続・宇宙の法則 VOL6 イエスの奥義前編 | 不幸のブログ 

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三次元と四次元の狭間 に関しての記事と生命の科学と宇宙の法則
について語ります。

どうしても呼吸への関与で苦しめたいか
顔面改造をしたい人間達が


異物をごっそり腸内に作り上げ
そこから電磁波で関与をし続けています。


以前からの関与と同じ気配を感じているので
件の工作員に協力し続けている有志達だと想像しています。


掲示板でも以前から頻繁に加害予告はありましたし
今度はそれを記事にしましょうか。。


今は密かに低周波の関与をも感じています。


薬品で人工痰も作っているのですが
おかげで喉への電磁波刺激が強いものがあります。

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今日はまずは生命の科学の中で


アダムスキーが三次元と四次元に関して
取り上げていた箇所からの引用です。


聖書のイエスキリストの奥義の正体、


それが四次元と三次元を理解して
魂から創造主の意識を感じてそれを表現する事だと
認識して頂きたくて書いてみました。


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人間の苦悩は四次元世界で始まります。
”感覚器官の心”としての人間は
原因の結果である三次元世界で働いているからです。


それゆえ人間は結果の世界に多くの時間を与えていて、
それを(結果の世界を)かなりよく理解しています。


しかし人間は自己の周囲の不可視の世界と
自分の住んでいる世界とを結びつけようとしてひどく苦しんでいます。


そして四次元を理解しようとして意識のかわりに心を用いながら混乱しています。


そして原因であるところの不可視の四次元世界に存在する
あまりに大きな相違のために、


長いあいだ三次元世界で教えられたように
四次元世界を理解するのは困難になっています。


古代人でさえも四次元を理解しませんでした。
もし理解していたなら天と地、原因と結果というふうに分類しなかったでしょう。


 時間の始まり以来、人間は自分と同じような
三次元の具体的事実を望もうとして自分を訓練してきました。
四次元を神秘と空論にしてしまったのです。


わずかにあちこちで一個人があらゆる次元の関連点を見ることができただけです。
そして本人がその体験の分析結果を表明しようとすると
ほとんどだれも相手にしないのが普通です。


