真訳聖書 VOL13 想念 | 不幸のブログ 

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三次元と四次元の狭間 に関しての記事と生命の科学と宇宙の法則
について語ります。


組織がらみの工作員は
私が記事を書く事さえ妨害してきます。


右脳の能力低下でイメージが沸きませんし
左脳の能力低下で論理的に文章がかけません。


その上に記憶を引き出すことも難しくなり言葉も出てきませんし
記憶力の低下もありますし、脳の回転まで最悪です。


でも私が今生きている意味は
記事を書いて公開する事だと考えていますので
負けないで記事を出します。


最近は闇政府に


今日は私も耳が痛い内容です。


ここを引用したのは勿論単に
聖書の紹介のためではありません。


まずは詠んでみてください。

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マタイ5章21節

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昔の人々に『殺すな。殺す者は裁判を受けねばならない』
と言われていたことは、貴方がたの聞いているところである。


しかし、私は貴方がたに言う。
兄弟に対して怒る者は、誰でも裁判を受けねばならない。


兄弟に向かって愚か者と言う者は、議会に引きわたされるであろう。
また、ばか者と言う者は、地獄の火に投げ込まれるであろう。


だから、祭壇に供え物を捧げようとする場合、
兄弟が自分に対して何か恨みを抱いている事を、


そこで思い出したなら、その供え物を祭壇の前に残しておき、
まず行ってその兄弟と和解し、それから帰ってきて、
供え物を捧げる事にしなさい。


貴方を訴える者と一緒に道を行く時には、
その途中で早く仲直りをしなさい。


そうしないと、その訴える者は貴方を裁判官に渡し、
裁判官は下役に渡し、そして、貴方は獄に入れられるであろう。


よく貴方に言っておく。最後の一コドラントを支払ってしまうまでは、
決してそこから出てくることはできない。


『姦淫するな』と言われていたことは、
貴方がたの聞いているところである。


しかし、私は貴方がたに言う。
誰でも、情欲を抱いて女を見る者は、
心の中ですでに姦淫をしたのである。


もし貴方の右の目が罪を犯させるなら、それを抜き出して捨てなさい。
五体の一部を失っても、全身が地獄に投げ入れられない方が、
貴方にとって益である。


もし貴方の右の手が罪を犯させるなら、それを切って捨てなさい。
五体の一部を失っても、全身が地獄に落ち込まない方が、
貴方にとって益である。

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以前ここを読んだ時には、
その内容をそっくりそのまま受け止めて


「心で思ったり感じたりしたことは
そのまま現実に実行した事と同様である。」


と言う事をイエスが言っているのだと想像していました。


勿論それは間違いではないと思いますが
イエスキリストの頭の中には
おそらくは想念の存在があったかと思います。


想念は良き物も悪しき物も、
すべては心で考えただけで全身から発せられるものであると
アダムスキーも触れています。


そしてその想念は
発した人間の細胞にまで影響を及ぼす存在であることを
私たちは生命の科学で学んでいます。


現実に発した想念は私たちの肉体にも、
更にはその辺に散乱する事で一般市民にまで
影響を与えるものだと言うことでした。


精神感応能力の乏しい私達にはその存在を感じ難くとも
おそらくはブラザーズであれば、この社会の中からは
様々な低い意識の想念を感じているかと思います。


人を実際に殺していなくても、そして女性を
実際は犯してはいなくても


その事を心で意識したその想念は現実に体から発せられていて
本人にも一般社会にも目に見えない影響を与えている。。


現実に殺していなくても殺意はそのまま
殺人に通じる低い波動として存在している。


ブラザーズであればそれを全て感知しては
影響として受け止めることもあるのだと思います。


そしてそんな悪しき想念が地球規模で増え続けると
それに私達もが影響を受ける事になる。


地球が悪しき想念で満たされることで
この社会も地獄と化しているのかもしれません。


私達がそんな低い意識を持つ状態は
心に意識が捉われている状態でもありますし
勿論精神を感じる状態ともかけ離れた意識の時なのだと思います。


イエスの言葉の真意は
”単に目に見えない罪を心の中で犯している”
と言う意味だけではなくて


私達の心がイメージするものは
すべてが精神レベルでは現実に起きているのと同じであり
それが私達に現実に影響を与えている。。。


イエスはその事を私達に説明をしたかったのではないでしょうか。


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ここではイエスキリストは
自分の兄弟に暴言を吐く人間は。。。と触れていますが、


この場合の”兄弟”の意味もおそらくは
”隣人全体を含む全ての人間”を指し示しているであろう事は
言うまでもありません。


全ての人間は神の意識の現れであり
私達は全員が神の分身なのですから


全ての人間は”神という父”の元に兄弟だと
アダムスキーやブラザーズは認識しています。


そしてここでの引用も
それを主張しているのだと思います。


最初に人を殺してはいけないと言う
結果”現象”としての殺人を取り上げておいて


それとの比較として、
殺人が起きていなくてもそれを心で意識するきっかっけとなり得る状態として
”他人に対して怒る”と言う状態を取り上げているのだと思います。


私が”耳が痛い”と言うのは
私は加害行為を受けて加害者達に悪態をつく事があるからです。


勿論、自分に対して外部から姑息に危害を加えてくる人間に対して
優しく接する事が出来るような心の広い人間ではありませんから、
遠隔からの加害行為に関して私は頻繁に怒ります。


