真理質問箱 イエスキリスト | 不幸のブログ 

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三次元と四次元の狭間 に関しての記事と生命の科学と宇宙の法則
について語ります。

今日は12:30分頃に更新予定です。


P.M11:37


11/17


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今日二つ目の記事です。


出そうと予定していた記事が出せないので
書置きの記事で代用します。


今日一つ目の記事と地震報告はこちらです。


http://ameblo.jp/uruseiblog/entry-11405973114.html
地震情報H24.11.16
http://ameblo.jp/uruseiblog/entry-11405613368.html
混乱の時代の中で VOL5 ウイルスと戦争
http://ameblo.jp/uruseiblog/entry-11405515136.html
お知らせ


最近の記事
http://ameblo.jp/uruseiblog/entry-11404992582.html
創造主の意識  万物への無償の愛
http://ameblo.jp/uruseiblog/entry-11404866015.html
混乱の時代の中で VOL4  ネット情報
http://ameblo.jp/uruseiblog/entry-11404581369.html
シオン長老会サンヘドリン VOL11
http://ameblo.jp/uruseiblog/entry-11404075982.html
混乱の時代の中で VOL3  ユダヤ教徒
http://ameblo.jp/uruseiblog/entry-11403639524.html
アダムスキー  確固たる意志
http://ameblo.jp/uruseiblog/entry-11403275097.html
混乱の時代の中で VOL2 地震・災害
http://ameblo.jp/uruseiblog/entry-11403002082.html
一応、地震に警戒を。。。
http://ameblo.jp/uruseiblog/entry-11402560916.html
混乱の時代の中で VOL1  地震・太陽フレア・世紀末


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①キリスト教徒が戦争を引き起こしてきたと言う話がありますが
イエスの教えは争いを認めていたのですか?


キリスト教が戦争を起こしたと言うよりは
宗教や民族毎の文化や価値観の違いが人間に分裂意識を持たせて
争いを引き起こしたと言うのが正しい見方だと思います。


今の社会でも異なった思想の人間達が
争う事は当たり前になっていますが


価値観が異なる人間同士の間には
争いごとが生まれやすいと言う側面もあると思います。


イエスキリストの教えにはもちろん争いを
誘導するような内容などありません。


あるのは敵対者と看做されて叩かれる事を
覚悟して福音しろという記述です。


イエスキリストの究極の教えは、
「自らを愛するように隣人を愛せ」と言う
万人への慈愛と思いやりを求めたものでした。


私達はイエスの教えを知っていても
それを正しく実践する事が出来ないと言うのが正しくて


例えクリスチャンやその他宗教組織が争いをしていたとしても、
それが元々の教えが誤っている事に
端を発しているとは限らないと言うことです。

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②イエスキリストの教えは例え話が多いのですが
何を持ってイエスの教えと理解すればよいのでしょうか。


イエスキリストの教えは限定列挙ではありません。


つまり具体的な禁止事項や戒律を皆に述べ伝えたものではなくて


私達が本来あるべき意識へと変わっていくために必要な知識と思考を
私達に与えるのが目的だったと思います。


モーゼの時には10戒のような具体的な戒律がありましたが
今ではあれは道徳的に私達の誰もが理解できます。


イエスの時代の人間は、モーセの時代の人間よりも理解力をましていましたし、
無法社会ではなくなっていました。


イエスキリストはそれまでのような戒律による躾を重視したのではなくて、
次の段階へと進んだ私達が人として持つべき心のあり方を
教えてくれたのだと認識しています。


例え話が多いのは、人々が自ら考える機会を設けるためだと思います。


与えられた知識を鵜呑みにするのではなくて、
ヒントを与えることで、
それを自分の思考によって考えてそこから何かを得て欲しい。


そんな意識もあったのだと思います。


イエスの教えを文字通り解釈しても
理解出来ることは少ないと言うことになります。


イエスは形式ばった信仰を嫌いました。


一方では心のあり方こそが大切であると言っていました。


上辺で良い人を演じていても
他人からも認識できる戒律を重んじていても
(安息日には。。。食べる前には。。。など)


