生命の科学 VOL73 | 不幸のブログ 

不幸のブログ 

三次元と四次元の狭間 に関しての記事と生命の科学と宇宙の法則
について語ります。

所沢300 NO7374 白の乗用車


練馬500 NO5111 赤の乗用車


加害協力ご苦労様です。


P.M.7:49

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外に買い物に出かけても脳への刺激が酷く、


私の脳への攻撃を強化しては
私の意識を失わせようとでもしているであろうことも
想像がつきます。


つまりは、脳への刺激で倒しておいて
救急車搬送、そして洗脳への誘導かと警戒しています。


胃腸の異物がしっかりと確保され続けていますし

そこを経由して電磁波照射が強化されているようです。


今はこの人間達の意識を心底疑っているところです。
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最初に個人的連絡事項。。


福岡で被害者ブログを書き続けている、
私の理解者でもある、


イチゴさんへ。。


時々は被害記事を読ませてもらっています。


昨日は電話をくれたこと夜になって
着信履歴で気がつきました。


私がタバコを吸いに出ている時の着信だったようで
妻が気がついていたようですが


どうせ私が電話には出ることも無いだろうと
気にかけてもいなかったようです。


私はご想像通りの酷い状態なので
流石にマイクロ波増幅照射を前提に携帯を使って
連絡する気にはなりませんでした。


今朝、ブログコメントを確認できたので
ここで返信しておきますね。


直接に返事が出来なくて申し訳ありません。


一番酷い被害に遭っている被害者が
あらゆるネット工作含めて
誹謗中傷含めてその被害を隠蔽され


一般人や他の被害者から孤立させられている事
間違いないと思います。


おそらく加害者組織母体は
国家の安定とか国家の維持という名目をも持ち出しては


その国家機密でもある組織的犯罪、
強いては科学力の被害に関して
証拠隠滅を強めているのだと思います。


そこかの組織に所属していれば
組織を通じて口封じの圧力をかけれますが
それが出来ない人間ほど
攻撃を強化されているのだと思います。


私への身体被害もひどくなっていますし
おそらくは科学力の被害を訴えている人間で
組織に無所属の人間ほど酷い目に遭っていることと思います。


苦しいとは思いますが
一方では私の主張を理解してくれているようなので
それを心の支えにして日々生きて欲しいです。


負けないで下さい。


絶対に今の苦労は報われる時が来ると思います。


私に対してはは異物に対しての電磁波照射で
腹痛含めた関与と顔への関与そして脳への関与と
電磁波出力は高まるばかりです。


でもこの”日本の国家”成る存在は
決して私達を救ってはくれないと思います。


現に加害者達は放置され続けています。


末端の凶悪意識を持った人間を利用して
国家機密を維持しようとでも考えているのかもしれません。


今真下の工作員が暴れています。


何やら壁でも叩いているのか
ガンガンと音が響き続けています。

P.M.12:33
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今日もアダムスキー生命の科学からの引用です。


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【印象の受信の仕方 前編】


また、一時に感受する印象または映像は
ある事柄の本の一部にしか過ぎないことを
常に記憶する事が肝要です。


これは、はめ絵と同様であって
切られた個々の部分の全てを見ることや
それらがどこに当て嵌るかを知ることは出来ません。


絵は少ずつ組み合わせられねばなりませんが
これには時間を要します。


其の絵の空白の部分を
あなたはこの世で蓄積した個人的な観念でもって
満たしてはいけません。


それは個人的な性質を帯びているからです。


また感受する印象に対して絶対に疑惑を起こしてはいけません。


それは神を疑うのと同じことになります。


そうすればそれがこの世の蓄積された知識で
どれが宇宙的印象なのかがわかるでしょう。。


また、地上からも多くの印象が来るでしょう。


心が慣れ親しんでいるこれらの地上の印象の多くは
宇宙的性質を帯びているものもあり


それが、ある場合にはイメージに合っているかもしれませんが
多分其の時は本当にイメージに合っていないこともありますので
迷わないようにすることです。


地上の体験を持っているために
こうした印象は落ち着く場所がないままに
先を争って各自の場所を得ようとします。


(訳注:何ら価値の無い地上からの印象を宇宙的価値のあるものと
思い込んで本人が意図も容易に受け入れるの意)


