生命の科学 VOL27 | 不幸のブログ 

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三次元と四次元の狭間 に関しての記事と生命の科学と宇宙の法則
について語ります。

今日の一つ目の記事は
この下にあります。


そういえば昨日の臨時の過去記事を
読んでいただけましたでしょうか?


この人間達の関係者はまして読んで欲しいです。

私達夫婦が如何に酷い目にあってきたか
そしてどんな経緯で妻が洗脳されたかを書いた記事です。


http://ameblo.jp/uruseiblog/entry-10942334250.html
”恐怖の洗脳”です。

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今日一つ目の記事です。


創価学会広宣部とメーソン系の工作員たちの
連携と見られる関与にかなり精神的に参っています。


でも私がやられているのはそれだけではないのです。


パソコンでの記事更新にしても妨害され
ネット閲覧すら間々ならない状態。


そして顔にまで関与しては風貌を壊してくる。


その上に掲示板では工作員が誹謗中傷を
垂れ流す。


本当にすさまじい状態で必死で記事を更新し
新しいきじを書いています。

後で予備サイトで私の大学受験と
その時代の話に触れてみます。


工作員が私の心の傷をかき乱したいようなので
自ら触れることでそれに対抗したいと思います。


今日は朝食は野菜サラダです。
その後は甘い菓子を摘んでいます。


甘いものはやはり脳には必要なようです。


異物が出ないと電磁波の脳への照射も強くて
私は正常な意識で暮らしていられないので
まともに食事をする気になれません。


それでも下剤を飲んでさえも
異物の排泄は妨害され続け頭には激しい照射が続いています。


思考回路への関与がとても激しいです。

今現在は右脳への刺激が続いています。


今日は前回の続きで宇宙の話です。


苦手な方もいるかも知れませんが
これも宇宙の法則の理解のための一環なので
自分のできる範囲で理解に勤めて欲しいです。


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【人間は宇宙の英知に従わない】


創造の根本的な力である”因”すなわち目的は不変です。

一方、現象すなわち”原因の結果”は変わりやすく無常なものです。


このすべては色々な波動や振動によって支配されていて
変化しながらたえず新しい結果を生み出します。


そしてその結果のいずれも他にとって重要です。


他の部分がなければ、自力で遂行できる部分は存在しないからです。


こうなると最初の領域が理解できたり、無の中から
形ある現象になるのがどうして可能なのかが理解できると思います。


しかし読者はなおも尋ねるかもしれません。


「そのガス類は初めにどこから出てきたのか」


「各種のガスが次々と化合したり反発したりする場合に
吸引と反発の生きた法則をいったい何が、または誰が決めたのか」


最初の二つの段階においてはある種の英知が現象の背後の
指令者で遭ったことをすでに述べました。


我々は表現または”現れ方”を基礎として
知能の段階を分類しているのではないでしょうか。


我々は人が如何に立派に自分を表現するかまたは如何に立派に物を作り出したり
行動したりするかによって人間知能の程度を測っているのではありませんか。


ですから個人が社会の標準に達していなければその人間は低脳とよばれます。


様々の結果を生み出すときに、より秩序あるように見えるこのような現れ方は
知性の表現者である人間を戸惑わせる事にならないでしょうか。


それは確かに迷惑なことです。


そして先へ進むに従ってこのことが良くわかってくるでしょう。


しかしこのことは万物を支配する宇宙の法則ばかりでなく
全体的な宇宙の英知が存在することを示しています。


そしてこの英知は形態を必要としません。

なぜなら英知自体が色々の目的のために万物の内部に
具体化しているからです。


そしてガスや無機物の領域を通じて万物はこの英知に従っているのですが
人間だけは特別です。


英知に身をゆだねている物はすべて絶えず存在の状態にあると言う証拠があります。


そしてこうした物質は常に高次な表現の状態に精化され、万物に役立ち
こうして宇宙の目的を遂行します。


これが事実であることを我々は知っています。


