生命の科学 VOL33 | 不幸のブログ 

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三次元と四次元の狭間 に関しての記事と生命の科学と宇宙の法則
について語ります。

被害記事は書いていませんが
はっきり言えば随分と酷い目にあっています。


でっかい異物を腸内に作り上げられましたので
電磁波がどれだけ強くなるかは想像もつきません。


その上に未だに異物製造の薬品も吸わされていることには
触れておきます。


記事を書かないことで下の部屋の工作員の加害行為は
更に激しくなってきています。


苦しみや怒りの想念を少しでも出さないように
努力している最中ですが
そこに付け込まれているような物かもしれません。


加害者達を煽っているのは公安・メーソン関係者でしょうね

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生命の科学を学ぶことは
一段づつ階段を登る行為と似ていると思います。


それまでの積み重ねがあるからこそ
次の理解もし易くなる。


階段でも一段上に上がる事は容易でも、
それが一気に5段上がれと言われると
助走でもしなければ無理です。


生命の科学も同じことが言えると思います。


記事はここまで進んでいますが
生命の科学の内容を理解するためには


まずは私の過去記事”宇宙の法則”を読んでもらって
私達の学ぶべき真理の全体像を掴んで頂きたいです。


そして”生命の科学”を最初から順番に
読んでみて下さい。


理解が進んだ方は今度は応用として?
”真訳聖書”の記事を読んで頂ければと思います。


賢明な方であれば新しい世界が開けると思います。


これは禁止事項を伴わない
私達が真理を追究しそれを実践していく教えです。


宗教では有りませんが普遍的真理の実践です。


アダムスキーは宗教こそが
宇宙の法則の教えに人間の価値観を加えて作り上げた
地球独特の物であることを触れています。


そしてこれは一切全ての制約を受けることなく
日々の生活の中で特別な時間を設ける事なく


通中通りの同じ暮らしをしていく中で
単に其の意識の向け方と生き方を変えていくための物だと思います。


制約を受ける必要が無いのは、
私達はそこで精神を学ぶのですから、
これを学び実践すると言うことは


自由意志を持って行動し体験した事の中から
正しいと感じたことを実践する努力をすると言うことですから


結果的には、精神の100点満点の行動に
自らが近づこうと努力をする事になるからです。


一切の外部からの制約は必要ありません。


人間の中に100点の答えを持っている人間は
存在していませんし、


他人の行動を制約する時点で
その人間の行動は精神からかけ離れている事も
私達には理解できるはずです。


特別な時間を設けてはそこで何かをする必要もありませんし
できることは時々は精神の科学の本を読む。


聖書のイエスの言葉を読む。


参考になる様であれば私の記事を読んでいただいて
後は日常生活の中でその視線を変えていく練習と
何かの行動をする時に


その行動の結果が最良だと思うような
行動をとるように意識をする。


何かを見つめるにしても
現象としての目に見えるものだけではなくて
その原因なるものを考える習慣をつける。


これだけでも良いのだと思います。


でも、日々の小さな意識の変化は
長い目で見るととても大きな物となるはずです。


そして気がつくと私達は
精神と神の意識を理解できる存在へと
変貌していると思います。


勉強の成果をはっきりと認識したい人は
まずはアダムスキーの本を読む。


そして生命の科学の勉強を進める。


そしてある程度進めたところで
再びアダムスキーの本を読み直す。


これだけでもアダムスキーが一体その時に
何を私達に伝えたかったのかがはっきりと
理解できるようになっていると思います。


さらに聖書でイエスキリストの言葉を読めば
その中の例え話やイエスの教えの中に隠されている
本当の意味が私達には理解できるようになっていることに
気がつくと思います。


本当で有ればクリスチャンであればとてもよく理解できる
内容かと思いますが、


おそらくは今までの心で作り上げた価値観が妨害しては
私の記事の理解を拒否すると思いますので、


その意味では一般の宗教とは無関係な人間や
宗教徒でも、その教えと生命の科学の内容が
競合しないような教えを受けている人間ほど
理解しやすいのかも知れません。


私はこのような記事を書き始めたときに
もしかしたら自分への被害は小さくなるかと思いました。


内容が闇政府の話に直接触れるものではありませんし
これは組織を前提としての勉強ではないからです。


でも実際は多くの組織の神経を逆撫でさせたらしく
私への攻撃は激化の一途です。
(組織の中から私への賛同者ができることを
とりわけ嫌がっているようです)


