生命の科学VOL48 | 不幸のブログ 

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三次元と四次元の狭間 に関しての記事と生命の科学と宇宙の法則
について語ります。


以前から頻繁に
直腸や肛門を腫らされるとコメントしていますが


正しくは直腸を腫らされて肛門を塞がれると表現すべきでした。


そして今はさらに進化して直腸を塞がれる状態へと
出力が上げられています。


どうも相変わらず宿便確保の目的が見えて
辟易しているところです。


相変わらず異物を確保され続けています。


妻も動きが洗脳モードになっています。


私は自分に関与してきている工作員達の正体を
ある程度認識できました。


私は地域では邪魔にされる一方で、
複数組織の勢力争いにも利用されているのだと思います。


今日は身近な工作員に関しての記事を準備してあったのですが
精神を沈めるような脳への関与を受けたらしく
少し清清しい事もあり


武士の情けをかけたいと思います。


勿論、被害が酷くならなければの話です。


一方、加害者達はどうやら私の肉体的証拠を
隠蔽したいと言う意図もあるようで


トイレ妨害をした後は無理やり全身に栄養供給を
してくれているようです。


つまりは太らせようと言う意図が見えると言う事です。


酷い危害に抵抗して食欲を落とした私が
この数年間で随分と痩せたと言う事実を隠蔽する
と言う目的もあるような気がします。


妙な照射線はマイクロ波を受けた時と身体反応は一緒で
全身が水分などで激しく浮腫みます。


困った事に一方では甚振るだけ甚振っても
その後に証拠が残らなければ良いと言う意識も
感じています。


島に行った時に酷い目に遭いながら
結果的に回復させられたのも


勿論私のためと言うよりは
その格好で広報でもされてはバツが悪いと言う
加害者達の意識の現われのはずです。


現に船内で「証拠は消しておかないとね」
と仄めかしている人間達がいました。


今加害者組織が隠したいのは
被害者が被害者であると言う証拠でもあるはずです。


保身を図るためにも更なる関与をされているかと思えば
正直腹立たしくもありますが


頭髪などに関しても回復するのであれば
しばらく様子を見る価値もあるのかもしれません。


でも今も顔への関与が再び始まっていますね。。


自分達の嗜好で仕掛けてくる加害行為には
私は過敏に反応する事を
まだ理解してはいないようです。(顔、頭髪、匂い)


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掲示板で興味深いコメントをしている方がいました。

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496 :名無しさんの主張:2012/02/03(金)
14:15:44.06 ID:jx37gH0N
>>489,491


君が集スト絡みの話題を物干し君から切り離そうと
書き込む癖があるのは良く分かったからw


物干し君のブログはカルトの洗脳手法の流行を
発進している様相があるなw

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実はこれは私が恐れていた事でもあります。


私が紹介している生命の科学やブラザーズの話は
今まで散々いろんな形で手を付け加えられながら
人々に紹介されて来ていると思います。


勿論、闇政府にとって差し障りのない程度にです。


しかしそれは宇宙の法則の一部分だけを取り出して語っていて
多くの人間にしてみれば
内容が難しかったり奇麗事だったりしていたはずです。


でもアダムスキーの紹介してくれている生命の科学は
間違いなく包括的かつ一貫性のある価値観を持ったものであり
知れば知るほどその主張は魅力的ですし


それが真理であることも理解できます。


既存の精神世界よりも魅力的となれば
それを利用しようとする人間が出てきてもおかしくはない。。


その事は正直危惧してもいました。


新しい信者勧誘の手口にされなければ良いなとも
思っていました。


でも、今実感している事は
生命の科学を捻じ曲げて学ぶ事は不可能だと言う事です。


生命の科学を学ぶうちに
各人が自らの進化を感じそして進むべき道にも
気がついていく事になるからです。


その意味ではどこの組織の誰が生命の科学を教えても
私は問題ないと思います。
(その解釈を強制して押し付けない限りです)


