生命の科学 VOL50 | 不幸のブログ 

不幸のブログ 

三次元と四次元の狭間 に関しての記事と生命の科学と宇宙の法則
について語ります。


昨日は散々な目に遭いました。


腹の痛みが完全に無くなるまで
延々とぼやきながら耐えていました。


今日は相変わらずの胃腸への薬品と異物のコンボと
脳への関与が続いています。


寝ている時から右脳の特定の部位への
強めの照射が続いていましたし


今でも脊髄首の付け根付近に延々と
照射は続いています。


このままでは精神など
まるで感じることが出来なくされる可能性も
感じています。


結局は私の記事や主張を妨害する行為に繋がっていますし
私と言う人間を貶める行為に繋がってくると思います。


この人間達は私の記事の主張が嫌いなのだと思います。


自分達の価値観を正しいと思い込み、
尚且つそれと違った主張を言っている人間を
放置しては置けないのでしょうか。


掲示板のこの一言コメントを書いた方に返事を。。。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

68 : ◆3HeEMxDtqI :2012/02/08(水) 21:51:53.95 ID:???
これやっぱ古川さん加害者組織入ってねーのか?
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

まず、私は掲示板には一切書き込みはしてはいませんので
それをご理解ください。


私への直接の工作員や関係者が
私が名無しで書き込みをしているかのような誘導を
頻繁にしていますが、


現に私が書き込むときはトリップつけて
HN出してID出した状態で行います。


最近は一切掲示板に書き込みはしてませんし
掲示板でのブログの広報すらしてません。


それに加害者が仲間を煽るのに使用しているような掲示板に
書き込みに行くことは


工作員の土俵で争うことになり
私にとっては何も利益は無いと思います。


(工作員に嘘を付き捲られてそれに私が弁明し続けても
水掛け論で見苦しいだけだと思います)


私はその時にはしっかりとブログの記事で
はっきりと工作の内容を示すつもりでいます。


そして以前から触れているように
私は加害者組織は勿論の事


一切の宗教組織とも政治思想組織とも
その他の組織とも無関係の人間です。


そのために時には私を利用するためなのか
私を陥れるためなのか色々な工作を受け続けていますし


加害者組織は私を利用することか
私の口を封じる事を目的として加害行為をしてくるのです。


それも複数の組織の人間達だと思います。


その時々でその主力が変わるだけで
私への攻撃は変わらない。。
(楽なときと激しいときはありますが)


まして私への直の加害者は
その複数組織の共通の意識を持った人間である
可能性もあります。
(メーソンであり且つ民族や宗教の思想を持っているような)


私は組織立って仲間を集めては攻撃してくる人間達に
一人で悪態をついて応戦するのがやっとなのです。


私を憎む人間や敵対視している人間は大勢いると思います。


私は宗教批判していますし、
闇政府とフリーメーソンをも批判しています。


時には民族批判に近いことも触れています。


闇政府傀儡にも、熱心な宗教信者にも
そして民族意識の強い人間達にも憎まれる立場なのです。


私の味方となりうるのは
私のブログを理解してくれている方と
生命の科学の理解者すなわち覚醒者とその予備軍だけです。


私は組織に利用されるつもりが無いからこそ
一人で苦しんでいると言うのが今の実態なのです。


表立って私の味方をしてくれる人間は
ただの一人もいないようなものだと思います。


勿論どこの組織の人間であろうと
私の理解者は皆私の同志だと思っていますが


そんな人たちは覚醒が進めば
組織の教えになど囚われることも無くなるはずだと思います。


どこかの組織に所属している人間達が
互いに争っている事も想像していますが


私はその中に巻き込まれては
時には誘導され利用されそうになり
時には見せしめに甚振られている存在でもあると思います。


そして一方では人体実験の意味も
あるのだと想像しています。


暴れて闇政府を怒らせないように
管理されているような気もします。


私は自分の脳の回転や本当の精神状態が
どの程度まで荒らされているかも正直判らない状態にあります。


私は間違いなく科学力の影響下にいますし
間違いなくマインドコントロールの影響を
受けているからです。


(洗脳ではありません)