 一例としてイエスは四次元を説明しようとしましたが、
現在でさえも彼の教えは理解されていません。


その結果、今後理解されるだろうという望みのもとに
四次元は生命の抽象的な側に置かれてしまったのです。


しかし人間はいまここでそれを理解しなければ
これから先それを理解できる機会はないでしょう。
人間は次にとるべき段階を知ってからその動機を理解できるのです。

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アダムスキーの生命の科学の一節です。


私たちは四次元を時々は感じながらも
それを心を持って認識しようとしています。


魂を想念の感覚器官と認識できない私達ですが、
視覚をもって音が聞こえないように
三次元の器官をもって四次元を認識することはできません。


結果、昨日の記事で取り上げたように、
私達は心で認識できない何かを感じながらも


その不可思議な現象をすべてオカルトといわれる分野へと
放り込むことになるのです。


私達の悲劇はここに始まるのです。


三次元と四次元の関係、そして私達がそれを
同時に生きている存在だと言うことを認識しなければ


私達は物質的側面のみ、自分達の肉体と自然法則とを理解できても、
魂や目に見えない法則を理解することはできません。


更に、一旦作り上げられたオカルトは
私達の四次元への認識の機会すら奪うものとなっています。


心を持って四次元を把握しようとする行為が
結果、オカルトを作り出し、私達の正しい理解を妨げている。


しかし現実には私達は未だにその事にさえ
気がつく事ができないでいます。


アダムスキーはここで、
「イエスキリストは四次元を説明しようとしていた」と触れています。


それは聖書の端々に表現されていますが
人々の理解を促すためにもその多くは三次元的に表現されています。


その中で、イエスがはっきりと四次元的な知識を語ったのは
例えば想念に関して、


更には「見えないものを理解できるものは幸いです」と言う言葉。


これはまさに四次元への理解を語った内容だと言えます。


イエスが奥義を一部の人間に限定的に伝えたのも
この事に由来するはずです。


今の私達よりも知識も思考能力も足りなかった人間達が
容易に四次元と言う世界を理解してくれるとは思えません。


語ったところでそれは理解されないでしょうし
だからこそイエスキリストは


この概念に関しても具体的に一般の人間相手に
語る事はなかったのだと思います。


そしてその集大成がイエスの神の国の奥義として
弟子達や側近の人間達にのみ語られることになったのだと思います

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イエスは答えて言われた。
「あなたがたには、天の御国の奥義を知ることが許されているが、
彼らには許されていません。」
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これは”12使徒が創造主に選ばれて
天の御国の奥義を知らされることになった”という意味ではなくて


イエスが奥義を伝えた人間達は、
能力的にその事を理解できるとイエスが判断した人間たちだったと
解釈すべきだと思います。


ここでの”許されている”と言うのは”許可されている”と言う意味ではなくて
”能力的に可能である”と解釈すべきです。


こじつければ、”能力的に可能だ”と言う状態は
それが”進化を遂げる事を創造主によって許された人間である”
と解釈することもできます。
(創造主の意志に叶い良い意味での法則の適用を受けていた)


イエスが教えた奥義の内容は
私達が生命の科学を通じて理解し実践している内容と
大差はありません。


おそらく、そこではイエスに拠って、
私達が三次元と四次元を同時に生きている存在であると言うことが
説明されたはずです。


「見えないものを信じることができるものは幸いです。」


これは単に、”目では認識できない天の国の存在を
信じることができるものは幸いだ”と触れていたのではなくて、


肉体の感覚器官である視覚では認識できない創造主の意識や、
諸法則を理解できるものは幸いですと言う意味だと思います。


その人間はおそらく魂の進化を得て天の国に
(記憶を持っての他の惑星への転生)入ることにもなります。


このイエスの教えは12使徒によって述べ伝えられ、
使徒は聖書の中で三次元と四次元の存在を
私達の理解の範囲で取り上げて語っていました。


例えば、四次元に関わることや
宇宙を指し示す時はそれを”天”と呼び


三次元や地球社会にかかわる事を”地”と呼び分類し
その理解を求めたと想像しています。


”御国の言葉”と聖書に記述があれば
それは四次元の創造主の意識、


もしくはブラザーズからのテレパシーとして
伝えられた言葉と解釈すべきです。


それは地球社会の中で私達が作り上げたり
着飾った言葉ではないわけです。


”肉に属する”とあればそれは三次元の象徴ですし
脳機能としての”心”について触れているのですし、


”御霊に属する”とあればそれは四次元の象徴ですし
私達の魂、創造主の意識を意味していると判断できます。


”精霊”という言い方をしていたものに関しては
聖書の前後の記述からも理解できるように


それは創造主の意識からの閃きや印象
もしくは彼らをサポートしていたブラザーズからのテレパシーです。


”この世の霊を受けたのではなくて
神の御霊をうけました”とあれば、


この社会の想念をテレパシーとして受けたのではなくて
創造主の意識から、印象、ひらめき啓示をうけましたと解釈できます。


つまり聖書の中の霊という存在は
そのまま”想念”に置き換えることができることも判ります。


精霊は創造主の意識からの想念
悪霊はこの社会の悪しき想念です。


ガラテヤ5章

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肉の行いは明白であって、次のようなものです。不品行、汚れ、好色、

偶像礼拝、魔術、敵意、争い、そねみ、憤り、党派心、分裂、分派、

ねたみ、酩酊、遊興、そういった類のものです。


前にもあらかじめ言ったように、
私は今もあなたがたにあらかじめ言っておきます。


こんなことをしている者たちが神の国を相続することはありません。


しかし、御霊の実は、愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、


柔和、自制です。このようなものを禁ずる律法はありません。

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ここでは肉として心のエゴのもたらすものを取り上げていますし
精霊の実として私達の魂を取り上げています。


