宇宙への招待VOL4 | 不幸のブログ 

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三次元と四次元の狭間 に関しての記事と生命の科学と宇宙の法則
について語ります。






アダムスキーがスペースブラザーズの依頼でコンタクトをしたとされる
もう一人の人間はローマ教皇。



1958年に教皇としては高年齢で就任した
アンジェロ・ジュゼッペ・ロンカリ
(Angelo Giuseppe Roncalli) ことヨハネス23世こそ其の人物です。


彼はヨハネス23世と数回にわたって会談を儲け
そこでスペースブラザーズの意向を教皇に伝えたと言われています。


勿論、目的は地球外知的生命体である
スペースブラザーズの存在をローマ教皇に広報してもらう事、


更にはスペースブラザーズと教皇が直接会見する場を設けること、


そして彼らの宇宙教とも言える神の法則を
ローマ教皇に理解してもらい、彼を通じて世界中に広める事です。


スペースブラザーズとの会見の直後に
ケネディー大統領が平和思考を打ち立てて
更には部分的核実験禁止条約を締結したように


何故かローマ教皇もアダムキーとの初の会見後
およそ一世紀ぶりとなる第二回バチカン公会議を開催することになります。。


つまりこの公会議以前には
ヨハネス23世はアダムスキーからスペースブラザースの意向
そして意識、更には宗教観を聞いて知っていたはずなのです。


そして凡そ一世紀ぶりとなった第二回バチカン公会議は
元々が彼らの意向を汲んで開催された可能性が高いと思っています。


其の事を裏付ける様に、この公会議の中でヨハネス23世は、
同じキリスト教の他宗派にも、イスラム教、ユダヤ教のような他宗教にも、
とても歩み寄った発言を繰り返す事になりますし


ユダヤ教、イスラム教、キリスト教の神は皆、
元を正せば同じ神であるという主張にも触れる事に成ります。



仏教やヒンズー教にも譲歩した発言をしていたはずです。



アダムスキーがスペースブラザーズから聞いた話に拠れば
イエスやマホメットやブッタと言った、
地球で聖人と言われた人間達は


元々が彼らスペースブラザーズの中の精神性の高い人間が
地球に送り込まれた物であると言います。


彼らは地球人として生まれ
人々を指導する事を目的としていた人間達で、


其の語っていた内容は全てが異なる宗教ではなくて
皆が神の法則なる物を語っていたと言う事でした。


つまりはその後、その内容は人間の手によって変貌させられ
捏造され利用されてきましたが、
元もとの主張は其の元を質せば寸分変わりない物であったという事。


特定の人間が神に救われるのではなくて
全ての人間が神の子であり、其の神の意識を心の中に秘めて生きていると言う事。


其れゆえに心に神を意識しながら其のエネルギーを享受しながら
其の法則に則って生きる事が大切であると言うのが其の主張。


それが彼らの死後、誤った解釈をされ捏造されて今に至ったということです。


其れを前提とすれば特定の宗教の信者が救われるという
おかしな発想も生まれては来ませんし、


宗教同士、宗派同士が争う事が如何に愚かであるかと言う事を
ヨハネス23世は理解したのだと思います。


そして出きる物なら全ての宗教徒に其の事を理解して貰おうと考えた。。。


元々が精神世界に造詣が深く、
人間の本質を精神と看做していたヨハネス23世にとって


スペースブラザーズの思想は
容易に受け入れる事の出来るものでもあったと思います。


そして其の神の教えへの確信が、
もしかしたら第二回バチカン講会議の開催を決める事になった。。


若しくは其の会議自体がアダムスキーやスペースブラザーズの
希望であったと思います。

File:George Adamski ship 1.jpg


困った事に、このアダムスキーとヨハネス23世の会談に関しても
公式な記録は残ってはいません。


当人達も早々と亡くなってしまいましたし
アダムスキーが身近な人間に語った内容や
其れを本にした人間の記述から其れを推測するしかないのです。


勿論、私はその事を全て事実であると思っていますし


アダムスキーがアメリカ大統領に会ったとか
ローマ教皇に会ったと言う話は


それがアダムスキーの関係者による嘘であったとしても
死んでしまったアダムスキーには何の名誉も齎す事もない事からも


恐らくはもっと明白な事実や証人が当時は存在していて、
其れが時間の経過と共に消えて行ってしまったと言うのが
実態ではないかと想像しています。





現に1940年代から1960年代にかけての沢山のアダムスキー型UFOの目撃者は
其の殆どが今では老人となっているか若しくは亡くなっていますし


時代が進めば過去の出来事は全て明瞭さが失われる事に成ります。


更に、そんな状況を悪意ある組織の承継者達は
当然利用し続けています。


極端な話が今となっては証人がいないのですから
事実とは180度異なる話を作り上げ
人々に印象付ける事も可能なのです。


(歴史の捏造は日本だってやられていますよね)


そう言えばアメリカのWIKIでは

こんな記述がありました。


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WIKI抜粋


Adamski's "Golden Medal of Honor",
which he claimed to have received during his meeting with Pope John XXIII.In 1962,


Adamski's reputation began to decline after he announced
that he would be going to a conference on the planet Saturn.


In 1963, Adamski claimed that he had a secret meeting with Pope John XXIII
and that he had received a "Golden Medal of Honor" from the Pope.


