反面教師に学ぶ VOL4 | 不幸のブログ 

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三次元と四次元の狭間 に関しての記事と生命の科学と宇宙の法則
について語ります。

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工作といえば気になるコメントをみつけました。


先日から取り上げている反面教師の書き込み


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417 :サロメ☆ボウディア ◆k8vHqHA92c :
2012/04/18(水) 19:48:36.93 ID:dg4kCSnJ


いまごろネヨの個人情報が特定され


関係者にネヨのログが渡っている頃だな

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特定の個人の個人情報が特定されて
関係者にログが渡される。。。


そしてそのことをなぜか知っていて当たり前としているこの人間。


つまりは私に頻繁にネット工作をしているような人間と
同様な価値観を持っている組織の人間の
可能性があると言う事のようです。


掲示板から訳ありの個人を特定しては
関係者に書き込み内容を手渡すと言うことですから


もしもそれがこのような人間にとって
都合の悪いコメントであって、
それが気に入らないと言う理由で敵対者を特定しているとすれば


特定された人間は今の私のように
監視管理攻撃対象にされる可能性すらあります。


同じ人間のコメントがこれです。


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746 :サロメ☆ボウディア ◆k8vHqHA92c :
2012/04/18(水) 19:43:57.85 ID:dg4kCSnJ


>>745
神様の御心は人間が互いに愛し合うことですから


とくに本当の隣人愛 
窮乏や悲嘆してる隣人に愛をささげることは
御心に生きること


御心に生きていれば神様を愛することにつながる
だから異邦人でも神様から愛されます


by善きサマリア人のたとえ(現代でいうならよき創価学会員のたとえ)

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その一方では同じ舌を使って”愛”なるものを語っているのですから
まったくの偽善者だとすらいえます。


愛って一体何なのでしょうか?


創造主が持っているような、
万人、万物に対して訳隔てなく与えられる、
思いやりや慈しみのような意識ではないでしょうか?


スペースブラザーズが持っている
私たち地球の人間に対する意識もまさにそれでした。


敵を作り上げそれを攻撃しているような人間の言う”愛”は”偏愛”であり、
結果的には愛を語っている自分を美化し
自分のエゴを満たす行為ではないでしょうか?


自分の置かれている立場からも
愛なるものを実践できなくなっている私ですが
今ではなんとなく”愛”が理解できます。


今この社会で一番危険な人間は
無知な人間と知恵を使おうとしない人間かもしれません。


誤った価値観をもって生きている人間であっても
正しい価値観を知る機会があれば
80余年よりも永遠を選ぶでしょうし、


正しい知識を目の当たりにすれば賢明な人は
その意識を変えることができます。


しかし無知の上に知恵を使おうとしない人間は
自らを変えることは出来ないからです。


もしかしたら今こそこの社会は運命の分岐点に来ていて、


その鍵を握っているのは
世界の7割の人間が信仰しているといわれる
宗教信者なのかもしれません。


この社会に宇宙の法則、神の意識が実現するのか
地球の法則、悪魔(人のエゴ)の意識が勝利するのか


すべては一人一人の宗教信者の意識と
覚醒者の広報にかかっているのかもしれないですね。


覚醒者は小さなキリストであり続けてください。


私も自分なりに出来ることをしてきたと思います。
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ここからを本題とします。


理解できているクリスチャンと
理解できないクリスチャン。


見て聞いているつもりでも
心の価値観に縛り付けられているから
事の本質が理解できないクリスチャンや


意図的に人間を誤った方向へと
誘導している自称クリスチャン、


しっかりと事の本質を理解しているクリスチャン。


色々なクリスチャンのやり取りから
真正クリスチャンである自称イエスの使徒の私たちは
何かを学べる事があると思い引用します。

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70 :神も仏も名無しさん:2012/04/11(水) 18:31:09.17 ID:2rBDqTM2
>>69
聖書を、歴史的事実を記した書として見るのは、
それはただ自然主義者のすることです。