心が私達に齎す意識や想念が上段のものであり
魂が私達に齎す思いが下段のものです。


いうまでもなく前者は私達がこの社会の中で
エゴに囚われていることで心が齎すものですし


後者は魂からの真理として
私達が感じる羽目になるものです。


ローマ人への手紙8章

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それは、肉に従って歩まず、御霊に従って歩む私たちの中に、
律法の要求が全うされるためなのです。


肉に従う者は肉的なことをもっぱら考えますが、
御霊に従う者は御霊に属することをひたすら考えます。


肉の思いは死であり、御霊による思いは、いのちと平安です。
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ここでの引用も同様で、
肉に従うと言うのは”肉体をつかさどる心に従う”と言う意味ですし
御霊に従うと言うのは”創造主の分身でもある魂に従う”と言うことです。


三次元に囚われている私達は
もっぱら心の意識に拘ってエゴや本能にばかりに従っていますが
そんな人間はイエスの言っていた神の国に入ることはできません。


人間の本来持つべき意識の経路としての魂からの
ささやきを無視しているからです。


ここでの死はエゴからくる私達の第二の死=魂の消滅のことで
命と平安というのは永遠の生の事だと解釈することができます。


四次元的な存在でもある想念の大切さを
イエスの奥義を理解したパウロが
理解者に説明しているわけです。


つまりイエスの奥義は”肉体と御霊 心と魂を別に捕らえ
それぞれの性質と私達のあるべき行き方を
想念(精霊)の働きを持って説明している”ことになります。
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パウロが精霊の齎すものとして
具体例を挙げて説明している箇所があります。


まず御霊なるものは特定の人間にだけ宿るのではなくて
人間は御霊を持っているという認識を示した箇所です。


コリントⅠ 3章
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あなたがたは神の神殿であり、
神の御霊があなたがたに宿っておられることを知らないのですか。


もし、だれかが神の神殿をこわすなら、神がその人を滅ぼされます。
神の神殿は聖なるものだからです。

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パウロは私達が神の神殿であり
私達は御霊を宿していると語っています。


これは三次元の肉体は
魂と言う創造主の意識の分身の器であると言う
ブラザーズのマスターの話にも繋がって行きます。


そしてそれを壊すことを批判しています。


次に御霊の働きです。


コリントⅠ 12章

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さて、賜物にはいろいろの種類がありますが、御霊は同じ御霊です。

奉仕にはいろいろの種類がありますが、主は同じ主です。


働きにはいろいろの種類がありますが、
神はすべての人の中ですべての働きをなさる同じ神です。


しかし、みなの益となるために、おのおのに御霊の現れが与えられているのです。


ある人には御霊によって知恵のことばが与えられ、
ほかの人には同じ御霊にかなう知識のことばが与えられ、


またある人には同じ御霊による信仰が与えられ、
ある人には同一の御霊によって、いやしの賜物が与えられ、


ある人には奇蹟を行う力、ある人には預言、ある人には霊を見分ける力、
ある人には異言、ある人には異言を解き明かす力が与えられています。


しかし同一の御霊がこれらすべてのことをなさるのであって、
みこころのままに、おのおのにそれぞれの賜物を分け与えてくださるのです

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ここでは精霊と神を同一視して説明していることに
気がつくかと思います。


