真訳聖書 VOL12 | 不幸のブログ 

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三次元と四次元の狭間 に関しての記事と生命の科学と宇宙の法則
について語ります。

昨日は食事は一食だけですし
量も多くはなかったのですが


今朝は起きると顔だけが浮腫みまくっても居ました。


私の風貌がどの程度変わっているのかは
加害者達であればとても良く理解していると思います。


何から何まで他人を陥れる事ばかり。。。


今も胃腸に異物を貼り付けては
顔への関与が始まりました。


鼻と口元ですからブタ鼻にヒョットコ口の関与らしいです。


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私の今の精神状態では
このような精神的な記事を書いている気分でもありませんし
それをかけるような脳の回転でもありません。


かといって論理的に記事を書くにも
今度は右脳と左脳との両方を平行して
機能低下されている気配も感じています。


つまり記事を書くにも言葉が出てこなかったり
論理的な話がかけなかったり
その上に閃きも感じませんし最悪なのです。


それを徐々に進行すれば
自然を装って私を彼らにとって無害な人間へと
作り変えることが出来るのかもしれません。


彼らは正しいことであろうと
自分達の価値観と合わないことは
一切認めるつもりはないようです。


そして認めないだけでなくて
それを人に広報する事さえ妨害しているのです。


更に記事を書いている私自身をも
自分達と同じ意識のレベルにまで貶めようとしている。


私は出来る限りは努力しますが
精神の進化の進んでいる皆の役に立てない人間に
成り下がる可能性も出てきています。


でも生命の科学は元々が自らが学んで実践するものです。


一旦身についたその知識は、
そして一旦気がついてしまった精神の存在だけは


決して誰の妨害も受けることもなく
皆の力となってくれると思います。


後心配すべきは私のように脳を操作されて
記憶消去されたり意識にまで影響を受けないこと。


それに対抗する強い意志を持って
宇宙の法則を実践していく事。。


人間の小賢しい知恵で作り上げた科学力の存在は
宇宙の法則の前では無力である事をぜひ
彼らに知らしめてやって欲しいと思います。


私も努力します。
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今日は聖書からの引用です。


宗教に関しても触れていますので
熱心な宗教信者は読まないで下さい。


読むことで不要な怒りの想念をこれ以上
発散しないで下さい。


私は理解者が読んで理解を深めてくれることと
それによって覚醒者が増えて
良い想念を出してくれる事を期待しています。


折角のそんな効果を負の効果で消されることは
本位ではないのです。


客観的に物事を眺める事の出来ない人にとっては
事実であってもそれが”理解”ではなくて”批判”になる事も
よく理解できていますが、触れずに居られないこともあるのです。
(今記事を書いていて直腸に激しい照射を受けました)


ヨハネの福音書に関しては
あまり参考にしたくはないのですが
(改竄の可能性が高いからです)
参考になる記述があったので取り上げてみました。


聖書関係の今後の記事は
マタイの福音書からの引用が増えると思います。


私が聖書で参考にしているのは
新約聖書のイエスの言葉であり、


歴史書としての旧約聖書の記述です。


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ヨハネ八章


イエスは、また人々に語ってこう言われた、


「私は世の光である。私に従って来る者は、
闇のうちを歩く事がなく、命の光をもつであろう」。


するとパリサイ人たちがイエスに言った、
「貴方は、自分の事を証している。貴方の証は真実ではない」。


イエスは彼らに答えて言われた、
「例え、私が自分のことを証てても、私の証は真実である。
それは、私はどこから来たのか、また、どこへ行くのかを知っているからである。


しかし、貴方がたは、私がとこから来て、どこへ行くのかを知らない。
貴方がたは肉によって人を裁くが、私は誰も裁かない。


しかし、もし私が裁くとすれば、私の裁きは正しい。


なぜなら、私は一人ではなく、私を遣わされた方が、
私と一緒だからである。


貴方がたの律法には、二人による証言は真実だと、書いてある。


私自身の事を証するのは、私であるし、
私を遣わされた父も、私の事を証して下さるのである」。


すると、彼らはイエスに言った、「貴方の父はどこにいるのか」。
イエスは答えられた、「貴方がたは、私をも私の父をも知っていない。
もし、貴方がたが私を知っていたなら、私の父をも知っていたであろう」。


