生命の科学 VOL32 | 不幸のブログ 

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三次元と四次元の狭間 に関しての記事と生命の科学と宇宙の法則
について語ります。

今日二つ目の記事です。



頭が激しく責め立てられていて
思考能力は多少動いても痛みの方で集中力がありません。


今日はだらけていることになりそうです。


頭が記事が書けるような状態でなくなっているので
コメントは書けませんが


この記事の下書きはまだ脳と精神状態がある程度
正常に動いているときにしました。。


私が極悪人にされようが、どれだけ性格を悪くされようが
精神を壊されて精神疾患にされようが、殺されようが


宇宙の法則は普遍的真理として存在しています。


私達は地球の法則に従う人間の誘導や圧力に屈しないで
己の信念を貫き通し


イエスの後ろを十字架を背負って着いていきましょう。

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【レクチャー5 意識(精神)・英知・生命力】


我々は実際には目に見えない生命の海に住んでいます。


そして以前にも述べたように、われわれは眼に見えるものと
見えないものの両方に同時に気づくように自分を訓練する必要があります。


何故なら現在我々は接触している目に見える物に
心で気づいているにすぎないからです。


しかし万物は最低の物から飛躍していわば不可視の空間を覗き込んでいます。


なぜそうならなくてはいけないのでしょうか?


万物は丁度子供が指導を求めて母親を頼りにするのと同様に
その創造主を頼りにしているのではありませんか。


そして空間こそ万物に出生地であるために
万物は自分の生まれた家庭を頼りにし
その家族の中で生きているわけです。


ところが人間は自分好みのままに生き
しかも自分自身となんら異なるところの無い他の結果(現象)
によって導かれながら、


地上の生命体に自分を密接させていますが
その生命体は本来、知覚力の最低の段階から出た現象に過ぎません。


海中の動物でさえも水の上の光を見ようとするのがいます。


また、水と言う液体は目に見えない人間の視覚器官で見ることは出来ません。


しかしそれを意識(精神)を通じて心が知ることは出来ます。


というのは、意識は形あるものとは別個な英知であり力であるからです。


それは万物を通じて働く時に万物を生かしています。


意識は人間が分類しているような光と暗黒と言う振動を知ってはいません。


また善や悪をも知ってはいません。


善悪とは法則の誤用によって人間が分類したものに過ぎないのです。


人体にせよ、心にせよ、意識を離れて生きることは出来ません。


なぜなら、意識の外側にいれば何であっても
それは完全な無となることを意味するからです。


したがって、万物の両親である意識と言う教師の声に
人間が心を向けようと努力するのは人間の義務なのです。


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人間以外の全ての万物は神の意識を感じて生きている。。


それは動物や植物に限ることなく
無機物や石や岩も同様にです。


全ての元素が神の法則で、神の意思によって作り上げられていて
人間以外の創造物には自由意志なるものが無いがために
彼らが感じるのは精神の存在だけだと言うことになるのだと思います。


私達は自由意志を持たされた事で物事の表現も
自由に出来る存在ですが、


一方では感じるべき精神の存在を感じることなく
その自由意志の元となっている心ばかりを使用しては


神の意志である精神どころか
万物を、心の価値観を作り上げる視覚ばかりで捉えては


それをよりどころに生きていると
アダムスキーは指摘しているのだと思います。


神の意志をよりどころにしている万物でありますが
私達が見ている万物はその現象の現れに過ぎず,
神の意識を感じている万物のその本質を見ているのではないのです。


表の見える結果・現象としての万物の姿を認識し
それを全てと捕らえては独自の価値観を作り上げているために


私達は万物の存在の意味も、万物との調和に関しても、
善悪の判断基準にしても、


自分達の価値観でそのイメージを勝手に作り上げているに
過ぎないわけです。


だからこそ、動物の中でも昆虫の中でも
嫌われる存在と好かれる存在が出てくることになるのかも知れません。


私達は彼らの役割を知ることが出来ないからです。


そんな意識を持った生き方が過去から延々と続けられ
私達の生活の中の常識や知識として蓄えられ
それを価値観のよりどころに生きているわけですから


一番常識的に見える人であっても
神の精神を強く感じることの出来る状態とは
程遠くなっているはずですし


私達の多くは精神など意識する事すらありません。


アダムスキーがここで言いたいのは
万物を現象・結果として心で見るだけでは


神の意識で存在している万物の本質を掴んだ事にならず
精神を使用してその本質をも見ることが大切であると
言うことだと思います。


これは今まで私達が繰り返し学んできたテーマでありますし
生命の科学の基礎である
”原因と結果の法則”を正しく応用しろと言う話でもあると思います。


私達は、神を母親と慕って指導を受けて生きている他の万物を見て
その行動が実は神の指導を受けていることに気が付かないまま


その万物の表の行動(状態)だけから何かを学んだ気になっている
そんな状態なのだと思います。


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善と悪と言う存在に関して
私達は頻繁に口にする機会があるかと思います。


