宇宙の法則  | 不幸のブログ 

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三次元と四次元の狭間 に関しての記事と生命の科学と宇宙の法則
について語ります。


今日の記事を読む前に
もう一度この記事を読んでおいてほしいと思い
もう一度UPします。


この記事の下に
今日の本題、続・宇宙の法則を おきます。

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”宇宙の法則” 

今日はかなり長いですが必読でお願いいたします。


アダムスキーの著書を読んでいただきましたでしょうか?


そのなかで触れられていた
"スペースブラザーズ"と名乗っていた
太陽系惑星の有志の組織。


彼らの話によればイエスキリストだけでなくて
釈迦もイエス同様に、彼らの仲間であり、


地球人を誤った精神状態から
正しい教えへと誘導するために
地球に派遣された人間であるということでした。


しかしながら釈迦の教えとブラザーズの教えがどう繋がるのか
釈迦が本当にブラザーズの教えを伝えていたのか、


説明できないで困っていたのですが
どうやら私はその答えを見つけたようです。。。。


仏教典についての掲示板スレッドで
興味深い書き込みがありましたので紹介します。


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1 名前:真仏教徒 2009/12/02(水) 00:22:21 ID:3twSUTWZ


言うまでもなく「経典」(きょうてん)とは
仏教の聖典とされるものである。


当初は釈尊の死後3~4度にわたる結集と呼ばれる集会にて
教えがまとめられ、それは出家信者に口頭で伝えられた。


文字に起こされた経典と呼べるものはやっと紀元前後、
つまり開祖である釈尊の死後300~400年後からのことである。


そのうち内容で分類すると、釈尊の言葉を記録したとされる「経」、
規範である「律」、経典の解釈である「論」の3種に分けられる。


しかし、結集の3回目が行われた時点で、
すでに上座部と大乗に分裂しており、
おのおのの説くところは相違があったとされる。


そして全ての経典は「如是我聞」
(にょぜがもん、つまり、わたしは釈尊からこう聞いた)
という枕詞をつけることにより、


自らの宗派、団体が創作する「偽書」に
釈尊の言葉であるという正統性をもたらせた。


現在最も古い経典と言われるパーリ5部ですら、
釈尊の直接の言葉はその内の数行に残るのみだろうという
研究結果すらある。


日本での経典(特に経や律)の権威は
「命をかけて伝えられた、はるか古代より西方からもたらされた
ありがたい釈尊直々の言葉」とのものであることを考えると、


それが偽書であったことの衝撃は仏教界にとって計り知れない。


我々一民間の仏教徒はこのような事実を正面から受け止め、
まず「全て経典は偽である」と認めたのち、


既存の経典やそれに立脚する様々な仏教団体の権威を
否定するところから仏教の復興を望むべくしかない。

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引用ここまで。
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実は仏教もキリスト教同様に
釈迦の死後に弟子により勝手な解釈が加えられ
その教えは改竄され、その権威が利用されてきた可能性が高いようです。


つまり現在釈迦の教えとされている内容の多くは
その弟子や釈迦の死後の仏教を学んだ人間の独断により
付け加えられた可能性が高く、


釈迦の教えはほんのわずかな言葉が
残っているだけであると言うことのようです。


国家が国民支配のために
キリスト教を利用するためにその内容を改竄したように
仏教でも釈迦の教えは歪められていた。。


では仏教の本当の教えとは何だったのか?


仏典に集約されていると考えられていた内容が
釈迦の教えではないとなれば
釈迦の真実の教えはどのようなものだったのか??


その答えをこんな書き込みで見つけました。

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本人の解釈を割愛させて頂いています。
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:思慮 ◆AIOdk12HhuOj :2011/08/28(日) 08:40:20.96 ID:/6g9DvGd

―生きとし生ける者は幸せをもとめている。
もしも暴力によって生きものを害するならば、


その人は自分の幸せをもとめていても、
死後には幸せが得られない―(真理のことば)


