最後の審判と転生の法則 | 不幸のブログ 

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三次元と四次元の狭間 に関しての記事と生命の科学と宇宙の法則
について語ります。



今日二つ目の記事です。


今日は私のような被害者が
頻繁に意識しているであろう転生の法則、
聖書で言うところの”審判”に関して触れてみます。


”最後の審判”は、ある日突然やってきて
全人類が裁きを受けると言うものではないという話です。


覚醒者と理解者には説明するまでもないのでしょうが
多くのクリスチャンがイエスキリストの教えを
正しく理解するためのきっかけになってくれればと思います。


私が聖書や生命の科学に関する記事を書くのを
加害者たちが嫌うのは


単に彼ら地球の法則の信奉者が
宇宙の法則を”普遍的真理”と認めたくないだけでなく、


自分たちの組織の中から理解者が増えてくることで
自分たちが取り残されることや、
組織力が低下することを嫌っているのだと思います。


それにおそらくは精神話をしている人間を
攻撃するのは罰が悪いのでしょうね。


だから本当は私が被害を訴え、
本当の意味で差別的な記事を頻発することを
願っているのかもしれません。


今日はこの後寝込む予定です(苦笑)


胃腸への照射、性器への照射、


外では胃腸に影響をもたらすにおいの強い薬品の散布。


加害者有志たちはやりたい放題です。


腰や背中や足元や腹筋と
ありとあらゆる場所からマイクロ波らしきものは入ってきますし
胃腸には妙な照射線です。


戦いたい人間たち、
そしてそのことで怒りや闘争心が満たされる人間たちが
私の周辺には集まってきているのでしょうね。


そしてそんな人間達のストレス発散にも
されているのかもしれません。


勿論私の存在が邪魔で仕方がない人間達が
その大元にいることはいうまでもありません。


私もかなり精神状態は落とされています。


ただ、ここでも私をなだめようと言う照射も
脳へと受けていて、それが管理のためなのか
私への応援なのかは不明です。


皆は私のブログでの暴れっぷりを反面教師としてもよいと思いますし、
私の置かれている状態がこの社会の実態だと言うことも
是非理解して頂ければと思います。


私は、こんな馬鹿な奴もいるのだと言うことを
皆に見せ付けているのかもしれませんね(苦笑)


でっかい恐竜に一匹の虫が
抵抗しているようなものですし。。。。


しかしアダムスキーとスペースブラザーズからは
私達は学べることが沢山ある。


私のブログを知って間もない方は
私の記事からその事だけでも感じていただければ幸いです。


そして理解者と覚醒者には
私の記事が新たな閃きのきっかけになってくれることを願います。


できる事なら、創造主の意識を感じてそれを語り
イエスの奥義、生命の科学を広報していただきたいです。



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47 :リンゴクリスチャン ◆oPXbhrKCUQ :2012/08/02(木) 20:00:15.04 ID:1UX+y64Z
「彼はまた、幕屋と儀式用の器具すべてにも、同様に血をふりかけました。

こうして、ほとんどすべての物が、律法に従い、

血によって清められたのです。血を流すことなしには、罪のゆるしはあり得ないからです」。

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昨日もふれた血の儀式の話を
クリスチャンが旧約聖書から引用していました。


そんな儀式を要求していたのが旧約聖書の人格神。


血を流さずして罪の許しがないのなら
私たちの社会では誰一人罪を許される人間はいないことになります。


そしてこのような方はいうのでしょう。


「イエスキリストの血がすべての人間の罪をお許しになった」とです。


現実にそんな事が有り得るかどうか、
宗教としてではなくて論理的に考えてみれば良いのだと思います。


信じれば救われる。


自分は労せずして天国へと進むことができる。


エゴと罪だらけの人間にとって都合の良い、そんな話が現実的かどうか
そして創造主の法がそんな不条理なものであるのかどうかをです。


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9 :シオン◆noAUzLkpam8b :2012/06/10(日)15:23:09 ID:???
キリスト教徒の方々は、キリスト教の信仰を全うすべきです。

そうすれば、後数年後に全世界的に神が下す最後の審判の時、天国へ導びかれるはず。

それにキリスト教を信じる者は救われる。←これに異論はない。

それゆえキリスト教の宣教などは阻害してはなりません。

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いつも記事で触れているような内容に関しては
詳細は触れませんが、