逆に言えば地球の法則に従っている人間達が
私を憎むと言う行為が一体何を意味しているかを
考えて貰えば良いのだと思います。


実践している人間が自ら体験する地道な自分の意識の変化。


何かの価値観を丸ごと鵜呑みにするのではなくて
自ら体験して自らが思考して作り上げていくと言う過程。


多くの方に体験して頂きたいと思います。


そしてそれが私達の覚醒へと
確実に繋がっていくのです。

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私は四次元ですら理解に困っているのに
アセンションで5次元世界の住人になると言う
不可思議な話も耳にします。


少なからず私達に宇宙の法則を伝えてくれたスペースブラザーズは
肉体を持った三次元の存在ですし
四次元や五次元に暮らしているわけではありません。


私達は四次元をイメージして
それを理解できるよう勤めればこの社会では十分だと思います。


アダムスキーの生命の科学は読んでいて
必ずしもすぐに理解できるような内容ばかりではありません。


アダムスキーもブラザーズも
生命の科学では私たちに理解をさせることだけでなくて
自ら思考させる事を重視しているのだと思います。


それはイエスキリストが
例え話で宇宙の法則を民衆に語っていた事と同様だと思います。


自ら考える癖をつけること、
そして其の上での理解こそが私達の身になるのだと言うことを
イエスもアダムスキーも意識していたのではないでしょうか。


私は結構難解に見える生命の科学に関して
興味を持って貰うためにも
独自の解釈で記事を書いていますが


それはあくまで参考にして頂いて、皆が自らしっかりと
アダムスキーの言葉から何かを感じてほしいです。


イエスが触れていたように一の教えから30も60も100も
学ぶ人も居ると思いますし、中にはせっかくの機会を生かせず
理解に至らない人も居ると思います。


私よりも理解の進んでいる方であれば
私よりも深い視点での理解が可能だと思いますし


そんな方々には私の解釈が幼稚に思えるかもしれませんし
時には誤った解釈が混ざっていると判断するかもしれません。


私の記事は生命の科学と言う
宇宙の法則を学ぶための基礎の存在を
知って貰うためのきっかけに過ぎません。


学ぶのも実践するのも全ては自分なのです。


そして生命の科学は理解が深まれば深まるほど
私たちに多くを伝えてくれる内容になっていると思います。


繰り返し読むことで、其の時の理解度に合わせた
新しい発見がある事を確信しています。


私であれば同じアダムスキーの著書に関しても
生命の科学をある程度学んだ後に読み返すと


今まで理解不能だったアダムスキーの言葉の内容も
理解できるようになっていました。


私達は精神の進化を自ら体験しているのです。


其の事を継続して感じ続けて言ってほしいです。


宇宙と共に私達も進化し続けましょう。


例によってアダムスキーの著書からの引用です。

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【三次元世界に住みながら四次元世界を知覚する。】


さて心を、意識的な行為の観察者たる意識との関係の中に
置いてみる事にします。


これについては海岸を例に挙げる事が出来ます。


我々は広大な水面をながめ渡すとき、
その中に無数の生命体が居ることを知っています。


そこで我々はセンスマインド(感覚器官の心)が見ることの出来ない
海中深く起こっている活動について意識的に気づくようになる
必要があります。


いまや我々は印象を通して多くの生き物を意識的に知覚するようになり
食物を求めて海底をあさり歩いている一粒の砂ほどの生命体を
見るようにしなければなりません。


そして海底から水面に至るあいだに同じ事をやっている無数の種類の
生命体を知覚しなければなりません。


その生命体の中には海底から上昇して水面付近の光を
見ようとしないのもいますし見ようとするのも居ます。


他の動物にもいますが、クジラは海中の水圧や諸要素を制しています。


というのは深海にもぐることが出来れば、
又水面上をも泳ぐことも出来るし、
地球を包んでいる空間からくる不可視のガスを吸う事も出来るからです。


またそのガスの海の体験を求めて
海水を離れるトビウオの様なものもいます。


こうしてこの動物達は二つの異なる世界を持つわけです。


水という液体の世界と液体が作ったガスの世界です。


人間も同時に二つの異なる体験下で生きていることを
知覚するようにならなければなりません。


人間は三次元の地球上に住んでいながら、
しかも四次元を頼りにしてその中で生きているからです。


地殻から上方の空に向かって
我々が空間と呼んでいる不可視な四次元の世界があるのです。


人間は土地が無ければ、
水なくして生きられない魚と同様に生きる事はできません。


形あるものは四次元の支持なくして生きることは出来ません。


地上の生き物が生きて呼吸するのは
我々が大気と呼んでいる空気なのです。


それが無ければ万物は生きる事が出来ません。
地球でさえも、存在できません。


(訳注 この場合、空気の満ちた大気圏そのものを四次元と
言っているのではない)


