真訳聖書 VOL20 | 不幸のブログ 

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三次元と四次元の狭間 に関しての記事と生命の科学と宇宙の法則
について語ります。


キノシタガス店
以前から頻繁に私への加害行為に参加していた関係者です。


お仲間であろう加藤商事を取り上げたら
自分も関係者であるといわんばかりに
早々とやってくる其の態度は男らしく好感の持てるものですが


ガスをも利用しては私への加害行為を協力していた事に関して
今まで殆ど触れる事のなかった私にしてみれば


「それでは一緒に罪を背負ってください」と言うことで
反省して頂く機会になれば良いと願って公表します。


PLガス業者であるキノシタさんもこのアパートでは
加害者組織の一角として延々と私への加害行為の協力をし続けてきました。


ガス自体に工作をしたりと言った行為含めてです。


それと検診に使用するような機器含めて
電波を飛ばせるような物に
作り上げられているようなので、


被害者は電気やガスの検針、
宅配便業者が持っている機器含めて


電波、電磁波兵器として
利用されている可能性に注目してみて欲しいです。


冷たい照射が激しくなってきました。


私は大家関係者、金井のアル君関係者含
其の協力者に十字架を背負わせてやりたいと
今は切実に願っています。


そうでもないと
彼らは変わることも出来そうにないからです。


AM10:34
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ごみ回収業者の加藤商事



パワービーミングもしくは
低周波共鳴による身体への関与へお手伝い。


外部からの協力者としては
一番登場解する回数が多く



今までは伏字にしていたのですが

はっきりと加藤商事と記述したほうが良さそうですね。



大家協力者なのか金井のアル君協力者なのか
在日協力有志なのかは不明です。


頭への照射が強いために
記事も満足に書き連ねることが出来ません。


昨日は昼間に食事をしてから
電磁波照射は激しくなりました。


夏向けの熱も発生する照射線となっていて
その正体はやはりマイクロ波が中心のようでした。


其のマイクロ波を変調したものなのか
マイクロ波に別の放射線をかぶせた物なのかは不明です。


水分蒸発がひどい事と、貧血まで齎される羽目になるのが
夏場向けの被害の特徴でここ数年私に対しては
続いている被害です。


貧血で倒れそうになりますしタバコを吸いにいくと
薬品を吸わされての脳への関与もあります。


最近は日曜夜から月曜にかけて
加害行為が強くなりそして見かけない自動車も
集まる気配があります。


そして朝からの苛々照射が続いて
それが夜には爆発するという展開が続いています。


他人を意図的に苛々させては
それで悪態をつくとそれが気に入らないと
更に強化してくる其の手法。


私の本来の姿を意図的に歪めるかのように
精神状態の荒れた状態へと誘導し


仲間集めや私の悪評撒きに利用しているのであろうことも
わかっていますが、


長時間の肉体機能への電磁波照射は
中々耐え難いものがあり


私は早々と布団に入って寝てしまうぐらいしか
対抗手段を持たないでいます。


未だに電磁波犯罪を研究しようとか
取り締まろうと言う気配も見えないこの社会。


無自覚被害者であればいつ誰が
犯罪者に仕立て上げられても、


自殺や死へと誘導されてもおかしくない状況が
放置されているのだと自覚被害者は危惧しているのですが


所詮は権力者は彼らと同じ穴の狢ということのようです。


国家権力の殆どです。

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私はHAARPの警戒はHAARPの活発な動きの後
10日間ほどと触れていますが
これで今回の大きめの地震は終わりでしょうか。。。


最後の大きな動きはちょうど10日ほど前でした。


http://www.haarp.alaska.edu/cgi-bin/magnetometer/gak-mag.cgi


を見ていただいて左側の
Plot Widthの1 month にチェックを入れて
更新してみてください。


如何にこの一月間激しくHAARPが活動していたかが
理解できるかと思います。


そしておそらくは知識の足りない人間が
HAARPが磁気観測計であると勘違いするように


太陽電磁波の強くなるタイミングに
重ねて電磁波を発生していたであろう事も
容易に想像がつきます。


思考能力落とされた人間は容易にだまされる事になる。


だからこそ彼らは私達を愚民にしたいのです。
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地震情報(震源・震度に関する情報)


平成24年3月25日22時26分 気象庁発表


きょう25日22時22分ころ地震がありました。
震源地は、福島県沖(北緯37.7度、東経141.8度)で、震源の深さ
は約50km、地震の規模(マグニチュード)は5.2と推定されます。