これは画家が黄色を用いなければならない時に
赤色を使うほうが良いと印象を得るようなものです。


ある場合には印象は
静かな小さな声のようにやってくる事があります。


するとあなたは誰かが自分に話しかけているのだと思うでしょうが
それは貴方の意識が我々の慣れ親しんでいる言葉でもって
物事を説明しようとしているのです。


また、時には言葉でどのように表現して良いかわからないような
印象がくることもあります。


しかし遠方の光景を透視する場合は(特にそれがカラーである時)
それは貴方の前頭葉の中にあるスクリーン上に意識によって
ピントが合わされます。


これは少なくとも私の体験です。


このことは理解しないでこうした現象を”第三の目”とか
”千里眼”とか称している人々に対する説明となるでしょう。


仏像類に前頭葉に宝石のはめてあるのがありますが


これは透視力を示すもので
其の一点と両眼を結べば三角形が出来ます。


イエスはこれを{目が澄んでいれば心も明るいだろう」
と言っています。


彼はこの場合の”心の新生”を言っていますが
それは心と意識とを合体させて単一体にしようと
我々が努力している事柄をまさに意味します。


すると其の両者間の分離は解消し
其の時人間は完全人となるのです。

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生命の科学の記事を書くことが最近は大変になっています。


原因は言うまでもなく身近な工作員の
私の精神操作意識への介入と言った科学力をも使用した
関与のためです。


生命の科学の内容は
精神を感じてそれを使用することの実践ですし


その理解が進めば進むほど
内容の理解も高まるようなものとなっています。


同じ内容でも時間の経過の後に読み返すと
理解が深まっている場合は
更なる発見がある事に気が付かれている方も居るかと思います。


すべては私達が精神の進化の過程にあり
アダムスキーやブラザーズはその遥か上方から
私達を誘導出来るように編集しているためだと思います。


イエスキリストの言葉でもありましたが、


一つの教えから一しか学べない人もいれば
そこから100学べる人もいるように


アダムスキーの紹介してくれた生命の科学も
理解が深まっている人間にとっては
更なるヒントを与えてくれる内容にもなっているのです。


全てを限定的に触れていないのも
そして時には抽象的に触れているのも
そんな事情とは無関係ではないと思います。


この生命の科学の同じ記事を読んでも
そこから受け止めることの出来る情報は
その時の私達の精神次第で変わってくるのだと言うことです。


そして私が精神を乱している時に書く記事は
その精神状態レベルでしか
コメントも出来ないことになります。


それを歯がゆく感じているのです。


ただ、理解者覚醒者は
おそらくはそのことも理解してくれていて


私のだらしなさを叱咤激励して
自分なりに精神の進化のための情報を
記事から得てくれているのだと思っています。


生命の科学は私達がこの肉体の器から卒業する時まで
延々と学び続けるべき指針だと思います。


私達の社会に足りない
本来私達が進んで学ばなければならないことが
ここから全て得ることが出来るからです。


それは私達が生きていく時に持つべき意識ですし
私達が理解すべき創造主の法則でもあります。


私達が永遠を生きるために一体何をすべきなのか

そもそも私達が生きている目的は何なのか。


そのような事を私達は全てこの生命の科学から
学ぶことが出来ました。


あとはそれを実践をする事で理解を深めていくこと。


最初は半信半疑であった内容を
自らの精神の進化で検証していくと言う作業が
私達にとって大切な事だと思います。


