生命の科学 VOL9 | 不幸のブログ 

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三次元と四次元の狭間 に関しての記事と生命の科学と宇宙の法則
について語ります。


同じ科学力であっても使用する人間の意識のレベルで
その用途も大きく変わるのが医学であり電磁波技術。


宇宙の法則やスペースブラザーズの主張と
似て非なる主張が精神サイトでも利用されるようになって来ました。


私が以前から触れている宇宙人情報を伝えているサイトや
某精神サイトが私の主張である宇宙の法則と類似する内容を
一部取り上げてはミスリードを始めたように思えます。


部分的には宇宙の法則やブラザーズと同じ事を触れていいるのですが
しっかりと地球の法則へと誘導する毒が混じっています。


宇宙の法則ではオカルトや神秘的なものは存在していません。


霊界も否定されますし、アセンションも出ては来ません。


いつも言うように天国も地獄も存在してはいません。


タイムトラベルも同様です。


私達は今まで目で認識できないものや
視覚と聴覚の矛盾する現象などに恐怖や神秘を覚え


それを全て正しく理解・認識することが出来ず
神秘・オカルトとして取り扱ってきてしまったと言う経緯があります。


それは私達人間の知識の足りなさ、そして理解力の不足、
更にはハイテク技術の隠された使用のために、
誤って作り上げてしまった物に過ぎないのです。


全ての現象や結果はその原因が説明できるものとして存在していますし
まったく盲目的に信用すべき事など存在してはいないのです。


私達が見えないけれど認識しなければならないのは”神の意識”と
神が用意していている各種法則の裏の仕組みだけです。


私達は事実だと思い込まされている、実は誤った情報を
私達の心から完全に排除するためにも


生命の科学を学び宇宙の法則を知り
それを実践しなければなりません。


今回(今現在の闇政府の一連の動き)も
地球の法則が宇宙の法則を押しのけて
今後の地球の行方を決定付けてしまうのか、


それとも覚醒した多くの人間によって
今度は大きな意識の変貌が地球規模で
もたらされることになるのか。。


それは神のみぞ知る。。


と言うことでしょうか。

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前回の続きからです。

アダムスキーの著書からの引用からです。


第二講義 二回目の記事です。
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心が楽しい状態を保とうとするのならば、
いつかはこうした勝手な意見を捨てなければなりません。


世の中のあらゆるトラブルはこのようにして作られてきました。


そしてトラブルが大きくなってくると、
人々は目的をもって万物を創造した”全包容的な意識”である
神の手にそれをゆだねようとします。


人々はこの”偉大なる英知”が
状況を修正しようとしてくれることを望みます。


しかし多くの例でその修正法がしめされても
人々はそれに応じようとはしません。


最初に過失をおかした心によって
その修正法が理解されていないために
それが受け入れられないからです。


そして時として心は抵抗の態度を取り
不活発な状態となって何もしません。


修正によって学び取ろうという決意を持つ代わりに
責任を逃れようとします。


神は自ら助けるものを助けると言われてきましたが
そのように、望ましくない結果を修正し、報いを得るためには
個人も何かをなさねばなりません。


センスマインドの自尊心は苦難に満ちた過程を見出すかもしれませんが
感覚を持つ人間は体験によって学ばなければなりません。


そしてこれを成すためには本人は感覚器同士が互いに尊敬しあうように
訓練しなければなりません。


現在そうであるように、それらは互いに尊敬感を持たず
そのために人は自己の存在に尊敬間を持ちません。


そこで人は何かの感覚器官を楽しませてくれる人々以外の他人に対して
尊敬感を持たないのです。


センスマインドが自ら訓練をせず、自身を意識(精神)に支配させないならば
其の状態は過去と同様に今後も続くでしょう。


家族が幸福であろうとするならば
家族の各人は自分が尊敬されたいのと同様に
家族の各人をも尊敬しなければなりません。


そして指導者である両親を信頼する必要があります。


感覚器官についても同様です。


それらは人間と言う世帯を作りあげている
家族のようなものです。


従って各感覚器官を元の正しい状態に戻すのは
容易ではないでしょう。


しかし、我々が天国のような生活をすごそうとすれば
右のことが達成されなければなりません。


生きるための理由を学び、これを理解する以外に方法はありません。


ここまでです。
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日々多くの過ちを犯している人間であっても
其の過ちを過ちであると認識できなければ当然反省する事もありません。


