生命の科学 VOL13 | 不幸のブログ 

不幸のブログ 

三次元と四次元の狭間 に関しての記事と生命の科学と宇宙の法則
について語ります。


胃腸も気持ち悪いですし、
頭は自分でその気分をコントロールしているわけでは
ないような気がします。


常に首筋には電気的刺激も感じているからです。


それが良いものであっても悪しきものであってもです。


今日も偽の神、もしくは創造主でない者を
神と拝む人間たちの大嫌いな話です。


私の記事更新を止めたいのか
被害コメントを妨害したいのか


光ファイバーで大元が繋がっているのをよい事に
工作員が妙なプログラムを送り込んでくるので
パソコンがネットに繋がらなくなりそうな気配です。


嘘つきの人間達が何事もなく無事に暮らせていて
本当の事を語ると私のごとく憂き目に遭う。


これが今のこの社会の実態であること、
しっかりと見つめてください。


恐怖心と不安を起こすことなく冷静にです。


地球の法則を遵守するサイトが
電磁波兵器隠蔽にも繋がる記事を
書いていました。


http://blog.goo.ne.jp/isehakusandou/e/13f90aa07dfc694147b5cc99fbe4571c


原因と結果の法則、そして宇宙の法則が理解できて来ている人間であれば
そこに疑問を感じることができるはずです。


今日もいつものように
アダムスキー21世紀の生命と科学からの引用です。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

【心は本当の知る者ではない】


我々はこれまでに心こそは人間であり、
知るものであると教えられてきました。


しかし心は一つの結果(現象)ですから
この教えは真理どころではありません。


むしろ人間の内奥に”知る者”が宿っているのです。


もし心が自らを謙虚にして、
心が働きかけている万物に対する観察者になるならば、
心は以下に物事を知っていないかと言う事にすぐ気がつくでしょう。


例えば世の中には立派な人々が居るということに疑問の余地はありません。
近年の新しいはつめいがこれを証明するからです。


エレクトロニクスの分野においても行われている物事は
奇跡と言ってよいでしょう。


宇宙空間のはるか彼方に打ち上げられて起動を回っている人工衛星
の装置を地上から修正したり、


カプセル中の人間と連絡する装置など、
こうした業績は人間の心が意識の指導に耳を傾ける時の心の可能性を示しています。


しかし現在の人間の持つ知識のすべてをもってしても
人体を製作して生ける人間と
同様の機能を持たせる事の出来る人間はこの世に一人も居ません。


しかし人体の内部には人間を作り上げる知識が内蔵されていて
それは子供の出生という現象において日ごとに示されています。


これは無数の他の動物についても同様です。


したがって、心は学ぶために深入りする必要はありません。


心が人体内部にひそむ知識に対してみずからを謙虚にするならば
自分が働きかけている人体から何かを学び取ることができるのです。


ここで


「自分自身を知れ。そうすれば全てが判るだろう」
と言う言葉がどこから起こったかがわかります、


あらゆる創造物はこの法則によって支配されているからです。


これまで語られた真理で、上の言葉ほど偉大な真理はありません。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

