生命の科学 VOL34 | 不幸のブログ 

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三次元と四次元の狭間 に関しての記事と生命の科学と宇宙の法則
について語ります。


新年早々愚痴からはじめます。(苦笑)


興味ない方は本題から読んでください。

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昨日の地震はおそらくは
メーソン系の人間達に暴走を指示する意味も
あったのだと想像しています。


その後私の腸への被害も激化しています。


どこかの組織の有志と思しき人間達が
正月返上で加害行為と嫌がらせを繰り返しています。


食事を意図的に妨害するかのように
食事の度に胃腸への関与が激しくなります。


正月早々集スト車も走り出しています。


そして正月早々下剤を飲みまくる羽目になっています。


どうやら記事コメントをしないで黙っていると
被害が酷くなる事は避けられないようです。


そういえば今日は特定の人間達には”特別な日”でもあります。


”そのためなのか”、
”その人間達の仕業に見せかけたいのか”


加害者有志達に昨日の夜から腸内にぶら下がりを作りあげられ


今朝はそれによる排泄妨害、それをみぞおちに
引き上げる行為を繰り返されています。


直腸肛門付近にはトイレに行かなくても
強い熱か電気的な刺激を感じています。


要するに出口を細くしておけば
大きく固まっている異物は容易には排泄できない
と言う意図があるのだと思います。


近所には犯行サインらしきものを
嬉しそうに出している人間もいますね。。


真下の部屋の工作員とそれに協力する人間たちは
正月など無縁の存在かもしれません。


少なくとも彼らには敵と看做した人間が
正月早々気分を悪くしようが知った事ではないのでしょう。


昨日は夜には見慣れない自動車が数台
アパートの駐車場に止まっていたのですが
それと並行するように被害は激化していました。


昨日も痛みがないと言うだけの話で
やられている事は激化の一途でした。


食事をするとそれを数倍に膨らまされて
腹の中がパンパンに膨れ上がります。


その度に不快な思いを強いられる状態が続いています。


ゲル状になった異物を下っ腹中心に貯められた状態が続き
それを徐々に固めては腸に貼り付けてきます。


下剤で応酬するも、その効果による水分は
激しい電磁波の出力で手品のごとく一瞬で蒸発させられ続けては
排泄行為の妨害が続きました。


作られているのは長く繋がった状態の
排泄物だと思います。


一番下が異物で大きめに固められていて
その状態で直腸付近を腫らして来るために
物理的にその異物の排泄は困難となります。


昨晩は腸の途中を塞がれたような状態で
腸内を膨れ上がらされ
腸がパンパンとされた状態で寝る羽目になりました。


今朝早朝はぶら下がり以外のものを先に排出させては
残りをしっかりと排泄妨害され
それが腸内に残りぶら下がり圧迫されている状態です。


正月早々被害コメントを書きたくはなかったのですが
放置しておけばこの状態は悪化の一途だと判断しました。


要するにばれなければ遣りたい放題という意識が
はっきりと見えるのです。


現に今置かれている胃腸の状態は
最悪に近い状態になっています。


正月の特別な時間を心安らかに暮らすのではなくて
この瞬間も怒りと憎しみと闘争本能をもっては
私へと攻撃を続けている人間たちが


現に存在していると言うことを皆に知らせたいです。


昨日の昼間は痛みと酷い不快感こそありませんでしたし
能天気光線の効果もあって騒ぐことなく
一日被害に関しては余計な悪態もつく事無く過ごしたのですが


昨日の地震と言い、私への攻撃と言い、
今年も年初から先が思いやられる気分です。


掲示板でも差しさわりのない
嫌がらせの犯行予告がありました。


顔をまん丸にしてやると言うことでした。


現に顔の浮腫みの誘導も始まっています。

妻と二人で顔をまん丸に浮腫まされそうな気配です。


そのためにも腸内に異物を維持しては
薬品や電磁波との併用効果を狙っているようでもあります。


トイレでいきむと今度はみぞおち付近が
攣った感じにもなり時には痛みが走ります。


愚痴ばかりでは
正月早々良くない想念をばら撒くことになるので
話題を変えます。

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私が正月に一番楽しみにしているのは箱根駅伝です。


昨年は靖国神社に一人で広報用プラカードつけて
出向いた記憶がありますが


今年はTVで駅伝を堪能しようと思います。


私は山梨で10年ほど暮らした人間ですし
妻の母校でもある山梨学院大学を応援しています。


二十歳前にはまったく興味がなかった箱根駅伝ですが
学生時代に急に見るようになりました。


学生時代から貧乏人の私は
正月にも帰省することは出来ませんでしたが


大学一年の時の正月に
友人たちが皆故郷へと帰る中一人アパートに残り


寂しい年の瀬と新年を迎えることになった時に
TVやビデオを見て過ごす羽目になり


その時に山梨学院大学のオツオリ選手?が
他の大学の選手を牛蒡抜きしていく姿を見てから駅伝が楽しくなり
その後は箱根駅伝は毎年の正月の楽しみになっています。


今では私にとっても箱根駅伝は正月の風物詩となっています。


日本酒をあまり飲むことのない私はお屠蘇を少し飲むくらいで
後はビールを飲むのが習慣でした。


妻の親族の新年会では
新年会会場で浴びるようにビールを飲んで
その後は妻の家で更に飲んでは時にはそのまま爆睡する。。


そんなことも多かったです。


30過ぎるまで一年を通じて
殆どお酒を飲む事のなかった私ですが


その後急激に頭角を示し?その強さを自覚する事になりました。


楽しいお酒が大好きで
楽しい場でのお酒は飲みだすと止まらない。。。


(飲みすぎると普段隠している悲しみの感情の影響なのか
泣き上戸になることがありました)


一方つまらない場では飲む事すら
控えていました。


今では昔の様に浴びる様にビールを飲むことも無くなりましたが
アルコールで昼間からほろ酔い気分でいるのは正月の特権だと思います。


人それぞれ独自の楽しみがあるかと思いますが
正月と言う時間を無理やりにでも
心から満喫してください。


少しでもこの時期に心の汗を流し落として気分一新して
今年の一日一日を懸命に生きて欲しいと思います。


そう言えば良い初夢を見れましたでしょうか?