キリスト教の信仰なるものをどう捉えているのかということと、
キリスト教を信じるものが救われると言う誤った意識です。


キリスト教を信じる人間が救われるのではなくて
イエスキリストの主張していた
創造主の御心を実践する人間こそが救われる。


救われると言っても、
それは形式的なことを行った結果ではないと言うことを
私達は理解しています。


創造主の御心の原点は間違いなく道徳であり
クリスチャンでなくても道徳を実践し続けている人間は
救われることになります。


その実質を捉えて考えると
そんな人間は間違いなく意識の経路として
魂を強く感じていると思います。


それが無自覚でもです。


生命の科学的に説明すれば、
人があるべき姿で生きるとき


そして人が持つべき道徳心を持って生きていると、
私達は魂と言う私達の実態への意識の経路を強く持つことになり、
精神の進化は進むのです。


精神の進化がすすめば
私達は自分達の肉体が滅んだ時に
その時の魂の状態に妥当な肉体へと生まれ変わることになります。


その時に私達が、前世の記憶をも持ち続けることができる様な
環境へと転生していくことを、
イエスは”永遠の命”へと進むと触れました。


そして天国とは私達の地球から見て天にある国。


つまりは他の惑星を指し示して言葉であって、
イエスキリストの念頭にあったのは
間違いなく彼の暮らしていた星である金星のことです。


そこは私達地球と比べると
争いもなく、長寿で、皆が平等に暮らせる平和な社会。


それをイエスは天国と呼んだのです。


つまり私達は大きな勘違いをしていました。


ひとつには天国が霊界のような
魂の集う場所であると考えていたこと。


そしてもう一つは、
そこに行く為の私達のあるべき生き方をです。


「創造主の法の存在を知り、
その法に従って生きることで精神的な進化を果たし、
結果として記憶を持った転生へと進みなさい。」


これこそがイエスキリストが私達に指し示した
”天の国に入る方法”に他なりません。


そしてそのためにも
イエスは自分の教えを理解し実践しなさいと
触れたはずです。


しかしこの社会での多くのキリスト教徒は
イエスの教えを実践する以前に、


イエスキリストを信じ、
イエスの教えの形式的な側面を取り上げたに過ぎないキリスト教を信じれば
天国にいけるのだと思い込んでいるのです。

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この方は典型的なクリスチャンと同様に
”最後の審判”と言う聖書の話を信じているようです。