ブラザーズのマスターは精神こそが宇宙の英知であり
”知る者”であると語っていました。


知る者とは”真理を知るもの”という意味であり
同時に”神”の事をさしています。


アダムスキーがここで「心は知る者ではない」と触れていますが、
勿論私達に伝えたかったのは
”精神”(意識)こそが知るものであるという事です。


そして精神なるものは神の意識に他ならない。。。
だからこそ精神は全てを知っているのだという事になると思います。


私達は様々な事を体験して学習していることで
自分では多くの事を知っているつもりになってます。


その知識や体験は私達の目や鼻や口や耳を通じて
私達の脳へと刻み込まれ続けてきたからです。


そしてその心はその肉体の感覚器官によって作り上げられた
私達にとっての”知る者”です。


でも精神の話を学べば、
実は私達は何も知っては居なかったという事に
気が付かされる事になるはずなのです。


知っているようで実は何も知っては居ない。


何故にそんな事になってしまっているのかと言えば
心なるものは”現象”を集めて出来上がった知識を学ぶことで
全てを理解したつもりになっているだけで


実は心が知っているのは”結果”であり
真理の半分も私達は理解してはいないわけです。


それは肉体の感覚機関が理解可能だったものだけです。


そして私達の体のメカニズム一つ取り上げてみても
その摂理を知っているのは心ではなくて精神であり


私達にとっての無意識な状態でのその精神の働きが
私達の体の働きの9割を占めているそうです。


心ができない事を精神は知っているのですから
精神は心よりも遥かに多くの事を知っていて
それを誘導している”知る者”なのだと言う事です。


アダムスキーは”心”は”結果”であると触れていますが
私達もその事を第一章を通じて学びました。


心なるものの価値観と知識は、
私達の感覚器官が体験した結果の集合体であり、


心は感覚器官が心地良いと感じるものにこそ
価値観を感じる存在であり
私達が自分を可愛いと感じるエゴでもあります。


そんな心が理解して知っているのは自分が満たされる方法と、
感覚器官が納得してくれた情報だけなのです。


しかし真理なるものはそこからは導き出す事は出来ません。


私達の体のメカニズムは宇宙の法則で満ちていますが
心はそれを認識できないからです。


真理は精神でこそ感じる事のできるものでありますし、
結果ばかりに捉われている心は、真理とは無縁の存在だからです。


だからこそ真理なるものを求めようとすれば
当然、精神の働きをこそ
感じなければならないのだと言うことになります。


つまり、実は私達は自分自身の中に100点満点の解答を持ち続けながらも、
その存在に気がつく事なく、心を使用しては独自の答案用紙を作り上げて、
それを100点であると信じて疑っていない様な存在なのです。


しかし私達は真理なるものが理解できていない存在なので
実はその答案用紙の採点の結果が30点でも
それを自覚する事も出来ないのです。


そして私達はその30点の答案に従ってそれを真理であると
信じて生きているような存在なのだと思います。


私達の肉体を動かすためのエネルギーでもあり
私達の実態でもある魂は、
もともとが神の分身であり神のエネルギーの一部です。


私達の魂(精神)の存在は神の一部が実体化したようなものですから
その魂は本来は神の意識や知識としての
100点満点の答案を持っている事になります。


しかし私達の精神は、心が活発に動いている間は
表にはその姿を見せる事は出来ないようです。


エゴの持つ力なのか、
私達の肉体が持っている周波数の所為なのか


私達は現実社会を見つめる時には
常に心を持って其れを感じ取る癖がついています。


不思議な事に宇宙空間に出た事のあるような人間は
この地球内部での感覚とは異なった感覚を
誰もが経験する事になるようです。


其れは精神を強く感じる体験に他ならないと思います。


その状態は神の意識である精神が感じる状態であり
同時に想念を受け止めやすい状態でもあるはずです。


宇宙飛行士が宇宙船の旅の間に
他の乗組員が何を望んでいるのか、


それを言葉で言われなくても
暗黙のうちに了解するような体験をしているのは
そのためであると説明も出来ます。


彼らは精神を表に強く出した状態で
お互いの想念を受け止めあっているのです。


一方、この地球と言う空間に暮らしている私達は
どんな事情のためかはわかりませんが
宇宙意識を感じ難い状況にされているのだという事です。


宇宙飛行士が皆体験するその状態こそが
精神を強く感じた状態に他なりませんし


私達人間が本来あるべき状態を、
地球人としての私達が進化しなければならないその状態を、
彼らは宇宙空間で無自覚のうちに体験して来たのだと思います。


それは自分の精神が宇宙空間と一体化するような
体験かもしれません。


神の一部である私達の精神が宇宙空間という他の大部分に共鳴しては
私達にあるべき自分達の本来の姿を気がつかせていたのかもしれません。


そして宇宙の法則がそのまま実践されている自分の事を深く知れば。。


心だけでなくその精神の働きを理解し
それを使用して人間としての自分の事を理解しようとすれば
私達は内在する神の意識を通じてすべてを知ることになる。。


アダムスキーはそう触れているのだと思います。


再び引用です
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
妊娠している女性は自分の体内に
受胎の状態が起こっていることを知っていますが


