生命の科学 VOL11 | 不幸のブログ 

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三次元と四次元の狭間 に関しての記事と生命の科学と宇宙の法則
について語ります。

今日二つ目の記事です。


一つ目の記事でも紹介した。
まだ、元気があった頃の私の姿です。(苦笑)


池袋で私を見かけた方は
違いが良く判るのではないでしょうか。


http://www.youtube.com/watch?v=BiRicL_OFu4
http://www.youtube.com/watch?v=h2MTGoDukcE
http://www.youtube.com/watch?v=DSn7cnZeF8E
http://www.youtube.com/watch?v=jAF6XDOVe-Y
http://www.youtube.com/watch?v=Swgk-9EgfPY

肩から腰からと電磁波が入り込んでは
得意のトイレ妨害を繰り広げています。


今では直腸を詰めたり
その周辺で異物を固めたりするのは
当たり前にやってきています。


他人が死ぬことを願っているような人間達に
取り囲まれているのは
本当に心が荒む思いです。


その上に脳への感情操作の電磁波です。


この人間達には人としての心が
残ってはいるのでしょうか?


科学力被害を受けている
紐のついていない被害者と一般市民は
とりわけ今の時期は注意してください。


昨日も触れましたが今日も要警戒です。


11月9日は”119”

火事と救急車搬送にご注意してください。


闇政府傀儡はそんな数字遊びが大好きです。


それと2011年11月11日に関しても
色々噂されていますし今はとりわけ
善良な日本市民が警戒すべき時期だと思います。


オカルトといわないでくださいね。

私がそれを意図するのではなくて加害者達がオカルト好きなのです。


そして11日には満月も重なります。

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そう言えば昨日の11:59に
沖縄・台湾沖では大き目の地震があったようです。


私が記事を公開する直前で
そのことに気がつかず触れることも出来ませんでしたが。。


震源地は深いのですがそんなことは問題にはなりません。


昨日早朝には福島茨城あたりでも地震があったようですし
昨日は久しぶりの地震のあたり日になったようです。


ここ数日日本では再び地震が多いのは偶然でしょうか。。
http://www.iris.edu/seismon/
http://www.iris.edu/seismon/last30.html

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私は最近は右脳が働きにくい状態が続いているようです。
簡単に言えば右脳の昨日を妨害されているのです。


寝ている時もそれは延々と続いているようで
夜中に目を覚ますととりわけその事が自覚できます。


私の想像では寝ている時こそが
心も動いていない状態に近いのですから
覚醒も進むのだと想像していますので


それを延々と妨害された上に
右脳の活動を妨害されている私には
これ以上の覚醒はないと思います。


それどころか記事を書くにも差し支えてきそうです。


自分が精神を感じられなかったり
閃きを感じられない状況となれば
記事内容もそれなりのものになってしまうかと思います。


出来るものなら私が説明の足りない分を
是非ご自身で検証してみて欲しいと思います


今日は未だ過去に書いた記事なので
言いたいことは言えていると思いますが


内容が似たようなことを繰り返しくどくなっている事
了承してください。


生命の科学は第三章では原因と結果含めての
基礎の完成となります。


アダムスキーの引用に関して
実は一つだけ不安に感じていることがあります。


私が今使用しているのが新刊である
”21世紀生命の科学”であると言うことに関してです。


1985年頃に旧巻が出ていて
本当であれば


アダムスキー全集第六巻の”生命の科学”を
参照したかったのですが見つからず
新アダムスキー全集を利用しているわけです。


何を心配しているかと言えば
その中の記述が改ざんされている可能性があることに関してです。


生命の科学を読み進めてその中でのアダムスキーの話で
どうも本人の言葉なのかどうか判断できかねる内容がありました。


それに関して確認をしたいのですが旧巻の6巻は
持っていません。


もしも手に入らない場合は
そんな箇所を割愛して進むことになるかもしれません。


その事を先に触れておきたいと思います。


(四次元の存在に関してアダムスキーは触れているのですが
 その説明が詳しくありませんし私には良く理解できないのです。


とても大事な箇所だと思いますし
取り上げ方によっては誤解を生みかねないので
その辺に関しては慎重に触れたいと思っています)