多くのクリスチャンが意識しているのは
私達の社会にはいずれ”最後の審判”と言われる
裁きの時がやってくると言う話です。


その時社会は乱れ、人の心は荒み乾き果て天変地異が続き、
地球環境は悪化することになる。。。


大きな戦争が起こり、疫病や飢饉に見舞われ、
最後には天からイエスがやってきて信者を救済してくれる。


簡単に説明すればそんな話になると思います。


しかし”ヨハネの黙示録”といわれる聖書の記述が
私達の判断を誤らす原因にもなっていると思います。


私達に対しての創造主の審判は、
一時に全員に対して行われるのではないのです。


それは個々の肉体が滅び、
私達が死と呼んでいる状態になった時に
一人一人の死に対して行われるものです。


アダムスキーが”転生の法則”と言っていたものこそが
私達一人一人に対しての最後の審判に他なりません。


その時私達は創造主の法則によって魂を評価され、
その状態にふさわしい肉体を得るための場所へと
転生していくことになります。


私達は半永久的な人生を生きている存在ですから、
審判は何度も繰りかえし行われていることになります。


父の元に帰った魂、
人間としてあるべく姿に立ち返ることのできた魂は
永遠の生といわれる記憶を持った生へと進むことになる。


そうでない魂は覚醒を果たすために
学ぶべき課題を学びやすい環境へと転生していくことになる。


それが転生の法則だと思います。


ただ、私達の社会にはもう一つ大きな
創造主の法の関与があります。


個々の人間に対する創造主の法の適用以外に
地球規模に創造主の法が働くことがあるのです。


創造主の意識からかけ離れた存在は
その存在を維持し続けることはできない。


これは創造主の法則の原則だと思います。


この三次元社会が四次元における
創造主の残像思念の具現化したものであり


そこでの存在は
創造主の意志からかけ離れない限り
存在しうるわけで、


創造主の予定からかけ離れたものは
その存在を永続することはできない。。。


それは私達個人の魂だけではなくて、
地球文明も同じことが言えます。


スペースブラザーズはその惑星の波動は
そこに住んでいる人間の想念によって決まるのだと話していました。


つまりこの地球社会の波動を作り上げているのは
そこで暮らしている
私達の想念であると言うことになります。


その私達が創造主の意志とはかけ離れた意識を持っていて
その意識で文明を作り上げていれば
地球社会の波動はどんどんと低くなっていきますし、


そのひずみはいずれ大きくなって
私達の周囲に張り巡らされている創造主の法に触れることになります。


その時には地球には大きな異変が起きることになり、
黙示録やイエスキリストが指摘していた地球規模の異変とは
そのことに触れていたのだと考えるべきです。


今では認識することもできない古代文明が
過去に地球上で何度も作り上げられては滅んで行ったのは、


そこで暮らす人間の意識が創造主の意識からかけ離れ、
その結果、戦争が引き起こされ自ら殺戮や破壊を繰り返したこと、


その結果自然の介入があったことに由来すると
アダムスキーも触れていました。


地球規模での自浄作用がこの社会に大きな異変をもたらし、
地球社会の浄化と再構築を促したのだと言えます。


そしてそれと同じことが
創造主の意識からかけ離れた人間達で満ちた今の社会に
近い将来起きる可能性があるのです。


それはポールシフトと言う形で引き起こり、
私達の地球の陸地と海洋の構成をも
変貌しうるものだと言うことです。


そんな大異変の前には地球には見えない変動が
起き続けることになります。


そしてその見えない異変が
私達の肉体に対して目に見えない変化をもたらし


”心”という、肉体に帰属している意識の経路ばかりを
使用して生きている私達は、
その変化を直撃されることになるのです。


その変化は私たちの心の不安や恐れなど
負の想念を増幅するものであると言います。


その結果、心ばかりに従って生きている人間ほど
その影響を強く受けて、


私達の社会では
人の心もどんどんと道徳からかけ離れていくことになる。


結果、その状態で出来上がっていく文明もその影響を受けますし
人間の発する想念も低い意識のものになり、


それが地球の波動を下げて、
結果として創造主の法に抵触することになる。


地殻変動や天変地異が起こり
私達が黙示録と呼んでいる聖書の記述のような社会が
現実に引き起こされることになるのです。


そして一部のクリスチャンは、
そのときにこそ最後の審判を受けることになり


クリスチャンである自分達は
その時にこそ天国にいけるのだと信じているのです。


しかし実際には、私達が肉体を失い転生していくときと同じことが、

大規模の破局と壊滅により多くの人間が一度に死ぬことで
一時に多くの人間に対してもたらされるに過ぎませんし、


個々の人間に対する個人への審判が
その時大勢の人間に対して一斉におきるのだと
考えるべきだと思います。


ブラザーズやアダムスキーは
地球社会はそんな状態を逃れる事も可能だと話していました。


私達が生き方を変えて、
私達が発する想念が地球に良い影響を
与えるようになればの話です。


しかし誤った、創造主や神や仏への信仰を持っている人間達は、
その時こそ自分が救われて天国にいけるのだと信じて疑っていないのです。


結果からいえばイエスキリストが言っていたように
永遠の命へ入る門は狭く、その道は細く
大勢の人間が広き誤った門へと進んでいるのにです。


自分の魂の進化など意識することもなく、
単にイエスの教えと自分達が受け止めている内容を信じ


”キリスト教”と言う名の
