生命の科学 VOL23 | 不幸のブログ 

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三次元と四次元の狭間 に関しての記事と生命の科学と宇宙の法則
について語ります。

今日二つ目の記事です。


どうもご近所関係者

創価学会広宣部幹部やには
手っ取り早く出口を塞いでしまえという
人間がいるようです。


公開をすると再び関与が強くなりだしました、


被害コメントをされないと踏むと
途端に手を強めるという傾向があります。


胃腸の締め付け、直腸腫らしは健在で
今は顔や頭皮にも関与が始まりました。



P.M2:52


そんなに頻繁に加害行為を受けて
いまだに良く生きているなと思われそうですが


電磁波技術である
高周波医療装置に関して言えば
それは元々は治療器具としての技術です。。。
(ブラザーズ直伝)


肉体を損傷する事も回復することも可能なのです。


使い分ければ、肉体が壊れない程度に関与し続けることが
可能だと言うことです。


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まずはこの記事を読んでみてください。

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「地球型惑星」か 水が存在可能 気温22度、地球の2・4倍 

・米航空宇宙局(NASA)は5日、生命に欠かせない水が
液体で存在し得る惑星を、


 ケプラー宇宙望遠鏡による観測で確認したと発表した。
米メディアによると、惑星の地表付近の平均気温は推定セ氏22度。
組成は不明だが、NASAは「地球型惑星の発見に一歩近づいた」
としている。


惑星は、地球から600光年離れており、大きさは地球の2・4倍。
「ケプラー22b」と名付けられた。


太陽よりもやや小さく温度の低い恒星から適度に離れた軌道を、
約290日周期で公転している。


ケプラー宇宙望遠鏡は、太陽系の外側にある惑星とみられる天体を
これまでに2326個発見。このうち48個は、


恒星との距離などから水が液体で存在する可能性があるが、
実際に惑星であることが確認されたのはケプラー22bが初めて。

http://sankei.jp.msn.com/science/news/111206/scn11120611170002-n1.htm

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「これはすごい!NASAが事実を出し始めた。」


などと考えては愚の骨頂です。


地球に近い環境で、尚且つ生命の存在する可能性の高い星を
発見したと私達の意識をそちらに向けさていると判断します。


つまりこの記事の内容は


「今まで地球以外に地球に近い環境で
人間が住める惑星の存在は確認していない」


という主張の裏返しでもあるのです。


NASAはいつまでも一般市民を騙して茶番をしていないで
太陽系の実態と、太陽系に所属する12の惑星の全てを
私達に公開すべきだと思います。


それを発表することはアダムスキーの主張が
正しかったことを証明することに繋がりますし


しいては私達に太陽系の兄弟達であるスペースブラザーズの存在を
意識させる結果に繋がります。


銀河連邦とか言う怪しげな宇宙人組織を信じ込ませるためにも
太陽系以外の惑星に人間が住んでいる可能性を
議論したほうが彼らにとっては煙幕にもなりますし


ブラザーズを隠蔽できれば
宇宙の法則の実態も隠せます。


宇宙の法則だけを
一人歩きさせている気配も感じていますが


宇宙の法則について回るのは
全ての太陽系は12の惑星を伴っているという事と


その中で生活環境が整った多くの惑星には
私達と同じ人間が住んでいるという大前提です。


引き寄せの法則や単なる輪廻転生、
波動の法則を取り上げても


肝心な事を全て削除していては
そこからは多くを学ぶことは出来ません。


どこまでも隠し通したいらしい
太陽系の実態と本当の意味での宇宙の法則。


私達は生命の科学を通じて
事の真偽を識別できる能力をしっかりと
身に付けて行きたいです。


(と言うよりも覚醒者はすでにそれが
身についていると思います)


金星は温度460度の灼熱地獄ではありません。


私の過去記事から惑星の表面温度の仕組みに関して
理解してくれた方には説明するまでもありませんが。


暖かいフロリダのような温暖な気候ではあるが、
暑くて地球人が暮らせないような気候ではないと
アダムスキーは触れてました。


其れを否定するためにも金星の表面温度を高く発表し、
その中に人間が住んでいる可能性を隠蔽したのが
闇政府傀儡と化したNASAなどの研究者たちなのです。


いつになればそのような実態は
私達に知らされることになるのでしょうね。


最悪、私達が太陽系の実態を知るのは
自らが他の惑星に転生した時なのかもしれません。

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先日、航空公園駅周辺を歩いていて街路樹の中に、
この寒い季節の中で青々と茂った葉っぱに
真っ赤な実が沢山なっている樹木を見つけました。


