生命の科学 VOL12 | 不幸のブログ 

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三次元と四次元の狭間 に関しての記事と生命の科学と宇宙の法則
について語ります。




「さあ今度はどんな手段で諸星を陥れるか。。」


工作員達のそんな気配をひしひし感じながらの
更新です。


コメントもどうしても工作員を意識したものと
なってしまっています。


見苦しいかも知れませんがご勘弁を。。



キッシンジャーはメーソン若しくは
その上の組織の実力者だと記憶していますが


彼がTPP参加決定前に
野田総理に面会したと言うのは
どうやら本当の話のようですね。。

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少しばかり苛々も誘導されています。


私の精神性を姑息に乱す行為を
真下の部屋の工作員は好んでやってきているように思えます。


近所の大家関係者協力者と
メーソン関係者と見られる人間たちが


朝から腸を塞いだり、圧迫しては
息苦しい思いをさせてきています。


加害行為をやめる気はないと言わんばかりに
食事をしていても腸の異物をせり上げてきますし
腸内の水流を逆転もしてきます。


要するに下から上へと水分と異物まみれの
排泄物が競りあがってくるわけです。


今朝もトイレに行けば得意の直腸腫らしに
水分蒸発も交えて妨害し続け
今では顔への関与も始まっています。


記事を書き出すと思考回路が正常に動かないようにと
電磁波による妨害も始まります。


散々、嘘で仲間や一般人を騙し続けている様な人間達が
私のような記事を読んで覚醒する人間が増えて
自分達の嘘がばれる事を危惧しているのだと思います。


そんな人間達は一貫した価値観など持ってはいないと思います。


元々持っている価値観の体系が誤りか嘘なのですから
それに一貫性を持たせるのは大変なことです。


紛い物は本物の前では
とても陳腐に見えると思います。


それが紛い物の法則であっても
紛い物の神であってもです。


そして自分達の主張がいかに正しいのかと主張するよりも
人の揚げ足を取ることのほうが彼らには効果的なのでしょうね。


私のような記事が邪魔だと判断すれば
その記事の中でも突っ込めそうなところを引用しては
その信憑性を落としめる。。


過去の工作員の手法を見ていても
恐らくはそんなことでもされているであろう事も
なんとなく想像が付きます。


自分達が本当の普遍的真理への体系を
示すことが出来ないがゆえに、
そして一貫した価値観や骨格を持てずにいるために、


彼らは真実を語ろうとする人間の妨害をするしか
保身を図る方法が無いのだと思います。


私達が本音を語るのはとても楽です。


元々価値観が一貫しているわけですし
その意味で主張の矛盾は出てきませんし
矛盾が出ないように繕う必要もないからです。


しかし嘘をつき続けるのはとても大変だと思います。


一つの嘘を正当化するためには
その矛盾を見つけると更なる嘘をつき続けなければならないからです。


(大掛かりな嘘を体系的に創り上げている人間達もいますが
結局はブラザーズの教えでもある普遍的真理の前ではかすんで見えるのです)


そして論理的に正当化できなければうやむやにする。


嘘を真実とをすり替えたい人間にとっては
もうそんな手段しか残されてはいないと思います。


しかし一旦真実に覚醒した人間をだます事は出来ません。


彼らは今度は新しい宇宙の法則を利用した
騙しでも考えるしかないのではないでしょうか?


勿論、覚醒者たちがそれに騙されるとは思えませんが。。。

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例によってアダムスキーの
21世紀生命の科学より引用します。