イエスが宮の内で教えていた時、
これらの言葉を賽銭箱のそばで語られたのであるが、
イエスの時が未だ来ていなかったので、誰も捕らえる者がなかった。


さて、また彼らに言われた、
「私は去って行く。貴方がたは私を捜し求めるであろう。
そして自分の罪の内に死ぬであろう。
私の行く所には、貴方がたは来る事ができない」。


そこでユダヤ人たちは言った、


「私の行く所に、貴方がたは来る事ができないと、言ったのは、
あるいは自殺でもしようとするつもりか」。


イエスは彼らに言われた、
「貴方がたは下から出た者だが、私は上から来た者である。
貴方がたはこの世の者であるが、私はこの世の者ではない。


だから私は、貴方がたは自分の罪のうちに
死ぬであろうと、言ったのである。


もし私はがそういう者である事を貴方がたが信じなければ、
罪の内に死ぬ事になるからである」


そこで彼らはイエスに言った、「貴方は、一体、どういうかたですか」。


イエスは彼らに言われた、
「私ががどういう者であるかは、
初めから貴方がたに言っているではないか。


貴方がたについて、私の言うべきこと、
裁くべき事が、沢山ある。


しかし、私を遣わされた方は真実な方である。
私は、その方から聞いたままを世に向かって語るのである」。


彼らは、イエスが父について話しておられた事を悟らなかった。


そこでイエスは言われた、


「貴方がたが人の子を上げてしまった後はじめて、
私がそういう者である事、また、私は自分からは何もせず、
ただ父が教えて下さったままを話していた事が、解ってくるであろう。


私を遣わされた方は、私と一緒におられる。
私は、いつも神の御心に叶う事をしているから、
私を一人置きざりになさる事はない」。


これらの事を語られたところ、多くの人々がイエスを信じた。

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まず、イエスキリストのお告げやメッセージを読むに当たり


私達はその大前提として、
イエスが宇宙の法則を実践している人間達である
スペースブラザーズのマスターであると言う事を認識してください。


彼らは普遍的真理である神の法則を実践している人間であり
その意識は常に神の意識と共にあり、
精神を感じ続けている人間であると言うこと。


彼らは24時間、神が自分の直ぐそばにいる事を意識しながら
生き続けている人間であり


彼らは神の意識である精神を強く感じることのできる
存在であるということ。


そして彼らは自分達の過去の地球への関与のために
地球に対して、神や王の支配や、戦争や
宗教と言う名の争いを齎す事になった事を気にかけていて


その後、地球に直接の関与をやめると言う
不干渉の協定のようなものが出来た後も


地球に対して常に間接的に精神的な救いの手を
伸ばし続けてきたと言うこと。


先ずはそれらを理解して欲しいのです。


そしてもう一つ、自分達よりも理解力の乏しい人間に対して
人はどんな教え方をするのかと言う事を考えて見て欲しいのです。


秋田あたりでは子供が言う事を効かない時に


「あんまり悪い子でいるとナマハゲがくるよ」


と日本でもそんな利用のされ方がされたかと思いますが


理解力の足りない人間や行動を変えようとしない人間に対しては
例え話も、脅しも時には有効です。


ブラザーズはそんな例え話や脅し含めて
私達の意識の誘導のために利用していました。


例えば、天国へいけるとか地獄に落ちると言った意識は
行動を誘導する事には有効なのです。


マスターは相手のためを思ってすることは
それが宇宙意識から離れた行為でなければ
それは間違いではないと語っていました。


天国や地獄と言った表現が例え誤りを混ぜる概念であっても
それは悪意からではなくて


私達を正しい道へと誘導しようと言う意識からの言動であれば
それは間違いではないのです。


イエスキリストは私達地球の人間に対して
彼らの生き方である宇宙意識に従った道徳の実践、


すなわち宇宙の法則を伝えに来たメシアであると言う事を前提に
聖書を読んでみて欲しいです。


キリストと言う言葉は救世主と言う意味でもあり
原理と言う意味でもあるようです。


そしてその原理は言うまでもなく
神の意識だと思いますし宇宙の法則だと思います。

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私が想像していることは、多くの時代において
メシアは歓迎されなかったのではないかと言うことです。