私は、自然を見つめる様に努力をしていますし
元々が人間を見ないように自然を見つめる癖もついているので


自然に目を向ける機会がおそらくは他の人よりは
多いと思います。


さすがに秋になると春先や夏場ほど
美しい自然の光景を目にする機会はなくなるのですが
その樹木には見とれてしまいました。


緑色の葉に真っ赤な実がとても映えているのです。


張ってあったカードから
その名前は”くろがねもち”という木の様です。


私の最寄り駅である西所沢駅の近くでも
同じ樹木を一本見つけていましたが
夏場には意識することもなかったために


どんな花を咲かせていたのか覚えて居ませんし
それが真っ赤になるまでの過程も
まるで想像がつかないで居ます。


こんな時はせめて想像力で、それ以前の姿を予想すれば
その様な行為もおそらくは精神を感じる練習になるのでしょうね。


何よりも、どの季節にもその美しさを表す花が存在していて、
しかもそれが季節ごと独特の色を持っていたりする事も
やはり全て神の表現だと言う事になるのだと思います。


私が勝手に意識している今の季節の色は
紅葉といわれるものであり、後は真っ赤な実と赤い花です。


つまりは赤がとても映えて見えます。


もみじの葉に、樹木の真っ赤な実
そして椿かさざんからしき真っ赤な花がそれにあたります。


自分の知っている知識から
「あの赤はアントシアンという
色素と関わっているのかな?」


などと思って眺めていますが
そんなつまらないことを考えるよりも


”くろがねもち”をそのままクリスマスツリーにしたら
綺麗かも知れない。。


と俗物的な発想でその事を想像しているほうが楽しいです。


でもどちらも原因と結果の法則の練習には
なっていませんでした。(苦笑)


