聖書を客観的な視点で眺めると。。。 | 不幸のブログ 

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三次元と四次元の狭間 に関しての記事と生命の科学と宇宙の法則
について語ります。



今日二つ目の記事です。


http://ameblo.jp/uruseiblog/entry-11260945743.html
必読記事リンク(洗脳・UFO・ケネディーとヨハネス23世など)
http://ameblo.jp/uruseiblog/entry-11173905111.html
最新記事リンク 生命・精神VOL1
http://ameblo.jp/uruseiblog/entry-11280546053.html
最新記事リンク 生命・精神 VOL2
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最新記事リンク  陰謀・策略・被害
http://ameblo.jp/uruseiblog/entry-10880060003.html
広報用のHAARP記事リンク

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やはり水曜日は特別な人間達が
お手伝いに来ているようです。


いくら排泄しようとも
延々と作り上げられる大腸の異物を使用しては
脳への関与を延々と仕掛けられています。


私を掲示板や脳への攻撃で
意図的に挑発しては私がそれに反応すると
さらに被害を強化してきます。


どうせ仲間に自分達は
正当な攻撃でも仕掛けていると印象付けたいのでしょう。


そしてHAARPと人工地震には
どうしても触れられたくないようですし


メーソン関係組織では
未だに構成員はHAARP電磁波兵器の実態を
正しく知らされていないようです。


おそらくは賢明な人間から気がついては
地球の法則からの卒業を果たし
時には覚醒を果たしては組織から消えていくのだと思います。


一方、思考能力を落とされ続けている人間は
騙されつづけ、下手をすれば電磁波攻撃
マイクロ波兵器の実態すら知らされていないのだと思います。


自分の脳にそれを受け続けながらかもしれませんね。

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脳は思考能力だけでなく
意識汚染とも言える介入が激しくなっています。


判りやすくいえば私の意識の周波数を
下げるような介入です。


その上に延髄付近から頭のチャクラ付近を
封印されているわけですし


性的刺激でストレスをためようと言う刺激が
脳と性器へと走ります。


苛つきの誘導まで並行してやられているわけです。

意識を下げて創造主の法や
生命の科学に触れさせないようにしようと言う
意図かもしれません。


脳機能がいつまで正常と言える状態でいられるのやら。。。


ユダヤの傀儡、八咫鳥の川口とその部下達の
忌まわしい攻撃は続いています。


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今日はカトリックとスエデンボルクという

限りなくかけ離れた聖書解釈をしている
組織の人間同士の争い?を見ていて


取り上げて見たい話があります。


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904 :神も仏も名無しさん:2012/07/31(火) 15:03:35.24 ID:GCP4/vGb
自称キリストの使徒だからと、その言葉・実も見極められずに騙される
バカ林檎、クリスチャン。彼の手紙には色々コピペもありましたが
矛盾と滑稽に満ちた信じがたいことが書かれていました。


12デシと違って一部分で謝った考えが起きているのではありません。
パウロは間違いなくニセ予言者で
サタンで騙される林檎クリスチャンもサタンです。

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イエスがサタンの会派と呼んだのは
創造主の法とかけ離れた律法を戒律とし、


形式ばかりを重視し、事の本質の大切さを軽視していた
パリサイ派と律法学者の意識に対してです。


もっと言えば、ブラザーズの転生であるイエスは
パイサイ派長老会を名乗る人間達がユダヤ教、旧約聖書を捨てて


悪魔の教えともいえる、極端な選民思想と
身勝手な価値観を満載したタルムード的な教えこそを
重視している実態に気がついていたからだと思います。


タルムード原典はエゴと欲と奢り高ぶりで満ちています。


それを自らの信念として生きているような人間の中にこそ
魔の意識は存在している。


人が持ち続けている負の想念は、時には自らの肉体をも侵します。


アダムスキーが言っていたように
時には脳以外の細胞が、
私達の意識や行動まで誘導するようになるのです。


私達の肉体細胞は延々と私達の発する想念のエネルギーに晒され続けます。


私達の肉体には私達の想いが染込んでいるのです。


そして悪しき想念は私達の肉体の周波数をも
低く抑えることになり、


一方ではその発する低い波動は
他の存在へも影響を及ぼすことになります。


更に地球の法則が頻繁に引用している
”引き寄せの法則・波動の法則”がそれに輪をかけて、
似たような想念が似たような想念を呼び寄せる事になります。


似たような意識を持った人間同士も引き寄せられ、
その結果、想念は似たような波動で
増幅されることになります。


負の想念であれば、それは私達の中で
マイナスのエネルギーとして膨れ上がっていく事になるはずです。


それが私達の意識を創造主からかけ離れた
エゴにとらわれた存在へと変貌していくのだと思います。


私はそんな意識に囚われ、
負の想念に操られエゴと欲で動くようになった人間こそが
悪魔だと思います。


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ところで、スエデンボルクを妄信すると
パウロは悪魔と言う事になってしまうようです。


