生命の科学 VOL45 | 不幸のブログ 

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三次元と四次元の狭間 に関しての記事と生命の科学と宇宙の法則
について語ります。

今は思考能力低下の脳への関与が始まっています。


胃腸への関与はいつもよりはましです。

ただ、腹の中で異物が焼けている匂いが
胃腸からこみ上げてきます。


毎日が悪夢を見続けているような気分で
夢から覚めたいと願うも


これは決して夢ではないと、毎朝起きては実感し続け
気がつくと科学力の被害に自覚してからもう四年半近くになります。


自覚できているからある意味幸せで
自分が自分のままで居ることが出来ている。


そして自らの意志で動くことも出来ている。


そう考えれば良いのかもしれません。


洗脳され、それを自覚できない人間と
洗脳などされるものかと抗う人間。


どちらが楽かと言えば
洗脳されてしまい流される事の方がずっと楽だと思います。


でもそれではいけない事を理解しているからこそ
あらゆる影響と戦い続けている。。


そう言えば新党の発足が決まりそうで
政界再編も起きそうな予感です。


以前の私であればメンバーを見て
大喜びで応援したのだろうと思いますが
今の私は政治には何の期待もしてはいません。


洗脳なる物の恐ろしさを知っているからこそ
高齢で入退院をしているような人間達の集まりが
闇政府の影響を受けていないことなど想像できないのです。


アメリカ国民が常に政治に期待を持っては
裏切られ続けてきたように


今の政治は私達にささやかな希望を持たせながらも
地道に生活を悪化していく手段として
利用されているようにしか思えないのです。


現に民主党は私達に希望を持たせる内容を
マニュフェストに盛り込みましたが
結果はどうでしたか?


これは民主党に限ったことではないと思います。


もともと政治は闇政府の民衆を騙し
不幸へと誘導するための手段であるとされています。


「王が所望するから金を出しなさい。」


と言う代わりに

「国家が破綻するから税金を増やします」


と置き換えただけの話だと思います。


体裁も良いし大衆も仕方がないと判断する。


大衆は不満を感じてそれを仕方がないことであると感じ
其の環境に甘んじることになる。


すべては闇政府の策略どおりだと思います。

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第七講座は転生に関連する話で
宇宙的な記憶と啓示の話などに関してです。。


記憶と言うものが私達にとって如何に重要であるかと言うこと


そして宇宙的記憶こそが転生の時にも
重要なものであると言うことを
私達はここで理解することになります。


誤った転生の知識や啓示の知識を払拭し
真の転生と啓示に関して理解する
きっかけとして頂ければと思います。


いつものように21世紀生命の科学からの引用です。
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【レクチャー7宇宙的記憶】

人間は記憶力を持たないと言うことはないので
記憶力こそ生活の続行にたいして基本的なものとなります。


しかし殆どの人が生前における体験を記憶していない理由は
心が過去に得た重要な価値ある物事を記憶することを
ぜんぜん学んでいなかったためです。


心と言うものは変動して止まない
つかの間の諸現象に頼っているのであり


特に「ほとんど価値はない」と自我が感じるような
重要でない物事に執着したがります。


日常の決まりきった物事は習慣となり、エゴを支配していますが
これを記憶と呼んではいけません。


人間は”宇宙的記憶”を培わない限り何にもなりません。


これを説明するのに、
自分の正体に関する記憶を失った人を例に挙げてみましょう。


こうした例は時々起こります。


裕福で良い地位についていて家族を維持している人が、
自分の正体の記憶を失うとします。


しかし本人は国内の他の場所で
新たに生活を再建し結婚し家庭を持ち
普通の労働者として働きます。


かつての知人から探し出されても
自分は別人だと主張して否定しますが
これはかつての生活に関する事を何一つ記憶していないからです。


これは最初の個性が心に対して死滅してしまい、
一方肉体はなおも正体を保っていることを意味します。


ところが人間の宇宙的な自我の記憶と言う事になれば
右と同様の事が無数の人にもごく普通に起こっているのです。


これこそ殆どの人が生前についての記憶を持たない理由です。


これでもって現世でもそうであるように
前世においても”意識的な真の自我”と”個性すなわちエゴの心”との
分離があった事が判ります。


というのは前に述べたように、
意識こそは人間の唯一の真の永続的部分であるからです。


そしてあらゆる行為が記録されるのは
この意識の中であるのです。


従ってもし人間の心がこの意識と混ざり合わぬ限り
本人は自分の正体を見失うことになるのです。
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私達が転生の度に記憶を忘れてしまう原因について
アダムスキーが判り易く説明してくれています。


