真訳聖書 VOL2 | 不幸のブログ 

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三次元と四次元の狭間 に関しての記事と生命の科学と宇宙の法則
について語ります。



地震が起きました。

大きめです。

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平成23年08月19日14時49分 気象庁発表


19日14時36分頃地震がありました。


震源地は福島県沖
( 北緯37.6度、東経141.9度、牡鹿半島の南南東80km付近)で震源の深さは約20km、
地震の規模(マグニチュード)は6.8と推定されます。


各地の震度は次の通りです。
なお、*印は気象庁以外の震度観測点についての情報です。


宮城県  震度5弱 宮城美里町木間塚* 蔵王町円田* 石巻市桃生町*
     
福島県  震度5弱 須賀川市八幡山* 二本松市油井* 天栄村下松本*
          相馬市中村* 楢葉町北田* 新地町谷地小屋*
     

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これは自然地震ではないと思います。


工作員達が嬉々として連動するように動いていました。


地震直前には突然私への拷問も始まりましたし
地震発生の時間を彼らは知っていたのだと想像しています。


そして実行部隊は”ユダヤ様”闇政府ではなくて
もっと末端の人間達だと思います。


闇政府関係者達は”危ない玩具”を
意識の低い人間に与えてしまったか


地球に異変が起きても脱出の出来ない人間達に
地球で暴れる権利でも与えたか、


闇政府に切り捨てられる人間達が
自分の立場に気がつかず暴れているのではないでしょうか。


闇政府実質指導者は
自分で首を絞めるようなこんな馬鹿な事はしないと思います。


どうやら私達は意識の覚醒を急いだほうが良さそうです。


闇政府末端の人間達が
大暴走をする可能性を感じています。


それが変動期の地球に何をもたらす事になるか。。


上の人間は地球製の宇宙船で逃げ出せばよいだけですし。。


更には、地球が置かれている実態に気がついた闇政府傀儡が
自分達の置かれている立場(切捨て)にも気がついて
遣りたい放題暴れるような事も想定しなければならないかもしれません。


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工作員の拷問モード開始。


下剤を飲む懲りない私もいけないのですが
腸と直腸を力づくで押さえつけてくるので
痛みで冷や汗をかいています。


と書くと痛みを少し
抑えてきました。


憎しみや怒りはいけないと言うのは判りますが
この人間もいつか私と全く同じような思いをさせてやりたいと
考えてしまいます。


P.M2:30

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倒れたら書置きの記事が無駄になるので
数日分未完成の記事を予約設定しておきますね。


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511 :本当にあった怖い名無し:2011/08/18(木) 12:42:31.21 ID:l7NkDO3nO


最近、夜空に星が見えにくい。
何かやっているのか


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とてもすばらしい着目点だと思います。


是非皆も考えてみて欲しいと思います。


何故に星が見えにくくなるのか??


その原因はどのような理由で


そうする事の目的は一体なんであるのか?


私は一応は気がついています。


用途は二通りまで認識しています。


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http://ameblo.jp/uruseiblog/entry-10989130280.html
真訳聖書 VOL1
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迫害を受ければ受けるほど
自分の主張の正しさを確信する事になっています。


今の私は人間として正常な意識を持っている人達に
目の敵にされるような主張はしていないからです。


そして自分が迫害されていることを
自分の広報のためにプラスになっていると考える事で
自分を慰めることにします。


私の主張には特定の人間達の
語られたくない内容が含まれている。


読んでいる人はそう感じてくれると思うのです。


一方では、宗教と民族は手強いものであることを
嫌でも実感させられる羽目になっています。


そして思考が狭い人間ほど
私の主張は理解できないはずですし、


今の社会の風潮を見ていると
意図的に思考能力を落とす行為が続けられていることからも
(麻薬、マインドコントール、洗脳、宗教の利用)