当初、私も”イエスの神の国の奥義”を意識する以前に
使徒達の手紙を読んだときに、


そこには理解しがたい内容が列挙され、
イエスの教えと矛盾しそうな気配も感じていましたが


実際は、12使徒の福音の中心が
イエスの奥義によって述べ伝えられていたことを
後にその手紙の中から読み取りました。


イエスの教えが宇宙の法則そのものであること、
イエスの奥義が生命の科学そのものであることを前提に
パウロの福音を眺めれば、


その殆どの主張が、一貫性を持って
浮かび上がってくることにもなりました。


そこにはオカルトはありません。


私に限らず、生命の科学の理解者と覚醒者は
新約聖書がイエスの奥義を前提に書かれていることに
気がついていると思います。


それを認識するためには
イエスの奥義としての生命の科学を理解し、


そして生命の科学の大前提である
私達が三次元と四次元を同時に生きている存在であること


さらには、私たちの魂こそが
私たちの実態であり、それは同時に創造主の分身であることを
理解することが必要となります。


繰り返しますが新約聖書から
創造主の法を感じることができるのは
私達覚醒者だけなのです。


多くの人間はその大前提を理解できず、
別の価値観を根底にもった状態で新約聖書を眺めます。


この社会の人間の持っている価値観は、
今の私達が暮らしているこの社会の慣習や常識を
その前提として作り上げられるものですから


その大前提が誤っていれば、出来上がる価値観も当然
誤りを多分に含むものとなってしまいます。


その目で聖書を読めば、
クリスチャンでない一般の方にとっては
新約聖書の内容は単なるオカルトになりますし


クリスチャンであれば、信じるものは救われるという意識で
新約聖書を理解できない箇所含めて
鵜呑みにしようと勤める事になります。


自分の今持っている価値観に照らして
それを理解しようとするので、
解釈も本来のものとは異なることにもなります。


イエスや12使徒の意識を
自分の理解できる内容に置き換えて無理やり理解してしまうのです。


それをクリスチャン以外の人間が見れば
クリスチャンがイエスを妄信しているように見えるはずです。


片やイエスを信じることを前提としながら、
正しいイエスの教えを理解していないわけですし


片や新約聖書をオカルト扱いしているわけですから
両者に歩みよりはないでしょう。


私達にしてみればこれは最大の悲劇です。


せっかくキリストを信頼しその教えを広報しようと
クリスチャンが努力をしても


当初から聖書にオカルトを感じてしまっている人間の疑問に対して
それを納得させる説明ができませんし、


クリスチャンが独自の解釈でそれを主張すればするほど
現実的で三次元的な視野しか持たない一般市民は
そこからますます遠ざかってしまうことになるからです。


現に私だって、一度はキリスト教会の門をくぐりながら
自らの疑問を納得させることのできない神父に疑問を感じ
そこから離れることになりました。
(神父に限らず私の疑問に答えられるクリスチャンは居なかった)