実質が伴っていなければ
それは創造主の教えに従っている事にはなりません。


イエスの教えの根底には
形式よりも実質と言う意識があったと思います。


イエスの教えは、その言葉の端々に現れてもいますが
大切なのはその精神であり心のあり方であるということ。


それこそがイエスの教えの血や肉になるものだと思います。

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http://ameblo.jp/uruseiblog/entry-11228882845.html
普遍的真理 VOL1 地球の常識は四次元で覆される
http://ameblo.jp/uruseiblog/entry-11225509554.html
聖書のイエスキリストの奥義
http://ameblo.jp/uruseiblog/entry-11225946064.html
普遍的真理VOL2 使徒の教え
http://ameblo.jp/uruseiblog/entry-11228934059.html
普遍的真理 VOL3 御霊なるもの
http://ameblo.jp/uruseiblog/entry-11230383689.html
普遍的真理 VOL4  天と地の語るもの。
http://ameblo.jp/uruseiblog/entry-11230381982.html
普遍的真理  VOL5
http://ameblo.jp/uruseiblog/entry-11230386364.html
普遍的真理  VOL6
http://ameblo.jp/uruseiblog/entry-11232031179.html
普遍的真理  VOL7
http://ameblo.jp/uruseiblog/entry-11240302826.html
普遍的真理  VOL8
http://ameblo.jp/uruseiblog/entry-11242245735.html
普遍的真理 VOL9
http://ameblo.jp/uruseiblog/entry-11242337381.html
普遍的真理 VOL10
http://ameblo.jp/uruseiblog/entry-11244240514.html
普遍的真理 VOL11
http://ameblo.jp/uruseiblog/entry-11244304400.html
普遍的真理VOL12
http://ameblo.jp/uruseiblog/entry-11260017119.html
普遍的真理 VOL13
http://ameblo.jp/uruseiblog/entry-11247577435.html
普遍的真理 VOL14
http://ameblo.jp/uruseiblog/entry-11247613500.html
普遍的真理 VOL15
http://ameblo.jp/uruseiblog/entry-11257487936.html
どんな時でも希望を持って
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③イエスキリストは一体何者ですか?
”神の一人子”というのはどういう意味でしょうか?
イエスは神なのですか?


イエスキリストは太陽系の惑星で暮らしている人間達、
私達が聖書などで天使と言っていた人間達の一人です。


彼らは太陽系のボランティアグループとして
この地球社会をさせ続けてきた人間達で
この地球の歴史とも深く関わっている存在のようです。


アダムスキーが世間に紹介したこの最重要機密事項は
後にアメリカや闇政府の人間達のありとあらゆる隠ぺい工作で隠され


今では信じている人間も多くはありませんが、
間違いなく彼らが隠したいUFO・宇宙人情報は
彼らに関する情報です。


現にそれを紹介している私はユダヤ闇政府の関係達に
誘導されている人間達によって
神の冒涜者扱いされてるのか酷い目に遭っても居ます。


イエスキリストは金星を母星としては、
地球や火星にも転生して行っては
創造主の法を皆に述べ伝える役割を果たしていた、


スペースブラザーズのマスター(指導者)
と言われる人間の一人のようです。


地球社会にも何度も転生を果たしていて、
エリア、モーセと言うのもその時代のイエスの魂が
地球で転生した存在だったそうです。


一番新しくはアダムスキー時代にアダムスキーとコンタクトした宇宙人
”オーソン”という肉体で暮らしているようです。


オーソン達ブラザーズは宇宙の法則に従い、
創造主の意志に則って生きている存在です。


その教えを地球社会にも伝えようと
旧約聖書の時代から何度もこの社会にやってきては
人々を導いた存在だと言うことです。


つまりイエスは神の子と言うよりは
”天使”と言うのが私達には馴染み易いかと思います。


もちろん彼らの意識では人間誰もが神の子ですし、
オーソンは自分達ブラザーズが地球社会で
神の子と言われている意識もあったようです。


聖書では”神の子”と言う表現も”天使”という表現もありますが
両方は同じものであると解釈すべき様です。


天使とは私達が天と読んでいる空間からやってきた使いです。


http://ameblo.jp/uruseiblog/entry-11106785529.html
イエスの転生
http://ameblo.jp/uruseiblog/entry-11108616691.html
宇宙の法則 番外編 イエスの言葉 前編
http://ameblo.jp/uruseiblog/entry-11108619928.html
宇宙の法則 番外編 イエスの言葉 後編

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④キリスト教を信じれば救われるのですか?
イエスキリストを信じれば救われるのですが?