【神はすべての人の中ですべての働きをなさる同じ神です。】


前後の文脈からも、
これは私達の中での精霊の働きを取り上げていると思います。


御霊=魂そのものというよりも、
そこに注がれてくる創造主の意識からのエネルギーとして
理解してもらえば、精霊が理解しやすいと思います。


私達は魂への経路を意識することで、
今度はこの魂から創造主へのエネルギーの経路が
さらに強くなると考えて頂ければと思います。


以前にも取り上げましたが
三次元と四次元を同時に生きている私達のイメージを、


四次元からへその緒のごとく経路が伸びていて
それが私達一人一人の魂へのつながっていて


さらにその魂は私達の肉体全身を
覆っていると想像してみて下さい。


肉体としての私達は食物を食べる事で
三次元の肉体を保つことになりますが


一方では私達は”想う”度に
想念というエネルギーを全身から発します。


そのエネルギーは魂から発せられていて
その魂のエネルギーは
創造主の意識の経路から届けられていると想像するのです。


その創造主から魂へと送られるのが、
精霊という名の創造主の想念であるエネルギーと理解すれば


精霊と御霊と創造主(の意志としての残像思念)の関係も
理解できるはずです。


そして心ではなくて魂を感じている人間ほど
創造主ー魂ー意識としての経路を強く持つことになりますし
言い換えればそのパイプは太くなります。


結果そこから得られるエネルギーも大きなものとなるわけです。


意識の経路として魂を感じている人間は
今度は脳の進化が始まります。


その脳の進化は未使用領域の開花、新たな脳細胞の増殖と言う形で
私達に新たな力を与えることになります。


その結果、長い目で見れば
私達には予知や癒しや千里眼などといった
未知能力が開花することにもなるのです。


そこまで進まなくても、
魂と言う、創造主の意志を受け止める存在に気がつくことで
信仰を強める事にもつながりますし 


創造主の意志をイメージとして受け止め
それを実践することも可能になります。


そしてそれを実践しているのが
私達覚醒者だということです。


イエスキリストや使徒達が”精霊”と言っていたのは
創造主の意識からのエネルギーのことで、
これは天に属する想念と言うことになります。


使徒達は、時には創造主の意識からではなく
ブラザーズからのテレパシーとして受け止めて


それを創造主の意志だと捉えていたような事もありそうですが、
そんな些細なことは問題にはなりません。


イエスキリストの教えを理解するためには
このような一連の知識とその実践が必要だということ。


そしてそれを集約したものが
イエスの奥義だという理解をするのが良いと思います。


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このイエスキリストの神の国の奥義を
”奥義”と呼ばせるその理由は、
自ら体験してみなければ理解できないかも知れません。


これを使用して創造主の意志に関して語ろうとする時に、


単なる知識の羅列や脳の記憶と記憶の結びつき以外に


私達は創造主からの意志を魂を持って感じ
その印象をそのまま語る事になるからです。


その時意識の半分は、
脳ではない場所へと向けられているはずです。


私達は心と同時に魂を感じて、
そこから湧き上がるイメージ含めて
それを言葉として語ることになるのです。


パウロは手紙でもそれを実践していた気配ですし
コリント人への手紙の中でもこう語っていました。

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そして、私のことばと私の宣教とは、
説得力のある知恵のことばによって行われたものではなく、
御霊と御力の現れでした。


それは、あなたがたの持つ信仰が、人間の知恵にささえられず、
神の力にささえられるためでした。


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その信仰が人間の知恵によって支えられるのではなくて
神の力によって支えられるために、
パウロは心を持って人間の価値観を語ったわけではないと触れているのです。


これが100%、パウロの魂が受け止めた創造主の意識だったのか、
もしかしたら天使達(ブラザーズです)の
テレパシーによるものだったのかは不明ですが


パウロはその魂の受け止めた創造主の法の印象を
受け止めた通りに弟子達に語った事を示しています。


イエスキリストの12使徒への教えの中でも
こんな一節がありました。


マルコ13章
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彼らに捕らえられ、引き渡されたとき、
何と言おうかなどと案じるには及びません。


ただ、そのとき自分に示されることを、話なさい。
話すのはあなたがたではなく、聖霊です。

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ここではイエスは話すのは自分ではなくて
精霊だといっています。