そこに神の書としては、神の英知も真理もありえません

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歴史的事実と神の書としての一面を兼ね備えたものと見るのが
聖書と言う認識は正しいと思います。


と言っても、”神の書”と言ってもそれを書いたのは勿論神ではなくて


神の意志を伝えようと、
私たち一般市民に対して
”天使”と呼ばれた太陽系の人間達が


その生き方を人間のあるべき道徳として伝えたと言う
側面を持っていると私は解釈します。

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71 :神も仏も名無しさん:2012/04/11(水) 18:41:17.55 ID:2rBDqTM2


旧約聖書を書かれた意味でしか理解できないから、
グノーシス主義者の いうような、


旧約の創造主エホバを、悪の宇宙を造った、
偽の神にしかできないのですよ。


グノーシスもまた、聖書の内的意味がまったく理解できませんでした。

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旧約の神エホバというの存在を
どこからどこまでの存在として認識しているのかが不明ですが


少なくともこの方の言うように
宇宙を作り上げたのが唯一の創造主であると捉える限り
この宇宙が悪のわけがなく、


悪なる物の存在は
神の法則の理解不足ゆえに私達人間の中に存在しているもの、
若しくは人間が心を持って作り上げてしまった価値観として捉えるべきで


宇宙が”悪”でそれを正すのが”宗教”と言う考えは
間違っていると言うことになると思います。


創造主が作り上げた宇宙を
人間の作り上げた宗教が改善するなどと言うのは
人間の傲慢な意識だと思います。

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72 :サロメ☆ボウディア ◆k8vHqHA92c :
2012/04/11(水) 18:51:56.25 ID:F7BLVuz6

>>70
いや考古学的な 現実的証拠があるということです^^


>>71
だからお前が否定する 贖罪の事実が存在してるということです^^

おかげさま ではなくて身代わりの子羊ですん♪^^

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贖罪すべき”原罪”なる物が存在するとすれば
それは私達が心の暴走に任せた結果、


精神という神の意識を感じることなく心を持って思考し、
善悪の判断を人間の価値観で行うようになった事に
他ならないと思います。


考古学的現実的証拠は
その時代背景を考慮しないがゆえに誤った解釈をなされ
その事実を捻じ曲げるに至っていると思います。


そしてその際たる人間達が
フリーメーソンによって乗っ取られている
カトリックや原理主義の教えになっていると思います。


その教えと、学ぶ姿勢は
イエスキリストが否定したユダヤ教徒パリサイ派の意識
そのものです。


心を用い、形式ばった事と
実証性を重視する。


これは地球の法則のあり方に他なりません。

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74 :神も仏も名無しさん:2012/04/11(水) 18:58:57.48 ID:2rBDqTM2

>>72
キリストは、ご自分が求めるのは憐みであって、
いけにえではない、と言われています。


そのご本人が人類の身代わりの羊になられるわけがありません。
キリストは、ご自分を栄化・義化されるため、十字架に架かれれたのです

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まさにこの方の言う通りで、
神は自らの奉仕に対して見返りを認める存在ではありえませんし


生贄や奉仕を自らに対してされる事を
求めている存在のわけがありません。


神はすべての人間に対して平等に陽を当ててくれて
雨を降らしてくれる存在。


その行為は誰にでも平等であり
神への信仰により人間を偏愛する存在でないことは
イエスキリストも触れています。


そしてイエスキリストの行為は
人類の救済や原罪の解消を実現する行為ではありえず


結果としてイエスのそのような神聖なる行為が
多くの理解者を生み出す事となることを意図して


イエスは自らの肉体を犠牲にしたと解釈すべきで
この方の言っているとおりだと思います。

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75 :サロメ☆ボウディア ◆k8vHqHA92c :
2012/04/11(水) 18:59:33.89 ID:F7BLVuz6