第二講の前回の続きの箇所からです。

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イエスは次のようにいって、この真理を人々に伝えました。


「この世の人々からの栄光を求める者は天国に入ってゆく物を持たない」


「明日のことを思い煩うな」


「鳥は蒔く事も刈る事もしないのに父は彼らを養っていてくださる」


しかし、これは意識(精神)に対する強い信頼を必要とします。


なぜなら、イエスは
「あなたがたのからだは着物にまさるではないか」


とも言っているからです。


これは全ての金星人が応用している法則です。


これでおわかりのように、いかなる人間でも日常生活においては
各人が何らかの形で重要な存在なのです。


我々がなさねばならないことは、進化した惑星の人間が
彼らの惑星でやっているように、各人の重要さを知ることです。


こうして個人の努力は他人に直接または間接に奉仕するにつれて
尊重されるのです。


あなたはここでいうかもしれません。


地球人の犯罪者や他人を傷つけたりする連中についてはどうかと。


こうした行為は本人の過失と看做されて良いでしょう。


なぜなら本人は結果(現象)によって自分を導くようにと
人々から教えられてきたからです。


しかも殆ど誰もが結果(現象)に導かれてきてます。


だから我々は皆過失を犯すのです。


しかし我々が懸命で、理解を望むならば、過失を犯した理由を知り
それを修正するでしょう。

それで一つの教訓を与えてくれたその体験に感謝してよいのです。


この体験がなければ、もっと良い方法が掴めないからです。


歴史は必ず繰り返す必要はありません。
歴史を作るのは人間の行為であるからです。


これについては今後の講でもっと詳細に説明しますが、
さしあたって心について解説を続けましょう。


ここまでです。
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前回の内容をおさらいすれば、


太陽系の他の惑星の人間達の社会では
特定の職業の人間が褒め称えられたり
高く評価されたりといった事はありませんでした。


縁の下の力持ちがいるからこそ
目立った仕事を完成させる事が出来る人間がいる。


道具を作ってくれた人間がいるから
それを使用して仕事をすることができる。


電気を発見し使用してくれた人間がいるから
今の社会ではそれを利用した道具を使う事もできるわけで


特定の作業に従事する人間が社会的に高く評価されて権力を持つに至り
他の人間に対して威張り散らすのも正しくありませんし、


ある作業をする人間が社会的に低く評価されて
身を縮めるような事があってもおかしいのです。


社会を維持していくために必要な作業が存在すれば
それは誰かがやらなければこの社会が成り立っては行かない事を
私たちはブラザーズの意識からも学ぶべきだと思います。


私達の社会であれば、ごみや糞尿を収集する仕事は嫌われますし、
汗を隠し事や肉体を使用する仕事は専門職であっても、
背広を着て先生と呼ばれる様な職業と比べると軽視されがちです。


しかし自分が肉体労働をした事が在るからこそ判りますが
そんな人間達の仕事は労働量はとても激しいものがあり
彼らの見返りは少なすぎると感じてもいました。


知的労働者の中には更に専門職で高い地位を得ている方々がいます。


要するに特定の職業に従事する人間達は
あまりにもすべての意味で恵まれすぎているのです。


そして自分たちはエリートで他の人間より偉いと
勘違いしているかもしれません。


そのような人達は自分で肉体労働の経験をする機会があれば、
自分の仕事同様に体を使った労働も評価されるべきであると言うことが
理解できるかと思います。


この社会の仕組みを維持するためには
それが困難であっても、誰かがしなければならない仕事が存在していて


そのような仕事をする人間は
皆が同様に評価されるべきであると言うことが
きっと理解できると思います。


人が嫌がる仕事であれば、
その見返りが平等であるという仮定の下に、
そんな仕事をする人間こそが一番尊敬を受けるべきだと言う事にもなります。


そんな意識で他人を見ることが出来れば
誰もが職業に関しても平等に扱われる事にもなります。


アダムスキーやブラザーズは私達がそんな意識を持つ事こそが
人間は皆平等であると言う意識を理解するためにも大切であると
私達に伝えたいのだと思います。


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厳しく感じるかもしれないイエスキリストの言葉ですが
この社会の中で自分の事を高く評価されたいと願う人間は
天国にはいけないという事です。


先日、救世主の話の記事で触れたのですが
私達は誰もが高く評価されたいとか重要な人間であると思われたいと言う
意識を持っているようです。


http://ameblo.jp/uruseiblog/entry-11059663896.html
皆がヨハネとイエスの継承者


勿論それは自分が可愛いからであり
心というエゴの働きとは無縁ではないと思います。


誰もが人と比べられた時に軽視される事を嫌うと思いますし
もてはやされれば誰もが気分も良いものです。


それは心の心地良さや不快さに直結する物だと想像する事も出来ます。


私のように社会的地位も名誉も全てが無い人間であれば判るかもしれませんが、
プライドを捨ててしまえば人目や他人の評価など何の興味もなくなります。


それらは全てがこの社会の仕組みの中において、
私達が宇宙の法則の埒外で勝手に作り上げて来た価値観そのものだからです。


その社会から遠ざかり、もしくはそんな仕組みとは無縁な存在になると
人目とか世間体とか言った物は何の価値もありません。


まして周辺を工作員で囲まれる事の多い私は
歩いている周辺の人間を植物や野菜でも見ているかのような意識でいますし
人が視線を向けてこようが恥とか外聞は気にならなくなっています。