しかしイエスキリストによれば
宇宙の法則では、そんな行為も認められないと言う事のようです。


私は人のいない空間に向かって悪態をついているので、
本来であれば罪のない行為にも思えます。


しかしそれが盗聴されているのですから当然それは
加害者につき抜けなのです。


しかも彼らが聞いていなくても
現に私は怒りの感情を持っているわけですから
負の怒りの想念を発する事にもなります。


つまりはイエスキリストの教えでは
それは罪なのです。


キリストの教えを実践しようとすると
得をするのは悪人ばかりと感じる方もいるかと思いますが


その得をする人間達は現世において得をしているわけですし、
それは次の転生で美徳となるものではありませんし


一方損をしているような人間は、
神の国に宝を積み上げる行為をしているのだと
受け止めれば良いのだと思います。


イエスの広報をして、
イエスの教えを実践して迫害を受ける物は幸いですと
イエスも語っています。


そしておそらくはそれは真理なのだと思います。


現実に私達が持っている心のエゴの価値観では
理解しがたい話かも知れませんが


私達の学んでいる生命の科学、原因と結果の法則に照らしてみれば
イエスの言っていることが良く理解できるはずです。


理解できる方は精神の進化が進んでいるはずです。
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ここではゲヘナの存在も出ています。


ゲヘナというのは要するにキリスト教における
地獄の業火を指し示している言葉です。


勿論、地獄は現実には存在していない事をイエスは知っていて
敢えてそれを引用して私達に警戒を促しているのです。


そして地獄の代わりに存在しているのが
”魂の消滅”である事は何度も触れています。


心が暴走し、肉体が暴走し
その結果私達が精神から遠ざかるのであれば


その原因となっている状態を取り除いてでも
私達は心の暴走を、心に資している器官の暴走を、
そして心の欲求を抑える必要がある。。


その事を私達に知らせるために
過激な例えをしているのだと思います。


目玉を取り除けと言うのは、視覚の価値観が
心を誘導している事を止めさせろという意味かもしれませんし、


右手を取り除けと言うのは
手が心の本能に従うことを妨げろ
と言う意味かもしれません。


もしも現世のこの社会の中で肉体を損傷しても
それで心の暴走を抑えることが出来れば
そして結果として精神を強く感じることが出来れば


私達は第二の死を迎えることなく
永遠の命へと入ることが出来る。


イエスキリストはその事を
私達に伝えたかったのではないでしょうか。


どんな事が罪に直結するのか、
そしてその行為が如何に精神から私達の意識を
遠ざけるのかと言う事に


イエスはここで触れてくれていると思いますが
参考になりましたでしょうか。


ブラザーズとは全く異なった教育を受けて育ち
全く違う価値観を心を持って作り上げてきた私達には


精神を感じることも万物の調和の意識を感じることも
難しいと思います。


ただ、私達が人間として生きているにあたり
当たり前とされていた事が


今では当たり前ではなくなっていると言う事を
私達は気がつくべきです。


どんな考え方であっても個人の価値観として
認められる時代ではありますが、


神が予定している私達人間は、
宇宙の創造物、地球の万物の一部として
他の全てと調和していくべき存在であるという事を


私達は認識しない限り
私達の社会には平和が訪れることはない。。


管理社会は出来上がったとしても
調和社会が出来上がることは有り得ない。


自分と言う存在は心を通じて感じる
肉体を持った個人であるだけではなくて
この地球の万物の一部であり、宇宙の一部であり、神の一部である。


私達がこの社会を天国にしたければ
その事を理解できるようにならなければならないのでしょうね。。。

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P.S.


今年は私や生命の科学を共に学んでくれた方にとっては
覚醒の年でもあったと思います。


私達は人間の生まれてきた真の目的と
そのあるべき姿を理解できるようになりました。


この社会の実態をも認識出来るようになりました。


それは素晴らしい事だと思います。


特に私と同じような立場の人であれば
この社会で受けている苦しみが
いずれ報われると考えることも出来るようになったと思います。


嘘と捏造と偽造に満ちた社会の中で
私達が生きていく真の意味を理解するだけでも
困難な状態なのですから


その上にその生き方を実践しようとしている私達への
神からの報酬は小さくはないはずです。


自分のエゴのために神を信じ込むのは
愚かな行為だと思いますが


私達の目的は宇宙の法則に適っているわけですから
いくら神を盲信してもそれは間違いではないと思います。


私達の信頼すべき神は自分にとって
都合の良い存在ではありません。


悪い表現をすれば
神にとって都合の良い存在に私達は変貌しなければならない。。


私達が神が予定している人間の姿へと変わっていくことで
それに対して真の生(記憶を持った状態での転生)という
報酬を与えてくれるのが神と言う存在なのだと考えれば
わかり易いかと思います。


例え神を無視しても、神の予定する状態とはかけ離れた意識で暮らしても
私達は神の作り上げた法則から無縁で存在できるわけではない。


その事を認識できただけでも
私達は魂を進化させたことになるのだと思います。


進化の進んでいる方は
自分が共に進化したいと願う身近な人間に
生命の科学と宇宙の法則を知らせてあげて下さい。


その事で神の国が近づく事になる人間が
増えていく事になります。


私も生ある限り頑張ります。