私のブログを読むと洗脳されると言っていた工作員がいました。


前にも触れましたが
私はそれをある意味最高の賛美であると
捉えています。


ただ、”洗脳”すると言う言葉の趣旨は
誤った価値観を植えつけて思考に変貌をきたしたり
誤った判断基準を与えるようなものです。


それは地球の法則に則った教えや信仰に嵌まった時にこそ
使うべき言葉でありますし


通常は洗脳行為には
人間達の手による何らかの働きかけも必要となります。


しかし私の記事は読むだけです。


そして私の書いている内容は
地球の法則とはかけ離れた
創造主の法則へと繋がっていく話です。


しかも宗教などの地球の法則とは異なり
何事にも行動に制限を齎すものでもありませんし
価値観を一方的に与えて脳裏に植えつけるものでもありません。


当初、宗教がそうであるように信じるべきは
創造主の存在と私達がその創造主の分身であると言うこと


私達には心(センスマインド)以外の意識として
精神(オープンマインド)が存在していると言うことの二つだけです。


それ以外は自らが勉強の中で身を持って体験し
何が正しいか何が誤っているかを
一つ一つ判断していく事になるものです。


つまり私は価値観の押し付けなど
しているわけではないのです。


そして宗教をしている人間が
私のブログに洗脳されると言うのであれば


それは洗脳ではなくて深い理解をしていると言うこと

そしてそれは覚醒に進んでいると言う事に他ならないと思います。


現に覚醒者の多くは右脳と左脳がバランスよく回転している
賢い人間が多いはずです。


脳のバランスや価値観が偏っていない人間ほど
そして道徳的な人間ほど
生命の科学は理解しやすいものである。


私の記事を読んで、それが今まで自分の知っていた常識と
異なっている事を認識しながらも
すんなりと理解できる人間は


洗脳され易いどころか
元々の資質が覚醒者に近い存在であると言うことだと思います。


今はそれが読んでくれている方の中の数%程度で仕方ないと思いますが
その一人一人が深い理解を示してくれて


自ら生命の科学を実践し更には広報してくれるようになれば
この普遍的真理はもっと多くの人に
知られるようになっても行きます。


私達は奇麗事サイトを読んで、
その時だけ納得して自ら精神を向上したつもりになるのではなくて


真の神の法則を理解して、それを自ら実践する中で
真の精神の向上を図っていかなければならない存在なのだと思います。


宇宙の法則の中の一部を引っ張り出してきて
地球の法則と合体させた内容で
一般人をひきつけているサイトも沢山ありますが


スペースブラザーズの一大意識体系としての
”宇宙の法則”を凌駕するものがなぜに存在しないのかを
考えてみれば良いと思います。


普遍的真理であるからそこには矛盾もなく、
全てについて辻褄併せて説明することが出来る。。


それを地球の法則の信奉者が捏造するのは
至難の業なのです。


だからこそ一部を取り上げて地球の法則と混ぜ合わせ
尤もらしく見せているのだと思います。


そして人々は其の一部を見て
真理の一部を理解したつもりに成るのだと思います。


地球の法則に踊らされている思想と言うものは
絶対にどこかで矛盾が出てくることにもなります。


その矛盾を生めるために必要となっているのが
霊界であったりアセンションであったりするわけです。


話は引用記事とは無関係ですが
その事をまずは主張させてください。


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そろそろ精神の働きを感じるにつれて
不可思議な現象を体験する方も増えてきたかと思います。


大きく分けると、私達は精神を通じて
二つの印象を受け止めることになります。
(テレパシーはここでは無視します)


