新約聖書 VOL17 | 不幸のブログ 

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三次元と四次元の狭間 に関しての記事と生命の科学と宇宙の法則
について語ります。

番最後に先日のパズルの答えと
三つ目の問題を載せました。


今日は宗教色の強い話です。


現実的な記事は沈黙の兵器とかで
触れれば良いと思っています。


既存の組織のクリスチャンで自らの信仰を頑なに信じ
私の主張をまるで理解できない方は


気分が悪くなるかと思いますので
読まないで下さい。


加害者組織の人間で
私に悪意を抱いている方々も同様です。


自分にしてみれば正しい主張であり
それを広報することは良いことだと確信しての記事でも


それを憎んだり逆恨みする材料にする人間も
居るようなのです。


今現在既に記事を書くことの妨害として
思考回転を鈍らせる関与が始まっています。


結局はこの人間達は自分達の組織のためにも
私の記事に信憑性をもたれては困ると考えているのだと
とてもよく理解できます。


メーソン系の人間にしてみれば
私に説得力に欠ける記事を書かせては
理解者を減らし、


支離滅裂な記事を書かせては
精神障害者扱いでもしたいのだという事も
想像がつきます。


普遍的真理である宇宙の法則や生命の科学の主張に対して
工作を出来る人間は
余程頭が良くなければならないと思います。


でも頭がよければ私の主張を
そして宇宙の法則や生命の科学を理解してしまいます。


加害者達にとってのジレンマは
その辺にもあるのかもしれません。


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加害者に対して警告もあります。


私の身内を使用しての
私への誘導工作はどんな内容であっても止めてください。


そのうち洗脳話が私のブログの記事で
踊りまくる事になるかもしれません。


皆に判るようにはっきり言えば
妻へのマインドコントロール


もしくは音声送信でも使用しての
工作が激しくなっているようなのです。


私が妻にだけは弱いことを利用しての
私の行動の誘導を狙ったものである事も
私ははっきりと認識しています。


洗脳された人間達は
被害者であり同時に加害者である事を
強いられる立場になるようです。


甚振られながらもそれを被害と認めることなく
その上で加害者達にとって都合の良い言動を
続ける事になるわけです。


言ってみれば半ば加害者達の奴隷の様なものです。


そんな人間がこの社会に溢れているから
組織的犯罪の実態は公にはならない。。


つまりはそういう事だと思います。


洗脳して、投薬して人間の価値観を変え続け
そんな人間達を利用しては


今度は価値観を変貌していない人間を誘導し
時には排除し続ければ
彼らの持っている特定の価値観は保てるわけです。


そして洗脳技術もマインドコントロール技術も
格段に進化もしているようです。


まったく恐ろしい世の中だと思います。

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昨日は朝から今日の明け方まで散々な目に遭いました。


見苦しいので詳細は今は触れません。
暴れる準備はしておくつもりですが。。。


ただ大きな力に容易に握りつぶされそうな状態の私です。


ここ数日は一日の内の長い時間帯を
苛ついた状態の中で過ごしています。


そんな私がこのような記事を書き続けることも
出来るわけもなく


今日は勿論、書置きの記事での更新となります。
(冒頭のコメントを除いて)


そして日本国内での多くの理解者を
必要とも考えています。


日本社会は何も良くなっているようには見えないからです。
(一部の目だった灰色を悪に仕立て上げ
他の灰色は白のごとく振舞っている)


原発問題を見ても政治を見ても経済を見ても
どこにも改善は見られません。


予定通りのレールの上を予定通りに
進み続けているようにしか見えないのです。


私はもしもこの社会が一気に変貌する可能性があるとすれば
それは世界の多数派でもあるクリスチャンが
皆覚醒してくれることではないかとも考えています。


生命の科学を理解しやすいのは魂の濁りの少ない人達と
自らの精神向上を心がけている全ての資質ある人々ですし
聡明な方ほど理解も進むのではないかと思います。


ただ、生命の科学はアダムスキーの話や
イエスキリストの教えにも直結している部分が多いのです。


その意味では全てのクリスチャンはその内容を理解すれば
覚醒する可能性を未だに秘めたままなのだと思うのです。


彼らの殆どが生命の科学と宇宙の法則を知らないからです。


覚醒者は気がついているはずです。


仏教徒だからイエスの言葉など関係ないというのは
誤りであると言うこと。


真の真理に宗教の垣根など存在しては居ないと言うことにです。


もしも私に仏教の知識が十分にあれば
私は生命の科学を釈迦の教えを引用して
説明することになったと思います。


釈迦の言葉もイエスの言葉も
大元は同じ内容であることに気がついているからです。
http://ameblo.jp/uruseiblog/entry-11009631713.html
(過去記事 宇宙の法則 VOL1)


