生命の科学 VOL79 | 不幸のブログ 

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三次元と四次元の狭間 に関しての記事と生命の科学と宇宙の法則
について語ります。


今日の前書きとしてコメントしたものが
長くなりすぎて

二つの記事として分けました。


これが今日二つ目の記事となります。

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今日もアダムスキーの21世紀生命の科学からの引用です。


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【意識による空間の旅行】


これまでに述べましたように、
意識が自分に洩らしてくれる物事を心が信頼するならば、
人間は意識によって空間を旅行する事が出来ます。


地球人の中にはこの事を知らないで
何度も宇宙空間を旅している人があります。


ある場所には睡眠中に起こることがありますが
その場合は目覚めたときの心に
強い印象となって残る夢となって現れます。


特にはっきりと思い出せることが
心にとって不可能なような奇妙な場所の夢を見ることがあります。


我々は万物のいかんに関わらず意識とはそのなかに万物が生きている
生命の大海であるということを忘れてはなりません。


その大海の外には生命はありません。


そのため心が
「自分がその海の中に生きていて自分の生命を
意識に頼らなければならないのである」


という事に気づくようになるとき、
この自覚が海の活動のさまざまな面に関する新しい知識と


その海を通じて現れているさまざまな種類の物に関する知識を
心に印象付け始めることになります


ちょうど大海中の魚が水中を伝わってくる大嵐に気づくほどに
警戒的になるのと同じです。


人間の心も宇宙のどこからかやってくる印象(波動)を
感受する能力を持っているのだということに気が付くのならば
意識という生命の海の中でこれと同じ感知力を持つことが出来るのです。


この事が理解され応用されるとき
人間は遠近に関わらず想いの場所へ行くことが出来ます。


”真のあなた”は意識であり、
心と肉体は貴方が用いる道具に過ぎないからです。


(訳注:以上は肉体の旅行ではなく遠隔透視を意味する)

