生命の科学 VOL31 | 不幸のブログ 

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三次元と四次元の狭間 に関しての記事と生命の科学と宇宙の法則
について語ります。


もしも理解者と一緒の場所に転生が出来たら。。
いつか私にも接触してやってください。


その時には私達はお互いを認識することが
きっと出来るのだと思います。


”真性クリスチャン”
私達の相手を認識する時のキーワードに如何でしょうか。


その時はこの地獄から抜け出せた事を
お互い讃え合いましょう。


私は死ぬまで加害者達に
”殺せ”と悪態をつきながらその時を待ちます。


私を一瞬でも素の姿でいさせたくないこの人間達に
時にはハイにされ、残りは延々とイライラを誘導されるこの環境で
自分がいつまでも正常で居れる自身はもうありません。


この人間達は闇政府傀儡と化した人間達の恐ろしさと忌まわしさを
私を通じて意図的に皆に知らしめているのかもしれません。


彼らを恐れることはありませんが
(肉体を斬るものを恐れるな)


その悪影響を受けることだけは避けてください。


この人間達の意識と同調すると
おそらくは地球での転生へと誘導され
次世は彼ら同様のロボットの人生が待つ事になると思います。


今回の生でこの人間達の従っている
法則からの脱出を絶対に果たしてください。


私も何があっても絶対に目的を果たして
転生してやります。


次の生の目標は。。。
内緒です。


信じるものが救われるのが地球の宗教、
そして理解し実践した物が救われるのが神の法則です。

P.M12:21


アンチクリストにはクリスマスなど何の意味も持たない。


加害者達を見ていてその事をつくづく強く感じています。


クリスマスを祝うよりも
私が苦しんでいる気配を感じる事のほうが
彼らには心地良いようです。


被害は酷くなる一方です。

胃腸は吐き気に排泄妨害、脳は痛みも酷い上に
思考回路を止められイライラまで誘導。


加減を知らない他人の事を人間扱いしていない
異常な意識の人間達の人間とは思えない行為の応酬。


私は怒りの記事を書いては消しています。

記事さえまともにかけないほどの脳への関与も受けて
激しく辛い思いをしています。


私が今受けている加害行為に対して
後日しっかりとお礼をさせて頂きます。


とりわけ創価学会広宣部とその協力者達。


私は貴方たちの加害行為を
絶対に放置するつもりはありません。


末端工作員達は道徳心を持たない
価値観の壊れた人間や元々の資質が非人道的な
人間達の集まりのようです。


私はイエスキリストの真の弟子達がそうであるように
十字架を背負ってこの人間達と対峙します。


ユダヤと朝鮮半島の連合軍の呪いは最悪です。


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今日は久しぶりにテレパシーの話になります。


加害者組織が構成員に使用している
科学力を使用した人工テレパシーではなくて


私達の肉体で使用可能である本当のテレパシーに関わる話に
アダムスキーが触れています。


アダムスキーの21世紀生命の科学からです。


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【超能力開発の根本的基本】


この大いなる英知と共に働くときに異星人が用いる方法は
心の代わりに自己の意識でもって万物を観察することにあります。


わかりやすく言えば、


"彼らは観察される個体があたかも自分であるかのように
その個体について意識的になる"のです。


たしかに相手は自分であるのです。


全体から切り離された物は何もないからです。


こんなふうにして一つの心としての人間は全体と融合するのです。