一つには想念というエネルギーが私達にもたらす印象であり
もう一つは精神がもたらす宇宙的記憶である印象です。


この両者は精神を通じて私達に伝えられると言う共通点がありますが
両者の私達に与える情報の内容は全く別個の物です。


想念は以前から触れている通り
私達地球の人間がその活動の中で発散しているエネルギーです。


それは通常私達の周辺に山と存在しているようですが
私達にはそれを意図的に知覚できる能力がありません。


そして時々それを知覚する人がいて
それが人の姿であればそれを幽霊と勘違いすることにもなりますし
生霊などは強い想念の表れだと言うことでもありました。


想念は世界中の至る所に付着している一方、
私達は思考するたびにこれを全身から発してもいます。


その中で特に強い思いの物が他人には伝わり易いらしく
その想念を受け止めやすい人間と言うのも存在しているようです。


得てして想念を受け止めやすいのは
精神を感じやすい状況にいる人間でしょうし
覚醒しやすい資質を持った人間でもあると思います。


一方私達は資質に限らず精神の進化の勉強を続けていますので
その状況が改善され精神を意識し易くなればなるほど
想念を感じ易くもなるのだと思います。


それは時には人の風貌や風景だったり
時には声に似たイメージだったりすることもあるようです。


想念はエネルギーの一種でそれを受け止めることで
私達は自分達の心の記憶や体験ではないものを
受け止めることになることから


それが想念であると
気がつくことにもなると思います。


この想念は巷で言われている
”波動の法則”とも無縁ではないと思います。


私達は個々の人間が全て別々の波動を持っているそうです。


それを認識することができれば
私達は波動を通じて相手の姿を眼で見ることなく
波動で特定できる事になります。


その波動だけでなくて私達には特定の周波数のようなものも
存在しているようです。


それはおそらくは私達の精神の意識の高さにも
関わって来るものだと思います。


そして両者はおそらくは関連して存在していて
それが個人の波動と言われるものとなっている。


そして似たような波動を持っている人間同士が
惹かれあうように

似たような波動は
受け止め易いのだと思います。


つまり想念に関しては
自分の波動の性質によって、そして発した人間の性質によって
受け止めやすいものとそうでないものがあることになります。


例えば同じ想念を受け止めると言っても
怒りや憎しみだって想念ですし


慈愛や思いやりだって想念です。


そして自らが怒りの感情や負の感情を
出し続ける人間は同様の想念を受け止めやすいし
それに感化され易いということのようで


一方そのような意識の人間が
高尚な想念を感じ取る事は難しいことにもなります。


「類は友を呼ぶ」と言うのはここでも共通なのです。。


想念を感じたと言っても
それが手放しで喜べることではない事を
まずは理解して欲しいです。


一方私達は精神を通じて
そこから同様な情報を受け止めることにもなります。


それは宇宙的記憶の断片であり
勿論精神を通じての記憶ですからその内容は高尚なものといえます。


例えば過去生の記憶の断片やその時代にあった出来事
身近にいた人間のこと、そんな情報の断片もあるようです。


それらは想念と同様に断片的な情報として
私達に与えられることになるようですが
勿論その情報としての質は想念とは異なるものです。


アダムスキーの著書の訳者が


【(訳注:何ら価値の無い地上からの印象を宇宙的価値のあるものと
思い込んで本人が意図も容易に受け入れるの意)】


と触れていますが


私達はそれが想念であるか宇宙的記憶であるかを
区別していく必要があるわけです。


想念は単なる地球レベルの意識や価値観や思考の断片ですし
それは神の法則に従った情報ではありません。


それと精神を通じて得られる情報とを混同すると
私達は誤った価値観を真実であると勘違いして
捉える事になるからです。


普遍的真理の全体をジグゾーパズルに見立てると


本来精神を通じて得た宇宙的記憶をはめ込むべきところに
地球の価値観の断片の想念から得た情報を
はめ込むことになりますし


結果的にそのパズルは
誤りを多分に含んだものへと変貌していますことになります。


両者をまずしっかりと区別することを意識する。。


その事をアダムスキーは触れているのだと思います。


と言っても私達は未熟なので
その技術は未だ持ち合わせてもいません。


ただ、宇宙的印象と言うものはアダムスキーが触れていたように
時間の経過とともにその内容が深く認識できるように
なっていくようなものでもあるようです。


ここではアダムスキーが
一つの記憶をジグゾーパズルに例えて
記憶の断片の捕らえ方を説明してくれています。


私達が受け止める宇宙的記憶は
必ず私達にとって必要な記憶であると言うことも想像がつきます。


それは断片であっても
宇宙的記憶であれば何らかの意味があることになります。


それは時間の経過と共に継続的に情報として表され
結果自分の中で全体像が認識できるようになる
そんな記憶のはずです。


地球から受け止める想念は全てが断片的なものを
偶然受け止めるに過ぎません。


それは人為的な想念でない限り
発展することはないのです。


(断片を受け止めることがあっても
次の断片はやってはこないと言うことです)