ただ、聖書に真理の断片を感じていたのか、
私はキリスト教や聖書とは完全な決別はできず、


生命の科学を知った事がきっかけとして
聖書の真の意味を理解するに至った。。。


しかしキリスト教を知らない一般市民にしてみれば、
聖書の記述を額面どおり受け止めて
自分たちの価値観で説明しようとしうるクリスチャンの主張を


オカルトや狂信者の主張の様に感じるのは
当たり前の意識だと思います。


「イエスキリストを信じれば天国にいけます。」


「イエス様は私達の全ての罪を十字架の血で
清めてくれました」


「だからイエスキリストを信じなさい。」


これでは頭の良い人間ほど
キリスト教に疑問を感じることにもなると思います。


いくら罪を犯してもイエスを信じれば天国にいけることになりますし
キリスト教はまるで悪人のために存在している様にさえ感じてしまいます。


そして結果から言えば、熱心なクリスチャンが持っている
誤ったイエスへの信仰が


時には一般市民を聖書のイエスの言葉から
遠ざけることにもつながります。


もちろん私達の持っている誤った価値観は、
長い時代を通じて私達に誤った情報を与え続けてきた、時代の支配者や、


時代ごとの多数派と言われたクリスチャン達が
作り上げてきたものです。


時代の中で多くの少数派の意見が多数派の人間によって異端とされ、
その異端者たちは神の冒涜者と言う名目で
殺害され続けてきたというのも


キリスト教の歴史の一環であることを
私達は認めなければなりません。


そして歴史の流れと共に
真のイエスの教えが捻じ曲げられ、重要な教えが異端とされ
それを唱えた人間達は殺されてきた。


例えば輪廻転生を主張する人間達、三位一体を否定する人間達
マリアの神聖を否定した人間は
その多くが迫害を受けて死んでいったはずです。


もしかしたら”イエスの奥義”も迫害の対象と
されていた可能性もあります。


パウロはイエスの奥義を使用して
予言や福音をしなさいと触れましたが


それを偽預言や悪魔の言葉として捉えられると、
イエスの奥義を語る人間は
そのまま神の冒涜者と言う事にされかねないからです。


多数派が少数派を理解できずに淘汰してきたすれば
真のイエスの教えが消されてきたのが
キリスト教の歴史だということにもなりかねないのです。


イエスキリストが言っていたように
現実に天の国に入ることのできる人間はごくわずか。


つまり少数の人間こそが普遍的真理としての創造主の法に気がつき
それを実践していた可能性が高いのです。


そしてその少数派がつぶされて来たのがキリスト教の歴史だとすれば、
それはキリスト教が自らイエスの教えを歪め続けてきた
歴史ということになるのではないでしょうか。


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既存のキリスト教社会では自分達の理解しやすい言葉や、
自分達の正しいとしている教義と矛盾していない聖書の言葉を引用して、
それを自分達の教えが正当である事の証拠とすることが多いようです。


その一方では新約聖書に記述されていても
理解不能な内容に関しては、
取り上げることも触れる事もないでしょう、。


しかしイエスを信じると言うのであれば
そして新約聖書の内容を重視するというのであれば


私達は聖書のあちこちに記述されている
”イエスの伝えた奥義”の実態を理解しなければなりません。


そしてその奥義こそがイエスの真の教えへと
私達を導く物であることを多くのクリスチャンが理解してくれれば、


キリスト教はオカルト扱いされることもなくなりますし
私達は真の創造主の法にも気がつくことになるのです。

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スエデンボルグが、生きながら天国と地獄(霊界)を見て
そこでパウロは地獄に落ちたと認識したと言います。


スエデンボルグ教会の人間にとっては
それがそのままパウロの主張を否定する
理由にもなっているのだと思います。


聖書解釈は限りなく生命の科学に近いものがあり、


精霊や御霊、天と地、肉と精霊などの解釈も
私達の理解に近いものがあるのですが


地獄や天国と言った概念をそのまま鵜呑みしているのがこの宗派。


そしてスエデンボルクなる存在は
生きて天国を見たと主張しているわけですが


そんな彼を霊能力者扱いしてその主張を鵜呑みにしていることが
スエデンボルク教会の悲劇でもありそうです。


これはたった一つの誤った価値観が
キリスト教社会を分裂へと導くよい例だと思います。


多くのキリスト教教会が
イエスの教えの本質からすれば


どうでもいいような枝葉の部分を取り上げては
争っているように見えます。


私達は木や枝葉にばかりとらわれて
自分達が一番大切な森を見てはいないことに
気がつくべきなのです。


そして私達がイエスの奥義を理解できるようになれば
すべてのクリスチャンは教会の指導などなくても
全員が同じ真理に直面することになります。


そのときにこそキリストの真の教えは
地球社会に平和をもたらすのかもしれません。


【地球人の神は遠い場所にいるのではなく、
近くの万象の中に、人間自身の内部に居る】


多くのクリスチャンがこの事に気がついてくれますように。

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P.S.

聖書の解釈をするにあたって危険なのは
パウロの言葉ではなく


新約聖書のあちこちに
ひそかに付け加えられている
時の支配者達にとって都合の良い価値観。


そしてイエスを神であることを前提としている
信仰母体が書いたとされる
ヨハネの福音書の記述だと思います。


12使徒はイエスの正体に気がついていた。


イエスが自らイエスの奥義を使用して
創造主の意志を語っていたことに気がついていた。


「私がなすのではなくて
父が私の体を持って為している」


というイエスの言葉の本当の意味を理解していたのです。


アダムスキーは「創造主の法に従って生きれば
私達はその思考まで創造主に似てくるのだ」と触れていたはずです。


イエスの場合は極限まで創造主の意識を
自分の魂から引き出していました。


創造主の意志を強く感じ
それを表現することができました。


そしてこのことは太陽系では
今もブラザーズ社会が実践し続けていることですし


イエスと呼ばれた肉体を持っていた魂は、
今も別の肉体をもち、


創造主の意志を限りなく正しく理解し表現する事に
勤めていると思います。
(オーソンさんです)