生命の科学VOL17 | 不幸のブログ 

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三次元と四次元の狭間 に関しての記事と生命の科学と宇宙の法則
について語ります。


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いつものようにアダムスキーの21世紀生命の科学から引用します。


今日で第二講は終わりです、


今日はその復習です。

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【この講座は進化した惑星の人々から伝えられた哲学】


”神の意思”というのはしばしば用いられる言葉です。


もしあなたが意識(精神)である神の指導によって学ばないならば
苦しい結果をもたらすあなた自身の”心の意思”によって
あなたに学ばせることになります。


ゆえに神はあなたの体験に責任はないのです。


第一講を学んだ人達から報告が寄せられていますが
それによれば真に熱心な人々は素晴らしい結果を得つつあります。


これは驚くべきことではありません。


かつて発生したあらゆる物事は意識の中に記録されていて
人間の心が注意深くなる時にそれが引き出されることがあるからです。


以上がこの哲学が進化した惑星の人々から簡約されて
伝えられた理由であり、これまでに出たいかなる哲学とも異なる理由です。


その簡約された形の中に研究者に必要な真髄の大部分が与えられています。


想像主の法則はきわめて簡単です。


そうでないとすればイエスが「幼児のようになれ」
というはずはありません。


子供はそれなりに他を疑わず純粋です。


これまで人間は自分の心でもってあらゆる物事を
難儀しながらやってきました。


そして神秘につぐ神秘を作り出しましたが、
実際には神秘は存在してませんし
不可解な物事もないのです。

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今回は引用も短かったのですが
第二講はここで終わりです。


第二講で私達が学んだことは


まずは”心”という物が如何に私達の四つの感覚器官である
視覚・聴覚・味覚・嗅覚というものによりその価値観を決められ
それを行動や判断の基準としているかと言うことです。


私達は無自覚の内に各種感覚器官の気持ちの良い事を
心で価値観として作り上げそれを実行する傾向が強いと言うこと。


更には物の好き嫌いも実はこれらの感覚器官の感じている
好き嫌いがそのまま心に反映されていると言うこと。


更にはこれらの感覚器官の好き嫌いや心地良い事は
感覚器官ごとに異なっていて、それが時には対立するために
物事を正しく捉える事が出来ないという話でした。


これらを正しく使用してその上で精神を使用して物事を捉え、考える事で
私達の行動は更に改善される事になる。。。


そんな話がありました。


次に、心のエゴに捉われないで学ぶと言う事が大切だと言う話です。


私達が何かを学ぼうとした時には
心ではなく精神を使用しなければならないと言うこと。


先入観や独自の価値観に捉われている心が活発に動いている状態では
私達の心の動きにより人からの話も正しく受け止める事もできず
心の価値観が多分に入り込んでしまう事になる。


そこで、何も知らない子供のごとく素直に先入観や
自分の価値観を持つ事なく知識を受け入れる事が重要だと言う話でした。


次には誰もが全員が平等であると言う事を
理解するという話がありました。


私達は誰もが平等であり、それは職業についても同様で
どの仕事が偉いとか名誉があるとか、そんな区別はするものではなくて


皆が何らかの形でお互い影響しあっていて
それぞれが同様に尊敬されるべきであると言う話でした。


これは心が持っている地球レベルでの価値観や先入観に
関しての話でもあると思います。


更には心と対象的に精神こそが全てを知っている存在であると言う
ことを示す例として、


妊娠してから出産までの過程は
母親が意識していなくても、胎児の知識などなくても


子供は受精から出産までの間
設計図でもあるかのように確実に育ち続ける事を例として
学びました。


更には私達が無自覚のうちに心に恐怖心を持って
暮らしている存在であると言う話、


そして心と精神ははっきりと別なものであり
それぞれが独立して存在していると言う話もありました。


ここでは私達が神から自由意志なる物の延長として与えられ、
経験と感覚器官の価値観により出来上がっている
”心”なる物の存在を学び


その心の実態を認識することで
自分達の行動の意味を理解する事になったのではないかと思います。


心がいかなる価値観によって支配されているか、
心が無意識にどんな動きをしていて
それが私達にどんな行動を取らせているのか。


そういう事を知識として知るだけでも
私達はそれを意識して暮らす事によって
自分の行動を変えたり精神を意識するきっかけになるかと思います。


私のごとく環境で暮らしているような方は
精神を感じるとか心の暴走を抑える事は大変かと思いますが


少なくとも一般の方々は、もしも過酷な環境にでも
置かれているような状況でなければ


既に心の動きの抑制と精神と心を近づける作業も
進んでいるかもしれないと考えています。


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第一講では原因と結果を使用する事で
随分と物の見方を変える事ができたかと思います。