私の記事だって参考にして貰うためのものですし
私よりも後に学び始めても


私よりも遥かに理解の進んでいる人間だって
大勢出でいるはずだと思います。


一から30を学ぶものも炒れば100を学ぶものもいると
イエスキリストが種蒔きの引用で教えてくれていたように
私達は理解力にも差が出てきます。


そして結局は自らがこの真理を学んでいく事になるはずです。


師となれるような人間はこの社会には居ないと
思うからです。
(イエスキリストやアダムスキーの様な人間は
居ないと思います。)


どこの誰が生命の科学を教えても
”それに付随して誤った価値観を植えつけない限り”


かえって正しい普遍的真理に一人でも多くの人間を
導く結果になるのですから私は嬉しく思います。


ただし、教科書はアダムスキー21世紀生命の科学と
アダムスキー全集です。


繰り返しますが、21世紀生命の科学は
スペースブラザーズが事細かく指示し
編纂した内容だと言う事です。


アダムスキーとブラザーズが伝えようとしたものを
捻じ曲げて伝えられる事は結果的に
宇宙の法則が捻じ曲げられる事だと考えています。


宗教の聖典ではありませんが
ある部分を削除したり付け加えてはいけないと思いますし
全てをありのまま受け止めて学んで欲しいと思います。


ここを読んでくれている方は私と一緒に学んで行きましょう。
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例によってアダムスキーの21世紀生命の科学からの引用です。

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【永遠の記憶を保つには】


意識とは様々な固体をはらんでは生み出す万物の父母です。


そしてその内部には設計図または記憶が常に存在していて
必要なときにはいつでもそれを利用しては
照覧することが出来ます。


しかし心だけではこれはやれません。


意識と心の両方の組み合わせが必要です。


なぜなら我々が知っているように、
心はいつも結果(現象)から学んでいるのであって
今度こそは結果を生み出す原因を理解しなければならないからです。


結果とは一原因の実現ですが、
心はコーズマインド(因の心)がこうあれかしと
意図した通りに正確に遂行しないかもしれません。


そのため誤解によって過失が生じることもあります。


ここに恩寵の法則が入ってくることになり
この法則によって心は自身の誤りに気づいて
それを修正する機会を持つことになります。


しかも進歩がなされる前に修正されねばなりません。


それは心のためではなく
意識のためになされねばならないのです。


このようにして心はより良き自我が
心にやってもらおうとする物事を行うように
仕向けられるのです。


これがなされないとしても
少しばかりの記憶が残るかも知れませんが
その記憶はゆがめられてしまうでしょう。


人間は宇宙的な記憶を持とうとして焦ってはいけません。


焦りは法則の誤用を生み出すからです。


意識は永遠のものであることを常に記憶してください。


だから意識はどこへも逃げようとはしませんし
急いでもいません。


意識は本来全包容的であるからです。


これを記憶することによって人は多くの過失を避けえるのです。


永遠の記憶を持ち続け、
神すなわち”至上なる英知”の似姿になるためには


人間はそれを(意識を)いかし、
配偶者と共に生活をすごすように
生涯の伴侶としてともに生活しかねればなりません。


自分のみについて考えないで、もう一方の意識をも考えて
調和ある一体性を生み出すように二つを混和させなさい。


これが心と意識とを混和させるのに
なさねばならぬことなのです。


このことがなされると人は最初に意図されたように
神の姿を現すことになります。


これは丁度一人の男とその妻が互いを現しあい
最初の出会いとそれ以後のあらゆる行動の記憶がいつまでも残り
共に人生を楽しむのと同様です。


心と意識との結婚はライオンと子羊とが
仲良く横たわっている話で象徴されてきました。


このことが実現すると人間は
”永遠”への途上にあることになり


黙示録で約束されたように”記憶の書”が
貴方の前に開かれるでしょう。


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精神(意識)なる存在に関して
今日は復習しておきたいと思います。