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【人間の能力はすべて平等】


大ビルディングの建設を
私が意味していることの例としてあげましょう。


このビルが新しい型の建設なら特によい例になります。


まず完成した建築物が意識によって人間の
心のスクリーン上に描かれます。


そしてひとたび心がその絵を見るならば、
その建築物のデザインを保持するために、


印象類図示した青写真が作られます。


家の設計図を描くときと同様に、これは原因に対する最初の結果です。


そこで青写真は建設物を具体化せしめるために
有能な責任者の手にまわされます。


するとこの人は建築に必要な職人や資材を調達します。


彼が雇う、最初の職人達はいわば最低の技能者です。


なぜなら、彼らは建物の基礎を生めるためのミゾ堀り
人夫であるからです。


しかしこの人達がいないことには建物は建ちません。


次に建物を完成させるために多くの技術者が
使用されます。


その入り口の内壁に描かれる壁画は歴史的な事象を
表現した美しい絵画で、これが最後の仕上げです。


このために最高の芸術家が使用されます。


しかしこの芸術家でさえも、使用する絵具の顔料が、
必要な各種の精製過程を通じて労働者により処理されなかったならば


本人の全能力をもってしても要求される作品を
作り出すことはできません。


このことは彼が用いる必要のある筆、
その他の道具類についても言えます。


しかもこうした道具がなければ才能は
価値のないものとなってしまうでしょう。


ここにおいて最低の能力は最高の能力と等しいことがわかるでしょう。


このことからあなたは「ひとしい」と言う言葉が実際には何を意味するか
知らねばなりません。


それはその言葉の一般的な定義とは遥かに異なります。


これをはっきりさせるために別な例を挙げましょう。


ソロモン王の神殿が完成したとき、その工事で最も
功労のあった者を儀式で表彰し、
玉座の隣席にすわらされると表明しました。


すると一人の鍛冶工が仕事着のままで入ってきました。


鍛冶工場から来たために焼けたエプロンと汚い手を見せていました。


しかも彼は自分から進んで王の隣席に座ったのです。


これは一座に動揺を起こし主席者の間には
不満の声が上がりました。


王は鍛冶工の方を向いて、いかなる権利によって
自分でそこへすわるのかとたずねました。


すると鍛冶工は立ち上がって他の技術者一同に
次のような問いを発しました。


「あなた方のコテやコンパスは誰が作ったのか?」

「それは君だ」


と皆は答えました。


すると鍛冶工は続けました。


「そんな道具がなくてあなた方はこの神殿を作ることができただろうか?」


皆の答えは「ノー」です。


「だったら名誉は私のものだ」


と鍛冶工はいいました。


この平等さは金星や土星で実践されています。
人間のもつあらゆる能力は創造主から創造物に与えられた聖なる
贈り物として尊重されているからです。


そしてそれはあらゆる努力の分野


ースポーツ、芸術などの各分野に現れています。
地球人が示している競争意識などはありません。


むしろ神の目的の遂行にたいして個人の能力のより
すぐれた表現の特性を求める気持ちや
欲求を持っています。


仕事の達成に対して名誉を求めるのはエゴ(自我)の心に
ほかなりません。


ここまでです。
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私の過去記事である”宇宙の法則”の10番目の記事で
宇宙の法則に関連して労働に触れました。