というのは物質で出来ている地球は数十億年存在し
多くの変化を経てきました。


しかし人間の諸文明は興亡を繰り返しています。


ある文明は創造主のもとに続き、
ある文明は人間の心の意思によって消滅します。

これは人間の作り出す材料が消滅することを意味するのでもなければ
意識に終わりがあることを意味するのでもありません。


エゴの心が宇宙の英知を離れて行動したいと主張するときに
消滅があるのです。


永続する唯一のものは”宇宙の意識”と材料なのであって
これは絶え間なく活動と更新の過程を通じて働いています。


しかし人体さえも進化しています。


これは人体を作り上げている材料は心または自我にある
種の影響をあたえています。


だから心お少しは進歩しているのです。

つまりそれは心自身の意思で進歩するのではなく
肉体の英知から心に働きかける部分があるために進歩するのです。


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兎に角黙って信じなさい。。


などと言うのが苦手な私してみれば
この宇宙創造に関しては一つの大きな謎が含まれることになります。


勿論それはアダムスキーがここで触れているように
最初の元素のガス、もしくはその元素の元にもなっているかもしれないガスは
一体どこに存在していたのかと言う問題です。


宇宙創造を神の存在抜きでビックバンなる理論を使用して
説明しようとする流れもありますが


この場合でもではその爆発はどのようなものが
どんな状態で起こったのかと言う話へと
つながっていくと思います。


元々が無だったところに神が物質なるものを作り上げたのか
それともそこには何かが存在していたのか。。。


何も無いところで何の意志によるものでもない
爆発が起きる事は有り得ないと思います。


宇宙の創造を説明するには避けて通ることが出来ないのは
そこには絶対に何らかの意志が介入していると言うこと。


その意志があったからこそ例えビックバンなる爆発が生じたとしても
そうではなかったとしてもこの宇宙は存在しているわけで


爆発してもその塵が広がるだけでなくて
その後には惑星や恒星の創造もあるのですから
そこには間違いなく法則が存在していますし


法則があれば最低でもそれを作り上げた何かの
エネルギーが存在して要ることが大前提だと思います。


そしてそのエネルギーが創造と言う形に
転換したのには何からの意志が働いている証拠でもあります。


ここでは私達が既存の社会で生まれ、
そこに疑問を持たずに暮らしているのとは異なった
物質の根本的な起源の話が入り込んでくることになります。


そこで全てを偶然の産物として捕らえているのが
今の私達の社会の一般教養です。


爆発があってチリが舞ったとしても
それを球体にして惑星や恒星へと変貌させたのは一体どんな法則なのか


そしてその法則は何によってもたらされている物なのか。。


それを追求するために精神を利用するのが
生命の科学の目的だと思います。


銀河系同様の星雲が宇宙には沢山存在していて
その中ではこの私達の暮らす銀河系同様に
沢山の太陽系で構成されていて


その全ての太陽系が12の惑星を持つと言う
一定の法則と秩序をもたらしたものは


知的意志を持った何かに他ならないと言う事を
私達は認識せざるを得ないはずです。


要するに宇宙は元々存在していたものではなくて
爆発と散乱で偶然作り上げられたものではなくて


そこには偉大なる英知の意志が働いている事を
私達は目で認識できなくても精神で認識しなければならない。


この社会には無心論者も存在していますが
この宇宙の創造には何らかの意志が働いていることを
誰もが認めざるを得ないわけです。


そして元素の存在もその意志が作り上げたものであり
たとえ大きな爆発が最初にあったとしても


その爆発は特定の意志によって齎された物であると捕らえないと
その後の宇宙に散乱する諸法則の存在だって説明することは出来ないのです。


神という言葉が胡散臭くて嫌いであれば
”大いなる意志”でも”意識を持ったエネルギー”とでも
理解すればよいかと思います。


しかし原因と結果の法則で
精神を感じることが出来るようになって来ている
私達にしてみれば


その意志は人間同様、生を感じさせる存在であり
少なくとも単なるエネルギーとしてのだけの存在ではないことも
理解できるはずです。


つまり私が言いたいのは


”宇宙は神様が作ったと言う事実は
認めざるを得ない事実である”