アダムスキーは精神(意識)なる存在こそが
”至上なる英知(神)”であるとして
それが全てを理解している存在であると言うこと、


そして宇宙の法則含めた全ての法則と記憶とを
内在した存在であると触れていました。


私達の心を使用するわけでない活動は
細胞内に精神の記憶であるDNAと言う形で記憶されていて
それにより誘導されるものであるということ。


宇宙の創造や地球の創造や進化に関しても
それが偶然の産物ではなくて


全てが神の意識に基づく法則により
誘導されているものであり


”至上なる英知”は全てを理解している存在であると
いう事でした。


私達が理解すべき精神なる存在は
単なる私達の心の奥の”潜在意識”ではなくて


言い換えればそれは私達全ての生命体の共通意識であり
それは同時に私達の精神の元である
神の意識でありそのエネルギーでもありました。


さらにその精神からの誘導で法則が機能するだけではなくて
一方では私達の宇宙的体験や記憶は


その精神を通じて神の意識ともいえる
宇宙意識(アカシックレコード)へと刻まれ
それは私達にとっては共通意識と成るものでもありました。


精神なる存在はそれ自体が莫大な記憶であり法則であり、
エネルギーであると同時に神の意識でもあり
更には私たち生物にとっては魂と言える存在でもあります。


私達は無自覚なだけで、
実際は私達の生命のエネルギーを供給しているのは
食物をとる事による栄養だけではなくて


精神へと送られている無自覚のエネルギーらしいという事も
理解できるようになりました。


更に精神なる物は同時に私達にとって重要な
感覚器官でもあり、その司るものは触覚でした。


単に痛いとか寒いとか硬いとかといった
認識をするだけの存在ではなくて


私達の全身から放射され辺りに飛び交う想念を感じたり、
テレパシーを受け止めるのもこの精神の役割でした。


更には、この精神を心と併せて使用することで
私達はその行動や知識を宇宙意識、神の意識に
併せることもできる。。。


そしてこの精神をアダムスキーやブラザーズは
”英知”と呼んでいました。


彼らが”英知”と呼ぶのは勿論神の意識に他なりません。


そして神の意識の中には全ての宇宙的記憶と
全ての法則が存在しているはずです。


私達の地球の生命体の記憶はDNAと言う形で記録され
私達の細胞の中に残されていましたしたが
それだって神の意識が私達の中に存在している証拠なのだと思います。


アダムスキーによれば、精神(意識)は全てを知っている存在ですし
其れは神の記憶その物でもあるのだと思います。


そして創造主は全てのことを知っているのです。


その精神を私達が認識できるようになる事で
私達は全てを知る存在に近づくことが出来るようになる。


その神の膨大な記憶は私達がアカシックレコードと呼んでいる
宇宙的共通意識の持つ記憶であり


私達は宇宙的覚醒を果たすことで
そこからどんな知識でも引き出すことができるようになる。


アダムスキーは著書でそう触れてもいました。


ついでに私見として心と精神について触れれば


おそらくは私達の心は精神と密接に結びついていて
人間の脳に例えれば右脳と左脳の様な関係にあるのではないかと
想像できます。


両者はそれぞれ別の機能を司っているわけですが
正しく思考するにはその両者を並行して使用することが
求められるわけです。


心と精神もおそらくは似ていて
心と言う神が個人が自分を自分と認識するために与えた
自由意志を持つ存在は、


一見精神とは無縁のようにも思えますが
その根は精神に結びついているのだと思います。


現に私達は転生の時に記憶を失っていたとしても
その個性は前世の資質をそのまま受け継ぐことになるようです。


それは心という存在が肉体の消滅と共に
消える訳ではない事を示していると思うのです。


私達の個性は自由意志を持った心の存在によって
表現されることになるのですし


精神しか転生に影響しないとなれば
私達は新しい体験をするまでの期間は
他の精神と自分を区別することも出来なくなる筈です。


転生しても、自由意志を持って体験した価値観や
それによって作り上げた個性を持ち続けると言う事になれば
心は精神と共に転生する存在ではないのか?