”信じる”と言う行為で私達の心が変わる事はありません。


信仰という言葉は信頼してその教えを実践する事が
含まれていると認識すべきです。


私に言わせれば信仰とは自分の内なる魂から
創造主の意志をも感じる事だと思います。


私達がイエスキリストに求められているのは
イエスの教えを理解して、イエスを信頼して、
その教えと生き方を実践することです。


いくらイエスの教えを信じようが
それを実践しなければ何の意味もありませんし、


イエスキリストを褒め称えても
それに対してイエスキリストが見返りをくれるわけではないのです。


イエスキリストが語っていたのは
2000年前の時代背景に則した人間としてのあるべき姿で、
それを私達は”道徳”と呼んでいます。


当時の風潮であった、
”戒律を守れば他の事は何をしても罪にならない”

という状況を改善し


大切なことは形式事を守ることでなくて心のあり方であり
そのためにも人として持つべき意識を持って
それを実践する事を勧めたのだと思います。


”救われる”と言う言葉自体が比喩であり、


この社会が人としてあるべき社会の状態でないことから
その状況の改善を求めながら


一方では魂の進化により
もっと精神性の高い場所への転生を勧めて居たのです。


そしてその場所こそがイエスが”天の国と”称した他の惑星です。


イエスが語っていた天国はイエスの母星の金星だと思います。

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⑤イエスキリストは本当に奇跡を起こしたのですか?


イエスキリストは人間として進化した存在でした。


私たちが通常使用することができないであろう
脳機能をもイエスは使用できたと想像できます。


聖書の記述の中には、
言葉に出していないペリサイ人の心での揶揄なども
イエスは気がついて、それに返答する場面も出てきます。


あれはいわゆるテレパシーだと思います。


私達の脳が活性化すると最初に覚醒する能力が
おそらくはそれです。


イエスはテレパシーと私達が言っているようなものをも
能力として備えていたと思います。


それはイエスキリストが元々進化した魂を持ちながら
その状態で地球社会に転生してきた事にも由来すると思います。


そして創造主の法を意識していた事が
その力を増幅したと思います。


脳の活性化した人間がどんな能力を発揮するのかは
私にも判りませんが、
ブラザーズの話からも癒しなども可能であることも確かです。


ただ、聖書での気象的な変動に関しての数々の奇跡は、
イエスを影ながら守っていた彼の同胞たち。


聖書で天使と記述されている人間たちの
科学力による関与である可能性があると思います。


イエスの奇跡の一部は天使たち(スペーズブラザーズ)によって
演出された可能性が高いのです。


もちろんそれは、正しい、人としてのあり方を
私達に伝えるためにもイエスキリストを
神聖化する事がより効果的だと彼らが判断したからだと思います。


地球社会という波動の低い空間で
自分の資質を100%開花できなかったであろうイエスのことを
影ながら応援していた天使達もまた


イエスキリスト同様に私達からすれば
神々しい存在だったと思います。


神々しい故に忌わしい意識をした人間にとっては
煙たい存在でもあったと思います。

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⑥キリストとは救世主の事ですか?