と言うことです。


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アダムスキーがここで地球の文明について触れています。


地球の中では多くの文明が栄え、一方ではその多くは
崩壊して来たと言う歴史があります。


アダムスキーやブラザーズの話では
その中には核戦争同様の争いを生じて滅んで言った文明も遭ったようですし


一方ではノアの箱舟話に彷彿させられるように
地球規模の異常気象や地殻変動で滅んで行った文明もあるようです。


そして滅んでいった文明は、その直前には
偶然にも人間達は皆暴走をしていたようです。


人間の精神(魂)が一定回数一定期間の間
神の意識から遠ざかっていると魂は消滅すると言う話は
アダムスキーの著書から説明しましたが


ここではその魂だけではなくてその文明までもが何故か
偶然滅んでいます。


人間に関しては死んだ時にその審判は下ることに
成るようなものですが、


文明そのものは魂と異なり
通常消えてなくなるものではありません。


しかし過去においても多くの文明が一夜にして消えてなくなった
事も現実にあるようですし、
それは単に特定周期の地球変動が原因とも言いかねます。


文明によっては宇宙船のようなものまで持っていて
それで崩壊から脱出できた人間もいるようなのですが


一方では地球の変動と共に
完全に姿を消したような文明まで存在している。。。


アダムスキーが触れているように
神の意識から遠ざかった多くの文明も
何故か人類と共に崩壊の道を進んだわけです。


そしてその多くは先述のように地球規模の変動を
伴うものだったようですし
ここでも大いなる意志が働いているような気がするのです。


ノアの箱舟に関しては
それを誘導したのは恐らくはブラザーズの祖先だったと思います。


地球の変動が目前まで来た時にその事に気が付いて
トリテニア人の多くは地球から去ったと言う話もありました。


一方地球に残る事を選択してその後消息不明となった人間達も
存在しているようです。


そんな変動が繰り返される中で
この地球文明は興亡を繰り返しそして今にいたるわけで


この地球では私達が想像している様に
数千年前に初めて文明が発生したわけではないのです。


何度も発展と滅亡を繰り返しては今に至り
再び最高潮と成りつつあるのが恐らくは今の文明だと思います。


そして文明の崩壊に感じるのは
地球の意志の様な物でもあります。


地球は地上の万物の起源でもありますし
全ての元素は勿論創造主たる神の意識の産物です。


それが結果的には多くの文明や文明の残骸を飲み込んでは
綺麗に消し去ってきたと言う事実は
単なる偶然には思えないのです。


海底に文明の跡らしき地形が残っていたりすることは
私たちもTVなどで確認して知ってはいますが


アトランティス文明もムー文明も

その文明を髣髴させる殆どの構造物は跡形も無く消えています。


勿論時間が経てば形あるものは風化すると言うこともあるのでしょうが

それは文明の残骸を再び元の元素へと変貌し
再利用しようと言う地球の意志の表れにも思えますし


その地球の意志なるものは勿論神の意志に他なりません。


惑星が意志を持つかどうかと言われても説明は出来ませんが
地球に存在する元素は全てが神の意識の産物です。


元素一つ一つは小さくてもそれにも神の意識があり
それが大量に存在している事になる地球本体は


もしかしたら神の意志を大いに反映できるものなのかも
知れないと言うことです。


つまりは地球崩壊で滅んだ文明は偶然滅んだのではなくて
地球という神の意識の集合体の意志により滅ぼされた。。


そんな可能性もあるのではないかと考えていました。


それは神の意識を無視し宇宙の法則を無視し
エゴ成る意識に従って暴走し続けた生命体をまとめて消し去り


地球という空間での宇宙の法則の秩序を
取り戻すためのものかも知れないということです。


神が結果的に文明を滅ぼすようなことをするのは
ひどい仕打ちだ、と考えるのは少し違うと思います。


暴走した人間はこの地球と言う空間で
他の万物との調和を果たすことなしに
調和を乱す存在と成ってしまっていたわけですし


悪く言えば地球崩壊を早める魔といえる存在です。