そして心と精神は両者が密接な関係にあるのではないのか?


そんな事を考えていました。

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アダムスキーは前回、夫婦や同居を始めた人間が
相手に合わせて変わっていく様子を参考に
心を精神に近づけていく方法を私達に教えてくれました。


私達の意識すべきは自我でありエゴの発信地である心だけではなくて
精神を感じることこそが大切である、と言うのが
生命の科学での大きなテーマの一つになっています。


そしてその精神を感じる努力をする事で
私達は自分達の意識を変えていく事になるのは


ここを読んでくれている誰もが
日々の精神の進化の中で自覚していることと思います。


そしてその精神の元となっているのは
ご存知のように神の意識です。


心と精神を併せて行くと言う行為は
私達が神と言う存在に少しづつではありますが
近づいていく行為でもあるのです。


そして創造主の神が人間を自らに似せて作り
まだ未開発な能力含め私達にこの能力を授けたのは
私達が神に近い存在へと進化することを期待しての事だと思います。


それが人間の目的だと言うのなら
創造主のその意志に答えるためにも
私達は心を精神へと重ねる努力をしなければならない。。


そのためにも私達はまずは
精神を強く感じる事ができるようになる必要があるのです。


以前私達の精神をテレビに例えてコメントした時に、
その受信しているはずの電波を受け止める事が出来ないのが
私達地球の人間であると触れました。


アダムスキーはこうも語っています。


「TVと言う存在は今の私達が受信できない
エーテル体とも言える状態に変貌した映像を音を受信できる
私達の精神よりも高度な能力を持った存在である」とです。


TVの受信能力は実はそのまま人間にも備わっているのだとも
アダムスキーは触れていました。


つまり、もしも私達の精神の司っている
触覚能力が高くなれば


電波として存在しているTVの画像や音をも
受信して脳の中で再現できると言うことです。


そこで更に触れていたのが
私達がそのような科学力を作り上げる事が出来ると言うことは


私達自体がそのような能力を持ちうる存在だと
言う話でもありました。


私達は今こそ何でも便利さを科学力に求めていますが
その多くは科学力なしにこの肉体で実行可能なのだと
言う事だと思います。


例えば今の私達には信じがたい話ですが
アダムスキーは土星への会議に向かう時に
特別仕立ての宇宙船に搭乗したそうです。


そこでは宇宙船は単なる物体ではなくて
宇宙を走る電磁波と同調したような存在と変貌し


その中に乗っていたアダムスキーは
宇宙船とその乗組員と一体化した感覚を感じ続けたといいます。


はっきりいえばその宇宙船は私達が
テレポーテーションと言っているような能力を
装備したものであったと言う事です。


私達は自分達の肉体の周波数を自ら変更する事はできませんが
宇宙の流れの磁場に周波数をあわせたときに
物質はその磁場の流れに乗る事ができる。


それを実現しているのがブラザーズの
特別仕立ての宇宙船だったそうです。


そしてアダムスキーはテレポーテーションを
人間が実行可能であることを匂わせてもいました。


と言ってもアニメのごとく容易なものではないでしょうし
おそらくは私達の脳機能が限りなく神に近い状態まで
進化したときに、初めて使用可能になるような能力だと思います。