その気になれば人目をはばからず
通常、人が辱と受け止めるような事でも出来るでしょう。
(現にプラカード付けて歩いていましたし)


かといって人前であまりにも奇抜な行動をすると
今度は意識を疑われてしまいますし程度は大切だとは思います。


でも確かに私達は世間体や人目に強く囚われ過ぎてもいるのです。


会社であればその役職が偉ければ偉いほど
世間的にも覚えがいいですし、


会社組織の中でも偉そうな態度もとれますし
それが自分のプライドを満たす事に繋がるかも知れません。


部下に命令して自分の権力を認識したり、
下の人間からご機嫌を伺われている時は
きっと心は気持ちが良いのだと思います。


でもそんな意識は全ては私達が心に囚われている事に
原因があるのですから
精神を使用できていない状態なのは言うまでもありません。


つまりは神の意識を感じては居ない状態です。


そして勿論常時そんな心の状態を
持ち続けているような魂では
私達は記憶を持った永遠の転生に入る事は出来ません。


「この世の人々からの栄光を求める者は天国に入ってゆく物を持たない」


という言葉はそれを説明しているのだと言うことです。


続いて、


「明日のことを思い煩うな」


というイエスキリストの言葉が引用されていますが
「真理は現在にある」という
マスターが語っていた言葉と同じ内容だと思います。


先を心配し悩むことは心を乱す事に繋がります。


不安を感じると言う意識は
そのまま心を強く感じる行為のはずです。


そのような状態では精神を強く感じる事も出来ませんし
精神が心と大きくかけ離れる原因にもなるのだと思います。


現に神の意識には不安や恐怖は存在していません。


不安や恐怖と言う感情は、
自由意志を使用し自分の価値観を作り上げてきた
人間独自の心の動きなのです。


その結果、不安を持ち続けると言う行為も度を過ぎると
永遠の転生へと進めない原因ともなりかねないわけです。


私が今一番主張したいのは実はその事です。


この社会は意図的に人々の不安と恐怖を煽っては
私達の意識を心に縛り付けているのだと思います。


本当は冷静になって感じていなければならない精神を
私達は不安や恐怖に心を揺り動かされて
感じる暇もなくされていると思います。


元々の意識が道徳心に満ちていて、
本来は優しくて悪とは全く縁の無い心の持ち主であっても


不安や恐怖に囚われていると
精神を前面に押し出す事が出来なくなるようです。


そしてこの不安と恐怖の支配は他の記事でも触れているように
半ば意図的に作り上げられている物だと思います。


要するに地球の法則の支配者達は、
私達の精神を覚醒させないように、


私達が心に縛られるように、
そして地球から卒業させないように


私達を誘導しているのかもしれません。


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アダムスキーは過失について触れています。


ブラザーズ社会でも過失を犯すことはあるそうです。


と言っても犯罪行為という意味ではありません。


彼らにとっての過失とは、
その行動が結果的に人に迷惑を掛けたりする場合や、
思慮不足で物事を失敗したりするという事のようです。


彼らは過失を犯した時にはそれを二度と繰り返さないこと、
そしてそれを経験として生かす事を何よりも強く意識するようです。


体験してこそ初めて理解出来る物事もありますし
時には経験しなければそれが正しいのか間違っているのかを
判断出来ない事もあると思います。


彼らはそんな時は頭でっかちにならないで
(必要以上に警戒しないで)
精神を使用しては行動するようです。


そしてその行為が結果的に間違っていると判明したときに
彼らはすぐにその事を学習して
二度と同じ過ちは繰り返さないそうです。


経験と反省、そしてそこから入手できる知識。


それが彼らの精神の成長の源だと思います。


優しいマスターやアダムスキーは
犯罪行為もそんな過失の一つであるとしています。


私達が過失を犯す原因は”結果”を見ているからだと言う事です。


犯罪で在れば強盗は”お金を手に入れる”
という結果を目的した行為ですし


その”お金を手に入れる”と言う行為を結果とした時に
精神がそこで働けば


人から無理やり奪うと言う意識は生まれないはずです。


その他の手段を”原因”や”過程”として
精神は伝えてくれるはずですし(神の意識が強盗しろとは言いません)