>>73
だからスエデンは現実の証拠が一切ないただのヨタクレです

イエズスの贖罪は旧約以来のもので旧約には証拠があります


76 :サロメ☆ボウディア ◆k8vHqHA92c :2012/04/11(水) 19:00:29.51 ID:F7BLVuz6
>>74
それは旧約のイケニエのこと

新約においてはご自分がイケニエにナルから動物の血は不要ということです

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生贄を必要とした旧約聖書の神が
人間であったと言う事が理解できないから、


旧約聖書にはイエスの語った父なる神と
人格神の両者が存在していたことを理解できないから、


このような誤った解釈がまかり通ることになるのだと思います。


創造主は元々が生贄等要求してはいないのです。


神が生贄を要求すると騒いだのは
歴代の神官であり


彼らは神の名を利用しては(神の声を聞いていると語り)
自らの権限を恐怖を持って強力にしていた事は
歴史を調べれば理解できるはずです。


つまり彼らは神の声など聴いてはいなかった。。


自らの勝手な解釈で
神の意志を実践している振りをしていたに過ぎないのです。


そんな人間たちが残した言葉が
旧約聖書の中に沢山残されていることを
私たちは理解すべきです。
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77 :神も仏も名無しさん:2012/04/11(水) 19:02:21.79 ID:GZHysfa8
文字の意味から理解できないってどう理解すんだよ


78 :神も仏も名無しさん:2012/04/11(水) 19:04:11.78 ID:2rBDqTM2
サロメにあるのは、ただの自然的信仰です^^*
キリストが、人間のいけにえの代わりになるなんて、あまりに馬鹿げています

これじゃ、天においても地においてもすべての権能を授かった全能の神として、
あまりにも愚かというしかありません^^+

79 :リンゴクリスチャン:2012/04/11(水) 19:21:06.80 ID:wLsQ4Jhz
主イエスキリストは、ご自分がこの世に来られたのは

信じる全ての者に、永遠のいのちを与え、

人々の罪の「あがないのため」と教えられました。

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ここでもう一人、
誤った信仰を強く持っている人間が出てきます。


イエスがこの世に来られたのは、
地上で氾濫する誤った神への信仰、


人間独自の価値観に基づく誤った戒律を正すため、
そして真の神の教えを私たちに伝えるためです。


尚且つイエスは「自らを主よと崇める者ではなくて
神の御心を実践するものが天国に行くのだ」


と触れていました。


つまりは信じるものが救われるのではなくて、


神の御心としてのイエスの教えを実践するものが
その今までとは生き方を変える事によって
神の国に入れる資質を手に入れると言うことを示したに過ぎません。


人々の罪なるものはあまりにも大きく、


それは自らが誤った意識を持って生きていること。。

創造主の意志からかけ離れて生きている事に
自分が気がついていない事だと思います。


神聖化され神扱いされたイエス自らが
人間の手により十字架の死を向かえ
その後に奇跡を引き起こして見せることで


多くの人間がその誤りに気がついて
正しい生き方をしてくれる事を期待して


イエスは自らの運命を知りながらも
そこから逃れる事なくその運命を全うしたのだと思います。


結果、それは誤った生き方をしていた
多くの人間の意識を変えることに繋がりました。


(イエスを神の子と信じたためでもありますが。。)


当時の誤った意識を持った多くの人間が
正しい意識を持って生きることに目覚め
その人間たちの罪は、その時に自らの中で浄化されたのだと思います。


(自分の誤りを誤りと認めたと言うことで
心が精神に近づいたと言うこと)

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80 :サロメ☆ボウディア ◆k8vHqHA92c :
2012/04/11(水) 19:21:14.61 ID:F7BLVuz6
>>78
人間の無限の罪の代償は 無限に清い神の御血だけですん
♪^^

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神が血を流せば人間が浄化される?


神が自らの創造物のために血を流す?