それ以前に、私達は自分の失敗や罪を反省するのではなくて
責任逃れする傾向があるとアダムスキーは触れています。


私達の心は心地良い事こそが好きなのですし
エゴの意識は自分が可愛いと言う意識そのものでもあります。


自尊心なるものはその最たるものだと思いますし
私達は其の自尊心を傷つける事をとても嫌うようです。


何かを為した時にその行為が自分のエゴは心地良いかも知れませんが
結果的には正しくないような事もあります。


もしも其の行為をした後に冷静になって、


「自分は正しくない行為をしたのではないか」と


気がついて精神を使う事が出来れば
そこで反省すると言う行為が生まれるのだと思います。


しかし”心”は自分が可愛くて仕方がありませんし
とてもプライドが高いのですから
自分の間違いを容易には認める事が出来ないようです。


そんな時にはそれを責任転嫁する事で
自らの罪や失敗を正当化しようとするのだと思います。


それが心にとって一番心地良いのだと思います。


たとえ話をして見ます。


会社の中でお茶をお盆に載せて歩いていた時に
お盆のために視界がさえぎられ、


通路に置いてあった、他人のかばんに足を取られ
転んでお盆をぶちまけたとします。


当然湯飲み茶碗は割れますし
結果、机にお茶を飛ばしたり周辺の人間には
迷惑をかける事にもなります。


この時に心が自尊心を前面に押し出したとしたら
お盆をひっくり返した人間は


「こんなところにカバンを置かないで」と


通路にカバンを置いていた人間を責め立てるかもしれません。


それは自分が失敗してしまった行為を
自分のエゴが其のプライドの可愛さゆえに
カバンを置いた人間に全ての責任を擦り付ける意識だと思います。


カバンを通路に置く人間もいけないのですが
不注意でそれに足を引っ掛けた人間も良くない。


”精神”で考えればそういう事になると思います。


でもエゴの暴走している人間は
決してそうは考える事はないと思います。


「自分は悪くない。悪いのはカバンを置いた人間である」
とです。


カバンを置いていた人間が全面的に
自分の所為であると譲れば問題はありませんが


もしも
「前をしっかり注意していないお前も悪いだろう」


と正論でもコメントすると
その後争いになることも目に見えています。


アダムスキーはそんな事の積み重ねが
この社会をトラブルだらけにしているのだと触れているのだと思います。


一方私達は自らは何も変わる事の無いまま
心地良い事、自分にとって都合の良い事を望みます。


時には自ら努力もせずに神頼みをする事もあります。


しかしアダムスキーが触れているように
自分が何も変わる事なく、努力する事無くして
報酬だけを受け止める事は出来ないと思います。


エゴである心を源泉とする意識により願われる事柄は、
宇宙意識、神の意識に乗っ取ったものではないからです。


宇宙意識の欠片も持たずに
神にエゴに基づいた願い事をしても
神が其の願いを聞いてくれる事があると思いますか。。。


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アダムスキーは各感覚器官はそれぞれが
エゴを主張すると話しています。