イエスキリストはそのとき突然この社会に
偶然生まれでた存在ではなくて


彼らの一連の地球社会への真理の誘導において
以前からの計画の一環としてこの社会に転生してきた存在です。


イエスのすべきことは一つには旧約聖書の予言の成就。


人間が神々しいものや奇跡や予言によって
誘導しやすかった事もあるのでしょうが


地球社会を導いて来た人間達である太陽系の兄弟たちは、
聖書の中では神を演じては
創造主の意志を私達に伝えようとしました。


其の中に予言なども含まれていますが、
其の事を実現する事で私達に彼らの教えに対する
信頼を持たせる事を意識したのだと思います。


イエスは新約聖書時代に旧約聖書の予言の一部が
成就したことを自ら語っていたはずです。


預言者が現れてその後に救世主が現れる。


そして其の時の預言者はバプテスマのヨハネで
救世主はイエスキリストです。


旧約聖書を理解している人々は
其の事を予言の成就と受け止めたでしょうし、
イエスに対する信頼をも持つことになったはずです。


一方ではイエスを救世主と認めなかった人間もいて
それがユダヤ教徒のまま今に至るのだと思います。


クリスチャンの原点はユダヤ人なのです。


イエスキリストは旧約聖書の役目が終わった事を伝え
自分が述べ伝える新しい教えこそが
其の時代の人間にとってふさわしいものだと考えたはずです。


人間の心や精神が進化すれば、
与える事のできる教えも進化させることができます。


それを実践して見せたのだと思います。


そしてアダムスキーの時代に其の教えは
さらに進化するはずでした。


私達が学んでいる生命の科学
創造主の法、宇宙の法則への導入としての教えによってです。

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⑦キリストと言う言葉は救世主を意味するのですか


”キリスト”は”メシア”と同様に救世主として解釈されていますが
正しくは”真理””神の意志”を示す言葉のようです。


ペテロがイエスキリストに
「私を誰だと思いますか」と聞かれたときに
「貴方は生ける神の子キリスト」ですと答える場面がありました。


それをイエスが褒めたのはパウロが自分を救世主だと
称えたからではなくて、


パウロがイエスの事を真理の伝導者であることを告げたからです。


イエスと言う肉体を持った人間は
限りなく高い精神性を持っていました。


私達には認識することさえ難しい魂からの創造主の意志を強く認識しては
それを人間としての肉体を持って表現する事もできたのです。


イエスは「私が為しているのではなくて
私の体を持って父が為しているのだ」と表現していました。


それはイエスが自分の魂から湧き上がる創造主の意志を
実践していたと言うことに他なりません。


キリストは創造主の意志であり真理です


それを自らの肉体で表現していたからこそ
イエスは真理の伝導者だったのです。


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⑧イエスキリストは教会に権威を与えたのですか?


イエスキリストはソロモンの神殿を例にとって、


建物の様な、外見の整えられたそんな場所がなくても
自分は伝導をすることができると表現していたはずです。


自分なら数日で神殿を作り上げると表現したのは
物質的な神殿を数日間で建設できると言う意味ではなくて


神殿の機能である、人々を集めて
そこで創造主の意志を福音すると言う行為を


自分であれば建物などなしでも数日で可能であると
例えて話していたのだと思います。


教会の存在の正当性や教会の権威は
イエスキリストが与えたのではなくて


後の12使徒の福音に協力的な教会があった事や、

イエスキリストの言葉を極解した人間が居たことに起因して
出来上がってしまった風潮のはずです。


イエスは「私は岩の上に教会を立てる」と言う例え話をしましたが
それを文字通り解釈すれば教会を立てることを
イエスは望んでいたと判断されることになります。


何事も例え話で語っていたイエスの意図を理解できなかった人間達が
自分達の解釈でイエスの意志を誤解して作り上げたのが教会の権威だと思います。


私達は偶像崇拝をしてはいけないと
イエスキリストも触れていました。


其の偶像とは像に限らず建物や人間をも含むはずです。


真の創造主への信仰への妨げになる一切のものこそが
私達にとっての偶像だからです。


教会に関しては、それが福音を伝える場としては有効であると
イエスも理解してはいたと思いますが

勿論それは指導者しだいです。


例えば”十分の一”などに関するイエスの記述は、
おそらくは晩年になっての聖書の改ざんだと私は認識しています。


ユダヤ教時代の習慣を残すためにも
教会にとっては必要でした。


ただ創造主の福音をすると言う行為は
それは労働であり報酬を受け取るべきだとイエスも認めていました。


しかしそこに寄付をする行為に関しても形式的なものではなく
実質的な心からの物であることを重視していたであろう事は
有り金全部を寄付した人間に対するイエスの言葉からも汲み取れます。


イエスは教会という建物や宣教師に対して権威を与えたわけでなく、
其の行為は福音には有効であるとイエスは認めていたと言うのが
正しいのではないでしょうか。


私達の権威主義が12使徒の流れを継ぐ人間を崇拝する思想をもたらし、

その結果12使徒の由来のある教会が権威を持つようになったり
そこの神父が権威を持つようになっただけで


其の権威を与えたのは創造主でもイエスキリストでもないと言うことです。


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⑨聖書のイエスキリストの言葉の中に
神の国の奥義というものが出てきますが

それはどんなものでしょうか?


カバラとかカトリックの秘術とか言われるものが
それにあたるのでしょうか?