私は最近は似たような夢ばかりを見ていると言う
感覚はあるのですが、


それが具体的にどんな夢かと言われると
はっきりとは記憶にありません。


悔しい事に目が覚めると
全てを忘れていてまるで思い出すことも出来ないでいるのです。


元々夢とはそんな傾向のあるものですが
以前は自称夢の達人だった私としては
今の状態が納得出来ないでもいます。


ただ、時々記憶に残っている夢の断片からは
「夢が私に何かを訴えているのか?」などとも考えています。


夢は心が殆ど機能していないときに見るもので
精神の働きの強いものであることに触れましたが


自分の過去の記憶や神の意識に触れることの出来る
そんな可能性のあるものである事を意識して
今年は夢にも興味を持ってみて欲しいと思います。


私達の進化に関しても何か自分にとってのヒントを
得られるかも知れません。

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【意識とは万物の魂】


三次元の結果の世界は表現のより粗雑な部分であって
これは諸要素間の低い摩擦または衝突の状態によって
生み出される音響のようなものです。


しかし四次元における意識は
我々が知っているような音響を生じません。


その伝達の方法は印象と言う形で与えられる
感覚的知覚によるのです。


従って現在人間の中で分割されているものを融合するためには
心は喜んで意識から教わらなければなりません。


忘れてならないのは、意識は生命を可能ならしめる、
万物の魂であると言うことです。


もっと明確に表現するために、
海岸の例で考えたように地球の周囲を考えてみることにしましょう。


そして四次元から始まる空間の諸物質について意識と言う
メッセンジャーが心に洩らすように仕向けることにしましょう。


まずこの不可視な状態の中に
何かが存在すると言うアイデアをあなたに与えるとします。


そして以前に述べたようにそれは地殻で始まります。


科学者は、宇宙空間にむかって進行する各所のガスについて
知っています。


ガスという言葉はさほど意味を成しません。


重要なのはガス類を構成する成分です。


なぜならこれらの成分の中に三次元世界が生きるために
必要とする食物が存在するからです。


一例としてこの講座中でたびたび引用してきた
次のような現象をあげる事にします。

我々は晴れた青空を見つめる時何も見えませんが
ある条件下ではその空間に雷光が生じます。


それは地上でよく知られれている無機物でできています。


このことはいわゆるガスの成分は固体を生み出し得る
物質を持っている事を示しています。


これだけが唯一の証拠ではありません。


他にも類例があります。


多数の隕石が色々な大きさで地上に落下していますが
検査してみるとそれらは地上で知られている
無機物を含んでいます。


この隕石なるものは地球から発射されて再び帰ってきたものでは
ないでしょう。


隕石と言うものは月や他の惑星にも落下していますから
雷光と同様に宇宙空間で作られたものに違いないのです。


この事は地上でしられている粗雑な形のあらゆる元素は
元の形が宇宙空間で精化された状態として存在していた事を
説明することにもなります。


前にも述べたように、宇宙空間は惑星や万物を生み出す
孵卵器(諸星 注解 母親なしで卵を孵化させる機械)のようなものです。


地球上にある万物を地球が自ら生み出したとし
地球は宇宙空間の諸元素から生まれたとするならば


この事はあらゆる惑星が様々の発達の程度にある生命体を
抱えて活気を呈しているというよい証拠になります。


例え、各惑星間には莫大な距離があって、その間に
連絡が確立されていないとしても、


この事は各惑星上で発生している事柄を
知るのに妨げとはなりません。


しかしこれをなすには心が意識の方に
耳を傾けるよう訓練し、意識と言うメッセンジャーから
教わるようにしなければなりません。


与えられる印象にたいして心が疑念を起こしてはいけないのです。


印象の中には想念の形で来るものもあるでしょうし
想念と光景を伴うものもあるでしょう。


これについて考えるとき海を眺めた時と同様に
心を注意深い状態にする必要があります。


海には限界がありますが宇宙空間にはありません。


我々が宇宙船で宇宙旅行をし始める時でさえも