例えば目の前に私達が理解していない科学力を使用して
夜道に人間の立体映像が写されたとします。


それが、目の前を歩いていれば
目はそこに人の存在を認識する事になります。
しかし耳の方は其の存在を認識できません。


歩いているはずの人間の足音が
聞こえてこないからです。


アダムスキーに拠ればここで両者は争い
心に混乱を引き起こす事になるそうです。


目の方は人間を認識しているのに
耳の方はそれが認識できない。


其の両方の感覚を受けている脳は
混乱するに至る訳です。


そしてそれはそのまま不安や恐怖心に繋がる事になるかもしれません。


更にそのような心(各種感覚器)では説明の出来ない事柄は
全てオカルトや神秘現象とされてしまうことになります。


前回の記事で取り上げたように
好きと嫌いの意識にしても各感覚器官は異なります。


納豆の匂いは嫌いだけど食べる事は好きだと言う人もいます。


これは嗅覚が嫌う現象を味覚は好んでいると言うことになります。


そして味覚の好きという意識が、嗅覚の嫌いと言う意識を超えているから
その人は納豆を食べる事が出来るのかもしれません。


食べ続けていると
嫌いだった匂いも慣れてくるから不思議ですが


もしかしたら納豆なる存在を無自覚のうちに
精神を利用して正しく評価するようになったからかもしれません。


人間を見る時も同様に各感覚器官は好き嫌いを持っているはずです。


そしてそれらの暴走を認めると
私達には沢山嫌いな物が出来る事になりますし


一方私達に心地良さを感じさせてくれる物ばかりを求め、
心地よい体験ばかりを求め、
それこそが好ましいと考えるようになる状態にも繋がって行きます。


全ての人間が心を使用しながら
このような行為を続けているのが今の社会であり


心の価値観の暴走が敵を作り上げ、
この社会に混乱を齎しているのかもしれません。


全ての感覚器官を総動員して現象を認識し、
それに精神を併用することで
私達は深く正しく万物を認識することも出来るようになる。


そしてその事をアダムスキーは、家族の関係や
その結果実現できる明るい家庭に例えてくれています。


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心と精神の併用という作業は
同時に心の修正を伴う物のようです。


単に原因と結果を見つめるだけでなく、
原因を変える事で結果を変化させるだけでなく、


心を精神と並行して見つめる事で、
行動の基準が無自覚のうちに精神=神の意識になるように
近づけていく事が大切なのだと思います。


しかし今まで遣りたい方題していた私達のエゴを
精神(神の意識)に近づけなさいと言っても


このエゴなる意識は私達が生まれて来た時からの
環境や体験に基づいて培われたものですから
容易に変更する事は出来ないと思います。


でも変えようという意識がなければ、それは永遠に変わる事もないわけで
私達のエゴは既存の地球環境に適応している内は
増長し続ける事になると思います。


でもそこで精神の存在を意識して
今まで心を使用して100の暴走をしていたのを
80まで減らす事が出来れば。。


そしてそんな意識を持つ事が出来れば、
私達の心は少しずつでも変わっていくのかもしれません。


そしてこのような意識を持つ事は
私達が宇宙の真理に覚醒するためには
不可欠な物だと思います。


私達は天国と言う言葉に引かれ、
出来るものならそこに生きたいと願って居ると思います。。


なぜに天国なるものに惹かれるのかといえば
そこが自分達にとって心地良い世界であると
考えているからではないでしょうか。


では私達とって一体どんな世界が心地良いのか?