私達はこの地球では職業によって
その権力や社会的地位が決められがちです。


それが地球の慣習によるものであることは間違いありませんし
近年では金持ちや実業家を崇拝するような風潮すら
私達は無自覚の内に身に付けていると思います。


金持ちや実業家はこの社会の中で成功した人間であり
その結果として見えている姿が立派だからです。


立派な家に住んでいて、
高級と言われる自動車に乗っていて
高い背広でも纏っているその姿を見て


そしてその人間達に皆が頭を下げているのを見て
その他の皆もそんな人間を高く評価しているわけです。


これを原因と結果で分析すれば


私達が見て評価しているのは勿論”結果”です。


具体的に見えているその高級スーツに纏われた姿を、
そしてその人間が得ている社会的地位を、
私達は”心”(個人的真理・価値観)を利用しては崇拝しているわけです。


彼らがその結果にたどり着くまでの過程を
私達は通常は知りません。


もしかしたら人並みならぬ努力を続けた結果、
そんな立場まで上り詰めた素晴らしい人間なのかもしれませんし


もしかしたら悪どく儲けてその地位を手にした
とんでもない人間かもしれません。


しかし私達の社会では評価の対象は結果としての
今の地位でありその権力なのです。


本当であればそれ自体が正しくはないと思うのですが
少なからず私達の社会は仕事や社会的地位に対して
そのような物の見方をします。


更にこの社会では、権力を持った人間は
得てして自分を過信する傾向もあります。


周辺の人間にちやほやされる事で、すっかり天狗になってしまうのか
元々がそんな資質があった人間なのかはわかりませんが


自分の社会的地位を自分で測定しては
上の人間への態度と下の人間への態度を使い分ける
そんな人間だって大勢存在していると思います。


ブラザーズの社会は皆が平等です。


偉いとか偉くないと言う認識の仕方はしませんし
一目置かれるのは精神的進化の著しいマスターぐらいのようです。


しかしこの地球社会ではそれが通用するのです。


社会的地位のある人間は時には横暴が許されるのです。


私達はこの社会を当たり前であると考えていますし
それをそのまま受け取ってもいます。


勿論、中にはどんなに偉くなっても
誰に対しても平等に接してくれるような
精神も素晴らしい人間もいます。


ヨハネス23世は一般市民に対しても、牢獄にいる囚人に対しても
側近の人間に対するのと同様に交流していた人格者だったそうです。


結局は偉くなって威張るのも、偉くなろうが謙虚なのも
その人間の心次第と言えそうです。


ブラザーズの社会では職業や社会的地位に対する意識が
まったく異なります。


仕事に関しても社会的地位に関しても
彼らの社会は基本的に皆が平等だからです。


勿論私達の言う”長幼の序”のようなものは存在しているようです。


と言っても勿論それにかまけて
年配の人間が年下の人間に
偉そうな態度をとるわけでもありません。


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彼らは、それぞれが就業する仕事は
社会を維持するために必要な行為であると理解しているようです。。


