生命の科学 VOL30 | 不幸のブログ 

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三次元と四次元の狭間 に関しての記事と生命の科学と宇宙の法則
について語ります。


腸に異物を貼り付けた状態での顔への関与が始まりました。


出かけようとしているので
私への虐待行為の証拠隠滅を目的としているようです。


諸星は顔がまん丸になっているし
健康的に太っている。


そう思わせたいのだと思います。


やる事はいつも姑息です。

P.M0:35

早朝起きてトイレにいくも当然妨害され、
今朝は体の疲労も脳疲労も激しく朝寝坊をする状態でした。
(それでも脳疲労回復に十分な睡眠は取れていないと思います)


先日夢の話を書いたことが災いしているかもしれません。


昨日の身体への照射と脳への照射は並ではなく
脳への攻撃も一日中続いていました。


首筋付近と脳全体を覆い被せる様な関与でした。


首筋の方はイライラにも通じる効果があり
一日中神経がピリピリした状態でした。


直腸をへの関与のトイレ管理で
異物の排泄を妨害していますし脳への照射は
相変わらず続いています。


思考能力は出力一つで操作が可能な状況にまで
されているようです。


背中から肺への関与も始まっています。


受けているだけでも呼吸が息苦しくなります。


音波に、低周波にマイクロ波に放射線。


何でもありのすごい環境で
取り合えず未だ意識を持って生きています。


風貌への関与も酷くなっていますし
老化も促進している事が髭にも白髪が多く混ざるように
なったことからも判ります。


宇宙の法則、生命の科学を取り上げている人間が
老化促進し老けていれば説得力に欠けるとでも
考えていて誘導しているのかもしれませんね。


単なる嫌がらせも込みなのかもしれませんが。


体の筋肉のあちこちに
凍傷や筋肉痛を起こしたときのような痛みが走りますが
これは頻繁に受けている照射線に焼かれているような痛みです。


年末のお休みに入ったような人間や
この時期大暴走している人間達の有志が
私の元にも多く配置されているのかもしれません。


被害が激化中です。

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「私たちは永遠を生きることが可能である。」


その事を理解するだけでも変わってくるものがあると思います。


今まで地球の中でも多くの人間は
永遠を生きてきたのだと思います。


もちろん記憶をそのたびに失っての”地球での転生”を
繰り返す事によってです。


しかしそれでは一度ごとの人生は全てが独立していて
私たちの転生の持つ本当の意味と目的を
果たすことは出来ません。


そこには魂の進化は存在していないのです。


それに真の自分の存在を理解しないでいると
神の意志との乖離を起こし
魂の消滅へと進む事だってありえます。


今の地球社会を見れば良いのです。


一般市民であっても、この社会の構造の弊害を
見て見ぬ振りをするような人間の魂が
神の意志とかけ離れる事になるのは言うまでもありません。


まして暴走している人間達の数は
増え続ける一方です。


私たちの中の多くの人間は
既に魂の消滅の危機におかれているのだと思います。


イエスキリスト時代と比べても
今の社会環境は人々の心を容易に蝕む要素で満ちています。


このままでは遅かれ早かれ
私達は二者択一を迫られることになりかねないのです。


真の生命へと進む転生をするか、
魂の消滅へと進むかと言う究極の選択をです。


私達は自らの存在が
永遠の命を生きる可能性がある存在である事を知るのと同時に
自らの生きる意味を理解すべきだと思います。


何度も繰り返すことになりますが、
何故に私たちはこれほど立派な脳を与えられながらも
それを100%活用できないのかを理解すべきなのです。


アダムスキーは記憶を持っての転生に関連して、
過去の記憶が残っているゆえの学習の速さに触れていました。


記憶を持っての転生では前世の宇宙的な記憶は
全て精神から導き出すことが出来るそうです。


それに肉体への記憶としてそれを利用するにも
一度学んでいる事を再び学ぶときの容易さは
私たちでも理解できるはずです。


学生時代に学んだ世界史を今読み直せば
以前覚えた時と比較にならない速さで
全てを覚える事が出来ると思います。


以前の記憶が残っているためです。


真の転生ではそのような状態が
私達の記憶の基本となるのだと思います。


つまり子供の時代に前世の脳の能力を
全て持った状態で新たな人生での経験と学習が始まるわけです。


一方真の転生をした場合は地球よりも
元々の精神性が高い状態からの
スタートになるらしい事も想像がつきます。


精神意識が高い状態からのスタートになると言うことだと思います。


精神性が高いほど脳も活性化するようで
私たちはそこで脳の機能も今よりも進化した状態からの
人生を送ることになるわけです。


今までの人生では生まれるたびに真っ白な状態からの
スタートだったものが、


その元々の資質も高まり知識も以前よりも
多く持っている状態からのスタートとなる。


他の惑星の人間たちの脳が発展している理由も
よく理解できます。


記憶を持っての転生を繰り返している人間たちは
確実に進化している存在なのです。


それと比較すれば私たちが如何に無駄な人生を繰り返しているかと
言う事にもなると思います。


私達の実態である精神(魂)にとっては
ただの器に過ぎない肉体が滅ぶたびに
私達はゼロからのスタートを繰り返しているわけです。


しかも魂の崩壊の危機を常に持ちながらです。


私達は自分の事をもっと知るべきだと思います。


私達が進化をしながら
永遠の時間を生きていける存在であることを理解すべきなのです。


そのためにも精神と正しい神の存在を理解しなければならないのですが。。。


しかしそれを理解するためのハードルは
限りなく高くなっている。。


それが今のこの社会の実態なのです。


イエスキリストはそれは簡単なことでもあると触れていました。
(手段としては簡単だと言う意味です)
アダムスキーやブラザーズも同様にです。


それは意識を変えて生き方を変えるだけの事だからです。


しかしそれが現実的に難しいのは、
私達が他人に容易に誘導される存在であるから。。


そして私達の心は楽を求め快適を求めるために
慣れ親しんだ生き方を容易には変えてはくれないからだと思います。