ユダヤ教とも言われる旧約聖書の中にも
今のブラザーズの前身らしき天からの遣い(当時は二つの陣営)
が頻繁に登場しています。


そして彼らが生身の人間であった事も
その記述から容易に私達は理解することも出来ます。


人間との間に子供を設けたり、
貢物を要求したり、”雲”で空へと上がったり、
その行動は生身の人間の物に他なりません。


イエスキリストに関しては
天から宇宙船に乗って降りてくるのではなくて
地球への転生と言う形で人間を救済に来ました。


それゆえに天から降りてきた天子の様に
容易には人々には受け入れられる事もありませんでした。


空から降りてくれば当時の人間は
それを神の使い天の使いとして受け入れたようですが
イエスは地球で人間として生まれ育ったからです。


しかし一方ではイエスは”奇跡”と言われるような
神懸かった行為をして見せたことで
多くの人間に一目置かれ、教えも地道に広報できたようです。


その一方でイエスは既存の信仰を持つ人間達に
忌み嫌われ迫害を受け続け命を狙われる事にもなります。


聖書を信仰している人間達にしてみれば
救世主の出現は予言どおりの事だったはずです。


しかし彼ら聖書の信者の実践していた教えや行動は
イエスキリストの教えとは異なっていたために


イエスキリストは彼らに救世主として
受け入れられる事はなかったわけです。


もしもイエスキリストが彼らの信仰や習慣に即した教えを
している人間であれば、
きっと彼らもイエスを受け入れた事でしょう。


つまり人間が独自の価値観で作り上げて飾ってしまった信仰は
元々のあるべき神の教えとはかけ離れているのですし


エゴに捉われた人間は
自分こそが正しいと信じて疑わないのですから


イエスが正しいことを主張しても
それは彼らの理解を受ける事は出来ないと言う事に繋がります。


もしも本当の神が、その意識そのままでこの社会に出現し
正しい人間としての生き方や神が望んだ人間の姿を説いて聞かせても
恐らくは私達の殆どの人間はそれを受け入れることもないと思います。


それは私達がこの地球で今暮らしている中で
心に染み付いている価値観とはかけ離れているからです。


勿論、そこで奇跡を起こすような事をして見せると
話は違ってくるのだと思います。


新興宗教の教祖が信者を集める事が出来る理由の一つは
その奇跡なる物を実践してみせる事が
どうも要件の一つになっていると思います。


私達一般市民は未知能力を使用する事は出来ません。


それを使用できる人間は何らかの力を持っていると
私達は認識するのです。


そしてその人間が神を語っていれば、
神のお告げが聞こえると言えば、
人々はその教えを信じることにもなる。


恐らくはイエスキリストもブラザーズも
布教には”奇跡”の存在が有効と認識して
それを効果的に利用することになったのだと思います。


勿論奇跡ではなくて未知能力ですし
彼らの力と科学力だったと想像します。


そしてその行為がイエスを救世主と認めない人間たちにも
イエスを一目置かせる理由にもなっていたようです。


イエスは聖書の中で無数の奇跡を起こして見せたようですが
それは「神がイエスを通じてそれを実践したのだ」と語っています。


それにあやかるように、奇跡は今では人々に神聖を感じさせ
その人間をカリスマ化することにも利用されている気配があります。


話は脱線しましたが、
私達の社会で争いが消えない理由の一つは
”神が乱立しているから”だと思います。


誰もが自ら信仰している神こそが正しいと主張して譲りませんし
困った事に各宗教は人間が独自に作り上げた
規則や戒律を併せ持っています。


そして場合によっては信者たちは、神の教えとされる物以上に
その規則や戒律に制約されて縛られている事が多いのです。


それは実は神の教えや神の意志では有り得ないのですが
その価値観を強く信じるようになれば


人間は自分達が作り上げた戒律や規則を
神の意志の実践であると勘違いしては遵守する事になります。。


そこに私達の社会の悲劇の原因の一つがあるのだと思います。


真の普遍的真理は私達の価値観とかけ離れているのですから
将来、救世主が現れて真理を語ったとしても
人々はそれを受け入れる事は難しいのだと思います。

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「私はどこから来たのか、
またどこへ行くのかを知っているからである」