森に住み、心静まり、清浄な行者たちは、
日に一食を取るだけであるが


過ぎ去ったことを思い出して悲しむこともないし、
未来のことにあくせくすることもなく、
ただ現在のことだけで暮らしている 


今日われらは美しい太陽を見、美しく晴れた朝に逢い、
気もちよく起き上がった


煩悩の汚れのなくなった覚った人に
われらは見えたからである


われらは一物をも所有していない。大いに楽しく生きて行こう。
光り輝く神々のように、喜びを食む者となろう


かれらは快楽を求めないからである~かれこそ実に最上の人である―


すべて悪しきことをなさず、善いことを行い、自己の心を浄めること、
これが仏の教えである。


わかち与える人には功徳が増大する


そなたのために仕事をしてくれる人々がいるのではない
誠実をつくして名声を得、何ものかを与えて交友を結ぶ


ことばと心を正しくするようにこころがけ、身に悪事をなさないで、
もしも飲食豊かな富んだ家に住んでいるならば、


信あり、柔和で、よく分かち与え、温かい心でいるならば、
これらの四つの事柄に安住している人は、来世を恐れる要がない


苛酷なることなく、貪欲なることなく、動揺して煩悩に悩まされることなく、
万物に対して平等である


自分を楽しませ、喜ばせ、父母~妻子~友人~楽しませ、喜ばせ~


愚劣な人が富みを得ると、自ら用いることなく、他人にも与えない。


健き人・智慧のある人は、富を得たならば、
自ら用い、またなすべきことをなす―


究極の理想に通じた人が、この平安の境地に達して
一切の生きとし生けるものは、幸福であれ、安穏であれ、安楽であれ―

 
母が己が独り子を命を賭けても護るように、
そのように一切の生きとし生けるものどもに対しても、
無量の慈しみのこころを起こすべし~


この世では、この状態を崇高な境地と呼ぶ―


一切の生きとし生ける者をあわれむ修行完成者・ブッダに、
罪過は存在しない。


かれに過失(道から外れること)は存在しない―
 

信仰心あり、学び修めた賢明な人は、
食物を用意して、食乞う人々を飲食物をもって満足せしめよ~


貧窮なる人々、旅行く人々、宿無き人々、
乞う人々に施しとして与えよ―
  

この世でもの惜しみし、吝嗇で、乞う者を罵り退ぞけ、
他人が与えようとするのを妨げる人々、


かれらは、地獄、畜生の胎内、閻魔の世界に生まれる―


悪い行いをした人々は地獄におもむき、
善いことをした人々は善いところ(=天)に生まれるであろう。


しかし他の人々はこの世で道を修して、
汚れを去り、安らぎに入るであろう―

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ここまでです。
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気がつく人は気がついたかと思いますが、
釈迦の言葉はイエスの話に通じるものが多いようです。


人間のあり方を語ったのが聖人達ですから
当たり前と言えば当たり前ですが
不思議と共に語っているのは


厳しい精神修行ではなくて”道徳”の実践です。


まず、


”暴力で生き物を害する人間は死後幸せになれない。。。”


つまり争いや戦いを否定する内容で
その行為が死後の運命に影響を及ぼすと言っているわけです。


これは勿論イエスキリストの意識と繋がるもので
争いごとを悪しきものと捕らえる意識です。


釈迦の言う死後の世界とは天国や極楽なのでしょうか?
霊界があってそこで幸せになると言うことを
触れているのでしょうか???


”過去を思い出して嘆くのではなく
未来に不安を感じて生きるのではなく
今を懸命に生きろ”と言う趣旨の事を話していますが


これはイエスキリストの
”自分の命のことで
何を食べようか何を着ようかと心配してはいけません”


(例えは難しいですが余計な不安を持たずに今を精一杯生きろと言うこと)

と言う言葉の趣旨とも同じものです。


”物を所有せず楽しみを食う。。
悪しきことをなさず、良いことを行い心を清める。。。”


物欲を否定し、人としてあるべき姿を語っているのも
イエスキリストと同様です。


”苛酷なることなく、貪欲なることなく、
動揺して煩悩に悩まされることなく、万物に対して平等である”


これは人として生きるにあたっての
心構えを表していると思います。


辛い思いをする事が精神を向上するわけではない。。


エゴから生まれる煩悩に振り回されたり
肉体を持つが故の欲求に振り回されることなく生きる。。


そしてその意識は全ての物に対して
わけ隔てなく平等に向けられ差別や偏愛はいけない。。。


これもイエスの聖書の教えに通じます。


” 信あり、柔和で、よく分かち与え、温かい心でいるならば、
これらの四つの事柄に安住している人は、来世を恐れる要がない”