彼らは労働によって賃金の支払いを受けるわけではありません。。


彼らの社会は全員で必要なものを作り上げ
全員に配給し、全体を維持する社会でもあります。


一見共産主義社会のように見えますが
そんなものではありません。


一言で言えばこの地球こそが異常なのです。


彼らには余計に物を欲しがる様な習慣もありませんし
財産を溜め込む習慣もありません。


イエスキリストが触れていたように
彼らは天の国に財宝を積み上げる事を常としています。


その行為が精神を進化させることを
彼らは知っているからです。


そして元々貨幣制度などありませんから
彼らの労働は対価の見返りを求めるものではありません。


その行為は完全なる奉仕なのです。


自分達が社会から生きていくために必要な全ての糧を得るのですから
その社会に対して貢献する事が
結果的に彼らに糧を与えている事を深く理解しているわけです。


地球のように、生きていくために働くと言うわけでもなければ
沢山のお金が欲しいから働くわけでもなく


彼らにとっては労働は人生の経験を積む中に於いての
神に対しての奉仕でもあるようです。


一日二時間、週にすると二日が彼らの労働時間であると
以前も触れました。


そしてその行動が、
神の意思を実現している彼らの社会を維持するために
奉仕として行われるわけですから


仕事場でも職業同士の間にも
優劣関係なるものは一切存在しないわけです。


仕事を神の法則の実現の一環として捕らえれば
その行為は間違いなく奉仕ですから
奉仕をする時の個々の立場は当然神の前に平等でもあります。


そして更に彼らのこれらの労働の価値観には
地球でも学ぶべき意識があると思います。


全ての労働は皆
同じように尊敬されなければならないと言う意識です。


このソロモンの例え話は
私の記事の”宇宙の法則”で引用した
マスターの話の中で触れられていたものです。


ここでの引用にありますように、
自分がその場に呼ばれなかった事に関する不満だったのか、
それとも例え話として大げさに伝えられたものかは判りませんが


ソロモン神殿が出来上がった時に
その一番の功労者は誰であろうかと皆が検討した時に


直接ソロモンの神殿を作り上げた人間達ではなく
縁の下の力持ちとも言える立場の人間が
自分こそが貢献者であるとその立場を主張したと言う話です。


建設業界でも医療業界でもそうでしょうが
全ての仕事には縁の下の力持ちと言われる存在がいると思います。


何かの仕事をする時にそこで利用されるものは、
やはり誰かの手によって既に作り上げられているものです。


仕事でパソコンを使用している人間にとっては
そのパソコンを作ってくれた人間は影の功労者ですし


最先端の科学技術を開発している人間にとっても
その技術は過去の技術の積み重ねの延長にあります。


文明の進化した社会では、何かを最初から最後までの全てを
一人で成し遂げると言うことは殆どありえないと思います。


金星や土星の住人はその事をよく理解しているそうです。


そして彼らにしてみれば神の祝福する社会を維持すると言う仕事に対して
奉仕するのが労働でもありますから


それに関わって来る人間達は
皆が同等の貢献者でもあるのだと思います。


彼らの居住地を作り上げてくれる人間がいなければ
彼らの食料を供給してくれる人間がいなければ


洋服を作ってくれる人間がいなければ
彼らの社会は成り立たないことを彼らは理解しているのです。


金があれば何でも出来て
金があればなんでも手に入る。。。


そんな私達の社会では理解できない意識を、
彼らはしっかりと理解しているのです。


仕事毎に神からの祝福に差があるわけでもありませんし
どの仕事をする人間が居なくなっても社会は成り立たない。。


本当は私達の社会における各職業も同様なのですが
私達はそのように考える事が出来ない様です。


一方ブラザーズはその事をしっかりと認識しているから
彼らの社会には職業による上下関係も
権力の差も存在していないのです。


そんな社会ですから
一般庶民や、生活の苦しい人間であればあるほど
彼らの社会は天国に見えると思います。


しかし、少なくとも彼らの社会に存在していない職業の人間達が
一番崇拝されているこの社会では
その再現をすることは不可能なようです。

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宇宙の法則の記事の繰り返しになりますが
触れておきたいことがあります。