人間が一定の基準としなければならないような規範は存在しません。
全く等しい二人の人間は存在しないからです。


したがって本講座は他の修養団体のごとく
一定の信条を設けたりしません。


ただ、目覚めてあなたの内部で働いている
意識的な英知に気づくようになれば良いのです。


そうすればこれはいつかあなたの思考上の習慣となるでしょう。


そして心と英知(意識)とは
現在見られるような二つの分離体としてではなくて一体化するでしょう。


これが異星人が進化した方法であって、
それゆえに彼らは言語を発しないで万物と会話を交わすことが出来るのです。


我々が自己の何たるかを知ろうとすれば
異星人の用いているのと同じ方法を用いなければなりません。


ただ、一つ銘記しなければならないのは、
我々は”好き嫌い”に従って他人を批判したり、分割したり、


排他的になったり、恨んだりして
この知識を持つことは出来ないと言うことです。


一度あなたが”記憶の芽”からくる印象類をキャッチするならば
あらゆる種類の印象(波動)がくるでしょう。


その印象類の中にはあなたにとって好ましくないものもあるでしょうし
恐ろしいものもあるでしょう。


それはこの地球上にはエゴが好まないような極めて低い段階の
生命現象があるからです。


しかしこうした低い現象もなければ
生命界は完全にはなりません。


あらゆる面が必要なのです。


しかしそれらが、一度理解されるとそれに対する非難は停止します。


これは(生命界の低い段階は)丁度残酷な場面が展開される
舞台上の演劇のようなもので、
これがないと生命の各面が真に表現されない事になります。


大きな魚が小さな魚を飲む込むのを見るのは
我々にとって残酷に思われますがそれは人間が人参を食べるのを
見るのが残酷だと言うのと同じです。


何故なら人参も人間や魚と同様に分子から出来ている生き物であるからです。


しかもこの記憶の運び手(分子)は最も残酷と言えるものから
最高に至るまでの生命界のあらゆる面の記憶を持っています。


これが時として二元性の起こってくる理由です。


貴方はあらゆる人を深く愛しながら
しかもその人間を傷つけることがあるでしょう。


この矛盾は低い性質および高い性質の各記憶細胞によって起こります。


もし我々が自分の自我について何かを知っていれば
互いに関連し合うこの二つの記憶細胞を調和させるところですが


普通はそうしないで両極端に分けて、
いずれか一方を支持しようとします。


こうした理解力の不足が謎や考え違いを起こす原因となっています。


人間はみな同じ存在ですから、
他人を傷つければ自分を傷つける事になります。


これは我々の心が優れた触媒作用をなすように訓練されていないためです。


これは心が生命の存在理由を知っている時にのもなされるのです。


我々が創造主のようになろうと思えば、
我々は動揺することなく生命界のあらゆる面を見なければなりません。


創造主は何らかの差別をすることなく創造物を見つめています。


もし創造主があるものを好みあるものを嫌ったりすれば
創造主自身を分裂させることになり、
人間以上に優れた業績をあげることは出来ません。


あらゆる段階の創造物はその創造主によって愛されています。


各創造物の目的が知られているからです。


差別をするのは人間だけの特徴であって、
これによって多くの苦痛が生じていますが
これはエゴの心が自身を全体から離しているためです。


りんごは物質で出来ていて
人間と同様に意識的な生命によって支えられていますが
我々がそれに食いついても悲鳴を上げたりはしません。


なぜでしょう?


その理由は宇宙の法則に対して絶えず反抗的な
”自由意志”なるものを与えられた人間の持っているような
”心”をりんごは持たないからです。


人間も肉体的な苦痛を感じないように成れるのでしょうか?