[震度3以上が観測された地域]
震度4 宮城県南部 宮城県中部 福島県浜通り
震度3 岩手県内陸南部 宮城県北部 福島県中通り


[震度3以上が観測された市町村]
震度4 亘理町 石巻市 相馬市 楢葉町
震度3 一関市 涌谷町 栗原市 登米市 南三陸町 宮城美里町
大崎市 白石市 名取市 角田市 岩沼市 蔵王町 大河原町
柴田町 宮城川崎町 丸森町 山元町 仙台青葉区
仙台宮城野区 仙台若林区 塩竈市 東松島市 松島町
七ヶ浜町 利府町 大郷町 大衡村 女川町 福島市 郡山市
白河市 二本松市 桑折町 天栄村 玉川村 平田村 小野町
田村市 福島伊達市 本宮市 いわき市 福島広野町 富岡町
川内村 葛尾村 新地町 飯舘村 南相馬市

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私への加害行為の強化もありましたし
工作員達がそれを事前に知っていて
それに併せるように暴れていた気配を感じます。


もちろん知っていたのはごく一部の
メーソン関係者でしょうが。。


そしてチリでもまた大きな地震が発生していたようです。
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DATE         LAT   LON MAG DEPTH km REGION
25-MAR-2012 22:37:06 -35.20 -71.78 7.2 30.0 CENTRAL CHILE
25-MAR-2012 03:13:10 15.53 -97.58 4.2 20.0 NEAR COAST OF OAXACA, MEXICO
25-MAR-2012 02:24:47 16.68 -99.25 4.3 20.0 NEAR COAST OF GUERRERO, MEXICO

25-MAR-2012 01:05:34 -54.57 -135.90 5.2 10.0 PACIFIC-ANTARCTIC RIDGE
24-MAR-2012 23:13:30 15.00 -97.46 5.0 14.3 OFF COAST OF OAXACA, MEXICO

24-MAR-2012 21:54:54 42.69 144.98 4.7 15.5 HOKKAIDO, JAPAN REGION
24-MAR-2012 19:41:51 30.71 142.83 5.0 37.0 SOUTH OF HONSHU, JAPAN
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HAARPに関しては其の技術が
世界複数箇所にあるでしょうし、


今後彼らが自然を装うことを主眼とすれば
アラスカのHAARPだけに拘ることも危険かもしれませんね。


身体攻撃が強くなるたびに
”予言”するのが良いのかもしれません。

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統一教会に3億9000万円賠償命令


 多額の献金や物品購入などを強要されたとして、
福岡県内の世界基督教統一神霊協会(統一教会、東京)の元女性信者(50歳代)が、
同会に約5億円の損害賠償を求めた訴訟の控訴審判決が16日、福岡高裁であった。


木村元昭裁判長は「『先祖の因縁が原因』などと
不安を助長した勧誘行為は違法」と述べ、


同会に対し約8100万円の賠償を命じた1審・福岡地裁判決を変更し、
約3億9100万円の支払いを命じた。


 判決によると、女性は複数の信者らから
「心臓病の養母を救うには献金が必要」などと言われ、


1999~2005年、養母の預金を解約するなどして
約4億4400万円を同会に献金。


このうち、00年4月には3億円を支払っていた。


 1審判決は3億円の献金について
「勧誘に畏怖して支払ったとは言えない」としたが、


木村裁判長は「信者らは聖本で痛みが治るような演出をした上で、
先祖の因縁が原因などと不安をあおって勧誘した。


社会的相当性を逸脱して違法」と判断した。
女性が当時、「献金できてうれしい」と書いた手紙についても、
信者らからの指示の通りに書いた可能性があると指摘した。

(2012年3月17日 読売新聞)


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新興宗教と言われる宗教やカルトと言われる宗教の中では
多かれ少なかれこのような信仰をお金にするような行為が
まかり通っているようですが、