人間の苦悩は四次元世界で始まります。


”感覚器官の心”としての人間は原因の結果である
三次元で働いているからです。


それゆえ人間は結果の世界に多くの時間を与えていて
それを(結果の世界)かなりよく理解しています。


しかし人間は自己の周囲の不可視な世界と自分の住んでいる世界とを
結び付けようとして酷く苦しんでいます。


そして四次元を理解しようとして
意識の代わりに心を用いながら混乱しています。


そして原因であるところの不可視の四次元世界に存在する
あまりに大きな相違のために


長い間三次元世界で教えられたように
四次元世界を理解するのは、困難になっています。


古代人でさえも四次元を理解しませんでした。


もし理解していたなら天と地、
原因と結果と言う風に分類しなかったでしょう。


時間の始まり以来、人間は自分と同じような
三次元の具体的事実を望もうとして自分を訓練してきました


四次元を神秘と空論にしてしまったのです。


わずかにあちこちで一個人が
あらゆる次元の関連性を見ることが出来ただけです。


そして本人がその体験の分析結果を表明しようとすると
殆ど誰も相手にしなかったのが普通です。


一例として、イエスは四次元を説明しようとしましたが、現代でさえ
彼の教えは理解されていません。


その結果、今後理解されるだろうという望みの元に
四次元は生命の抽象的な側に置かれてしまったのです。


しかし人間は今ここでそれを理解しなければ
これから先それを理解できる機会は無いでしょう。


人間は次に取るべき段階をしってからその動機を
理解できるのです。


時間と言う財産は未来が安定する前に持たねばならない
”理解力”ほどに大きなものではありません。


理解力がなければ我々の宇宙の兄弟(他の惑星の人々)が有している
知識を、地球人が持つことは望み得ないからです。


人間は三次元社会について多くを学んできました。


いまこそその知識を周囲の四次元の不可視な世界と
結びつける時です。


ただし、人間がずっと支配され続けてきた諸々の
神秘を捨ててしまおうとすればです。


この事は結果である心を、原因である意識に対して
謙虚にさせる事によって達成されるものであり、
こうして両者の関係を意識に説明させることになります。


意識は限界を知らない四次元の世界であるので
意識のみがこれをなし得るのです。

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とうとう四次元の話に成りました。


私も何度も読んで最近になって漸く
その雰囲気がつかめてきた内容です。


結果を先に述べておけば
私達がかなり以前に見聞きした事のある四次元の概念と
同じ内容であると認識しました。


最近はこの存在が正しく語られていない事は
言うまでもありません。


私の理解の出来ている範囲で説明させて頂きますが
科学的な説明や具体性には乏しいものなので
それぞれ自分で調べたり、


出来るならば精神でそれを感じ取るよう
努力して頂きたいと思います。


この四次元なる世界は
私達の三次元にすっぽり重なった状態で存在するものであると
私達は認識することに成ると思います。


そこはアダムスキーが触れているように
精神(意識)の世界です。


もっと言えば、神の意識の世界、
神のエネルギーの世界と言う事に成ると思います。


アダムスキーは四次元が存在しなければ
三次元は存在し得ないと触れていますが、


この事は四次元で意志として伝えられた事が
三次元で現象として引き起こっていると言う事を
意味するのだと思います。


同時に私達にエネルギーを与えている存在である神の意識が
四次元の物であるという事だと思います。


私達はそこからのエネルギーの供給なしには
肉体は食事の栄養補給で維持できても、
精神は維持が出来ないのだと思います。


例を挙げてみると、
マリオネットの存在を考えて見て欲しいと思います。


マリオネット人形本体は私達の肉体で
それに掛かっている紐は私達の精神(意識)の一部だと考えてください。


そして紐は上に伸びていて、そこにそれを動かす人間の存在がありますが