なれます。


焼けている石炭上をハダシで歩いて
しかもなんとも無い人が存在したりします。


この人達は心の訓練の仕方を心得ているのであって
心は訓練されることを望む必要があったのです。


これでもってわかるのは心が如何に不快な状況に直面しようとも
それは法則の誤用によって心自身が作り出すのであると言う事実です。


したがって生命が差し出すもろもろの祝福を楽しもうとすれば
心は宇宙の原理の自発的な探求者になる必要があります。


こうして人間の積んだ体験によって本人が得た価値を思い出すときに
過去からの記憶が人間に役立つのです。

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以前に後書きで触れたことがありますが、


私達が究極的には会得すべき、スペースブラザーズ直伝の
テレパシー開発法にアダムスキーが触れています。


”万物の意識を感じるにはそのものになりきってしまえばよい。”
極端な話をすればそういう話になるかと思います。


何を見つめる時であっても
その個体に自分がなりきってしまう事。


その時にその個体のイメージしているであろうことを
私達はその物になりきる事で受け止めることが可能になる。。


と言うのがアダムスキーとブラザーズの
テレパシー実践法だと言うことでした。


と言っても万物になりきったつもりの時の
万物の持つイメージを感じると言う行為は


私達の能力に依存するものですし
自分が相手になりきると言う事は通常私達には出来る事ではありません。


何かになりきったつもりでも、当面の間は
そこには必ず自我(エゴ)という
心の動きが入ってくる事になると思います。


なりきったつもりのイメージの多くには
私達心の作り上げたものが大幅に混ざりこむことになるはずです。


例えば私は玄関先でタバコを吸っている時に
遠くの大きな木を神としてイメージしてみたり


その樹木に自らを重ねているつもりで
それを見つめている事があります。


しかし秋になり、自分が見つめていた大きな樹木が
実は複数の樹木が重なっていて
一つの個体ではなかった事に気がつきました。


私はその樹木の固体の認識すら出来てはいなかったわけです。


私達の様に、未だ精神をしっかりと認識できていない状態では
どうしても受け取っているつもりのイメージの中に、
自分の心の作り上げたイメージが紛れ込む事になるようです。


しかし間違いなくその物になりきると言う行為、
その上で自らの行動を変えていくと言う方法は
物事や現象を深く理解するにも有効ですし、


原因を追究すると言う意識は
私達の行動をも改善する事に繋がりますし
結果的にはその事が心を精神へも近づける事にもなります。


私よりももっと覚醒の進んでいる方のために触れれば、
アダムスキーは万物が精神という神の意識によって
四次元世界で全てが繋がっているのだという事に触れているのだと思います。


つまりは私達は神の意識と言うものを介して
他の全ての物と繋がっている存在であると言う事を理解し


そして自らの精神を使ってそれが認識出来る様になれば
目の前に存在する、自分とは別個な個体であっても、
その存在は自分でもある事になります。


万物が神の意識の分身であり、それが全てが繋がっているわけですから
私達は個であり、同時に万物の全てなのだと思います。


自分の精神を働かすことで、神の意識を感じ
神の意識を通じて万物の意識を感じる。。


究極的にはそれに近い感覚ではないでしょうか。


結果的に私たちは目の前にある物の意識その物を感じることで
その物へとなり切ることになります。


それこそが、ここでアダムスキーの触れている
”あたかもその個体になりきるように意識的になる”
と言う行為だと思います。


以前に、神の精神を感じるためにも自分の中の神の意識(精神)を感じて


それを常に意識して自ら神になりきったつもりで行動が出来れば
それは効果的かも知れないという話を触れました。


勿論、勘違いしていけないのは
あくまでその時本当に神の意識で動けたとしても
その行動をしたのはあくまで神であると考えるべきですし


自らのエゴを持ち出しては
自分が特別な存在にでもなったかのような
勘違いをしない事が大切だと思います。


でも、そのような行為が私達が精神を感じる練習になる事も
間違いありませんし、私達誰もがテレパシーを利用できる
そんな資質を持っている事も間違いありません。


精神(神の意識)は私達全員が持っているものだからです。


聖書で言うところの精霊は私達が無自覚なだけで
全員が宿している魂なのです。


それを持っている人間全てが神の意識を感じては
その行動を行う事も出来ると言う事になります。


後はその精神に存在に気がつく事が出来るかどうか
そしてその認識力を如何に強めていく事が出来るかが
私達にとっての課題なのですだ。


ここで神を感じる行為はあくまで精神の意志を感じる行為です。


そして次にはその意識をもって
万物の想念を感じる行為こそがテレパシーとなるのだと思います。


アダムスキーが触れているように
これは日々その行為を繰り返すことで
私達を習慣付けることになりますし


その状態を続ける事で
精神の進化と併せて想念を感じる力も増す事になるのだと思います。


何かになりきる事で万物を深く理解する機会が生まれますし
その行為自体が、私達に知識を増すためにも
精神を感じさせるためにも、良い練習になると思います。


そして究極的にはブラザーズと同じように
想念を授受しての会話、


いわゆるテレパシーを感じるようになり
言葉無しでもお互いが相手を理解できるようになって行く。


それが社会全体に広がれば言葉の壁もなくなりますし、
言葉がたりなくて 誤解を生じ争いの原因とする事も
無くなるのかもしれません。

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アダムスキーは、この世界には残酷な事に代表されるような
低い生命現象の存在は不可欠であると触れています。