更に地球環境はまさに私達の心を刺激し
エゴを暴れさせる社会へと変貌しています。


心がその社会を受け入れ続ける以上
私達は生き方を変えることは出来ない。。。


そしてそんな生き方をしている分には
いつまで経っても精神の存在など意識することも
感じることも出来ないのです。


人生80年。


一度きりの人生。


死は全ての終わり。


死後は魂として天国で暮らす。


そんな常識が蔓延っている内は
私達は自分達を取り巻く悲劇から自らを卒業させることは出来ません。


良くて記憶を失っての永遠の転生のループ。


最悪魂の消滅が待っています。


そんな生き方から卒業するための生命の科学。


今後この日本の中でも、一体どれぐらいの人間が理解して
実践してくれる事になるでしょうか。


自ら理解し、自ら実践し、自ら検証することになる
偉大なる父の法を理解するための初等教育。


それに気がついたこの機会を
地球社会からの卒業の機会としてください。


イエスキリストであればこう語ってくれるかもしれません。


「父の法を学ぶ人間は幸いである、
神の国は彼らのものだからです」と。。


2000年前には難しかったイエスの教えも
今の私達なら理解できるはずです。


今日もいつものとおり
アダムスキー”21世紀生命の科学”からの引用です。

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【心は人体内の英知に気がつかない】


これが人間の”意志が右(前回の記事)の過程の

”意思”に身をゆだねなければならない理由です。


但し、人間の意志が自己の正体やその存在の理由を知ろうとするならばです。


私は右の知識にやっと到達したに過ぎない地球の科学に関連して
以上の事柄を伝えました。


先述のように異星人は
数千年間右の知識を持っていてそれを応用しています。


人間が真の自我を知ろうとすれば右の知識は根本的に重要です。


右の知識の中に生命の絶対的な確実性があるからです。


心だけで生きている我々は肉体内で何が起こっているかについて
ほとんど知っていないと言う事実を認めねばなりません。


しかしある種の知識が肉体を通じて
働いていて「どうしたらよいか」を心は知らないのに
肉体は知っていると言うことが我々にはわかっています。


ゆえに心はこの事を既成事実として盲目的に受け入れてきたわけです。


しかし心が調和的な穏やから状態を保とうとすれば
人体内で起こる物事のすべてを知ることが心の義務であり特権でもあるのです。


こうして心自らが創造された目的を果たし、
不安によって引き起こされた混乱と恐怖によって齎された諸状態を
排除することが出来るわけです。


そのとき心は現在やっているような過失を繰り返さないでしょう。


心と言うものは人体内の意識的な英知の働きに
ほとんど気づいていないということはお解りでしょう。


我々が眠っている時、意識は人体を働かせますが、心は何も知りません。


こうして決して休むことないある種の英知が
存在することが実証できます。


だから心も”知る者”となるためにはこの英知と一体化しなければなりません。


これが達成されると人間は現在耐え忍んでいる
不快な生活法のすべてを解消するでしょう。


そして人間はあらゆる固体内で起こっている物事や
その目的を知るようになります。


区分という物はもはや謎を引き起こさなくなるでしょう。


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久しぶりに心と精神の話が中心となっています。


私達が一番理解しなければならないのは
私達は心で認識で出来る物だけを理解してそれで
全てを理解したつもりになっていると言うことです。


アダムスキーの言っていた様に
それでは私達は自分の体の事であっても
その理解は半分以下に留まる事になります。


心が命令を下すことなくても、
私達の肉体の中ではあらゆる種類の活動が起きています。


そして寝ている時にも
私達の肉体内の細胞は働き続けていると言うことにより
その事は実証されるとアダムスキーは触れています。


私達人間は与えられた知識を応用したり理解する事に関しては
優れた能力を持っていると思います。


他の動物とは比べ物にならないほどの
頭脳と創造力を有しているからです。


しかし他の動物と比較して唯一劣っているものがあって
それこそが精神(意識)なるものを知覚する能力なのだと思います。


神が人間だけに与えたと言う”自由意志”なる物の存在は
心と精神の両者から自らの行動をどちらかに決定する
選択権の様な物だと思います。


それは心と精神の両方の存在を認識出来ているのであれば
自分の意思によりその両者からの選択も可能となると思います。


しかし私達が通常意識しているのは心であり
そのエゴであり感情なのです。


元々が精神(意識)なる物を殆ど認識してはいないのですから
せっかく与えられた自由意志はその殆どを心の価値観と意思の方を選択して
私達の行動や思考を決定していることになります。


一方動物は元々が精神を感じて生きている存在で
心なるものは人間の持っているレベルでは存在してはいません。


つまりは行動の殆どは嫌でも精神に従う事になるわけです。


そして折角神から与えられた素晴らしい多くの能力を持ちながらも
同時に神に与えられた自由意志なる存在が私達を試し続けているために、
その能力を容易には有効利用する事も出来ないでいるのだと思います。


それは地球に暮らしている私達が、
精神の存在をいつまで経っても理解出来ずにいる事が
原因でもあります。


アダムスキーは精神を感じるためにも、
私達は自分達が実は理解していない事が沢山あると言う事を認識し
そこに働いている大いなる意識の存在を認識するべきである事を主張しています。


子供が生まれてくるのも、消化吸収作用が起きているのも
怪我や病が回復するのも、全ては私達の心の意志によるものではなくて
私達の細胞は私達の心が知らない事を知っているから。。


そしてその細胞に知識や命令を与えているのが
DNAのような存在であり、


その大元を追及すれば、そこには精神の存在の大元である
神の意識が存在していると言うことを
私達は理解しなければならないのです。


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私達は知識があれば
それを活用できる存在である事は間違いありません。


