和を以って尊しと為す | 不幸のブログ 

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三次元と四次元の狭間 に関しての記事と生命の科学と宇宙の法則
について語ります。

これは昨日の記事ですが
リンクに埋まってしまうので上げておきます。




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胃腸や顔への被害は勿論続いていますが
激化次第の報告という事にしておきます。


そんな時は意図的に挑発してくる人間達がいますし
私はどうすれば良いのかと悩みます。


複数の組織が私を綱引きしているように
感じることもあるのです。



今でもブログコメント時々はあるのですが
それを読める時と読めない時があります。


(アメブロを使用している方がいたら
マウスの高さを一箇所に固定した状態で
後はキーボード操作でブログを開いてみてください)


今の状態ではまともに返事も出来ませんし
読んでいないコメントもありますが


寄せられる殆どがシモネタの嫌がらせメールと成っていますし
コメントを見るのもままならないのです。


いくつか触れておけば


いつも元気付けてくれる大阪のYさん
酷い状態の中で元気を分けて頂いてありがとうございます。


埼玉のMさん。
私も当初はオカルト扱いされる覚悟で
今の様な記事を書き出しました。


半分でも理解してくれるだけで十分嬉しく思います。


今日の記事は、ぼやきを書いていたら
長くなったので途中で記事へと変更した物です。
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ここからが本題です

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”21世紀生命の科学”の本を
すでに一通り学び終えた方もいるかと思います。


独自に読んで感じた事、その時のインスピレーションを
大切にして欲しいと思います。


宇宙の法則への架け橋である
アダムスキーとスペースブラザーズ直伝の
生命の科学を学んでいてそこで受け止めた”印象”は


おそらくは彼らの意識とは無関係ではないと
想像できるからです。


私達覚醒者には教師も教祖も存在してはいません。


教師がいるとすればそれはアダムスキーであり
スペースブラザーズです。


そして宗教ではないので教祖はいませんし


私達を導く一番の存在は
宇宙の創造神に他なりません。


人格神でもなければ、宇宙人でもない
真の創造主です。


地球の中には私達を普遍的真理へと導ける存在が
殆ど存在していないのですから
私達が彼らこそを教師とするのは当たり前の事だと思います。


私達が学んでいるのは人間が作り上げた価値観や
それに基づく知識ではなくて


宇宙全体を覆っている
私達が無縁ではいることの出来ない
創造主の普遍的真理なのです。


もしも地球の中の権力のある人間が
それを理解して実践していれば


そしてそれを広報し正しく広めていれば
地球社会は今のように複数の宗教の乱立する
社会にはなってはいなかったはずですし


多くの覚醒者に拠って地球は良き方向へと
導かれているはずなのです。


しかし現実にはそんな組織も人間も見当たりません。


それが意味することは、多くの思想は
神の法則を正しく語ってはいないという事に
他ならないと思います。
(良い木に悪しき実は成らない)


普遍的真理としての宇宙の法則は
一般の宗教信者がその話を学んでも
決して毒になるような要素は含んでいないはずです。


その組織の教えが、精神の向上や道徳の実践にあるのであれば
宇宙の法則の齎す物はそんな意識と
競合するものではないからです。


ただ、繰り返しになりますが
地球の法則に縛られている人間、


そして地球の法則に人々を誘導したい人間にとっては
宇宙の法則は反対思想とか危険思想という事になると思います。


具体的にいえば、彼らは


貨幣経済を肯定し、


物欲促進を誘導し


人間の誤った価値観を正当化し、


戦いを推奨し、


転生を半ば否定し、天国を霊界であると誘導し


太陽系の実態を捻じ曲げて、


私達が永遠を生きることの出来る生命体であることを
認めないからです。


宇宙の法則を理解するための大前提は
私達の人間の生の真の目的が精神の進化にあると言うことと
私達人間は永遠を生きる事が出来る存在であることを知ること


そして心とは別の意識である
”精神”の存在を理解することです。


それを突き詰めていけば、地球の法則の推奨する
先述の全ての事項は結果的には否定されてしまう事になります。


つまり宇宙の法則は、
地球の法則の信奉者達が後生大切に市民に植え付けてきた
誤った価値観の全てを、ひっくり返すものなので


地球の法則を遵守する者とその傀儡は
私達のような覚醒者が煙たくて仕方がないのです。


私が取り上げるアダムスキーとブラザーズの教えの中に
非道徳的で人間にとって良くない物が存在していると言うのであれば
それを具体的影響として示し批判して見せれば良いと思います。


私はその気になれば既存の宗教組織やイデオロギー組織の
欠陥を片っ端から取り上げては批判することも出来ます。


勿論具体的な論理を展開させてです。


(覚醒者にとってそんな説明は不要だと思いますし
切がないので避けますが。。
それに批判は理解に置き換えなければいけないと言います)


地球の法則の信奉者達は
宇宙の法則を否定できる材料を持っているのでしょうか?