考えてみれば私達は食べる事も排泄する事も
止める事は出来ませんし
種族保存のためには性的な行為も無くなる事はありえません。


それらはもしかしたら人によっては意識の低い行為であるとか
物事によってはタブー視されるような物事も
混ざっているのだと思います。


以前、宇宙の法則で触れた殺生にしても
まさにこの低い生命現象に
含まれることになるのだと思います。

http://ameblo.jp/uruseiblog/entry-11027180903.html


私達の社会では殺生は残酷であり
それを悪とする風潮があります。


勿論、人間が人間を殺傷する行為は自分が自分を傷つける行為であり
神を傷つけるのと同様であると判断し
ブラザーズはそれを良しとはしていません。


そしてそれは神の予定には存在していない行為のはずです。


しかし少なからずこの社会で私達が肉体の維持のためには
どうしても生物を殺生することになります。


それが動物であっても植物であってもです。


ブラザーズに関しては動物の想念が人間に与える影響をを加味していて
食材も気をつけているようなので


食に利用される食材は植物と魚介類と
特定の動物の肉に限定されているようですが


植物であろうが動物であろうが
ブラザーズも殺生をするのです。


その殺生と言う行為は少なくとも見た目には残酷であり
それを頻繁に見たいと望む人間はあまり存在してはいないかと思いますが


それはこの社会の中で避けて通れない現象だと
アダムスキーは触れているわけです。


勿論この場合は想念の問題を無視すれば
誰が何を食べようがそれは同じ行為と看做される事になります。


動物や植物には上下関係などありませんし

特定の動物が食用でそれ以外が食用ではないというのは
私達人間が決めたルールや慣習だからです。


そして人間が万物にとっての奉仕者である事を求められるのと同時に
万物は人間に対して奉仕する事を求められているからです。


その奉仕の中には人間の食料となる事も
含まれているはずなのです。


それに宇宙の法則の記事でも触れたように
細胞レベルでいえば動植物の細胞を作っている元素は


人間の細胞の一部と化すことで確実な進化を果たす事になりますし
その後は有益な体験をする事にも繋がるのです。


そして一方人間同様、動植物にしてみても肉体は魂の器にしか過ぎません。


人間への奉仕を果たし、そのフォームに魂を維持できなくなった後は
速やかに転生することになるようです。


だからと言って無益な殺生は許されるわけはありません。


万物は全てが神の具現化した姿だからだと言うのが
ブラザーズもアダムスキーも触れているその理由です。


しかし同時に万物は低い生命現象として
殺生という機会を持ってもいる。。


そしてそれは肉体と言うフォームを維持するために
神が想定している行為でもあるはずです。


神は人間に万物の支配者となりうる能力を与えています。


旧約聖書の創世記では
人間が何を食べようと良いという趣旨の記述すら
ありました。


もちろんそれは無益な殺生を薦めるものではなくて
私達は万物を自らに奉仕させる事もできる存在であると言う
意味だと思います。


何を食べようが残酷なものは残酷であり
それを殺生と捉えるならば全ては殺生であり差は無いと思います。


そこに人間独自の価値観や習慣が入り込んでは
食べて良い物と悪いものを決めているのでしょうが
その価値観を他人に押し付ける行為は正しくないと思います。


神は創造物に対して食用であるとか
非食用であるとは決めてはいないはずだからです。


しかし想念レベルの私達への影響を捉えた時には、
私達は草食動物や植物を中心に食事をしたほうが
悪い影響を受けなくてすむと言う事も間違いないと思います。


もちろん食材を選択するのも私達の自由意志です。


ただ、そこでは体験や知恵や知識より
食生活もおのずと改善される事を神は予定していると思います。


そして究極的にはブラザーズのようなスタンスこそが正しいのだと思いますし
もしかしたら私達の祖先は彼らからそんな話を告げられ、
更に私達はその祖先からの影響を受け続けてきたのかもしれません。


その他でも低い生命現象と言えそうな
排泄行為にしても性行為にしても


それは公で見せるものではありませんし
かといってそれは排除したり禁止出来るものでもありません。


性行為に関しても食べ物に関しても
アダムスキーがブラザーズの習慣について触れなかったのは


それを意識すると、宗教の規約のごとく
変貌していく危険性を感じているからだと思います。


彼らは私達に自らが体験して
何事も判断していく事を求めているのだと思います。


アダムスキーはここで触れているように
この講座を学ぶにあたり


「酒はだめです」とか「タバコはいけません」とか


「肉食は禁止」です。


などと言った話は一切していません。


ブラザーズやアダムスキーの話からも判ることは
適度にこなす事に関しては問題の無いものであろうと言うことです。


勿論麻薬を適度にこなして
それが認められるわけはありませんが


性行為でも、飲酒でも、喫煙でも、肉食でも
それはその行為に著しく執着する事で私達にとって害になるものであり
適度にする分にはそれは悪とは言えないという事だと思います。