これは、イエスキリストが普遍的真理を理解していて
人間が生まれてきた目的、


そして死んだ時にはどうなるのかと言う一連の法則を
神の摂理として理解している事に触れているのだと思います。


私達は信仰をしていると言いながらも、
現に生命の科学で学んだような、”私達の生まれてきた目的”も


”死後どのような状態に置かれるか”という話にしても
その実態を正しく理解してはいませんでした。


そういう一連の事を全て理解している人間だから
自分は真理を語る事が出来るのだと
イエスは告げたのだと思います。


「貴方がたは肉によって人を裁くが、私は誰も裁かない。
しかし、もし私が裁くとすれば、私の裁きは正しい。」


イエスを迫害していた人間達は戒律や律法を盾に
時には処罰をも与えていた事は言うまでもありません。


そしてこれは地球の歴史において民族対立や
宗教の戒律の名の下に繰り返されてきた悲劇でもあると思います。


異民族は敵だ、


神を冒涜した、教祖を冒涜した、


戒律を破った、規則を守らなかった。


そんな名目で個人的・民族的・宗教的な裁きは
延々と続けられてきたのだと思います。


そして多くの血が流され続けてきました。


勿論、神は人間が人間を裁く事を認めてはいません。


宇宙の法則では人を裁く事を禁止しています。


つまり戒律破りや神への冒涜という名目であっても
それを裁ける権限を持った人間など存在してはいないと言うこと、


更に言えば神自体が人が人を裁く事など
望んではいないと言う事です。


ブラザーズが言っているように
私たちは神の右手であり左手であり
足であり顔なのです。


自分が神の一部であることを理解できれば
同じく神の一部である他人を裁くこともできないはずです。


別な例えをすれば
万物はすべてが神の意識を内在するものですから
それを裁くと言うことは神を裁くことになるわけです。


一介の人間に神を裁く権利など存在してはいない。。


個人が裁かれるべき事をしたのであれば
それは神との一対一の関係の中で
裁かれることになる。。


恐らくは死んだ時の魂の評価と言う形でです。


しかし宗教組織に関しては
この裁きが現代社会で実践されているような物です。


私が受けているような被害は時には宗教の冒涜や
神の冒涜の名の下に繰り広げられている場合もありそうです。


そしてその裁きは”彼らの神の名の下”に行われることにもなります。


イエスは誰も裁かないと触れています。


そんな事をしなくてもその時がくれば
それ相応の待遇を受けることを
イエスキリストは知っていたからだと思います。


「私の行く所には、貴方がたは来る事ができない」


「貴方がたは下から出た者だが、わたしは上から来た者である。
貴方がたはこの世の者であるが、私ははこの世の者ではない。」


これはイエスキリストが彼らが天と呼んでいた宇宙の惑星から
やってきた人間であると言う事に触れている物だと思います。


そして”この世の者である”と言うのは
「この社会を心を持って生きている人間である」事の例えで


”この世の物ではない”は
「神の意識と共に生きている人間である」事の例えではないでしょうか。


イエスは死後再び金星への転生を予定したのだと思いますが
その金星へ自分が帰る事になっても


彼らイエスを受け入れない人間達
イエスの言葉を実践できない人間達、
そしてこの社会に心で縛り付けられている人間達は


死んでも金星に転生することは出来ないと
ここで触れていたのではないでしょうか。


そしてイエスキリストは生命の科学、宇宙の法則で取り上げたように
常にその神の意識である精神を感じて生きている存在なので


常に自分は神と共にいるという事を
自覚して居ることを繰り返し触れているのだと思います。。


私達にはこの言葉は良く理解できますが
一方では”神はいつも自分と一緒にいる”と言う言葉は


熱心やユダヤ教徒たちの神経を
逆撫ですることにもなったと思います。


それは彼らが宇宙の法則を知らなかったため
精霊としての神の存在が私達の魂(精神)そのものであるという事を
知らなかったためだと思います。


私達にしてみればイエスキリストの言動には
生命の科学の内容がふんだんに感じる事が出来ますが
一方ではそれを知らない人間にしてみれば


「お前、何神様の遣いの振りしているんだ?」


とでも受け止められる事になりかねないわけです。


私達が理解すべきは、
極端な話をすれば金星の住人が地球にやってくれば
その全員がメシアのような存在であると言うことです。


そして彼らは全員が口を揃えて語るはずです。


「私はいつも神と共に生きている。」とです。


知っている人間にとっての常識が
知らない人間にとっての非常識になる事もある。。


私達は知識としても生命の科学と宇宙の法則を
深く理解していかなければならない。


多くを知ることで誤解も解消されるでしょうし
私達は精神から自らの持つ疑問に対する答えを
沢山受け止める事も出来るようになる。。


そして精神の存在を理解するだけでも
今まで理解出来なかった事が理解出来るようにもなります。


そしていつか神こそが、私達の直接の教師となる事も
あるのかもしれませんね。

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P.S.