同じ現象を見つめるにしても同じ結果を眺めるにしても
同時に原因を追究する癖がついた方もいるのではないでしょうか。


そして物の見方を変えただけでも不思議な事に多くの知識が私達の頭に
しっかりと消化され入り込んでくる様な体験をした方もいるかもしれません。


第二講ではその効果を更に高めるためにも
精神の存在を強く意識するためにも


”心”を深く理解することでその存在の実態、
そしてその制御方法、更には心を制御することにより
精神を意識する事を私達は学びました。


そして以前にも増して原因と結果の法則は
深く理解できたかと思いますし


心を意識することで今度は
精神の存在を認識し易くもなったかと思います。


ただ、私達の認識できる精神は
当面は未だ存在が明確な物とは言えないと思います。


心なる存在の動きを意識することで
それを封じる事を意識すれば
精神らしきものを感じる。。


当初はその程度で構わないのだと思います。


自分の心の存在を意識出来るようになれば
本来それと並行して存在している
精神の存在をも意識出来るようになる。。。


そしてその精神は宇宙意識であり神の意識であると言うことが
おそらくは私達は少しづつ理解出来る様になるのだと思います。


困った事にこの社会では誰もが自分の精神を高めようとして
生きているわけではありません。


そんな事に興味がない人間達にしてみれば
私がこのような記事を書く事さえ目障りなようで
今記事を書いていることさえ妨害されながらの作業です。
(下書きの時です)


こんな人間達は地球の法則という既存の価値観を重視し
そして地球の法則に私達を縛り付けたい人間達であろう事も
想像ができます。


そしてそんな人間達こそがこの社会を支配していて
私達の心を利用している事にも私達は気が付くべきだと思います。


例えば恐怖心を増幅させるために
病の話を取り上げては病気への不安を煽るとか


経済環境を悪化させて生活不安を煽る。。。


それらは結果的には死への恐怖に繋がるものである事を記事で触れましたが
そんな物を意図的に煽ってくる人間達が現実に存在しているわけです。


視覚聴覚に関してはメディア、ゲーム含めて
ありとあらゆる種類の娯楽が用意されていて
そこでも私達の心を強く意識させることになります。


(これは使い方では毒にも薬にもなると思います。)


右脳を弱らせするように誘導しているのも
物事をイメージする能力を押さえつける事で
私達の意識を目に訴えるものにばかり向けさせるための策略ですし


闇政府の策略の中心は私達が”心”にばかり
捉われるように誘導し精神を感じさせない様にする事だとも言えます。


学校で道徳を学ばせるのをやめたのも、
道徳が人間として生きていく上で大切なものであり


宇宙の法則、神の摂理へと繋がっていくものである事を
彼らは知っているからだと思います。


私達は社会生活の色々な場面で、
嫌でも心に捉われるようなそんな環境を作り上げられていて
その中で暮らしている存在なのです。


それだけを考えても如何に私達が覚醒しにくい環境に置かれているか
という事がわかりますし、


一方では生命の科学のような知識が
私達を地球の法則から卒業させるためにも如何に
重要であるかと言う事も理解して頂けるかと思います。


学んで実践した分だけ確実に自覚し効果を感じることが出来るのが
この生命の科学であることは既に感じて頂いているかと思います。


私達は自らの体験で宇宙意識を感じ
センスマインド(心)の支配から逃れていく事ができる。


そしてそれこそが覚醒のために重要であると言うこと
是非ご理解頂いて実践し続けて頂ければと思います。


宇宙の法則の一環である原因と結果の法則は
確実に私達を覚醒へと導くものであること、


そして私達はそれによって本来持つべき意識へと
変貌していくことが出来る事を是非確信してください。


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P.S.


神の意識=精神は
人間の体験の責任者ではないと
アダムスキーが触れています。


私達が精神を使用して実践するものは
誤りも少なくなるわけですが、


一方では心を使用しての行動は得てして
苦い体験をしがちなものとなると思います。


自由意志に基づき心ばかりを私用して
精神を感じる事なく行動に移しては失敗をしても
それは神の意識を実行した結果もたらされたものではないので


「おお、何故に神は私の行動を祝福してくれなかったのですか」


と嘆いてもそれは自業自得だという事になると思います。


もしも神の意識を感じて行動をとっていれば
それほど痛い目に遭わずにすんだのかも知れません。。


その人間は体験を持ってその事を学習した事になるわけです。


イエスキリストのように神の意識に従って生きていて
その上でなおかつ悪い結果をもたらす様な事になれば
嘆きたくもなると思いますが


私達は心のエゴに導かれ暴走しているのですから
神を引き合いに出して責任を押し付ける行為は
更にエゴを重ねているようなものなのでしょうね。


イエスキリストが触れたように
子供の様になると言う事を実践するのは大変でしょうが
子供の視線にこそ精神を感じるための何かが存在しているのも確かだと思います。


「ねえ、あれ何?」


「どうして、ああなるの?」


親はしつこく聞かれるとうんざりしそうな質問でしょうが


「どうしてあのようになるのか?」


それを考える意識こそ私達が精神を感じるためにも
大切である事は記事でも触れ続けました。


現象や物を当たりまえと捉えててさらりと流すのではなくて


子供のごとくそんな視線を万物に対して好奇心一杯に向けることが
私達にとっては大切な行為なのだと思います。


数十年間見慣れた景色を新鮮な意識で見つめる事が、
そして当たり前と考えていた事を


「なぜ?」と言う意識で見つめる事が
私達には大切なのだと思います。

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そう言えば、組織的犯罪加害者の中には
自分が火星人や金星人の生まれ変わりであると信じ込まされたり
自らを特別な人間であると思わされたり、