それが一体創造主にとって
どんな意味があるのかと言う事です。


創造主の法則の下、それに則って生きることのできない存在は
その存在を維持することができない。


その法則によって、
繰り返し文明を崩壊させてきた地球社会を哀れと思い
その空しいループを断ち切ろうと


神の生き方を理解した人間たちが
私たちの文明に神の意志なるものを伝えることで
私たちに正しい生き方を教えたというその事が理解できなければ


いつまでたってもクリスチャンは神の真の教えには
到達する事もないでしょう。


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81 :神も仏も名無しさん:2012/04/11(水) 19:34:25.26 ID:2rBDqTM2


>>79
神にできないことは何一つない、聖書にはこうこう記されていますが、
これを文字通り の意味でとれば一体どうなるのでしょうか。


何故、神は人類に罪を与えられ、またその罪を許されるため、
キリストを世に遣わされたか理解できません。


その全能パワーで、怒りの子を恵みの子に、
山羊を羊に、悪魔を天使にかえればいいのです。


地獄の釜を開いて見せ、
恐ろしい悪鬼の形相を人間に見せつけるだけでいいのです。


でも、神はそうされませんでした。


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まさにこの方の言うとおりだと思います。


この宇宙は神の意志により具現化された社会です。


私達生命の科学を学んだ人間は
四次元を思考の世界、三次元を物質の世界と理解しています。


言い換えれば四次元は因の世界であり
三次元は結果の世界


さらに言えば四次元は神の意識の世界で
三次元はそれが現象化した世界です。


つまり宇宙と言う無限とも言われる三次元の世界のすべては
四次元での神の意志が具現化したものに他ならず


神にとってこの世界において
できないことは何もない事になります。


(私達が思考したことが現実社会で現象化するように
神の想念がそのまま具現化したのが現実社会だと
私達は理解しています)

すべては神の想念の具現化したものだからです。


もしも神が本当にこの地球社会を根底から変えたいと願うなら
神がその意志を持てばこの三次元社会でそれは具現化される事になる。


しかし神はそれをすることはない。


それがなぜなのかを私達は理解しなければなりません。


それはアダムスキーが触れていた
神が私たちに与えてくれた”自由意志”なるものに
答えがあると思います。


人間を自分の姿に似せて
そして究極的には自分と同様の存在になる可能性を与えた創造主は

すべての人間に自らの思考により進化する機会を与えてくれたのだと思います。


人間を動物のごとく画一化し精神にのみ従うような存在に
作り上げることも出来たのに、創造主はそうはしなかった。


創造主は自分の分身の色々な表現や可能性を
感じたかったのだとアダムスキーは触れていました。


通常正常な進化の過程を進んでいる人間は
その文明と並行して精神を進化させ続けることになり


多くの場合、時間の経過と共に
神の意志なるものを強く理解するように
変貌していくようですが、


この地球社会はある事情で特殊な空間となり
通常の無垢の人間が地道な進化をする過程を
妨げられることになったために


外部からの意識訂正がなされなければならない
無限の負のループへと陥っている。。


一旦精神から離れた心の暴走が
更なる精神からの乖離を引き起こし


外部からの援助なくしてその乖離は回復する事が
できない状況になっていると考えたからこそ


地球の実態をすべて理解している
他の惑星の兄弟たちが
神に変わって私たちに救いの手を伸ばして見せた。


その事を理解できないだけでなく、
そんな彼らを天使や神と神聖化するから
私達は創造主の法を正しく理解できないのです。


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82 :サロメ☆ボウディア ◆k8vHqHA92c :
2012/04/11(水) 19:37:56.63 ID:F7BLVuz6
>>81
罪には償いが必須


