生命の科学 VOL14 | 不幸のブログ 

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三次元と四次元の狭間 に関しての記事と生命の科学と宇宙の法則
について語ります。

正直言いますと私はもう潰される寸前なのです。


それに便乗して調子に乗って
恐らくは闇政府傀儡系の工作員たちの被害者成りすまし、


若しくは被害者兼加害者の人間たちの
勢いが増していく気配があります。


一番自分たちにとって都合の悪い存在であろう
闇政府に関してまですべて触れていて、


尚且つ生きた証拠と化した私を陥れておいて
組織的犯罪被害自体を工作員たちにとって都合良く
誘導していく新たな工作がスタートしたようです。


私が壊れれば似たような主張をしている人間は
他には殆どいませんし、


後は遣りたい放題で得意の”さくら”で
一般の被害者を演出することも出来ますよね。


掲示板では新しい工作の全貌が見えるようで
笑えるものがありました。


日本はもう終わりましたね。


今後は、本当の紐なしの被害者と
潜在的被害者でもある一般市民は


メーソン系であり朝鮮半島系である
自称被害者達の誘導にご注意下さい。


もっともらしいことを主張しながら
平気で嘘で他人を陥れてきた人間たちです。


私を潰しにかかっている本人達が
被害者を誘導していこうとしているようなもので
いつもならハラワタが煮えくりかえる思いですが
今日は呆れて笑うことしか出来ませんでした。


潰すべき相手はとことん嘘と誹謗中傷で落としいれ
自らは被害者やカリスマを演じる。


これが彼らの手口だと思います。


被害者は其れを鵜呑みにして騙される事無く
被害と戦っていって欲しいと思います。


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今は少しでも自分の意識が精神を感じれるように
努力をしているところです。


それでも脳への封印ともいえる刺激のために
私は本来の自分でいる事は出来ないようです。


地球の法則を遵守する人間たち、
ユダヤ教徒パリサイ派の傀儡と成り下がった人間や
近所の大家一族関係者とその協力者など、


私を陥れ、若しくは壊したい、さらには亡き者にしたい
人間たちの攻撃に私はすっかり参っています。


肉体攻撃を併用した意図的な精神攻撃で
私は時間経過とともにどんどん性格が悪くなっていくような
そんな感覚を感じているところです。


ただでさえこの部屋の中でいくつもの感情を失い、
苛々状態を誘導させられまくってきたのですがそれでも足らないようで
私の脳を今の状態では放置する気はないと言うことのようです。


要するに神や宇宙の法則を語っている私の主張の信憑性を下げるために、
今度は徹底して私の人間性を貶める手段にでもでたのかと
想像しています。


私の記事は私を離れて皆の元に届いたときに
それは既に私の物ではではなく


私たちが感じるべき共通意識としての
精神に近い主張である事をぜひ感じ取って下さい。


覚醒した人間に対しては
工作が効果がないことを私は確信しています。


そしてそんな方々がドンドンと精神の進化を深めてくれることが
私の主張の正当性を高めてくれることにもなり


強いてはアダムスキーとスペースブラザーズの主張こそが
普遍的真理であると言うことを知らしめる結果に繋がると思います。


そんなこともあり、


”生命と科学”とか”宇宙の法則”を記事で書けるような
そんな精神状態、肉体状態ではなくなっています。


私への脳への汚染、苛々誘導含めての肉体への関与は
とても激しいものがあると思います。


私は自分が敏感になっている事もあり
ただでさえ刺激には反応しやすくなっているようでもあります。


ここ数日間は書置きの記事を公開して済ませていますが


私の生命の科学の記事は
一応、24番目まで下書きがしてあります。


時には思考能力の妨害を受けながら
そして意識を下げられながらの下書き記事ですから
内容も今一つまとまってないかと思いますし、


どの程度私がアダムスキーの主張を
正しく説明できているかどうかはわかりませんが、
独学するよりは参考にはなるかと思います。


それと私の方はサバトが最高潮に
なろうかと言う気配でもあります。


頭を壊されたり洗脳されたりすることを一番恐れていますが
そんな最悪の事になった場合でも
自分の意思でその旨を皆に伝えれると信じています。


(死ぬことは恐れる必要はないのです。
覚醒者には理解できるはずです。


肉体を切る者よりも心を切る物を恐れよ。。
聖書にもそんな趣旨のイエスの言葉があったかと思います)