元々私達は神の創造物なのですから
不良品はまとめて廃棄してそこに新しき物を創り上げようと
神が考えてもおかしくは無いと思います。


大体、私達人間はそれと同様のことを延々と恣意的感情で
繰り返してきている存在なのです。


私達が何かを作ろうとした時にそれが予定とかけ離れていれば
廃棄して作り直す様なこともあるでしょうが
それとも似ていると思います。


放置しておけばこの地球だけではなくて
他の宇宙空間の秩序すら乱し、


宇宙の法則を普遍的真理としている世界の
不協和音となりかねないと考えた時に


それを取り除こうとする行為は
宇宙の創造主としては当たり前の行動かもしれません。


それに文明は滅んでも
魂には15回までのチャンスも与えられているのですし
それは残酷な行為ではなくて


やり直しの機会まで与えてくれている神は寛容だと
受け止めるべきだと思います。


神の意識から遠ざかり自由意志を使用して
神の法則を無視して生き出す事で崩壊は起きる。。


一方神の意識を受けて行き続けるものは
常に進歩の過程に置かれる事になるわけですし


大いなる意志はとても前向きで
おおらかな存在でもあるといえないでしょうか。


今も恐らくは私達の社会は
その消滅と発展の分岐点に差し掛かっているのだと思います。


それが策略であれ、
結果的にはイエスキリストが話していたような地球の文明終末の状況を
私達は今身をもって体験しているのですから。


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P.S.


記事コメントを書くにも脳への照射が激しくて
文章がまとまりません。


科学の話になると私のような年配の人間よりも
若い世代の方が理解しやすいのだと想像しています。


でも歳や文系理系関係なしに、是非宇宙の創造や
地球の変動含めて色々な想像をめぐらせて見てください。


前回、科学は宇宙的記憶となるものだと言う話に触れました。


かといって勘違いしてほしくないのは
例えば若い人間は理系に進んでくれと
言っているわけではないのです。


私は生命の科学を読んでいて、必要なのは右脳と左脳の
バランスの良い活動であると考えるようになりました。


私は今工作員たちに右脳や左脳を色々操作されていて
自分らしい感性をもてないでいますし
精神を感じる余裕すらなくなりつつあります。


ただ、精神を感じる時に必要なのは
両方の脳のバランスではないかと考えています。


私の脳を少しでも壊すことで
ブログの信憑性を落としたい人間たちは
自らの脳は間違いなく偏っている事と思います。


おそらくは左脳中心タイプの
目で見たものしか理解できないそんな人間たちです。


心しか感じることができませんし
当然価値観も心の作り上げたエゴばかりだと思います。


だからこそ私たちはそんな人間を反面教師にして
精神を感じなければならないと思います。


文系では創造力を培えると思いますし
(本を読む機会が多いからです)
理系では科学を学べます。


本当はその両方を学べれば良いのでしょうが
現代の大学制度ではどちらかへと偏ることになるようです。


それももしかしたら彼らの誘導なのかも
しれませんね。


ただ、右脳に偏るとか左脳に偏るのは
文系理系関係ないと思います。


自らが意識していればそのバランスは
保つこともできると思います。


創造力と論理的思考能力を併用して使用していれば
閃きの様なものも起こりやすいと想像しています。


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昨日紹介したイエスキリストの転生の話ですが
それに関連して二つの記事を公開予定です。
(今書いている最中です)


勿論アダムスキーの著書からの引用で
僅かに存在するオーソンと言われた
スペースブラザースのメッセージを紹介します。


理解者はそれを偉大なる地球のマスターからの
数少ないメッセージであると受け止めて欲しいです。


ただ内容的には精神的な話にはあまり触れていません。


でも私たちにとっては貴重な言葉になるのだと思います。


その中で今日私が記事でコメントした
文明の終焉の可能性について触れているところは
是非参考にして欲しいと思います。