それはイメージの中では神と悪魔の存在でしょうし
天使と使い魔の存在かもしれません。


そして聖書では人間は
”善悪の知識の木の実”(いわゆる禁断の果実)を食べた存在であると
触れています。


http://ameblo.jp/uruseiblog/entry-11027399873.html


そして人間は天国から追放された。


これは勿論比喩でありますし、

私達地球人が宇宙の法則からかけ離れていることを
例えた内容であると私は認識しています。


過去記事でも触れているように
私達は自分の心を持って感覚器によって独自の価値観を作り上げていますし
その価値観で物事の善悪を決定するような存在になっています。


その善と悪の価値観を私達に与えたのは
神の意識ではありません。


つまり宇宙の法則には絶対的な善とか悪は
存在してはいないようなのです。


その意識からかけ離れた意識を持つにいたり
地球の価値観によって作り上げた心ばかりを使用しては
物事を判断している私達は


宇宙の法則からもかけ離れた人間であると言う意味で
天国を追われた存在だと言うことだと認識しています。


善と悪は私達の中でどのように判別されているのでしょうか。。


勿論、神の意識は善と私達が呼んでいる意識であることはいうまでも
ありませんが、


少なくとも私達の主張する善なるものは
その判断基準は私達の恣意的なものだと思います。


簡単な例をあげると、

肉を食べてはいけないとされている宗教の信者は
肉を食べる行為を”悪”と捕らえる事にも繫がるかもしれません。


その価値観を他人に押し付けたとすれば
肉を食べる人間は悪人となります。


しかしこれは神の意志がそれを求めているわけでなくて
その判断基準が人間の価値観に偏っていることは言うまでもありません。


肉食が良くないというのは
例えば肉体的、精神的に与える影響が善くないとか
想念として捕らえた時に善くないと判断されるのであれば


それは正しい見方だと思います。


逆に言えば想念レベルでも肉体レベルでも
問題が生じない程度であればそれは悪ではありえない訳です。


単に動物の殺傷行為をまとめて批判するために
肉食はいけないと一括するのであればそれこそ間違いで


動物が時には人に食用とされる事も
恐らくは神の意識とはかけ離れていないと言う事に気が付けば


それを妙な動物保護意識で禁止とする行為こそ
意識が曲がっていると言えると思います。


動物は神の精神に従って生きている生命体であると言うことで
私は以前から持っている疑問の一つが解けました。


動物は永遠に転生を続ける事が出来る存在だと言うことです。


彼らは常に宇宙の法則に従って生きているのですから
その形態(フォーム)を崩すことになると
その魂は新たな転生へと向かうことになるはずです。


つまり彼らは既に永遠の存在なのだと思います。


動物が神の意識に従って生きている証拠に
彼らは”無益”な殺傷行為をする事はありません。


自らが生きていくために他の生物の命を奪ったり
縄張りや自らの子孫を残すために同じ種族と戦う事もありますがそれは
彼らが神から与えられている本能に基づく行動です。


しかし彼らのその行動で自然の調和が大きく乱れる事も本来は無いはずです。


そこに人間の手による淘汰や管理や保護なる行為が
存在しない限りはです。


彼らの生のローテーションは全て神が予定しているものであり
彼らはあくまでそれに従って生きているわけで
私達人間のように無益な殺し合いをするようなことはありません。


そして彼らのローテーションの一番上に
私達人間が存在しているのも間違いないと思います。


私達は万物の調和を図りながらも
一方ではその万物からあらゆる糧と恩恵を受ける事のできる
存在でもあるからです。


しかし人間の中には独自の価値観を持っては
過度に動物愛護を訴えるような人間も存在しています。


そこで彼らを動かす事になるのは
彼らの持っている独自の価値観に
他ならないと思います。


動物を食べる行為は動物虐待にあたる。


そしてそれは悪である。。


一見正しい事のようにも感じますが
それは私達が神の意識を理解できないゆえに
誤った価値観を正しいと勘違いしている事に由来すると思います。


そして得てしてそんな価値観を他の人間に対して押し付けて
暴力行為を持ってまで動物愛護を求める人間達がいる事は
私達は頻繁にニュースなどでも見聞きして気が付いていると思います。