私たちの悲劇は聖人が私達に覚醒の道を示してくれたときに
それを受け入れ教えを実践するのではなくて


聖人そのものを神聖化しては
その教えを宗教として人間の価値観を含めた概念として
作り上げてきたことだと思います。


私達は身近な人格神を作り上げ
それを崇拝する傾向が強いのです。


アダムスキーが触れていましたが
イエスは自らを大した存在ではなく
弟子でも自分を超えることが出来ると触れていたそうです。


「聖書では弟子は師を越えられないが
師並みには成る事が出来る」


と言う趣旨の記述がありましたが
あれはイエスの趣旨とは異なるようです。


勿論、アダムスキーの聞いたイエスの言葉は
その中にたぶんに謙遜を含んでいると思いますし


私達が聖人を超える事など
逆立ちしても無理であろう事も理解できます。


しかしイエスがアダムスキーに言いたかったのは
自分を神聖化するなということ


そして自分が望んでいるのは自分を崇拝してくれる事ではなくて
”自分の伝えた教えを実践して欲しい”という事だと思います。


聖書の中でも繰り返されていた
教えを実践する事の大切さ。


口で語ってもそれが実践されなければ
それは偽善にしかならないと言うイエスの厳しい言葉。


イエスキリストが求めていた事は
キリスト教を作り上げてイエスを神として
祭り上げることでもなければ


自分を生んでくれたマリアを聖母として
神聖化し崇める事でもありません。


全てはイエスキリストの教えを正しく理解してそれを実践し、
資質のある人間に対してはそれを布教することをこそ
イエスは望んでいたのだと思います。


もしもクリスチャンが大勢その事を理解してくれて
覚醒してくれれば


私達覚醒者の同志は一気に増えることになりますし
世界で一番多いキリスト教徒が意識を変えてくれれば
この社会も一気に何かが変わっていくはずだと思います。


資質のある人間や縁のある人間は
おそらくはもう既に普遍的真理でもある
宇宙の法則を知るきっかけを手にしていると思いますし


私のブログをそのきっかけにした方も
いるかもしれません。


ただ、まだ社会の中には
覚醒の資質を持っている人間がおそらくは
大勢残されているのだと思います。


そんな人達にも是非普遍的真理に気がつく
きっかけを与えて上げてほしい。


今は只その事を願っています。


先日掲示板に久しぶりに宇宙の法則の広報をしようと
書き込んだら、何故かアクセス規制を受けていました。


最近はまったく書き込みなどしていないのにです。


つまり私への広報妨害は更に強まっていて
私の努力程度では真実のかけらは人へ伝えることが出来ない状態に
なっていると言うことだと思います。


ちなみに書き込みをして広報をしようとしたは
”悟った人間が書き込むスレ”という趣旨のスレッドでした。


覚醒していると自称する人間であれば
私の主張を理解できるのではないか。。


そう考えたのですがしっかりと妨害を受けた形です。


最近は私が外に出かけることすら
加害者達は嫌がっているように見えます。


ブログだけで主張していても
理解者は容易には増えないので
その方法を思考している最中なのです。

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ここからが本題です。

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以前に聖書のイエスキリストの教えで
種まきに関して人々に例え話をしてみせる記述を
紹介しました。