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訳者はこの一連の話を遠隔透視と触れていますが

私は少し違うと思って読んでいました。


今日は少しそれますが
夢についての個人的な意見と体験に触れてみます。


私達の中には恐らくは夢の達人なる方も居るのではないかと思います。


例えば夢の中でそれを夢であると判断することが出来るとか
夢と判れば、それが悪夢であれば
目を覚ますように努力したり


夢の中で好き勝手して遊んだりといった事が
出来るような方がです。


私も昔は夢の達人でした。


それが夢であると判ると、時には空を飛ぶのです。


勿論、私達が現実に空を飛ぶことなど出来ませんし
それは夢の中の非現実としての体験ですが
私はそれを意識的に実行することが出来ました。


恐らくはその時に私が感じていた
バランスがとりにくくて苦労する感覚や爽快感は


もしも本当に空を飛んだとしたら
こんな感覚だろうなと思えるような体験でもありました。


肉体なしに精神が空間に浮かび上がったとしたら
きっと同様な感覚を受けるのではないかとも想像しています。


私の夢には、夢独特の歴史とも言える過去が
その世界の中での現実として存在していて


それは今現在の
この社会の中で自分の心の記憶の持っている現実とは
かけ離れていたりもするのです。


そしてそれは目を覚めた瞬間に
脳の中で切り替わっているようです


つまり私は夢の中でもう一つの記憶と歴史を
持っている事になるのかもしれません。。


判りやすく言えば
夢の世界での自分の歴史と記憶が、
現実世界での歴史や記憶とは異なっているわけです。


簡単な例を挙げると、
この社会での自分は試験を失敗しまくって


自分の希望とは違う学校へと進学し
希望の国家試験も落ちましたし


その後社会での就職でも転職を繰り返し
現在は無職で、社会の落ちこぼれとも言える状態ですが、


夢の中の自分は未だ何かの試験?に向けて
何かを勉強中でそれが現在も進行形であったりします。


そして夢の中では未だ私は受験生の様な若々しい意識を持ち続けていて
一介の中年男という意識がありません。


現実社会の自分は四度目の年男を迎えた親父ですが


夢の中では精神的にもっと幼いような、
純粋な様な、そんな意識を感じています。


不思議なことに夢の中では
自分の歴史も現実の社会の歴史とは異なっていて
それを価値観の前提として、夢の世界を体験しているのです。


そして現実社会の自分の体験や経験、
更にはこれまで歩んできた歴史が
夢の中の自分の意識にはまるで反映されていないのです。


このような奇妙な意識に関しては
今現在でも時々は同様に感じています。


恐らくは自分の精神の中に残っている何らかの記憶や歴史が
そのまま夢の中に反映されていて


そこでは精神こそが
その歴史を自分の歴史と認識しているから
そんな事が起きるのかもしれません。


私は記事でも書きましたが
夢うつつの幽体離脱体験も大昔にはありました。


さらに夢に関して言えば、アダムスキーが触れているような
不思議な空間に浮かんでいるような夢は
若い頃は頻繁でした。


ただ、その時に自分が居たのが宇宙空間のどこかであったとしたら
それは遠隔からの透視という様なものではなくて


自分は今まさにそこに存在しているという
リアルな感覚のあるものです。


海のような水のある場所ではない、
不思議な空間に横たわり浮いて漂っているような
そんな体験です。


今から希望的観測を述べると、


もしかしたらその時自分は
宇宙空間、神の意識の中にすっぽりと納まった状態で
存在していたのかもしれません。


夢は精神の世界であり、心が殆ど動いていない状態で
私達はそれを見続ける事にもなるようですが


一方時には心の動きが
夢を中断させ変貌させるらしいことも
気がついています。


一方、心の動きをとても強く受け止める事で見る夢も
勿論多く存在しているようです。


外部の刺激が夢に反映する。


例えばトイレに行きたいという感覚を
現実の体が起こしている時には
夢の中でもトイレに行きたいという夢を見ることもありますし


現実社会では空腹の状態で眠りに付くと
夢の中で食事をしているような夢を見ることもあります。


夕べ見たTVの映画やドラマの内容が夢に反映される事も
あるかと思います。


今では加害者組織に脳への妙な関与により
人工夢なるものを見せられることもあります。
(そんな時は朝から脳が疲れていて眠くて起きるのが大変です)


心の働きも、間違いなく
夢とは無縁ではありえませんし


夢を見ている最中には
私達の短期記憶が整理整頓される事も知られています。


でも夢と言うものは決してそれだけで
片付ける事の出来るものではありません。


自分が現実社会では行った事のない場所や
会った事の無い人間が、


常連として現れたりするような夢を
シリーズ?として見る事はないでしょうか?


恐らくはアダムスキーが触れていたような
過去世の夢ではないかと想像しています。


私はその類の夢を見る時には
現実社会の知り合いが出てこないのです。


知らない人間に囲まれて、しかも知らない場所に居る
(組織的犯罪被害者は人工夢も見せられますがそれとは別の話です)

それは過去の自分の記憶の一部なのかも知れません。


そしてそれを私達に見せることができるのは
間違いなく精神の働きだと思います。


なぜなら私達の心が持っては居ない記憶や価値観だからです。

(被害者であれば人工夢の可能性もあります)


ところで夢の中で多くの場合、
私は相手の顔を見て、
それを誰々であると判断しているのではないと思います。


私が夢の中で”Aさん”だと認識していても
その時に”Aさん”だと自分が認識した相手は
現実にはそんな顔をしては居なかったりするのです。


なぜにその人間をAさんであると認識したのか
それはその時にその人物の想念でも
受け取っていたのかも知れないなどと想像していましたが


現実は脳の電気的な刺激の関係かもしれません。


特定の電気信号を特定の人間であると
認識するような、


そんな脳の働きがあるのかもしれません。

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私達の精神は私達の魂でありますが、
同時に宇宙空間全体に広がっている創造主のエネルギーや
意識や記憶の中の一部です。


それゆえにイエスキリストはその魂を持っている
私達人間を時には神の子と触れましたし(そのはずです)


神の子と言う言葉と人の子という言葉とを区別したのは


例えば、自分が精神を使用して語っている時の存在と、
自分の感情交えて語っている時とを
区別したのかも知れないとも想像しています。


アダムスキーは
私達全員が神の意識を持った神の分身であると
はっきり断言して居ます。


そしてそれは宇宙の法則に照らしても正しいのだと
今の私達は理解する事も出来ます。


その分身としての精神を持っている存在だからこそ
その精神から特別なエネルギーを供給しては魂を維持し続け、


一方ではその精神を無線として神からの意識を受け止め、
その精神をアンテナとして
あらゆる想念をも認識出来る存在なのです。


私達にとっての悲劇は、
物質的豊かさを追求するあまり
心を豊かにする事をおざなりにした結果に由来するのだと思います。


ブラザーズ社会とこの地球の社会の文明では
精神状態こそかけ離れていますが


(火星は地球より2万年進化していて
金星は5万年、土星は7万年進化していると言うことでした)


