宇宙の法則 short | 不幸のブログ 

不幸のブログ 

三次元と四次元の狭間 に関しての記事と生命の科学と宇宙の法則
について語ります。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

【創造主の法】


宗教の中における異端の排斥。


そして宗教同士の対立。


知識や理解が異なれば価値観も異なり意識も異なるのが当たり前ですが

儀式や形式に拘り、それに従わないものに対しては罰を加える。


自分達の価値観と異なった価値観を持っているとそれが処罰対象になる。


そんな人道的にもおかしな行為が
歴史の中では繰り返されてきたという実態もあったようです。


文献として多く残っているのがキリスト教社会の物ですが


これはキリスト教社会に限らず
特定の思想を持った人間達が権力を持つことで
それと異なった意識や意見を持った人間が


迫害され淘汰されてきたのがこの社会の実態だと思います。


そしてその傾向は今でも変わってはいません。

以前にも増して拍車がかけられているともいえます。


それらの原因は、私達の社会では如何に正しい神の教えが
伝わっていないかと言う事に由来するのだと思います。


神と呼ぶべき存在は一つしかないと言うこと。


その法則と教えは誰もに共通に作用すると言うこと。


そして、神の教え=創造主の法の元では
私達は誰もが創造主の分身として同じ立場であると言うこと、


更には私達の魂としてのその実態は、
もともとは創造主の意識と言う一つの命として存在し、
誰もが一つの命を共有しているという事実。


私達は無知ゆえにその大前提を理解できず、
創造主の分身であるはずのこの社会の人間は
自分を他の人間と別のものとして勝手に分割し


自分の存在の意義に独自の価値観や目的を作り上げ、

創造主の意識を離れては勝手に動き出し


更には行動指針にも自分勝手な価値観を作り上げては
それを実践しつつ他人を裁き続けているのです。


その状況が以前にもまして酷くなっているのが
今のこの社会の実態です。


先日、アダムスキーの著書の中から
マスターの言葉を久しぶりに読んだのですが


ブラザーズにしてもマスターにしても
”自分”と言う存在に対する認識は
限りなく創造主の分身である事を意識したものでした。


自分を神だと奢り高ぶるという意味ではなくて、
「自分自身は、万物と共に神の意識を共有している存在であり
自分の命はそのまま神のものである」


と認識しているのです。。


彼らの宇宙観に触れれば、まず宇宙空間は創造主の意識の内部にあり
外部に存在しているわけではないと言う大前提があります。


三次元と四次元と言う空間を司っている創造主の残像思念。


四次元的な創造主の想いとしての創造主のエネルギーが
三次元に於いて元素をもって具現化したものが
私達が万物と呼んでいる全ての創造物です。


三次元と四次元は重なるように存在していますし
四次元を創造主の意識とすれば
三次元は当然その範囲の内部に表現されていることになります。


四次元的エネルギーである創造主の想いを
彼らは”至高なる英知”と呼んでそれを創造主と呼んでいます。


その創造主の意志から受け止める創造主の目的は
自分の作り上げた宇宙空間における全ての創造物の調和と進化です。


創造物が命を維持するために必要な環境を
惑星や恒星といったものを通じて創造主の法で作り上げ、


そこに生命を生み出しては
それぞれの創造物にそれぞれの役割を与える。


そして各種の創造物は単に生きているのではなくて
独自の役目を果たす他の万物への見えない奉仕を続けている存在です。


つまりそれが必要であるから万物は存在していることになります。


創造物同士は互いに見えない奉仕を続ける事で相互に関わって生きていて
それぞれが調和の中で進化を果たしながら生きていく。


そしてこの宇宙空間の全てのものは
全てが進化の過程に存在していると言うことでした。


それは肉体という器を取り替えながら
永遠の命をいきながらです。


例え地球や太陽系が老朽化して崩壊しようとも
そこで使用されていた元素や素粒子が果たしてきた進化は
決して中断されることはありません。


私達にしてみれば、”進化”は私達の目に見える”肉体の変化”
だけであるかのように捉えがちですが、


実際には私達の肉体を作り上げている諸元素さえも
日々進化していると言うのが実態で、
私達の社会の中で言えば


精神的な進化を果たせずにいるために