そしてこれはパウロがコリント人への手紙で触れている
”御霊と御力の現れ”と同じものであることは言うまでもありません。


その時私達は、心を使用して人間としての
価値観を語るのではなくて


魂に感じた創造主の意識を口にしている。。。


そう言っても良いかと思います。


今ではすっかり脳を壊された私ですが
室内で生命の科学を語り始めた当初は
私も魂からの閃きを頻繁に感じ、


言葉はとめどなく流れ続けていた事もありました。


私のそんな実態を、
自分達の組織の仲間に知られ渡るのを嫌った闇政府の傀儡達が
私の思考能力を壊し続けてくれたようですし


魂への経路まで封印するような事を繰り返されて、
今では心の中の記憶を思い出すことすら大変になっていますが、


私は過去には身をもってその体験をしています。


だからこそパウロや弟子達が言っている
この”御霊と御力の現れ”がとてもよく理解できるのです。


魂の経路が強く確保されていて
なお且つ心を司る脳機能が冴えていれば


私達は何を語ろうかと一々考えなくても
とめどなく流れてくるイメージを言葉に変えていくような
そんな体験をする事になります。


時には、その時まで思いつかなかったような発見まで
齎される事もありますし


私はそれを繰り返しているうちに、
”生命の科学”に関しても繰り返し本を読んで理解に勤めるまでなく
気がつくと理解が深まって居たのだと想像しています。
(できれば日々読み続けて下さい)


つまりイエスの奥義を奥義と言わしめたのは
まるで自分の意志とは無関係にいうべきことが脳裏にひらめく
そんな状況になるためだと思います。


秘術でもオカルトでもなく、
単にその時私達は魂の経路を強く意識しているだけなのですが


そこから湧き出てくるイメージは
時には私達の心の持っている物とは全く異なるのです。
(自分の脳の記憶に閃きが重なるような事も頻繁になります)


そしてそんなことがあるからこそ、
私は皆に、他人へ生命の科学や宇宙の法則を
言葉で説明する練習を勧めたいのです。


私の場合は室内を盗聴している人間達を想定して
それに対して語りかけていましたが


他人に真理を理解させたいと言う意識を持っていて、
その内容も創造主の意志に近いものであるからこそ
その時に魂の意識を強く感じる事になるのだと思います。


時には自分の意識が創造主の意識と重なっている。。。
そんな感覚すら覚える事もありました。


そしてそれを、創造主の意識を十分に受け止めることのできる
イエスキリストがやるとどんなことになるのか。。。


神々しくて人の姿をした神の様に感じることでしょう。


理解できない人間達にとってはイエスの奥義は
神の冒涜行為ともなりかねないものです。


しかしそこで、語る内容を秩序立てて
判り易く説明する事が出来れば


普遍的真理は誤解を受けることなく
広がっていくかもしれません。


【地球人の神は遠い場所にいるのではなく、
近くの万象の中に、人間自身の内部にいる】


私達にとっては近くて遠い創造主の意識ですが、


それでも私達覚醒者と理解者は
この社会の中では神の意識に一番近い所にいるのです。

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P.S.


イエスの奥義を理解できない人間が
聖書を心を持って解釈するから


いつまで経ってもイエスの真の教えは
理解されないままでいる。


そしてパウロの言葉が寝言にされてしまうのです。


私達は聖書の記述の中から
誤りや改ざん箇所すら見つける事が出来るはずです。


それは私達が普遍的真理の骨格を理解しているからですし、

その事こそが魂の進化のために一番重要なことだと思います。


イエスの奥義を理解して
創造主の意識を感じている人間がそれを実践すると
自分が創造主の意識を感じられない人間に
神の冒涜者として責め立てられる事になり


イエスの奥義の使い手は、
時間とともに減っていったでしょうし


おそらく時の支配者やユダヤ教徒長老会などは
それを止めさせようとしたでしょうね。


辛うじて伝承が続いていたとしても、
それが明らかになる事があれば、


少数派信者の迫害となっていったかもしれませんし、
魔女狩りのような事にもつながっていったかもしれません。


その結果真理は封印されて、
人々の意識はますます創造主の意識から乖離する事になるのですから
イエスの奥義を隠し続けてきた人間達の罪はとても重いのだと思います。

http://ameblo.jp/uruseiblog/entry-11301379416.html
聖書のイエスキリストの奥義 改
http://ameblo.jp/uruseiblog/entry-11269525578.html
続・宇宙の法則
http://ameblo.jp/uruseiblog/entry-11324048053.html
続・宇宙の法則 VOL2 輪廻と転生の法則
http://ameblo.jp/uruseiblog/entry-11328167085.html
続・宇宙の法則 VOL3 意識の経路 
http://ameblo.jp/uruseiblog/entry-11328374408.html
続・宇宙の法則 VOL4   心とエゴ

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ファティマとマリア信仰と偶像崇拝