信とは信念と言うよりは信仰に近い意識だと思います。
(富や食べ物を)持っている人は持っていない人に分け与えれば
天国に行けるというイエスの教えにも通じるものでもあります。


(イエスは救われたいと願う金持ちに、
あなたの富を分け与えろと話していました)


そして温かい心と言うのは勿論人間として
他人に対する思いやりを持っていると言うこと。


これもイエスの教えに繋がりますね。。


”自分を楽しませ、喜ばせ、父母~妻子~友人~楽しませ、喜ばせ~”


これは”愛せ”と置き換えると
自分を愛すように親・兄弟・隣人を愛せと言う
イエスの教えと同じものになります。


”母が己が独り子を命を賭けても護るように、
そのように一切の生きとし生けるものどもに対しても、
無量の慈しみのこころを起こすべし”


これはイエスキリストの無償の愛、慈愛の精神と
まったく同じものです。


”貧窮なる人々、旅行く人々、宿無き人々、
乞う人々に施しとして与えよ―”


旅人にも施せとは聖書にもイエスの言葉としてありました。


何から何まで聖書のイエスの言葉とそっくりな
釈迦の言葉。


両者の教えの不思議なほどの一致は
一体何を意味しているのでしょうか。


「元々イエスキリストは仏教を学んだのだから
釈迦の教えと似ているのだ」


などとは言わないでください。


確かにイエスは密教を学んでいるようです。


アダムスキーもチベットで学んでいますし
ブラザーズの伝導者は地球の道徳を学ぶことが必須なのかもしれません。


そして、争いごとは避け、誰にでも同じ様に思いやりをもって接し
自らはエゴや欲に捉われる事無く生きて
健やかな心で善行をすれば善い所に生まれることができる。


釈迦のこの教えはキリスト教の教えと
全くと言って良いほど同じものです。


そしてこれは間違いなくブラザーズ達が従って生きている
”宇宙の法則”に他ならないと思います。


と言うことは、善行をして生まれる場所とは
霊界としての天国ではなくて


(私は天国が霊界であると言う話を否定しています。
すべての間違いはここにあると思います)


おそらくはブラザーズ達の住んでいるような
意識の高い人間達の世界。。。


ブラザーズが言っていたように
釈迦はブラザーズの教えをこの地球で説いてくれた
彼らの同胞であると言う事が、


これらの判り易い引用からもとても良く理解できました。


延々と長く続く仏典と、その中の細かい規範や戒律の多さに
正直言えば釈迦がブラザーズの同胞であると言う話が
今ひとつ理解出来ないで居たのですが
ようやく納得できました。


釈迦が語っていたものも、イエスが語っていた物も
ともに人間として従うべき道徳であり
ブラザーズの主張している宇宙の法則、神の摂理そのものです。


”悪い行いをした人々は地獄におもむき、
善いことをした人々は善いところ(=天)に生まれるであろう。”


釈迦が語っていた天国と地獄の概念は
そのままブラザーズが地球人に対して使用するために創出した概念。


ここでの地獄は脅し文句で
その対象は灼熱地獄であると思われていた水星の例えであり
実際には存在はしてはいない。。


一方天に生まれると言うのは勿論ブラザーズの住んでいた
金星や土星のことを示していたのだと解釈できます。


最後の

”しかし他の人々はこの世で道を修して、
汚れを去り、安らぎに入るであろう―”


の一文が良く判りません。


可能性とすれば、汚れを去りと言うのは
”前世の記憶を消して”と言う意味かもしれません。


単に地球と言う精神を汚す環境から離れることになる、
と言う意味かもしれません。


とにかく善行を天国(精神性の高い惑星)への転生という
魅力ある話で誘導し、


悪行に関しては脅しとしての地獄を語ることで抑制し
人々の意識改善を計ろうとした。。


そして、私達に与えられている
15回程度の”前世の記憶を失う転生”のうちに


人々が他の惑星に記憶を持ったままで転生することを
誘導しようとしたのだと解釈できます。


地球の宗教は、”その源泉が正しいものであるならば”
全ては”宇宙の法則”に繋がるものである。。。


私はその可能性を強く感じましたが


皆さんは如何でしたでしょうか。。。
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ここからが本題です。