電磁波の関与の少ない場所でかつ木々の多い場所に居ると
流石に体が独特の物(恐らくはプラナの様なエネルギー?)
を強く感じることになります。


でも脳への関与が日々あるためか
やはり脳が封じられているような意識が続いているので
その感覚は鈍くなっているのではないかと思います。


自分が何をされているのかが
何となく想像もつき寂しくも感じています。


記事を書く時には其れがある程度可能な状態にされ
しかし一方では精神の進化を妨害され続けているわけです。


成長しないように管理されているようなものかもしれません。


勿論私が勝手にそう感じているだけで
脳へのしつこい刺激は複数の関与があるので
効果を一つに限定することも出来ません。


私は自称ニュータイプとコメントしていたので
(妙に勘が良くて自称覚醒者)
つまりはその力を封じられているようなものだと思います。


そして良くも悪くも脳の状態は
私の自然のものではなくなっているのです。


どうせ脳に関与してくるのなら、深く覚醒させてくれれば
未知能力でも開花する事があるかも知れないのにと
思ってしまいます。


そうしたくは無い理由が彼ら闇政府の傀儡には
存在していると言うことですね。


覚醒者および覚醒者予備軍の皆さんもご注意ください。


彼らはどうしても私達を地球の法則へと
縛り付けたい様ですから。。。。


今日も例によって
アダムスキーの21世紀生命の科学から引用します。

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【自然界の指導の下に帰ること】


私が自然と呼ぶ時、それは母性原理の代表者として用いられます。


自然は万物を生みだした母体であるからです。


これは生命の女性面であり
一方”至上なる英知”は男性面です。


そしてこの二つは多くの現象を生み出すために
一体となって働いています。


我々に判るように生命の90%は直接指導の法則によって
支配されています。


人間の部分を占める残りの10%は自身の自由意志を用いることによって
その法則から自分を切り離しています。


地球上の最初の人間が生活の道にそって
自分を導く教師を持たなかったとしましょう。


そこで彼は教師として
自然を利用しなければなりませんでした。


つまりさまざまな種類の葉を持つ木々の間を流れる風の音を聞きながら
彼は各風がそれぞれ異なる音を立てることに気づきます。


また鳥の声や小川のせせらぎ、その他の自然が作り出す
物音を聞きながら彼はそうした音を作り出そうとします。


そこで笛の様な物を作り、後には他の楽器類を作ります。


結局、人間は自分の創造主のようになりたいのであって
それでこそこれまで自然は人間の最高の教師であったのです。


現代でも人間は海底や大気圏外へと活動しますが
これはまったく自然から学びたいからに他なりません。


ところが人間の学習のもっとも不幸な部分は
エゴが短気であり、エゴ自体を事故の教師すなわち
創造主の上位に置こうとする態度にあります。


人間の犯す最大の過失はこの点にあるのです。


父の(神の)意思のかわりに自分の意志を応用し
こうして物事を簡単にしないで複雑にしているのです。


人間は、自己の教師であり万物の命でもある意識に従わないで
生徒であるべきはずの自分の心に従っていますが


人間にとって唯一の救いは自然の指導のもとへ
帰ることにあります。


人間はいかに多くを学び、いかに年齢を重ねても
絶対に自然から離れることは出来ないのです。


自己の知識を評価する基準は自然であらねばなりません。


現在あらゆる探求の分野に学者がいますが
学者の全ては自然の要素と生命体の生産を探求することによって
自己の知識を求めるのに自然に頼る必要があります。


また人間は生活それ自体を自然に頼らねばならないので
自分のエゴよりも自然を指導者にする必要があるのです。


いいかえれば、自分の心のかわりに意識を自己の指導者にすべきです。


体験からしてわれわれは自然が
”至上なる英知”によって支配されている事を知っています。


そこで英知と言う言葉に返ることにしましょう。


われわれはあらゆる状況からして
人間が英知を表現していると考えてよいでしょう。


しかし人間が自己を表現する時
我々は自分の考えの誤りに気づきます。


(訳注 人間の中にはまるで知能のない者が
いるように見えることもあるの意)


だが謙虚で上品な人を見ると、
われわれはその人の表現から本人がまったく知的であるように見えます。


そこで人間は表現、または行為によって
知能を分類しているわけです。

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アダムスキーは自然から学ぶという事を
繰り返し弟子にも話していたようです。


彼は既存の教科書や専門家と言われる権威が
必ずしも正しいことを触れているわけでないことを十分に
理解していますし


何よりも私達の知識の殆どは、結果なるものの積み重ねとして
現象を捉えたものに過ぎない事を知っていたからだと思います。


私達が自然を見つめた時には
そこから一体何が得られるのでしょうか。


生命の90%は精神の指導を受けていると
アダムスキーは触れています。


以前の記事で書いた生命の誕生にしても
更に私達の体で言えば怪我の回復、


頭髪や体毛が伸びたり、背が伸びたり、
食物を分解して吸収したりと言う行為は


全てが精神の指導の下に速やかに行われていることは
今なら私達も理解できると思います。


それは私達が心で命令して実行しているものではないからです。


それは精神なる物の導きであり
それが司っている法則に基づく結果なのです。


その事を理解出来ていなかった私達は、それを当たりまえの事と捉え、
実はそれもが神の法則の一部である事を理解していませんでした。


そしてその事を深く追求することも無いので
精神の存在を感じる事も出来ないでいたのです。


一方、自然は人の手が入っていない状態であれば
外観含めてその殆どが神の意識の表れであるという事になります。


そこで生息している多くの生物は
神の意識を頼りに生きている事になりますし


彼らは精神を使用し続けている存在でもあります。


それを見つめそこから学ぶ事が
私達が自分達が見落としている精神の存在を
気が付くきっかけにもなると思います。


精神を頼りに生きている彼らは
宇宙の法則に乗っ取った暮らしをしている存在だからです。


エゴを持つことなく
他の生命体と調和を持って暮らしている姿から、


そしてその成長や性質の詳細を学ぶことで
私達は神の意識の存在に気が付くことにもなる。。


日常でその多くの現象を当たり前と捉えている私達が
神の意識や見えない法則に気が付くためにも


自然を教師にするという態度は
とても効果があるのだと思います。


単純に視覚で眺めるのではなくて
その現象を結果として見つめて原因を追究する。


私達にはそんな姿勢がやはり重要なのだと思います。
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自然に学ぶと言う意味をもっと追求すれば
私達の社会の知識や教科書には100点満点の答えが
存在しては居ないという事に行き着くと思います。