この面の発達はきわめて重要です。


なぜなら私がこの線にそってある程度発達
していなかったならば


肉体のまま行われた私の宇宙旅行は殆ど価値のないものに
なったと思われるからです。


また、船内や宇宙空間には私の心が理解できなかった多くの物が
在ったと思われるからです。


しかし私の意識がそれを私に洩らしました。


そして後になって私の理解力は確証されたのです。


言語の障壁はありませんでした。


ある場合には私は異星人と意識的に
アイデアを交換したのです。


心を応用したのではこれは不可能でしょう。


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アダムスキーがここでは
四次元を理解する器官としての精神の存在と、
その受け取る感覚は”印象”で在ると言うことに触れています。


心の感覚器官である視覚は映像を受け止めますし
嗅覚は匂いを、味覚は味をそして聴覚は音を受け止めるように


精神は意識・イメージを受け止める器官だと理解すれば
判りやすいかと思います。


イメージを受け止めるにあたって大切なことは
その受け取ったイメージを疑わない事だと
アダムスキーは触れています。


同時に別の箇所でアダムスキーは
イメージに心の意識が張り込む危険性に関しても触れていました。


私達は自らが心を使用してはイメージを作り上げる事もできます。


それを精神が受け止めた物と混同したり
精神の受けたイメージが心で歪められる様な原因にもなるそうです。


その一つとしてアダムスキーは高級霊の存在や
醜悪なエイリアンの存在をあげていました。


私はおそらくはこれらはサイレンスグループ(闇政府)の
情報かく乱による物ではないかと想像していますが


現実問題として精神により感じ取るイメージは
得てして歪みやすい物だと思います。


そこに希望的観測が入り込んだり
自分の心が関与する事でそれは変貌するようです。


その様な例として”蚤が犬を連れて歩いている様子”に例えて
アダムスキーが触れている箇所が生命の科学の中であります。


私たちは蚤が犬を散歩にするイメージを思い浮かべ
それを絵に描く事が出来ますが
それは勿論心が空想したものです。


現実社会ではそんな事は在りえない訳で
それは精神のイメージではないこともわかります。


宇宙の法則・神の予定の中では
”蚤が犬を連れて歩く”と言う摂理は
存在していないからです。


これは極端な話ではありますが
イメージや印象と言ったものは心に左右される事もあるのです。


私たちは万物になりきる練習をするべきだと思いますが
その時だって例えば植物になりきって見たつもりでも


現実にはその時自分で想像したイメージは
今の私達では多分に心の作り上げたイメージを
含むものとなるはずです。


100%正しいイメージを精神によって感じ取り
見ている植物の機能を、


そして今現在の現実の植物の根が這っている状態を、
さらには栄養や水が送られる状態を感じ取る事は
今の私達には難しいと思います。


しかし繰り返しているうちに
もともと精神を感じる練習をしている私たちは
精神を強く読み取ることになり


私達の勝手な想像で作り上げる要素は
減っていくことになるはずです。


しかし一方では時には今の私達でも
想念をしっかりと感じることになるのですが


今度はそのイメージを想念として、
精神が受け止めたイメージであると信じる事が大切だと
いう事だと思います。


受け止めている時はそのイメージを大切にしなければなりませんが


かといって今の私達はそれを過信するのも良くないと
いう事になるはずです。


矛盾するような内容になってしまいますが
結局は時間と練習が解決してくれる事になると考えています。


本当の精神からのイメージであればそれは時間の経過とともに
私達にその正しさを確信させる様です。


四次元の説明に関して触れれば、


精神の世界が四次元であり
それが神による意志の世界であり
精神はそのまま神のエネルギーなのですから


精神世界は三次元の生命を生かしている
エネルギーの場でもあるのだと
アダムスキーは言っているのだと思います。


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生命の誕生以前の地球の誕生過程に関しての前提に
アダムスキーはここで再び触れています。