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正しく学ばないから何が正しいかが判らなくなる。


誤った事を正しいと学ぶから
誤った想念と誤った価値観の人間で
この世界は溢れる事になる。


当たり前の話ではありますが、私達は其のあたり前の事が
現実には実行出来ないで居るのです。


生まれた時から誤った価値観を植え込まれ誤った教えを与えられ、
人間が本来あるべき姿、持つべき意識とかけ離れた状態で生活を続け
環境に適応していく中でそれを当然の事と考えるようにもなっていく。


しかも社会や組織の中では
競争する事や戦う事までも教育されています。


その上に私達を誤った方向へと意図的に誘導している人間達がいるのです。
そのツールは宗教と霊魂。


その結果、私達の精神は誤った方向へ進んでいますし、
他人との調和ではなくて
分裂や競争をこそ当たり前の事と考えるようにもなります。


そして其の意識は争いや戦いに発展する意識でもあります。


自分の進むべき道をどんどんと離れて行っているのに
其の事に気が付く事も無く


逆にそんな道から離れ、あるべき道を歩いている人間がいたとしたら
其の人間は他の人間と異なる道を歩いていると言う意味で
アウトロー扱いもされることになります。


「社会は厳しいものだ、それに耐えなければならない。。」


「奇麗事では社会は生きてはいけない。」


「時には黒も白で白も黒だ。」


そんな話を聞いてはこの社会を呪った方も
ここを読んでくれている方の中には
居るのではないかと思います。


多くの人間達が当たり前と思っている事を
全ての人間が実践しなければならないのであれば


社会は”民主主義”と言われる多数決の元に
全ての価値観が決められていくことになります。


しかし多数決の結果がいつも正しいとは限りませんし
まして真理からかけ離れた人間が激増している社会の中での多数決では


其の導き出した答えは、
更に真理からかけ離れる結果をもたらす事にもなりかねません。


そもそもが基本的な価値観が
すでに真理とは異なっているのですから、
私達は真理とは無縁の存在になっているとも取れます。


忍耐は大切だと思いますが
この社会での精神に課される負担は、忍耐力を育てるのではなくて
人間の精神を歪めているような気がします。


自分に課された使命を
自ら解決するために必要な行為であるというのなら
忍耐も大事でしょうが、


殆どの場合において忍耐は
この社会の不条理に耐えるためにばかり
使われる事になっているようです。


其の殆どは第三者との人間関係で使用される事になりますし
そこでも人間が作り上げた価値観と法律が
大きく関わっても来ます。


つまりは元々は必要の無い忍耐まで
私達は強要されてもいるわけです。


最近何かをしていて
心が清められた体験をしたことがあるでしょうか。


この荒み切ってしまった社会の中で
歪んだ価値観をもったままで、悪意ある隣人と関わって生きていれば
恐らくはそんな体験は殆ど経験する事も無いかと思います。


一番ありそうなのは大自然の中に出かける事で
爽快感を得るような場合ではないかと想像しています。。


恐らくは私達は其の場所で
”自然との調和”なる物を
無自覚のうちに体験しているのであり


実はそんな意識こそが私達を宇宙の摂理に
いざなう物である事に気が付くべきなのです。


私が爽快感を感じたのはやはり、
アダムスキーに関連する書籍をまともに読んだとき。


7月末ごろに、今のこの状態の中で
この生き地獄の迷路からの出口を見つけた気持ちに成れました。


更に其の中でもブラザーズやマスターの語る言葉は、
理解し難くもありますが、


宇宙の摂理を語っているために
心の奥深くしみこんで来るものがありました。


今日はスペースブラザーズのマスター(指導者)の話から引用します。


判りにくい言い回しとなっていますし
私達には其の前提とされている事が理解できていないので
そこから説明をしたいと思います。


旧アダムスキー全集一巻より引用です。
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「友よ、人間がどこに生まれようとも、つまりどこで生きることを
選ぼうとも、全ては兄弟姉妹であることを彼らに指摘し続けなさい。