私達の知識はその殆どが既存の教科書によるものです。


それが専門書であろうと学校教材であろうとです。


そこには全ての現象を理解する100%の答えは載っては居ません。


私達はそこから真実の一部を拾っては
残りはその知識を元に自分のエゴに従っては
心で物事を考えてそれを正しいと思い込んでも居ます。


そしてその教科書は結果(現象)を寄せ集めた
集大成とも言える存在なのです。


全ては視覚で理解できる事、もしくは視覚で捉えて
心で推測した現象の集まりと言えます。


そこには100%正しい解答が存在するわけではありません。


つまり私達は元としている教師が100%を理解していない状態で
それを全て正しいと信じては、時には誤った学習を
続けている事になるのだと思います。


しかし自然は100%神の意識に基づいて生きています。


神の意識なるものが私達の精神であり、
その神の意識こそがこの世界を創造したわけですから
そこには100%間違いのない知識が存在していることになります。


自然界のありとあらゆる法則も、そして私達が従うべき精神も
全ては神の意識でありそこには全ての回答が用意されている。


つまりは、自然に学ぶ事で私達は30%かも知れない私達の知識を
増して行くことが出来る事になります。


自然に学ぶという行為は
100%の回答が用意されている神の意識としての精神を
直視する事になるからです。


(植物から100%を学べるのではなくて
植物を見つめる行為を通して精神を感じとる事ができるようになれば
精神を通じて神の意識から100%を感じる事になると言う意味です)


自分で自分の精神を感じることが出来なくても
自然を見てそこに何らかの法則を感じることが出来れば
それは神の法則に他ならないからです。


そして勿論、究極的には私達は
自らの心を精神に重ねる事で直接回答を
そこから引き出すようにならなければならないのです。


ブラザーズでさえ自然から学ぶ事があるのですから
まして元々の教材が不完全なものであり
それに従った価値観を創り上げて生きている私達は


自分の中の精神だけでなくて
自然から地道に学び続ける姿勢を持つことが
大切なのだと思います。


アダムスキーは木々の中で葉っぱ一つを見つめても
その葉に浮かび上がる筋を見ては
そこに神の意識や表現を感じ取るようです。


私達はそれがどのように出来上がったのか
それ模様の持つ意味すら考えることもありません。


雪の結晶にしても祖の模様には意味があるのかもしれません。


間違いなくそこには神の英知の表現があり
私達の理解できない何かを表現しているのだと思います。


社会の中で世間的には専門家と言われている人間の言動に
従う事ほど馬鹿馬鹿しい事は無いという事に


恐らくはここを読んでくれている人間達は
気が付いていると思います。


彼らは目で見て理解できるもの、
若しくは結果として認識できるものを全ての知識として
物事を語っています。


そこには精神に基づく思考の入る余地はありません。


つまり彼らの思考では正しい原因を
追求する事は出来ないのです。


増して今の社会そんな専門家達は
闇政府の傀儡と化しても居ます。


そんな人間達の言葉をまともに信じても
地球の法則へと誘導されることもわかりきっていますし
何よりも与えられる情報は不完全なものです。


エルニーニョやラニーニャ現象を日本の気象異常の
原因としながらも、その発生メカニズムは
いまだに正しく説明されていないことも
そのような例の一つです。


特定の海面の水温が上昇したり低下することが原因としながら
その水温上昇や低下の直接の原因を
彼らは説明することは出来ないのです。


それで居てそれらを自然現象と断定し説明するような専門家。


私達の社会で一般市民が教師としている人間達は
そんな人間たちなのです。


私達は結果としての集合であるそんな知識を与えられ
それをそのまま受け止めては


一方では原因なるものを追求しようという
思考を起こすことも無くなっています。


専門家の説明を疑う事なく
そのまま自らの知識として脳へと蓄える癖が
出来ているからだと思います。


それが私達の正しい理解を妨害しているということ
私達であれば理解できるはずです。


神の法則は私達の中や自然の中にこそ見出すことが出来る。


私達が自然の中から見つけ出す知識は
人から与えられた知識ではなくて自らが精神で感じた知識であり
神が私達に与える真実なのだと思います。


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P.S.


読めば読むほどぼろが出るのが
地球の法則に則っている精神社会。


読めば読むほど、そして実践すれば実践するほど
普遍的真理へと近づくのが
スペースブラザーズがアダムスキーを介して紹介してくれた
生命の科学であり原因と結果の法則だと思います。


努力なくして覚醒はありえない、


そして正しい知識なくして
宇宙の法則を感じることは出来ない。


私達が地道に進むこの道にもっと多くの人たちを誘導できるように
私達自らがその理解と覚醒を深めて行きたいです。


私は皆に置いてきぼりを食らいそうですが。(苦笑)