがそのまま今回の課題である可能性もあるかと思います。


テレパシーなど開発できなくてもやるべき事をやっていれば
そして意識が創造主の法に向いていれば
きっと私達は目標の転生を果たす事が出来る。


私はそう考えています。


ただ、この社会の多くの人達にテレパシーと想念を理解してもらえれば
霊魂がこの社会から消えて一度きりの人生が
永遠の生へと変わる事になるかもしれない。


其れを意識して見ました。


兄弟姉妹達の中には私よりも想いを強く受け止めることが
出来る方もいるかと思いますが

未体験の方には参考にして頂ければと思います。


テレパシーで想いが通い合って調和を果たす体験を
私達は次の生で体験することになります。


憎しみや争いの存在しないその社会が
どれほど心地よいものなのか


その体験をする日が来るまで
厳しい修行?に耐えて行ってくださいね。


【貴方に無限なる力の祝福がありますように】


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P.S.


どうやら日本はますます地獄社会に突入していくようです。


新世界秩序は既に動いています。


とりわけ純粋な日本人ほど大変な想いをする羽目になりそうです。


選択肢はOBEY OR  DIE


彼らに服従する人間、もしくはそのように誘導されたり洗脳された人間は
とりあえずは生きていけますが


そうでない人間には死が待っていると思います。


と言っても苦しみさえなければ私達にとっては
それは卒業の時ですね。