国籍や肌の色などは偶然の事に過ぎません。


肉体は仮の住家に過ぎないからです。


これらは、永遠の時間を通じて変化します。


あらゆる生命の無限の成長において
結局は誰もが全ての状態を知るようになります。


”無限者”の果てしない広大さの中には
多くのフォーム(形あるもの)があります。


あなたは私達の宇宙船内を二度見学して、
地球の大気と言う限界の外側でこの事をみています。


こうした物体には肉眼には見えない非常な微粒子から、
無数にある、最大の惑星や恒星にいたるまで大きさは様々ですが


すべては”一つの力”と言う海の中に浸っており
”一つの命”によって維持されているのです。


あなたの世界では目に見える多くのフォームに名をつけています。


人間、動物、植物などと。


名称と言うものは人間の知覚作用に過ぎませんが
一方、この(宇宙と言う)無限の海の中ではあなた方が用いている名称は
無意味です。


”無限なる英知”はそれ自体を名づける事はできません。
それは完全であるからです。


そして全てのフォームはこの”完全さ”の中に生きてきましたし
今後も絶えず行き続けるでしょう。


多くのフォームの中でいわゆる人間が
地球上で唯一の英知を持っていると称していますが
これが間違いなのです


地球でもこの宇宙の中のどこでも
ある程度英知を表現していない現象は存在しないのです。


万物の”聖なる創造主”が創造物の表現者でもあるからです。


つまりそれは創造主の現われなのであり
想像主の英知の想念の表現なのです。


人間としての貴方はこれ以上でもこれ以下でもありません。


万物を支えている生命そのもの、
そして万物を通じて自らをあらわしている英知こそ
聖なる表現なのです。


この事を知らない殆どの地球人は
自分の個人的な自我の外にある多くの物事に対して
酷く非難をしており、


万物が自己の目的を現していて奉仕のために創造されたものだから
其の奉仕をするのだと言うことに気が付いていません。


他を裁くことの出来るフォームは存在しません。


全てのフォームは”唯一の至上者”に対する奉仕者にほかならないからです。


存在する全てのものを知っている人は居ないので
知られるはずの全ての事を知っている人は居ません。


しかし喜んで奉仕する事によって
万物は自分に英知を与えてくれる源泉に対する理解が増大するのです。


この英知とは自分達を存在させている同一の生命力です。


この完全な概念によれば、あらゆる現象は多くの色や多くの種類が
互いに調和して咲いている広大な庭園の中の美しい花に例えられます。


どの花も他の花の現象化を通じて自己を感じるのです。


低い花は背の高い花を見上げ、高い花は低い花を見下ろします。


様々な色は全体にとっての一つの喜びです。


成長していく状態は各自の興味を満たし
達成しようと言う欲求を満たします。


一日かかるにせよ一世紀かかるにせよ
内部に潜んでいる美しさが展開するのをみれば
企画されたものが次第に色づいて、


他の全てに対して芳香を放ちながら現象化していきます。


万物は他に奉仕することによって
自己に栄光を与え、変わって他の全てから奉仕を受けます。


其の大きな美の広場にある全ては
与え手であり受けてでもあり”最高者”からくるメロディーの全てを
流れさせる容器です。


このようにして、王座の下で奉仕するものもあれば
其の上で奉仕するものもあって
すべてが其の周りで奉仕します。


万物が他の全てと調和し、奉仕の特権を与えられて
喜びのみを現すのです。


同じようにあなたが人間として知っている人類は
地球で生活をするにあたって生き方を学んでいれば良かったのです。


しかしこのレッスンにおいて(地球の)人間は失敗しました。


もしそうでなかったらあなた達の地球は喜びの庭、
奉仕しようという絶え間ない欲求の庭になっていたことでしょう。


しかし人間は理解力の欠乏のために
地球上の存在の調和を破壊しました。


彼らは隣人に対して敵意を持って生活し
心は混乱して分裂しました。


まだ平和を知りませんし真の美を見ていません。


物質的な達成をどんなに誇ろうとも
人間はまだ地獄に落ちた塊として生きています。


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ここまで
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かなり抽象的で難しい表現となっていますが
判り易くするために