それができず、洗脳でもされてブログの主張が変わった時は
過去と比べればその一貫性がどうかも皆は理解してくれると思いますし


生命の科学や宇宙の法則、そしてスペースブラザーズや
アダムスキーに対する私の信頼性は何があっても変わらないことを
今から明言しておきます。


私は自分の今までやってきた事を無駄にしたくはありませんし、
数少ないアダムスキーとブラザーズの信奉者として
その広報の根が絶えるようなことは避けたいです。


私が潰れた後のなりすまし、
若しくは洗脳されたような場合の私の主張は無視して、


私がしっかりと自分の意識で記事を書いていたその記事だけを参考に
宇宙の法則と生命の科学を独学して行って欲しいと思います。


現在は12月16日までの記事が
下書き状態で予約設定してあります。


21世紀の生命の科学、一冊の本を独学し終えた後は


私が到達できなかった精神の深みに
皆は到達できていると信じています。


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【偉大な英知とは内部の意識】


この高度な英知とは何でしょう。


ここで再び定義として意識(精神)なる語を持ち出す必要があります


というわけは、時としてこの意識は平常は妊婦の好まないある種の
食物を摂るように彼女の心に印象付けるからです。


この食物は胎児の発育に必要なのです。


そしてこの英知は妊婦の体内に運動をおこさせます。


指示の声が聞こえるわけではありませんが
妊婦の心はある変化が起こったことを知ります。


これは印象によってなされます。


なぜなら意識は我々が知っているような音響を用いないからです。


我々が言いえる限りでは、胎児の創造者すなわち製作者は
この意識であると言えます。


そしてこの製作は全て心とは別個になされます。


それでもなお心は前期の食物の件のように
やってくる印象類に反対することによって意識と衝突するかもしれません。


しかし食物を求めなかったり食べることが出来なかったりすれば
不完全な子供が生まれるでしょう。


以上、妊婦を例に挙げましたが一般人も日常、
意識から心に与えられている印象類を無視していて


避けうるはずの多くの不完全な行為を起こしています。


これはまったく、心が多年のあいだに尊大になってしまい
その両親である意識に対して思いを寄せないためです。


心は過去の行為によって自らを支持し
前進する代わりに歴史を繰り返しています。


歴史的な改善もいくつかありますが、
しかし人間の行為は戦争における人間の抹殺のように
過去の上を一歩も出ないで依然として過去に根ざしています。


心は意識の指導に従う事によって
毎日清新さをもたらす機会を待っているのです。


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前回の記事で精神(意識)なるものこそが
人体の設計図を理解していると言う話に触れました。