自ら禁欲を実践してはそれを強い価値観として持って、
その意識を他人に押し付けて善悪の判断をするような
おろかな行為は避けるべきだと思います。


ちなみに、アダムスキーはタバコも吸っていましたし
酒も嗜んでいたようです。


勿論、酒に飲まれるような飲み方が良いわけがありませんが
私達は過度な禁欲を求められている存在ではないと言うことです。


それが自分にとって良くないと判断すれば止めれば良いし
そうでなければ害の無い程度で続ければよい。


本来したくて我慢出来ない事を無理やり我慢する事で
今度は無自覚で精神を歪め、別の意味で心を暴走させるよりは


好む嗜好を適度にたしなんでリラックスする方が
心のためにもなるのではないでしょうか。


そして時には特定の個人からみると低い生命現象であっても
それは必要なのだとアダムスキーは触れています。


低い生命現象の中でも本来不要のものは
私達の精神の進化と共に改善され無くなっていく。。


無理やりそこだけを取り上げて押さえつけなくても
他にもっと大切な事があるのでは無いでしょうか?


と言う話でした。


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P.S.


ちなみにスペースブラザーズの世界には
喫煙という習慣は無いようです。


今のうちに沢山吸っておこうかと思います(苦笑)


ちなみに喫煙は巷に存在する洗脳薬を阻害する役目、
もしくは脳を活性化する機能があると思います。


子供の非行の防止のための喫煙強化と言う話もありましたし
TASPO導入でもありましたが


若いころから喫煙している人間の方が
洗脳しにくいのではないかとも私は想像しています。


つまり未成年者の喫煙強化の一番の目的は
若いころからの洗脳の徹底化だと私は思います。


タバコを取り上げて薬物や麻薬に走らせるほうが
よほど危険だと思いますが
それを誘導している人間達もいそうです。


若者が大麻や薬品に走るのを放置して
タバコの規制を徹底するのは
明らかに片手落ちですし、誘導だと判断しています。


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http://ameblo.jp/uruseiblog/entry-10534405549.html
酒を止めろ??
http://ameblo.jp/uruseiblog/entry-10643552745.html
コーヒーブレイク  タバコを悪者にするな
http://ameblo.jp/uruseiblog/entry-10778421789.html
コーヒーブレイク タバコを悪者にするな その2

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ここで、記憶細胞に関してアダムスキーが触れています。


私達の肉体の細胞の中には
精神に従って活動をする物の他に
心に従う細胞が存在しているそうです。


その細胞が心の記憶や価値観を記憶することで
その意識に私達が逆に影響を受けることもあるようです。


別の機会に詳細に触れることになると思いますが
その細胞に関しても本来は全てを
精神の指導の下に置くことも可能だと言います。


そうなる事で私達の心の暴走は
一段と抑える事も可能になるのだと想像できます。


ここでは超能力に関してテレパシーに関わるものを取り上げていますが
正直アダムスキーの記述の中にはその他の
能力に関しての詳細は見当たりません。


テレポーテーションのような能力は
存在するらしい記述はありました。


その技術の応用を利用しているような宇宙船に乗りこんで
土星まで通常よりもはるかに短い時間での旅行を行ったと言う話も
アダムスキーは触れています。


アダムスキーはその後大変だったようですが
要するに私達の細胞に至るまで
全てが精神を帯びたような究極の感覚を感じることになるようです。


おそらくは私達がそんなことが出来るようになるとすれば
それは私達の精神の進化の最終段階ではないかと思います。


ただ、多くの奇跡に関しては
聖書の中でイエスキリストが何度も自分の肉体を使用して
神の御業であると言いつつ示していますし


脳の使用状態や精神と神の意識関知の状態によっては
様々な事が可能なのかもしれません。


勿論その能力は神の意志によって実現するものだと
想像しています。


私達はその全てを神の意識の元に表現する存在なのだと言うことを
いつか深く理解できるその日が来るのだと思います。

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