私達が記憶を失う原因の一つは
私達にとって重要なものは精神的な記憶であり
宇宙意識に繋がる物であるという事です。


そして宇宙的記憶は私達が精神を持って体験する事による
記憶ですし、精神を感じる機会の少ない私達には
そこで得られる記憶は殆ど存在しないことになります。


心だけが認識している状態で作り上げている記憶は
肉体の喪失とともにその殆どが失われる事になるようです。


それは家電の機械にデーターを保存する作業と
なんら変わるものではないと思います。


ビデオデッキ、DVDレコーダー、ハードディスク。


すべてはその物質が健在であれば
記憶は詳細に残りますが、


それらが消滅することでその記憶は失われることになります。


物質としての脳も同様の機能を備えているのです。


肉体を失ったときに
私達の記憶が残らない事は当たり前なのです。


私達が日常的に体験する物事は多くありますし
私達は些細な事を重要視しては、
それに拘る習慣がいつの間にか身についているのだと思います。


例えばTVを見てその内容を覚えていたり
人との会話からその話の内容を覚えていたりはするのですが


精神を感じて何かを考えるような体験をする機会自体が
殆ど存在してはいませんし
あったとしてもそれを意識する事もありません。


私達の心が価値観を強く感じる物事は
宇宙意識に照らすと些細なものばかりで
その殆どには価値がないとアダムスキーは触れているのです。


私達はこの社会の影響もあり、日常生活の中では
どうでも良いような物事にばかり執着しては


宇宙的価値観の無いものにばかり
捉われていると言う事になります。


もちろんそれらを精神を持って見つめることもないでしょうし
記憶なるものは心を通じて脳と言うハードディスクにだけ
記録されることになります。


精神の存在に気がつく事が無い私達には
その意識を変えるきっかけもありません。


私達が見ているのは原因と結果の法則に基づく
”原因”と”結果”の両方ではなくて


目に見える実態としての”結果”ばかりですし
そこでは精神の働きは全く関係ありません。


その結果ばかりを見ている事に違和感を感じる事が無ければ
原因を深く追求できない私達にとって
精神の存在は縁の無い存在でもあります。


しかし宇宙的記憶として私達が転生しても持ち続けることが出来るものは
その全てが精神を使用して感じた記憶と言うことですから


精神を使用する事の無い私達は
転生で殆どの記憶を失う事になるのだと言うことです。


心を通じて脳と言うハードディスクだけでなく
私達はそれを精神を通してアカシックレコードに記憶させることが
大切だと言うことかもしれません。


一方、多くは無いと思いますが
私達でも多少は精神的な記憶をも持つ事になるはずなのですが


精神を感じる事も出来ないために
その記憶を引き出すこと自体が出来なくなっているのだと思います。


アダムスキーが触れている宇宙的記憶と言うのは
私達が精神を使用した状態の時に体験した
物事の記憶と言う意味だと思います。


もしも全く同じ体験であっても、
その時に心だけでなくて精神を使用していたのであれば
その記憶は精神を通じて宇宙意識の中に残ることになる。。


しかし、もしも単純に心を持って体験した記憶であれば
それは脳の中にこそ残されても
それは肉体の損傷や消滅と共に失われることになる。


そういう事ではないでしょうか。


一方精神を使用して生きている人間の場合
些細な出来事さえ転生後も記憶として残ることになるようですが
それが重要とは言えないような体験である場合


そのような記憶は殆どが価値の無いものとして
早々と記憶の隅にへと追い遣られる事になるらしい事を


アダムスキーが妻の転生である少女から
聞いて著書で触れていました。


元アダムスキーの妻であった存在は地球での体験の殆どを、
価値の無い物、思い出したくない物として
触れないようにしていたようですし


不快な記憶、負の想念をも感じさせる記憶となれば
ブラザーズのような永遠の生を持って転生している存在には
価値の無いものなのかもしれません。

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人間にとって記憶が大切なものだと言うことは
言うまでもありません。