私達は出生なるものを当たり前として捉えていて
その過程については深い理解をもっては居ないと言う話でした。


しかしアダムスキーが話しているように
妊娠した母体は無自覚の内にその設計図に基づいて
必要とされる元素を体に入れる事を求められているようです。


妊娠した事で急に酸っぱいものが食べたくなるなどと言う話が有名ですが、
女性は妊娠中はその食べ物の嗜好も大きく変わる事があるようです。


その事実も精神の働きを引用すれば
説明することが出来るわけです。


人体と言うものを作り上げるためには
勿論、最低限必要な元素が存在している事になります。


母親はその必要とされる元素の種類や量など知りませんが
子供は10ヵ月後にはしっかりと生まれて来ています。


その間に母親は子供の成育に必要な元素を
しっかりと取り込んだ証拠だと言えます。


この結果を当然と捉えたり単なる偶然と考えては
私達は心の支配から逃れる事は出来ないと思います。


実はその時に、心へと働きかけている無自覚な意識があり
それが母親に必要な元素を体内へと導かせている。。。


それこそが神の意識である精神の存在に他ならないという事です。


妊婦の食べ物の嗜好が変わると言うのは、
その神の意識が人間を作り上げるために必要な元素を理解していて


それを心に集めるようにと働きかけている事に由来すると
理解すれば良いようです。


元々が妊婦の誰もが、子供の成育に必要な栄養や元素を
満遍なく摂取して生きているわけではありませんし、


その時に不足を感じれば精神が心に無自覚の状態で働きかけて
心はそれを摂取しようとする。。。


その行為が嗜好の変化として現れているのだと説明できるわけです。


母体が自らの体内で起きている事は理解出来なくても
設計図を知らない母親が自分の心で命令することなくても、
母親が結果として子供を作り上げる事が出来るのは


決して偶然の結果ではなくて
そこには何らかの意識が関わっている事だけは
私達も理解できるはずです。


それが細胞の記憶であろうが、意識であろうが、
人間を作り上げる過程を知っている何かが
私達の中に存在しているからこそ


極端な話が性教育を受けていない人間であっても
妊娠可能な状態であれば性交によって妊娠に至り、


その後は子供の成育など意識すること無くても
子供は育ちそして出産に至ると言う事になるのだと思います。


生命の神秘の一言で片付けようとすれば
そこからは何も学べる事もありませんが


その子供という”結果”を見つめ
その原因と過程を理解しようとすれば
嫌でもそこには何らかの意識の存在を感じざるを得ないと思います。


そして精子と卵子の合わさった受精卵を
結果的に人間の姿に至らしめたのは、


それが単に無計画に分化した余分な細胞ではないことからも、
細胞組織が計画的にその分化を進めたからに他なりませんし
それを誘導するに至る何らかの意識が存在していた事になります。


それは一つ一つの細胞に直接働きかけたのかも知れませんし
全体としての完成図を示し続けたのかもしれません。


そしてその意識こそが”精神”であり神の意識であると
アダムスキーは触れているわけです。
(DNAは神の知識の記憶でもあります)


ブラザーズも触れていましたが
神は元素の究極の使い手であるという事でした。


自分の体でもある全宇宙の空間の中ににおいて
人工物以外の全ての物を作り上げているのは神の意識ですし、
神の意識が私達の中に存在して入ればこそ人体の創造も可能なわけです。


私達はその意識を精神として持っている存在ですし
私達の魂は神のエネルギーそのものですから


無自覚のうちに私達の精神はそこから設計図を引っ張り出してきて
人体を形成するに至った。


そう考えれば母体の神秘とか生命の神秘などと触れては
片付けるよりも、余程正しく理解できるのではないでしょうか。


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子供の生育過程においては心の動きは無関係であると
アダムスキーは触れています。