問題はそこだと思います。


私達はこの社会の中で
感覚器の持つエゴの意識に捉われて
其の中で心が心地良いと思っている事を喜んで実行しています。


心が望んでいるのは、したい事をすること
楽しい事をすること、心地良い経験をする事です。


そして心が楽しいと感じる事が宇宙的意識と重なればよいのですが
間違いなく私達が楽しいと感じる事の中心は
地球独自の価値観に基づいていると思います。


楽しい事は他人と仲良く語りあう事ではなくて、
個人の財産の増幅かもしれませんし、


心地良いのは、自然を眺めている時ではなくて
敵を倒した時や、性的快楽を感じているときかもしれません。


その様な行為に心地良さを感じて要るとしたら
私達が求めているはずの天国が其の通りに存在していて


もしも其の世界に入る事が出来ても
其の天国を楽しいとか心地よいと感じる事はないはずです。


何故ならば其の場所は地球よりも遥かに神の意識に則って
生きなければならない社会ですし


宇宙意識に満たされた社会であり
地球上の価値観に捉われた私達がそのままの意識で暮らす分には
決して心地良い世界ではないはずだからです。


そして、地球の価値観に捉われ過ぎてしまった場合は
私達の魂もそんな場所へは行きたいとも思わないのではないでしょうか。


つまり地球の法則に捉われたままの人間が
理想としているはずの天国に行ったとしたら


そこを刺激の無い息の詰まるような場所に
感じるかも知れないということです。


その事に気がつけば私達が望むであろう事は二つです。


少しでも長くこの自分のエゴの満たされる空間に
居続けていたいと望むか、


天国なる存在を意識して、そこで暮らす事が
幸せであると感じるように心を変える事です。


いずれかの選択しかないと思います。


宇宙の法則に従うのかどうかの選択肢は、
永遠の命を求めるのかどうかと言う選択肢がひとつ。


そして地球的な価値観を求め続けるのかどうかと言うのが
もう一つの選択肢となると思います。


宇宙の法則を受け入れず地球の法則にしがみつく人間たちは、
刺激が大好きで、心はエゴと欲にまみれているはずですから
地球のこの環境こそが彼らの理想社会なのだと思います。

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私は天国なる空間が霊界ではなくて、
金星や土星のような私達よりも遥かに意識の高い人間達が
暮らしている空間であると認識しています。


そして天国の概念も元々は彼らが私達の祖先に対して
天を指差して示した場所であろう事も想像できます。


(ブラザーズが天国地獄は自分達が宇宙の法則を
地球の人間に理解させるために作り上げた概念であると話しているのですから)


そこに住んでいる人間達は皆が
イエスキリストやお釈迦様のごとく精神の人間であることも理解しています。


そして尚且つそんな社会に暮らしてみたいと思っています。


病気もなく、犯罪も無く、戦争も無ければ、争いごともない。


かといって退屈かと言うと彼らには学ぶべきことが沢山あり
常にさまざまな経験を繰り返していますし宇宙旅行にも出かけています。


地球上の生活のように、生きるためだけに働き、
働くために生きるのではなくて


彼らには経験をして精神を進化させるという
大きな目的もあります。


しかも彼らは寿命だって数百年あります。


更には死ぬたびに記憶を持ったままで転生を繰り返し、
其のたびに脳も進化を続けるのです。


未知能力だって開花しますし
私にしてみれば羨ましい事だらけです。


ただ、其の場所に行くためには私達は
地球内部での転生を終わらせなければいけません。


記憶を失いながらの転生をです。


しかも其の回数が15回になるまえに
私達は宇宙の法則に従ってこの社会から卒業しなければならないのです。


天国に関してもう一つ言えば


私達が宇宙の法則を意識して暮らすようになれば
自然とこの社会も変わっていくはずです。


勿論地球の権力者が皆そろってそれを妨害するのであれば
話は別ですが。。


そして私達の意識が変わっていくことにより
この社会に実現される社会は
天国に限りなく近いものとなると思います。


天国はこの社会の中でも
本当は実現可能な世界なのだと思います。


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P.S.


少なくとも今の精神レベルの私達が
引っ越していったとしても


天国(金星や土星)の暮らしは心地良いものにはならないと
アダムスキーも触れていました。


転生し地球での記憶を元に幼少期から教育を受けることで
初めてその社会に馴染む事になると言うことだと思います。


今現在の人生を最高の意識で送れる場所があるとすれば
それは今の地球よりは進化しているけれども、
価値概念が然程かけ離れていない社会と言う事になると思います。


(例えばアダムスキーによれば一番精神レベルが地球に近いという
火星のような星とか)