特定の人間を敵と吹き込まれ叩いているような人間達がいるそうです。


明言しておけば、もしも本当に前世が金星人や火星人であっても
今のこの生で暴走している人間はその星に戻ることは出来ないと思います。


理由は簡単で、アダムスキーの時代には火星も金星も
共に宇宙の法則を実践しているという話でした。


つまり地球よりは遥かに意識が高い人間達の社会であると言うことです。


地球で暴走しているような、地球の法則の支配者に踊らされている人間は
宇宙の法則の実践は出来てはいません。


つまり火星や金星への転生の資格を持ってはいないことになります。


宇宙の法則に従っている人間達は
自ら争いをする事は望みません。


恐らくはその時点で今世は落第だと言うことです。


問題は前世ではなくて今現在持っている意識であると言うこと。


マスターも話していたように
”真理は常に現在にこそ存在している”わけで、


極端な話が前世がマスターであっても
この社会で魂を汚染されてしまえばその存在は
特別でもなんでもない唯の救われることのない人間だと言うことです。


勿論マスターがそんな状況に陥ることはないでしょうが、


例え、前世がスペースブラザーズの一員であったとしても
今現在、魂が濁っていればそれは何にもならないのだと思います。


地球での繰り返しの転生へと移行するのが嫌であれば
当然宇宙の法則へ立ち戻ることこそが必要であり


自分を特別な存在であると考える事自体が
すでにそこからかけ離れていると言うことに気が付いて欲しいです。


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私たちが神秘的であると捉える現象、
それらは全て論理的科学的に説明のできるものだと
アダムスキーは言っていました。(別の箇所で)


私達が知識が足りないがゆえに、
そして心でばかり物を捕らえては精神を使用しないから


私達は心が説明できない現象を神秘的として捕らえ
時にはそれを誤った捕らえ方をする事にもなる。。。


想念を霊魂として捉え、
転生先としての他の惑星を霊界として捉え、


テレパシーを感じたとしても、
それを霊界通信や宇宙からのメッセージとして
捉える事にもなるということです。


アダムスキーは”神秘的”と触れていますが
いわゆるオカルト全般を指し示していると考えてください。


オカルトの中にも真実はあります。


ただそのオカルトと言われる事は
究極的には全てが科学で説明をする事が出来るものなのです。


現実に科学的に説明が付くはずの物事が
そのために利用できる科学力と、
それを尺度のとしての検証結果とが隠蔽されているゆえに


私達一般人は未だに原始的な神秘現象を
誤解し続けさせられているのです。


この世の支配者は真実を知っているのです。


そして同時にオカルトは嘘や誤りが
混ざりこんでいる物でもあります。


その識別をするにも原因と結果の法則を用いること
さらに、宇宙の諸法則の知識を得ることが
有効であることは言うまでもありません。


私達が今後独自で学ばなければならない事がいくつかあります。


一つ目には三次元にかぶさって存在していると思われる
四次元なる神の意識の世界の存在を理解していくこと。


地球だけではなくて宇宙を構成する物体が
如何に出来上がったのかと言うこと。


これらはアダムスキーも触れてくれてはいますが
前者は精神の働きが強くなければ
独自には理解しにくい存在のようですし


正しく説明してくれているような知識が存在する保障がありません。


後者も科学者やアダムスキーが触れていますが
無から有を作り上げた大いなる創造主の存在と行動が
大前提になってしまいます。


「とにかく信じなさい」ではなくて
自ら納得することを目的としている生命と科学ですが、


科学と言う尺度、精神という尺度で容易に認識できない
これらの存在と行動を


今までのように自ら思考して認識することは
容易ではないと思います。


つまり今後は私達の精神の進化、
精神を認識する力が増すことによって
理解できるような内容も増えてくるわけです。


私達が今後何年も精神を使用し続ける事で
理解し解決できるようなものもあれば


今回の生では確証を持てないような内容まで
おそらくは身の回りを眺めた時に
見えない法則は多数存在していると思います。


ただ、私達が何もしなければ正しい理解とは無縁なわけで
例え今それを理解出来なくてもそれを嘆くことはないと思います。


私達覚醒者には永遠の時間が存在しているのです。


ゆっくりと一つずつ、レンガを積んでは城を作り上げるように、
普遍的真理と言う名の巨大な一大体系を
自分の中に築きあげていけば良いのだと思います。