ここでも精神は理性に似た働きをする事になると思います。


しかし心が目指しているのは”お金を手に入れる”と言う
”結果”だけですから、精神とかけ離れている人間は
その手段をも”心”が判断する事になります。


その心が持っている価値観が
そこでは行動の判断基準とされる事になるはずです。


つまり犯罪はその個人の価値基準こそが行動の動機になっていて、
どんな状況に置かれようが犯罪に手を染めない人間も居れば
容易に犯罪に手を染める人間も居る事になります。


道徳や過去の経験でそれが良くない事であるという事を学んでいれば、
そして心の齎す本能的衝動に駆られなければ、
お金を手に入れる行為のために犯罪に手を染める事も無いわけです。


やむを得ず犯罪行為に手を染めると言いますが


それは絶対に心のエゴや本能が密接に関わっていると思います。


そのお金を遊ぶために使うつもりの人間であれば
心が気持ち良い思いをしたくての行動となりますし


それが生活費の一部であれば
生きるための本能を出してしまった結果の行動となります。


気の毒な場合もあるでしょうが
結局は私達が心に従うからこそそんな犯罪は起きるのだと思います。


精神を強く感じてそれに従えば
それは良くない事であるが理解できると思います。


しかしこの地球と言う環境は
善良な一般人をも犯罪者へと落としかねない
過酷な環境となっていると思います。


自給自足などする事はできませんし、お金が無ければ生きてはいけない、
その上にお金を稼ぐ手段が限られてしまっているからです。


覚醒者であれば、いざとなれば野垂れ死にして
人生それで終えて転生しましょうと言う事にもなるでしょうが


通常の一般市民はそうは行きません。


お金がなくて暮らせないと言う意識は
死への恐怖を感じるきっかけにもなるのです。


その結果、犯罪がおきやすい環境になっているのだと想像も付きますし


それを意図的に誘導している人間もいるのですから
一般市民にとってはこの社会は生き地獄です。


という事もあり、この社会の中では余計に宇宙の法則の広報が
重要になってくるかと思いますがいかがでしょうか?


宇宙の法則を理解すれば、


犯罪者となって生き地獄の社会を生き延びて行くよりも、
その時は仕方がないと笑って死んで転生していく事を
誰もが選択する事になると思います。


それで本当の命が手に入れられるのであれば
皆はそのほうを望むのではないでしょうか。


皆がそんな意識を持つだけでも犯罪行為だって減る事になります。


恐怖の想念が減れば地球の法則に縛られにくくもなります。


何よりも皆の意識が変われば
こんな恐怖と不安の社会を変えていくこともできるはずです。


そのためにも生命の科学。


皆で一緒に学んで身近な人間にでも広報して行ってください。


一緒に地球から卒業して行きましょう。


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P.S.