アダムスキーによれば科学力の発展は
然程差は無いという事でした。


と言っても、勿論見えないブラザーズ達の介入があって、
閃かされる科学者や研究者が存在すればこその
科学的な進化でもあるようです。


ただ他の太陽系の惑星は
科学力と精神が並行してバランス良く発展し、


科学力にしてもその高い精神を持った状態で


創造主の法則に抵触する事なく
それを使用しているというのが実情のようです。


それと比較するとこの地球社会の私達は、
機関銃を幼子に持たせているような状態なのだと思います。


それを人に向けて引き金を引けば
どんな事になるかを幼子は理解できません。


そして私達は原子力爆弾で人間を大量に殺し

最悪の結果を出してから、漸くそこから学ぶのです。


しかし困った事に精神性の低い私達は
喉もと過ぎれば熱さを忘れてしまうようでもあります。


結果、悲劇は時代の経過と共に繰り返される事になります。


自らが戦争の悲惨さを体験した世代は
その惨劇が繰り返される事を警戒します。


しかしそれを自ら体験していない世代や
熱さを忘れた人間たち、


そして好戦的な人間達は
同じ事を何度も繰り返す事になるのです。


それは私達が過去から何も学んでいない事にもなりますし

判っていながらそれを悲惨と思わない
心無い存在が増えているからかもしれません。


ブラザーズ社会では人間の生きていく目的が高尚です。


経験を繰り返し知識を増やしていく事、
そして精神の進化を図る事が彼らの一番の目的だと思いますが


それ以前に彼らは過去からも学び
同じ間違いを二度繰り返す事は無いのです。


それと比べると何度も同じ間違いを繰り返し
それを正そうとしない私達が


どれほど愚かな存在であるかという事も
理解できるかと思います。


そして私達が今のような状態になっている原因は
間違いなく心にばかり捉われる事になっているからです。


もっと言えば心を心地良くする事ばかりを
求めているからだと思います。


更に悪く言えば、私達は無自覚のうちに
快楽を求めて暮らしている事にもなります。


時には精神世界を覗いたとしても
それが自分の成長に繋がるものでない時は
実は一時の癒しを求めているのかもしれないわけです。


そして何よりも私達の社会では
奉仕という精神が壊されても居ると思います。


他人に親切にする、思いやりを持つ、
社会的弱者に手を伸ばす。


時には人として当たりまえに実行すべき道徳とも言える行為が


社会的規則で置き換えられた結果義務とされ
一般庶民の意識から取り除かれることにもなります。


それは義務ではないのです。


私達が持っている精神で当たりまえに
とられるべき行為だと思います。


そんな全てを変貌し
道徳を義務や法規へと置き換えてきた人間達は


その義務や法規を道徳と置き換え、更にそれを利権にまで繋げては
人間社会を道徳とはかけ離れた世界へと変貌している。。


結果、私達の社会からは道徳なるものが
どんどんと失われていく事にもなったはずです。


イエスキリストが律法学者を嫌った理由は、
一つには彼らが物事の規範として人為的な価値観を作り上げた事、


財産の所有を正当化する規範を作り上げた事


そして私達の道徳を法律に置き換える事で
わたし達の感じるべき道徳意識を奪った事です。


私達は道徳心の退廃と共に
その精神をもどんどんと自らの心から
遠ざける事になったのだと思います。


私達は本来強く意識すべき”精神”という規範を忘れては


新たに人間がエゴを持って、所有意識を持って、
自らの行使すべき権利なるものを持って作り上げた法に
強く誘導されている存在なのだと思います。


そして心がそれを正当化しているのです。


誤った価値観をまとめて心の濁りと理解して
その全てを心から取り除くような意識で


私達は人として持つべき本当の価値観を
行動の指針としなければならないと思います。


そしてその指針は間違いなく
神の法則の中にこそ存在している。


私達覚醒者は
生命の科学の実践による進化を続けながら
眠れる仲間を導いて行きましょう。

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P.S.

聖書を誤って解釈している一部のクリスチャンは
聖書の中の律法学者を美化する傾向にあるようですが
イエスはそんなことは触れては居ないはずです。


アダムスキーが触れているような
宇宙空間を無自覚のうちに旅行しているような事は
現実には頻繁にあるのだと想像しています。


それは恐らくは誰でもです。


夢の多くは目が覚めると殆どがその内容を忘れてしまいます。


それで私達はその不思議な夢の事すら
すっかり忘れているのではないでしょうか。


心がその動きを抑えたときに感じるのが精神で
その精神は神の意識、つまりは宇宙のエネルギーであり記憶です。


精神がそこへと流れ込んで
その宇宙的記憶や宇宙空間そのものの感覚を私達に伝え、


寝ている私達は心が暴れていないがゆえに
それを素直に受け止める。


それをそのまま映像化すれば
その宇宙的記憶やその空間のイメージは
そのまま夢として再現される事にもなるのだと思います。

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私は日本の音楽を近年はまったく聞く事もなく
せいぜいスピッツやKIRORO時代まで
遡る事になるのですが、


昔”ドリカム”の
”LOVELOVELOVE”という曲に関して
不思議な体験をした事があります。


私はドリカムには興味もなければ
今では聞く事もないのですが


LOVELOVELOVE初めて聞いた時に
を私はその曲を知っていました。


そして私はその曲を
てっきりリバイバルであると思いました。。


でもそれは過去に発表されてない
ドリカムのオリジナルのようでした。


なぜに私が知っていると感じたかといえば、
(良い曲とは言え、ある意味単純な曲でもありますが)
その曲をそっくり頭の中で歌えたのです。


いつどこでそれを聞いたのかと言われると
勿論答える事も出来ないのですが


そんな不思議な経験があります。


夢の中で私の意識とその作曲者の意識とが
シンクロでもしたのかもしれないと
今では本気で考えても居ます。