詳細は先にこちらを読んでいただければと思います。


http://ameblo.jp/uruseiblog/entry-11018722428.html


イエスキリストは得てして神の国や神の望む生き方を
例え話にして語って聞かせてくれたようです。


この時の種まきの話は
イエスが一般の民に対して語った言葉です。


勿論あることを例えてです。


そしてその様子を見ていたイエスの弟子たちが
イエスに質問をする事になります。


「何故に人々に例え話で教えをするのですか」とです。


それに対してイエスキリストが答えた内容が
興味深いものだったので紹介しようと思います。

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マタイ13章10節から


それから、弟子達がイエスに近寄ってきて言った、
「何故、彼らに例えでお話しになるのですか」。


そこでイエスは答えて言われた、
「貴方がたには、天国の奥義を知る事が許されているが、
彼らには許されていない。


おおよそ、持っている人は与えられて、いよいよ豊かになるが、
持っていない人は、持っているものまでも取り上げられるであろう。


だから、彼らには例えで語るのである。


それは彼らが、見ても見ず、聞いても聞かず、
また悟らないからである。


こうしてイザヤの言った預言が、
彼らの上に成就したのである。


『貴方がたは聞くには聞くが、決して悟らない。
見るには見るが、決して認めない。


この民の心は鈍くなり、
その耳は聞えにくく、その目は閉じている。


それは、彼らが目で見ず、耳で聞かず、心で悟らず、
悔い改めて癒される事がないためである』。


しかし、あなたがたの目は見ており、
耳は聞いているから、さいわいである。


貴方がたによく言っておく。


多くの預言者や義人は、
貴方がたの見ている事を見ようと熱心に願ったが、見る事ができず、


また貴方がたの聞いている事を聞こうとしたが、
聞けなかったのである。

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以前の紹介した記事の中では、
イエスキリストは民に対して例え話で
その教えを語っていました。


麦の種をまいた状態と、その種がどのように成長していくかを
何通りかに分けて語り、


その事で、神の教えを耳にした多くの人間達が
その教えによってどのように分かれていくかを
説明してくれていたわけです。


撒いた種が鳥に食べられてしまうと言う例えは


せっかくの教えを耳にしても、それをまるで理解しないでいるうちに
それを魔に奪われてしまう人間の事。
(地球の法則に騙されると考えれば良いと思います)


地震兵器HAARPと聞いても、自ら検証する前に
「そんなの嘘だよ」と闇政府関係者に諌められて
納得してしまうような場合だと思います。


土の薄い岩地に落ちた種の例えは


教えを受け入れても自分に根がないために
困難が立ちはだかると、その教えを捨ててしまう人間の事。


既存の圧力や環境に負けて簡単に信仰を
捨ててしまう人間の例えです。


茨の中に落ちた種の例えは
この世の富や価値観の惑わしに負けて信仰の実が結ばない人間の事。


お金があれば楽しい事で一杯のこの社会の魅力の方に惹かれてしまい
教えの実践に進むことのない人間の例えです。


良い地に巻かれて百倍の実を結んだ種の例えは


小さな教えから多くの物事を学び悟る人間の事でした。。


そして私達覚醒者はそう在りたいと思います。


イエスはいつも例え話でその教えを人々に語っていました。


弟子達には詳細に関しても語って聞かせていたようです。


でも弟子達にしてみれば、何故にイエスが
もっと具体的な説明を民衆にしないのかという
疑問もあったようです。


おそらくこのような例え話の時には
イエスはその事の意味する内容を
民衆に直接語る機会は殆どなかったのだと思います。


どうやらイエスキリストには自分の考えが在ったようで、
そのためにも民衆に対して例えの本質を語る事はなかったのだと思います。


その理由を説明したのが今日の引用文なのです。

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イエスキリストが


「人々は聞くが決して悟らない
見るが決して認めない」


と触れています。


別の箇所では

「人々は見ているが見ていない。聞いているが聞いていない」


と言う趣旨でも触れています。


これはイエスキリストが生きていた時代の話ですが、
勿論、現代社会の私達にもそのまま通じる話です。


この一連の話はイエスキリストが
私達の思考能力と、精神を感じる意識の事を
例えて語ったものであると思います。


ここでも”心”と在りますが
これは生命の科学の中でアダムスキーが取り上げている”心”ではなくて
”思考能力”に関して触れたものではないでしょうか。


私達地球の人間は神の意識からかけ離れて暮らしているうちに
想像力や思考能力を落としていて、
それが理解力不足や精神を感じる事の出来ない状態とも無関係ではない。。


私達は、見ているようで見ているのは結果だけであり
その目に映った現象しか捉えてはいない。。


私達は聞いているようで実は言われたことを
額面どおり受け取る事しか出来てはいない。。


イエスの言いたかった事の趣旨は
そのような事ではないかと思います。


つまり私達人間は心ばかりを使用しては物事を捉えていて
精神を使用する事もありませんし


物事をイメージしたり、自ら思考する事が出来ないでいる存在であると
触れているのだと思います。


「持っている人は与えられて
殆ど持っていない物は持っている物まで奪われる。」


と言う例えは、そのまま思考能力や知識に繋がる話だと思います。


知恵や知識を持っている人間、精神の働きを理解できる人間には
正しい情報も普遍的真理へと進むきっかけも与えられる事になり
そしてそれはそのまま精神の進化にも直結するのだと思います。