Adamski, at the request of the extraterrestrials he was allegedly in contact with,
met with the Pope in order to request a "final agreement" from him
because of his decision not to communicate directly with any extraterrestrials,

and also to offer him a liquid substance in order to save him
from the gastric enteritis that he suffered from,
which would later become acute peritonitis.


On April 23, 1965, at the age of 74,
Adamski died of a heart attack in Maryland


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アダムスキーの”敬意のゴールドメダル”は
1962年にヨハネス23世との会合の間に彼から受け取ったと
言われています。


アダムスキーの評判は,彼が金星の会議に行って来たと
彼が伝えてから悪く成り始めました。


1963年にアダムスキーは
彼はヨハネス23世と秘密の会合を儲けた事、
そしてヨハネスから敬意のゴールドメダルを受け取ったのは事実だと主張していました。


彼の決定は、地球外知的生命体と直接交流する事は出来ないという物だったので、
アダムスキーは、コンタクトしたと主張する地球外知的生命体の要求により
”最終合意”を要求するためにヨハネス23世に遭いました。


そして、又、彼が苦しんでいる、後に激しい腹膜炎を引き起こす事になる
胃炎・腸炎から彼を助けるための流動物を提供したと言う事です。


1965年4月23日74歳で
アダムスキーはメリーランドで心臓麻痺で亡くなりました。


ここまでです。
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実はネットで


”pape Jean XXIII George Adamski”


と検索するとフランス語?のサイトばかりが掛かってしまい
正直フランス語の訳は私には無理なので全文訳はできませんが


其の一部でアダムスキーとヨハネス23世の交流に
触れている記事がありました。


訳の方は是非各自お願いしたいのですが
興味深い事もあります。
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Ce frère était Angelo Roncalli, évêque de Bergame, en Italie,
 
qui des années plus tard allait devenir le pape Jean XXIII.


Le 31 mai 1963, au cours de sa dernière tournée en Europe,

      
George Adamski rencontra le pape Jean XXIII.

  
Il eut accès à une petite porte encastrée dans les immenses

portes d’entrée en bois, à gauche du Dôme, loin des Gardes suisses.


Plus tard G. Adamski raconta à sa correspondante en Suisse,
Lou Zinsstag, qui l’accompagnait dans presque toutes ses tournées en Europe,
qu’il avait vraiment été reçu par le pape qui lui avait dit :

« Je vous attendais. » Il remit au pape un message scellé qu’il avait reçu
précédemment d’un Frère de l’Espace, à Copenhague.


En retour, le pape offrit à Adamski un nouveau médaillon du Conseil
œcuménique, qui n’était pas encore en vente à ce moment-là.

Deux jours plus tard, le lundi de Pentecôte, le pape Jean XXIII décédait.


[Sources: Canal TV 4, Mexique; Geor­ge Adamski -
L'indicible histoire, Lou Zinsstag]



Adamski's "Golden Medal of Honor", which he claimed to have received during his meeting with Pope John XXIII .

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ここでも読み取れるのは
アダムスキーがヨハネス23世と最後の会談をしたと言う事や


彼がヨハネス23世からメダルを受け取った時の記述です。



勿論会談内容の詳細は触れられていないようですし
ヨハネス23世の意識も語られてはいません。


ただ、はっきりしている事は
スペースブラザーズがヨハネス23世を選んだその理由は
勿論其の人柄や意識も在ったでしょうが


何よりも其の影響力を加味してのものであったであろうと言う事です。


ローマ教皇はキリスト教世界に大きな影響力を持っている人間ですし
一部のクリスチャンの間では教皇は神のように崇め奉られている存在でもあります。


そんな人物が正しい人間のあり方としての”宇宙の法則”なる物の存在や
宇宙からの使者について語ればその影響は計り知れません。


同じタイミングでケネディー大統領にもコンタクトを
とっていたわけですし


この二人の存在は恐らくは
この世界の常識を大きく変貌させたはずなのです。


勿論、其の口から予定通り全てが語られていればの話ではありますが。。。


ヨハネス23世もケネディー大統領も
もしかしたらスペースブラザーズの語る彼らの社会の話から、
”未来の地球”を想像していたかも知れません。


争いごとは存在せず、
所有の概念は存在せず、


病気にも殆ど罹ることなく
常に高い意識で人々が交流する社会。


お金も無ければ国境もない、
全ての人間が同じように平等に扱われ


労働は精々週に2日


必要以上の物を欲しがる事もなければ
皆が物を分かち合う世界なので


時間の多くは趣味であり研究である宇宙空間の旅行に費やされる。


皆が神の法則に基づいて生きている事から長寿でもありますし、
何よりもその心が輝いている。


そんな人間達で溢れた社会。


もしかしたら其れが実現していたかもしれない可能性があった。。


しかし其の機会は永遠に失われた可能性もあります。


何故ならば今の地球は彼らの価値観とは全く正反対の
価値観を持つ人間で溢れているからです。


そして地球の権力者達はその傾向に意図的に
拍車をかけているのです。

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P.S.

ここでアダムスキーがヨハネス23世と最後に在ったと言われている日は
1963年5月31日。
宇宙への招待VOL4

ちなみにヨハネス23世が亡くなったのは
1963年6月3日です。


とても意味深であると思いませんか?


アダムスキーの死因である心臓麻痺も興味深いのですが。。。


心臓麻痺は闇組織の暗殺の常套手段とされていますので。