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罪を贖うのは私たちの心です。


それが贖えたかどうかと言う証拠は
私たちには手に入れる事はできません。


すべては私たちの心の意識にかかっているからです。


贖いなるものに変えて、
アダムスキーはそれを経験として
そこから学び同じ事を繰り返さない事が大切であると教えています。


私達は誰もが過ちを犯す存在であり、


太陽系の兄弟の意識で考えれば
神の意志にない事、神の意識と異なることは
すべてが罪となります。


かといって失敗を恐れて行動を控えるのでは
私達は進化することも出来ないと思います。


正しいかどうかは自らが体験して
自らが判断することになるからです。

現に、太陽系の兄弟は何事も経験大切と捉え、

行為が神の意志に沿っているかどうかを自ら判断し、


それが誤っていたと判断すれば
それを正し二度と同じ過ちを繰り返すことはないそうです。


私たちにとっての罪は、誤った事をした時に
それを反省することなく繰り返すこと。


もしくは精神という神の意識が感じられないために、
その行為が誤っていると言う子とすら
気がつく事が出来ない事だと思います。


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84 :神も仏も名無しさん:2012/04/11(水) 19:39:29.10 ID:3dKjdFw9
>>82
罪など無いよ
裁く人がいるだけ

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ある意味、これも正しいと思います。


罪なる物も私達人間が心を持って作り上げた概念であり
神の法則の元生きている人達にしてみれば


神の意識に照らして正しいか正しくないかが
存在しているだけだと言います。


犯罪行為のように誰もが罪と認めるものは問題外ですが、


地球社会の”罪”なる概念は人間が独自の価値価値観を持って
他人を裁く時にこそ問題とされているものだと思います。

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85 :神も仏も名無しさん:2012/04/11(水) 19:42:54.12 ID:2rBDqTM2
>>82
罪の償いはあの世で清算されます。
でもね、罪を裁かれるのは、主キリストではありません。


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これに関しては一部異論ありで、


罪なるものは気がつき次第
私たちが常に反省し訂正すべきものであり


それを反省できないことで私達は
誤った価値観を作り上げ


その誤った価値観によって物事を判断して実行し
更なる誤った行為を正当化してしまうことに繋がります。


つまり罪なるものは清算されるものと言うよりは
この社会で今生きている私達の心に常に反映されているもの、


魂に刻み付けられているものであると言えると思います。


それは結果的には”精神”と言う
神の意識との乖離にもかかわってくるものですし


それ次第で記憶を持った転生、記憶を失った転生、
時には魂の消滅へと誘導されることになるのですから


その意味ではこの方の言うとおり
清算は行われるともいえますが、


あの世なるものは勿論
魂の国としての天国ではないと触れたいです。


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86 :サロメ☆ボウディア ◆k8vHqHA92c :
2012/04/11(水) 19:44:07.90 ID:F7BLVuz6
>>85
だから神は人間の滅びを望まず 
ご自身の血を提供されたということ

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神が血を提供すると言うその考えが
一体どこからやって来るものなのか。


イエスが「これは私の血でありこれは私の肉である」
と語った例えを理解できない人間ならではの
聖書解釈といえます。


この人間はきっとイエスが弟子たちに
「パリサイ派や律法学者のパン種に気をつけなさい」


と言った時に、

それを文字通り受け取ってパンの議論を始めて
イエスに叱られた弟子たちの話の意味を
理解してはいないのだと思います。


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87 :神も仏も名無しさん:2012/04/11(水) 19:44:46.32 ID:2rBDqTM2
>>84
罪がなければ、だれも裁かれることなどあり得ません。

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目に見える罪は存在しなくても
それぞれその罪の報いに応じた精神状態を持つことになりますし


さらにその結果、転生の法則を適応される段階で
私達はそれぞれの生き方に応じた
学習の機会を与えられることになります。


それを贖いと理解すれば良いのではないでしょうか。

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88 :神も仏も名無しさん:2012/04/11(水) 19:47:24.90 ID:2rBDqTM2
>>86
イエスの「血」といっても、かれの血液のことではありません。
この「血」とは、神の真理と言われているものです。

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まさにそのとおりだと思います。


イエスの血や肉と例えられたのは神の真理であり


それを理解する力の基という意味でもあると思います。


信仰の骨格や実や血とも受け取れます。

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89 :神も仏も名無しさん:2012/04/11(水) 19:49:46.47 ID:3dKjdFw9
◆人を裁くな