少しでも早く一人でも多くの理解者を増やそうと
焦る気持ちが沸いてきます。

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誰もが多くの知識を持っているわけではありません。


それゆえに時には数少ない自分の持っている知識や常識を元に
個人的真理(エゴ)を作り上げていく事にもなります。


多くの分野に興味を持っている人間もいれば
TVしか見ない人間や、
特定の価値観に片寄って知識を持っている人間も居ます。


その結果、偏った意識や間違った価値観を持ったとしても
勿論、本人にはその自覚はありませんし、


その自分の持つ偏った意識や価値観に近いイデオロギーに
惹かれていく事も少なくありません。


そしてお互い対極に存在するような意識を持っている人間同士や
利益を相反する組織に属するような人間達は
対立を深めていく事にもなります。。


そしてその対立意識は時にはそのまま
憎しみや争いへと発展していくわけです。


宗教で有ればキリスト教世界とイスラム教世界は
今現在は対立関係に有ると言っても過言ではありませんし


更に、同じクリスチャンでも宗派によって争いがあります。


ブラザーズが地球に対して始めた精神教育である”宗教”の姿勢が
等しく”神の法則・宇宙の法則”への準拠にあると考えれば


争いや対立自体が、
すでに神の教えから遠ざかっているようなものですが


そんな対立軸間の敵対心を意図的に煽るような人間もいますし


イデオロギーや信仰の強さを
敵への憎しみや闘争心のエネルギーへと変えられているような
人間も少なくありません。


私に関して言えば
このような主張をするのも私の価値観と言うことになりますし


闇政府の主張が正しいのか、
私の主張が正しいのかは立証できる事ではありませんから
自分の主張に対しての批判が起きる事は仕方がないと思います。


しかし私の主張に対していちいち目くじらを立てて
その意識を加害行為に転化させている人間がいる事が心外で


私は特定組織を批判しようと意図して
結果的に批判と受け取られるような記事を
書いているつもりはないのです。


でも、皆に対して、
”正しい有り方であると自分が信じる事を
理解して貰いたい”、


”誤った知識や嘘のサイトに騙される事の無いように
してほしい”


そんな意識で書いている記事が
結果的にどこかの人間達の神経を
逆なでする事になっているようです。


それなら記事を書くのを止めれば良いと言われそうですが


こんな私のような、
正しいと思うことを自己主張出来る人間が少ないからこそ


今の世の中のような風潮が
出来上がってしまったのではないかと考えて居ます。


近年はイデオロギーや宗教の話、民族話は
社会ではタブーになっているようです。


その理由は勿論”触らぬ神に祟りなし”。


結局その辺のイデオロギーに触れる事が
危険であると言う意識が巷に蔓延しているからでもあります。


しかしそんな状況自体がおかしいとは居えないでしょうか。


自分が何かを信じて疑わない。


それは誰にも迷惑もかけませんし
たとえ誤りであるとしても罪ではないと思います。


しかしその価値観を他人に押し付けると言う事になれば
話は別なのです。


自分が固く信じている事は
他人が何を言おうが自分はそれで満足すべきであり


有りもしない話を誹謗中傷でもされた場合は別として
放置して鼻で笑ってやればよいと思います。


自分達と異なる価値観を持っている人間を攻め立てる行為は
自分達の価値観の押し付けに他なりません。


そして何故に価値観の異なる人間の主張を
放置できない人間達がいるのか?