思考能力を持っていて、更に精神を感じている人間は
どんどんと知識を吸収し、
一方では心を精神へと近づいていく事になりますが


”元々精神を感じられない存在や、思考能力を落としている人間は
この地球の社会の仕組みの中ではその能力を根こそぎ奪われる事になる”、


と言う事を語っているのだと思います。


私達は生命の科学でも”原因と結果の法則”を使用しては
心と精神を感じ、それを一致させると言う大きな目標を持っています。


精神を感じるためにも私達が実践すべき事の一つは
イメージを感じると言う事でした。


このイメージなるものは右脳の強い働きによるものだと思いますが
現代社会はその力を落としている人間で溢れていると思います。


アダムスキーが見えないものを見ろと言った時に
私達はその見えないものを
当初は想像してでも見ようと勤める事になります。


実はこの行為は、そのまま私達の不足している右脳の能力を
活性化する事にも資しているのです。


しかし思考能力の落とされた人間は
”生命の科学”を読んでも、私の記事を見ても


それに興味を示す事もないでしょうし
精神を感じるイメージトレーニングも困難でもあります。


そして私達が活字離れをしている理由の一つには
想像力が低下している事とは無関係ではないはずです。


読まないから衰えるのか、
衰えているから読みたくないのかは分かりません。


しかし私達が神を感じるためにも、精神の機能を働かすためにも
イメージなるものが重要である事は
私達は生命の科学の実践の中で気がついている事です。


思考能力の低下で自ら思考をしようとしない事が
マスコミ報道や闇政府傀儡の専門家の主張を
そのまま受け止める事へと繋がっていく。


一方では想像力のない私達の意識は
視覚に訴えるものや耳で聞こえるものばかりが
興味の対象になりますし、それが物事の判断の材料にもなりがちです。


【それが嘘であっても信じてしまいがちで、
ネットで「不幸のブログは嘘ばかりだ」と書いてあるのを目にすると
それを鵜呑みにするかもしれませんし


「諸星あたるは極悪人だ悪魔だ」と耳にすれば
それを信じるかもしれません。】


結果、精神の存在に気がつくきっかけを奪われますし
心に捉わ続けることになりますし、
宇宙の法則を理解する事も神の意識を感じる事も出来ません。


もっと言えば、それ以前に私達の価値観が
本来、人として持つべき価値観とかけ離れているのですから
神の存在や神の意識に興味を持つ事も多くは無いと思います。


その上で思考能力の鈍さ、想像力のなさから
普遍的真理の存在に気がつく事も出来ないわけです。


地球の人間がそんな状態にあるのだと言う事を
イエスキリストは憂い、


自ら思考してその意味を考える機会を与えるためにも
意図的に例え話をして
庶民に自ら思考する練習をさせたのではないでしょうか。


つまり、イエスキリストも、
”神の法則に気がつき、それを実践するための資質”として、
思考能力がしっかりとしている事が大切であると考えたのだと思います。


一旦、精神の存在を認め
宇宙の法則に従って生き始めると学ぶ事は山ほど出来るが


そうではない人間に真理を説いても
彼らの信仰が実を結ぶ事が難しいと言う事を
痛感していたのかも知れません。


”目で見る”と言う事も”耳で聞く”と言う事も
”真理を見て真理を聞く”と言う事の例えであり、


勿論ここでは心を使用して感覚器官の目や耳を使用して
”見て聞く”と言う意味ではなくて
精神を感じながら見て聞く事が大切であると言う意味だと思います。


そしてイエスのそんな教えを実践している弟子達は
”天国の奥義を知る事が許されている”と言う例えからも


彼らは精神を使用して物事を見聞きする事が出来る存在なのだと
言う事に触れていたのではないでしょうか。


天国の奥義とは勿論”宇宙の法則”の事です。


多くの義人や預言者でさえ、
イエスの弟子達の見ている事を見れなかったし
聞いている事を聞けなかったとありますが


勿論その内訳はイエスと言う存在によって
語られた話やイエスが起こした奇跡でもあると思います。
(奇跡ではないのですが)