その恩恵を肉体の進化として受けることが出来ない私達を
実質的に地道な進化へと導いているのは


各諸元素の独自な進化のおかげだと言うことです。


そして一番大切な進化は私達の実態である精神の進化です。


創造主の意識の分身として存在している私達は
その魂を意識してそこから創造主の意志を
限りなく引き出すことで自分の進化を果たすようです。


つまり私達地球社会の人間は創造主の法の落第生であるからこそ
未だに地球社会に存在しているのですし
地球社会の私達は真の進化を果たせずにいるのです。


もっと分かり易くいえば魂の経路の進化ともいえます。


私達は創造主の想いを限りなく100%表現するならば
その自分の実態である創造主の分身としての
魂の想いをそのまま表現することが出来ることになりますし


その100%を具現化すれば私達は限りなく神に似る事になります。


想いもその姿もです。


だからこそ金星のマスターは


「私達人間は完全であり
それに付け足すものは存在しない。
ただ自分の持っているものを現しさえすればよいのです」


と表現したのだと思います。


私達の魂の進化とは魂を意識する経路の進化なのだと思います。


その経路から強く想いを引き出せるようになれば
そこから強いエネルギーを引き出せるようになれば
それはそのまま私達個々の人間として表現されるのだと思います。


つまりは魂自体は誰もが同じような資質を持っていても
それを表現するための経路とその表現の差


そしてエネルギーの強さの差が
私達の進化の差と言うのが正しいのかもしれません。


そして私達は理解するのです。


老化に関しては肉体的な影響がありますし
地球環境では仕方のないこととしても


自分の表現するその想いが
創造主の意識の認識力の差によって
異なって表現されているのが私達個々の人間なのだと思います。


想いが私達を作っていると言うのは
まさにここにあるのかもしれません。


心の想い=肉の想いに囚われることで私達は
その想いに似た存在へと変貌しその行動もそれに似ていく。


魂の想い=御霊の想い=創造主の意志を認識して表現することで
私達は天使達や神に似ていくことになるのかもしれません。


現実に太陽系の天使達のように
現実の進化を続けている人間達もいます。


彼らを天使と呼ばせるに至ったのは
私達社会の人間から見て天という場所から降りてきた存在であることもさながら


それ以上に彼らの振る舞いやその神々しく見えた姿が
神の子や神の遣いを連想させたからに他ならないと思います。


そしてアダムスキーの話からも
彼らが皆若く見えてそしてとても美しかったと言うのは


そのまま創造主の意志を自らの肉体を持って表現するように
勤めているからであり、


彼らの姿は彼ら独自の理解による
独自の創造主の想いの表現に他ならないのかもしれません。


極端な話をすれば私達地球社会の人間も
天使のようになれるのです。


肉体が想いで変貌されるのは
若いころには美しいとされながらも


大人になっていくにつれて
心にこびり付けた想いによって変貌して行く人間を見ていても
感じれると思います。


邪な思いを持つようになった人間は
その肉体的な風貌まで変わっていくのです。


そしてその逆もあると言うことです。


わずか80年程度の期間であるために
その大きな変化を認識することは難しくても
実際には私達は想いで自分の肉体さえも変えることになる。


想念はその社会の中にも蔓延して、その社会自体をも
そしてそこで生命を持って生きてる全てをも変えるのだと思います。


私達は自らの想いをもって愛すべき人間と
そして自分自身を変えるように勤めて行きましょう。


自称イエスの使徒であり続けてください。


【貴方に無限なる力の祝福がありますように】

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
P.S.


使い始めた時に説明したように
最後の一文
【貴方に無限なる力の祝福がありますように】

とあるのは実はアダムスキーの著書の中で


【貴方に無限なる方の祝福がありますように】


あったのを私が勘違いして引用したのが初めで、
人格としての神を認識し難い事もありますし


スターウォーズの
「フォースが貴方と共にありますように」に似せた意味含めて


その後は”無限なる力”として表現し続けています。


元々は火星人のブラザーズである人物が
アダムスキーの地球での広報での活躍を応援して
語ったコメントでもあるのです。