感情的な操作や意識の操作、思考能力の操作です。
おかげで自分の精神状態を正しく認識することができないのです。


今現在はかなり意識を低い状態にされ続けていますし
その上に怒りや苛付を引き起こしやすい状態に
誘導され続けているような気もします。


判っているのは今以上に
私の意識を下げようとしてくる関与が存在している事と、


その鈍っている意識を
回復させるような関与も存在していることです。


それが私と言う人間の管理のために
飴と鞭を与えられている状態なのか


それとも複数の敵対組織の人間達の別々の関与なのかも
私は判断できないでいます。


本音を言えば精神全開で
私も宇宙との一体化を体験して見たいのですが、


どうもこの社会では私達覚醒者は邪魔な存在
もしくは扱い方に困る存在ということではないでしょうか。


そう言えば顔への関与も続いているようです。


眉間や額の皺を目立たせる。

頬をむくませてホウレイ線を目立たせる。


そんな目的がありそうですが、
これも組織の命令なのでしょうか?


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

今度は北陸新潟で地震があったようです。


地震情報(震源・震度に関する情報)

平成24年2月8日21時5分 気象庁発表


きょう08日21時01分ころ地震がありました。


震源地は、佐渡付近(北緯37.9度、東経138.2度)で、
震源の深さは約10km、
地震の規模(マグニチュード)は5.7と推定されます。


[震度3以上が観測された地域]
震度5強 新潟県佐渡
震度4 石川県能登
震度3 山形県村山 福島県会津 新潟県上越 新潟県中越
新潟県下越
[震度4以上が観測された市町村]
震度5強 佐渡市
震度4 輪島市
この地震による津波の心配はありません。
この地震について、緊急地震速報を発表しています。
情報第1号

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


東北でも千葉でも長野でもそして新潟でも地震です。


単純に自然現象だとすれば
東日本が沈没でもする予定になっていて
その前兆でも来ているかのようです。


そして温暖化しているはずの地球の中で
ラニーニャ現象の煽りを受けたと言う
日本を襲うしつこい寒波と豪雪。


私はそれら全てが自然現象であるとは
考えてはいません。


覚醒者”予備軍”にお願いです。


一時も早く地球の法則から卒業して
覚醒して頂きたいと思います。


勿論最悪の事態を想定しての話ですが
2012年は間違いなく闇政府傀儡の
暴れる事が想定されている一年です。


どんな事がおきても慌てる事の無いような
そんな意識を持つためにも


万が一の時にはこの社会から卒業していくためにも
とりあえず急を要すると思います。


何も無かった時はそれで良い。


楽観思考するのではなくて
事を悲観的に受け止めるのでもなくて


最悪の事態をもすべて想定して
プラスだけでなくてマイナスをも考慮して


その中から冷静な意識で最良の選択肢を選ぶのが
生命の科学で学んでいる原因と結果の法則の王道です。


私は今後、この激動の時代に併せた記事を
アダムスキーの話の中から選んでは紹介して行こうと思っています。


そこから私達のあるべき姿と意識を
感じ取って頂ければと思います。


地球の危機を待望する人間や
地球の危機に踊らされて恐怖したり扇動されるような人間と
私達の行動が一緒であってはいけないのです。


私達は何が起きても
それを神の法則の一環であること


そして地球規模での因果応報であることを
理解する必要があるのだと思います。
(それが人為的なものであってもです)


罪の無い日本に罪を作り上げて
それを叩く人間達がいるのだとしたら
彼らはその報いを必ず受けることになります。


しかし裁くのは私達ではありません。


私達が学んでいる創造主の法が彼らを裁くことになるはずです。


闇政府に踊らされている方は早くその嘘に気がついてください。


騙されて扇動されていたとしても
それを実行しているのは自分なのです。


原因があれば結果がある。


自らの行為は必ず何らかの報いを自らに齎す。


私達は誰もがその法則から逃れることは出来ないはずです。


いつものようにアダムスキー
21世紀生命の科学からの引用です。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

【宇宙の意識と一体化する方法】


ではどうすればこれが為されるのでしょうか?