できる物ならクリスチャンやキリストを語る人間たちが
こんな心無いことをしては欲しくないと言うのが
イエスを信奉する人間達の本音ではないかと思います。


キリスト教を名乗りながら
イエスの教え、イエスの看板を利用しながら
それを金儲けに使用するなど本来ならば言語道断。


「あなたは二つの主人には同時に仕えることが出来ない」


「お金と創造主の両方に仕えることは出来ません」


と語った
イエスキリストの教えなど完全に無視して


おそらくは独自の聖典を持っていて
それを崇めているであろう事も容易に想像がつきます。


キリストとしての、
神の意志、神の摂理の実行者としての、
イエスの教えであればこそ


聖書のイエスの言葉は尊いものなのだと思います。


イエスを通じて具現化された神の意志を
イエスが語ったものであるからこそ、
クリスチャンはそれを実践する意味がある。。


神の意志も理解できず、受け止めることも出来ず
教えをお金にするような人間たちが作り上げた経典を


ありがたく実践して天国にいけるのならば
この社会の誰もが天国に行くことになるでしょう。


現実には一握りの人間しか天の国には入れないと
イエスが言っているその意味を理解すべきなのです。


今回は目立っている組織と言うことで
統一教会が取り上げられていましたが、


どこの組織も大なり小なり似たようなことを
実行していることも私たちは認識できます。


事の本質ではなくて
上辺ばかりをつくろって偽善を実行している組織は
其の建物ひとつ見るだけで容易に選別することも出来そうです。


ただ、もしも自分の信仰の誤りに
気がつく事が出来たならば
真の神の教えへと進むことを選択してほしい。


人間の作り上げた物が
人々を天国へと導くものではあり得ない事、


そして人間の目的が今の生で幸せになることではないことを
ぜひ理解して欲しいと思います。


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今日は聖書の一節からの引用です。


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狭い門から入りなさい。
滅びに至る門は大きく、その道は広いのです。


そして、そこから入っていく者が多いのです。


命にいたる門は狭く、その道は細く、それを見いだす者は稀です。


偽預言者に注意しなさい

彼らは、羊の衣を着て貴方がたのところに来るが、
その内側は強欲なおおかみです。


貴方がたは、その実によって彼らを見わける事が出来ます。

茨からぶどうは取れないし、あざみからいちじくは取れるわけはないでしょう。


同様に、良い木は皆良い実を結ぶが、悪い木は皆悪い実を結びます。


良い木が悪い実をならせることは出来ないし、
悪い木が良い実をならせることも出来ません。


良い実を結ばない木は皆切り倒されて、火の中に投げ込まれます。


このように、貴方がたはその実によって彼らを見わける事が出来るのです。


わたしにむかって『主よ、主よ』と言う者が、皆天国に入るのではなく、
天におられる私の父の、御心を行う者が入るのです。
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以前も一度取り上げた内容です。