ただ、一つ例外があると言う事も想像が付きます。


それは母親や父親から子供が感じるであろう想念です。


胎教のために良い音楽を聴くとか
母親の精神状態が子供に影響を与えると言う話は


そっくりそのまま子供の生育過程において
私達既存の人間の想念が子供に何らかの影響を
及ぼすと言う事に他ならないと思います。


子供は勿論ある時期までは魂としての存在である
精神とは無縁であるようですが、


一旦魂が吹き込まれると
両親の想念を強く受け止める事になるのかもしれません。


なぜかと言えば子供のエゴとしての心は未だ真っ白い状態であって
精神を感じる妨げにはならないからです。


つまり心に捉われる事が無いわけですから
精神が前面に強く出ている状態でもあるでしょうし
その状態は想念をも捉えやすいであろう事も想像つきます。


もしも、そこで外部からの想念を受け止めると
それはそのまま子供の精神を通じて心へと反映されるのかもしれません。


もしくは今作られている子供の細胞に
記憶やイメージとして植えつけられるのかもしれません。


いずれにしても生まれて来た子供は
少なからずお腹の中に居た時の母親の精神状態に
大きく左右されるという話は、おそらくは間違いではないと思います。


そして一方では母親の精神であり神の意識であるものが
子供を作り上げ生まれるまでの間
そこで子供を見守り続けているのであれば


今度は母親の精神と子供の精神は
神の意識として一体化している可能性もあります。


母親が子供を自分の分身であると感じる理由は、
単に自分のお腹を痛めて生んだと言う理由だけでなくて


精神と言うもので確実に一体化していたという状態を
どこかで認識しているが故の感覚なのかもしれません。


しかし近年生まれてきた子供に対して
愛情の持てない母親が増えているのは自分の精神を感じることなど無く


エゴの塊であり感覚器官の気持ちよい事の塊と化した
”心”にばかり意識が奪われている証拠だと思います。


子供のために自らの人生を犠牲にしても良いと
思う母親が居る一方で、


自らのエゴや快楽ために子供を見捨てたり
放置するような親も居ます。


そして今の世では後者の割合がどんどんと増えて行っているように思えますし
巷でもそんな事件が多発しています。


母親本人の手による児童虐待や、
父親と離婚した母親の、愛人による児童虐待の横行は
そんな風潮をそのまま物語っているのだと思います。


一番の精神の絆すら奪われている社会。


それが私達の住んでいる社会の実態なのです。


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アダムスキーが言うように”心”と言うものは
それが神の摂理に適っていないとしても
同じ行為を平気で繰り返すような存在なのだと思います。


それは結局は精神とかけ離れた価値観を作り上げてしまっている事と
それを満たす満足感や快感をこそ、心は望んでいるからだと思います。


もしも私達が時折語りかけてくる良心の声とも言える
精神の存在を強く意識する事が出来るようになれば


心の望む行動に捉われることなく
精神の望むとおりの行動を取れるようになれば、


私達の心と精神は限りなく接近していくことに
なるのかもしれません。


子供の話を読んでいて
実は精神とそれを覆っている容器を想像していました。


子供は心がまっさらなので(実は前世での死ぬときの想念の影響を
受けていると言うのが正しいらしいのではありますが)


その心を透明であるとすれば
心は精神のからあふれる神の光を遮断することはないわけで


心なるものが精神に被さって
その器として機能していると想像すれば


私達の心が濁る事で精神の光が届かなくなると言う例えも
出来るのではないかと考えました。


いずれにしても私達はエゴがある限り、
そして感覚器官の奴隷となっている限り、


そして結果ばかりを見つめているうちは
精神とは縁の遠い存在であり続ける事になると言うこと。


私達はその事を意識して暮らしていくべきなのだと思います。


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P.S.


母体の中と同じことを宇宙空間でしている存在が
アステロイドベルトの存在だと前回触れました。


火星と木星の間にある小惑星体にみえるアステロイドベルトを
惑星が崩壊した状態であると考えている人間も居るようですが
太陽系の中の”一器官”と捉えるのが正しいようです。


あれは以前から説明している、
太陽光を遠隔の外惑星へと届ける役割を果たしていますし


しかも太陽系で子宮の役割を果たしているわけです。


どこかの惑星の影響で
太陽系のバランスが崩れるような事になれば
アステロイドベルトはそれに対応するそうです。


具他的に言えば惑星が何らかの原因で崩壊するような兆候を示せば
アステロイドベルトの中ではその惑星の代替品が作り上げられる事に
なりもしも惑星が崩壊するに至れば


その崩壊した惑星の後に新たな惑星がアステロイドベルトから
送られることになると言います。


もしも惑星間の引力バランスが乱れたり
何らかの影響で月のような衛星も
作り上げられるのかも知れません。


アステロイドベルトは太陽系の大きな子宮です。。


勿論私達はアステロイドベルトどころか
母体の神秘すら理解できない状態にいるのですが。。