彼女の心は人体の創造について何が行われるかを知っては居ません。


何度も彼女は「どうなっているのだろうか」と考えます。
胎児を生長させているようなたタイプの英知を正確に知っている
心と言うものはこの世に存在していません。


受胎から出生に至る青写真がすでに作られている事は事実ですが刻々と新しい人体を
作り上げている英知の写真は撮られていません。


この英知は人間の心、母親の心などを超越したものです。


人間の心は体内で何が行われているのかを知らないのです。


このことは心が自分よりももっと偉大な英知に従属していることを
証明しています。


しかし心はこの行動な指導に身をゆだねるならば
英知と等しくなる可能性を持っているのです。


ここまで。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

アダムスキーは生命の誕生に触れる事で、
其れを知るのは心ではなくて精神であると話しています。


私達は生命の神秘と言いながら、
実はその実態をまるで理解しようとはして居ないのです。


最近は遺伝子工学も盛んになっていますし
人工生命体程度であれば作り上げる事も可能なのかも知れませんが、


無から元素を利用して
人間を作り上げる知識など私達にはないはずです。


しかし私達の体はその事を知っているのです。


妊娠した母体が如何にその生命体としての子供を作り上げるのか、
そんなテーマ一つとっても、


私達は其れを結果として当然の事であると捉え
それ以上に深く考える事もありません。


例えば私達の体が怪我をした時に、
速やかにそこが塞がり修繕されていく事だって、
私達は其れを当たり前であるとしか考えていないのです。


ただ、もし体を細胞単位で考えれば、
その細胞がどうすればその場所を修繕する事が出来るか


どうすれば修復する事が出来るかを知っていて
他の細胞に働きかけて修繕を可能にしている。。


もしくは各細胞が修復の手段を何かに教わっていると言う事になります。


私達が”ここを直せ”と考える事によって
傷や怪我が修復されるのではなくて、


細胞からの何らかの信号が脳に働き、
今度は脳からまた別の信号がある元素に働き、
結果的にはその修繕作業にあたらせるようなものかもしれません。


単に傷ついた事を細胞が認識して
それに対応して周辺の細胞が見えない作業を直接行うのかもしれません。


いずれにしてもそれを命令しているのは私達ではありません。


私達の”心”は治癒についての何の情報も知らないからです。


では細胞にその修繕の仕方を教えているのは
一体何なのかという事になります。


勿論細胞に指令を出しているのは
精神の意識です。


そしてそれは神の知識として
DNAと言う形をとっている物のようです。


そういえば、細胞一つ一つにしても、実はそれぞれが記憶を持っていると
マスターやアダムスキーが触れていました。


そしてその細胞どころか細胞を作り上げている
元素すら記憶を持っているそうです。


話は飛びますが、自分の過去生に関して
”私はナポレオンだった”とか自分が偉人であったと思い込んでいる
人間達が大勢居るそうです。


そんな人間達のその思い込みは
もしかしたら想念を感じたためかもしれないそうです。


想念は大昔から現代に至るまで
多くのものがその辺に散在しているそうですし
アカシックレコードとしても残っているようです。


例えば精神から受け止めた昔の人間の想念を、
そのまま自分の過去世であると勘違いし


其れがナポレオンの想念であったような時には
自分をナポレオンであると勘違いするような事もあるそうです。


そしてもう一つ可能性があるのが
元素の記憶による場合だそうです。


私達にしてみれば生命と居えない元素体でさえ、
全てが記憶と想念を持っているそうです。


考えてみれば元素は全てが神が作り上げたものであり
そこに入っているエネルギーは全ては神のエネルギーでもあります。


創造物で神の意識に拠らないものは
この法則の中において存在し得ないのです。


私達の肉体を作る元素だって
それ以前はどんな使用のされ方をしていたかは判りません。


大昔、人が死んで土葬とされた時に
其の肉体を構成していた炭素や酸素や酸素が
植物から吸収されて植物の一部となり、


其れを食べた草食動物の一部となり、
更にその草食動物を私達人間が食べると


死んだ人間の元素が、
めぐりめぐって私達の体の一部となります。


私達の体の細胞は、それぞれが様々な経過を通じて
今の状態に作り上げられているのですから


元素はその間、多くの想念にも晒され続け