私達の社会には貨幣が存在しています。


そして地球独自の価値観とは言え、
職業や仕事に関してはその職務毎に報酬が与えられます。


この社会では社会的地位の高い人間ほどその見返りも強いようで、
権力と報酬は比例する傾向にもあります。


ただ、考えてみれば仕事の見返りはしっかりと
報酬と言う形で支払いを受けていますし、


それが仕事の内容ごとに異なるのですから
地球の価値観による仕事に対しての十分な対価は
受け取っていることにもなります。


その上に他の人々に崇拝されたり
社会的名誉を貰えるというのは報酬の二度受けともいえます。


労働や職能に対する十分な見返りは受けているのですから
本来であればそれで本人は報われている事になるはずだからです。


しかし地球の価値観は違います。
その上に社会的地位まで伴ってきます。


そんな私達の意識の背景にあるのは
もしかしたらおこぼれが欲しいとか


何かの時にその権力を貸して欲しいと言う
意識の現われかもしれません。


しかしブラザーズの意識、宇宙の法則に照らした意識では


無償で頑張っている人間
(被災地のボランティアのような)人間ほど
尊敬されるに値することになると思います。


彼らは勿論宇宙の法則など知りませんし
全くの無償で純粋に他人のための奉仕をしている人間達だからです。


そして現に対価などの見返りはありません。


しかし確実に他人のためになることをしているからです。


彼らは天の国に富を貯める行為をしているのです。


そしてもしかしたら彼ら本人にとっての報酬は
他人が喜ぶ顔なのかもしれません。


本来ならば、そんな意識こそ尊く尊敬されるべきものだと思います。


しかし現実社会はといえば、
報酬も高い技能を持っているような人間こそが
社会的地位も持っていてその上で、尊敬の対象にもなるのです。


その殆どが社会貢献とは縁の遠い
自己の利益を図ってきた結果に得た地位であってもです。


もしも今のままの精神と心のままで金星社会で
暮らすことがあるとしたら


一番不満を感じるであろう人間達は
この地球社会で奉られているような人間達だと思います。


彼ら金星の住人はそんな人間達を特別扱いしてはくれないからです。


彼らは全ての人間を崇拝してはくれますが
決して権力者だからと言って特別扱いはしてはくれません。


つまりは宇宙の法則に一番馴染みにくい人間は
「自分は他人と違って偉い人間である」


と思い込んでいるようなそんな人間達だと思います。。


ブラザーズ社会であれば一番皆に崇拝されているのは
一番精神の進化した人間であるマスター達のようです。


惑星の代表として立てられるのも
そのような精神の高い人間のようですし


心を使用しては上辺を見つめ、それを崇拝するこの社会と異なり
精神を大切にしている社会ですから
当然精神性に価値を置くことになりますし


彼らにとって一番尊敬できる人間は
精神性の高いマスターとなる。。。


当たり前のことだと思いますが
地球の法則に従っている人間には
理解しがたいかもしれませんね。


そしてマスターは教祖でもありません。


宇宙の真理を誰よりも深く理解して実践している人間なのです。


続く

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P.S.


今日は愚痴を聞いてやってください(苦笑)


最近は時々虚しくなる事があります。


周辺の人間含め、灰色の意識の人間は皆
私の存在など単なる邪魔な存在にしか
考えていないのが見て取れるからです。


悪いものは悪い、灰色は灰色だと主張しているためでもありますし
つまりこの社会には言論の自由も存在してないのですよね。


そして多くの人間に邪魔者扱いされていることを
時には心を持って感じると


それこそ生きていてごめんなさいという
それに近い意識にもされます。


ただ、自分のしていることが決して無駄ではないと信じているので
被害にも抵抗していますし記事を書き続けてもいます。


でも自分が置かれている環境はいろんな意味で苛酷です。


私に危害を加えること
私を陥れること
究極的には私の死を願っているような人間、


そんな意識ばかりを感じさせられる一方
自分が未だに生かされている理由が判らなくなってもいます。


生かしておきたいと言う意思の人がいるのか
それとも死なせてはまずいと言うだけの話なのか


もしかしたら地球の権力者にとっては
ゲームの駒に過ぎず、その最中で、たまたま生き残っているのか
私は自分の立場がわかりません。


理解できることは
私はこの環境では延々と管理され続け
自分のすべてを封印され続けるのであろうと言うことです。


私達にとっては体験と知識が大切であると言うことは
生命の科学からも理解することが出来ます。


しかしこんな体験が延々とつづくと
それは単なる拷問であり、大切な精神さえ壊しかねません。


そして現にそれを加害者達は実行してきています。


こんな状態で精神の進化を期待できるのだろうか?


そんな課題を自分が選択して生まれてきた?


神が私や被害者達にこんな試練を与えた?


私はそう考える事が出来なくなっています。


本当はそんなときこそ強く、必要以上に精神を信頼しろと
アダムスキーは言っていますが
その精神までを感じ難くされると意識は最悪になります。


その上でこの人間達は感情操作を続けています。


私が能天気になるようにです(苦笑)


今一切の脳への関与を受けていない状態にされれば
おそらくは、私は、妙に冷め切った意識の中に
山ほどの死への願望を持っていると理解しています。


私達の中には精神としての神の意識があります。


そしてもしかしたら私達の”心”の中にこそ
悪魔が存在しているのではないでしょうか。


私は他人のそんな意識に今つぶされそうになっている。


強い精神を持とうとしてもそれすら封じられて
肉体を持つが故の苦しみを死ぬほど味わう羽目になっている。


そしてこれは私が死ぬまで止むことはないのかもしれません。


私は他人の心に巣食う悪魔に負けそうだと言う事なのでしょうか。


感情も心も肉体も、そして人間関係も
そして一番大切な精神すらコントロールしようとしてくる
この人間達は


自分を神と勘違いしている人間達、
もしくは別の神を拝んでる人間たちなのでしょうね。


もっと強く成れるのか、その前に潰されるのか
それすら想像もつかない立場で今生きています。


今日は自分の話ばかりですね。。


地球の法則の支配者の生贄にされるためにも
私は管理されているようなものかもしれませんね。