私達の価値観や意志の決定をも司るのは
記憶だと言っても過言ではないと思います。


記憶は同時に知識でもありますし
その知識は私達の物事の判断基準に繋がるものだからです。


文明にしてもそれは記憶の積み重ねといえますし


もしも先人の持った知識が後の人間達へと
伝えられることが無ければ
私達の文明の発展はおぼつかなかったことになります。


エジソンやベルのような天才が
常に世の中に存在しているわけではないのです。


そんな人間達の知識や技術が記憶として残されて
それを基礎としてそこから新たな発見がされる事になる。


新しい技術が作られることになる。


私達の文明は記憶の積み重ねの上に成り立っていると思います。


私達の記憶は体験であり情報です。


自らが体験したことが記憶として脳に残り
それは同時に知識や情報ともなります。


更に他人や本やマスコミからの情報も
同様に私達の脳へと残され
私達の価値観を形成する材料となっていると思います。


記憶は、心がその価値観で選別し知識や情報として
利用するものですから


勿論、情報の選別も私達の恣意的な判断や
個人的な意識に左右されますし


それによって私達の行動が
左右されることになる事もいうまでもありません。


誤った知識や価値観となるような記憶など必要ありませんし
一方では正しい情報や知識となる記憶は重要なのです。


しかしこの社会ではその記憶となるものが誤った情報であったり、
それ以前にすでに誤った価値観を持たされているが故に、


更なる情報の選択において選択肢を誤る事になり
記憶も価値観も、本来あるべき姿とは
かけ離れていく事にもなるのです。


その結果、私達の行動までもが捻じ曲げられることになります。


行動は私達の価値観を反映させたものだからです。


私に関して言えば時には記憶を消去させられることで
積み重ねの進歩なるものを阻害されますし


人によっては誤った記憶を植えつけられる事で
その価値観と行動を変貌させられる洗脳行為を
体験している人間だって存在しています。


視覚重視と既存の価値観を植えつけるための
大衆操作とも言えるマスメディアの情報を
そのまま自分の価値観として受け止め吸収することで


私達は本来見つめなければならないものや
知らなければならない事に
意識が届かない状態にもされています。


そして私達は地球の法則に縛り付けられることになるのです。

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補足すれば
精神を使用していない状態の物であっても
記憶は私達には重要なものです。


記憶と言うものは
私達の生きる指針としての価値観をも形成する材料となる
とても重要な役目を果たすことになりますが、


日常の行動には、心を持っての記憶の影響が大きいことも
私達は理解できると思います。


通常の人間であれば出来ないし、
しないであろう自爆テロなるものだって、


例えばそこに”聖戦”なる誤った価値観を持つからこそ
なしえる事かもしれませんし、


洗脳行為で恐怖心や罪悪感を取り除かれたり、
死ぬことを強く美化されて価値観として植えつけられるからこそ
そんな行動を取る羽目になるのかもしれません。


全ては記憶と、それに基づく価値観のなせる業だと思います。
(精神を持って行動の指針としていれば
そんな行為は神の予定にないことも理解できるはずです)