以前テレパシー開発のところで紹介したのですが


絵や文字を書いた紙片を折り曲げて
中に何が書いてあるかを解らない状態にしておいて


それを開くことなく中身を当てる練習を
塾で子供に実践させているところがありました。
(20年前の話です)


その時沢山の子供達が
紙片の中身を開くことなく読み取ったのですが


その時もここでアダムスキーが触れているのと
まったく同様のコメントを子供達がしていました。


額の少し前方の辺りにスクリーンのようなものが現れて
そこに図形や文字が浮かび上がると言うことでした。


アダムスキーはそれを昔の人間が第三の目であると
触れていたと説明しています。


そして勿論それは精神を通じた脳の働きがもたらす
私達の未知能力だと思います。


チャクラの一つが実はこの場所に存在していると言う話も
おそらくは間違いではないと思いますし


私達は視覚では通常見えないはずのものを
認識しようとすることで
未知なる能力を引き出すこともあるという話だと思います。


そしてこれはアダムスキーの話からも
想念や宇宙的記憶の授受にも関わってくる能力のようです。


これは視覚として飛び込んでくる情報とは異なり
ものが発する想念を受け止める精神の機関の働きとして
捉えればよいのだと思います。


私達が理解していないだけで
色にまで独自の情報が存在していると言う話は
以前の記事で触れました。


トランプなどのカードの裏側などを
視覚を使用しないで認識しようと刷るときに


私達はその物質の発する想念を受け止めて
それを脳で認識することになる

そういう事だと思います。


私は精神サイトの多くが毒だらけで
其の多くが地球の法則を肯定する結果になることは理解していますが


チャクラなる存在に関しては
真実の情報であると想像しています。


アダムスキー本人はこれに関して触れていませんが


気の流れとも関係して
チャクラなるものが精神の進化にも関わるであろう事は
私もある程度身をもって体験済みだからです。


そして未だに気功を妨害され続けていて
おかげで精神の進化もおぼつかないことも
自分では理解しています。


それとアダムスキーがブラザーズ達から得た情報で
私達のどこかの細胞が精神に深く関わってくるというような内容が
あったようなのですが


アダムスキーは時が来たら紹介すると触れただけで
結局それを紹介することも無く転生して行きました。


私達の肉体の細胞にも
まだまだ未知の能力が隠されていることも間違いないのです。


そしてチャクラの話もそんな一つだと
私は想像しています。


ただ、繰り返しになりますが
私達が今学ぶべきことは超能力の開発でも
UFOに乗ることでもありません。


私達が無事地球からの卒業を果たし
願いどおりの転生を果たせれば
そのときはそんな夢は果たせる事になるからです。


想念を感じ宇宙的記憶を感じることは大切ですが
それに関連して超能力の開花にばかり走って


肝心な精神の進化のための努力をおざなりにすれば
元々の目標も果たせないことになります。


そのようなことに囚われていると本末転倒で
結局は目的がそれてしまうことにもなりかねません。


それと、もう一つ未知能力は精神の進化に伴うものだけではなくて
悪しき力を強めることでも発揮可能なものだと言う話もあります。


中途半端な気持ちでオカルトに嵌り
しかもそれが神の法則とはかけ離れた意識に根ざすエネルギーであれば
私達は邪悪な想念に囚われることにもなりかねない。


その事を忘れないで欲しいと思います。


私達が目標とすべきことは超能力の開発ではありません。


私の理解者は、出来れば太陽系の他の惑星に転生して


今度はスペースブラザーズとして
太陽系から地球を助ける立場の人間として
志願してくれるような存在であって欲しい。


超能力を持ってそれを満足することは
単に自らのプライドを満たす行為になりかねないと言うことを
忘れないで欲しいと思います。


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P.S.