人の作り上げあげた宗教と化した誤ったイエスの教えを
普遍的真理であると勘違いしているからです。


聖書の記述にある黙示録の”最後の審判”などは
この社会に来ないほうが良いのです。


それがこの社会にもたらすものは文明の崩壊であり、
同時に創造主の作り上げた秩序の回復に他ならないからです。


創造主の法の秩序が回復することは喜べても、
自分が暮らしてきたその社会の崩壊を
喜ぶ人間は多くはないと思います。


更にこの終末思想は一つ間違えば文明の崩壊や
最後の審判を期待する思想へと変貌します。


自分達はその時にこそ王となり、
イエスキリストと共にこの社会で永遠を生きることができると信じる、


いわゆる選民思想といえるものを
持たされている人間達がいるからです。


最後の審判を待ち望むクリスチャンは
少なくないと思いますが


最後の審判(死んだ時の転生の法則)を受けても
その時に希望通りに永遠の命(記憶を持った転生)を
手にいれることのできる人間は、


今の状況では殆ど存在してはいないと言う
その実態に気がついて


私達が人として持つべ意識を持ち創造主の下へ立ち返り、
その御心と言われる創造主の意志にかなった生き方を
実践していって欲しいと思います。


以前に取り上げたアダムスキーの話を
参考のためにもう一度引用します。

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その前にことわっておきますが、
私はいかなる宗教的教えも、オカルトの角度からは全く信じていません。
それが全く論理的でないからです。


私はいかに宗教的な教えであっても、他の理論を吟味するときと
全く同じような感覚で吟味しています。


常に真実を知りたいからです。


たとえば、ある教えによれば、人間は死んだ後に土に埋められてから、
およそ六フィートほどの深さの所で、


天使ガブリエルがラッパを吹くまでのあいだ
横たわっているということになっています。


そして彼がラッパを吹いたら
死人は野ウサギのように墓から飛び出してふたたび地上を走りまわるといわれています。


 でも考えてみて下さい。


もし誰もが次々と肉体に戻ったとしたらどうなるでしょう。


人間の体重は平均五〇一六〇キロもあるんです。
その一方で地球がたくわえている土の量には限度があります。


そのうち皆さんの肉体を構成するための土が足りなくなってしまうでしょう。
また、たとえ土が充分にあったとしても、地球が作られでもしない限り、
人間は地球上から溢れてしまうことになります。


 また、別のオカルト信者たちはこんなことも言っています。


 「あんたは死んだら空間つまり霊界内を漂う霊になるんだ」


 霊界にはいかなる樹木も生えていません。
ということは、そこに行ったとき、皆さんは木の枝に
とまってひと休みすることもできないんです(笑い)。


これは大変なことです。ずIっと飛び回っていなくてはならないんです。
たとえ霊であっても、ときには一休みして周囲をゆっくりと見回し
たりすることが必要ですからね。


 いずれにせよ、人間が死んだら雛になって漂うという考え方は
私には全く理解できません。
全く非論理的なことであるからです。


 自然は常に活動をつづけています。
その活動は決して止まることはありません。
「意識」は絶対に停止しないんです。


夜間に休息をとるのは「心」だけです。
それは眠り、それ自身と肉体とに休息を与えます。


 しかし「意識」は決して眠りません。
それは絶対に停止しません。


もしそれが睡眠中に停止したならば、次の日の朝、
肉体は死体に変わっていることになります。


結局「意識」すなわち我々の本質は決して疲れず、決して眠らず、
常にあらゆる所に存在しているんです。


そして私はこれまでに、その「意識」を通じて
さまざまなことを探求してきました。

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繰り返しになりますがアダムスキーが”意識”と表現しているものは
私が記事で精神=魂と触れているものと同じです。


一部のキリスト教徒が主張するように
最後の審判がやってきて、


その日にはそれまでに過去に死んだすべての人間が生き返ることになれば、
そのときはこの地球社会の元素が足りなくなってしまうことでしょう。


私たちの以前の常識では、死んでいった人間の数だけ
魂が存在することになります。


そして一部のキリスト教では最後の晩餐のときに
過去からのすべての人間が全員よみがえり
創造主の審判を受けることになります。


一方霊界があるのならそこは今頃無数の霊であふれていて
自分の休む場所もないかもしれません。


勿論これらのアダムスキーの話は
現実にはそんなことはありえないということが前提で
既存の価値観を揶揄したものです。


私達は自分達の死後どうなるかを理解しています。


しかし多くの人間がそれを理解していないからこそ
この社会には多くの悲劇が続いているのです。


多くの人間が自分という存在に関して
正しく理解できるようになれば
この社会も変わっていくことができる。


そのためにも私達覚醒者は、正しい創造主の法である
宇宙の法則を広報し続けて行きましょう。


【地球人の神様は遠い場所にいるのではなく、
近くの万象の中に、自分自身の内部にいる】


この社会を天国にするのも地獄にしているのも全ては
その社会で生きている人間次第。


そして見えなくても創造主の法は作用し続けている。


私達覚醒者と予備軍は、
誰よりもそのことを意識して生きているのだと思います。
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