それは学校その他の場所で物事を暗記するのと
異なるものではありません。


つまり意識が自分の心に充分に印象付けられたと
確信するようになるまで
反復して唱えることによって為されるのです。


(訳注:私は意識と一体であるという言葉を
常に繰り返して言う反復思念の技術を意味する)


これを行えば決して忘れることはありません。


しかしこれは”宇宙の全体性”において為されるべきであって
”宇宙的視覚”すなわち”神の目”で見ることによって
達成できるのです。


あなたを混乱させるような
多くの主義・主張に囚われない様にしなさい。


これまであなたの心中に起こっていたのと
同じ種類の反応を期待してはいけません。


あなたは花の生命を知覚する時、
その結果(現象)を生み出した英知にも気が付くでしょう。


花というものはあなたが聞きなれている音声と言う形で
話しかけはしませんが、英知に話しかける英知として
あなたに反応を示すでしょう。


同じようにしてあなたは万物に話しかけることが出来ます。


なぜならその場合あなたは形状だけに気づいているのではなくて
外形を通じて現れている英知にも気づいているからです。


【花に呼びかけると花が応答して動く】


だれでも美しい花を愛するのでここで花を例に挙げました。


花に対するあなたの愛が
自分に対して持っている愛と等しいものであって


また他人の英知を認めるのと同じフィーリングを持って
しっかりと花の英知を認めるならば花は応答するでしょう。


花に向かって「顔を左右に動かしなさい」と命じるならば
この応答を見ることが出来ます。


その花が太陽に従うのと同様に貴方の指示に従うからです。


しかしその場合、あなたは英知ある物体に意識で持って
話しかけていると言うことを常に記憶していなければなりません。


(訳注:アダムスキーは花を動かす能力を持っていた。
コスモスの花に向かって彼が呼びかけると、


花たちが一斉に彼のほうへ傾く光景を見たと
弟子のアリス・ポマロイ女子が語ってくれたことがある)