しかしブラザーズは自らがその段階に進化する前に
宇宙船でそれを実現して見せた。。


おそらく遠い未来にブラザーズが神に近づいたときには
宇宙船なしでそれを体験する日もくるのでしょうね。


そして私達がこんな事が出来ればと考える様な事の多くは
実現可能であるともアダムスキーは触れています。


おそらくはそんな想像の多くは
精神の記憶に連動している可能性が高く


そのような時は、
私達は宇宙意識からその記憶を感じ取っているに
過ぎないからだと思います。


話を元に戻します。


私達は自分達の精神の受信する周波数を変動することで
あらゆる想念を感じる事も出来るようになるという話です。


ただ、それ以前に私達はその受信するための機能である
精神を自ら意識して使用出来るようにならなければなりません。


そしてその行為は創造主と意識を共有する行為です。


アダムスキーはここでその重要性を取り上げているのです。


私達のこの社会では右ならえ主義や


個人として目立たないように人に協調してみせる
行動が目立っていますが


一方では欧米的個人主義嗜好も進んでいて
他人の事は放置して自らが良ければ其れで良いと言う意識が
強くなっていると思います。


私達の自我は人に合わせているように見えて
実は自分が心地良い状態を維持するために
ここでもエゴを感じて行動しているに過ぎないのだと思います。


その証拠に離婚や家族の不和も急増中ですし
全ては欧米主義的な個人的価値観重視の
なせる業だと思います。


しかし私達は他人との関係でも
其れを良くしたいと心から願えば


その行動を他人に併せたり似たような価値観を共有する事で
其れを実現する事も可能になります。


其れを神との間に実践しろと言っているのが
心と精神を併せるという行為に他ならないと思います。


その行為は神を理解する行為であり
同時に私達の精神という感覚器を活性化する事でもあります。


私達が何かを考えるとき、何かを行動に移そうとするときに
心を感じてそのエゴに基づいて心の心地良い行動を取る事を
私達は理解しました。


其れは自分一人の事だけを考えた場合の行動でもあります。


それを多くの人間との関係、
しいては万物との関係の中でより良い結果を出そうとする場合、
恐らくはその行動は異なってくるはずなのです。


その行動を導き出すためにも、
心の意志だけで判断するのではなくて


精神を感じて、そこに万物にとって一番の100点に近い
回答を見つけては其れを行動に移すことが大切だと言う事に
なるのだと思います。


私達は単なる個人として存在するのではなくて
万物との調和を求められている存在だからです。


そのためにも私達は心ではなくて精神を意識して
行動する事を求められている。


そして其れを可能にするのは
私達が神と意識を共存することである。


アダムスキーはそう触れているのだと思います。


とは言うものの容易に「これが精神の意識だ」


と判断するのも私達にとっては容易ではないと思いますので
当分は私達が良く表現する”理性”に基づいて行動する、


”理性”を使用しては物事を冷静に判断すると言う事を
実践していく事が良いのだと思います。


そして心の暴走を抑え、心のエゴやプライドを抑え行動することが
私達の心の自己主張を留めて
精神を意識するきっかけとなるのでしょうね。

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P.S.

精神世界で”高次元の周波数”と言う表現がありますが
困った事にあれはある意味正しい表現だと思います。


私達は神の意識やブラザーズの想念を感じるためには
私達の精神の周波数を高める必要がある様です。


其れが進めば勿論神の意識である精神も
感じやすくなりますし


一方では意識の高い想念を感じ取ることも
出来るようになるのだと思います。


厳しい意見ですが
生命の科学を知る以前に読む事のあった多くの精神サイトが
最近はとても陳腐に思えます。


おそらくはその意識は私に限った事ではなくて
そんな情報の多くが正しくないものをフンダンに含んでいる事を
私達は嫌でも認識出来るようになっているからだと思います。


奇麗事を書いてあるサイトを何10回と読んでも
私達の精神の進化はないと言う事にも気がつく事になります。


読んでいる時にその内容に感動しても
その時心が満たされた感覚を受けるだけで
私達は自分としては何も学んではいないはずです。


生命の科学は地道ではありますが
確実に私達の精神を進化させるものです。


実行していない人間には判らなくても
実行している人間は自らの変化を体験することになる。。


イデオロギーや宗教ではない普遍的真理の欠片を
私達は自ら体感しているのだと思います。