地球の価値観に合わせて宇宙の法則の上げ足を取るとしたら
”実証性”がないと言う一点だけのはずです。


視覚をもって認識できるもの、
心と既存の価値観をもって理解するものしか
認めようとしない地球の法則の信奉者。


それは精神という感覚器官を理解できないゆえに
イエスの言葉で言う”死人”の意識で
現象を見ているが故の判断なのです。


(その癖に加害行為を繰り広げるときは実証性を隠蔽するために
 電磁波や薬品と言った、感覚器官では認識できないものばかりを
利用していると言うおまけつきです)


地球の法則に従う人間にとって厄介な事を言っておけば
”覚醒者は自らが理解と体験で宇宙の法則の正しさを
身をもって理解することになる”と言うことです。


既存の宗教のように、疑問を持って質問すると
「とにかく信じなさい。」
と洗脳されるような思想ではありませんし


最初に具体的な規範が書かれた経典を与えられ
「これを全て実践しなさい。」


と示されるようなものでもありません。


全ては自らが一つずつ認識し理解して
その行動を自分で変えていくと言う自由意志を大切にしつつ


経験や失敗を繰り返し、
結果的には正しい道へと進んでいくための
きっかけに過ぎないものです。


しかしこの生命の科学の与えてくれるきっかけは
誤った情報で歪められた真実ではないために
導かれる場所は全員が同じ物となります。


普遍的真理は複数存在しているわけではないのですから
それは当たり前のことです。


そしてそこに到達できた人間は
その時それを真理と理解したうえに
精神と神の意識を感じることになるはずです。


その状態になった覚醒者を
再び眠らせる手段は存在しません。


一旦真理に導かれると、
私達の眠っていた精神はその真理に共鳴しだしますし


そうなると、どんな魅力的に見える思想も宗教も
覚醒者を騙し誘導することは不可能になるのです。


熱心な宗教信者に問いたいことがあります。


この世には数千・数万と言う宗教組織が存在しています。


自らの教えが正しくて他の教えが間違っていると言うのなら
自分の信仰する教えは何故正しいと
判断できるのでしょうか?


その教えを与えてくれたのは一体誰なのでしょうか?


神さま?その代理人?教祖?


既存の宗教の中に普遍的真理があるのだとすれば
ほんの一握りの組織の教えが正しくて
他の教えは皆間違いという事になります。


そして乱立する神の中で
正しい神を信仰しているのは僅かな人間だと言うことになります。


ただ困った事にどの組織も
自らの教えこそ正しいと信じて疑わないのです。


一体正しい神様の存在と
その教えはどんなものだと捉えているのでしょうか。


逆に全ての宗教が皆同じ神を信仰していて
その信仰の仕方や実践すべき教えがまちまちなのだとすれば
今度は全ての宗教の教えの中に真理と誤りが存在していることになります。


人為的な価値観が付加されたために
それぞれ神の教えの内容が歪んでいる事になるのだと思います。


そうでなければ同じ神を信仰する人間が
分裂して派閥を作ったりお互い争う理由がありません。
(後は宗教を単なる商売だと考えているとか。。)


そして更にもう一つ、
宗教の神様は自分の教え以外の宗教や思想を持つ人間を
敵とみなしそれと戦えと推奨しているのでしょうか?


戦いを認める神が宇宙の創造主だと言うのでしょうか?



私は全ての宗教の源泉は殆どが同じだと思います。


殆どの宗教は人間の手によって付け加えられた
独自の価値観によって歪められ


それぞれが独自の教えになっていて
それがために多種多様のものが存在している。


しかしおそらくは殆どの宗教には共通点も
存在していると思います。


おそらくはそれは”道徳の実践”であり
それこそが宇宙の法則の基本的な意識なのです。

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スペースブラザーズは
私達地球の人間の悲劇の原因のひとつは
地球人が”分割”や”区別”をするからだと触れていました。