37:ルカによる福音書 / 6章 37節
口語訳を見る
「人を裁くな。そうすれば、あなたがたも裁かれることがない。
人を罪人だと決めるな。
そうすれば、あなたがたも罪人だと決められることがない。


赦しなさい。そうすれば、あなたがたも赦される。

これでもか

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少なくとも神は人間を裁くことはありません。


神の裁きあるとすれば、それは神の法則としての
転生の法則の適用と原因と結果の法則の適用だと思います。


しかしそれは裁きではなくて
自らの行動の結果が自らに跳ね返ると言うことと


心を持って理解できない人間に対して
その理解の機会を与えるために


「その人生で学べなかったことを貴方に学ばせてあげよう」という

精神の進化を目的とした転生の法則があるのだと思います。


そして他人を裁くなとイエスが触れたのは、


すべての人間が神の分身であり、
その神の分身を裁くと言うことは
人間が神を裁くことになるからだと思います。


神と私たちの関係は直接一対一のものであり、


他の第三者の手によって私達の罪が裁かれるのは
明らかに非人道的な行為をした人間を
法で裁いている人間の法による場合だけ。


(神の法則を守っているブラザーズ社会では
他人を裁けないゆえに島流しとして
地球への輸送が行われたと言うことでした)


神と私たちの一対一の関係を理解すれば
そして私たち一人一人が神の分身であることを理解すれば


他人を裁いたり許さないと言うことは
神を裁いたり神を許さないことになるわけで、


神を許さずして自らを許してもらおうと言う
その意識が間違っていると言う事になるのだと思います。


そして元々が私達には
他人を罰する権利などないという事を
私達は理解しなければならないのだと思います。

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90 :リンゴクリスチャン:2012/04/11(水)
19:50:22.54 ID:wLsQ4Jhz
人はみな罪人と聖書に書いてあり、
また、義人はひとりもいないと書いてあります

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92 :リンゴクリスチャン:2012/04/11(水) 19:54:01.59 ID:wLsQ4Jhz
もし、自分に罪がないと言うなら、
その人は偽り者とヨハネの手紙に書いてあります。
聖書には、はっきりと義人はひとりもいないと言っているのです。


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神の意志による生き方が正しいと考えたときに


私達は神の意識からかけ離れ、
神の意志によらず自らの心で生きることにより
すでに誤りを犯している事になるわけで


それは神の意識と私たちの意識が100%重なるまでは
延々と続く事になるわけです。


ブラザーズでさえ未だに罪を犯していると言うのですから
私たちの地球社会は誰もが罪を犯すことになります。


神の意識と同調しているような人間など
一人もいないからです。


つまり罪のない人間、真の意味での100%の義人など
存在しないと言うことになると思います。


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93 :神も仏も名無しさん:2012/04/11(水) 19:57:37.37 ID:2rBDqTM2
>>89
(みことば)は教義がないとわかりません。
イエスは、「うわべだけで裁くのをやめ、正しい裁きをしないさい」
と言われました。ヨハネ7.24

>>90
それは、パウロの作文です

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「正しい裁きをしろ、うわべで裁くな」


とありますが、
裁くと言う言葉の意味自体を
私達は捉え違えてもいます。


裁くと言うのは”評価する”と言う意味をも含めた
概念だと思います。


うわべだけを見つめて評価するのではなくて、
見える部分だけを捉えて評価するのではなくて、


見えない部分隠れている部分をもすべてまとめて
正しく評価しろと言うのが
おそらくはイエスの言葉の真意だったと思います。


私達は得てして目に見えるものに囚われがちで
目に見えている現象で何事をも判断してしまいます。


しかし実際には私達にとって大切なのは
目には見えない領域であると言うことを
アダムスキーも言っていますし


形式ばった事を重視し、事の本質をおざなりにしていた人間達を
イエスは偽善者として批判してもいました。


着飾って形式ばった事を重視して
人前では良い人を演じていながらも、実は心の濁った人間を
その見た目で評価するとそれは善人となります。


表に見えてはいないその側面をも理解して
私達は始めてその人間の実質を知る事になります。


そして神の意識も私達の目には見えませんし
耳に聞こえるものではありません。


目に見えないものを信じる事の出来るものは
幸いですと言うイエスの言葉の意味は


こんなところからも理解できると思います。


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94 :リンゴクリスチャン:2012/04/11(水)
20:04:49.78 ID:wLsQ4Jhz