「鳥は蒔く事も刈る事もしないのに父は彼らを養っていてくださる」


鳥や動物は神の法則、宇宙の法則に従って生きています。


彼らの殆どは自由意志なる心に繋がる物を持っておらず
(どうやら全部ではないようです)
通常使用しているのは精神だと言う事です。


つまり彼らの行動の殆どは神の意思によって
誘導されるものであると言う事になります。


もしも人間が存在していなければこの地球の動物達は


当たり前のように自然からその糧を得る事が出来て
食事をする事に不便を感じる事もないはずです。


神は調和を意識して万物を創造しているからです。


そんな動物が絶滅したり凶暴化するのは
私達の想念や私達の環境破壊が
地球の自然の摂理を壊している事に他ならないのだと思います。


そして彼らが凶暴化したり人間に危害を加えるようなそんな行動も、
神の法則に従った結果だとすれば、


私達の心無い行動が神の法則を通して
結果的には自分達の身に降りかかってきている災難という事にも
なるのかもしれません。


つまりは本当の意味での自業自得です。


勿論この社会では一般市民は行政や国の決定に従っているだけで
本来何の罪も無い場合が多いのでしょうが
結局は人間社会の連帯責任という事になるのだとおもいます。


私達が普遍的真理を理解して神の法則を実践していれば
おそらくは動植物が絶滅したり
彼らが食に困るような自然界を作り上げることも無いのだと思います。。


万物の支配者的存在でもある人間が、
神の最高の創造物でもある人間が
どんな社会を創り上げるかによって
動植物にもその影響を大きく与える事になる。。


自由意志を自らのエゴのためだけに使用すれば
人間ばかりではなくて動植物にとっても地獄と化した社会も作れますし


逆に万物にとっての楽園をも築きあげる事も出来る。。。


私達は罪深いだけではなくて、
あらゆる可能性を秘めた存在でもあるのだと思います。


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私に対しては再び精神汚染も始まっているようです。


要するに意識を低くされるのです。


神を感じ様とする意識は
恐らくは未覚醒の人間の意識よりも
何かが高いのだと思います。


それを意図的に彼ら加害者達のレベルまで
下げられているような感じなのだと思います。

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原因と結果の法則、実践してくれていますでしょうか?


私は実践と言うよりは兎に角、理解に勤めて
皆に正しく説明できるように努力しているのですが


それだけでも自分の中では精神への理解が
ずいぶんと深まったような気がしています。


その視線を持って見つめると
以前読んでいたアダムスキー関係の本の内容まで
深く理解できるようになっていることもありますし


マスターの言葉などは
とりわけとても良く理解できるようになりました。


私が宇宙の法則で取り上げた引用です。


判断基準が以前とは異なっているらしいことも
自分としては実感できますし


嘘や真実も以前にも増して
はっきりと選別できるようになったと思っています。


そしてこのことは恐らくは
私の記事を読んで理解してくれている方々には
間違いなく共通の体験かと思います。


誤った価値観や法則を実践し続けても
決して見えてはこない普遍的真理が、


宇宙の法則、原因と結果の法則の実践によって
嫌でも意識できるようになると今では確信しています。


私の理解者は、人に強制されたり体験なくして
人から聞いたことを鵜呑みにするのとは異なる


自らの体験で階段を一歩一歩上っていくような感覚を
今現在も感じとってくれているかと思います。


真実と嘘を見分ける方法など
恐らくは覚醒者には必要ないと思います。


精神が勝手に感じてくれるからです。


論理的に思考してもそれは容易に見分けが付きますし、
それ以前に一貫している価値観を持って物事を見れば
嘘は嘘と判断できます。


さらに精神もそれを感じ取ることになっているはずです。


そんな感覚をすでに体験している方も多いのでは
ないでしょうか?


私たちの周辺は嘘の情報や、
視線を身近な現象にばかり
縛り付けるような情報で満ちてもいます。


勿論それに誘導されるのは私達の心です。


山と溢れる情報の中から正しい情報を選択し、
心ではなくて精神を利用しては思考し


地球の法則に私達を縛りつけようとしている人間達の
策略から開放されてください。


そして原因と結果の法則の実践が
実はその事にとても大きな役割を果たしている事を
実感して欲しいです。


これはあくまで私達の思考の基礎であり
法則の一部に過ぎません。


法則と言うよりは基礎中の基礎であり
覚醒のための道具と言っても良いのかもしれません。


そしてこの思考をしっかり見につけた状態で
ネットであらゆるサイトや情報を眺めると。。


いかがでしたか?


嘘まみれのこの社会の実態が
とても良く認識できるかと思います。


それゆえに時々真理を語っている人間を確認すると嬉しくもなり、
その人間を同志であると感じる事にもなります。


そして私達は精神を通じて共通の宇宙意識と言える
神の意識を感じているのだと思います。


まがい物では体験できないその意識を、
もっと深く認識できるようになるよう
これからも一緒に学んで行ってください。


聖書のイエスの再臨の話が
本当に本人の口から語られたものであるのであれば


スペースブラザーズは何れ必ずイエスキリストを
光臨させてくれると思います。


しかしそれは今ではないようです。


それまでの間、この社会の救世主は貴方なのです。


覚醒した人間だけが
神の法則を人々に伝えることができる。


そしてイエスはそんな人間をキリスト(メシア)だと
言っているのですから。