以前も触れましたが、例えば怒りを感じている人間が
その怒りの元としているものは何らかの体験です。


その体験を記憶から失うことになれば
私達は怒りを感じることもなくなるのです。


昨日の夜に兄弟げんかをして腹立たしい状態で寝たとしても
翌日の朝に、もしも昨晩の事をすっかり忘れていれば


朝起きた時に兄貴に対して普通に
「おはよう」と挨拶することも出来ると思います。


不愉快な記憶が感情を動かしている良い例です。


逆に昨晩、夢の中で兄弟喧嘩の夢を見た場合で
その記憶が朝まで残っていると


実際には喧嘩をしていないのに
兄に対して不愉快な気持ちになることもあると思います。


普段気にも留めていない女性の夢を見て
其の人の事が気になって仕方がなくなる。。


子供の頃に私は頻繁に体験しました。


記憶は私達の行動にも大きな影響をもたらす存在なのです。


そして今現在の社会で私達が誘導されているのは


【記憶を失いやすい環境にする事で
日常において事件や問題が発生しても
それにいつまでも深く関心を持たせないように誘導すること】です。


これは、特定の社会問題に対して深く関心を持ち続けたり
それを追求する思考を奪うための誘導だと思いますし


自らの意思を持たない受身の人間を作り上げる目的でもあると
想像しています。


私達は記憶なしでは
単なるロボットに成り下がると言う事を
自覚すべきなのです。


社会の中で与えられたマニュアルを其の通りに実行するには
個人的な記憶など必要ありません。


しかし私達の意志を行動に反映させるには
必ず記憶がそこでは必要になる筈です。


いろんな人間が色んな環境の下で様々な体験をして育ち
それを記憶として持っているからこそ
私達は皆が個性を持つ事になりますし


それこそが神が自由意志を人間に与えた理由の一つだと思います。


その神の予定を放棄させて
誤った方向へと誘導させる流れが存在しているわけです。


個性を意図的に画一化する手段は、私達の記憶を消す事と
皆に同じ情報を共有化させてはそれを記憶として定着させる事です。


そしてそれはまさに今のこの社会の裏で進行中の
管理社会支配者層の中心となっている課題であると思います。


それが進めば人間は皆同じような行動をする
個性の無い人間になって


管理する立場の人間は管理が容易で良いのかもしれませんが
それでは私達は肉体を持ったただのロボットに成り下がってしまいます。


私達はそんな社会では
精神を感じるどころでは無くなるのです。


精神と心を併せた時の記憶こそが
私達にとっての永遠の記憶と成り得る物である。


其の事を学んだ私達は、常にそれを意識して暮らせば
例え記憶が消えた時であっても


精神を通じて其の時の記憶を呼び起こす事も
出来るようになる。。


其の時は例え記憶喪失になろうとも
精神は何も変わってはいないのですから
自らの正体に気がつく事も出来るのかもしれない。。


そんなことを考えていました。


そして記憶喪失の人間が
過去の記憶を取り戻すという行為は


私達が過去世の記憶を取り戻す事と
同じものだと思います。


携帯電話に地上デジタル波からのマイクロ波


更には環境に山ほど存在している
家電や電柱からの低周波や超低周波。


私達の周りには磁気的に記憶を消去したり
植えつけたりする原因となる存在が山ほど存在していますが


精神の存在がそれから私達の記憶を
守ってくれるのかもしれない。


そう考えると、これからの時代はますます精神の存在を
意識する事が大切なのではないかと思います。


自分を自分と認識する事すら出来なくなるような
そんな環境で私達は今一体何をしていくべきなのか???


其の事に関しても是非考えて頂ければと思います。

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P.S.


地上デジタル波は
記憶を消去すると言うよりは


マスコミ報道を記憶として植えつけるための役割を
強くはたしている気がします。


マスコミの報道を信じてそれを情報として持たせ
それによって価値観を作り上げさせて
それを元に行動をさせるためです。


私は短期記憶や長期記憶に何らかの関与を
延々とされ続けているらしい事も気がついていますが


それは電気的な刺激と無関係ではありません。


電磁波技術が記憶の消去に一役買っているのです。


同時にこの技術は記憶を植えつけることにも
資していると思います。


私達には記憶しやすい状況や
物事を信じ込みやすい状況というものがあります。


トランス状態とも言えるのがそれで
例えば睡眠不足状態であったり

何かに集中した後に呆けて脳が空になったような状態です。


そしてもう一つ眠い状態の時です。


洗脳を得意としている組織は
人間を意図的に睡眠不足にした常態で


様々な価値観を植えつけると言う手法を
利用しているようです。


それは其の状態が人間の脳への刷り込みが
効果的であることを知っているからだと思います。
(麻薬なども効果的のようですが)


同様の効果をおそらくは地上デジタル放送では
マイクロ波を使用して再現可能だと思います。


電磁波でトランス状態や睡眠を模様す時の
脳波状態を作り上げ
その状態で情報をTVから提供するわけです。


私達が其の情報を素直に置けとめて脳にしまいこんでしまえば
それで価値観を変える事になります。


以前はサブリミナル効果として
画像の中に視覚に訴える映像を混ぜると言う手法が
存在していましたが


今ではそんなものを使用する必要もないはずです。


特定周波数の影響を脳へ与え
其の一方で画像を見せれば同様の効果が
引き起こせる事でしょう。


そして恐らくは家電などから発生している低周波は
脳の記憶の消去の効果を持っているのだと思います。


現実問題、私達の環境は
覚醒以前の問題としてあらゆるマインドコントロールの
危険に晒されているのです。


其のことを正しく認識して尚且つ
精神をも理解することが覚醒のための条件なのですから


如何に覚醒への道が遠いかと言うことも
理解して頂けるのではないでしょうか。


覚醒者そして其の予備軍は其の意識を大切にして欲しい。


私達の持っている意識は
この社会の中では貴重なのです。