学校教育から始まる一連の教育にしても
私達はそれを知っているからこそ日常生活でも
その知識を利用し応用しています。


足し算や掛け算一つとってもそれを知っているから
私達は即座に計算する事も出来るわけです。


例え心が理解できていない事象であっても
それを知識として習う事で心はそれに従うようにもなる。


アダムスキーはそう触れています。


心が何も知らない事を私達が理解していないがゆえに生じる
様々な心のトラブル。


それは精神を理解していないが故に生じるものであると同時に、
その影響が更に心の暴走を誘導し


私達に精神の存在を感じにくくさせていると言う
悪い意味での相乗効果も存在していると思います。


アダムスキーは混乱や恐怖に関してここで触れています。


それは心が私たち自身に関する全ての真理を理解していれば
恐らくは殆ど生じさせないで済むであろう私達の負の感情でもあります。


知識がないゆえに
私達がどんな過ちを犯す事になるかを考えて見ます。


私達は永遠に生きる事が出来ると言うことを認識すれば
先祖供養を必要とするという話も出てはきませんし
天国の認識の仕方も当然違ってきます。


間違っても先祖の霊魂からお告げを受ける事も有り得ません。


これは私達が自分達の転生と言う知識がないが故の混乱です。


宇宙人情報一つとっても全ての惑星の一番知的発展を遂げている
生命体が人間であると言う知識を持っていれば


怪しげなエイリアンやおどろおどろしい姿をした宇宙人など
信じる事もないと思います。


テレパシーの実態を認識していれば、科学力で音声送信をされたとしても
その声を神や宇宙人や天使からのお告げであるなどとは考えないと思いますし、


全ての混乱は知識の足りなさから
心がそれを正しく理解できていないと言う
背景が原因となっているのです。


勿論原因となる事象は、
本来なら視覚で確認できるような事柄から(太陽系の実態)
精神を使用できなければ確認できない物事まで様々です。


ただ、視覚と心を使用する事を当たり前であると認識し
視覚と心により実証出来るものこそが全てであると考えている私達だからこそ、


この今の社会のように、裏の実態をまるで理解できない
存在となってもいるのです。


闇政府傀儡が誘導するサイトや主張するコメントの傾向の一つとして
当たり前のことを当たり前に主張するという手法があります。

実証性に拘り、ソースに拘り
検証の可能なことばかりへと私たちの視線を誘導するわけです。


もちろん一方では秘密とされている技術や事象は
知識としてありませんし、結果私たちはそれこそが
現象の原因であっても把握することが出来ません。


これは左脳ばかりを使用して
頭でっかちになっている私達には
とても有効な手法です。


現実的といわれる人間達は視覚で確認し
心で納得する事で物事を正しいと認識することになります。


そしてそんな人間達は実証性をこそ求める傾向もあります。。


電磁波兵器をよく引き合いに出しますが
そんな目に見えない物の存在などは


それこそ政府からでもその具体的な技術含めて公式発表でもなければ
頭の固い人間は認める事もないでしょう。


私達は視覚で認識できる実証性に拘る反面
権威主義的な性格にも誘導されているからです。


しかし頭が凝り固まっている人間や
実証性に拘る人間が信じなくても


電磁波兵器は存在していますし
太陽系の他の惑星にも人間は住んでいるのです。


そこで私達が認めなければならない事は、
私達の知識の全てと自分が納得できる材料は


視覚で現象が確認できる事と
一方は専門家がこれは正しいと主張している内容に
限定されていると言う事実です。


専門家は肉体の神秘に関しても、
その結果としての現象をつなぎ合わせた物を
専門知識として持っていて説明しているに過ぎず、


その根本的な原因を説明する事は出来ないのです。


(気象専門家はエルニーニョ現象の海面の温度上昇は
どう説明つけていますか。それが大気の異常だとすれば
今度はその大気の異常はどう説明することが出来ますか)