その存在を神の意識、もしくは私達の精神(魂)のエネルギーであると
考えてみてください。


私達の精神は肉体全体を覆っていて
更には神の意識・エネルギーのある四次元に伸びている状態だと
理解して頂ければ良いのだと思います。


紐を操る存在がいて其の紐を通じて送られてくるエネルギーが
マリオネットを動かしている。。。


マリオネットの場合は手や足を紐で動かすものであり
現実の人間は手や足は”心”で動かしているので
あまり良い例えとはいえませんが


私達が心を持って動かす事の出来るものや感じる事の出来る物以外は、
精神を持って動かしている事は既に理解して頂いているかと思います。


私達の身体の中では精神の働きで様々な活動が行われていますが
まずその大前提は私達の肉体としての神のフォームに
魂である精神が入っていることです。


マリオネットの紐を精神の一部とすれば
それが肉体と繋がって常にエネルギーを肉体に供給しているから
マリオネットは動く事が出来ますが


その精神である紐が切れてしまうと肉体は活動できず、
人形としての実態が横たわる事になります。


私達の三次元社会はその肉体であるマリオネットが
その物質としての活動を行っている場であり、
精神の指導によりその肉体を活動させる場であると言うことです。


そして魂である精神が肉体と離れれば
その状態は私達は死と呼んでいます。


糸が切れたマリオネットが横たわっている状態がそれです。


更にこの事は、下敷きを境にして
磁石と鉄製のものを両面からぶら下げた状態で
下敷きの上で磁石を動かす行為にも似ていると思います。


下敷きが三次元と四次元の境です。


磁石を意識、神のエネルギー本体とすると


鉄製のものが三次元の万物です。


磁石からの磁力が精神(意識)として
私達の肉体に注がれているエネルギーだと捉えるわけです。


磁石を下敷きから遠く離すことで
精神としての磁力のエネルギーは万物に届かなくなり
結果万物は磁石からの影響から開放されます。


開放された状態は人間であれば勿論死です。


もっと言えば、私達は三次元を生きている存在のようでありますが
実は同時に四次元にも依存して生きている存在であると言うこと。


精神が三次元と四次元の橋渡し役をしている事からも
そのように理解しても誤りではないと思います。

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私達は何故にこの仕組みを理解することが出来ないのか?


アダムスキーが触れているように
私達は三次元の社会を常に意識して暮らしている
存在だからだと思います。


そこでは感覚器官を使用しては”結果”としての”現象”をながめて
暮らすことに成ります。


感覚器官の認識できるものはその全てが”結果”(現象)なのですから
私達の心はその価値観で固まっても居ます。


私達が知識として持っている全ては
実は結果の寄せ集めに過ぎないわけです。


そしてこの三次元世界を眺めているのは
私達の心でもあります。


この心は肉体の一部である感覚器の経験や好みで
その価値観を作り上げているわけですから

勿論この三次元社会を見つめるには適しています。


そして現に私達はその三次元社会を心を持って深く追求したことで
多くの現象を捉え、それを認識してもきました。


しかし私達が時々は意識させられることになる不可解な現象は
三次元だけでは説明が出来ないことにもなります。


そこで私達はその現象を四次元や神秘現象へと
結びつける事にもなります。


私達は精神の世界・四次元の気配を感じているわけです。


ただ私達はここで気をつけなければ成らないのだと思います。


三次元を見る器官である”心”を使用して理解するには
四次元は複雑すぎると言う事にです。


もっと言えば四次元は精神を使用して感じる世界であり
心を持って理解する事は難しいと言う事です。。


更に判りやすく言えば


視覚をもって匂いを感じることは出来ませんし
嗅覚をもって音を感じることは出来ませんし
聴覚を持って味を感じることは出来ませんし
嗅覚を持って物を見ることが出来ないと言う事と同じだと思います。