つまり、そこには自分達の信仰や心情が
間接的に批判されていると言う意識が存在することになりますし


そんな主張を放置することで失う何らかの利益が存在していて


それを意識するがために、
間接的にでも自分達の意識の否定・批判に
繋がっていると思われる物事に


一々反応する事にもなるのではないでしょうか。


つまり特定の人間達にとって
イデオロギーや宗教には何らかの利益が存在している。


さらに言えば、そんな組織は大きくなり
多数派になり権力を持つ事をこそ欲しているのです。


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私は組織や集団には良いイメージがありません。


一番の理由は、その多くが特定の意識に染まっていて
構成員の多くが全く同じような価値観を持つに至っているからです。


勿論その意識が真理であればブラザーズのごとく
皆同じでも問題はありませんが現実にはそうではありません。


”絶対的真理”が存在している中で、
多数の”相対的真理”が散らばっているのですから
多くの組織は何らかの間違いを含むことにもなります。


更に、通常多くの人間は時の経過と知識の吸収によって
その価値観を変えていく事になるかと思います。


しかし現実に特定の意識に執着するようになると
新しい知識の吸収や分析の妨げとなりがちなのです。


それは時には人間の成長を妨げ
価値観を凝り固め片寄らせる結果にも繋がります。


つまり新たな知識を得たり物事を正確に分析するためには、
時には既存の強い価値観がその妨げになる事もあるのです。


そしてそのような危険な価値観を意図的に持たせているような
組織だって少なくありません。


私のように何事も半信半疑で見つめてきた人間にしてみれば
価値観はその知識とともに微妙に変化をしていきます。


まして今の私は真実に限りなく近いものが何であるかを
追求しているわけですから、色んな知識を必要としますし


それを分析検証し、
自分が確信できる知識との整合性を重視しては
自分の価値観を軌道修正していく事もあります。


今、私は限りなく真実に近いものへと到達し
そこに辿り着くまでの道も覚えたばかりのつもりでいます。


そして今の私の目的は、少しでも多くの人間に
自分が見つけた道を指し示していくことだと考えています。


私が求めるものは相対的な真理や、個人的真理ではなくて
”絶対的な真理”です。


それは道として考えれば一本しか存在してはいません。


それを取り上げ、それこそが正しいと主張をすれば、
結果的に多くの人間に敵であると看做されるに至ります。


そして自分としては悪気がなくても
意識が異なれば善悪の基準も異なってきますし


特定の人間達にとっては、
私は”悪人”なのかもしれません。


でも私は自分を”絶対的な悪”であるとは思っていませんし
私の今の言動は限りなく真理を追究してきた結果であり


しかも自分は今その真理に限りなく近いところにいると
信じても居ます。


(勿論これは私の勝手な認識であり
それを実証できるものなど何もありません。)


そして辿り着いた先は
自分が一番尊敬しているイエスキリストの
”真性のクリスチャン”であるべきだという事でした。


少なくとも精神のあり方に関しては
それは間違っているとは思ってはいません。


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イエスが支配者たる王達の存在を取り上げて
信仰の質がどうあるべきであるかを弟子に語る部分を引用します。


キリスト教の引用ばかりになっているのは
単に私がクリスチャンになり損ねた経緯があるからであり


神道や仏教をないがしろにするつもりはない事を
先に触れて起きますね。


お寺生まれの私ですが
私の前世はクリスチャンだったのかもしれません。


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マタイ10章26節


彼らを恐れてはいけません。


覆われているもので表されないものはなく


隠されているもので知らずに済むものはありません。


私が暗闇であなた方に話すことを明るみで言いなさい。
また、あなた方が耳元で聞くことを屋上で言いなさい。


体を殺しても魂を殺せない人たちを恐れてはいけません。
そんなものよりも、


魂も体も、ともにゲヘナで滅ぼすことのできる
方をおそれなさい。


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ここではイエスキリストは権力者の虐待を恐れることなく
自分が言い伝えた真理を人に広めろと話しています。