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カトリックの秘術なるものは知りませんが、
今のカトリック教会の現状を見ると
どうやらイエスの奥義とは無縁だと思います。


イエスの神の国の奥義というのは
私達が魂を持って創造主の意志を感じ
それによって創造主の意志を述べ伝える行為です。


イエスキリストが自分の体を持って
父なる創造主を表現していたのはまさにそれで、
其のとき創造主の意志がイエスを通じて表現されていたわけです。


其の姿は神々しかっただろうと思いますし
ましてイエスは創造主の意識を地球社会の人間とは
比べ物にならないほど表現することができたはずです。


其の姿は神そのものに見えたかもしれません。


其の行為のために、イエスは神の意志を勝手に語っていると
当時の権力者達に罵られ、神の冒涜者扱いされることにもなりましたが


もしもそんな奥義が存在することを
時の権力者が知っていればイエスは貼り付けにされることもなかったであろうと
パウロはコリント人への手紙の中で触れていました。


イエスは神を冒涜したのではなくて
イエスの神の国の奥義と名づけた方法で
創造主の意識を感じてはそれを大衆に述べ伝えていたわけです。


そして其の方法が12使徒に対して与えられると
イエスは聖書の中でも触れていました。


それをマスターした人間達がイエス代わって創造主の意志を
延べ伝えることになった。


パウロは具体的な禁止事項含めて、
多くの戒律と言えるものを手紙で信者に告げていましたが


それは個々にイエスから与えられた知識ではなくて
イエスに伝授してもたらった其の奥義を使用することで
自分の魂が感じたことを述べ伝えたに過ぎません。


パウロはイエスの奥義で信者達や自分の理解者に
質問に対する返答含めて手紙を書いていたのです。


パウロが言っていた”イエスにあるもの”の本当の意味は
イエスの神の国の奥義を使用できる域に達した人間のことです。


12使徒よりも先に”イエスにあるもの”になった人間がいることも
それで理解していただけるはずです。


単にイエスの教えを理解し
イエスを信頼している状態ではないということです。


もっと詳細に説明すればそれは啓示を受けた人間、

魂の覚醒を果たした人間と言う意味です。


私達は魂の意識の経路を認識することで
そこから物事の正否の判断や、知識を閃きや印象と言う形で
受けることになります。


それを使用しながら物事を判断することで
私達は生活の中のありとあらゆる行為に関しての
物事の正否を自ら認識して行動することもできるわけです。


そしてそれを今度は他人に対して理解を求めようと
口にして伝導することで

私達は更なるひらめきを受けることにもなります。


何を語ろうか、何を言おうかと意識して頭で考えなくても
次から次へと言葉があふれ
創造主の意志は私達の意識の中で膨らんでいく。


それを言葉にして語ると言う手法が
イエスの神の国の奥義に他なりません。


このためには私達は正常な思考能力とバランスのよい脳機能、
何よりも魂を意識の経路として認識していることが必要となります。


イエスキリストは12使徒に対して
魂と言う神につながる意識の器官を認識することを教え
それを語ると言う行為を伝授した。


このイエスの神の国の奥義はその後にも
おそらくは多くのイエスの使徒達によって
述べ伝えられえるようになったでしょうが


教会が権威を持つようになり
公的な啓示だけが重要とされたことも

おそらくはイエスの奥義をつぶす原因となったと思います。


もしかしたら少数派と言われ虐待された人間達の中にこそ
イエスの奥義の使用者達が居たのかも知れないわけです。


神父や聖人とされた人間達が
イエスの奥義を理解しているとも思えませんし


其の証拠にイエスの正しい教えは
今の世に伝わっていない事が何よりの証拠です。


イエスが12使徒に語って聞かせたであろう三次元と四次元の関係、
そして魂と言うもう一つの意識の経路に関して、


50年前には今度はアダムスキーを中心に
其の取り巻くや理解者に対して其の奥義のきっかけが
延べ伝えられることになりました。


いうまでもなく生命の科学です。


魂と言う意識の経路を認識するようになった人間は
創造主の意志を語ろうとすると
魂から創造主の意志が流れ込むような感覚を受ける。


聖書で言うところの聖霊が降りると
表現されているのがまさに其の状態だと思います。


http://ameblo.jp/uruseiblog/entry-11329829392.html
続・宇宙の法則 VOL6 イエスの奥義前編
http://ameblo.jp/uruseiblog/entry-11330640319.html
続・宇宙の法則 VOL7 イエスの奥義後編
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⑩聖書からイエスキリストを学ぶ事は
私達にとって有効でしょうか?