おこがましい話ではありますが
私が独断と偏見で説明をしたいと思います。


まず大前提となることがあります。


今地球では闇政府の人間達が独自の秩序を作り
それに適応できない人間を排除淘汰していますが


彼らが支配者である世界では
それに従うことの出来ない人間は不要と言うことだと
考えられます。


其の事を”地球の法則”と名づけます。


この地球が闇政府の支配下で其の権限に従い
其の意思を絶対的なものとして機能するとすれば


そこに存在する生命は彼らの地球の法則に従わなければ
存在を危うくする事になります。


そして、”地球の法則”とは
単に地球と言うちっぽけな星の中での権力争いの勝者の意識に
従うと言う行為に過ぎません。


しかしながら、この宇宙には闇政府の人間達の遥か上に
絶対的な権威を持った存在が居て


其の存在の作り上げた世界で生きている私達は
皆が其の存在の法則で生きていく事を義務付けられている
と言えば判り易いかと思います。


そしてそのために私達が守るべき規律が”宇宙の法則”です。


私達は其の”大いなる意思”が
作り上げた世界に住んでいるわけですから


私達は其の権力者の意思に沿って生きることが
求められていると言うこと。


そしてその創造主は、全ての創造物、
創造主の意思の現われとしての全ての生き物が(本当は無機物も含む)
当初の予定通りに調和を持って生きてくれる事を願っているわけです。


神への奉仕と表現していますが
神の摂理に従って生活してくれる事を望んでいると言うことです。


この大前提が存在していて、


それゆえに私達は神の摂理に従って生きる事を
期待されていると言うこと。


其の目的は調和であり、創造物が共に奉仕し合う事ですから
目的を果たす能力と意思の無い存在は
自然と淘汰されることになります。


これが魂の消滅を意味する第二の死です。


しかしこの創造主はとても寛大なのか
其の機会を複数回、設けてくれていて


魂のエネルギーが切れるまでは
例え不調和で無奉仕の存在でも
其の存在を消し去ることもありませんし


其の間に創造主の意識に叶った生き方をするようになれば
再びエネルギーを受け取り存在する事が出来るようになるという
そんな仕組みを作り上げても居るようです。


勿論それが出来なかった魂はバッテリーが切れると同時に
転生も不能になり、消えて無くなると言う事ではあります。


マスターによれば、この私達の存在は
神を天に奉った状態で神とは別個に存在しているのではなくて


私達は神と言われる巨大なエネルギーとも言える物の中で
其の一部が形を作ったものとして存在していると言う事です。


つまりはこの宇宙全体(神の創造物)を私達の肉体に例えれば
私達の体全体が神だとすれば
私達の体の細胞の一つが人間なのです。


それが神の意思に反すると言う事は
がん細胞や腫瘍のごとく主人の体を蝕んでいる状態と言えます。


私達であれば、其のことに気が付けば
当然其のがん細胞を取り除こうとします。


そしてこの地球では、
神以外に、自ら神のごとく振舞う人間達が居て


其の人間達の意識が神の摂理からもかけ離れている事から
当然それに従わされている私達の意識も
そこから遠ざかる事になっています。


つまりはこの地球自体が
神にとっての癌細胞になりつつあると言うこと。


そして其の状態に今のところは改善は見られないわけです。


更にうまく出来ているもので
この地球は今現在、変動期を迎えていますし
この太陽系も終焉が近づいていると言う実態があるわけです。


創造主が其の元々の意思にそぐわないものを排除するのは
闇政府が敵対者を排除する行為にも似ています。


しかし神の場合は元々が私達の生みの親であり、
そんな世界では神が持っている意識こそが絶対的な真理なわけです。


このような宇宙が複数存在するのかどうかは勿論判りませんし
恐らくはブラザーズの言うように、
この宇宙は唯一の物なのだと思いますが


闇政府のごとく利己的な意識を持った神が創造主であったならば、
この宇宙もまた別の実態を持った事でしょうし


そこでは分裂や争いが喜ばれたかも知れませんし
戦争をすることが神の意識に叶った行動だったかも知れませんが


少なくとも現実の世界の神は
そんな意識を持った存在ではあり得なかったわけです。


だからこそ私達のような意識を持っている人間は、
例えこの地球で今どれほど苦しい目に遭っていたとしても


それが神の意識から離れていない存在であれば
報われる可能性が高いですよと私は説明しているわけです。


そしてこのままでは地球の悪しき代表者達と共に
消えていく運命にあるかもしれない私達の大勢の仲間を


一人でも多く、本来あるべき意識へと引き戻すべく
勤めて行ってほしい。。


そうお願いしているわけでもあります。

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この創造主は創造物が調和し共存する事を願っているそうです。