心と精神は全く別の器官であり
それぞれが受け持っていて感じるべき感覚は別物であり、


三次元と四次元は 
視覚を持って認識する視界と、聴覚を持って認識する音のように
全く別の性質のものであると言うことです。


その事を理解できるようになれば
目を持って匂いや音を感じる事が出来ないように


心をもって四次元を正しく認識することは
出来ないことに気が付くと思います。


そして四次元はオカルトでもなければ
天国や地獄のある場所でも
高級霊の居る場所でも霊界でもないわけです。


ただ、私達の精神(魂)はそのまま霊魂といえますし
私達は死後は精神が四次元に向かうことに成るはずですし


転生までは現実に数秒であったとしても
四次元では時間の概念も異なりますから
そこで次の転生への準備なるものも存在しているのだと思います。


その場所を霊界であると言うのであれば
霊界は存在するともいえますが
少なくとも既存の概念の霊界ではありえない事になります。


私達はその四次元の世界をも
三次元世界同様に心を持って理解しようとするために


時々は精神を通じて感じている不思議な現象を
四次元に関わるものであるとか精神に関わるものであると認識できず


それを怪奇であると捉えたり
神秘であるとしてしまったりすることになります。


それが霊界通信であったり、幽霊の存在であったり
するのだと思います。


心を使用した三次元では説明できない事を
私達はまとめて神秘現象にしているのです。


一方私達は四次元なる世界に関しても
正しい理解が出来ていないゆえに、
更なる多次元の存在の話にも惑わされることになります。


恐らくは私達がそんな世界を理解できるのは
今後何度も転生を繰り返して


まずは精神の存在を当たり前として捉える事が出来るようなった
はるか後のことだと思います。


多次元成るものが存在してそれを理解できる様な人間は
精神をかなり使用出来ている事になります。


そんな人間は宇宙の法則を理解できて当然でしょうし
説明されるまでもなく四次元の意識から
それを受け止めても居るはずです。


当然啓示も感じていることでしょう。


しかしそんな人間達が宇宙の正しい摂理を
説明できないという事は


彼らは精神を正しく理解出来ていないか
彼らの情報が誤っているという事に成ると思います。


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精神の世界を因(原因)の世界とアダムスキーは触れていました。


そう考えれば四次元は因の次元と言うことに成ると思います。


そして私達が学んでいる生命の科学での
原因と結果の法則は


実はそのまま四次元と三次元を結びつけて
理解を深める事にも役に立って居る事に
気が付いて頂けたのではないでしょうか。


表に見えている時計の時刻を示す表示盤や針は
結果としての現象を示していて、


一方表面では見えては居ない
その内部の働きこそが因(原因)であるように


私達の三次元で感覚器官で捉えられているものは
すべてが現象であり


その行動を起す因なる世界が四次元である。


そんな説明も出来そうです。


神の諸法則は因の世界で働いていて
その結果が現象として私達に目撃されているのです。


私達は四次元を知覚するだけの
精神の働きを意識するのは難しいので


当分の間は心で認識できない世界を
四次元であると認識するのが良いかもしれません。


少なくともこの三次元で生命活動が起きているのは
四次元が三次元に並行に存在しているからであるという事は
ここで理解して頂きたいと思います。


私達が自分の意識で行動を起す時でさえ
実は私達には行動を起こそうという想念が起きるそうです。


それは心や精神の誘導で原因が引き起こされる
という事でもあると思います。


その意識は三次元ではなくて
四次元で発生しているのかもしれません。


霊魂の存在は想念の存在で理解できました。


四次元の存在は精神の世界という事で理解できました


そして天国と地獄も存在しないということが
私達には理解できているはずです。


あとは輪廻転生が理解できれば
そして精神の存在が理解できれば
私達は誰もが覚醒するきっかけとする事ができるはずです。


既成概念とは異なるスペースブラザーズ直伝の
”生命の科学”の奥深さを
私は身をもって感じていますが、皆さんは如何でしょうか。

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