ひとたび貴方がこれを達成したならば
貴方は心を意識に混和させたのみならず
記憶をも培養している事になります。


そしてここからあなた自身は拡大し始めて
万物の中にある宇宙の意識を認める事になります。


生命ある万物を自己の中に包容することになります。


そして今まで知らなかった生活の他の半分を体験するでしょう。


あらゆる行為は創造主が持つのと同じものであり
宇宙の図書館の中に記録されますので、
必要とあらばいつでもそれに接近することが出来ます。


貴方の一部分を目覚めさせたこの図書館は
今までも存在してきたし今後も存続します。


そして生命の神秘は生命の知識によって置き換えられるでしょう。


貴方の各行動は生物の種類のいかんに関わらず
人間に対するときと同様に明確なものでなければなりません。


貴方の受ける”感じ”や行為の中に
疑惑が存在していてはいけません。


啓示の形で来る”感じ(フィーリング)”は明確であるはずです。


と言うのは”感じ”は警戒の意識的な状態にあるからです。


動物は人間の言語で話しませんが
何かの芸当を動物にさせるように訓練する人は


動物ばかりでなく自分に対しても絶大な自信を持っていなければ
ならないことを我々は知っています。


調教師は動物が自分の命令どおりにやる事を知っています。


これは自身の気持ちを相手に通じさせることによって為されます。


言い換えれば両者は互いに感じあうのです。


調教師が動物を扱って馴らすのと同じような仕事は
貴方でもいかなる動物を扱っても行うことが出来ます。


ただしその場合、調教師が動物に持っているのと同じ感覚を
持っている必要があります。


ひとたび、貴方が自身のこの部分を発達させるならば
貴方はいかなる性質の制限や分割もなしに
宇宙の意識と混和していることを確信できるようになるでしょう。


あなたは”宇宙の生命の海”のなかで行動しているからです。


あなたは知的に各元素の主人となっています。


これは貴方の生得権です。


聖書ではこの事を
「人間は死を含む万物の支配権を与えられた」と言っています。


このときこそ人間は新しい生命の中に生まれるのです。


しかし貴方は練習することなしにこうした状態に
なることは出来ません。


また練習とは出来るだけそれらを日常生活に
生かすことを意味します。


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
生命の科学、核心に入ってきましたが
正直実践が伴っていない私には
真の理解はまだほど遠い物となっています。