ブラザーズの世界では人間同士も、
そして人間は自然や動植物とも当たり前のように
調和をした暮らしをしているそうです。


建物も動植物をないがしろにして人間中心に
作り上げるような事はしないようですし
動物や植物が足蹴にされる事も無いようです。


マスターが語っていたように
極端な話をすれば、全ての創造物は神が美を追求した時に
其の調和を考えて創造した神の身体の一部なわけです。


その意味で其の神の分身同士の間には
上下関係もありませんし本来は優劣も無いわけです。


全てはそれぞれの役目を果たして全ての存在と調和してこそ
神が求める美が完成する。。とでも言えば判り易いでしょうか。


人間同士だけではなくて、
人間と動物と植物、さらには昆虫などが
一定の調和をもたらしている姿。


それこそを神が求めているのだと言うことのようです。


ブラザーズの社会において全ての職業が同等に評価され
其の間には上下関係が無いと言うのは、
そんな意識をそのまま実践しているからだと思います。


アダムスキーは家を作り上げる時の話を例えとして
其の事を説明していました。


完成した美しく塗り上げられた立派な家は
それまでにいくつもの工程を経て作り上げられます。


地球で言えば、基礎を作る人間が居て
本体を作る大工が居て、壁に塗装する人間が居て
外壁を作るのであればレンガを積む人間が居ます。


完成した家は、そんな人間達全員が居たからこそ
出来上がったものであり
全員の奉仕の結果が、家という美を表現した事になります。


其の中の誰かが存在しないと
其の調和は完成されませんでしたし
それぞれの役割は皆同じ様に尊敬されるものであると言うことです。


地球のように専門的に複雑な事を出来る人間が偉くて、
単純な作業をする人間を見下すなどと言った誤った意識は
彼らには存在しないわけです。


誰かが抜けても社会は成り立たないことを
彼らは理解しているからです。


そして仕事に権限が付与される事もありませんし
上下関係も存在しません。


医士や弁護士や政治家や資本家が偉くて
その下で働く人間はあごで使われると言うこともありません。


不思議な事に地球の社会を
そのままブラザーズの世界に転換すれば


それこそ”士族”や資本家や政治家の殆どは
廃業する事になります。


つまりはこれらの全ては地球独特の環境が作り上げた職業であり
ブラザーズの社会では必要の無い職業でもあります。
(そんな社会に移行する間は必要なのでしょうが)


神の法則を実践している社会には不要な職業が
この社会では大きな権力を与えられている。


不思議な話です。


ブラザーズの社会では
皆がエンジニアであり研究者であり労働者。


そして其の全員がお互いを尊敬しあい
神の法則を意識しながら神への奉仕者として
日々の生活を送っていると言うことです。


勿論、朝から晩まで賛美歌を歌って
神に奉仕し続けろ言うの事ではなくて


神の望んでいる生き方があるのだから
それを実践しろと言うのがブラザーズの生き方であり、
宇宙の法則であると言うことです。


そしてそれに叶った生き方をしていれば
永遠に存在し続けることが出来る。


そんな仕組みを法則として神がこの宇宙に作り上げた。


これが宇宙の法則です。
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私達、地球人が一番勘違いしているのは
自分達は偶然この世界に生まれた存在であり
地球は偶然生命体が生まれた奇跡の星であると言う意識。