私は他の宗教の聖典は読んだことがありませんが
創造主の法をわかりやすく理解するためには聖書は有益だと思います。


とりわけ新約聖書のイエスの福音についての章と、
パウロやヤコブの手紙に関してです。


ただ、気をつけねばならないのは
私達が其の記述を文字通り解釈してはいけない場合があると言うこと。


イエスの言葉は殆どが例えで語れられています。


比喩が満載なのです。


それを文字通りに受け止めることなく
イエスの真意を理解する様に思考すること。


そして当時の時代背景を理解すること。
(ユダヤ教の戒律社会であったことや
パリサイ派が権威を持っていたことなど)


特にイエスの使徒の手紙に関しては
彼らがイエスの奥義を持ってそれを書いていたこと。


そして受け取っている相手もイエスの奥義の事を
理解していたであろう事を前提に読まねばなりません。


私は生命の科学をかじった後に聖書を読み直し
新しい発見をし続ける事になりましたし


まずは生命の科学で三次元と四次元など含めた理解を深めて頂いて、
其の応用として新約聖書を読むことをお勧めします。


聖書は時の権力者にとって差し障りのないものが編纂されていて、
もしくは彼らに都合の良い編集もされていますし、
時には改ざんもあるようです。


そんな箇所に拘ることなく
真理と感じたところをしっかりと教訓とする。


そんな学び方が良いのではないでしょうか。


聖書が神の書だから一字一句信じなければいけないという人間もいますが


人間の手により書かれ編纂され、時には改ざんされたものを
鵜呑みにするのは危険だと言うことをぜひ理解してください。


イエスキリストは間違いなく地球社会の指導者でした。


私達はその教えに正しく従いこそすれば
創造主の予定通りの進化を果たすことになるはずです。

http://ameblo.jp/uruseiblog/entry-11228882845.html
普遍的真理 VOL1 地球の常識は四次元で覆される
http://ameblo.jp/uruseiblog/entry-11225509554.html
聖書のイエスキリストの奥義
http://ameblo.jp/uruseiblog/entry-11225946064.html
普遍的真理VOL2 使徒の教え
http://ameblo.jp/uruseiblog/entry-11228934059.html
普遍的真理 VOL3 御霊なるもの
http://ameblo.jp/uruseiblog/entry-11230383689.html
普遍的真理 VOL4  天と地の語るもの。
http://ameblo.jp/uruseiblog/entry-11230381982.html
普遍的真理  VOL5
http://ameblo.jp/uruseiblog/entry-11230386364.html
普遍的真理  VOL6
http://ameblo.jp/uruseiblog/entry-11232031179.html
普遍的真理  VOL7
http://ameblo.jp/uruseiblog/entry-11240302826.html
普遍的真理  VOL8
http://ameblo.jp/uruseiblog/entry-11242245735.html
普遍的真理 VOL9
http://ameblo.jp/uruseiblog/entry-11242337381.html
普遍的真理 VOL10
http://ameblo.jp/uruseiblog/entry-11244240514.html
普遍的真理 VOL11
http://ameblo.jp/uruseiblog/entry-11244304400.html
普遍的真理VOL12
http://ameblo.jp/uruseiblog/entry-11260017119.html
普遍的真理 VOL13
http://ameblo.jp/uruseiblog/entry-11247577435.html
普遍的真理 VOL14
http://ameblo.jp/uruseiblog/entry-11247613500.html
普遍的真理 VOL15
http://ameblo.jp/uruseiblog/entry-11288118213.html
普遍的真理 VOL16
http://ameblo.jp/uruseiblog/entry-11288256433.html
普遍的真理 VOL17

http://ameblo.jp/uruseiblog/entry-11096526343.html
皆がイエスの使徒
http://ameblo.jp/uruseiblog/entry-11242030857.html
罪と義の概念とイエスの十字架の死
http://ameblo.jp/uruseiblog/entry-11027399873.html
原罪とイエスの救いと知恵の実と命の実
http://ameblo.jp/uruseiblog/entry-11059663896.html
皆がイエスとヨハネの継承者
http://ameblo.jp/uruseiblog/entry-11057574383.html
キリストが仇敵ユダヤ教パリサイ派
http://ameblo.jp/uruseiblog/entry-11031934734.html
クリスチャンと真正クリスチャン