ただ、私達は精神の存在を意識して生きていると言うだけで
ただの一般市民と比べても精神に関しては
大きな成長の差があるはずです。


それは私達が練習時間を設けて精神を感じる行為を
繰り返している事により培われる
と言う意味ではなく


日常生活の些細な事に関しても
精神の存在を意識するというその行為を継続しているために
私達にはある種の変化が齎されているという意味です。


第一に私達は万物に神の意識が現われている事を知っています。


万物が神の分身であり神の表現である事を理解しています。


それだけでも私達の万物を見る視線は
一般人の様に視覚を持って結果を眺めるものとは
確実に異なっているはずなのです。


ここでは植物のコスモスを例にして
私達の精神が万物と繋がっている事に関して
アダムスキーが触れています。


アダムスキーは本人が実際にコスモスの花を動かしたと言う話が
その弟子のアリスによって語られているそうです。


ここでの話はアダムスキーが自ら実践して見せた
精神の働きの一環だと言うことです。


私達が植物を見るときにも
そこに単に現象としての植物の姿を視覚を持って見るだけではなくて


その中の生命、神の意識を感じながら見つめることで
私達の精神は彼らの精神と繋がる事になる。


その状態は英知が英知を認識する行為であるという話です。


アダムスキーの生命の科学を学んだ女性が
リンゴの木に日々語りかけたと言う話を以前記事で触れました。


それまで毎年殆ど花を咲かせる事もなかったような樹木が
その女性が日々、語りかけていたところ


その年には大量の花を咲かせたと喜んで
アダムスキーへと手紙を出したそうです。


それは生命の科学を学んで実践しているうちに
体験したことの一つで、


自身でも生活環境に色々な変化が起きて
以前と異なった意識を持って暮らす中で
自分の環境が日々変化していく事を感じたそうです。


それは精神的な改善でもあったようです。


このリンゴの話もコスモスの話も
私達が精神を心に併せて植物の存在を認識したときに


双方の英知が通じ合い、そこで意識の交流が可能になった
と言うことがその原因となっている話です。


通常の私達は視覚の映像を単に心で持って捉えるだけで
それ以上の物を植物に求めることもありません。


ましてその魂や生命を理解しようとする機会もありません。


勿論そんな私達に対して植物が反応するわけもなく
私達は植物の中の神の意識を感じることも出来ません。


しかし私達が精神を持って彼らを見つめることが出来て
その上に人間に対するように彼らに語りかける事で
彼らの中の英知の存在を認めれば


彼らの意識は私達に反応して
それに答える事になるのだとアダムスキーは触れているのです。


精神の存在を理解していない私達は
万物共通の神の意識の存在を理解できず
人間だけが英知であると思い込んでいます。


そのために万物とコミュニケーションをする事も
当初から不可能であると思い込んでもいたのだと思います。


以前の記事で農作物の改良を続けていた人間が
植物からその改良の方法を学んだとか
植物を通じて神の意識を感じたと言う話がありましたが


それらは全てその人間が植物を人間と同様に
意識ある生命体であるという視線で見つめ
彼らに語りかけていたからに他ならないと思います。


そして彼は植物の精神を通じて自らが
その植物と一体化したからこそ
何をどう改良すべきかも気が付くことが出来た。


そしてそんな行動が、
気が付くと彼を精神を認識できる存在に作り上げていて
そのために神からの啓示をも感じることが出来たのだと思います。


私達にとっても一番身近な神の居場所は自分の中ですが、
私達はどうしても心を暴走し
精神の働きを阻害する傾向にあります。


そして神なる存在をどうしても自分の外へと
求めてしまいがちでもあります。


今でもその傾向が強い方であれば
自然の中に神を感じる行為が有効だと思いますし、


植物や動物の中に神の意識を感じる練習を
繰り返す事が効果的なのかもしれません。


心ではなくて精神を感じると言う行為は
アダムスキーが触れているような
フィーリングを感じる作業でもあるようです。


だから今までの私達が感じていたような
視覚・聴覚・味覚・嗅覚で感じ取るような感覚を期待しても
それとは異なるために認識し難いでしょうし


私達はフィーリングと言われる一種の閃きを大切にして
しかもそれを信じることが大事だと
アダムスキーは触れているのだと思います。


精神が私達に感じさせるものは
目に見るための視覚ではなく音でも匂いでもなく
その殆どがフィーリングという名の閃きなのだと思います。
(精神との通信が断片的だからです)


その精神の囁きに気がつくことなく
単に全てを自分が思いついたことであると捉えてしまっても


精神や想念を感じることは出来ないでしょうし
時には脳裏に浮かんだイメージを、
自分の精神の感覚や想念であると信じることも大切なのだと思います。


テレパシーに関して言えば
ブラザーズの得意技は”閃き”を与えることだそうです。


科学者に発明や発見のきっかけを与えるのにも
ブラザーズはテレパシーを使ってはイメージを送ったと言いますし


時には私達のような覚醒者には
ブラザーズのような存在からある種のイメージが
送られる事もあると思います。


私であれば記事を書いているような時や
寝ている時だと思いますし、(最近は殆どダメです)


皆であれば精神を感じるような練習をしている時や
イエスキリストやブラザーズを意識している時かもしれません。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