つまり私達はその知識や認識の全てが
心が納得出来るものに限定され続けていると言うことです。


もしも私達がここで精神(意識)なる存在を理解して
その原因となる物事を理解しようと努めれば、


そして私達の理解すべきことは
単に私達にとって実証可能とされている視覚で認識出来ることだけではなくて
精神で感じる事柄もそれを知識とすべきであると言うこと。


精神が現実に働き続けている事により
結果的に現象となって現れている事象が身の回りに多数存在していて
(出産、怪我の回復、消化、地球の創造その他山ほど)


それを私達は当たり前の事であると認識しては
深く追求していない事を先ずは認めるべきなのです。


宇宙の法則を実践する社会では
私達よりも遥かに多くの真理が齎されている事は言うまでもありません。


しかしその多くは心だけで実証出来るものではなくて


精神の働きとしての結果があり、それを理解したうえで
心が納得した事による真理こそが多いのだと言うことを
私達は理解しなければならないのだと思います。


私達が心や視覚に拘っていれば
私達の実証できるものは真理の半分にも満たない。


私達はその事を理解すべきなのだと思います。


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P.S.

自分の体の中でおきている現象を理解する事で
心はその効果を良い意味で促進する事も出来るようになる。


例えば消化促進には感情の起伏、
とりわけ怒りなどの感情が良くないと言うことのようで
私も本来であれば食事の時は心を穏やかにしてなければいけないわけです。


勿論工作員達に食事中こそ頻繁に関与されていることもあり
私の心は乱れっぱなしと言うのが現実ですが


それではいけないと言うことでもあるようです。


私達は肉体でおきている現象を心でも理解することで
そのメカニズムに協力する事が出来るようです。


寝ている時でも私達の心臓は止まることはありません。


食べた物は消化され吸収され続けていますし
肉体の回復や成長もこの時にこそ一番活発になります。


それは心が暴走していないがゆえに
肉体の細胞も脳も働きやすいと言う実態もあるのかもしれません。


そして心が動いていないのにかかわらず私達の肉体は
独自の働きを誘導され続けています。


そこにDNAの記憶がかかわってきているとしても
結果は全ては神の意識である精神のなせる業である。。。


私達はその事を理解しなければならないようです。


更に不安とか恐怖心を取り除くことで
私達は精神を認識しやすい状態に心を保たなければいけないようです。


心を暴走させる要素は不安であり恐怖であり
欲であり怒りや憎しみでありプライドであるということは
何度も繰り返して触れています。


私達はただの人間ですし大層な事は出来ませんし
心だって広くはないと思います。


しかしその中で私達が自らの努力で出来る範囲の事を
繰り返し実践するだけでも


私達の心は限りなく精神を感じやすい状況へと
変貌していくのだと思います。


負の感情を抑える努力をし、プライドを捨てて
不安と恐怖を取り除く。


それを実践するためには
知識としては”自らが永遠の存在である”ことを理解すること


地球での価値観に捉われて物や地位や名誉を受け
それでプライドを満たす行為は
魂を濁らす事に繋がることを理解すること。


ミステリーや神秘的なものなど
何も存在していないという事を理解すること。


そして心の暴走は自分の心が心地良いと感じる行動を
しているが故であることを認識することだと思います。


今までの生命の科学の中で私達が学んできたことが
そのまま実践していけば私達の心はどんどんと
意識へと重なっていく事になる。


その事を身をもって感じている方は
これからも実践を続けてくれると思います。


私達が努力して感じるべきは心ではなくて宇宙意識である。


結局はそういう話へと繋がっていくのだと思います。


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