その想念のエネルギーを持ち続ける事になるそうですし


その時の細胞の主の記憶をも持っているそうです。


地球全体の元素の量は大昔からほぼ一定で
ほとんど変化はないそうです。


それらは使い捨て状態ではないので
それが一旦分解され滅んで
今度は新しい元素が出来上がっていると言うわけではないのです。


私達の体を作り上げている元素は、
その全てが過去からのリサイクル元素である事を考えれば、


その一つ一つの細胞に含まれる想念は
私達の想像をはるかに越える物になります。


その元素の一つに徳川家康や
豊臣秀吉の細胞が混ざりこむ事もあるわけで


その細胞が過去に持っていた想念を私達が感じると
時には自分が偉人であったような錯覚を持つ事にもなるそうです。


私達は元素なる物の性質すら理解できていませんし
増して想念を感じにくい私達は
元素が様々な情報を持っている事も知らないのです。


話は戻って、
私は残念ながら人間が生まれてくる過程の
生命の法則は判りませんが、


私達は、母親が生命の誕生に関しての知識を全く持っていなくても
母親の中でその姿を変貌し続け


目や鼻や口や耳そして手や足や頭や脳や内臓を兼ね備えた形で
人間として生まれてきます。


その製造過程を私達の心は知りませんが、
私達の精神や細胞は確かにその設計図を知っているのです。


その意味でも精神の存在は私達にとって
未知なる真理をも全て理解している”知る者”である。


アダムスキーはそう説明しているのだと思います。


私達には未知なる領域である生命の創造が
神の意識で母親の胎内において繰り返されている。


そう考えると母親の体内は宇宙意識に直結している
空間のようなものかもしれませんね。



ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
P.S.


以前、アダムスキーの話の引用で
私達の太陽系が12の惑星を有していて


四つごとにアステロイドベルトといわれる
小惑星帯で区切られていると言う話を取り上げました。


アステロイドベルトは宇宙空間の子宮であり
時には惑星の生みの生みの親としての
役目を果たすそうです。


太陽系の全体の形状が
特定の法則に基づいて出来上がっているために


そのバランスを崩すような事がおきると
それを補うような創造を実行するのも
このアステロイドベルトの働きだと言います。


月のような衛星も
恐らくは惑星の軌道や自転活動などの何らかのバランスを保つための
存在であろう事は想像つきますが


12個ある存在が一つでも失われるような事が起きれば
もしくはその崩壊が予測されると


アステロイドベルトはそれに対して速やかな
復旧作業を行うと言います。


勿論、一定の秩序を維持するためだと思います。


アダムスキーの話では、やはり惑星含め
殆どのものがガス状の元素の塊から
出来上がっているようですし


アステロイドベルトはその周辺の小惑星に見えている物や
宇宙塵などから惑星などを作り上げる作業をしていることになります。


私達にしてみればアステロイドベルトは生命体ではありませんし
それが意思を持っているがごとく惑星などを作り上げる事等
想像もつきませんが、


ブラザーズやアダムスキーが語るのですから
それは正しいのだと思います。


と言うことは、アステロイドベルトの周辺に人が集まってきて
惑星などの元を作り上げるわけではないのですし


アステロイドベルトも何かの見えない法則をもって
働いている事になります。


勿論それは宇宙空間レベルでの
宇宙の法則に基づいているはずです。


生命の誕生のその遥か以前には
惑星の誕生と言う過程も存在していることがわかりますし
それも宇宙の法則に基づいていると言うことになります。


もっと言えば太陽系を作り上げる法則もある事になりますが
無知な私はわかりませんので説明できませんが


宇宙空間はありとあらゆるものが
誕生し死滅することを繰り返している空間であり


私達だけでなくてその万物が
神の法則に基づいてその過程を
繰り返しているのだと感じました。


アダムスキーは精神を深く感じると
そんな宇宙空間との一体化を
感じることができるようになると話しています。


アダムスキーでも数年間かかったと言うその域に
私達は今回の生でたどり着くことは難しいでしょうね。。


ただ、私達が学び成長したと言う証は
死んでも消えることは無いようなので、
無駄だとは思わないで懸命に精神を感じて生きて行きたいです。


私達は大いなる法則の元
偉大なる存在に見守られて生きている。


その事が理解できるようになるだけでも
今回の生の目的は達成できたことになるかもしれません。