物事を深く理解しているからこそ
それを正しく利用することも可能になる。。


元素にしてもそれを深く理解していればこそ
それを巧みに使用することも可能になる。


そして神は元素の究極の使い手だと
マスターは語っていたはずです。


私達の存在をどう理解すれば良いかという事で
少し触れてみたい話があります。


ブラザーズやアダムスキーによれば
私達は神の想念の具現化した姿に他ならないと言います。


この世の創造主が万物を創造しようとした時に
まずは最初に神が作り上げたイメージがあったはずです。


そのイメージは神の想念とも言える物ですし
四次元で神がイメージした物を三次元社会で具現化させた。。


と言うと却って判り難いでしょうか。。


私達三次元の生命体が平面に絵を描くことを
考えてみれば良いと思います。


平面は二次元の世界です。


私達は二次元の世界の創造主となれる立場なのです。


私達がイメージして書いた絵は
二次元社会(平面)で表現される事になります。


自分が理想と考えるイメージを
そのまま絵として表現する事が出来ますし


そこで描かれる物は
私達の意識を具現化させたものに他なりません。


二次元社会を私達は自らのイメージの中で
作り上げることが可能なのです。


その次元が更に一つ大きくなった時に
四次元の存在の想念は、そのまま三次元の存在に
影響を与えうるのだと考えれば良いのだと思います。


神は四次元という世界で自身の理想をイメージしては
それを想念として思い浮かべ三次元社会で具現化させた。。


その時は私達が二次元を表現する時に絵の具や
鉛筆を使用するように


元素成るものを使用して立体化させた像を作り上げた。。


ただ、私達は神ではありませんし
私達が二次元に書いたものは命を持っているわけではありませんし


一方神が作り上げた三次元の存在は命を持つことになると言う
違いはあります。


でも考え方としては限りなく近い物があると思います。


私達は描いた絵の中に、気に入らない部分があれば
それを消しては書き足すことも出来ます。


本来であれば神も同様に
三次元の中で作り上げた創造物に
不満を持てばそれを消し去ることも可能なのです。


三次元社会は神の理想なのですから
どんな世界を作り上げるかは創造主の意志で決まるはずです。


ただ、神はこの広い無限と言われる宇宙の一つ一つの事象に
いちいち関わる存在ではありません。


一つの生命に関わることもなければ
一つの現象に関わることも無いと思います。


その代わりに法則を作り上げ
生命を育み、時には再構築し
そして自らはこの宇宙の進化を誘導し続けている存在なのだと思います。


ただ私達にとってはこの宇宙は無限でも
神にとってはそれは全てが神の一部だと言えます。


全ては神の意志の中で、
神のエネルギーの中で生じている現象だからです。


そして本来は私達が精神を理解できるようになって
それを強く感じることが出来るようになれば
私達の意識は神の意識と一体化することになります。


そしてそれは宇宙との一体化することでもありますし
その時私達にとっての、宇宙は無限の存在ではなくて
私達の一部となるのです。


そしてその状態を感じることこそが
私達の究極の目標であり、その状態こそが啓示の状態である。。


アダムスキーはそう言っているのだと思います。



ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
P.S.


”宇宙と一体化する方法”。。


生命の科学を学ぶに関して実は大きな課題が
これのようです。


アダムスキーの著書からは繰り返しこの言葉が
引用されています。


勿論これを始めて体験した時は
私たちはそれを宇宙的覚醒=啓示として
受け止めることになるのだと思います。


多くの地球の法則からの覚醒者は
未だこれを体験してはいないと思いますし
私などは今の状況では未体験のまま
今生を終えることになりそうです。


ただ、私たちが目指すべきこの宇宙との一体化を
果たすためにすべきことは、


瞑想や座禅を行うのではなくて
日々の暮らしの中で
ひたすら精神を意識して生きて行く事だと思います。


結果私たちは無自覚の内に
精神が底上げされて行く事になるからです。


以前も触れたかと思いますが
その時だけ力を集中して一時的に能力を高めるのではなく


私たちが意識すべきは精神を常時身近に感じることができる様に
努力を続けていく事だと思います。


勿論その上で尚且つ特別な時間として
瞑想をすると言うのであれば問題ないと思いますが


その特別な時間だけ精神を意識するような状態よりは
常に一定以上の意識を精神に向ける練習をしたほうが
結果として私達の精神性の底上げに繋がると思うのです。


漫画”ドラゴンボール”の主人公の孫悟空が
一時の集中でスーパーサイヤ人に変身して
その時だけ力を出すよりも


常にスーパーサイヤ人でいて
それを自然と感じるための修行を
その子供と共に目指した。。


というエピソードがありました。


一時の集中ではなくて
常時自らの力を一定以上に保ち
その上で修行をするという話だったと思いますが


それは自分の能力の底上げを意識したものであり
結果集中した時は以前よりも力を出せるようになった。。。


私達が日常意識すべき事と似ていると思います。


勿論私達は精神を感じるために集中するわけではなく
常にリラックスしてストレスを感じないことこそが大切だと


アダムスキーは話していますから
その点に関しては異なりますが


私達が常に精神を意識する努力をすることで
精神を感じる意識の底上げをする事になると言う点では
とてもよく似ていると思います。


一定時間に限らず思い出すたびに
何をしていても精神の使用を意識してみること。


それを実践することで私達は
精神状態の底上げを図ることが可能になり


その結果、何かの拍子で宇宙的覚醒を果たし
宇宙との一体化を果たす事になる。


そんな事を想像していましたが如何でしょうか。


自らの変わった体験に触れようと思ったのですが
記述するとさらに妨害される可能性がありますので


精神を感じにくくされている私としては
ここでは言及を控えておきます。


ただ、アダムキーは宇宙との一体化、宇宙的覚醒に関しては
皆が同様の体験をする事になると
明言していたことだけは触れて起きます。


その日を目指して日々精神の進化
進めていってください。


私はこれ以上意識が下がらないよう勤めます。