勿論、権力者と戦えと言う意味ではありません。


イエスキリストが伝えた真実、
宇宙の法則を人に伝える事が如何に大事なことであり


それが世の中の人間の意識を変えうるものであると言う事を
弟子に伝えていたわけです。


そしてそれを伝えるにあたって権力者から迫害を受けたり
身の危険を感じたりしたからと言って
それに恐れてはいけないと語っているわけです。


イエスキリストは、自分が伝えている”真理”が権力者にとって
如何に都合の悪いものであるかを認識していました。


そして自分の教えが迫害される原因になる事も
覚悟をしていたのです。


それは自分だけではなくてその教えを受け継いだ
弟子達にとっても同様です。


しかしその時に自分の身に降りかかる
危険を恐れてはいけない。。。


恐れるのであれば
人間としてあるべき生き方を踏み外した時
若しくは神の意識から遠ざかった時に迎える事になる


精神の死でもある第二の死と
それを齎す事になる偉大な神を恐れろと
イエスは言っているのだと思います。


これは単に盲目に強い信仰を持てと言っているのではなくて


「真実を理解し、それを広める事が
本当の意味で人のためになる事を理解したなら


それを実行するのが人として正しい意識であり
弟子達にはそんな意識を持ち続けて欲しい」と
願ったのだと思います。


私達は今の世の中でそれが出来て居るのかと言う事です。


権力や暴力や圧力を恐れては
本来語るべきことを語ることなく生きてきたから
今のような社会が出来上がっているのではないのか?


下の人間は上の人間の顔色を伺っては
白は白で黒は黒であると主張できなかったから


権力者達の権力意識を増長させ、
今の社会が出来上がったのではないのでしょうか?


イエスキリスト時代は
王が国民を管理し支配する時代でした。


王や権力者が白と言えば黒い事でも白とされる。


勿論その逆に正しい事をしていても
それが罰せられることもあったわけです。


現にイエスキリストは貼り付けに有って
死んだと聖書には記録されています。


それは王政時代の事であり民主主義社会でなかったから
仕方がないなどと言う事にはなりません。


現に私や闇支配者たちの事を認識し
危惧している人間達は


今現在この民主主義社会と言われる世の中で
権力者の支配下にある人間達に
敵や悪人として取り扱われています。


そこで私が追及されているであろう罪は
重箱の隅を突付いて探したようなものや


支配者達の立場からすれば
邪魔な思想を持つ人間として叩かれているようなものです。


つまりは今のこの社会は昔の王政時代と
何も変わっては居ないという事でもあります。


そして力が真実を捻じ曲げるこの時代ではありますが


真性クリスチャンであれば
圧力に屈する事なく、かといって争うのではなく


正しいと信じた事を実行し
それによって朽ち果てた時はそれが運命であると認識できる
そんな強い意識を持って生きていくべきではないのでしょうか。


その行動が強いては、
同じ神の子としての他の仲間達をも
救う行為になる事を確信したら


何も恐れてはいけないのではないかと言う事です。
(どんな組織をもです)


闇政府は人間の恐怖心を利用していると
全く同じ事をアダムスキーも語っていました。


その一方では人間の脳をも支配しては
人格や意思まで変えてもいます。


その人間達の作る社会が人々にとって良き物であるならば
私もこんな主張をする必要はありません。


でも彼らの思い通りの社会を作り上げる事になれば
私達の多くは意識の低いまま


宇宙の法則を理解しないままで朽ち果てて
いつしか第二の死を迎える事になるのも間違いないのです。


永遠に生きる事ができる可能性のある人間達が
みすみすと第二の死を迎えることになる。


それを放置することが正しい事なのかと言いたいのです。


物や金や欲や誤ったイデオロギーや理想に
取り付かれた人間達が暴走して
自分達だけが第二の死を迎えるのは勝手です。


しかしそうではなくて
彼らの暴走に付き合わされている人間達には
本来は自分の意識で物事を判断する自由があるのです。


それを意図的に意識までコントロールしては
結果第二の死へと誘導しているその行為を
黙って見過ごせるような神経を私は持っては居ません。


どうせなら自分と同じ価値観を持てる人間を
一人でも多く見つけるために行動し


その結果寿命を縮めることになろうとも
それこそが正しいと信じています。


私達の恐れるべきは闇政府ではない。


進むべき道を踏み外すことだと思います。
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P.S.


本音を言えば名指しで批判したい組織や団体や
人間達が山ほど存在しています。


勿論、闇政府の傀儡と成り下がっているような
人間達です。


でも直接の批判という行為を
ブラザーズもアダムスキーも良しとはしていませんでした。


私もそれに習うことにします。