人種、宗教、国家、イデオロギー、派閥


このようなものこそが争いを生み出す原因であり
そんな分割は普遍的真理に生きる人間にとっては
不要で無用のものだと思います。


それを理解せずに自分の好きな人間とだけ付き合い
嫌いな人間を排除したり、


肌の色や民族で人間を差別したり、


国家と言う形で分裂しては領土や資源を争ったり


そんな行為を当たり前としていて
尚且つその傾向を強めているからこそ
この地球には争いがなくならないのだと思います。


現に世界の紛争や争いの原因の殆どは
この”区別”や”分割”を原因とするものばかりです。


キリスト教世界とイスラム教世界の対立
これは宗教による分割のための悲劇です。


創造主は一人しかいないのですから、
彼らは同じ神を信仰しながら
互いに人間が付け足した価値観によって争っていることになります。


パレスチナ問題は民族と宗教に起因する争いです。


南アフリカのアパルトヘイトなどは
肌の色による分割を起因とする問題です。


日本国内でも民族や宗教にまつわる対立は絶えません。


政治にしても自民がいて民主がいる。


更に民主の中でもグループと言う名の派閥があり
そこでも利害関係・人間の好き嫌いが分割を引き起こし
それが争いの原因となっているのです。


そして分割の中に巻き込まれた人間達は
自分達の属する集団が良ければそれで良い。。


自分の仲間が良ければそれで良いと考え
それ以外の集団や人間の立場を省みることもないのです。


ブラザーズ社会は全体主義思想を持っています。


全体主義といえば戦時の日本を取り上げては
危険思想だと嘯く人間もいるようですが


危険なのは全体意識ではなくて
それを誤った方向へと誘導する人間達の存在なのです。


全員が全員を思いやって暮らすことの大切さは
昨年の日本での東北関東大震災がきっかけで
多くの日本の住人が感じることとなったはずです。


つまり全体思想とは、
自分だけが良ければ良い、
自分達だけが良ければ良いというのではなくて


その全体が全て良くあって欲しいと願う
万物との共存の意識に繋がる大切な思想なのです。


そしてそれは宇宙の法則では”調和”という意識に
表すことが出来ます。


そしてこの”調和”という意識は”分割”や”区別”という意識とは
対極に存在する意識である事は言うまでもありません。


調和が人間の意識を良い意味で変えていく。。。


調和が社会をも良い意味で変えていくことは
言うまでもないはずです。


そしてそのためにも私達は分割や分裂の意識を
捨てていくべきなのです。


民族の対立、宗教の対立、国家の対立
派閥やイデオロギーの対立。


これらの全ては争いを作り上げ
人々の調和を妨害するためにも利用されていると言うことを
私達は理解すべきなのです。


”和を以って尊しと為す”


有名な言葉ですが日本に伝わる素晴らしい教えだと思います。


そんな意識を皆が持つ事が出来るようになれば
日本発の世界平和も夢ではない。。


それを目指して見ませんか?


と言う話でした。

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P.S.


そう願いたいのですが
意図的に人間を争いへと誘導している人間達と
その傀儡と成り果てた人間達の謀略は


未だ日本を捉えて離してはくれないようです。


とても残念に思います。


私がそんな謀略に直接振り回されている人間の一人だと
自覚していますので
自分の置かれている立場を考えながら


どうなれば社会が変わっていくのかと想像しながら
こんな記事を書いてみました。


”和を以って尊しと為す”の真意を取り上げているサイトが
あったので紹介します。

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http://takato112.blog80.fc2.com/blog-entry-243.html

■「和を以て貴しとなす」というのは、
日本人に最も広く知られた言葉の一つだろう。

「とにかくカドを立てないで仲良くするのが一番大切」といった意味で
理解している人が多いだろう。


その出典が聖徳太子の「憲法十七条」であることも
よく知られているはずだ。


「憲法十七条」は『日本書紀』に載せられているため、
『書紀』の史料批判の観点から学界では偽作説も出されている。 だが、個別の語句や表現に後の潤色が加わっていたにしても、基本的な内容は当時のものとして見てよいというのが歴史学界の大勢の意見だ。


■この言葉は「憲法十七条」の第1条の冒頭に出てくる。


『書紀』の訓(よ)み方を記した最古の写本である岩崎本の
『書紀』(平安時代中期の書写)では
この個所を- 「和(やわら)ぐを以(も)て貴しとし…」と訓んでいる。


そのあとは「忤(さか)ふることを無きを宗(むね)とせよ。…」と続く。


第1条全体の主旨は、この言葉を知っている
多くの日本人が抱いているイメージとはやや違っている。


【人はえてして派閥や党派などを作りやすい。
そうなると偏った、かたくなな見方にこだわって、
他と対立を深める結果になる。】


そのことを戒めているのだ。


それを避けて、人々が互いに和らぎ睦まじく話し合いができれば、
そこで得た合意は、おのづから道理にかない、
何でも成しとげられる-というのだ。


ただ「仲良く」ということではなく、
道理を正しく見出すために党派、派閥的なこだわりを捨てよ、
と教えているのだ。

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つまり聖徳太子と言われた人物が
(架空の人物と言う話もありますが
ブラザーズのような人間だという話もあります)


語ったと言われるこの一文は
宇宙の法則における”調和”を触れているのだと言うことです。


聖人や偉人と言われた人間達の多くは
多かれ少なかれ普遍的原理を感じては


それを人々に伝えようとしたという
共通点があるのだと思います。


その中には多くのブラザーズの転生がいたようですが
「諸星は何でも偉人はブラザーズにしてしまう」と
足を引っ張られそうなのでこれ以上は触れません。


明言出来ることは、私達にとって本当に大切な意識は
どの時代も変わる事なく存在していると言うこと。
(ここでは調和の意識のことです)


そして私達はこの荒んだ社会で暮らすうちに
無自覚のうちにそんな意識とは
かけ離れ続けているのだと言うことです。


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