私が苦笑いしている話があります。


実は若いころはチャクラや超能力の開発に興味があり
寝るときは頻繁にそれを意識していました。


チャクラを下の方から順に感じるような練習です。


そしてここで触れられているように
眉間の少し真上の額の辺りにも
そのチャクラが存在していると言われています。


そしてここはそのままテレパシニーにも
関わっていると言う話もありました。


20代の半ば過ぎから、
寝る時に頻繁にこの場所が刺激を受ける事がありました。


当時の私はこれが自分のチャクラの開発と
関係していると思い込んでもいました。


場所も額の真ん中で丁度チャクラの場所と言われる近辺です。


結婚してから妻に指摘されて気がついたのですが
実はその場所に小さな穴が開いていたのです。


そして時々はそこから”にきびの芯”ようなものが
出てくることもありました。


それが一体何のか?


はっきりと気がついたのは最近になってからです。


そこは加害者からの電磁波の照射場所の一つです。


その刺激を私はチャクラの働きと
勘違いしていたようです。


しっかりとその穴は額のしわの中心に存在していて
私の額のしわがひどくなり始めた時期とも一致しているわけです。


私はその当時自分の顔への関与の刺激を
チャクラ開発の刺激と勘違いをしていたと言うこと。


とても馬鹿馬鹿しい話でありますが
一方悔しくもあります。


実は私は気功をしていて
足元から上がってきた気を最後には頭の頂点に
抜けさせていると言う事に気がついています。


しかし今はそれが出来ないのです。


頭頂部にあがっていく途中の血管付近を締め付けられて
それを妨害され続けているからです。


私はそのために
今は気功はほとんど役に立たない状態に
されています。


つまりここでも私は封印されているわけです。


そして被害者に触れておきたいことがあります。


人工想念にご注意と言う話です。


脳にサブリミナル情報として
想念が閃くと他の被害者が触れていたのですが
私も似たような体験をしました。


それは想念というよりはおそらくは人工画像です。


それを想念と勘違いしたり
宇宙的記憶と勘違いすると大変なことになると思います。


価値観を変貌させられる事になるからです。


合成夢なるものが存在することも以前触れましたが
それの手法とも無縁ではないと思います。


ただ、ブラザーズのような存在も
同様の手法を使用することもあると思うのですよね。。。


覚醒を促すような。。
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昨日聖書のエゼキエル書を読んでいたのですが
どうも、もう一人の神に関して取り上げる必要性を感じています。


聖書に出てくる宇宙の創造主の意識とはかけ離れた
別のもう一人の、人間のような人格をもった神の存在をです。


その中では”ユダの家”=ユダ族に対して命令している
神の代理人なる存在が、


”イスラエルの家”=古代イスラエル王国の民が


”内なる偶像”=おそらくは”精神としての神の存在”を
拝んでいると述べては


”イスラエルの家”を神の教えから離れている人間として
批判している場面も見受けられました。


生命の科学を学び精神を感じることは、
その内なる神を崇拝している事と相違は無いと思います。


しかしその神の代理人は、古代イスラエルの民が
心の内に偶像を作り上げてそれを奉っていると
批判していました。


古代イスラエルの民の神は
目で見えない精神で感じる神であり


古代ユダの民神は目で見える人格神だった可能性を
そこからも感じ取る事が出来たわけです。


しかしその”神”なる存在は
戒律に厳しく、嫉妬深く、残酷で、


そしてとても神とは思えない存在であることも
聖書の記述から容易に理解できるのです。


その神の教えは宇宙の法則とはとてもかけ離れていて
まるで王の支配を髣髴させるものでもあります。


旧約聖書を持っている方は
エゼキエル書の記述を是非読んでみて欲しいと思います。


私達が認識すべき父なる神とは似ても似つかない存在の気配を
そこから読み取ることが出来るかと思います。


その神の代理人が、自らに都合の良い神を作り上げ
それを信仰させていたのか


それともその残酷な”神”なる者の
原型とも言える”人間”が存在していたのかは不明ですが、


エゼキエル書から読み取れる、
神の代理人がユダの民に信仰を強制していた神は


宇宙の創造主とはかけ離れた存在であることを
まずは理解して頂き、


それが神々の戦いの弊害が作り上げた人格神であり、


私達の意識すべき創造主としての唯一神は
別にいると言うことを理解して頂きたいと思いました。


自らをユダの民の末裔であると信じている人間達含めて、
神の存在を信じるすべての人達にです。