しかし、キリストを信じるすべての人たちは、
主イエスキリストの信仰により、 永遠に罪が清められ、
その信仰により神の義が与えられてますので、


大胆に神に近づくことが出来ます。


一点の罪さえあれば、
厳格な父神には受け入れていただけません。


神の子キリストの血による罪の清めが必要となり、キリストの信仰によって、

人は罪のないキリストと同じ完全な神の子供と認められるのです。

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創造主は厳格な存在では有り得ません。


もしも神が厳格ならこの社会の人間は
誰一人救われることもないと思います。


なぜならば神の意志を理解して
実践している人間がいないからです。


イエスキリストは自分を信じるすべての人間の罪が
清められるなどとは一言も触れてはいないはずです。


イエスの意図は
あくまでも自分の教えを実践しろと言うことに尽きます。


信じるものが救われるのではなくて
「神の御心を実践するものが救われる」と言うのが
イエスの主張でしたし


そう理解するのが正しいと思います。

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特定のクリスチャンの思考が誤っている原因は
心を持って物事を判断していると言うこと。


そして彼らには、
精神という神の意識など感じることは
出来てはいないと言う事も理解できるかと思います。


彼らはイエスの言っていた”天の国の奥義”を
理解できないからです。


心を持って、更に人間が心で作り上げてきた人間の価値観を持って
精神なる物の意識を理解することは出来ない


神の意識など理解することも出来ないのです。


神の意識を感じることができるのは
精神(精霊)の働きだけ。


それが理解できないうちは
何時までたっても正しい神の意志を
この社会に実現することはできません。


更に、イエスキリストの教えを
その言葉を額面どおりに受け止めるばかりで


その言葉の真意を理解するだけの
思考能力がないのか、


心を持って作り上げてきた価値観が
その理解を妨害しているのか、


実証性を強調して見せる一方では
目に見えない教会によって与えれらた
知識を正しいものと信じ込みそれを戒律として守り、


人間の価値観のこびりついた心を持って神を求めようとするから
自ら神の意識を感じることも出来ず
更なる公の組織や教会の教えに身をゆだねることにもなっていく。


その結果自らの信仰が
人間の価値観だらけの物となっている事に気がつくこともなく


それを信仰している自分を尊い存在であると勘違いしたり
心をもって精神を感じようとしては


誤った啓示(科学力による偽の啓示)にも
騙されることになるのです。


私達、イエスの奥義である生命の科学の理解者は、
目に囚われることなく、既存の価値観に囚われることなく、


原因と結果を意識して思考し
精神をもって理解しなければなりません。


そして出来る物ならば
いつかこの社会の隠された実態を白日の下にさらけ出し

それを根本から改善する事のできるような
そんな存在に成って欲しいと思います。


【地球人の苦悩を光の前の暗黒のように消すために
宇宙の創造主を地球の道しるべにしよう】


私達は、神が遠いところではなくて
自然や自分の中にこそ存在していることを
皆に広報して行きましょう。
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P.S.


天の国の奥義である”生命の科学”は、
おそらくはこの社会の闇を暴くための手段としても


そして真の創造主の法を理解するための手段としても利用可能な
素晴らしい知恵だと思います。


悪意を持って生きている人間達の社会から
そうではない人間達を救い出すためにも


そして自らが天国(記憶を持った転生)へと進むためにも
私達はこれを学び実践し続けていくのです。