そしてその奇跡に感謝しながらも
自分の人生は自分のために
自分勝手に生きて良いと考えているような
ところだと思います。


そして一度きりの人生なのだから
自分のやりたい事を懸命にやって
死ぬまでに悔いのないような人生を送りたいと願っても居ます。


そのような意識を持てば、誰よりも幸せになりたいとか
この人生を有意義にしたい、
死にたくない、長生きしたいと言う自己意識ばかりが優先し


その結果、自分の立場を向上しようと言う意識がめざめ
時には他人との闘争にもつながります。


楽して得をしたいと思えば策略もおきます。


そして自分達の生の本当の意味を知らないが故に
他人とも自然とも不調和を生み出していると言う事になります。。


しかし神が意識し作り上げた仕組みは、
誰もが全ての物に対して奉仕する事で、


今度は其の全ての物が個人に奉仕を返してくれると言う
万物との調和を予定した物のようです。。


それが実践されれば社会は良い想念で満たされて
調和の中美をも追求していく事も出来、


自らも幸せになれるようですが、
直進的に自分の幸せを望み、そのためだけに活動することは
実は長い目で見れば大きな損をする事になるようです。


不調和が意識の低い想念を次から次へと生み出し、
エゴが更なるエゴを生み、


謙虚さのかけらも無くプライドばかり増長した人間達が
この社会を先導しているのですから


ブラザーズの社会を天国と見立てれば
この社会は生き地獄と化しても居るわけです。


マスターはまさに其の事を指摘していました。


私達は自分達の社会を天国にも地獄にもする事が出来る。


そして天国に住むか地獄に住むか(第二の死を覚悟して)を
選択する権利は誰にも平等に存在している。。


”地球の法則”に則って生きるも
”宇宙の法則”に則って生きるも全て貴方次第なのです。。。       


 と言う話でした。

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P.S.

農業をしている人間は
無意識に作物に奉仕しているようなものだと思います。


農作物を愛情もって育て上げ作物に奉仕する事で、
今度は其の農作物が自分達の生活のための
糧を与えてくれることになる。


そう捉えることが出来ます。


お金自体はブラザーズ社会には存在しませんが、
奉仕や調和の一環をそんな農業の姿に確認することが
出来ると思います。


そんな農業がどんどんと日本から消えていくのは
とても不思議な傾向です。。


勿論、太田さんも言っていましたが
これも全て策略です。

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”宇宙の法則”
何となくでも理解していただければ嬉しいです。


私は何となく自分の役割を自覚しました。


私達の人生のその全ては
単なる偶然ではないのだと思います。


多くの人間が生まれてくる時には持っていたであろう
その時の生での役割、


私達はこの過酷な社会の中でもまれる内に
その事を全て忘れてしまい、
思い出せないでいるのだと思います。


日本と言う島国環境は
本来外圧から一番保護されている場所です。


そんな事もあり、以前も触れましたが、
アダムスキー、ヨハネス23世、ケネディー大統領の死後


恐らくは多くのブラザーズの魂が
日本の中に転生しているのではないかと想像しています。


どこかの新興宗教で”光の天使”とか触れては
似たような事を語っていましたが
勿論そんな誘導をするつもりはありません。


プライドを擽って信仰を強めさせると言う手法は見事ですが、
そんな手法でエゴを増長させ自己満足させるつもりはありません。


そんな新興宗教の勘違い天使などとは異なり、
覚醒出来るであろう人間達への奉仕者となるために


妨害行為を受けながらも広報すると言う
過酷な運命を受け入れて欲しいと言っているのです。


恐らくは本当に彼らの転生がこの社会に大勢生まれてきていて、
その多くは”ミイラ取りがミイラになっている”
状況なのだと思うのです。


そんな人間が皆それぞれの役目に気がついてくれれば、


例えそんな転生した人間でなくても
同じ視点で物事を見て、この立場を共に背負ってくれれば、


この社会は変えられると思います。
(結果的に両者は次世では一緒の立場になりますよね。)


私のような主張にピンと来る人間や
地球の暮らしに違和感を感じているような人間。
そして私と同じような被害に遭っている人間。


そして死んでいった多くの人間の中には
きっとそんな人間が大勢居るのだと思います。


私達は前世の記憶もありませんし、聖人でもありませんから
ブラザーズやそのマスターの如く広報する事は出来ないかもしれませんが


私達皆がせめて”ブラザーズの理解者”もしくは
”神の摂理の理解者”と言う意識を持って


宇宙の法則の実践とも居える内容を地道に広めて
この社会を変えていくことを目指してみませんか。


簡単だと思います。
それは基本的には”道徳”を語ればいいからです。


その一方で自分も意識を高めるよう努力するのです。


勿論組織化するとかそういう事は却ってマイナスです。


闇政府に工作され一網打尽にされるからです。


私達は個々の人間同士が離れた場所同士で
同じ意識と同じ価値観を共有することを目指すのです。


その行為は精神感応の練習にもなりますし
それが宗教とは違った本当の意味での心の支えである
神を感じさせてくれますし、


地球に与える想念も良いものとなると思います。



宇宙の法則の続きはこちらのリンクからです
http://ameblo.jp/uruseiblog/entry-11173905111.html