過度な動物愛護で過激な行為に走っている人間達の行為は
自分達が善であると勘違いしている事に由来するものであり
そこでは人間独自の価値観こそが彼らを動かしている。。


私は肉食専門ではありませんし
肉は殆ど食べていませんが、


少なからず肉食に関しても過度の肉食が
私達の健康を害するとか


殺された動物の恐怖や苦しみの想念が
人に取り込まれることの有害性は認識できますが


少なくとも彼らの肉体を構成していた元素が
人間という形で進化していると言う実態や


彼らの肉体から離れた魂は
恐らくは半ば永遠に転生するであろうと言う
事が想像出来ますし、


肉食が必ずしも人にとって良くない行為という訳ではないと
断言できます。


そしてこの時に出てくる”悪”と言う意識にしても
人間の心が感覚器だけに囚われ
とりわけ視覚に囚われて作り上げられた価値観である事も理解できます。


彼らは死と言うものを正しく理解できないから
そのような判断をすることにもなる。


理解不足が誤った価値観を作り上げたものが
善と悪の分類であると言う一面も存在していると思います。


私達人間の行動はどんなものであっても、
その結果、正の効果と負の効果を持っていて
その効果を万物の何かが間接的に受けている事になると思います。


後はその負の効果が少ないように行動することが
私達に求められている。


そう判断すべきではないでしょうか。


そして人間が自ら作り上げた価値観は
他人に押し付けるものではないと言うこと。


これを当たり前にし続けているから
対立や争いは消えないのだと思います。


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「意識の外側にいれば何であっても
それは完全な無となる事を意味するからです。」


とアダムスキーが触れています。


これは地球の全ての存在は神の意識の具現化した姿であることに
触れているのだと思います。


前章で学んだように
宇宙空間で一定の法則の元に気体状態の元素が
液体となり物質へと変貌していく過程を思い出して欲しいのですが


それは勿論、偶然の産物で太陽系や地球や大地や海が
出来上がったわけではありませんし


ガス状の物体が特定の法則に基づいて
分化し、液体化し、固形化し、


更には水分が蒸発して雲となりそこで雷が発生したり
さまざまな現象の結果この地球の姿に変貌したであろう事も
私達は想像出来るはずです。


一見無から全てが作り上げられたかのように見えますが
ガスの中には大量の元素が存在していて


それを規則的に配合するという意志の元
それらは分化して行った筈なのです。


単にそこに元素だけが存在していても
そこに何らかの規則や意識が存在しなければ
ガスはいつまでたってもガスですし


それが惑星の形になる事も
その惑星のなかで生命体となる事も無かったはずなのです。


そこには大いなる意志が働いていた。


それを単なる偶然と捉える事が
全ての間違いの原因になっていると思います。


私達の存在は偶然の産物ではありえない。。。
全ては大いなる意志の元に作り上げられ表現されたものである。
そうで無ければ万物の存在はあり得ない。。


その事をアダムスキーは指摘しているのだと思います。


その意識の中でこのフォームを表現している私達は
その意識によって作り上げられているような存在です。


だからこそ神の意識である精神なしには万物は存在することは出来ない。


精神は神の意識であると同時に
神からのエネルギーでもあるのですから


万物が万物として存在しているためには
神の意識であり精神の存在は不可欠でもあるはずなのです。


元素一つさえも神の意志が作り上げているのですから
それは当然なのだと思います。


ただ、私達は精神からかけ離れているがために
それを自覚することが出来なくなっている。。。


そして自由意志の存在ゆえに
私達は心を持っては暴走し将来的には
消えていく運命にある。


今の地球の人間はその過程にあると言うことを
私達は自覚すべきだと思います。


神の創造物としての人間の本質を正しく理解できれば
私達は進化の過程にある宇宙の仲間入りを果たすことになる。


一方創造主の法則を無視して生き続ければ
その先には滅亡が待っている。


私たちが理解すべき”宇宙の法則”の一面を取り上げれば
そういう話になるのだと思います。

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