私も生命の科学の勉強で随分と学んだ効果が
出てきていると思うのですが、


それを意識して再び取り上げてみたいと思います。


私達は今人生と言う長い道を歩いています。


そしてその終着駅が死であることは
誰もが疑いないと思います。


詳細を言えば勿論私達は繰り返し生まれ変わっては
新たな人生を歩むことになりますし


この人生が最後では無いので
終わりは永遠にやっては来ない事になりますが、


地球意識の中で記憶を失い続けながら暮らしている私達にとって
これはその行くべき道をイエスキリストが例えた内容だと思います。


勿論、門と言うのは天国に入る門と地獄へ入る門と言う
意味で例えたのだと思いますが、


ここでイエスが伝えたいのは
命へと入る門は狭いと言う事と
そこへと到達できる人間は少ないと言うこと。


この世界には山ほど神を信仰している人間が居ますが
それが皆、”命”を得るわけではないと言うことです。


ここでの”命”なるものが真の命としての
記憶を持った状態での転生へと入ることの出来る
魂としての資質を指し示しているであろう事は想像が付きます。


そしてこの社会の中ではその資質を持つこと自体が
とても難しい状態であることも
何度も取り上げてきたとおりです。


広い道というのはこの地球社会で
大勢の人間が当たり前のように歩いている道であり


地球の常識や慣習を前提に
当たり前と言われている価値観に基づく
生き方をする事で誘導されやすい道です。


一方は、私達が本来進むべき
人間として持つべき道徳や思いやりを持った状態での道であり、


勿論精神をもしくは理性を強く感じて生きる行き方だと思います。


私達は”多くの人間が実践している事は正しいのだ”と言う
風潮を作り上げてもいます。


民主主義なる思想は多数決による
多くの人間の導く正しい判断であると考えている様にです。


勿論、多くの人間が選ぶ物が
一人の人間の独断で選ばれたものよりも
真理に近づくであろう事は想像できます。


しかしそれは私達が妙な先入観や価値観を持っていない
まっさらな状態での事です。


妙な価値観や思想を持ってそれを当たりまえであり
それが義であると誤っている私達の意識では


民主主義や多数決が必ずしも正しい判断を
導くものではないと言うことも判って頂けるかと思います。


そしてこの社会の中では真理へと進むための道しるべは
殆どが表示されておらず、


一方では誤った道への標識は山ほど表示されていることも
触れたかと思います。


真理と言うのは幅のあるものではなくて
それが法則含めて絶対的なものであることは
私達には理解できます。


そしてそれが私達の心を気持ち良くするものでない事も
個人のプライドを増徴するものでも
エゴを満たすものでもありえません。


そして”誤った真理”へと誘導する教えは
とても一般受けをするものです。


その価値観が私達の心に適合しているからです。


そして受け入れることが楽なのです。


つまりはエゴを喜ばし、心を気持ち良くし
プライドを満たす物が多分に含まれているのです。


しかし一方私達は常に心では満たされない何かを
求めている存在でもあります。


それこそが時々無自覚に精神を感じる意識であり
結果私達はその精神の教えに近いものとして
信仰に魅入られるのだと思います。


そしてここで問題となるのは
その信仰がどのようなものであるかと言う話です。


その信仰がもしも正しいものであり
私達の心を精神へと導いてくれる存在であれば
それは何の問題もありません。


しかし現実にはイエスが触れているように
この社会は偽善で満ちても居るのです。


それが意味するところは
私達の多くが正しい神への信仰へと
到達できていないと言う事実に基づくはずです。


そして今では宗教と化した宇宙の法則は
今では金儲けの手段として利用されても居ます。


そこには普遍的真理ではない
人間の個人的な真理が多分に入り込んでくる事にもなります。


現にイエスやお釈迦様が禁じなかった事さえも
宗教では禁じられる事もありますし


イエスキリストが実践しろと言っていた事が
何故か実践されては居ません。


その事を理解して頂ければ
私達は例え神を信仰していたとしても


もしかしたらその広い道を
歩いてしまっているかもしれないと言うことを
意識できるはずなのです。


そしてこの社会では多くの宗教も、とても門が広いのです。


そこは誰でも受け入れ、
入った人間には皆天国が用意されているようです。


教えも難しいものではなくて
与えられたものを受け入れて信じれば良いのです。


しかしイエスの真の教えはそんなものではありません。


自らが思考しそして納得しその上で
実践する事を求められるものであることは
ここまでのイエスの言葉からも明らかだと思います。

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そしてそんな教え含めて
イエスは偽預言者を取り上げて説明しています。