万物は地球本体含めて元素で出来ている事は
言うまでもありません。


そしてその元素(原子)にしても素粒子と言う
もっと詳細に分類される小さな成分によって成っている事も
今では漸く科学者によって説明されるようになったようです。


アダムスキーは著書の中で原子よりも細かい
素粒子の存在に関して50年前には触れていました。


と言う事はおそらくは科学者たちは
アダムスキーが齎した多くの情報を
それが正しいことを前提として、


後はそれを実証する研究を進めることで
様々な発見をしてきたはずです。


それが電磁波エネルギーの利用法や
電磁場、重力の制御、想念の存在、素粒子などだと想像しています。


宇宙空間には希薄なガスが大量に存在しているそうです。


それは一見は無なのでしょうが実は無ではなくて、
素粒子や元素が希薄ゆえに
それを私たちが認識できないだけなのです。


そこに法則が入り込んで熱反応や冷却反応を引き起こし
ガス体から液体や固体へと変貌させては
その空間に目で確認できる物体を生じさせる事になるわけです。


地球にしても元々はガス体から生じたものであることは
科学者も理解していることでありますが


単に彼らの場合は宇宙の諸法則には触れることはなく
その結果を取り上げては地球生成の過程としているに過ぎません。


それら全ては偶然起きたものではなくて
全てが一定の法則の元に作り上げられたものです。


現実にはそのガスが液体や固体や
密度の高い気体軍を作り上げ
地球に成らしめた法則が存在しているわけです。


そして宇宙空間では常にそのような作業が続いていて
時には新しい太陽系が作り上げられ
時には消滅していく太陽系も存在している。


消滅すればそれを構成していた元素は
勿論分解されては希薄なガス体に戻されることにも
成るのだと想像できます。


そんな反応にはエネルギーの存在が
不可欠であることは言うまでもありません。


しかし宇宙空間には無限の
電磁場エネルギーが存在しているのです。
(それ以外にもあるようですが)


地球の中でも更なる創造がされることになります。


地殻の熱エネルギーがあれば化学反応を引き起こすことも
できるでしょうし、


ありとあらゆる元素を作り上げているのは
おそらくはマントルとか地殻と言われる地中の中では
ないかと想像もつきます。


つまり熱反応などによる化学反応が続いている中でこそ
元素は作られていると言うことで


現に科学者が新しい元素を人為的に作っているようですが
それには元素と元素の結合が利用されているようです。


そんな反応も、恐らくは地球の奥深くでは
続いているのだと思いますし


重金属などと言われる元素は
容易に地上に浮かび上がってはきません。


しかしそれは現実に存在していて
レアメタルなる物質のごとく科学の発展に利用されている物だって
存在しています。


つまり元素も科学も地球の中では進化し続けていると言うことに
成るのかも知れないわけです。


雷光に関して再び触れれば、
電気が激しく流れる現象が雷光ですから


そこには電気伝導体としての元素、元素イオンが
存在していることになります。


無に見える空間で在っても
そこには確かに元素が存在していると言う証拠でもあります。


そしてそんな元素が化学変化を繰り返しては
様々な物質を作り上げている。。


更には宇宙空間もこの地球も常に進化と言っても良い
そんな活動の最中であり、
すべては一定の法則に基づいてそれが進んでいる。


その事を認識するにも
結果という知識として心をもって理解するのではなくて
精神の存在が大切なのだと思います。


心を持って確認する作業である
実証性を持ってしては


絶対に説明できない力と法則が存在していて
それを認識することが出来るのは
精神だからです。


そして宇宙空間にも勿論四次元の力が及ぶことになります。


四次元の意識の働きなしでは
三次元の活動は起こることもない。。


今でこそ理解できない大いなる力と意識の存在ですが


私たちは精神を進化させ続けることで
いつかその事を理解できるように成るのだと思います。


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P.S.


アダムスキーは誰彼かまわず
生命の科学を盲信して欲しいとは
考えてはいないと思います。


自ら思考した上で理解できて、
素直に実践できる資質のある人間でなければ
存在を知ってもそれを生かすことは出来ませんし


身近な人間達と、GAPと言われる
アダムスキーの話を信頼し集った有志にだけ、
生命の科学を伝授していたと言う実情もあります。


イエスキリストにしても、神の法則を語るときは
相手を選んでいた事も記述から理解できます。


せっかくの生命の科学や宇宙の法則を知らせても
それに逆恨みされたり憎まれたりするような相手に
それを伝えても仕方がない事を理解していたのだと思います。


聖書には


「聖なるものを犬に与えるな
豚に真珠を与えるな
そうすると彼らはあなた方を引き裂くであろう」


と言う趣旨のイエスの話がありますが


理解不能な人間、価値観のまったく異なる存在に
余計な事を語っても逆恨みされる事になるという事の
例えのようです。


だから私は理解者だけに
イエスとアダムスキーの言葉を引用した私の記事、


生命の科学と宇宙の法則の記事を
読んで貰いたいと思います。


理解不能な人間が読んで腹を立てる材料にするためではなくて
良き理解者の理解の助力になれるように
生命の科学、書いていこうと思います。


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