そして何よりも彼らはイエスが語る神の法則を
知ってはいなかったのですから


それを伝授された弟子達の視線で
物事を見聞きする事は出来なかったという意味でもあると思います。


多くの人間が太陽系の他の惑星から
地球の発展のために志願しては地球に転生して


そこで宇宙の法則に関して
思想的、時には科学的な貢献をしたのだと
アダムスキーは語っていました。


しかし、もしもそのような助けが一切なかったとしたら
地球にはキリストの教えもアダムスキーの生命の科学も
存在してはいませんでしたし


覚醒資質のある人間であったとしても、
地球社会に何かの違和感を感じつつも
それをはっきりとした形で認識する事も出来ないでいたと思います。


私達の事を考えて見れば良いのです。


宇宙の法則、生命の科学抜きで
真の普遍的真理の存在へと独自に辿り着けたという人間が
一体どれだけ存在しているでしょうか。


イエスキリストやアダムスキーのような存在がいてこそ
そしてその教えを理解できる意識を持っていてこそ
初めて私達は普遍的真理へと自らを誘導可能になった


理解力と資質だけでは
精神の存在・神の意識を感じるに至るのは
この社会環境では容易ではないのです。


つまり地球レベルの人間の意識では、
きっかけなしに神の意識へと辿り着く事は
至難の業なのだと思います。


それを理解しているからこそ、
イエスは人々の思考能力の無さと
神の意識への理解の足りなさを何とかしようと考えた。


自ら思考する機会として例え話で
その材料を与えたのでは無いでしょうか。


そしてイエスは確かに民にきっかけを与え続けてもいました。


イエスの意識の裏には
イメージを使用しながら自ら考える事を繰り返せば


人々に精神を感じるきっかけを与える事が出来るという
判断があったのだと思います。


物理的な意味での頭の良し悪しは
精神を感じる事とは無関係だと思います。


しかし思考能力を落とされて自ら考える事を止めた人間
そして感覚器としての視覚や聴覚にばかり捉われている人間には


”宇宙の法則”やその基礎である”生命の科学”は
理解しがたい内容なのです。


私達はその事を理解したうえで
人々を誘導していかなければならない。。


もしも一人でも多くの人間をこの社会から救いたいと願えば
イエスキリストのような気配りこそが
私達に求められると言う事になるのだと思います。


イエスキリストの真の教えを理解しそれを自ら実践し
更にはイエスの使徒として人々に
覚醒のきっかけを与えること


是非実践していきませんか?


イエスの真の教えは宗教ではありません。


イエスの教えの中核はそれを実践することです。


その事をすべてのクリスチャンに伝えることが出来ればと
つくづく思います。


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P.S.


先日のパズルの答えですが

http://ameblo.jp/uruseiblog/entry-11109261842.html


一問目に関しては省略します。


二問目ですが


まず最初に8枚の金貨のうち
6枚を取り出してそれを三枚づつ
天秤に乗せます。


天秤が釣り合った時は残りの二枚の金貨の
どちらかが偽物ということになりますし

その二枚を天秤で量れば偽物が見つかることになります。


一度目の試技で天秤がどちらかに傾けば
傾いた方の三枚の中に偽物が存在することになります。


二回目の試技で、その三枚のうち二枚を天秤に乗せて
それが釣り合えばその時に残ったもう一枚が偽物となりますし


傾けば重いほうが偽物となります。


いずれにしても二回の試技で
偽物は判明するのです。


今日は取って置きの?

第三問目を公開します。


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Q3


12枚の金貨があります。


その中に一枚だけ偽物が混ざりこんでいます。


その偽物は重いか軽いか判りませんが
本物の金貨と重さが異なるのです。


三回だけ天秤を使用して
その偽物を見つけ出してください。

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ご存知の方も居るかもしれませんが
これはナポレオンも悩まされたと言われているパズルで
”ナポレオンの金貨”とも言われていたパズルだと聞いています。


私は学生時代に友人に出題されて
何度か思考しましたが結局挫折をしました。


本当に出来るのかと悩んだりもしました。


私の脳は限りなく現実的に固まっていましたし
思考は左脳に偏っていたからだと思います。


前回の一問目と大きく異なるのは
偽物が重いか軽いかが不明だと言うことです。


それだけでこの問題は難解なものと変貌しています。


一筋縄ではいきませんので
ヒントを出しておきます。


独自に容易に閃いて解ける方も居ると思いますが


頭が私のように固くなっている場合や
左脳や右脳の片方に偏っている方には
容易な問題ではありません。


創造力・想像力と論理的能力の両方が必要だと思います。


時間のある時にでも
頭の体操として解いてみていただければと思います。

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ヒントが必要な方のために。。。



まず、天秤を使用すると言うことですから
毎回”傾く”と言う事に大きな意味があると言うこと。


その傾きが後の試技のヒントにもなります。


そしてこれは勿論仮定を立てて
場合分けして考える事になると言うことです。


全てのコインに番号でも付けて考えるのが良いかと思います。


ヒントのつもりですが
かえって混乱したとしたら申し訳ないです。


でもじっくりと”バランス良く”脳を使用する事は
決して無駄では無いと思います。