イエスが触れている預言者というのは、
イエスの時代にバプテスマのヨハネがそうであったように


神の法則、神の御心を語り
その実践を求める立場の人間であり


将来の救世主の到来に触れているような存在なのだと思います。


今で言えば神父や教祖がそれにあたると思います。


そのような人間達を、神の教えを広報し、
将来の救世主の行動を予定する立場の人間と言う意味で、
”預言者”と呼んだのだと思います。


そしてその中の”偽預言者”をイエスは取り上げて
警戒を促しています。


その分類方法を示しながらです。


正しい道へと導く預言者であれば
その語る内容は私たちを精神(神の意識)へと近づける
事になるでしょうし、


それに導かれる人間達は神の教えを実践することになる。


つまり”良い実”となると言うこと。


間違った道へと誘導する預言者であれば
その語る内容は私たちを誤った方向へと誘導し
”心”を使用し続けるように道を指し示す。


そしてそれに導かれる人間たちの行動は
神の教えからかけ離れることになる。


つまりは”悪い実”となると言うことだと思います。


いくら立派な事、素晴らしい事を語って見せても
その結果導かれている人間達の実態を見れば
その教えの真意も見えてくるのだと言う事を


イエスはここでは良い木には良い木が成り
悪い木には悪い実が成るとして例えたのではないでしょうか。


そしてなぜに命への道が狭いかと言えば
良い木が少ないために多くの人間が悪い木によって誘導され


悪い実へと変貌していくからであると言うことに
繋がって行くのだと思います。


現に真理へと人々を誘導するような教えは
殆ど存在していないと思います。


多くが現世での幸せや安らぎに価値観を見出す教えであり
その殆どは私達の生の真意を伝えては居ません。


私達のすべきこと目指すべき道を
指し示しては居ないのです。


「より良く生きましょう」と語っても
その目的が現世で幸せになることだったり


「魂を磨きましょう」と言っても
その具体的手段が誤っていたり説明がなかったり


結局私達が到達すべき道への指針とは
なっていないものが殆どなのです。


イエスキリストであればそんな物をまとめて偽預言者と
切って捨てるのではないでしょうか。


人間の生きている本当の意味すら
説明できない人間達が


いくら綺麗事を語ってくれても
そしてそれを受け止めた人間達がそのことを実践しても
私達は真の命へは容易にた辿り着くことはできない。


そして正しい教えは
地球の支配者によって隠蔽されるものである。


その事を認識して頂ければ
イエスの主張はそのままこの社会にも
重なるものである事は言うまでもないと思います。


そして最後にイエスは


「わたしにむかって『主よ、主よ』と言う者が、皆天国に入るのではなく、
天におられる私の父の、御心を行う者が入るのです。」


と触れています。


大切なのはイエスを主と崇め信奉することではなくて


神の御心を実践することだとイエスは明言しているのです。


なぜにそれが理解できない人間が
山ほど存在していてはクリスチャンを名乗っているのか?


おそらくは既成の多くのキリスト教組織では
イエスの言葉よりも組織独自の教えこそが信奉されていて


一番肝心なイエスキリストの言葉が
重視されては居ない証拠だと想像します。


聖人でもない人間達、

ブラザーズの転生のマスターでもない人間達


しかも下手をすると地球の法則の
信奉者かもしれない人間達が作り出した
人間の律法を守ることで


イエスの教えを守っていると勘違いしている
そんな人間が大勢存在しているのではないでしょうか。


そして信仰していると言う事実に甘んじて、
それが普遍的真理とはかけ離れている事には
気がついていないのだと思います。


毒の麦と良い麦を共に地面に巻いてしまった時に
それはどう選別すればよいのか。。。


成長過程では両者の区別がつかなくても
時間が経てば経つほどその両者は選別が可能になる。。


人類の一人一人を麦の穂に例え
芽の状態や成長過程では選別し難くても


実ってくれれば収穫の時期に
良い麦と毒麦が地球中に生えている状態が
はっきりと選別も可能になるという例え話もしていました。


私達は毒麦になることなく
正しい麦として育ち神の収穫を待つ事が出来たのか?


それとも毒麦として廃棄される運命にあるのか?


今、自分の立場が理解できない人間でも
死んだ時にはきっと理解する瞬間があるのだと思います。


でもその時になって気がついたのでは手遅れかもしれない。。


それを知らせるためにやってきたのがイエスキリストであり


今の私達はイエスの教えでそれを認識する事が出来るはずです。


信じるべきはキリスト教ではなくて
イエスの教えである。


すべきことはイエスを神と崇める事ではなくて
イエスの語った神の御心を実践する事である。


つまりは信じても救われる事はなく
神の法則・宇宙の法則を実践できた人間が
救われるのだという事だと思います。

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P.S.


例えばマリア様を信仰しろと一体誰が語ったのでしょうか?


マリア様の奇跡は
おそらくはカトリックの多い地域に影響を与えるには


マリア様を利用するのが良いと考えた
ブラザーズの演出だと想像しています。


そうでなければマリア信仰を深めさせるための
地球の支配者達の科学力による演出かのどちらかでしょうね。


そしていつの間にかキリスト崇拝が
マリア信仰をも兼ねる様なものへと変貌するに至った。。。


でも聖書でのイエスの行動を思い出して欲しいのです。


「あなたのお母さんや兄弟が来ていますよ。」


とイエスが大衆に言われたときに

イエスは大衆を見渡して


「(あなた達)神の教えを実践するものが
私の母であり兄弟なのです」


と母親を特別扱いしないどころか
自分の教えを実践していない人間として
看做していた気配すらあります。


イエスの母親マリアは聖なる人物ではなくて
ただの人間に他ならないと言うこと。


ファティマでブラザーズがマリアを演じて見せたのは
当時の欧州のキリスト教がカトリック中心だったから
それを利用したに過ぎないと思います。


欧州の予言や奇跡はいつもマリアの名と共に語られます。


そして其の存在を美化してもいます。


身近な人間を崇拝したい傾向の強い私達は
人づての話で神様を容易に作り上げてしまう
傾向があるのではないでしょうか。


目ばかりを使用して耳ばかりを使用して
心を持って理解しようとするから


心では認識できない神を理解する機会を失い、
目や耳で認識できる人間や情報を元に神を作り上げる。。。


私達の社会が”精神”の存在を理解出来ない限り
この傾向は延々と続くことになるのだと思います。


私達の悲劇は精神を理解できないこと、
そしてそのために神の意識からかけ離れている事にあると言うことです。


神の意識が理解できれば
宗教でお金を集めようなどという意識など出てくるはずもない。


そして信仰で人々を操ろうなどと言う意識など
起こすはずもないのです。