記事にしようと思ったのですが
そんな脳の状態ではないのでコメントして触れます。


全く本文とは関係のない話ですが
アダムスキーに拠れば、実は夢は私達の過去世を知るためにも
とても重要な物のようです。


夢を見る状態を考えてみて下さい。


寝ている時は耳も目も鼻も口も
全ての感覚器が活動を休止しています。


つまり心の暴走は止まっているのです。


その状態で私たちが強く感じることになるのは
勿論”精神”です。


そして夢では精神が私たちに記憶をとりもどす
きっかけを与える事があるようです。


催眠術で過去世を思い出させる方法も存在しているようですが
私達の睡眠状態にある脳は
精神の働きを感じやすい状態にあるわけです。


そして夢の多くは”記憶”が元になっていて
記憶の整理のためにも私達は夢を見ていると言われています。


夢の中で出てくる見知らぬ人間は
自分が過去にどこかで出会った人間や
過去の自分自身である可能性も高いそうです。


頻繁に出てくるけれども今現在現実には
行った事のない場所なども
過去世において私達が暮らしていた場所だった可能性もあるようです。


私のような立場におかれていると
夢まで合成夢なるものが存在するので
どこまで自分の意識か判らない事もあるのですが
(本当の話です)


私も過去における自分の転生の一つに関しての
手がかりらしきものを夢で感じた事があります。


それが植えつけられた記憶なのかそれとも
本当の私の記憶なのかは定かではないのですが


一つは昔から見ている夢なので
前世と無縁のものではないと想像しています。


例えばそんな小さな記憶の断片を集めていくと
自分の過去世を知る手がかりになるのかもしれません。


宇宙的意識との一体化(啓示)に関しては
恐らくは私は不可能な立場だと思います。


寝ている時も激しい照射で脳を刺激されているようですし
朝起きるととても精神を感じるどころではないほど
酷い精神状態に置かれている事も少なくないからです。


昨日は昼間は歯を食いしばって時間を過ごしてましたが
全身を襲う電磁波の出力が並ではないのです。


いまこうしてコメントを書いている最中も
右脳や左脳に電気的な刺激が流れては
私の意識や感情や思考能力まで操られているようなものです。


これはやはり人体実験の一環でもあるかもしれません。


人工想念に激しく取り付かれている状態では
想念を感じる以前の問題だと思います。


そんな事もあり、私は精神感応に関してや
宇宙的意識の成長ははっきり言って望めそうにありません。


ただ、普通の環境で暮らせている方であれば
精神の進化に伴い、想念を受け止める経験をしたり
そんな機会が増えていくでしょうし


私が成し遂げれていない
宇宙との一体化まで経験する事も可能だと思います。


それが10年先であるか明日であるかは判りませんが、
子供の頃からブラザーズの指導を受けていたであろう
アダムスキーでさえも35歳までは啓示はなかったようです。


その後40年間学び続けたアダムスキーはテレパシーだけでなくて
人の過去世まで読んでしまうような能力をも持っていたようですが
私たちはそこまでを望む必要もありません。


この社会を無事卒業して次の段階へと進むだけの
資質を手に入れる事が何よりも優先事項だと思います。


そうすれば転生の後は、私たちは嫌でも
そんな能力を有した存在として暮らすことになる。


本来あるべき人間としての生き方を
スタートする事が出来るのだと思います。


生命の科学、宇宙の法則に辿り着く事すら
私たちは難しい環境にいます。


闇政府の策略一つとってもその実態を
理解できている人間は多くはありませんし、
多くの人間がそこで迷路に迷い込む事にもなっています。


私たち、無事そこから脱出できた人間は
その意味では幸運なのだと思います。


その幸運を私達の新しい生の始まりだと出来る人間こそが
永遠の生へと進む事が出来る。


この変わる気配のない社会に嘆くだけではなくて、
私達は自らの努力でそこから脱出する事が
神の願いでもあるのかもしれません。


そして間違いなく神はいつも私達と共に居るのです。