本当であればこの地球社会がそっくりそのまま
全ての面で改善され続け、


既存の価値観を変化させながらも
人々がその中に楽しみを感じる事の出来る社会発展が続けば
今の私達は一番心地良いと感じる事ができるのだと思います。


日本の行動成長期からバブルにかけての時のような状況は
それに似ている物があると思います。


勿論、お金中心社会や暴飲暴食時代をもたらしたような
負の面を除いての話です。


そしてもしも地球が1960年代に宇宙時代に突入していれば
必ず今頃は同様の満足感を世界中の人間が
享受することが出来ていたと思うのです。


戦争産業から宇宙産業への転換が出来てさえいればの話です。


しかし現実には地球の生活環境は悪化するばかりで
それと並行して人間の心も荒んでっています。。


ここにきて更なる経済的な危機が世界に蔓延しそうな気配ですが
勿論あれだって経済を握っている人間達が誘導している
世界的な経済危機の兆候だと思います。


つまりこの地球社会の中の多くの人間の精神状態は
進化しているどころか確実に退化させられているのだと思います。


日本の中を見ていればとりわけ其の事が良く判ると思います。


これでは全ての事実を認識したとしても
天国に行きたいなどと考えることなく


この社会で繰り返し生まれたいと考えるようになる人間も
増える事でしょう。


そんな人間達には宇宙の法則は邪魔なのです。


宇宙の法則の一部を都合よく利用すれば
いろいろな事も可能だと思います。


例えば死んだ時にはその直後に生まれた人間を探し出せば
その人間の転生の可能性が高い。。。


今では前世の記憶を取り戻す技術も存在している。。


どんなことが可能になると思いますか?


後は魂がエネルギーを失うことのない技術でも
開発されていれば、悪意を持った魂でも
永遠にこの地球で転生を繰り返す事も可能になるかもしれないのです。


つまりは神の法則に抗う事で
この地球をますます地獄へと変貌する事もできる事になります。


そして、意外とこの地球の支配者達は
すでにそんなことを検討しているかもしれません。

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波動の法則なるものがありますが、


似たような想念を発している人間には
似たような想念が集まる。。


もしくは似たような意識をした人間同士は
惹かれあうことになるという状況も
それで説明できると思います。


起動戦士”Z”ガンダムでは
同じような意識をした人間としてニュータイプ同士が
惹かれあうという話が頻繁に出てきます。


それはアニメだからではなくて
私は現実にそんな事があると強く感じています。


大体の場合人間同士はその意識が近い人間同士ほど
相手を理解するのが容易ですし、
そんな人間に好感を持つ事も少なくないはずです。


その時には同じような精神意識の人間同士として
精神の共鳴を無意識に感じる事もあるのだと想像しています。


勿論異性間に限った話ではありません。


私も直接あった被害者の中で不思議と馬の合いそうな人間や
好感の持てる人間がいましたが


彼らは私と似たような意識を持っている
人間だったと思います。


そう言えば、彼らも私同様に闇政府の話はかじっていた、
もしくは深く掘り下げていたりもしました。


単にユダヤ策略の知識を深く持っている人間であれば
結構ほかにもいましたが


彼らを他の被害者とは少し違って感じたのは
おそらくは単なる私の好き嫌いの問題ではないと思います。


私に対して親切だったりする人間は
他にこそ存在していたからです。


同様の精神レベルの人間は、
相手を短時間で理解する事が容易なのではないのか?


そしてその相手に強い共鳴を
無自覚で感じることがあるのではないのか?


そんなことを想像していました。


だとすれば彼らもおそらくは私と同じような
精神状態を持っている人間ではないのか。。


つまりは”自称ニュータイプ予備軍”です。


最近はそんな事を頻繁に考えるようにもなりました。


その人間達の共通点は、
今の私同様に被害者組織の中には身を置かず、
孤立した状態で存在していたことです。


恐らくは孤立化させられていたのだと思いますが、
今現在はその内の一人に関しては消息もわかりません。


感じているのは私のような人間は
加害者にとって一番管理しにくい人間なのではないかと言うことです。


要するに”地球の法則”に従っていない人間だと
言うことではないかと思っています。


私のブログ記事を読んで、
そこに強い共感を感じてくれる人がいたならば
恐らくは私と同じような意識を持っている人間。


性格ではなく、
精神レベルが似ている人間なのではないでしょうか。


こんな事を意識して自分の知り合いなどを見つめると
意外と仲間を見つける事は容易かもしれません。


今現在知識を積み重ねて地球の法則から離れつつある、
覚醒状態に近い人間を外から判断するのは容易ではないと思いますが


元々の精神がその資質を持っている人間に関しては
覚醒者であればきっと気がつくのではないでしょうか。


そんな資質のある人間は早々と全てを理解してくれると思います。


勘を頼りに仲間を”ひそかに”増やしていきませんか?


と言う話でした。(苦笑)